増殖する(秘)伝

2018年6月21日 (木曜日)

夏至号

夏至なので
アップしておこう

写真だけです
今度の休みにかくわ

2018年6月18日 (月曜日)

父の日雑感

父の日というお祭りが終わった

ひと昔ふた昔と遡って考えれば賑やかなメディアイベントになったものだ

父が生きていた頃

今ほどにおくりものだとか記念品などのチラシやプレゼンのニュースも見かけなかった

まさに父の日というものを意識したのは死んでしまってからである

したがってこれといった贈り物をした覚えもない

電気剃刀を買って贈ったことがあったかもしれない

父の日というものは派手やかに贈り物をするイベント色の強い祭りであるよりは毎年一度父を偲び生前を振り返るような日とするのがいいのではないか

生きている間は毎週日曜日は父の日であっていいしまた母の日であればいい

今はもう会えない人にもう一度会えたらええなあ

父の日はそんなことを思う日でいい

今の自分を褒めてくれるか叱られるのか、わかりようがないが、軌道修正ができるような言葉をいささか辛辣に投げてくれる人はもうこの世にはいないのだ

父の日にケーキをこうてもろたん

写真日記から

2018年6月 9日 (土曜日)

商品はただの物じゃない、生き物だと思ってるんです

  • ジャパネットたかた社長・高田明
    ...したものがあったのでここに残しておく。-ジャパネットたかた社長・高田明 「私は、商品はただの物じゃない、生き物だと思ってるんです」と高田はいう。例えば「ビデオカメラを買ったら、...

  • 芒種がすぎてもなおじっくりと机の前に座ろうとしない
    いいえ 座っても考えをまとめようとせず
    まとめたい考えも漠然と焦点が定まらないままだ

    ジャパネットたかたの前社長の高田明さんの語録がポロリと思い出されて
    同じ偶然でちょうど高田さんがTVで語っている場面も見かけた

    お母さんお父さんと語録では書いてあるが
    おじいちゃんとかおばあちゃんと写真を撮っている様子だったと思う

    子どもは写真なんか見ないでしょ・・・とはっきりとした上で語っている

    🌱

    この言葉の意味をじっくり考えてみると良い

    ビデオに自分の姿が映っているというのは夢の出来事だった時代があった
    その少し昔は写真がそうであり、その写真は白黒だった

    歴史というアルバムのページをパラパラとめくると
    写真はカラーで当たり前の時代になり、たくさんあり過ぎて自分が写っていても珍しくもなく驚きもしない

    父母が写っていてもそれが当たり前のセッティングである

    おじいさんやおばあさんが写っていたらいいなあと子どもの頃に思ったことがあってもそれはハナから叶わぬ夢の話だった世代から一つ新しくなっただけなのに

    そんな白黒世代の人のなかにはそういった消えていった歴史を惜しむ人や少しでも残しておきたいと願う人たちが多い

    消えてゆくものの価値に掛け替えのなさを切実に感じているからだろう

    🌱

    三十年という世代交代の周期が想定しなかったほどに大きな段差の向こうに現代社会の文化はある

    この変化の様子をしっかりと捉えて分析できていることが重要なのだと感じている

    時代につれて変化する人々の心のようすとか、その心の礎となるものは何か、 そしてその礎の上に築き上げるものはどのようなもか

    現代社会の犯している過ちを発生源まで遡って伝えておくことがわたしたちの使命であろう

    高田前社長の言葉はわかりやすい語録であるが、その背景にある厚みやと深さには計り知れないものがあると思う

    2018年5月26日 (土曜日)

    休日には日記を書こう 小満篇

    六月一日から重松清の「ひこばえ」の連載が始まる

    ちょこっとだけ期待をしている

    五月二十日の新聞記事にインタビュー記事があった

    🌱

     少し離れて、重松さんは一家を見つめていた。「遺骨が真っ白できれいだなあと感じました。まいたそばから葉が落ち、虫が歩く。この瞬間から森の中に溶け込んでいる。風が吹けば飛び散り、雨が降れば地面に染みて溶けてなくなる。自然に溶けていく、というイメージを抱きました」

