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【裏窓余録・B面】

2019年5月12日 (日曜日)

100連休記念の旅を終えて 休みはまだまだ続く 立夏から母の日のころに考える 立夏・母の日篇 ─ 裏窓から

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2019年5月 5日 (日曜日)

号外 柱の傷 - 五つの日記

  1. 出来事を刻む – 裏窓から 冬至篇
    出来事を刻む柱の傷の如くそのようにゆっくり刻まれてゆく時間のうえでこつこつと生きてゆきながら
後始末をするような日記を綴るのもい...
  2. きょうからは柱の傷を乗り越える ─ 立夏篇
    る。五月晴れ母の背中の丸い影きょうからは柱の傷を乗り越える背くらべいつか抜かれたこどもの日枇杷の木がモゾモゾしとる立夏かな道草を食ってツツジの蜜を吸う初ガツ...
  3. きかせてよ柱の傷の物語 穀雨篇
    なかなか春の爽やかな風が吹かないこともあって春物のスーツと冬に履いていたズボンを混ぜこぜに着
  4. 十七音〔スピンアウト〕 平成22年前篇
    茶摘みの思い出届けたり▼粽(ちまき)食い柱の傷と語りあい黄金週間が終わってひと息ついたのだろう。柱の傷を眺めながら考える。こんな小さな背丈の子が三重県大会で...
  5. きかせてよ柱の傷の物語
    けさ、新聞を見たらきかせてよ柱の傷の物語私の川柳が載っているじゃないか。 ...

2019年4月 5日 (金曜日)

四月上旬号(清明篇)

清明

これから書くけど
用事があるので後で

     

 

2016年3月13日 (日曜日)

311 もうひとつの日記

(mixi から)

 

5年前の3月10日にわたしは次のような巻頭言の書き出しでメールマガジンを考えていた。

 

・─・─・

 

 サクラサク。春の空をこんな電文が飛び交ったのは昔のことです。

そんな時代があったことを知る人も今は少なくなりました。

 

 しかし、情報通信技術が夜明けを迎えるのは、1830年代にイギリス人のミシェ

ル・ファラデーが電磁誘導理論を考え出したころのことで、それ以前の通信はとて

も原始的でした。

飛脚が街道を駆けたり、さらには狼煙をあげて情報を伝達したりしていました。

 

 サクラサク、という言葉と、世間を騒がせたひとつのできごとの記事を見て、科

学技術の賜物である携帯電話がもしもこの世になかったならば、不正を働いた子は

サクラを咲かせようと頑張れたのかもしれません。

 

・─・─・

 

不正というのは携帯電話で入学試験中に不正を働こうとした受験生のニュースが話題になっていたからだ。

東日本を大地震が襲い、原発が惨事を起こすのはあくる日のことである。

 

科学技術の賜物という表現をしている。これは、原発事故の後であったならば、原子力エネルギーを指すように置き換えられるのだろう。

 

人類は一度手中に収めた快楽や利便を、欲望という善にでも悪にでも力を働かせることができるもののせいで、簡単には捨てたり諦めたりできない。

 

既得権という都合のいい宝物にしても、便利さ、豊かさ、満足度、更には長い歴史で積み上げてきたご褒美のような今日の暮らしスタイルにしても、一
度どこかに置いて大局的に見なおさねばならないのではないか。そうここで何度も書いてきたが、社会の大勢がそう思っていても政治はいっこうに方向を大きく
変える気配はない。

 

5年という昔を振り返りながら5年先10年先の構想を考えるとき、わたしたちは、経済社会のことだけではなく、もっと大局を見つめねばならないのは言うまでもない。

 

不安と期待が交錯する311である。

2016年2月18日 (木曜日)

焼き鳥を食べながらみんなで春を待つ

焼き鳥

 

徳和の梅

 

着々と(17日)

着々とその日を迎える準備をしている
時間がコツコツと音を立てるように過ぎてゆくように感じる

 

