フォトギャラリー(令和2)

  • 「ピリ辛ねぎラーメン」スガキヤ(牛焼肉丼とサラダをセット)
    - Walk Don't Run - 夕焼けの向こうまで─枯葉の舞う道をあなたと二人で/銀マド【自画像篇】

フォトギャラリー(令和1)

オートバイとともに(BIKEs)

  • かつて
    バイク・ツーリスト
    だったころ

Walk Don't Run

ノート

写真日記(平成28年版)

  • 越乃寒梅
    平成28年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

京都日記(平成27年7月篇)

  • 鱧のお弁当
    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
    京都日記
    平成27年版の
    春の日記です

写真日記(平成27年版)

  • 伊達巻
    平成27年の
    日々の写真に
    コメントを
    綴ります

日々是好日写真記

  • ハーモニカ
    860枚 平成18年から平成26年まで(写真日記)
無料ブログはココログ

バイクと旅と昔話

2020年8月14日 (金曜日)

少しひとり旅のツーリングの話をしよう

昔のことを思い出している

コロナ災禍で今年の夏は外出もままならない

ひとり旅を楽しみにしているバイクツーリストたちは、この時期にどこでどんな旅をしているのだろうか

 

旅から足を洗ってしまい、仕事からも足を洗ってしまった今、かつて、国内を無我夢中で走り回った過去を思い出す

紛れもなく懐かしい思い出である

 

感慨を呼び戻そうとすればするほど、あの時の激しかった感動を再現するのは至難だと気づく

二度と同じ感動をこの手に戻すことができないのは悲しいことだ

だが、あの時に一瞬に燃え上がった衝撃的な旅の激情は、やはり思うようには甦らなくて仕方があるまい

 

もしも、写真が残っていても、日記が克明に記録してあったとしても、あの時はありのままでは戻らない

あの時にわたしの身体に湧き上がった痺れるような衝撃的な感動は、あの時だけのものだったのだ

 

冷静に回想すればそれは当然だ

もう二度と甦らなくとも、あの時の感動は自分の心の何処かにしっかりとした思い出として残っただろう

わたしという人間を作る感じる力の一部になって蓄積されたのだと思いたい

 

 

いつも必ず、ひとり旅であった

旅先の出会う旅人や地元の人たちに声をかけられて

「ひとり旅か、いいなあ」

と話しかけられることが多かった

 

わたしのスタイルは「いつも、ひとり」だった

誰にも頼らない、頼られない
行き先も自分で決める
夜の過ごし方も自分で判断する

 

食べる、買う、歩く、寝る、も自分ひとりで決めて
雨に遭っても、道に迷っても、寂しくなっても、ひとりで考える

 

そんな旅を長く続けてきた

ひとりが当たり前で、とことんわがままになってみることで自分の足りなさや愚かさや失敗を振り返ってきた

それと同時に、自分の生き方も切り開いてきたつもりだ

 

 

「どうしてひとり旅に出るのでしょうねえ」

出会う旅人たちにさりげなく尋ねてみる

「現実逃避でしょ」

と、あっけなく答えてケラケラ笑っている人、涙ぐんで静かになる人、乾杯を誘う人、出会いを喜び合おうとする人、様々だった

 

焚き火を見つめながら缶ビールを片手にポツリポツリと話をする

そこで語られた物語や恋や失恋や怒りや歓びは、途轍もなく貴重だった

みんな、言葉の裏には深い深い理由を抱きかかえて旅に出てきていることを知るのだった

言葉で生き方を考え人生を悩み、明日からの元気を胸にひとり旅を終えて元のところに戻ってゆく

逃げてきたままは出来損ないだ

元気になって戻るのだった

 

 

旅人のスタイルは大きく変化した

ネット社会がもたらしたものやモノの進化による便利が溢れている

旅に苦労がなくなった(工夫もしなくなった)

高速道路も充実したし、バイクも高性能で多様化してきている

天気の予測に悩んだり、道路情報、宿泊情報で苦心をすることはなくなった

昔のような不便な旅をする人は、今はどこにもいないだろう

 

 

もう、わたしは旅人に戻ることはできない

戻る場所(旅のスタイル)がないのだから、懐かしむだけである

 

