フォトギャラリー(令和3)

  • いただき物
    - Walk Don't Run - 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

フォトギャラリー(令和2)

  • 大晦日
    - Walk Don't Run - 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

フォトギャラリー(令和1)

  • Img_0968
    令和元年の足跡(写真300枚余り) - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

写真日記(平成31年版)

  • 天皇退位の日
    Days31 - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

写真日記(平成29年版)

  • 年越しそば
    Days29 - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇 - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記) - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】
無料ブログはココログ

« 2005年1月 | トップページ | 2005年3月 »

2005年2月18日 (金曜日)

銀マド>もうひとりの私  <雨水篇>

半月に1度、こうして様々ことを考えていると、
このまま時間が泊まって欲しいという衝動が襲う一方、

「義経」で義仲がやられてしまう所あたりを読んでいると、
時間をこのまま止めてはいけないのだという焦りのようなモノも湧いてくる。

仮想の時空で人物に触れる。
そこに、
現実の自分を睨みつけるもうひとりの私がいる。

----------------


堀江謙一さん。元気だ。

>2月17日(木)
>日本時間  18時 現在
>南緯  43度37分
>東経  18度32分
>天候   曇り  南西の風 8m
>気温  11度
>3時間ほど前に前線が通過し、寒い南向きの風にかわりました。


もうすぐ、喜望峰だ。

でっかい海で、8メートルもの風にさらされながら居ることは、とても恐怖なことに思えるのですが、堀江さんにとったら恵みの風なのかもしれない。

寒冷前線が通過して、風向きが変わる。さり気なくそのように書いているけれども、気合や意気込みが伝わってくる。

本当の闘志というものは、大海原で静かに内に向かって燃やすものなのかもしれない。

淡々と進むことが偉大なのですね。淡々と・・・・

----

今日は雨水。
朝、6時に庭に出て新聞受けから朝刊を取ってくるのですが、空が明るくなっていることに驚きます。雨水だと知っていたし、お天気も下り坂だと予報が言っていたのに、予想がハズレて厚い雲が無かった成せいか、余計に明るく感じたのでしょう。

天気予報どおりに夕刻から本降りです。今の季節に降る雨がざーざーと音を立てて降るのを見ていると「本降り」という言葉がとてもふさわしく思える。春を招く雨ですね。

2005年2月11日 (金曜日)

太平洋ひとりぼっち 堀江謙一

太平洋ひとりぼっち 堀江謙一



堀江謙一さん。きのうも元気だ。

> 2月10日(木)
> 日本時間  18時  現在
> 南緯 43度44分
> 東経 0度46分
> 天候 晴れ 南西の風12m
> 気温 12度
> 日本時間午前11時35分に東経に入りました。
> やれやれです。
> 堀江謙一

参照HPはこちら

------------------------
IMFというメーリングリストに、猫柳という名前で, 2001.6.4に載せたものです。(私の本棚シリーズ)

第9回「太平洋ひとりぼっち」

1962(昭和37)年5月4日、小型ヨット「マーメイド号」で兵庫県西宮市からサンフランシスコへと堀江謙一さんは出帆します.パスポートも持たずに太平洋に飛び出した無謀とも思えるその行為には、したたかな裏づけがあって、94日間の末に太平洋横断の航海を成し遂げます。この時の日本の新聞は、違法出国行為であったとか、無謀であったということを並べ立てて、ひとりの若者の冒険をいけないことと報じ、一方でアメリカ合衆国(合州国)のジャーナリズムはその快挙を称えたといいます。私はまだ小学生になる前でしたので、そのようなニュースを全く理解できずにいたと思います。ところがおよそ20年後、ふとしたことで講演会に行き、堀江さんのこの作品に出会い、ひとりの冒険家の生の声を聞きます。話が先だったか、本を読んだのが先だったかはもう覚えがありません。

18歳までの私は「井の中の蛙」だったかも知れない。ただひたすらコツコツと勉強をして、道を踏み外すことなく人並みに就学を終えて、恥ずかしくない社会人になろう。まあ、いわゆる立派で安定したサラリーマンになればいいと考えていました。そのことは決して誤りでも何でもないのですが、世の中には様々な人がいて、それぞれが情熱を胸に抱き苦難の壁に挑んでいるのだということや、人間には一人ひとりにかけがえの無い個性があって、それを活かしてお互いが社会という中で切磋琢磨し合っているのだから、勉強や知識などのひとつの尺度で人間を評価することやテストの点数だけで人に優劣をつけるのはとっても偏っていることなんだと気が付くわけです。大雑把に言えば、受験時代という森を走り切ったら荒野に辿り着いて、そこでは学だけでなく枯れ木を集めて火を起こし、水の流れを変えて草木の生きる土壌を創る技が必要なんだ、ということに気が付くのです。集まった少しの人が社会を形成し、お互いを尊びあいながら何千年という歴史が出来てきたんだ……という壮大なことを感じ始めていたのかな。

