高橋順子 夫・車谷長吉

付箋を貼ったところを
いくつか書き写しています




ついりまえのあめのばん、
しらないひとにてがみかくのは、
こころおののくときだ。
Damonにとりつかれることもなくくるわざる、
しへのあゆみのいちや。
かとんぼがふすまかみにはりついて、
あしふるわせている。嘉  P16


P12
「昔、ある人に、愛がどうのへちまがどうのと言う女は嫌いだと書き送ったことがあった。四ヶ月ほどして東京へ出て来た時、その人に、凄いことを仰るのねと言われた。この冬は十六年ぶりに外套を求めた。十二年前の冬、前の外套の胸釦を一個落とした。西ノ宮高松町の、川に沿うた夕暮れの道だった。それを探すためにとぼとぼと歩いて行った。あった。嘉」「あの人」「その人」というのは長吉の初恋の人かもしれない。「お雑巾」と言う人だったとどこかに書いていた。
(略)
なくしたボタンを探すために元来た道を歩いていく人。ついに見つける人。よほどの貧乏人でもこんなことはしない。執念に取り憑かれやすい人なのだろうか。また返事は出さなかった。出せるはずがなかった。


P12
三月五日、七通目。紅椿の花が一枝。
「どんなにへたであっても、へたであることが何事かを伝えるということが、あるのではないか。そう考えてまたこんな絵手紙を描きました。」


P24
「いつも
『お先にどうぞ』
と思っているうちに、
四十五歳になってしまった。この夏。


P53
私は長吉に手紙を書いた。「この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました」と。
長吉のふところに飛び込むのは怖かった。
私は窮鳥ではなかったが、「窮鳥ふところに入れば漁師もこれを撃たず」ということわざがあるではないか。


P62
長吉が夏休みがとれたというので、私は「どこかへ連れて行ってください」と頼んだ。
「どこへ」と聞かれたので「恐山」と答えた。
後に長吉の代表作となった『赤目四十八瀧心中未遂』にこんな場面がある。

「生島さん。うちを連れて逃げて。」
「えッ。」
アヤちゃんは下唇を嚙んで、私を見ていた。
「どこへ。」
「この世の外へ。」

二人はそれから赤目四十八瀧へ心中遂行に出発するのだが、私が「恐山」と言ったことがこの場面を呼んできたようにも思える。アヤちゃんと私に当然ながら共通項はなく、アヤちゃんは想像の女で、女優の松坂慶子をイメージしたと長吉は言っていたが、関西で料理場の下働きをしていた八年の間に、あるいは逢ったことのある女性がモデルかもしれない。長吉の小説のヒロインの中でいちばんいい女がアヤちゃんであろう。この小説は私小説ではなく、九十パーセント作り物だと言っていたが、書き終えるまでにあと四年かかることになる。


P68
帰りに乗った飛行機が、どうか落ちませんように、と怖くてならなかったのは、あの時だけだった。
長吉と結婚してから死にたい、と初めて思った。


P65
名月や石を蹴り蹴りあの世まで  長吉
この句は結婚した晩に作ったという。


P222
長吉を誘うと、一人残されるのがいやさに、うんと言ったが、考えて、虫のいい話だが、自分の小説のモデルにした人たちに詫びて歩くことにしたと言う。千二百キロの行程を歩く旅に連れ立ってくれる夫はあまりいないかもしれないと、いまになって思う。
長吉は忘れない人だった。忘れないことは苦しいことである。地獄へ行ったら、ずっと忘れないことになるだろう。しかし長吉は極楽へ行って、好きな蓮の花の間でにこにこ笑ってるよと、言ってくださる方が何人もいる。忘れた長吉と忘れない長吉。いまはどちらなのだろう。


P271
長吉の句をふと思い出してみる。「鈍重な男の恋や…」。下五は何だったか、「牛のごと」ではなかったよね、と思い、句集を見てみると、「鈍重な男の恋や黴のごと」だった。女としているが、自画像っぽい。長吉には狂気にまごう冴えがあったが、強情といったらなかった。それは鈍重に通ずるところがあったような気がする。黴はいつまでもそこに、心に居つづける。