詩人ではない。だが、初めて読む詩人に出会い、ぐぐぐっと惹きつけられて行ったときのような引力じみたものを感じる。いや、引力とは違うぞ、呪ないのような優しさを持った不思議な力。昔、寺田寅彦を教科書で読んだときのような不思議な感触にも似ている。

感触。そうだ、小説でありながら質素な包装紙に纏われて、式台に置かれたお土産の中身に触るような、日常という息遣いの中にあるひっそりとしたおこない。そう、そういうものに「触る」ようなタッチが、文章そのものにも、話の中身にもある。

だから、詩ではない。もしかしたら小説でもない。文学でもないかもしれない。そうか、この人のことだから、シナリオ的芸術で、文学的作品ということにしておこうか。

直木賞にだってハズレはあるだろうけど、この作品を読んだ人はまた一歩直木賞が好きになる。直木三十五が南国太平記を書いたころ、後年になって私たちが胸を躍らせながら南国太平記を読んだときと同じように、今は、テレビでも映画でもない、向田邦子の文芸を読んでみて、コレダと思った。

今、直木賞なんて意識しないままで、作品の賞なんてのはどうでもいいよ、と思いながら、一方で、どこか脈々と文と芸と狭間を彷徨う作品に酔いしれている自分がいる。

膝を叩いても口笛を鳴らしてもいい。素敵な小説に出会えて本当にウレシイ。今の私の年で逝っちゃったというのが悲しいけど、足音はいつまでも響く。