ツーリング・レリーフ
ツーリング・レリーフ <浮彫紀行> 99/07/05 -
はじめに ご挨拶 (patio) 99/07/05 07:14
いよいよ、始めます。
細々と旅の話を書き続け、
時々、目新しい話や刺激的な情報を織り混ぜて、
いつまでも足踏みをしないで、
自分も変化してゆけて、
そして皆様と共に歩みたいと思います。
★どんな人を待ってるか?
◇アクティブにレポートを書いてくださる人
◇時々、書いてくださる人
◇テーマを持って書いてくれる人
◇滅多に書かない人
◇感想だけの人
◇関係ない話題を提供してくれる人
◇明るい人、暗い人
◇私にないものを持つ人
◇メカ系の人
◇そのほか、何でも
いろんな人が万遍なく集まって欲しい。
バランスの取れたパティオになって欲しい。
★ツーレポについて
◇重~いツーレポも歓迎したい
◇連載ものがいいですね
◇古いのもOK
◇リレーツーレポも試したい(タンデム、複数の人のそれぞれの視点)
◇軽いのも軽視しません
◇短いものも長いものもOK
◇詩的なもの
◇バランス感覚を如何に保つか
◇化石レスは大歓迎(化石レスを産めるようなレポートにも価値あり)
★何を書こうか!
パティオでは、情報を集めるのを目的としませんが、その情報をどのように料理していくのか、味わっていくのか…ということをテーマにするのは大歓迎です。
「ツーリングに行きたくさせるレポート&メッセージ」 ←これです。
前輪はレポート、後輪は談義…でいいかと思います。
(どんどん、HPからツーレポを転載してやってください。)
歩みの「のろい」速度がいいですね。昔は、話題を取り上げるのにアウトライダーなどを意識しましたが、パティオでは気にしません。
アウトライダーもいいですけど、もっとあの記事の裏に隠された悲哀のようなレポートが見たい。旅雑誌には刺激されます。バイク雑誌にも刺激されても構わない。でも、左右されたくない。私たちの流れを作る。
自己紹介は自由。書かなくてもOKです。一生ROMでもOK。
メッセージ1 (メール案内を改訂)4
何か、ひっそりとした流れを作ってみようか。画像に頼ることを しないで、文字をじっくり綴った空間で熱く且つ沁み沁みと人の想いを噛み砕いて味わえるところを実現できないものだろうか。
派手さを嫌い、ざわつかない。バイクや旅の話だけに限定する事もしない。新しいもの、好奇心をくすぐるものを求めて、自己増殖が出来るパワーを絶やさない。そういう「流れ」を作るために、もう一度、このパティオで始動したいと思っています。
挨拶2(案内メールを少し改訂)(patio) 99/07/05 07:14
メッセージ2 (メール案内から引用)----------------
旅をする人の心は、誰に聞いてもわからない。ひとりでどこかに出かけてみたい。そう思って夜汽車に乗った二十歳の頃から胸にその鼓動を持ち続けていたらしい。夜行列車のコンパートメントに向かい合わせに座った親子と会話を交わして時が過ぎた。日本海の冷涼たる景色が心に滲みた。
新しい何かに出会えるかも知れない。その気持ちを失わない限り旅が続けられると私は確信する。つまり新しい感動がなくなればその時、私は旅を終えねばならない。
人に出会いたい。でも作られた出逢いは嫌だ。騒々しい人の群がりも嫌だ。滅んでいく景色を見て涙し、生きている事に感謝してしまう。ある意味で、人はひとりで生きて行かねばならないように思う。人間がひとりしか住んでない島を想定して、それを原点に考察しようという「猫柳・無人島哲学」(*)を胸に、すべての秩序や倫理を私は原点に戻そうとしている。
時間を忘れ、文明の利器を排除し、贅沢な道具を自分の判断で取り去って、本当に必要な物を見直し、現代社会を廃れた寂しいものにしてしまったことを反省し、その原因が「富める奢り」にあったのではないかという疑問を、ほんの少しでもいいから実証できれば、私はそれでいい。
心を寂れさせてしまったのは、紛れもなく、実利を追求した現代人の賢さであった。工学の冴えであった。しかし、腹をすかせた私だけにしか見えない物を仮想的でもいいから追いたい。文明を真に理解し、薀畜をたれてみたい。そこにバイクがあるだけだ。
(*)「無人島哲学」については、いつか皆さんと焚火でも前にして、お酒を片手に語りたいものですネ。
メッセージ3 (メール案内を改訂)
私たちは多くのものに質実剛健を求めていた。ひとつの判断には結果の追求があった。結果が良くなければ全てが悪いという。そこで、ことごとくその判断基準に私は抵抗を試みるが、体制や多勢には勝てない。否、勝ち負けではないのだが、敗北感が残った。
だから…
「過程」をもっと見つめなおし、注目してみたいと私は思う。ある時は言い訳にしかならないのかも知れない。それでも構わない。言い訳を分析してみようではないか。
もちろん、言い訳ばかりでもない。その思考の手順、未知なるものへの取組み姿勢、その時の感動を大事にして、たとえ何も得るものがなかったとしても、また再び挑んでみたいという気持ちが残る事が、実は一番大事なんではないだろうか。
