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増殖する(秘)伝

2017年11月 2日 (木曜日)

夜ふかしが恋しい サヨナラ星のオリオン座

十一月 はじまる

日記を書きかけで置いたままにすることがある
それでいいじゃないか・・・と言い訳も堂々としてきた

誰も読まない日記
もしかしたら誰かが読んでくれるかもしれない日記

写真は載せないという強い方針から
少しでも目にとまれば中身に触れてもらえることもある

と軌道を修正して

このごろは
ぽっくり死んだ後に発見されて注目されたら価値ある人
気づかれなかったらただの人
と思うようにしている

ハンバーグで始める サンマ11号 酢豚・長いも入り
写真日記から

2017年11月 1日 (水曜日)

二年前好きだと言った石段の真っ赤な夕暮れ今もおんなじ (予告篇)

十一月始まりました

今日は一日家うちにいます

ゆっくりブログを考えよう(増殖版・予告篇)

大根を炊く 又吉直樹 劇場から

写真日記から

2017年10月28日 (土曜日)

もう少しで十月尽きる 台風22号も来る

十月も暮れ行くのやなあ

十月尽

風が秋から冬の色合いに着々と変化するのを感じた一瞬

周りの音が消えて
始まりかけた夕焼けに取り込まれてしまいそうになりながら
胸の電話に手を伸ばす

あの人に伝えたいのだという思いが湧き上がって来る

秋はセンチメンタル
けれども心は
あの人には届かない

風が呪文を教えてくれたとしても
それが秋を見送る言葉だったら
サヨウナラの哀しい別れ

あの人は遠くへいって
たぶんもう会えない人だろう

それだけに、誕生日のある
十月が終わってゆくときに
満ちはじめた半月をみて
ちょっと淋しさを感じたかも

冬が来るまでに
もう一度だけ夢を見たい

少し前に久々に川柳を考えてみたけれど
震えるような情熱がなくなった今は
納得のいく作品が生まれてこない

▶️

ある人(って壇蜜日記3ですけど)の日記を読んでいて
「ストレス解消」のことに触れていた(本流ではない)

ぼくには今となっては全く無縁の言葉なのだな

ストレス

あの正体ってのは一体何者であったのか
そのことを考えると
少し哲学者になれるような気がする

++

▶️ 関連日記

もう少しで十月がくれるという時に台風22号 〜 十月尽

焼き鳥(1歳半向け) 揚げ出し豆腐


写真日記から

2017年10月13日 (金曜日)

父の日記 はじめに

父の日記 はじめに   (秘伝本篇はリンク先です)

わたしが子どものころ、そう小学生から中学生のころのことだ。

父は、就寝前にいつも必ず日記を書いていた。

枕を胸に当てうつ伏せで書いていたと思う。

居間や奥の間(寝間)には机などなかったし、卓上の電気スタンドもなかった。

だから、薄暗い奥の間の部屋の灯りだけで書いていたのだろう。

ペンは、鉛筆だったのかボールペンだったのか、今となっては不明である。

わたしはその日記に感心を持ったことはなかった。

こっそりと読んでみようという気も起こさなかった。

子どもというのはそういうものなのだ。

そういうことに気づくのは自分が父を亡くして、娘に昔話をしておきたいと考えるようになってからであろう。

子どもは、昔話や親のことにはさらさら感心がないのだ、と知ったからだ。

日記は全く現存しない。

毎日丁寧にじっくりと時間をかけて綴っているのを見てきた。

日記帳は、1年分の分厚いもので、毎年同じものを使っていた。

部屋の片隅か押し入れには何年分もの日記が積んであったのを憶えている。

おそらく、わたしが生まれる前か子どものころから書き始めていたのだろう。

そのことを考えると相当な冊数の日記があったわけで、あれは曖昧な記憶ではないのだ。

だが、日記は消失している。

無くなった理由を想像すると二つのことが思いつく。

母がある時期に家財の整理をして、その際に廃棄するか焼却したかもしれない。

子どもが高校に行くので(または大学に行くので、または社会人になったので) 

生活が一段落して、過去のあれこれやモノを整理した可能性がある。

だが、そのように廃棄したとして、父は廃棄の様子をどう思ったか。

そこまではもっともな想像はできない。

もうひとつ日記が消滅する可能性がある。

それは父が定年前後から脳梗塞の症状で苦しんでおり、入退院を何度か繰り返した。

その症状が思わしくない時期があって精神的な(一種の強迫症のような)障害があっ たのかもしれない。

その際に、母のバックや貴重品を庭で無理矢理(病的に)焼却してしまうというちょっとした事件じみたことがあったかもしれない。

永年父が、おそらく30年も40年も継続してつけていた日記なのだから、そんなに簡単には焼却できるものではないと想像する。

父はどんな気持ちで消えてしまう記録を見つめていたのだろうか。

あの日記にはどのようなことが書いてあったのか。

あらゆることを思い出せるだけ思い出して、想像してみたいと、先日、ふと、思った。

真相はわからないのだが、あの日記にはどんなことが書いてあったのか。

架空のような夢のような想像を混じえて、少し考えてみよう。

そう思いながら、私はこれを書き始めています。

2017年10月 9日 (月曜日)

