三十九年の歳月
月ヶ瀬の梅も北野天満宮の梅も
じっくりとみてもそう変わりはない
花というものの普遍性を思うと
人というものの潜在性を振り返って苦笑うことになる
三十九年前に皇居の北で卒業をしてそれぞれの地に跳んで行った仲間たち
あるときは同志でありあるときはライバルであった
人生の一瞬に並んで過ごしただけではないか
もう僕のことなど忘れているだろう
しかし
そういう奴に限ってこちらはやけにいろいろなことを思い出すものだ
あのとき一緒に実験グループであれこれと論議をした彼の考察の方法が
後になって彼を超有名企業の中で常務取締役にまでなってゆく彼の盤石であったのだろう
僕のような使えない人物と彼らのような有能な人物がいて
同じ釜の飯を食わせて
世の中に送り出そうとする大学というところの懐の深さにも感謝する
三十九年という年月を迎えるまでには何度も足を踏み外したが
学生時代にも二度足踏みをしている
失敗の数は数限りなくあり不合格という具体的な紙切れはその何倍も手にして来たのだが
二度足踏みをしたあのころのことが僕の支えになって来た
振り返ればあのときに仲間は三倍になったのだった
だが残念なことに
あれほど毎日雑談に耽り、飯を食い、
役に立つかどうかわからない遊びに夢中になり
ノートを写しあっていても
もうみんな大物の座を退いてしまっていることを思うと
のちの人生で起こっていたことなどを総括的に振り返っても
あの数年間のスクラムは美しかったとも言えよう
何も求めない
何も退けようとしない
裏切らない
嘘も言わない
憎まない
突き落とそうともしない
人には才能というものがある
運命もある
幸運もあれば不運もある
トラブルが風雲を招くこともある
機知や創意も必要だ
地道さも根気も必要である
真面目さも
非真面目さ
地味と派手
何も生かせなかったし
変化を起こすこともできなかった
これでいいのだ(バカボンのパパ)
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