空中庭園 この本は、青山七恵さんの「ひとり日和」と並行に読み始めた。女流の作家さんという点が共通するほかにどんなことがあるのか、興味深く読み始めたわけだが、少し早めに空中庭園から読み始めて、角田さんらしい小説を味わいながらも、「ひとり日和」というタイトルと表紙に惹かれて待ちきれなくなって青山さんの作品に手を着けてしまう。

そんな風にして読み続けた空中庭園であったが、青山作品のほうが面白いとか優れているということはまったく無く、むしろ同時に読むことで、読むほどに角田さんの作品の緻密さや構想力や、さりげなく各所で現われてはすっと消えてゆく文学性や彼女独特の表現が、生き生きと働きかけてくる。

少し大人の誰にも話さないエッセイのような物語が「空中庭園」の厚みではないだろうか。そういうわけで、急いで読まずにゆっくりじっくりと落ち着いて読める時間を見つけては手に取るようにした。

いつものように、無理やり作者のイメージを消し取ることはせず、この人(作者)を主人公たちと重ね合わせてみる、年齢的なものや人生を想像してみる、私の頭の中に自分なりの「空中庭園」を思い浮かべるなど、普通の感覚で読んでゆく。

するとこれは文学作品でありながら、日常のスナップ写真であり、しかし、三流のトレンディドラマとは一線を画している質の高い自省的なエッセイのようにも思えて来る。

もしも親しい友だちに尋ねれば、10人に数名はどこかしらに自分に当てはまるようなエピソードを見つけるかも知れない。どこか思い当たる節に擽られながら、我が家を振り返ってゆけた人も居るかもしれない。

家族とはどういうものなのか。その中で自分とは何なのか。

社会の中で普通に胸を張りまた後ろ髪を引かれるようなことをやりながら知らぬ振りして戻ってこれるところ、それはあたかも誰にも束縛されないながらも、自省という束縛のもとに遥かな人生という、命を乗せた波の上を、心地よく彷徨っている私の物語でもあったのかも知れない。