伊吹有喜 彼方の友へ

伊吹有喜 彼方の友へ

身近な人たちのお薦めもあって(県内の出身者であるし母校を同じくする仲間も多いこともあって)こういう機会に是非読んでおきたいと気合を入れて図書館から借りてみる。

第158回直木賞(門井慶喜 銀河鉄道の父)のときの候補にもあがったという作品だ。

作品感想を書く前に白状すると、門井慶喜 銀河鉄道の父は単行本を買って読んでみて、直木賞も変わったのかこういう時もあるだろう程度に不完全燃焼であった。しかし作品としては上出来で★も多めにつけたと思う。二度目に読もうという気は起こらなかったが。

その作品と競ったという伊吹有喜 彼方の友へである。もっぱら、「おもしろい、いい作品だ」という評価ばかりを聞かせてもらいながら、連続テレビ小説を読むような滑り出しでスルスルと引き込まれてゆくのだった

向田邦子を鞄に入れたままにしていて、目が疲れたり読む気合がないときなどに開くことが多いのだが、しばらく伊吹有喜を読みつつ、三分の一ほどのところに栞が入っているあたりから向田邦子ばっかしを読んで伊吹有喜を読まなくなってくる。

連続テレビドラマなら、伊吹有喜の放送の日に友達から食事に誘われてもドラマはあっさりと諦めて、お出かけしてしまうだろうという状況になった。

どうしてかを考えてみたり、悩んでみたりしながら、伊吹有喜に戻ってきて続きを読むのだけれども、栞の場所が進むだけで一向に面白みが伝わってこないのだと気づく。

おもしろいという人の気持ちはわかるし感動した人のポイントも理解できるのだが、活字が響いてこないのだ。

テレビの連続ドラマという表現を最初に書いてみたが、あらすじやおもしろポイント感動ポイント、出来事の感動などは伝わってくるのだから、ドラマを見ている人は筋の流れが楽しめて、物語としても上出来で、さすが直木賞候補だなあとなっている。

一つ一つの文章を追って分析してもそつのない素晴らしい作品になっているのに。

伝わらないのは話のリズムと心の動きと言葉の振動のようなものが、向田邦子のときは同期して共感するのだろうが、伊吹有喜さんは僕の触覚を震わせてくれなかったということなのだと思う。

きっと、ドラマの作品に仕上げれば現代のドラマやテレビ好きの人たちには大好評になる作品だろうと思う。

二十一世紀なってからの映画やドラマに魅力を感じない僕が読むと、あかん。僕が別世界(別時代)の感覚をもつ人になってしまったということだろう。

直木賞に興味が薄れてゆく理由を説く手がかりをくれる作品だったとも言える

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休憩時間などに少しずつ読みましたが、もう一回おさらいで読んでいます

でも、味のないお料理を食べているような感触ばかりが蘇ってきます

みなさん おもしろくて、いい作品だとおっしゃいます
それがすごくよくわかる作品ではありますし、オススメしてくれる人の気持ちにも感謝しますが

味がない のです

テーマやモチーフには重みがあるのですけど、タッチが整合してなくて、大林宣彦の作品をみているような印象に似ているのか

回転寿司屋さんに行って 「よかった、美味しかった」とは言えない・・・あの感じ