新しい時代の旅人は、新しい旅のスタイルを築いていく

それでいいじゃないか、と言いながらも「寂しいねえ」と言ってくれる人もいる

そんな仲間たちもやがて順番に消えてゆくのだと思うと、生きてきた感動を可能な限り何かの形にして伝えて、受け継いでもらえる方法をしばしば考えたことがあった

しかしながら、このごろは、それさえもお節介なのかもしれないとも感じる日々が多い

 

わたしの旅の軌跡はある種「歴史的足跡」である

坂本龍馬が新婚旅行で残した数々の記録が、一つの歴史的出来事であるように、わたしの旅も出来事だった

 

どこまで残せるのだろうか、残す必要があるのだろうか

残すことを求められているのだろうか、紛失して惜しまれるものなのだろうか

 

仕事を退いて考えていることはそんなことばかりです

--

 

 

🔗

 

▶️ 少しひとり旅のツーリングの話をしよう

(書き足しがあるかも)


Kamegamori

Yuda1996729

Oosawaonsen

Photo_20200814062501

2016年2月29日 (月曜日)

四年前の閏の日

(四年前の日記)

 

松名瀬海岸にて
松名瀬海岸にて


懐かしいね
あとで感想をかこう

2014年8月 9日 (土曜日)

1989年夏新大阪駅のホームにて

1989年夏新大阪駅のホームにて

 

こんな列車に乗ることになったのは、あの年も台風がちょうどいまごろにきていて、函館で野宿もせずにホテルに泊まったりしながら、時間を過ごし、そうこうしている間に急に帰りたくなってきたのだった。

 

列車に乗る日は、函館駅の近くでぶらぶらしていた。そう、あのときにTW200に乗って北海道を走り回っていたオンナの子と駅前でお茶をしたのを覚えている。可愛らしい子だったのに名前も聞かず連絡先も交換しなかった。さすがにあとで探しようがなかった。

 

 

というわけで、あのころは好き勝手してバイクで旅ばかりをしていた。それはそれで許されたことだったのだ。

 

ひとつの時代というよりも世紀出会った。

 

社会の流れは大波小波を繰り返すものだが、決して同じではなく、新しい世紀の新しい文化となって歴史を作り出してゆく。

 

 

 

 

2013年9月 4日 (水曜日)

捨てるべき思い出

昔、FBIKE で交流のあった後藤さんとツイッターで再開した。そこでバイクのコトを少し。

「自分でこぐ二輪に乗ろうと思っている」と書いたものへの返信で

@wahaku  乗らないのは明白で 捨てるべき思い出なのだが 捨てられない病い ばらすような整備をしないからクロムメッキにはサビがでてきてとりかえしのつかないことになりつつあります 自転車は 肺がダメですから下りしか乗れない 思いつきで車に積む折りたたみを買ったが アイデア倒れ

— 後藤 清 (@kiyoshi_gotoh) September 3, 2013

□■
■□

そこでわたしは

@kiyoshi_gotoh 「乗らないのは明白で 捨てるべき思い出なのだ」ときっぱり言われて、さっぱりします。乗りたくなったら乗ればいいし、残りの人生で新しい遊びも見つけねばならない。何よりも健康を増進する遊びでなければならないと日々考えています

— わはくま (@wahaku) September 3, 2013

と書いた。

2012年10月 3日 (水曜日)

草津-白根

1983729

1983年7月29日
草津-白根 有料道路

懐かしい写真が出てきたので、ここに入れておくことにした。

2012年6月 8日 (金曜日)

懐かしの飛騨路で別れを果たす ─ 花も嵐もⅡ その12

5月27日日曜日。

この日に、いよいよKLE とお別れをする日となりました。
もう20年以上のバイク友になる恵那のVちゃんが私のバイクをレストアしながら受け継いでくれるというので里子になります。

私はもはや、ツーリングをする気迫を失いかけていましたので、冬の間もバイクを放置していましたが、バイクだけでなくウエアも地図も小道具もほったらかしにしてしまっていました。

本格的な旅など、いったいいつから行かなかったのか忘れるほどで、遠乗りをするときに道路状況を予測する勘さえもすっかり衰えていました。

インターネットで情報が飛び交い、ツーリングマップルに情報が満載され、天気予報がリアルタイムで更新され、高速道路で目的地へ瞬時に行ける時代に、私はすっかり乗り遅れているわけです。

