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純粋社会批判

2020年1月17日 (金曜日)

続・思い起こすとあれは法律に抵触するパワハラだった

昨今「パワハラ」という言葉が表に出てくることは多い。そんな中でハラスメントを「される側」ばかりが取りざたされていく

 

パワハラだけではなく体罰、暴力、いじめなどの報道においても真髄をしっかりと捉えずに、用語の暴走で社会が影響を受けていては、多くの疑問も節々に残るし、煮え切らない点も出てきているのを感じる

 

体罰やらパワハラを認めよう(正当化する)というのでは断じてない。だが、ひとまとめにしてパワハラ・体罰を悪者側にするのではなく、似たものも「一纏め」「一絡げ」ではなく、きちんと丁寧に悪者をはっきりさせて、次へと進むことが大事だと思う

 

私がこの記事の前の「言葉篇」で書いた内容は、言葉として発せられているために「やんわり」とか「ニュアンス」とかいう言葉でごまかしてやって修正も効くのであるが、もう一回しっかりと噛み砕いて読んでみると、ヤクザの脅迫と変わりないほどの言葉で、片手に出刃包丁をチラつかせて話したら殺人未遂にでもなるような勢いの言葉である

 

この言葉が、日常に密室で、毎日、次から次へと(人員整理のための面接の)部屋に呼び出される人に、時には静かに、時には荒げて、話されたことを思うと、こう言う事実があったことを世の中の一人でも多くの人に伝え、次の世代の人にも歴史として遺すことが大事だと考える

 

もう一度、前節の「言葉篇」をお読みいただきたい

 

 

 

 

2020年1月16日 (木曜日)

思い起こせばあれは法律に抵触するパワハラだった(時代考察)

就職して(社会人になって)会社人間として働き出した頃がどんな時代であったのかを考えてみる

 

最初の約十年は、京都のオ社の研究所にいました

この会社はいい会社でしたので本テーマに関して特記することは何もない

 

そのあとの十年余りがとても悪い会社でした
大阪にある「パー」な会社と呼んでいます
家電会社としてみなさんは知っていると思います
そこで設計技術者として十年ほどを過ごします
立派な会社として誰もが理解しているのですが、どこにも書かれない側面がある会社でした
世の中にはこんな会社が他にもたくさんあるに違いないとう確信も持てるようになりました

 

今の時代は「人権」とか「個性」「多様性」という言葉が表すように「人」を大切にし尊重して成り立つ社会になりつつあります

 

表面に綺麗事を並べて会社カラーを上質に保ち高人気を誇っていましたが、逆の面も多く持っている会社でした
(強くて勇敢な軍隊の裏面にある悪質な組織をあらわす物語小説のようでもあります)

 

--- ▪️

 

私は三十歳を過ぎた頃から髭を生やしているのですが、「パー」な会社の人たちにはこれがとても気に入らなかったようで口癖のように「髭を剃ってこい」と言う上司が何人もありました

 

会社の中には軍隊のように昔からの階級制度が残っていた

 

このような点は、松下幸之助が偉大で立派な人であった為に、マイナス面が表出しなかったわけです

 

実際には幸之助さんは立派であっても会社の体質は立派ではなかったのでした

 

こんな話はどんな組織にもある話でしょう
どこにでもあった話でしたが、質が想像以上に悪かったし、腹黒いところがありました

 

--- ▪️

 

ヒゲの話以外にもいくつもあります

 

子供が病気になって看病をしたいので休みたいと言っても意地悪をするように扱われたりしました

 

仕事が進まないと将来の出世にも大きな影響をあたえるというような意味合いのことをネチネチと言います

 

いじめドラマそのもののように陰口が広まったり事実にない噂が故意に拡散されたりもします

 

夏休み前後や飛び石連休には休暇を付加して取って連休を有効に使おうというような計画を口にするといじめや意地悪が始まりました

 