その日とは子どもが生まれる日で
予定では閏年の閏の日である

主治医の先生の話では
もうそろそろだということで
予想では10日ほど早いのではないかと
期待を募らせている

この子の母も
1週間ほど予定よりも早く
この子を生んだのだし
安産だった聞かされて
安心しながら
わが家でのんびりと時を過ごす

早いものだ
この子が生まれて
28年もたったのだから

2016年1月11日 (月曜日)

意地っ張り凩吹いて拗ねている1

❏ 意地っ張り凩吹いて拗ねている

 

12月4日の夜中にこんなことを書き残している。
わたしは拗ねるという言葉を使うのが好きなようで、その訳は何となく自分でもわかっている。

 

わたしはよく拗ねる子だった。母からそのことを何度も言われて決して責められている訳でもなかったのだろうが、そんなところで拗ねていてはイケナイのだと叱られたことが多かったのだろう。

 

人が(子どもが)拗ねているのを見るのは好きではない。だが、物語の成り行きで人が拗ねるようすというのは不可欠であるしドラマの場面を作りやすいのではないか。

 

人は甘えたいものだ。動物だってきっとそうだろうと思う。

 

拗ねるという行動は、甘えている行いをバッサリと切り捨てられて立ち直ることを要求されたときなどに、自分の甘えが実現できなかったことへの不満の表現形の1つだ。

 

悔しさが伴うこともあるだろう。どんな理由で意地を張らねばならなかったのかは今となっては想像の彼方だが、単純に解釈して、予想もしなかったのに凩が吹いて何か願いが叶わなかったからふくれっ面になっていただけだろう。

 

わがままとはそんなものだ。

 

うちの子は、わがままも言わなければ意地も張らないし拗ねもしない子であった…と今ふと思った。(今のところわたしには)まったく想像の付かない人と一緒になって新しい家庭を築こうとしている。

 

わたしの時代が終わったのだからと考えが行き着き、凩が吹いただけでわたしは拗ねていたのかもしれない。

 

 

小鯛のささ漬

ほんの少しのわさび醤油でいただくと格別に旨い

2015年12月 6日 (日曜日)

拗れる、拗ねる ─ 月のはじめに考える(その続き)

起きれない

 

 

 

▼ 拗れる─こじれる
風邪をひいて8日にあったミドラの練習を休んだのを始まりとして
ずーっと風邪の症状が続き、12月になってからは胸の真ん中奥深くで引っかかったような咳が出るようになっている。

 

静かに座っていると何ごともなく過ぎてゆく

 

▼ 拗ねる
「すねる」という読み方もあるのだと改めて印象を強く焼き付けている。

 

わたしはおすね(お拗ね)であるとよくいわれたので、こじれると読むこの漢字を少し特別な思いで読む。

 

拗ねる拗れるに何か共通すつ点があるのだろうか。
人間の一面をじっと見るように考え続けている

 

霜月から師走へと ─ 言葉おぼえ帖から

 

▼ ささやか
細やかと漢字が飛び出すが、あまりピンとこないのでかなで書く。

 

ささやかにボーナス明細でた夜のケーキ

 

ここでも書いたようにささやかなことは大切なことだ。

 

▼ 手遅れ
お給料をもらって暮らしているときにはそんなことには感謝もしない。
多大な人々に世話になったことに感謝をしなくてはならなかったのだと
気づいた時は手遅れである。
残念ながら手遅れにならぬようにとお節介をしたり言ったりしても
受け皿にその用意がしてなければ果ててゆく。

 

どっかに書いたが「これでいいの!」と思う。

 

禍福は糾える縄の如し
そうか おとやんは こういうことを伝えたかったのではないか

 

▼ おでんの鍋突っつきながら酒も飲まない父だった

 

▼ 年末の忘年会11月下旬から週末5連続で10万円ほど

 

    • 高雄のもみじや別館で桜鍋

 

    • 雄琴温泉で鴨鍋

 

  • 四条河原町東華菜館で豪華な中華コース

 

 

 

懐かしがるわたしにムスメは

 

バブルな時代やったんやな

 

と言っていた。
厳密にはバブルよりももう少し前やったよ。
成績ビリ(わたし)でも大手企業に好きなように就職できた時代やったのよ
(地道に大学の残った友人が大学教授・学部長の時代や)

