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2019年10月13日 (日曜日)

苦しさや、悩みに押しひしがれてゐる時は、まだ生きられる力を貯へてゐたが、いまは、悩みも苦しみも、煙のやうに糸をひいて消えてしまつた。

お互ひの心の交流のなかに、少しづつ、死の意識が薄昏うすぐらい影になつて、眼底をかすめた。富岡は馬鹿々々しいと思ひながらも、また、東京へ戻つてからの現実を考へると、落莫らくばくとした感情が鼻について来る。

苦しさや、悩みに押しひしがれてゐる時は、まだ生きられる力を貯へてゐたが、いまは、悩みも苦しみも、煙のやうに糸をひいて消えてしまつた。


林芙美子 浮雲 25節終段から

この部分を手帳に書き写しながら
私は何を思っていたのだろうか
思っていたというより
考えていたのだろうか

煙のように糸をひいて消えてしまう


私には忘れてはいけない怒りや憤慨、憎悪、があったはずなのだが
それをまるで煙のように忘れてまうところがあって
それが自分に対して途轍もなく腹立たしいのだ

忘れてはいけない

そう自分に言い聞かせても
脳裏から消えていってしまうのだ

消してはいけないと思っていても
その憎しみに満ちた像が姿を消してゆく

悔しいのだが
お人好しなのだろうか
阿保んだら なのだろうか

これもひとつの
持って生まれた避けられない人間性なのだろう

一番自分の嫌いなところである一方で
憎めない一面であった

Img_0856

 

2019年10月11日 (金曜日)

落語を磨き上げるとは、話術や技巧を研ぎ澄ますことではないと考える。 「自分や人の生き方に、何をどう感じて生きていくかってことの方が大きいのではないか」 枯れるというか、変化していく 柳家小三治、傘寿を前に語る

落語を磨き上げるとは、話術や技巧を研ぎ澄ますことではないと考える。

「自分や人の生き方に、何をどう感じて生きていくかってことの方が大きいのではないか」


枯れるというか、変化していく 柳家小三治、傘寿を前に語る

10月10日夕刊から

2019年9月20日 (金曜日)

「出会った人に語られる人生が、その人のほんとうの人生かもしれませんよね」――弁解交じりの屁理屈とは思いながらも、「だって、人間って、誰かと出会うために生きてるわけじゃないですか」と言葉を重ねられると、屁理屈が二乗されて、あんがいと説得力を持つものなのだ。 「出会うために生きてるって、別れるために出会ってるのと同じなんですかねー」

(ひこばえ):460 重松清 終章 きらきら星


朝日 2019.9.19


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2019年9月16日 (月曜日)

 自分史とはなにか。最初の講座で、真知子さんは言った。「お魚が美味しい干物になる前の、元気に大海原を泳いでいた頃のお話です」 「皆さんが泳いできた海の広さや、深さ、海の色の青さや、海から見上げた空のまぶしさを、ぜひ教えてください。自分史とは長い自己紹介ではありません。自分の出会った人たちや、自分の生きてきた時間の素晴らしさの物語なんです」

 自分史とはなにか。最初の講座で、真知子さんは言った。「お魚が美味しい干物になる前の、元気に大海原を泳いでいた頃のお話です」
「皆さんが泳いできた海の広さや、深さ、海の色の青さや、海から見上げた空のまぶしさを、ぜひ教えてください。自分史とは長い自己紹介ではありません。自分の出会った人たちや、自分の生きてきた時間の素晴らしさの物語なんです」


(ひこばえ):457 重松清 終章 きらきら星  (朝日:

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2019年8月25日 (日曜日)

羅刹地獄の六道の娑婆苦も能く救うというお地蔵さまも、まことは、一仏二体がその本相であり、半面は慈悲をあらわしているが、もう半面の裏のおすがたは、忿怒勇猛な閻魔王であって、もともと一個のうちに、大魔王と大慈悲との、二つの性を象っているものですよ、と母はよく言った。

 羅刹地獄 ── 新・平家物語から


ろくどう―だう2【六道】

〘仏〙 すべての衆生(しゆじよう)が生死を繰り返す六つの世界。迷いのない浄土に対して,まだ迷いのある世界。地獄道餓鬼道畜生道修羅道人間道天道。前の三つを三悪道,あとの三つを三善道という。六趣。六界。りくどう。

 

2019年7月11日 (木曜日)

福岡伸一さん  実験科学の世界では、仮説にぴたりと合致するような結果が得られることはまずないといってよい。その際、ほとんどの研究者はこう考える。自分の仮説は間違っていない。ただ、実験の方法がよくないから、よいデータが出ないのだと。そこで条件を少しずつ変えて、繰り返し実験を行うことになる。しかし、ほとんどの場合、実験がうまくいかないのは、実は、仮説そのものが間違っているからなのだ。

(福岡伸一の動的平衡)常に自分を疑えるか(2019年7月11日 )


 だが、研究者は頑迷なので自説に固執してしまう。かくして膨大な時間と試行錯誤が浪費される。なので、科学研究にほんとうに必要な才能は、天才性やひらめきというよりは、むしろ、自己懐疑、失望に対する耐性、潔い諦め、といったものとなる。

 

 逆に、実験科学の世界では、時として、思い描いたとおりの、いや、想像以上にすばらしい、見事な実験データが得られることがある。こんな時、研究者に求められることは何か。ぬか喜びしてはならぬ、ということである。実験の方法に穴があるから、見せかけだけの結果が出ているのかもしれない。つまりここでも自己懐疑、(希望に対する)耐性、諦め、が必要となる。

 

 英語にはこんな言い方がある。too good to be true(できすぎは、真実ではない)。もう少しだけ研究者に冷静さがあればあの「発見」はなかった。そんな誤謬はいくつでもある。(生物学者)

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