大学に入って重症の五月病から立ち直れずにいた私。同年代の人間は百数十万人でそのうち大学に進学したのが数十万人、その一人ひとりを大地に並べて色分けしたら絶対に同じ色は無いのだと断言できるのに、どうして私は友人たちと同じような服を着て、同じような話題に夢中になっているのか、と考え込んでいる日がありました。
結局、冒険家にも登山家にもなれなかったけど、自信と勇気を持って未知へと挑む人たちの姿を書いた本にたくさん出会って私は随分と心を打たれました。私が専門としていた電気通信工学の分野でもその考えが刺激になって、全く新しい向学意識を私に授けてくれました。

この記事を書くにあたってもう一度本棚から引き出してみました。また太平洋に挑戦する堀江さんの「モルツマーメイド」が新聞記事に載っていたので、もう一度初回作品を見てみようと思い立ったわけです。事実をそのまま記述しているが故に、いつまでも内容が風化しない。だから読み手に感動を与え続けることができる。21世紀になった今になってこの作品を読んでみればわかります。そこには情報や役立つお話はこれっぽちも無く、作者があの時に伝えたかったことや冒険心が凝縮されていました。この本と出会って書物というものに対するイメージと人生哲学のようなものを私は修正しました。

今、注目の冒険家といえば、P2P[*1]の石川直樹さんでしょうか。がんばれ。
堀江謙一の勇気と快挙は、20歳代の私に夢を与えてくれたと思います。私の本棚の中の大事な一冊です。


| 2005-02-11 14:35 | 読書系セレクション |

2005年2月 6日 (日曜日)

銀のマドラー/塵埃秘帖 立春篇 

立春が過ぎても寒し猫だるま

「冬は猫柳さんじゃなくって猫だるまさんですね」
と言ってくれたのは、いつも瀬戸内寂聴さんのように綺麗に仕上げているTさんだった。

彼女元気かな・・・・
こんな寒い日が続いても
昔のように夜更かししてPC叩いて
夜明け前に起きて勤行しているのかな・・・・

私ですか?
すっかり弱虫になりました。
あなたのお話を聞きに行きたくなりました。

__________________________________________

銀のマドラー/塵埃秘帖 立春篇 

<産経新聞の土曜の連載エッセイ「阿久悠 書く言う」(2月5日)>
を読む。
産経新聞を読むのは久しぶりぃー。(近頃、サボってたなー)

〔略〕

たとえば、「豊かさ」などもそうで、あれほど何百年も何千年もかけて貧から脱出を願っていながら、たかだか四世紀半少々、経済状態が良くなると、もう「豊かさが人間を蝕んだ」などといっている。

確かに私も「蝕んだ」という意味のことを叫んでいたな。

〔略〕

もっと具体的なことをいうと、鍵のかかる部屋を持つ夢というものがある。それぞれが自室を持ち、鍵でプライバシーが守れたら、どんなにいいだろうということである。だが、鍵の部屋で個を守ったが、広間で公を学ぶことが不可欠だった、ということを知らなかった。そのため、家族が話し方を忘れてしまった。

ふむふむ、と読まされます。なるほど、そいいうわけね。確かにそうです!その通り!と相槌を打ちながら読みます。

つまり、「手に入れた宝を、宝と思わずに冒涜しているもの」がたくさんあって、「平和」や「自由」もそのひとつだというのです。

「絶対の権利としてもって生まれてきたと思っている」世代の人などは特に、

「自由」はかけがえのない宝だとは思っていない。大切に扱わないと壊れるとも、いい加減に使うと没収されるとも考えていない。

まあ、これは広義に考えてゆけば、たくさんのことに当てはまるわけで・・・。
私たちは、自力で今の幸せを勝ち取ったんじゃないんだし、
自然環境や豊かな物質文化にだって畏敬の念を持たねばならない…というか、
「…ねばならない」ではなく、そういう流れが失われていることを指摘しているのだと私は思う。