でも、再びそういう波に乗ろうとは考えていません。私なりの新しい愉しみ方で復活するころを夢見ています。

お別れを記念して走りに行きながら、最後に恵那へと到着するようにしたいと考えましたので、信州方面か、美濃とか飛騨を候補にあげていました。 ちょうどそこに、「郡上八幡はりはり焼きそば」という怪しげな名物B級グルメの情報が舞い込み、何の迷いもなくコレを食べてから恵那に行くのだと私は決心 をしたのでした。

この日の朝、家を出たのは8時前だったと思います。もう昔のように夜明け前に国道をぶっ飛ばして行こうなどという気は湧いてきません。日曜日の午前中は車も少ないから、まあのんびりと行こうじゃないかと考えています。

ルートは昔からのいつものルート。国道を北上して、長島温泉への交差点を逆に曲がって、木曽川沿い、長良川沿いを走って、岐阜羽島から再び木曽川沿いに。あとは、国道156号線をだらだらと郡上八幡まで走ってゆきました。

11時前にVちゃんとばったり巡り会えました。何の申し合わせもないのに、同じ場所にやってきて、道端に止めてあるバイクを見つけてしまう。予想 もしていなかったので、めちゃめちゃ驚くところなんでしょうが、何か筋書きのように再会できてしまいました。バイクを置いて街の中を散策します。

そうだ、Vちゃんは岐阜県民なんです。よく知っているはずだ。ひとりじゃできないような観光をして、その間に焼きそばも食べて、木陰で涼んで一息ついたら恵那に出発となります。

恵那までは、最高ののんびりツーリングルートでした。飛騨川沿いを走って、白川町というところを走り抜けます。タイヤも満遍なく使ってやって、KLEにとって、ほんと、素晴らしいお別れツーリングとなりました。

恵那のV邸で少し休ませてもらって、中央本線の快速で帰ってきました。

KLEは、その日のうちにV邸のガレージで身包み剥がされてしまったようですが、さぞやすっきりしたことでしょう。しばらくは、V邸から、レストア日記が公表されるのではないかと思っています。

元気に蘇って欲しいと切実に願っています。

2012年3月14日 (水曜日)

温かくて晴れる日を待っています

松名瀬海岸にて 松名瀬海岸にて

2012年2月29日(水)の日記にも書いたけど、今年最初にエンジンをかけて、岐阜にお嫁に出すときは自分で乗っていこうと決めたのだが、なかなか、三月になって暖かい日がやってこない。

14年も付き合ってきたのだから最後はしっかりと乗ってやりたいと思っている。

そのあと、4月から?

しばらくは、オートバイから離れてみるかなと思っています。
18歳から14歳までの間にも、まったく乗らずにいた期間があったのです。
この間に免許もなくなってしまったので、私のバイクの免許は24歳のときに取得したことになっています。

また戻ってこることができると思っています。体力と好奇心を元通りに元気にさせてから戻ります。

ひとつのけじめとして、このブログに書いている「花も嵐も」の続編を、少しでも書けたらいいなあ、とか考えたりしてます。

2012年2月29日 (水曜日)

KLE、いよいよサヨナラ間近です

KLEで散歩に行ってきました。

お正月ころから置いたままだったので、エンジンがかかるかどうかが心配だったのですが、まったく、問題なし。 バッテリーのへたりもない。

エンジンがかかれば確認は終了だったのですが、せっかくなので10分ほどで行ける近くの海まで走りました。

3月には岐阜県に行ってしまうのですが、走り始めるとこみ上げるものがあります。

やっぱし、家に永久に飾っておくというのもあったのか。
もう少しがんばってお金を工面して乗ってやるとかいうことはできなかったのか。
大事な娘や息子を手放すような気持ちってこんなもんだろうかと思いながら走ってきました。

でも、私じゃ手に負えなくなったのだからしかたがない。

下取りを宣伝している会社に渡してしまってはあまりにもかわいそうだから、修理をする力のある人に買い 取ってもらって・・・・と考えていたら、
(少し期待も信じて掛けていたのだが)
岐阜県のしんちゃんが乗ってくれるというので、即日お嫁入りが決定しました。

