5月4日
映画みてきました。
**
**
伊勢新富座のホームページに「2012年4月」というタイトルで水野さん(新富座代表)が以下のように書いている。

-- 
5,6月は思いもかけず良い作品が並びました。
自信のラインナップで集客できるというのが興行の理想ですが、なかなかそうもいきません。
今、デジタル化が問題なのではなく、「映画人口の減少」が最も危惧される課題なのです。
このサイトについて マスコミもようやく映画の危機に気づき始めたようで、当館への取材も増えました。
いろいろありそうですが、もう少し粘ってみますか、不得手な梅雨時ではありますが・・・
--

昔、1975年ころのこと(高1か高2だった)、砂の器という映画があって、それに伊勢市の新道が映っているという話で、映画のことなど全然わからない高校生だった僕は、倉田山から宇治山駅という通学路しか知らなかったけど、ふーんといってそんな世間の話を聞いて、銀座新道にある大きな映画の看板を近鉄電車の中から眺めていただけだった。それから2,3年後に東京で映画を見る機会があって、砂の器をみた。どこかの映画館で、席を立たずに2,3回連続してみた。そんな記憶がある。

あのころは、そう、僕の学生時代は、朝9時にひらく池袋文芸座(300円)でその日1日だけ上映という監督シリーズなどの企画上映に朝の6時ころから並んで日が暮れるまで5回ほどみたことも多かった。

みんな僕と同じ奴ばっかしで、幕がひらくと大きく拍手をし、そして幕が閉まるたびに手がちぎれるほど拍手をして、いつまでも席を立とうとしない奴らばっかしで、映画館もそんなことは承知で入り口に溢れる人が絶えなくとも僕たちを追い出すこともなかった。

ほんとうに人口は減ったのかな、とも思います。あのころだって多くはなかった。都会のあのちっぽけな映画館に確かに人は溢れたけれど、ほんとうにあの映画をみたい人やあの映画のよさがわかる人や、映画というものを銀幕の向こうの別世界と肌で感じ理屈もなく自分を注ぎ込めた人は、少なかったかもしれない。減っていったように見えるのは、ニセモノの映画ファンであり、見かけもホンモノも区別できないししようともしない人たちであったような気もする。

社会は変化して「経済的」という概念がもてはやされて、山の中の数軒の集落に住む人たちの医療や福祉や、果ては郵便なども、どうぞ都市部に移り住んで快適に暮らしてくださいといわんばかりに、切り捨てられてゆく。

映画もテレビもニュースも報道企画も、月並みな言葉を使えば金儲けができなければ成り立たなくなっている。ヨーロッパの片隅で、中東のどっかで日本人が1人事故やテロで倒れてもニュースにするのに、山奥の静かな1軒家へ一番近い医者が閉院して車で4時間も掛かるところが最寄になるという事態が起こってもニュースにはならない。

映画人口は減っても、みる人の質や心に変化がないのならそれでいいように思う。欲しがっている人に届けられないのは悲しいとかいう問題でなく、悔しいという気持ちではなかろうか。

では何故えに人口が減ったなどと思うのだろうか。確かに映画のソフトもハードも作風もポリシーも時代に応じて変化してきていることは認めつつも、映画人の意地のようなものは相変わらず変わっていない。いいえ、変わっていないのではなく、変化してゆく速さや道のりが違うといったほうがよさそうだ。

どんどん増える車、あっという間に夢を現実に変えてゆくテクノロジー、進化をやめることのない概念が生み出す世界と、ヒトの心が超ノロノロペースで変わってゆこうとすることの間に生じる軋轢のようなものが、ちかごろ見直されつつあるけれど、でもほんとうのことはわかっていないと思う。精神科の学者さんたちも確かに進化したけど、今の社会を捻じ曲げて腐らせている本質を見つめようとしないで、治療というお役を演じているだけだ。そんな社会に取り残されてこれからも映画というものが昔ながらの姿を守りながら残ってゆくことは、双方にとっても辛いことなのだろうも思う。

中身のまったくないストーリー性だけを売り物にして、味わいや余韻や厚みや深みも存在しない小説がバカみたいに売れて、それが高く評価されて、メディアは取り上げて騒ぎたて、人々は喜んで愉しんでいる。社会がどんどん変わるのについて行かなかったのが頑固で阿保だったのかどうかはなんともいえないけど、普遍的な芸術というものにもたらされるある種の宿命的なシャワーなのかもしれない。