イエスの生涯

十年ほど前に青森県の三内丸山というところで縄文時代の大規模な遺跡が発見されたんです。そのときの報道記事を読んでいてグググと惹かれモノがひとつあり ました。

縄文時代の生活のなかで、生まれたばかりの子どもの埋葬の方法について記事は書いていました。

ムラが形成されているなかに、いわゆる、死んでしまった人を葬る区域がある。その、ムラの外れのいかにも墓地に相応しいところでありながら、しか し、どうしても不可思議な骨が見つかるというのです。

人々が暮らしていた家の、住居の中の壺の中に生まれて間もない、おそらく1 2歳未満の赤ん坊の骨が発見されるという。つまりそれは、子どもが何らかの事情で死んでしまっても、大人が死んでしまったのとは区別をして、子どもは自分 たちの暮らす家の中に埋葬した痕ではないか。

私は、それを読んでナルホドと思いました。

次のまとまった休みに枝葉をつけて2週間ほどの旅程で東北まで出かけました。三内丸山遺跡には3日間滞在して、その遺跡を(まだ発掘過程でしたがそ のほうが感動も大きかった)くまなく見て回りました。

人は、死んでしまうという概念を持たない世紀には、息をしなくなった自分の子どもが、もしかしたら生き返ってくると思ったんでしょう。死んでいると 誰も決めることができないのだから、赤ん坊であればいっそう、わが身のそばに置いて留めておこうとしたのでしょう。

いえいえ…
イエスキリストという人物が何をどのように話されたのかは私にはわかりませんが、イエスの生涯を読むとき、宗教とか信仰などという人の心を包み抱きかかえ てくれるような概念が、この世紀にはどんな形で存在していたのだろうか…と思います。

人は無力に対峙し、強くもあり、弱くもある。遠藤さんは割りと早い時期に「イエスの生涯」を書いて、ずっと考え続けておられたんでしょうね。「深い 河」に至るまで数々の苦悩や喜びがあった。作品すべてが遠藤さんの実像ですな。
| 2005-05-29 20:37 | 読書系セレクション |