中村弦さんは、ファンタジーノベル大賞をもらった作家さんです。読み始めてから知りました。

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文学という言葉からは日本の近代文学やさらにその勢いを受け継いだ戦中・戦後文学などを連想するのだが、平成の時代から二十一世紀へと移るにつれて爆発的に多様化してきた読者の嗜好によりぼやけている。だから、自分の本当に求めるものを見定めることができずに、限りなく拡散するのをおろおろと見ているだけの読者も多いのではないか。

ファンタージーやミステリーとは、従来からあった空想物語や推理小説とはひと味もふた味も違った色合いを出してきている。

映像芸術やアニメ映画などの影響、多くの社会現象がドラマ化された出来事のようになってきたこともあって、本屋で棚積みされている今の文学・小説は、年配の活字読者層には評判がよくないのではないだろうか。

新人は次々と生まれ、新しい作風やカテゴリーの作品が溢れてくる。そこで、メディアの宣伝第一主義に乗って売れっ子になってくる作品をさてさてどうやって選択することにするか、を考えると「今時の小説はオモロない」となってしまいかねない(そんなことないのですけど…)。

買うのが怖くて(笑)、図書館に出かけると目移りしてしまい、さんざん長考した末に思わぬ作品に手を伸ばし、ときはナイスチョイスをよろこび、またあるときは失望することもある。

さて。

(荻原浩が海の見える理髪店が貸し出し中だったので)中村弦という人の「ロスト・トレイン」を読むことにした。書物情報を共有する本好きな人の日記を読んでメモを残していたが引き金になった。

このあとも連続してこの人の作品を読まないだろうと思いながら読み進みながらも、この作品は期待以上のものでした。

わかりやすくスッキリとした表現であることは、このファンタジーな作品に上手い具合にマッチするし、構成の展開にも段差無く引き込んでいってくれる。…と書きながら「ファンタジー」というものが余りわかっていないので、読みながらイメージ化するのに相当苦心しているところもあるのだ。

アニメ映画などの影響もあるのだろう。作者が空想空間を現実風味に提供してくるわけであり、せいぜい宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」などの作品に必死になって付いていくのが精一杯だったんだから、谷崎潤一郎や内田百閒を読んだ後で切り替えるには、ちょっとしたコツが必要かもしれない。

主題やモチーフはストレートで奇麗(美的)である。技の効いた小説なんてのは一生に一回自伝を書いて達成すると考えれば、この人のこの物語は独創力を発揮した素晴らしい作品で、こんな風なちょっとしたロマンは作風の持ち味ともいえるのではないでしょうか。

あっさりと書き終わっているし、人物をこってりと丁寧に浮き上がらせず済ませて、サラリと物語を流してますし、心理もどろっとさせたりアツクさせたり、ぴりっとさせたりしてないです。

確かに、美人をこの上なく美人に書いて、その小説の中でうっとりと惚れ込ませてしまうほどにまで魅力的に仕上げてしまう作家さんや、物語を痺れるように展開させて読者を魅了してしまう作家さんもいます。でもそれも才能だから真似できないし、この小説に求められているものでもない。

そういう意味で、ファンタジー青春ドラマなんてかんじなら、どんな年齢層でも気持ちよく、読後感も爽やかになれそうです。

ピックアップしておくかなーというのは

<人の一生というのは鉄道に乗るのと似ています。どこへでも自由に行けるかのように見えて、じつはそれほど自由があるわけではない。すすむべき線路は一本ではないけれど、あらかじめ親や学校や社会によって幾通りかのレールが敷かれていて、ほとんどの場合その決められたなかから選ぶしかない。ところどころに乗り換え駅があるけれども、よくよく注意しないと番線や列車をまちがえて、目指しているのとは全くちがう場所へ連れていかれてしまう。>(単行本28ページ)

という言葉が登場して

<べつの世界へ行くのは、いろいろ試してからでも遅くない。ぼくと試して。それで駄目だったら、またここへきて廃線跡をたどり直せばいいんだ>

と菜月さんに言っている。

<ぼくは今回の乗り換え駅で、もとの場所へ引きかえす列車を選んだ。おまけに、ぼくとは反対方向へ行くつもりだった人を説得し、自分とおなじ列車に乗せることまでやった。はたしてその選択はほんとうに正しかったのだろうか?>

とも考える。

問題提起はシリアスなんですけど、重くない。さらりとしたドラマのようで。

そこが物足りない人もあるかもしれませんけど。