能登半島・七尾の下級武士の家に生まれるが、幼少のころに染物屋に養子に出される。それがやがて絵師として見いだされ、何度も降りかかる不運や不幸を突っぱねて歴史に残る絵師として認められてゆく。そういう中の激しい生き方に感動しながら読む。

義父母の壮絶な死、兄の野暮、戦に巻き込まれる被害、筋書き通りにいかない人生、理屈に合わない人間関係、突然襲いかかる不幸、貧困、裏切り、憎しみ、駆け引き。意地、見栄、希望、懺悔、度重なる身内の死。等伯と人生をともにする女性たち。すべてがクセのある人間味を帯びていながらも美しくある。

いつどんな時代であってもこのような人物は存在したのだろう。戦国の世の中のことだ、どこまで自分の願いが叶ったのだろうか。京の都に出て絵描きとして認められたいと夢見ることは、その人の才能にかかわらず、現代ならば宇宙飛行士になりたいとか大リーガーになる、ノーベル賞を狙いたい…みたいなものだろう。私たちも子どものころそんな夢を語ったことあったものだが、それは夢であるから好きなように語れたのだった。現代の若者は─とくに小中学生は宇宙飛行士とか大リーガーなんて現実的ではないと言って弁護士だとか医者などを将来の夢に挙げるとも聞く。

等伯の時代も今も同じように夢は夢であったのかも知れない。しかし、どこかが違ったのだ。安部龍太郎は、そんなどろっとした部分を程よくそぎ落とし、運命に引きずられて都に出て、絵描きとしての道を歩んでゆく情熱的な等伯の姿を書きたかったのだ。烈しい気性を淡々と書いて、講談のシナリオのように、不運をひらりひらりと裏返すように単調な成功物語にしたくないと考え苦心したように見える。

これだけの才人の伝記だから、物語にすれば歴史ファンが増えて仕方なかろう、利休を見直す人も出てこよう、日蓮を読んで学ぼうという人も出てくるだろう、そういう逸る気持ちを鎮めながら一方でどっぷりとハマって読みふける。等伯の苦悩や不幸、不運を、そしてさらには挫折や読者の反発も、全てを味方にしてどんどんとおもしろい物語になっている。どこまでが史実なのか、どうでもよくなってくるくらい、夢のように嬉しい展開である。そこが安部龍太郎の(きっと努力の)文芸の技ではないかと思う。



等伯を安部龍太郎が書かなければ、等伯に関わる文献は歴史の副読本程度で終わっていたかも知れないし、落語のネタ本のようだったかも知れない。そんなことも思いながら、作者・安部龍太郎のことを想像する。情熱を感じさせてくれる人だ。そう意味でも、安部龍太郎が等伯を書き上げてこそ本当に良かった。等伯がつまらなくなる恐れがあったのだから。

人は強くて揺るぎのない強い執着を持っていれば成就できる…というお手本の生き方をした人物ではなかった。等伯の人生は、ある点では下手くそな生き方だった。だから等伯は、時代のヒーロー的な人物でもなかったし成功をするのも晩年である。そんな人をここまで魅力的に書けたのは、安部さんアナタが共通するものを感じ持ってるからではないですか。(と質問したい)

物語を書くにあたって、安部龍太郎という人は文芸のチカラで引き込んでゆける様々な手段や技法を研究し、知識や常識も調べ上げるなどして研究に余念がない人だったに違いない。そういう厚みを備えて書いたことがこういう巧い作品を纏める才能であった。おそらくこの作品に限らず、一文一文しっかりと着実に書いてゆく作家のだろう。読みながらそんな作者の顔も感じ取りながら読み進む。

それは推測だが、安部龍太郎自身の生きざまや人生そのものに等伯が重なるのではないか。安部龍太郎は、等伯に成り切って命を賭けてこの作品を自伝を 書くように書いたのではないか。そうであってもおかしくないほど、等伯という人物には魅力もスリルも意外性もあった。もちろん、あらゆるものを燃え尽きさ せる熱いものも持っていた。



歴史を新しい側から辿っていけば、もしかすると、しかるべき成功物語で語っておしまいになっていたかも知れない。しかし、安部龍太郎のマジックのような才能が、誰にも書けない等伯を完成させた。

歴史の試練をくぐり抜けた一つ一つの場面が余りにも激しいながらも真摯であり、単純ではない波乱な人生であったが、決してそれだけで終われないものがある。それは等伯の、漲る才能や絵に対する執念だけではなく、向こう見ずな側面を作品では見せている。

その上に、その強運不運に死なされてしまわずに生き延びた史実を、はらはらとさせるような作り話のような筋書きにして、たぶんほとんどのところが資料に基づく史実に近いものだろうが、小説としてまとめ上げた作者・安部龍太郎のレトリックの凄さでもある。

そして終章。等伯は逝くのだが、逝ったとはどこにも書かずに、安部龍太郎はぐっと映画のようなシーンで終わりとしたのだ。
この作品は、映画にもできない、安部龍太郎の書いたペンが激しく読者にぶつけてくる等伯の叫びを綴ったものだと思う。そんな気がしている。