     重松さん自身、2年前に父を亡くした。年に何度か岡山に帰郷して母を墓参に連れてゆく。「僕の中では、生きていたときよりも死んでからの方がおやじが身近になった。おやじという存在が僕のなかに溶けている感じがする。人が死んで形なきものになるとき、残された人の記憶に溶け、この世界に溶けていくんだと感じます」

    🌱

    重松さんは「溶けていく」と表現しているので、引き止められて切り抜いた

    弔いがテーマになのだろう
    わたしにはわたしなりのの考えがあるので静かに拝読する

    🌱

    人が死に生命が終わるとき

    多くの記憶が薄れていき

    やがては消えてしまう

    カタチを持つものは

    百年、一千年と面影を誘うように遺り続ける

    しかし、果たして本質はどこまで正確に残存するのか

    死んでしまうのだから

    この世から消えてしまってもいいのだ

    と思うこともある

    魂が残ればいいではないか

    という気持ちだろう

    しかし、過去の多くの人は何かを残そうと苦心をしてきた

    生前を敬い業績をたたえて

    後世の人に偉業や意思を伝えようとしてきた

    もしも「溶けていく」のならば

    それは消えてしまうのか同化するのか

    新しいものに姿を変えて「生まれ変わる」のだろう

    🌱

    (二十年舞絵に逝ってしまった父は)
    たった六十六年しか生きなかったのだから一千年、五千年の歴史の中に何を刻むことができた(る)のだろうか

    そんなことを考えると潔く影も形も記憶も足跡も残さずにドロンと消えてしまいたいと思う人も出てこよう

    人の記憶の強さのようなものは、y=指数関数exp(1/2)の x 乗で減少を続けるのだろうと思った

    つまり、死んだすぐ後は偉大さを振り返ってくれても

    三代もあとになれば伝説の人となる

    もっとも、この関数は五千年経ってもゼロにはならないことも意味していて

    その点も重要で見過ごすわけではないのだが、ここでは深く考察はしない

    🌱

    科学技術の進化によりヒトの足跡を保存する技術も向上している

    だから、千五百年とか二千年前の歴史的な遺品を解析し

    現代から過去を想像するような作業は、後世では不要になってくるだろう

    🌱

    八嶋さんがFacebook でわたしの孫の写真を見て

    「ちょうど一世代分の時間が過ぎたんですね。早いものです。

    バイクに乗る機会がめっきり少なくなり、昨年バイクは

    手放しました。近くのレンタルバイクで借りればいいと

    思いましたが、バイクに乗りたい気持ちにならず、一度も

    借りていません。

    またその気になったらヘルメットとブーツを押入から

    出します。」

    と書いてくれた

    わたしは以下のように返事を書いた

    バイクに乗り続けることを硬い目で見つめるよりも

    新しいことを次の世代に受け継ぐという観点で 

    バイクがあった時代を伝承することは 

    昔バイクツーリストであった人の責務だと思います

    広義に 

    旅がどうして私たちに必要だったのか

    何かを実現するために旅という世界に足を踏み入れたその背景は何であったのか

    この時代の幸せ 現実 逃避 などはどんな形で若者に夢を与えていたのか

    そんなことを次の世代に受け継ぎたいと私は思います

    バイクに乗り続けたいけど

    新しく使命としたことも多くて 

    うまく言えませんけどね。

    また機会を見てこんな話を書きたいです

    酒の肴にもならんけど

    Photo

    小満になってもなかなか書き出さないので
    ひとまずこの辺で放り出す

    つづきは「秘伝」で

    2018年2月 6日 (火曜日)

    一月下旬から立春の頃まで

    一月下旬から立春の頃まで

    駆け足でした

    というわけで
    あとでゆっくり書くわ

    一月下旬から立春の頃まで 足早に

    ピエール・エルメ デパ地下の串カツ JR 高島屋で JR 高島屋で エビフライ@ロンシャン れんこんのきんぴら タイ ヒラメ

    門井慶喜 銀河鉄道の父

    2018年2月 2日 (金曜日)

    ■人生をドラマに

    ■人生をドラマに

    わたしは人生をドラマに仕立てようとしたのか
    それともドラマだと勘違いをしていたのか

    あしたはいつもドラスチックなものだと描いてしまったのか

    そうあってほしいと願ったのか

    2018年2月 1日 (木曜日)