 

揺らぐことなく真面目に生きよということや

2015年5月26日 (火曜日)

新藤涼子 「遅い」

アヤちゃんとの待ち合わせの場所へ行く前に
生島が海を見ながら思い出す詩がある。


あの帽子は
わたしがころんだすきに
波にのまれてしまったのです
ひろってください

帽子は波にのってただよっています
ほら
すぐ手のとどくところに
あなたが一生懸命
手をのばしたのはわかっています
今日は 海の水がおこっている日
あなたをさえ
波がのみこもうとしている
けど おそれずに
あの帽子をひろってください

わたしが願ったのは
帽子をとりもどすこと
ではなかったけれども


という詩で、小説では太字の部分だけを、行の中に埋め込んで引用している。
一節を検索するといくつかのHITがある。わたしと同じように車谷長吉さんの小説で新藤涼子という詩人で出会ったという人があって、ついその人の日記を読み耽って過ごした。赤目四十八瀧心中未遂の作品の所感も書いている日記(その続篇)もあり、嬉しくなっておっちょこちょいなことにコメントを書き残している。

--

車谷長吉さんが亡くなって、本棚にしまってあった「赤目四十八瀧心中未遂」を出してきて、相変わらず赤線が引けずに思案して、今の時代は付箋という便利なものがあるので貼りまくって、泣きながら読み返しています。

そこで、わたしも、むかしに読んだときには気づかなかった「新藤凉子」さんの詩に出会いました。なんやかんやで、このHPに辿り着いて、一息ついています。

わたしも自分のブログで感想を書いて、追加して、また書いて、を繰り返してきました。でも最初に読んだときの感想は未熟であっても、結構自分の本髄 に迫るもので、下手くそな感想でありながらも、車谷さんの作品はわたしを揺り起こしたのだなと、冷静に再び感慨に耽ってみたりしています。

新藤さんの作品は当県内の図書館にわずかしか在庫がなく、きのう電子操作で最寄りの図書館に取り寄せる依頼をしたところです。これからゆっくりと読めると思います。

赤目四十八瀧心中未遂の感想をあれこれと検索操作などであたってみても、どこにも作者の書いている泥臭くても純真な恋物語のことには触れておらず、 なかなか心から陶酔して読んでくれた人っていうのは少ないのかもしれない、と亡くなった作者のある種の無念さを想像したりもしています。

貴殿の赤目四十八瀧心中未遂の記事も拝読しました。とても嬉しいと思いました。

一冊の本を読んで、その中の本流とは少し違うかもしれないような書き方で文中に埋め込まれた一篇の詩に立ち止まった人がここにもあったのだということがとてつもなく嬉しいです。

このコメントは自分にも投げかけるもので、自分の日記にも書き残すことにします。
ありがとうございました。
ときどきお邪魔します。

--

というようなもので、コメントなんて知っている人にしか書かないのによほど嬉しかったのだろう。

2013年4月 5日 (金曜日)

人生は、sin、cos、tan。  清明篇

春には間違いなく桜が咲き、
そのころに嵐が吹いて花が散る。

 

別れを惜しむ人があれば、
出会いを歓ぶ人がある。

 

この時期は、羊羹を切った包丁の右と左のようなもの、
切り口のオモテとウラのようなものかもしれない。

 

sin、cos、tan。
サイン、コサイン、タンジェント。

 

人生は永遠の周期で、再帰的関数のふりをして
実は全てが新しい。

 

誰にも予測できないものであり
いとも簡単に方程式を解けるような錯覚もある。

 

薬指 薬指

 

指をスライサーで切りまして
血が止まらずに医者に行きました。

 

単に指を切っただけですが
この指の役割がよくわかった。

 

トラックパットの3本指操作に困るのはもとより、
両手を広げて、親指がお父さん指、人差し指がお母さん指……
と例えてうたを書いた人の素晴らしさにも感動する。

 

私の思いがちょっとした人にも伝わらなくて
地団駄を踏んだこともあったが
このごろは、再帰的関数の解のことを考えて
思い悩むことはやめにした。

 

▼地団駄を踏んで泣いたらひとしきり

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