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【雷山無言 自】

2006年5月20日 (土曜日)

ブックバンド

懐かしい響きだ。そうお思いのかたも少なからずおられましょう。私のよめはんも女子大時代にはときどき使ったという。
想像してみるだけでその当時の電車の中の学生の様子が甦ってきます。今ではちょっと珍しい光景だ。

 

娘のPCをセッティングするために京都に滞在して、私たちが学生だったころの話に花が咲いた。
・ GWが過ぎたら出席する学生数が激減すること
・梅雨に入るとさらに減ること。
・ 私なんぞはその減った方の側で、久しぶりに大学に顔を出すと
「よぉー久しぶり!試験のできはどうだった?」
と学友から声を掛けられ、
「試験があったんか…」
と肩を落としたことが数え切れぬほどあった話。

 

そのころ、講義のテキストを男子学生は、Madison Square Garden のスポーツバックに入れて持ち歩くか、または、ブックバンドで十文字に縛って持ちあるいていた。解析学概論、電磁気学演習、なんていう本を見えるように持ちあるくのは、ブランドかぶれの今の若者よりも颯爽感が高かったともいえるかもしれない。

 

しかしながら、私自身は時代の流行りには無頓着な奴で、一年中同じ服を着て二枚羽の下駄を履いて街へ出たような奴だったので、ちっとも格好良かったわけではなかったのです、決して颯爽とはしてなかった。汚い髪を肩まで伸ばし、1年ほどたつと手におえなくなるので自分で散髪をする(友人に頼むこともあった)ビンボーな学生でした。

 

 

PCをセッティングしながら机上に置いてあった本 ─ それは図書館で借りてきた「潮騒」(三島由紀夫)だったのだ ─ をちょっと拝借して読み始めたら止まらなくなった。面白いというか、若者の心の普遍性をうまく書いているのが小気味よい。三島のことをこんなに深みのある美しい文章を書く人なのだと、若き時代には考えたりしなかった。つまり、文学作品の品揃えのひとつとしてしか捉えず、義務のようにして読んだのだが、私が大人になったのだろう、これを味わうことができるように変化しました。

 

三島の話から映画の話へ。そして、映画の主役であった吉永小百合、山口百恵と話が移り、三浦友和の話にまで及ぶ。
(余談だが、)若きそのころ、わたしも(目の細いところが)三浦友和似ということで、実はそれほど似てないのだろうが、よめはんもその話に乗ってくれて
「お父さん、、、まあまあ似てたかな」
なんて話をあわせた。

 

 

すみません。ブックバンドの話は出てこなくて・・・・。その話が展開して、いよいよです。

 

ただただ、懐かしき学生時代。
あのころの若者は、大学生という身分にある種の特権を感じていて、しかもそれを裏切らないように生きていた。ある意味で一途だったとも言えようか。
学内にはベトナム戦争反対集会の爪痕が残り、団結などというペンキの落書きのような文字も残っていた。

 

もちろん、パソコン、ケータイはおろか、電話も無い。風呂付きの下宿に住んでいるような奴は、親の甘い汁を吸って生きている軟弱者だった。就活なんていう言葉もない。

 

(語ればキリがないので書けないけど、そんな時代背景の中で)
ブックバンドは、若さの象徴であり、子どもらしさの表現でもあった。
もしも復刻したとしても、持ち主を外からしか表せない薄っぺらなモノにしかならないだろう。
いや、「今の若者自体が薄っぺらい…」と書いたらジジイになったのだと指摘を受けることになるのだろうか。
…というわけで、「娘よ、厚みのある人間を目指しなさい」、というような話をしたかったのだが。

 

PC買ったし、娘の mixi 参入も間近かね。

 

----
3日間、京都でまったりしてました。
雨でした。

2005年2月 3日 (木曜日)

サクラサク@早稲田 〔銀マド・節分号〕

毎日新聞の「理系白書ブログ」にサクラサクという電報の話を書いていた。更にちょうど「司馬遼太郎が考えたこと」という本に興味が湧いていて、「あのころ」を私なりに思い出していた。

 

サクラサクという電報が生きていた時代、季節は立春を1ヶ月ほど過ぎた3月初旬だったと思う。記憶は曖昧でも間違いはない。何故ならその日は合格発表の日だったからです。

 

S君と私は南門から学内に入って、図書館の壁を横に見ながらどんどんと中に入っていった。大隈公の後ろを過ぎてしばらく歩いた所でS君が、

 

「よかったね、やっと念願がかなっておめでとう。お祝いに車買ってもらうんだって?」

 

と大声で私に叫んだ。前から歩いてくる他の学生に聞こえるように言い、しきりに肩を叩いてくれた。

 

「ありがとう、ありがとう」

 

と私はただただうなづいて並んで歩いて、西門を出たあたりでふたりは噴き出すように笑った。

 

楽しかったなあ、あのころ。

 

