青い小さな葡萄
遠藤 周作
講談社



コーヒーの宣伝に出ていたころだろうか。私が読んだ文庫は昭和54年の6月に7版として出版されたものだ。1版は昭和48年8月。

ブックカバーもあの頃(30年ほど昔)を思い出させてくれる、イカス雰囲気のものだ。

永年、私の本棚で眠っていたのを、私が再読するために引っ張り出してきた。所々に沁みができ日焼けして可哀相な姿だが、そこには遠藤周作が30歳の ままで生きていたのだ。

若い文章がとても新鮮味を出しているし、まだ、あの頃は「原民喜」や「椎名麟三」を熱く論じていた遠藤さんだっただろうからこそ、こんな作品が書け た。

読み始めると、戦前の外套のようなコートにくるまれた遠藤周作が、文学の語っているような筆致で物語が進む。

戦争が終わって10年も経たない世界の(日本の)姿など知らない人が読むのだけれど、遠藤さんの頭のなかには、戦争がもたらした深い傷と、切り口が 見えないような自分の心のなかにある傷を、どうやって文学作品として読者に投げかけるか、という大きな命題がある。それは、苦悩であり、着々と遠藤の文学 が出来上がってゆく喜びでもあっただろう。

そんなことを思いながら一文一文を追いかけてゆくと、晩年には見られないほどの素晴らしい美的な文章が埋もれていることに気付く。

宝石のような作品だ、と思う。

| 2008-03-07 17:40 | 読書系セレクション |

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昨日、「白い人・黄色い人」を走り書きしてアップしたあとに自室の書棚で遠藤さんの本と私は向き合った。

白い人の文庫を取り出してみると、それはページの周辺が無残にも茶色く変色していた。裏表紙に「50」と鉛筆書きがしてある。まぎれもなく古本屋で 買った証拠だった。おそらく買った当初は変色しておらず、私の本棚で色があせてしまったのだろう。

ホームセンターで売っているスチールの5段済みの棚に、奥行き方向に3列、上に2段重ねにしている本棚。それを部屋の中に櫛型(図書館のように人の 隙間を開けて並べている様子を想像してください)に並べているので、奥の方なら日焼けしないはずなんだけどな。

予定外に、「青い小さな葡萄」が目に付いたので手に取ってみた。

作家は作品を重ねて大物になってゆくのは事実だ。司馬さんだって宮本輝さんだってそうだ。そう!村上龍もそうでね。

遠藤周作を知るためには、深い河ではなく、この時代を読まねばならない。そう確信しますね、この作品で。(はっきり言って、そんなに面白くないっ す)
| 2005-05-25 22:26 | 読書系セレクション |