口笛をふく時

講談社文庫(絶版らしい)

歳月という言葉の意味をずっしりと重く感じる。そんな作品だ。

30余年前、正確には1976年5月3日に私はこの本を購入している。ブルーブラックの万年筆でそう記してある。その色褪せて滲んでしまった私の筆 跡がまたこの物語を読み進むにつれてずっしりと心に圧し掛かってきた。

それは私が上京した年で、東村山市の萩山病院の裏に在った寮に住み始めて1ヶ月あまりという時代だった。高校時代に短くスポーツ刈にしていた髪もま だそれほど伸びていなかったはずだ。(この年の夏に志村ケンがブレークし、東村山音頭が有名になった)

当然、私には人生について深く考えることのできるような経験もなかったし、人にも事件にも出会ったりしていない。そんな時代に、こんな作品を読んで 分かったのだろうか。そう、今更ながら大人の視点で振り返るが、18歳の若造はそれなりに感動していたらしい。

書棚の奥から出てきたこの本には買った当初のカバーなどなく、こげ茶色に変色した背中と柔らかみを失った一枚一枚のページが、30年という時間のな かでじっと誰かに掘り出されるのを待っていたのかもしれない。(ご主人の私が掘り出すか、私が死んだときに紙くず屋に放出されるときに誰かが触るくらいし か想定できなかったけど)

読み進む途中で、決して荒っぽく扱った訳でもないのに、製本の糊付けがパリッと音を立てて割れたと思ったら、2、3日のうちに真っ二つに切れてし まった。読み終わるときは無残な姿に変化してしまっていた。

ページを捲るたびにタイムマシンに乗ったように時間が巻き戻る。物語は簡単に脳裏に蘇えってきた。私の頭のなかには、かび臭い寮の部屋も蘇えってき た…。

赤鉛筆で線が引いてある。その箇所が、現在の私がまさにその一行に引いてしまうだろうという一文であることに驚く。私はこの歳になっても、いつまで も子どものままなんだろうか、と苦笑する。

遠藤周作のこのような作品は、彼の純文学と呼ばれる作品と共に、非常に重要な位置にある。一行たりとも無駄な記述がないのは、むしろ中間小説と呼ばれるコ チラの作品群だろう。

遠藤周作が51歳のときに書いたこの作品の随所には、彼が戦争中に青春時代を送りその暮らしや数々の出会いがもたらした棄て去ることのできない悲哀 が、ユーモアと苦味をブレンドして綴られている。遠藤という小説家の人間味を漂わせてくれるシーンやセリフで満ちている。

主人公の30年前の記憶と、作品が書かれた時代(1973-74年)とを折り混ぜながら物語は展開する。それは遠藤氏自身の夢の物語であり、そし て、おそらく自分のために送ったそれまでの人生への労いであり、ペーソスにのせた社会に対するささやかなる批判でもあったのだろう。

テレビに出演しては楠本健吉や北壮夫、佐藤愛子、阿川弘之たちとおバカなことをやっていた。しかし、キリスト教を主題にした純文学作家遠藤氏の本当 の心の中を探るためには、このような(絶版になったらしい)作品を読まずして始まらない。

古本屋を漁り尽くしてでも、遠藤を語ろうという人には読んでいただきたい。語れない人は研究不足だとキッパリと言えましょう。

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32年後に再び読み返してみたことを良かったなと思います。

18歳のときに読んだ小説。
遠藤氏が51歳に書いた小説。
それを、彼が書いた年齢になって読んでみる。

この感動と、作品自体がもたらす感動とで、今、満ちています。
| 2008-06-04 11:09 | 読書系セレクション |

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遠藤周作 口笛をふく時

せつない、という言葉を知らないころに、もしも、この物語を読んでいたら私はどんなふうにそれを人に伝えたのだろうか。きょうは、「口笛を吹く時」を選ん でみました。
(遠藤周作文庫・講談社は絶版だそうですね。復刻しないかな。。。)

どの作品を取り上げても共通するモノが深い深い所を流れていることに気づきます。作家遠藤周作は、高額納税者リストのトップに毎年顔を出しながら、 嫌味な面も気取った顔も見せずに、ヒット作品を送り続けました。

ニコニコと冗談を飛ばし、
「なあ、アナタが嘘つきかどうか一発でわかるんだ、当ててやるよ。僕の質問に答えてくれよ。お風呂でオナラをしたことがあるかい?ねえ?」
などとやっていたのであるが、

(作品最後から)
美しいもの、懐かしいものはここだけではなく、日本のすべてから消えていく時代なのだ。平目も愛子もこの地上にはいない。それなのに自分だけが生き残って いる。小津は今、愛子や平目が自分の人生にとって何であったのかが、わかったような気がする。すべてが失われた今、それが残した意味がわかったような気が する…。

実はそのこには、遠藤さんが従来から語りかけてきた、世代の違い、人生の交錯、戦争の傷跡、弱き者、答えの無い問いかけ…、が作り上げるドラマの源 があると思う。

人は、涙を枯れさせて悲しい悲しいとただただ泣き続けてしまうことがある。
悲しいという感情や概念の原点って何だろう。「無力の悔しさ」でもあるのではないか。
所詮、小説、作り話…である。しかし、答えの無い問いかけは続くのでした。

さて、次は何を読みましょうか。
| 2005-05-29 10:53 | 読書系セレクション |