戦争という暴力がまき散らす災禍の中では人間の知恵などという姑息なものは通用しない。大きな偶然があるだけだ

戦争を知ると、人間の悪の部分をたっぷりと見る。でも知らないと、自分が傷ついて死ぬことも想像しようがない。想像力を相当に働かせてもらいたい

作品のことに触れて終戦記念日のころに掲載された新聞記事の最後にはこのように述べている
小説の中にも登場していた言葉である

なかにし礼は、詩人で、作詞家であるのだがいったい彼のどこからあのようなヒットを生み出すような言葉が滲み出てくるのか

小説のなかのニンゲンは紛れもなく人間・なかにし礼であるのだ
しかしながら、現実を超過したようなドラマのような展開が続く

人間が叫ぶのは実の声だ
怒りであり嘆きであり
実は遺言であるのだと私は感じた

読書途中でメモした感想には

夢の跡
あなたの書いたその詩集
きらめく言葉の泉のそのむこう
そっと隠した涙の跡がそこにある

なかにし礼「夜の歌」を読んでいますが
憎悪と嫌悪があふれた
全力で綴った自伝であり
これは遺言でもあるのだ

と私は書いた

37ページで
この光景をふたたび見せられたら、俺は生きる勇気を失ってしまう
ここには、悪意と復讐、暴力と残酷、非常と恐怖、絶望と憎悪しかない
と書く

残酷と危険と人間の愚劣
そんなシーンがひとときも作者の脳裡の片隅からは消え去らない

よく頭を沸騰させないままでこの作品を書き続けられたものだと思う
もはや、全てを隣のステージにひとまず置いてしまっているのだろうか

しかしながら、これほどまでに壮絶な人間の生き様が
この時代の一齣一齣の中においてどれほどまでに珍しかったのか
それとも日常茶飯事だったのか

小説を読めば確かに自明であるのだが
なかにし礼は、その確定性については触れていない
自分の魂や霊が死に果てても癒えないからなのだろうという気がする

「想像力を相当に働かせて」となかにし礼が語ったのだが
これからの人たちにこれを受け継ぐだけの器量や力がないことが
私の最大の残念な点である

雨降りに秋刀魚を焼いて秋を食う