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【随想帖 想】

2016年5月 9日 (月曜日)

母の日に考える

母が亡くなって1ヶ月。

 

まだふわふわとしていて、受け入れられない自分がいる
すい臓がんだった
10時間に及ぶ手術も経て3年という歳月。
死ぬ間際まで痛がっていたのが心残りだ
3人兄弟で自分だけが年の離れた末っ子で母とはウマが合わない気がしていた
母は上の二人が好きなのではないかと今でも思う
きちんと悲しめないのが哀しい

 

♠♠♠♠

 

短くまとめましたがそんな内容の日記でした。

 

 

母の日のころにこの日記を私は読みました。
そのあと、いろいろと思うことを書きとめていたのですが
なかなかまとまらない。
私の心も揺れるからまとまらないのだろう。

 

 

 

 

母の日とは、母に向けて感謝を表し何かを伝える日なのだが…
しかし、周りを見渡せばそれだけではない日を迎えた人も多いかもしれません。
この日記のようにちょうど1ヶ月前に母を亡くした人がある。
読めばあれこれと考えます。

 

 

1ヶ月間、心を痛めたことでしょう。
すい臓がんと診断を受け3年の余命宣告の予告の通りに亡くなっていった人でした。
最後まで痛みが消えず苦しいのは、後に残る人には分かち合ってあげられない。
年が離れた一番下の妹の自分だけが母とはウマが合わなかったように思い続けている。

 

 

子を思う母が年の離れた3人目の子が上の兄弟よりも好きになれないというような感情が存在するのだろうか、私には言及できません。
家庭の事情や生い立ちや血族の歴史なども絡み合うのかも知れませんし。
でも、意識をして好きになれないことができるかというと、そんなことはないと思います。

 

 

それぞれの事情やそれらを取り巻く感情の起伏や程度までに及んで私が感じたことまでお話しすることはできません。
でも、考えざるをえないこともあります。

 

ヒトはいつか必ず死んでしまいます。だから死んでしまうのを拒否してしまっては辛いのです。
受け入れるのは辛いのですが、死んでしまっても、気持ちを整理して、振り返ってやることが一番の弔いになると私は思っています。
亡くなって月日が過ぎてから、その人が生きていた頃のことを、生き残った立場から振り返ることが大事だと思います。

 

死んでプツンと切り捨てることができるのは、全くの他人か知らない人か無関心な人かくらいのものです。

 

だから、亡くなったあとにも何度も何度も思い出して偲びながら、既に居なくなってしまったその人ともう一度対話をするような気持ちが必要だと感じています。

 

逝ってしまった人のなかには、はさぞや悔しい思いを残していった人もあるでしょう。
いいえ、満足でしたという人もある。

 

突然で何も考える暇がなかった人もあれば、死ぬことと向き合い想像を絶するほどのことを考え続けていた人もあると思います。
形にならない思いを日夜胸に蘇らせて、その心の奥にあるものを誰かに伝えたかった人もあるだろう。

 

もしも私が、数年後に死ぬ宣告を受けたなら、既に言い残すことはおよそ整理をつけてきたはずですが、日々脈々とその思いが湧き上がると思います。

 

しかし、言葉にはできないし、諦めも伴うでしょう。
無力感が襲うかも知れない。
言いたいことの1%も形にできないまま死んでいくのだろうと思います。

 

 

生きていたときのことを振り返り、話した言葉のひとつひとつや何かをしたあのときの動作、顔色、喜び方、哀しみ方に始まり、口癖、仕草、好き嫌い、など、あらゆるものを手がかりとしてその人を蘇らせようとするのです。

 

でも、死んで、その人は居ないのです。

 

完璧に知っていたつもりの人であっても、あれこれと考えるうちに、あるいは誰や彼やが偲んで語るのを聞くうちに、死んだあの人のことなどそれほど知らなかったのかもしれないという錯覚さえ浮かんできます。

 

でも、私が一番よく知っていたはずだという確信。

 

その確信を不安定ながらも大事にして、日々生きていたころのその人を考え続ける。答えなどは出ないし、真相も知ることができないまま、弔う日々が続くのです。

 

人の心の熱さにはそれぞれありますから、過激にも熱くなることなく
(でもたぶん忘れることはないと思いますが)
緩やかに自分の人生の中に融け入れさせてしまう人もありましょう。
それはそれでまったく悪いことではないと思います。

 

自分が死んでしまうときまでずっとその人との対話が誰も知らない形であれ続くのだろうと思います。

 

私の場合、20年近く前になくした父ですが、年々、哀しくなってきますね。
あの人に迫り近づいてきた証だと喜んでいます。
もうすぐ同じ年になります。

2005年10月29日 (土曜日)