休暇の当日に仕事が回って来るようにしたり休めない会議を入れたりする人が常識的に多かったのです

 

職制上で上の立場にある人間は威張り散らしてました、仕事が遅くなると家に私用電話で連絡を入れるくせに、部下が真似をすると真っ赤になって叱ったのを見たときには呆れてモノが言えなかった

 

日常から締め付けられれているので出張に行ってタクシーに乗ると白紙の領収書を要求する人が多かった、人間が廃れれいました

 

弱いものには強く当たり、金のある部署や職にはタカリます、顔色を見て貪るのです

 

そういう風土なんだということに気がついたのはその会社を離れてからのことです

 

生え抜きの人が多いので私のように途中から舞い込む人には村八分意識が分厚く伸し掛かってきます

 

社会的に立派な会社ですから資質のある人が高卒採用者などにも多く、努力して出世をしたり重責なポストを掴んだりしていますが、人間味に卑しさが溢れていて品位に欠ける人が多かった

 

賢い人たちの集まりですから高貴なそぶりを装うのは非常に完璧です

 

しかし、しばらく一緒にいると何かに嫌気がさして来るんです

 

それが腹黒さのような卑しさでした

 

人が悪いのではなく、風土が悪いと感じました

 

そのような組織は順調に業績を上げているときは何にも気にかかることはありません

 

しかし、10万人の社員から4万人近くの人々を整理する業務をするとなると、組織のカラーが出ましたね

 

 

2020年1月14日 (火曜日)

思い起こすとあれは法律に抵触するパワハラだった(言葉篇)

私はその言葉を正確に
次の世代に伝えねばならないと
強く思ったのだったが
実現はできなかった

 

 

そのことがいちばんの後悔だ

 

まず、大雑把にではあるが言葉を書き留めておこう
考察はそのあとにする

 

------*

 

明日になって太平洋の海岸に一家が浮かんだとしても会社は関係ないと言って知らん顔するだけよ

 

一年に八百万円を払うんやから考えてみぃ二百万円の女の子が四人雇えるんや

 

例えば北海道の名もない工場で埃まみれになったり汚い空気吸うて働くようにしても労組は何も言えんやろそれでもこの会社に残る自信あるか

 

法務部門はアホやないからな

 

うちの会社もアホとは違うしそういうために法律の専門家も配置しているから一社員が頑張って立ち向かっても勝てるわけがないし訴訟になっても力が違うやろ、資金的に無理やな

 

五倍の退職金を出してくれるけどそんなの出すのは惜しいくらいや、出してやると言うてるんやから迷惑で邪魔な奴は新しいところへ行けばええ

 

今のうちなら新しいところはそれなりに面倒見てくれ、会社の体裁があるからな、それが今のところ一番得やろ、無理に反抗して(やめても)敵になって嫌われるだけや、それこそ一家心中やな

 

早う辞めさせるにはな、仕事をやらんことや、一日机に座って線を引いてもらったりするのや、グランドの草引きなんたやらせたらあかんで、辞めへんがな、辞めてもらわなあかんのや、死んでもええから、会社はそう思っておるのよ、無理しても勝てへん

 

病気にならんように上手にやっていくことが大事なんや、あんたも病気になったらあかん、金もろて辞めなはれ

 

------*

 

勤続二十年ほどやったおばさんは本来なら800万円ほどの退職金で首を切られるのだが4000万円ほどお金をもらったという話が飛び交う、これはまんざら嘘でもないであろう

 

二千人ほどの事業場から五百人ほどの退職希望者を絞り出すためにはこれだけの金を払っても惜しくはなかった(いや惜しかったのだが)それだけやめて欲しかったのだろう

2016年10月24日 (月曜日)

呆れてしまってモノが言えない話

「第二の人生の歩き方」というタイトル・テーマで脚本家の内館牧子さんが朝日に「思い出と戦わず、次に進め」というオピニオンを書いている

(※ 最下段に原文を引用)

 