結局、「豊かさ」が原因で「蝕」んできたのだと私が言ってきたことを、阿久悠さんは別な形で表現してくれたってことかな。

〔略〕

「自由」とか「平和」とかいうものは、只で貰ってはいけないのかもしれない。戦って獲得するか、そうでなければ、自分のいちばん大切な精神と等価交換するかのどちらかである。これなら、粗末にしないだろう。

 

ぼくは歌謡曲の歌詞で「一生」とか「永遠」とか書くことがあるが、それは三年間のことだといっている。三年の間に意思確認をし、誠意を示さないと、「愛」も「幸福」も、「平和」も「自由」も、その人の手許からなくなってしまうといっている。〔後略〕

そうだ、eデモもそういう時期だったんだ…てここまで書いて思った。
更に、私自身も、まさに3年目の冬を過ごしているのだ。

2005年2月 3日 (木曜日)

サクラサク@早稲田 〔銀マド・節分号〕

毎日新聞の「理系白書ブログ」にサクラサクという電報の話を書いていた。更にちょうど「司馬遼太郎が考えたこと」という本に興味が湧いていて、「あのころ」を私なりに思い出していた。

 

サクラサクという電報が生きていた時代、季節は立春を1ヶ月ほど過ぎた3月初旬だったと思う。記憶は曖昧でも間違いはない。何故ならその日は合格発表の日だったからです。

 

S君と私は南門から学内に入って、図書館の壁を横に見ながらどんどんと中に入っていった。大隈公の後ろを過ぎてしばらく歩いた所でS君が、

 

「よかったね、やっと念願がかなっておめでとう。お祝いに車買ってもらうんだって?」

 

と大声で私に叫んだ。前から歩いてくる他の学生に聞こえるように言い、しきりに肩を叩いてくれた。

 

「ありがとう、ありがとう」

 

と私はただただうなづいて並んで歩いて、西門を出たあたりでふたりは噴き出すように笑った。

 

楽しかったなあ、あのころ。

 

S君の芝居はナカナカのもので、4年も浪人したのに彼は文学部に7年ほど在学して演劇をやり通した。私のほうは、本命・第1希望の理工学部応用物理学科に見事に落ちて、後に、よその大学の電気通信工学科に進んだ。

 

もしも教育学部地学科に行ってたら、今頃、何してただろうか・・・。あのころ私は何を考えていたのだろう・・・と、司馬遼太郎さんの本を手にしながら考える。

 

きっと、打算的だったんだなー。

 

「これからは工学の時代なんだ、訳のワカラナイ理学系の学部なんてクソ食らえよ。電気通信の時代よ。エンジニアになるのよ。」

 

そう言っていたかもしれないあのころの日記は残っていないが、きっとそう豪語して歩いていたに違いない。「工学の時代は終わったのよ、理学とか哲学がもっと頑張らねばならないのよ」とこのごろ口癖にしている私としては、歯がゆい思い出です。

 

あの時、理系なんかやめちまって、S君のあとを追って文学部に進んでいれば…。
まあ、所詮、二十歳前の小僧の考えていた夢だったのですわ

2005年2月 1日 (火曜日)

まだエンジンすらかけていない

私のバイク。
一体どうなるのだろう、動くのだろうかという不安。
10年前なら我慢できずに寒くても走っただろうケド
今は、まあそのうち…と諦めている。
自分に呆れているようなところもある。

 

動かしてないからといって、動かせばいいというものではない。
気持ちも身体も一体となってバイクに乗って歓びを感じるような
そんなエクスタシーを忘れたわけではないのよ。

 

奈良県との県境に、やまなみロードというのがある。
昔からある道が綺麗な山岳林道になって開通したのよ。

 

梅の花が咲いたら、月ヶ瀬に行って、
そのついでにココを走って、柳生にも行ってこようと思う。

 

この寒波に包まれながら
とてもじゃないが、バイクに乗っている自分の姿を想像するのは痛々しい。

« 2005年1月 | トップページ | 2005年3月 »

カテゴリー

歩きの日記

  • 三野瀬駅
    あるく - Walk Don't Run -銀マド 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

オートバイとともに(BIKEs)

  • 平成24年(2012年)最後の春(閏日)のKLE
    かつて
    バイク・ツーリスト
    だったころ

Walk Don't Run

ノート

2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト