日和佐の駅にて (小さな旅シリーズから)
【小さな旅】
日和佐の駅にて (1992年夏)
あれは暑い暑い夏の夜でした。湿った空気が首筋の汗をドロドロにしていくような蒸し暑さです。初めての四国でひとりぼっちの野宿をしたのは、徳島県の日和佐というJRの駅でした。朝から剣山付近を走り回って海に辿り着きました。そこは何の変哲もない寂れた猟師町です。駅前の食堂で食事をしていると、南方の海洋で台風が発生して日本に向かって来るというニュースが流れていました。その後、駅の待合室のベンチに座って夜が更けるのを待ちます。一時間か二時間おきにディーゼルカーがやって来て数人の乗客が降りてゆくのをぼんやり見ていた。
あと数日でお盆だったので、観光や帰省の人の動きが少しづつ増え始めていた。けれど、駅前で客待ちをするタクシーの運転手さんは暇を楽しむかのように夜半まで車の中で過ごしている。人もまばらで、静かな静かな田舎町の駅前風景をぼんやりと眺めて私は時間をつぶしました。
初めての野宿です。テントを持ってきたけど、一度もそれを張ったことがなかったし、誰もいない海辺の町の空き地で張るには少し不安があったのだと思います。だったらJRの駅で寝ようと思い付き、そこにあったのが日和佐駅でした。ベンチに寝転がって眠ろうとしますと、頭の先を蟹が動いてゆく。静かな時空にサラサラという足音が聞こえてきます。また、時々、ホームに列車が入ってくるのでエンジン音で目が醒めます。
最終列車がやってくるころに私のバイクの隣に一台のバイクが止まりました。気軽に話し掛けたり掛けられたりできるのが一人旅の味わいです。近畿日本ツーリストに就職が決まったという彼は、昼間の暑さを避けて夜に移動することが度々あるという。眠くなったので駅でひと休みしようかということで寄ったらしい。
蚊の攻撃が執拗だったので、待合のベンチをあきらめてホームのベンチに移動したり、星が見えるほどに雲が切れてくれば、駅前のロータリーの真中にあるベンチに移動したりしました。隣に寝っころがりながら彼のツーリング感や大学生活の話などをした記憶があります。旅の疲れもありますが、出会った人が与えてくれる安堵感にいつの間にか包まれて、そのうち私は眠ってしまいました。
空が白んでくると小鳥がしきりに囀(さえず)ります。いや、囀るというよりも鳴きしゃぎるという感じ。野宿の朝はいつもそんな鳥の声で起きます。<あらら、はて…。昨夜の彼がいないなあ。どうしたんだろうか。>そう思いながら私も出発の支度を始めたら、荷物を固定するゴム紐に紙切れが挟んであります。
|お先に失礼します。名前も住所もわからない旅の仲間、
|またどこかでお目にかかれることを夢に見ております。
|お互いの安全を祈りましょう。
彼からのメッセージは確かそんな内容でした。メッセージとしてはありふれているし、あれから幾年も旅を続けていますと、時にはもっと泣かされるようなメッセージにも数多く出会います。しかし、彼が駅を離れる時に急いでペンを走らせ、それを荷物に挟み、エンジンの音が届かぬあたりまでそっとバイクを押して離れて行く息づかいを感じて嬉しくて仕方がなかった。旅行会社に就職すると言って喜んでいた彼は、きっと素敵な旅の案内人になっていることでしょう。
ねこ
01/08/11 09:03 記
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