スペード「あんなに秀才だった男の子も、あれだけきれいだった女の子も、横一列。60歳を超えると、みんな終わるし、これから先も見えてくる。着地点は一緒」

 

であるという点に異論はない

 

スペード「そこに至るまでのプロセスは異なりますよ。いい大学を出てエリートだった人の方が、いい風景を眺めてきたと思います。でもそういう人ほど、着地が下手。ソフトランディングできないから、辞めるとガツーンと衝撃が来ます。元々それほどでもない人の方が、自然に仕事以外での楽しみ方を見つけているから、うまく着地できる。世の中、うまくできているなぁと思」

 

うというのは、残念な記述であった

 

ドラマを書く人の架空の視線でいかにも論理的なものを書いてはならないと思う

これは作者が想像したドラマのような1シーンに過ぎない

 

つまり、文人がこんないい加減なことを書いてはいけないのです

 

クローバー

 

上でのべていいる「それほどでもない人」の方がいい人生を得ているように書いているが、それは、ドラマのような話だ。

実は、上手く着地してない人がたくさんいることを見逃してはならない

 

内館さんは架空の事も書くことがある作家だから、ドラマふうに書くなら綺麗な話を書きたくなることでしょう

しかしルポルタージュとして書くなら「上手く着地していない人」たちが、いったいどんな人なのかをしっかり見なくてはならない

 

クローバー

 

強者として生きてきた人が上手く着地をできずに苦しんでいるのを激励する文章であるならば、内舘さんのオピニオンは大いに役立つだろう

 

しかし弱者として生きてきた貧困の人たち、格差の最下段の人たちの中には、一度も這い上がることなどないまま60歳を迎えた人は沢山いる

 

その人たちはこれを読んでも納得できないどころか、腹が立つだけで、何を夢物語のようなべんちゃらを書いているのだと思うだろう

 

ある総理大臣がカップラーメンの価格をトンチンカンに答えた笑い話くらいに段差を感じたのではなかろうか

 

弱者として生きてきた人たちは、そう簡単にはサクセスストーリーなど巡ってこない

悪循環の連続の人生なのだ

 

クローバー

 

一生懸命に誠実に努力をしている人もその中にはたくさんいる

真面目とか誠実だけで成功したり金持ちになれるなら、世の中にはもっと金持ちが大勢いただろう

 

弱者を襲うのは貧しさだけではない

家族の発病や、なかには介護が必要になるような辛いものもある

 

資金不足による勉学の挫折や就学の中途放棄

就職先がブラックである不運、挙げ句の果てには倒産、その後も重労働で体調不良

 

他にも育児に様々な苦難が伴って、不運というしかない子育てを経験し

とことん真面目に生きてきているのに子どもは思い通りにならず挫折の連続

こういうのを泥沼というのだろう

そういう人が身の回りにたくさんいる

 

クローバー

 

どうしてこのようなオピニオンが書けるのか

認識不足なのかまたは幸せボケなのか

自分とは違う世界には無関心だというのか

冒頭に書き出している自分作品をPRしたかっただけなのか

 

嘆かわしいのと

レベルの低さに

呆れてモノが言えないとはこんな状態だ


―――――――――――――――――――

【以下 

 

2016年10月18日朝日新聞記事】


■思い出と戦わず、次に進め 内館牧子さん(脚本家)

 定年って生前葬だな。こんな書き出しで始まる小説「終わった人」を昨年、出版しました。主人公は、大手銀行の出世コースから外れ、転籍先の子会社で定年を迎えた63歳の男性。この前、高校の同窓会に行ったら、みんなが「俺がモデルだろう」と言うの。読者からのはがきにも、みなそう書いてあります。

 数年前から急に、同窓会に行く機会が増えて気づきました。あんなに秀才だった男の子も、あれだけきれいだった女の子も、横一列。60歳を超えると、みんな終わるし、これから先も見えてくる。着地点は一緒なんです。