儚い人生と思うのか、充実したものと思うのかはその人次第である。パティオにも決して、有益なものばかりが溢れているわけではない。しかし、その2割ほどのなかにきっと輝くものが生まれてくるに違いない。一見、無駄と思える何かが育むものを探して ゆきたい。誰に来てもらっても構わない。読むだけの人があっても結構。流れが遅くていい。焦りもない。時にはセンチメンタルに、時にはロマンに満ちて、くつろげる空間を模索したいと考えている。
ひとりごと
オートバイをこよなく愛し
いくつもの峠を越えてきた
蒼茫たる原野をひたすら走りたい
歴史の足音が聞こえる切り通しで佇んでいたい
愛読書を10回以上読み
人生に夢を持ち
BeethovenとJAZZと同居させ
専門の電気通信工学に誇りを持ち
文化人類学(民族学)に興味を持ち
でっかい仕事を夢みて
最大の能力は独創性だと信じ
感激すると眠れない夜を過ごした
涙腺がやたら弱いヤツ
詩人でありたい
俳人でありたい
冒険家でありたい
人間のほんとうの力を信じたい
土を見ると裸足になりたい
歴史に名を残したい
いつの日か ほろほろと散り果てるまで 〔猫柳〕
猫柳 素庵 「猫柳・塵埃秘帖」(6月中旬版)
(patio) 99/07/05 07:16
from 猫柳素庵
梅雨になると私の部屋のスチール棚に古本屋のように積まれた本たちがざわめきます。…なんて言ってみたくなるけど、実はざわめくのではなく湿気を含んだ古本たちが手垢のついた古紙の匂いを放つのです。雨の日に、その部屋の一角に置いた古ぼけたソファーで、お気に入りの一冊を取り出してパラパラとページをめくると、その本を買った時刻や場所が蘇ってくる。ああこれは神田の古本屋で…買った後すぐに地下鉄に乗って、講義にも行かずに下宿に帰って読んだな、って具合に。
お香でもたいてみようかな…。
ツーリングパティオの名前を考えようかと思いながら、なかなか気に入った名前が浮ばない。そんな折にこの古本の中にまみれていて、そういう思い出に浸っていると古いものと新しいものがここでは融合しているのがよくわかる。古いものを大事にして、今までにない新しいことを生み出そうとする微かな鼓動なんだろうか。古本たちが私に投げかけているヒントは、古いものの中で熟成された私の未知なるものへの憧れで、新しいことを始める手がかりであったりする。また、新しい本を買いに街に出ようと思い立ち、同じようにまた旅に出たいと私は思う。
ある時、昔のログを読み返し記憶を甦らせててみたり、新しい旅に出る元気の素が生まれてきたり…。パティオもそういう「生きたもの」になって欲しい。長編(短編もOK)のツーリングレポートをどっさりと読ませて欲しい。皆さんから送っていただいて、それをじっくりと熟成させ、例えば冬の間はネタに困らないほど太りたい。そんな具体的な方針の他に、自信を持って言えることは、普遍的で自立し、泰然とした流れを持ったパティオでありたいということである。
* * *
近ごろ、紙切れの端っこに落書きをしなくなった。キーボードばかりを相手にしているせいもあろう。しかし、大学時代の講義のノート隅には素晴らしい作品(詩編)が残っている。講義も聞かずに、或いは眠いのを我慢する為に綴ったのだろう。恋のうたもある。
先日、朽ち果てたボロ屋を壊す時にネズミのフンにまみれ、紙片をかじられてバラバラになったノートが何冊か出てきた。その幾つかを掘り出してみるとやはりこれも名作ばかりであった。私たちが日常に出逢うちょっとしたセンチメンタルを大事にしたいなって感じた。
<数日前のメモ帳の落書きから>
じっくりと綴ろう、そして沁み沁みと語ろう。感動を噛み砕いて味わいたい。そのためには、画像が邪魔をすることだってある。嫌っているわけじゃない。じっくりと別の場所で見せてもらうことにして、今はじっくり読みたい。ペースも遅くていいじゃないか。
決して派手ではなく、賑やかに騒ぎ立たず、人が群れない。情報に流されない。誰もが出かけるから、話題にのぼるから取り残されたような気持ちになるのも、もうやめよう。
雑音を取り除き、自分が本当に見たいものをじっくりと眺めたい。
そこには着飾ったり浮かれたりする気持ちやある種の競争心や損得の心などではなく、ひとりで旅に出ようと思った時に心を揺るがした「衝動」や「感動」があるはずだ。
峠の向こうはどんな景色だろう…という好奇心にも似たものをいつも持ち続けたい。そこを吹く風はただの風でも私には意味があり価値の高い風であるのだから。
しかしながら、過去に縛られるのは嫌だ。新しい流れには決して逆らわず、私なりの好奇心で突き進みたい。自らが衰えることなく、常に新しい旅の触覚細胞を増殖させ、夢を持っていたい。お互いが意識をし合うわけではなく切磋琢磨を繰り返し、自らも琢く。
生涯旅人でいたい。そこには夢を追う自分の姿がある。「夢を追い幸せを食べる虫」 それは、私が24歳の新年度に胸にした情熱だった。
そうか、夢を追い幸せを食べる虫か…。
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