京都日記(10月上旬編)

友だちに会うとウチの人がいいまして
二、三泊分の荷物を急遽持ってお出かけしました


▶️京都日記(十月初旬篇)

2017年9月12日 (火曜日)

すっかり秋めいてきてます 白露もすぎて

あっという間に9月も中旬です
上旬を振り返ってみます

🍀 涼しくなったので 窓を開けて寝ても夜中に閉めに起きなくてはならないほどです
無精なので厚めの肌布団を用意してあります

🎥 5日から6日にかけて
三年ぶりの大腸ガン検診です
おなかスッキリさせるためにうどんを食べたりお芋を食べたりして五日を迎え
六日は検診日でした
少し小さいものがあるようですが気にしなくていいでしょう
それよりも憩室がたくさんあるので気になりますね
10%ほどの人に見られるということで出血などが大量にあることもあり要注意らしい

🌿 ツーリングガイドの2017版が発行されたのでいただいてきました
バイクで走ることはないけど旅の雑誌を読むのは大好き

キャンプにいってゆっくりと夜空を見上げながら酒を飲む
いいですね ほとんど夢物語です

🎥 10日は今年最後の休日当番
クルマをうちの人が使うので汽車で行きました
だったら車窓の景色を撮るのが定例です

🍀 ムスメさん
おなかも大きくなってきて
そろそろ産休の準備です

鶺鴒鳴 ─ 白露篇 (裏窓から)


9月上旬号
いつもの車窓から  南伊勢 ツーリングガイド ハンバーグ

2017年8月31日 (木曜日)

南国屋さん(その2)

南国屋さん(その2)
蒸し暑い夜は昔(その1)の 下宿屋のことを思い出す。


向かいの下宿屋は、ぼろぼろの家で一階が食堂だった。

「南国屋」さんと隣近所の人は呼んだのだが、看板が出ているわけではなく、営業しているときでもその暖簾では食堂として営業しているようには見えなかった。

だから、お客が入っていくところも入っている姿も見たことはなかった。

二階の下宿へはどうやら食堂の戸をがらがらと開けて入るらしいのだが、夜中に帰ってきたときはどうしているのかはわからなかった。

そうそう、寅さんの映画に出てくるような雰囲気に近いのかもしれない。

こちらの部屋と向かいの部屋は一間余りの狭い露地を隔てているだけだったので、向かいの下宿屋には跳べば移れそうな感じがした。

窓を開けると向こうの部屋の中がよく見えた。

おそらく真正面の窓から見えている部屋と他には小さな押し入れがあるくらいだっただろう。

この部屋とさほど変わらなかったに違いないが、この部屋は貧乏な大学生が住んでいる賄い付きの下宿屋で、向かいは一人で暮らす若い女の子が住んでいる小さなキッチンのある部屋だった。

その女の子はたぶん学生ではなかったにちがいない。

こちらから、窓辺に座ってちらちらとみながらいつも想像をしていた。

向こうの部屋にはカーテンなどなく、磨りガラスの窓が1枚の構造であった。

だから、彼女はたいてい窓を開けっ放しで暮らしていた。

ご飯を食べるときも、テレビを見るときも、寝るときも、着替えるときも。

こっちの部屋から見えていることは充分にわかってる筈だし、若い大学生の男子がいることも気づいていただろう。

けれども、この部屋からしか見えないという理由なのか、その気がないのか、いつもこちらを意識している様子はなかった。

洗濯物も恥ずかしくないのだろうか、平気で窓際に干していた。

挑発的であったというわけでもない。

存在を意識していないのだ。

こっちの部屋の住人にしたら刺激的なことが次々と起こることもあったが、やがて慣れていってしまう。

下着姿でうろうろしようが、着替えをしようが、ほぼ裸で寝転んでテレビを見ていようが、慣れてしまって平気になってゆく。

と、そうは言いながらも彼女がどんな女性なのか気にかかって仕方ない時期があった。

南国屋さんは猫を7匹くらい飼っていた。

店主であり下宿屋の主人だったおばさんは、その7匹の猫ちゃんを大切にしているのだが、機嫌を損なうと箒で追いかけまわすという、漫画のような人だった。

ぼくはその主人であるおばさんの顔も下宿人だった女の子の顔も、2年近くもの長い間住みながら知らないまま暮らしたのだった。

パンツを見れば誰かわかっただろうというおかしな自信がある。


 

その1 南国屋さん
2012年1月28日 (土曜日)
    【銀マド】 深夜の自画像

2017年8月26日 (土曜日)

八月は静かに終わっていきます

八月下旬、処暑のころに今月を振り返り、さらに20年を振りかえった。

18日に最後の勤務を終えたうちの人は、きちんと思い返してみると、父が亡くなる前から同じ会社の別の店に勤務していたのだ。
すっかり私は忘れていて、うちの人に直接質問をして思い出したのだった。

本当に長い間ご苦労さんとしか言いようがない。

私はこの人の働きのおかげでこうしてここまでやってこれたのだし、支えられれていたからこそ(心が)危ない時にも倒れずに仕事を続けてきて、さらには、野暮なこともしてしまっても、助けてもらって生きている。