    十年

    書きかけて放置している
    そのうち書き足すのだろうか

    うそっぽい


    年度の節目に誰かに渡すための引継ぎのための文書を書いている
    そのことは普通の業務なので格別な感傷などはない

    寧ろ十年間という歳月に
    たったこれだけのことをしてきて
    それだけのことを大切にするかのように日々を過ごしてきたことが
    ある意味では滑稽であり
    眺めようによれば愚かで情けなくもあり
    幸せでもあり楽しくもあったのだと
    客観的に評することもできる

    ささやかな人生であり
    掛け替えのない十年であり
    もっと羽ばたけた十年であり
    よくぞ墜落しなかったなとも言える十年だ

    さきごろからたびたび考え込むようなネタとして思い浮かび
    しばらく放置している間に日々の雑音のなかに消えてゆくことがある

    何かを遺す
    何かを伝える
    何かを受け継ぐ

    大切なものは何であるのかを見極める
    不要なものと大切なものを区分する

    それらを考えて答えを出すために求められることがある
    簡単なことだが難しくあり悩ましいものだ

    判断をすることだ
    区別をして色分けをする
    不要なものは切り捨てる

    だが、しかし

    リンゴよりもイチゴが好きだ
    イチゴよりもメロンが好きだ
    メロンよりもリンゴが好きだ

    そういう人にとっては
    白黒をハッキリさせるとか
    これは右の棚で次のこれは左の棚
    というように区分をテキパキとすることはできない

    さてさて
    困ったものだ

    2018年1月29日 (月曜日)

    父の最期の言葉

    二十年前の大寒の二、三日後に父は亡くなっている

    残された母の話によると

    亡くなる日の二三日前には

    既に意識がぼーっとしてたらしい

    ビールが飲みたいと言うのであるが

    こんな状態で飲ましてはならんと思い

    お茶をやったという

    「ビールと違うやないか、まずいなあ」

    言うてやったわ

    と、あのときを母は回想している

    それが父の最期の言葉であったことになる

    2018年1月28日 (日曜日)

    三十数年の歳月が過ぎて幻の日記が見えてくる

    子どもが結婚をしたときに

    遠く京都に住んだままで

    家のそばに新居を構えることもなく

    将来のいつ頃になって帰ってくるのかも

    はっきりとさせなかったこと

    父はこのことについて

    眠れない日が続くほどに

    考えて続けて

    あらゆる可能性を求めて構想を描いたのではないか

    と思う

    子どもは

    自力でこれからも生きてゆくつもりだろう

    自信に満ちているのはわかる

    しかし、たとえ自分が頼れるような親でなくとも

    親を頼ってそばにいたいというような素振りさえもしなかった子どもを思い

    好き勝手にしている様子を見せられるときは

    おそらく寂しい思いをしたに違いない

    学校にやっているときの六年間の苦労を振り返りながら

    東京で学業を終えたら故郷に戻ろうと考えてくれることを

    普通に筋書きにしていたかもしれない

    それだけに相当に寂しい日々を過ごしたことかと推測する

    さらに、後年になって

    子どもは夫婦で故郷に帰って来たものの

    車でⅠ時間ほどのところに家を構えてしまう

    自分たちはその家にのこのこと

    立ち寄ることも憚られるようなこともあった

    そんな暮らしに、ある時は満足する一方で

    何処かしら寂しく思ったことだろう

    子は子で新しい時代を生きるのだから

    むかしの世代は何も申してはいけない

    申したとしても

    決してそれが生きてくる言葉にもならないのだ

    そう思って黙っていたに違いない

    父の日記は紙切れ一枚も残っていない

    しかし、こんなことを
    必ずあの枕元に置いていた帳面に

    書き残していたはずだ

    残っていなくても

    それが見えてくるような気がする

    三十数年の歳月が過ぎて

    自分が父と同じような立場になった時に

    恐ろしいほどに

    幻の日記が見えてくる

    2018年1月21日 (日曜日)

    母八十七歳にどらやきを買ってゆく

    母八十七歳にどらやきを買ってゆく 大寒のころ

    どらやき屋 りん どらやき屋 りん

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