斎藤孝に踏み込むときに、まず最初に何を読むかでこの人の印象が変わる。

いまや芸能人教授になってしまったのであるが、それはある一部の人から見ると薄っぺらで浮き足立ったタレントのようなイメージにも捉えられがちになり、先生も大きく損をすることになる。

しかし、芸能人教授やタレント教授の中にも、きちんと教授稼業をやり遂げ、素晴らしい研究をなさっている先生もある。教育や啓発も仕事の一環だとまで言えば芸能活動も紙一重になってくる。

そもそも、コメントというものに力を備えさせる必要があるのか。そういう大きな疑問が私にはあるのだ。しかし先生は、これからはコメント力というひとつの系統立った体系で教養として身に着けてゆくことが大切だとお考えです。

英語を話す力、荒野を駆け抜ける力、人間を罵倒する力、必要以上に自分を美しく見せる力、学問を探求する力。さまざまな力が折り重なってそれは大気中の酸素のように当たり前のものとして扱われるように、そして要求さっれるようになって来た上で、さて人間にはどういった力が必要なのだろう。

真面目さであるとか、誠実さであるとか、冷静さであるとか。教育や学びの場で論理的に身につくものではないものが大きく欠如しているのではないかと思うこのごろの社会の中で、コメント力という本が少し波を立ててくれた。

そうそう明治大学の新校舎の前を昨年の秋に通った。昔の面影はなく、私の知っている三十年前の明治の面影はない。それなりに選りすぐられた学生たちが集い、このような学問を若いうちからしているのだなと思うと、遅れを感じる一方、こういうことは自分で開拓することではなかったのかとも思う。

至れり尽くせりでコメント力を身に纏った人々が社会を変えていくことのほうが私には恐怖だ。