まさに支えてもらったというよりも(溺れているところを)引き上げてもらっている姿が当てはまるのだろう。

思い切って、ひとつの区切りと判断をし、仕事を退いたことは勇気のいることであり、必然であり、我慢の限界であり、夢でもあったのだろうといえる。

うちの人は、毎日、仕事に行くのが嫌で、継続するのも辛くて、人との関係に心をすり減らしやすいタイプであるにも関わらず、およそ20年という歳月を苦労に注いだ。

上手に感謝の気持ちを伝えられなかったのだが、本当にご苦労さんと抱きかかえたい気持ちです。


八月下旬号
かぼちゃのサラダ 車窓から(稲刈り終わって)車窓から(稲刈り終わって) ランチバイキングの4皿目 巨峰 ぶりの照り焼き

2017年7月29日 (土曜日)

土潤溽暑

あっという間に7月中旬から下旬へ「桐始結花」(きりはじめてはなをむすぶ)の時節を送り「土潤溽暑」(つうるおうてむしあつし)を迎えて「溽暑」(じょくしょ)な日々を我慢で乗り切って、やれやれ8月を迎えることができそうです。

七十二候では、8月になって立秋を迎えるまでの間に「大雨時行」(たいうときどきふる)という言葉をあてはめ、暑い夏から秋へと移ろうのを待つのでしょう。

夏休みが真っ盛りです。

澄み渡る青空にモクモクと入道雲がわき上がるかと思えば、激烈な雨が突然降るような夏がきて、小学校の校庭の一角にあるプールからは涼しい歓声が響いてきます。

子どもたちの元気な声を連日聞きながら、秋を迎える支度を少しずつ進めていきます。

お盆まではあと半月。

先祖の恩に感謝をし(仏教の方はお釈迦様にも感謝をして)盆棚を飾ったり、お墓参りに出かけたり。京都では五山の送り火が有名です。

フォークソング歌手のよしだたくろうが歌った「夏休み」は、麦わら帽子、たんぼの蛙、絵日記、花火、スイカ、水まき、ひまわり、夕立…と叙情を呼ふ言葉がたくさん並んでいました。

消えゆくもの、伝統をしっかりと伝えるもの、様々です。

++

寂しいともっと寂しい遠花火 (わ)

週末には花火大会の便りが届く。

あまり花火を間近で見上げて鑑賞した記憶もないな。

(熊野の花火と旅の途中で遭遇した浅虫温泉の花火大会だけかな)

桑の実を前歯でちょっと噛み故郷 池田澄子

 

夏という季節は少し遠くから目を細めて見ている方がいいなと思う。

2017年7月26日 (水曜日)

人間は我儘なのだというところに行き着く

▶︎テレビや映画でおなじみの人たちが相次いで亡くなってゆく知らせを報道で知りながら人の儚さを感じている

その一方で、人物の大きさや足跡の偉大さ、心の持ち方、生き様のそれぞれ、遺した言葉などなどをみてそこには筆舌に尽くしがたい多くのものがあったに違いない

そのことを想像をして、お涙頂戴の風潮につられてもらい泣きばかりをしたり悲愴的になってばかりにもいかないのではないかと、自分に向き合う

▶︎向き合う

これはとても難しいことだ

武道の真剣勝負ならば真剣であればあるほどに「向き合う」技加減が勝負を決める

揺るぎない姿勢は心身に要求される

平行線が交わらないとしても

向き合った二つの力は平行線のように限りなく一直線のうえでバランスを取ろうとする

死と向き合う

あるいは消滅してゆく人生と向き合うときに

わたしたちが構える姿勢において

力の逃げ道はないのだ

▶︎逃げ道

わたしたちは「あ・う・ん」というものをとても大事にしてきた

子ども叱る時にも、逃げ道を用意してから厳しく指導をする

目標に立ち向かう時も、逃げようとするわけではないものの、逃げ道がなくては押し進む一瞬に揺らぎが生じることがある

「逃げ」を許すのではないが、必要なのである

▶︎

世の中には人の数だけドラマがあって悲哀がある

還暦の節目を迎えるころから

事あるごとに

死ぬまで不安や余命についての話が増えてくる

大きな病は避けたい

痛みを伴う患いごさは勘弁してほしい

子どもや孫と幸せに暮らしたい

お金に不自由したくない

海外旅行などにいけたら行きたい

悠々自適・のんびりと暮らしたい

悩み事を抱かえたくない

揉め事も困る

誰からも干渉されたくない

人との付き合いで気を揉みたくない

そんな話が形を変えながら数々の事例に合わせていくらでも出てきて

老後を生きるということはこれほどまでに辛そうで苦しそうなものであったのかと

驚いてしまう

つまりは、人間は我儘なのだというところに行き着く


つづく


(裏窓から・大暑篇書きかけから

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写真日記(平成29年版)

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写真日記(平成28年版)

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京都日記(平成27年春篇)

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京都日記(平成27年11月)

  • 渡月橋
    京都日記
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Walk Don't Run

  • ユース宿泊スタンプ帳
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    記憶を記録として
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