S君の芝居はナカナカのもので、4年も浪人したのに彼は文学部に7年ほど在学して演劇をやり通した。私のほうは、本命・第1希望の理工学部応用物理学科に見事に落ちて、後に、よその大学の電気通信工学科に進んだ。

 

もしも教育学部地学科に行ってたら、今頃、何してただろうか・・・。あのころ私は何を考えていたのだろう・・・と、司馬遼太郎さんの本を手にしながら考える。

 

きっと、打算的だったんだなー。

 

「これからは工学の時代なんだ、訳のワカラナイ理学系の学部なんてクソ食らえよ。電気通信の時代よ。エンジニアになるのよ。」

 

そう言っていたかもしれないあのころの日記は残っていないが、きっとそう豪語して歩いていたに違いない。「工学の時代は終わったのよ、理学とか哲学がもっと頑張らねばならないのよ」とこのごろ口癖にしている私としては、歯がゆい思い出です。

 

あの時、理系なんかやめちまって、S君のあとを追って文学部に進んでいれば…。
まあ、所詮、二十歳前の小僧の考えていた夢だったのですわ

2004年12月 8日 (水曜日)

初冬の風

<福田みどりさんの産経新聞連載中(2004.11.28)の記事 風の記憶 「司馬さんは夢の中」(24) の書き出しから>

 

私は、子供の頃から初冬の風が好きだった。空気が凍ったように張り詰めていて、そうね、指で弾くと、びん、びん、鋭い音が響いてくるように思えるの。日々、時々、さまざまに変わってゆく空の雰囲気も複雑でやがて暮れようとしているその年への感慨をこもごも語りかけているようで眺めていると、胸がふるえてくる。

 

この記事のこの部分を読んでからわたしは初恋の人を思うあまり沈み込んでしまっているかのような眼差しになっているに違いない。かといって暗くなっているのではない。

 

しみじみと司馬さんを思い出し、わたしの中にある司馬さんの作品の記憶とみどりさんのこの文章がひとつになって、ああなんと素晴らしいご夫婦なんだろうと思うのです。この綴りを読むだけでみどりさんがそこはかとなく司馬さんの影響を受けておられると感じます。

 

「初冬の風」…か。
憎んでみたくなることもあれば、かばってみたくなることもある。

 

忘年会に出かけた昨晩、年に一度しか袖を通さなくなったコートを羽織って出かけた。
もう二十年年以上も着続けていることになる。

 

許してやってもいいこともあれば、許せないこともあったなぁ。
----
<銀のマドラー・塵埃秘帖>

 

2004年11月26日 (金曜日)

侘助

この「詫助」という言葉の余韻がとてつもなく気に入ってしまって
もうひとりの自分を作り出すなら「詫助」という名前にしようか、などと考えている。

 

世の中、自分の考えているように
筋書きが出来ているわけでもない。

 

でも、なんだか、
この人の繊細さと、思い切りの良さが
わたしを惹きつけてね。

 

これでも、
鈍感なりに
田舎のセンスのない落ちぶれなりに
刺激を受けているから
ちゃんちゃらオカシイ。

 

 

そうそう
僕が居間で本を読んでいるのを無視して
母と娘は
「お父さん、田舎もののくせに、都会に行ったんや、あんたも行くか
あの人は、全然垢抜けしなかったけどな・・・」

 

わたしは読書に夢中になったふりをしながら
「僕の時代、高田馬場で、下駄を履いて、肩までの長髪で
ぶらぶらしてることが垢抜けの象徴や!」
と叫んでいる。心の中で。

2004年11月11日 (木曜日)

銀マド>立冬の過ぎて木枯らし待つばかり 【立冬篇】

霜降を最後に「監視室の裏窓」を書くのをやめたら、からだの中の骨が一本なくなったような錯覚に陥るほど自分がだらしなくなっている。

 

決まった日に決まっただけのノルマを自分で定めてこなしてゆくということは、どれほど大変であるかを知らされた反面、質の如何に関わらず、自分で決めて書き続けたということは価値ある側面でもあったといえる。

 

24節季ごとに自分を見つめてみる。何もネタがなければ考える。考えること自体に発見があったろうし、考えても何も出なければ、出してやろうと時間を工夫することに意義があった。

 

問題意識もないまま波間を漂うと生きる意欲を失ってしまう。もちろん、遭難者にはそんな人は1人もいないだろうが、幸せ者にはたくさん生きる目標を失った人がいる。一度遭難者になってみればいい。

 

私は一度失業者を味わった。何度も書くけど、社会全体が一度失業者を味わえば、環境問題だって教育問題だって真剣に考えるようになること間違いなし。

 

今の世の中、「貪る」ことが抜けてるんじゃないか、というか消えてしまった。

 

貪らざるを以って宝となす 菜根譚

 

セーフモードの暮らしに入って3回目の冬を迎える。期限は短い・・・・。

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