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宮本輝 幻の光

この小説に出てくる曽々木や輪島市内、さらに輪島から西へ猿山岬へと旅をしたことがる。夏のことであったので、小説「幻の光」の背景に映る哀しみを帯びて冷涼とした感を、そのときには抱かずに寂れた村落を走った。

日本海沿いの貧しい集落には夏でも間垣が所々残っていて、冬の風の寒さは想像できた。誰も歩いていない漁村のどの場所に停止して日本海を眺めても、明るさや歓喜に満ちるようなものはない。

宮本輝は、静かに自分の昔のあるときを思い出すと、そこには能登半島や富山の海があるのだろう。きっとそうに違いない。朝の歓びでは猿山岬を訪ねるが、アクティブにあの黒い海に対面しに行ったとしても、そこにあるものは、太平洋では決して見ることができない荒々しく冷たい海の姿だ。

雷鳥を降りてからもローカル列車に乗り換えしばらく揺られてやって来る小さな街は、都会からとてつもないところにある。そんな街へ子どもをひとり連れて降り立つ女の気持ちを、簡単に理解してやることなど、誰でもができるわけが無い。もしも、できるという人がいたならば、軽はずみでいい加減な質の低い人だろう。

作者は、そんな誰にも理解してもらえない寂れた土地へ主人公を追いやり、自分自身に語らせるのである。

そこには映像では決して実現できない、宮本輝が吟味に吟味を重ねて綴った物語がある。誰にも真似が出来ない筆致は、もしかしたら宮本輝自身でももはや再現が出来ないかもしれない。何故ならこの作品を書いた31歳という時代は、遥か昔になってしまっているから。

この小説は冬の寒いときに、厳しい寒さにじっと堪えている能登半島を描きながら読むのがいい。吹きすさぶ北風に積雪もままならない。世の中に存在する様々な人生の悲哀を思い浮かべることのできる人でなければ、この小説が問いかける先を理解できないのかもしれない。

「お母ちゃんのお尻に、そばかすあるかァ」という主人公の言葉には泣かされる。

海は、夏より冬の方がキラキラとよく光る。太陽の入射角の加減と思うが、しかし、日本海に、光ることができるようなひとときがあるのだろうか。

作者は誰かにその「光る海」を見せてあげたいのかもしれない、そんなことをふと思った。

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(後日、追記)

この作品の最後で

「人間の精を抜いていく病気があるんやと、あれ以来わたしは考えるようになった。体力とか精神力とか、そんなうわべのものやない、もっと奥にある大事な精を奪っていく病気を、人間は自分の中に飼うてるのやないやろか。」

「そんな病気にかかった人間の心には、この曽々木の海の、一瞬のさざ波は、たとえようもない美しいものに映るかも知れへん」

と言っているんです。

その後、数々の宮元作品の中を脈々と流れるひとつのモノが、ここにすでに形を持ち始めていたのですね。

| 2008-12-11 17:30 | 読書系セレクション |