 もちろん、そこに至るまでのプロセスは異なりますよ。いい大学を出てエリートだった人の方が、いい風景を眺めてきたと思います。でもそういう人ほど、着地が下手。ソフトランディングできないから、辞めるとガツーンと衝撃が来ます。元々それほどでもない人の方が、自然に仕事以外での楽しみ方を見つけているから、うまく着地できる。世の中、うまくできているなぁと思います。

 現役中から、そば打ちを始めろということではないんです。「もっと仕事で上を目指したい」という人は、仕事第一にした方がいい。無理に趣味をやると、サラリーマンとして成仏できないと思う。プロになるわけじゃないんだから、定年後で十分です。

 よく定年のことを「卒業」というけど、潔くない言葉よね。とかく第二の人生は素晴らしいと言われるけど、そう言わないと気力が出ないですものね。会社的には、はっきり終わったのよ。そういう自分を明確に認識した上で、これからどうしたいかを考える。そこで「やっぱり仕事をしたい」となれば、ハローワークに行けばいい。

 その仕事の多くは、自分のキャリアや技術をいかすものではないと思う。だけど、自分は一度終わっているんですよ。プロレスラーの武藤敬司さんが「思い出と戦っても勝てねンだよ」と言っているけど、みな、自分の絶頂期と比べるでしょ。でも、いまの世の中は、自分の次の世代が動かしているんです。

 脚本家やフリーの人も容赦なく終わります。サラリーマンの定年より早いかもしれません。私は60歳のとき、生死の境をさまよう大病をしました。そのとき思ったんです。40代、50代を仕事第一にしておいてよかったって。あれも書いたし、これもやったし、「まっ、いいか」と思えました。脚本家として、成仏できた気になったんでしょう。

 「終わった」と認め、思い出とも戦わないと決めることが、すべてのスタートだと思います。まだ終わっていない若い人たちも、しょせん、残る桜も散る桜ですよ。そう思うと、腹も据わりますよね。

 (聞き手・岡崎明子)

2013年5月10日 (金曜日)

5千人

シャープの人員削減5千人の記事が目に飛び込んだ。

 経営再建中のシャープが希望退職の募集と給与、賞与の削減を組合側と合意したと発表し5千人の削減策を実施する見込みらしい。給与は、一般社員でカット幅を7%にし賞与も半減させる。

 私がかつていた「パー」な会社のことが新年の記事に登場し「追い出し部屋」という言葉がちょっと話題を呼んだが、連載記事の流れは、所詮、マスコミも経済活動をする1つの企業であり、まあ読まれてなんぼの記事であっただけで、私にすれば面白くはなかった。

 このような記事は、時間経過とともに価値も落ち、さらに面白みもなくなる。きょうだから「5千人削減」が面白いだけだ。確かに7%を簡単に現実に当てはめて、半減する額も割り出せば相当深刻なのだが、オバカな会社にいつまでも付き合っているのも愚かだから、さぞや判断を悩まれることだろう。その実態も知ってみたいが、まあ、想像のとおりだろうけど。

 私がパーな会社を辞めたときは10万人社員のうち2万人とも3万人とも言われた。20年以上工場のパートで働き続けたオバちゃんたち。「ムスメは短大を卒業して花嫁修行中なんよ、え?退職金?3千数百万ほどやで」と他愛ない会話をして私と一緒に会社を辞めた。2,3ヶ月後に街のショッピングセンターであったら海外旅行もたくさん行って楽しい毎日だと話してくれた。

 5倍の退職金を一律の退職者に出したのだろう。私にもくれたのだから、みんなも貰ったに違いない。多くの人が3千万、4千万またはそれ以上(多分上限なし)という退職金を熱い恩義(?)のある会社から戴き「ハイ・さいなら」をしたのでした。

 今で言う「ブラック企業」で日常の社員の扱いもひどかったし、精神教育にも法律ぎりぎりの線のようなものがあった。無論、自主退職をさせるための手法にも言葉で言えないほどの人権を躙るような行いや言葉があったわけで、まあひどい会社だったなあと今更ながら回想するのですが、あの時に、ゆっくりじっくり考えるたびに思うことがあれこれとあった。(そういうものが、ふつふつと、今朝の記事を読むと蘇ってくるのでした)

 本当はもっと辞めてほしいのだろう。5万人ほどは辞めさせたい。しかし、自主退職を5倍の退職金で釣りながら自主退職を募れば、一方で辞めてほしくない人が20%から30%は混じったと推測できることから、そんなに無茶も出来なかったのだろう。何よりも社会や世間の眼が気になる会社だったし。

 私にしたら「ざまあみやがれ」だったが、大企業揺るがずのその後の姿に幾らかの悔しさも感じた。まあでも、今となったら縁を切ってよかったし、その後の哀れな姿も少し拝見できた。何よりも私がひと回りもふた回りも大きな視点でものを見ることができるようになったのでもう昔のことは考えないことにした。

 ものさしとか手順を、既成のモノから変えなければ、このような企業に未来はない。賢くて立派な人がたくさんいただけに、とても残念だ。

 どんな点が「パー」だったのか、というか、誰も書かない「パー」な会社の実態はまたの機会にしましょう。(みんなあんまし興味ないだろうけど、酒を飲んで馬鹿にするときはそれなりに楽しい)

 

 

2012年2月 4日 (土曜日)

詰まらなくしているもの

(さとこさんの日記へのコメント)

 

私は永年、パーな会社の技術者をしていましたが、
こういった会社が詰まらなくなっているのは、内外の多くの人が感じているとおりです。

 

そのことを、あれこれ言うつもりはないですが、面白くないですね、社会が。

 

高額で美味しいものであっても、好きでなければ食べないような性格ですから
いい商品を出しても、それがつまらないものだと魅力はないです。

 

いまの世の中はすべてが正反対で
高額で美味しいものには、味も分からないし見抜く力もないのに飛びつく奴らがわんさかいる社会でしょ。
しかもタダたっだりしたら、人気沸騰で。
さらに、持っていないとのけ者みたいで。

 

そういう社会は嫌なので
田舎に引き篭もっていますけど、
さぞかし、都会は住みにくいのではないでしょうかね。

 

脱線した。

 

ソニーも、そういう社会で企業を存続させなければならない使命が、企業経営としてあるのも事実。
まあ、だから嫌気が差して辞めたんですけどね。

 

あきらめるか
意地を通すか。
そんな気がします。
荒っぽい言い方ですけど。

2009年3月11日 (水曜日)

クビになった人 〔2002年10月中旬号〕

クビになった人 〔2002年10月中旬号〕

 

▼先日、中日新聞の勧誘員の人が家に来た。私は35年以上朝日新聞を購読しているので、他紙を購読するつもりはまったくなく、勧誘者にもそのことが知れ渡っているはずである。言ってみれば私の家に勧誘に来た人は、そういうことを知らない素人の勧誘員だった。その男性と一点だけ話が合った。▼彼も少し前に仕事をクビになって先日までは失業者で、新しい仕事も選り好めるほどなく、今の仕事をしているのだと言う。「職安のカウンター越しに仕事を斡旋する役所の人は、失業者の気持ちなどを、スズメの涙ほども(理解したり)感じていないでしょうね。そこが腹の立つところですよ。」と言いながら同情を求める。なるほどなー、と思い、我が家としても彼に本音を語れる唯一のところだったが、そのことを言葉に出すと流されそうなので、心で感じながら、申し訳ないが断った。ただ、彼の仕事ぶりや話しぶりを見て、身につまされるものがあった。おそらくこれまでも辛い仕事をしているのだろう。我が家に来たくらいだから(勧誘などの経験も無く)本当に(失業者あがりの)素人なんだろう。▼「私も3月末で松下電器産業(株)をクビになりました。ひどい会社でした。世間には温情の厚い、クビと言う言葉など会社の辞書には無いような人に優しい会社と思われていますが、実際は人間を道具としか思わない、腐った泥のような部分があって、自由競争に勝つためには人を踏み潰してでも経営を重視するような会社です。松下幸之助の綺麗で美しいところを上手に悪用して、幸之助の悪いところばかりをいつまでも引きずっている旧体制の会社だったです。私はクビになる前に会社の中の泥をどっさりと浴びされ、怒りを通り越して、諦めの気持ちで辞めたんですよ・・・」とは、打ち明けなかった。▼今、新聞などの失業者や雇用、不況をテーマにした記事を見ても、失業者本人の声が聞こえてこない。経営状況の厳しい会社社長の叫びや大企業の経営陣の経済政策批判は騒がしく耳に届く。しかし、もっと底辺で本当に苦しんでいる人の声は、ほとんど届かない。職安(ハローワーク)で実際にささやかれている声は、どこに消えているのだろうか。▼しかし、考えようによっては、ハローワークで百人に聞き込みをしたルポや実際に失業した人のルポを掲載しても、面白くもないし、記事に活気が出るわけでもない。失業者が読みお互いを哀れむだけであろう。不況対策にしてもその政策にしても、失業する可能性が絶対にない人が失業者救済のための策を考えているのだから、ある意味では笑い話のようだ。こういうようにぼやいたり嘆いたりすれば、相乗的に失業者のひがみとして広がるばかりだ。▼私の場合、4月から9月まで失業給付をもらうための手続きや仕事を探すための検索システムのために職安に足を運んだ。そこで、職の無い人々が真っ先に交わす挨拶は何か。それは、「失業者は国民の代表の犠牲者なのである」と思っているかのように振舞うカウンター越しの役所の人々の対応や態度、そぶり、暇さ加減などへの批判である。さらに政策の無策を諦める声。▼「(カウンターの)向こうで働く人は失業など、どこ吹く風や」「ええなあ、座ってて給料がもらえるのか」と言う声には、「妬み」のようなものは少しもない。(当然のことだが)失業者に何の人格的な欠陥があるわけではないのだし、能力が欠けているわけでもない。どこで何が間違って、階層を隔てたような扱いを受けながら仕事を探さねばならないのか、と何割かは感じている。社会の失業者、つまり仕事を突然に失った人、または失わざるを得なかった人の本心は、何であろうか。前兆もなく論理もなくスピンアウトさせられた人の本心は様々で、毎日雑談をしていても掴めない。掴めるほど誰の意見も安定していない。こういう揺れた気持ちを新聞や雑誌は記事にしない。どうしてだろうか。▼だったら私が試しに、職安で顔を突き合わせて世間話をしている内容を、インタビュー記事にしてHPに載せてみようか・・・と思った。しかし、それは良く考えると無駄なことである。職を失った人の声など、誰も聞きたいと期待していない。失業者は代表的犠牲者であると考えられているから、そんな人の声など市民はまったく聞きたくないのだ、ということが冷静に考えればわかってくる。▼貴重な体験ができた。失業者という滅多に経験のできない体験だ。不況がいつまでたっても回復しないのは、「私が味わったような失業体験を机上でしか理解していない人が多いからである」と明確に感じている。国会解散や内閣総辞職などという建て前のアクションは不要だ。すべての国民を一斉にクビにして、一から出直せば必ず景気は回復する。そう私は思う。

2007年3月10日 (土曜日)

ふと、懐かしい

今朝の新聞(朝日)を開くと、私が以前居た会社が5000人のリストラ…などと書いている。今はもはや人員整理とか早期退職者とかいう表現をとらずに、あからさまに「リストラ」と書いても、世が受け入れる時代になったのかもしれない。

 

私が辞めたときは公表で約1万5千人だったが、噂では2万人という声もチラホラだった。そのチラホラの背景には、人材は「人財」だ、と神様のように言い奉り上げ、社員の頑張りを煽りあげようとする社風の裏腹に、社員など財(マネー)の種でしかなく金を生み出す道具だとしか思っていないという実態がある。そのことを、暗に社員は気づいているからこそ、噂も生まれてくる。

 

もとは創業者の偉大なおかげで社会的なステータスも高まっていたのであるが、この思想のころから所詮使い捨て文化の理念が底流にあったと、今になって振り返ることも出来よう。まあ、多くのことを学ばせてくれた感謝すべき会社だが、もはや私には関係ない会社だから、あまりのことは言えないのだが。

 

今お付き合いをしていただいてるいくつかの会社の方々にこの会社の話をして、「会社はこうでなければ上昇して増殖することは出来ないし、優秀な商品は出来ません」ということがある。

 

しかし、「人の心は枯れ果て、人間性や創造性を失い、管理されることに長けた面白くない人間が増えてしまう恐れもあります。その危険性を数字でデジタル処理して分類処理し画一的な判断を加えた結果が、現代社会の最も醜いモノを作り上げてきたのだということを、多くの国民も気づいていながら、寄らば大樹の陰であり我先勝手の論理で乗り切ろうと」している。

 

5000という数字そのものは私には関係ない話でが、この数字が何を物語るのかは無関係の人々でも考えねばならないのではないかと思う。

 

さらに、「人間を枯れさせてはいけません、枯れた人間が考えたものは、いずれ枯れてしまうかもしれません、多くの点を真似しても構いません(真似すべきことも多いです)が、良い点を数ポイントに絞って残りをばっさり切り捨てなければいけない」と、あくまでも雑談レベルですけど、話します。

 

「痛みを伴う・・・」という表現があるが、矛先を誤った茶番劇に使われてはまったくこの言葉が気の毒です。

2004年5月 5日 (水曜日)

ひとつの道

2001年11月6日の朝日新聞朝刊(名古屋本社)の2面に「従業員は家族。首は切れん」という松下幸之助の語録を引用して、松下電器グループが人員を整理しているという記事を載せている。

10年前に京都市にあるオ社研究所からM社に私は転職をした。入社と同時に生まれ故郷のある部品事業部門へと転勤となり、ここで電源ユニットを設計する部門に配属される。

M社では「人材」は「人財」と書くのだと、かつて上司から私は聞かされた。人を活かし個性を伸ばして事業を発展させ社会に貢献するのだ。そう教えられた。

 

M社のその事業部門は、トランス事業や変成器事業も同じ事業体が行っていた。決して一流のものではないが三流でもなかった。

 

ここではチーム制と呼ばれるユニットがあった。そのユニットは、設計部門から製造部門まで一連をひとつのチームと捉えて考える、M社の独自のやり方だとそのときの私の上司は説明した。これが私の住む田舎に集結していた。ゲーム機器、携帯電話機、エアコン、ファックスなどの電源の生産を担い、その生産台数も多かった。大量生産が出来る能力のある製造業が力を誇示し、数百億の事業体だった。

1台あたり2千円で出荷する電源でも月産5万台を生産したら1億円になる。利益率を2割しか確保できなくても2千万円の利益になる。このような電源ユニットを20種類設計して生産に持ち込めば月に20億円、年間で240億円になる。数百人から千数百人ほど人を雇用できる生産高である。

 

そこのチームに設計者が約200人程度いる。実際に電源設計携わるのは1人1~3テーマで数ヶ月あるから、200人もの設計者がいたら、計算上では240億円の何倍かの売上も期待できることになる。その余裕分であろうか、世間に不況の風が吹き出したころも、海外生産でローコストの商品が国内の生産工場を脅かし始めても、製造力や設計対応力を駆使して売上高を確保し、電源業界のシェアも確保してきた。

 

しかし…売上高が240億円から100億円まで、1年2年という間に一気に落ち込んだ。コストが10分の1以下で生産できる中国での製造体制に対して、国内工場は早々に縮小を決めた。

 

会社は、「事業改革、業務改善、自己改革…をして」と社員を叱咤するが、風通しが悪く融通の利かない体制には焼け石に水である。いったん自分の身を切ってから建て直さねば方法が無い状況である。

 

 

2002年11月21日 (木曜日)

首輪のついた犬たち・その3

《首輪のついた犬たち・その3》

【アルバイト】     【規則】     【お茶くみ】     【静か】     【ぐれる】     【信頼する】     【懲らしめる】     【自由】     【やはり】     【スピンアウト】


    久々にペンを取ります。忘れないうちにできるだけ書き留めておこう。

 

【アルバイト】    

10月からアルバイトを始めました。

 

【規則】    

 制服も無い。名札も無い。禁煙規則も、掃除当番も無い。ラジオ体操も無い。デスクでコーヒーを飲んでもいい。お昼もデスクで取る。髪は茶色でもいい。髭も生やしていても構わない。ゴミ当番も無い。机の上が整理整頓できていなくても叱らない。朝礼も昼会も月例もない。課長の前でうなだれている人の姿も無い。電話でがなりたてる人の声も聞こえて来ない。

 

【お茶くみ】    

でも、驚いたことがひとつありました。おもしろくて笑ってしまいますが、女性がお茶くみをするんです。社員の人のデスクに1日に何回かお茶を配るんです。人権問題や女性問題という観点からはよろしくない話でしょうが、女性の方はいかがに思っているのでしょうかね。

 

【静か】    

 前の会社と大きく違っているのは、静かなことです。人が人を叱っていたり、怒鳴り散らしている人が全くいないということです。聞こえてくるのは、パーテション越しにひそひそ話をする人の声だけが届いてきます。しかしそれを誰も咎めようとしない。

 

【ぐれる】    

 誰でも一度は道を外れそうに、または外れてみたい気持ちになったりすることがあると思います。逃げ出したくなるのです。親と対立して社会的にも償わねば成らない人も出るかもしれません。それは悲しい話ですが、多くの人は必ず正しい道に、まっとうな道に復帰します。

 

【信頼する】     規則も無く拘束も無い職場の人が、なぜこれほどごく普通に仕事をこなし、持ち味を生かしているのか。答えは簡単です。人が人を信頼しているからだと思います。道から外れた人も、必ず正しい道に戻ってこれるのは、戻ってこれるところを用意してやることと、そこでその人を信頼してやることです。

 

【懲らしめる】     首輪の着いた犬たちの序章部分で触れていますが、数限りない規則は、人を信頼していない証拠なのです。放っておくと悪いことをするに違いない。悪いことをしたら断じて許さず、罰をもって懲らしめる…という発想。ますます犬の調教の姿に近づきます。

 

【自由】     自由に仕事をさせれば、甘えも出ます。怠ける人も出ます。しかし、その率は厳しくしても同じかもしれません。まじめにコツコツと仕事をする人は必ず居ます。自由に振舞い、萎縮しないで発想することが大事なんです。そのことは20年も前から思いつづけていることですが、前に10年居た会社ですっかり忘れてしまっていました。貴重な哲学を思い出させてもらいました。

 

【やはり】    

やはり、あの会社の人には首輪が着いている。その首輪を外したら、自由を得て野山を駆け回る犬のようになって、仕事などいいかげんになってしまうだろう。戻って来ないかもしれない。そんな犬が野生に開放されて、自然と闘って生きてゆけるのだろうか。

 

【スピンアウト】    

私はそんな犬にはなりたくないし、そんな犬でないのだから、首輪の無い世界に飛び出した。会社の人から見たら「負け犬」だろう。しかし、私には自由なフィールドがあるのだ。彼らには想像することも理解をすることもできないフィールドです。

 

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