真如堂のこと

結婚をする前の話でございます。休日になると市内散策に出掛けるのが私は好きでした。バイクのこともありますが、多くはバスに乗って行きました。カメラを持って歩き回る格好でした。

 

マンションの上と下の間柄だったので、いつも私を追うようにうちのんがついて来ました。私は冷たいヤツでしたから、「興味があるなら付いて来てもいいよ」というような誘い方をしたんだろうな。ほんとうは一緒に行きたいくせに。

 

ちっとも優しくないので、お茶の一杯もご馳走したりしませんでした。バス代も割り勘だっただろうかね。うちのんに聞いてみないとわからない。

 

秋もすっかり深まったある日。その日は真如堂に行きました。といっても、真如堂というところを知っていたわけではなく、偶然にそこに行ってしまったというのが正しい。

 

京都大学の前に百万遍というところがあり、そこでバスを降りて最初は古本屋を探していたのです。でも、ちょっと入っていきたくなるようなところを見つけたんです。それが吉田神社でして、その中を通り抜けると、さらにどこかへと続く道があるのを発見してしまいます。

 

京都の路地は狭くて、家並みに風情があります。ちょっとしたものに生活の一面を垣間見ることができるので、すぐに寄り道をして、追いかけているとどこかに迷い込んでしまいます。簡単な市内地図を持っていますので照らし合わせながら、緩やかな坂道を登って行きました。

 

真如堂はひっそりと佇んでいました。もみじが綺麗だと、近頃のパンフには書かれていますが、私が見た風景は銀杏の落葉が石畳に敷き詰められた参道でした。

 

うちのんの写真を何枚か撮り同じアングルで私の写真も撮ってもらいました。あとでわかったのですが、うちのんはそのときの1枚を自分のお見合いの写真に使いながら、大きく引き伸ばした私の1枚も大事に持ってくれていました。それを結婚する頃に宝物のように見せてくれました。
本当はお見合いなどしたくなかったのでしょうか。それとも、いい人がいたら行っちゃおうかな、と思っていたのでしょうか。いずれにしても、二人が一緒に1枚に収まっている写真ではなく、別々に同じ庭を背景に写っています。

 

今年、娘の受験があって京都に行くことになりました。だったらみんなで出かけようか、ということになりかけています。

 

それでふと、夫婦で顔を見合わせて思いついたのが真如堂の再訪です。本当は誰にも教えたくない素敵なスポットなんですが、なかなか感動的な紅葉です。二十数年も前の景色しか記憶にないけど、今でも昔のように静かだろうか。

2005年10月 9日 (日曜日)

コーヒーをホットにかえる寒露かな

前略。
朝夕も時折りひんやりとする日があり、秋がやってくることを子供のように喜んでおります。
高三の娘がまだ赤ん坊のころ、休日になるとその子をおぶって人影疎らな嵐山渡月橋のたもとへとしばしば散歩に出ました。憩いのひとときでした。
静かに秋を待ち続ける小倉山の峰に、霧のかかった朝もあったのが懐かしい。やがて一面をもみじに覆われる山々は、ひっそりとしていました。
きょうからモーニングコーヒー。ホットにかえました。

 

━・・━━・・━━・・━

 

そんな書きかけの手紙を置いて、しばし考えにはまりゆく。

 

きょうは寒露。

 

昔を振り返って、あのころはよかった・・・と誰もが一度は口にしたことがあろうかと思う。果たしてほんとうに昔は良かったのだろうか。
なかなか筋書き通りに行かない仕事。苛立ちを募らせながら、大いに愚痴を言い、投げやりにもなったこともあった。そんな日々がどうして今頃になって美化されてくるのだろうか。

 

端的に言えば、対岸まで急流を漕ぎ渡ったのは、あれは過去のことになったからだ。過去になったらもう二度と戻らない。急流に漕ぎ出すことはない。いや、今そんな勇気はないというのが正しい。
一生懸命漕ぐ私のボートに、強くて重い抵抗成分となって襲い掛かる急流。私はこれに逆らい、激しく波しぶきを上げて自分に降りかかる些かの脅えも感じず必死だった。

 

理屈を書くのはよそうじゃないか。必死になることが少なくなったね、程度にしておこう。

 

━・・━━・・━━・・━

 

それはそうと、旅の話はどうなったんだい。
ええ?
二週間延期だって。
ほんとに。

 

だって、二三日前から再読し始めた「道頓堀川」(宮本輝著)にどっぷりなんだ。
ひとりにしてくれ、読み終わるまでは。
______________
【銀のマドラー・塵埃秘帖・寒露篇】

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