松名瀬海岸にて
松名瀬海岸にて

実は、乗ってみて、思ったこと。

もう、バイクを降りようと思っていたので、引取りに来てもらって渡そうかと思っていましたが、走り始めてみると元気なころのKLEとなんら変わっていないので、私が乗っていこうかな、最後のお別れは乗っていくことで完了なのかも、と思い始めたわけです。

まだまだ寒いけど、
(休みに晴れればそれがいいのですが)

晴れた日に休暇とって、行ってこようかな。
そんなことを考えております。

やっぱし、レストアして乗って欲しいと判断したのは間違ってなかったのだと思いつつ。
寂しいですね。

松名瀬海岸 松名瀬海岸

ちょうど引き潮でした。
引き潮の海は大好きです。
もう少し引くともっと大きな干潟が見えます。

2012年1月18日 (水曜日)

KLEもあと2ヶ月あまりとなりました その2

KLEもあと2ヶ月あまりとなりました その1 にコメントをいただきましたのでお返事を。


ほんとうは、バイクに乗っていたいけど、結構金食い虫だし、行きたいところはだいたい走ったので、別の形で再訪したいと思います。夫婦でのんびりとか、そういう年齢かな。

大事なバイクだから、乗り手があれば幾らでもあげるけど、価値の思いが伝わらないと粗末になると思うの。だから、言ってみれば一万円な訳で、金が欲しい訳ではなく、気持ちをわかって欲しいのです。

私が乗れない分、走って欲しいその約束のような物です。

バイクは、その気になればいつでも復活できますから、次のステップは新手で行きたいです。


再び走れるようになることを祈っている僕としては、整備をできてそれなりに修理に投資をできる人に渡したいと思っていました。 こちらからお願いにあがるのもあつかましいし、考えておりました。

車検はユーザーで通ると思います。ヘッドライトの光量が自然に弱ってくる時期なのでやや心配ですが。 ひととおり分解できる人であれば大丈夫です。そうでなければ、このまま廃車にしてしまうのでアカンと思っていました。

熱くなるとへたる症状以外は、快調です。プラグも新しいし、タイヤもほとんど新品です。調子が悪くなってツーリングを中断する心配を私はまったく持っていませんので、まだまだ走ります。ですから、綺麗にバラして、掃除をしてやってくだされ。

前回のバッテリーは9年ほど持ってくれました。私はバッテリーの痛まない乗り方ができるらしいです。新しくして4年目くらいです。そんな感じで、秋には元気にかかっていた。12月から乗ってないので、もしかしたら車のバッテリーを借りなあかんかも、と思って掛けると、毎回、かかるんです。

2012年1月15日 (日曜日)

KLEもあと2ヶ月あまりとなりました その1

バイクは、バイク王などを当たれば1万円で買ってくれるという宣伝をしてると教えてくれる人がいるけれども。

前に、知り合いにあげて、そのあとどうなったのか分からないままだったので、今回はどうなるか分からない知り合いには渡さない。

大事に保管してくれるか、
もう一度動くようにレストアして乗ってくれる人に
差し上げたいと思っている。

そんな人が出ないのなら、家に置いて眺めて懐かしむことにするつもりだ。

14年間連れ添ってきたバイクだから、無一文にして価値を棄ててしまうのもバイクに申し訳ないし、私にとっては大いに価値がある。だから、他人には無価値でも1万円くらいと思っている。
いわば、そのあとに乗ってくれるという保証金のようなものと考えている。

走るものとしてだけ見れば、中古車として売り出せば最低10万以上はするだろう。
修理をするのに数万円を掛ければ一通りの中古車レベルに戻ると私は見積もっている。
そして修理をするような工作が好きであれば、これほどいいものは無いと思う。
そんなバイク好きもいまどきいないなあ。

あと2ヶ月あまりで保険が切れて、公道が走れなくなります。
それまでに1万円程度でいいから貰い手があればいいのだが、無ければ3月末に家のガレージに移動して、10年でも20年でも掛けて分解して、思い出の部品だけを残して徐々に棄てていこうと思う。

より以前の記事一覧

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト