【塵埃秘帖】 新版Ⅳ

(現在進行中)

2012年5月11日 (金曜日)

風を感じる

少し前からときどき、風のフォトスケッチというブログに立ち寄る。
何の縁もないといえばそれまで。FACEBOOKの友だちの友だちの……と辿ることもできなくはない。

津波の来る(地震の起こる)朝に、女川の観光協会のブログを見て、町の景色の素晴らしさを愉しませてもらい、明日はお祭りなんだなあ、と思っていたのに、地震が来てなくなってしまった。

あの日の午後、職場では議会中継のテレビが付いていたが、地震直後にニュースに切り替わった。そのニュース映像を見ながら真っ先にYさんを思い出した。街は確実に丸ごと流されているはずだった。彼の安否を心配する時間が過ぎてゆくなか、ネットに安否問い合わせを書いているのも発見したし、とても心配な日々が続きました。

いまだにご苦労な思いをなさっている方がおられるのを思うと、ヒトとして最大限の知恵を絞ってこれからのみんなのために前に進まねばならないのだと痛感する

*

写真スケッチの中には、風が吹いている。
山も海も木々も、知らんふりして風に吹かれているのだが
カメラは容赦なく、風が吹いている地上の音も静寂も、人の叫びも、的確に捉えている。

宇宙という想像もできないほどの大きいものの中にある、波長の長い生命を持った地球という星の上にある小さな島の、その片隅で生きている私たち。

サクラの花が咲き始めた日を日記に書きとどめ
鶯の啼いたときにうたを詠み
ツツジやフジが香りを放てば、大きく息を吸う。

少し前の日記に、サクラの花は嵐で散ってしまったのを見て、「あの花たちは散りたくなかったのだろうか」と書いた。

きっと、ヒトだけがそんなことを考えるのだろう。

2012年5月 5日 (土曜日)

キツツキと雨

伊勢新富座のホームページに「2012年4月」というタイトルで水野さん(新富座代表)が以下のように書いている。

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5,6月は思いもかけず良い作品が並びました。
自信のラインナップで集客できるというのが興行の理想ですが、なかなかそうもいきません。
今、デジタル化が問題なのではなく、「映画人口の減少」が最も危惧される課題なのです。
このサイトについて マスコミもようやく映画の危機に気づき始めたようで、当館への取材も増えました。
いろいろありそうですが、もう少し粘ってみますか、不得手な梅雨時ではありますが・・・
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昔、1975年ころのこと(高1か高2だった)、砂の器という映画があって、それに伊勢市の新道が映っているという話で、映画のことなど全然わからない高校生だった僕は、倉田山から宇治山駅という通学路しか知らなかったけど、ふーんといってそんな世間の話を聞いて、銀座新道にある大きな映画の看板を近鉄電車の中から眺めていただけだった。それから2,3年後に東京で映画を見る機会があって、砂の器をみた。どこかの映画館で、席を立たずに2,3回連続してみた。そんな記憶がある。

あのころは、そう、僕の学生時代は、朝9時にひらく池袋文芸座(300円)でその日1日だけ上映という監督シリーズなどの企画上映に朝の6時ころから並んで日が暮れるまで5回ほどみたことも多かった。

みんな僕と同じ奴ばっかしで、幕がひらくと大きく拍手をし、そして幕が閉まるたびに手がちぎれるほど拍手をして、いつまでも席を立とうとしない奴らばっかしで、映画館もそんなことは承知で入り口に溢れる人が絶えなくとも僕たちを追い出すこともなかった。

ほんとうに人口は減ったのかな、とも思います。あのころだって多くはなかった。都会のあのちっぽけな映画館に確かに人は溢れたけれど、ほんとうにあの映画をみたい人やあの映画のよさがわかる人や、映画というものを銀幕の向こうの別世界と肌で感じ理屈もなく自分を注ぎ込めた人は、少なかったかもしれない。減っていったように見えるのは、ニセモノの映画ファンであり、見かけもホンモノも区別できないししようともしない人たちであったような気もする。

社会は変化して「経済的」という概念がもてはやされて、山の中の数軒の集落に住む人たちの医療や福祉や、果ては郵便なども、どうぞ都市部に移り住んで快適に暮らしてくださいといわんばかりに、切り捨てられてゆく。

映画もテレビもニュースも報道企画も、月並みな言葉を使えば金儲けができなければ成り立たなくなっている。ヨーロッパの片隅で、中東のどっかで日本人が1人事故やテロで倒れてもニュースにするのに、山奥の静かな1軒家へ一番近い医者が閉院して車で4時間も掛かるところが最寄になるという事態が起こってもニュースにはならない。

映画人口は減っても、みる人の質や心に変化がないのならそれでいいように思う。欲しがっている人に届けられないのは悲しいとかいう問題でなく、悔しいという気持ちではなかろうか。

では何故えに人口が減ったなどと思うのだろうか。確かに映画のソフトもハードも作風もポリシーも時代に応じて変化してきていることは認めつつも、映画人の意地のようなものは相変わらず変わっていない。いいえ、変わっていないのではなく、変化してゆく速さや道のりが違うといったほうがよさそうだ。

どんどん増える車、あっという間に夢を現実に変えてゆくテクノロジー、進化をやめることのない概念が生み出す世界と、ヒトの心が超ノロノロペースで変わってゆこうとすることの間に生じる軋轢のようなものが、ちかごろ見直されつつあるけれど、でもほんとうのことはわかっていないと思う。精神科の学者さんたちも確かに進化したけど、今の社会を捻じ曲げて腐らせている本質を見つめようとしないで、治療というお役を演じているだけだ。そんな社会に取り残されてこれからも映画というものが昔ながらの姿を守りながら残ってゆくことは、双方にとっても辛いことなのだろうも思う。

中身のまったくないストーリー性だけを売り物にして、味わいや余韻や厚みや深みも存在しない小説がバカみたいに売れて、それが高く評価されて、メディアは取り上げて騒ぎたて、人々は喜んで愉しんでいる。社会がどんどん変わるのについて行かなかったのが頑固で阿保だったのかどうかはなんともいえないけど、普遍的な芸術というものにもたらされるある種の宿命的なシャワーなのかもしれない。

(沖田修一)キツツキと雨

さて、新富座でみた映画のことは、僕があれこれと言っても仕方がないのですが、何よりも嬉しいのは、字幕の最後が画面の上に流れて消えて、フロアに明かりがついても誰も席を立たなかったことです。10人ほどしかいなかったんですけど、これもいい。(みんな女性だったこともメモっておこう)

ほんとうに僕が映画から感じたものは、古臭い映画風にみえながらも、時代が変わって社会が変わって監督が若返ってくれば、映画の作風は新しく変化してきているし、守るべきところはきちんと守っているし、作品のなかでは複数の波動を着実に個々に振動させて、最後にはきちんと共振させている。映像も綺麗だし、絵も綺麗だ。色も光も音もよかった。

昔の映画ってのは予告篇というのが一番よくて、本篇はそれを超えられないという作品も多かったし、それほどまでに予告が素晴らしかったのだが、この作品は予告篇より本篇がよかった。もちろん、いつものように、予告篇は本篇をみてからみたのですけど。
(俳優さんも、役所さんと山崎さんしか知らなかった・・・)

そうそう、新富座の水野さんが最後に、「もう少し粘って」なんて書いています。こう書かれると、「粘らずにサラリとして負けないで」、なんて書きたくなるなあ。

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映画久しぶりに観ました。あれ以来
ぐるぐる  幕を引かない ─ マザーウォーター

2012年4月21日 (土曜日)

花筏見送る人も無言なり

4月の初旬に父を亡くし、急遽帰国したときに、帰る空港から便りをくれた友だちに出した手紙を、上手でないところは少し書き直したが、記録しておく。4月15日早朝に。


私の地方の桜は、まさに今散らんとしていて、
▼花筏見送る人も無言なり
というわけで、信州よりも一足先にソメイヨシノは葉桜になろうとしています。

オヤジさんがなくなって、そのあとにもmixiの日記を書き足していたりするようですが、人生なんてのは、そんな継ぎ接ぎだらけの驚きや喜びで出来上がっているのだと思っていた。

そんな中、今、自分の頭にあるのは、自分の番もやがて来るということで、もしかしたら、この次に葬式にかかわるのは、81歳の母親の葬式でないならば自分自身の葬式であるのかも知れないということだった。

そう、喪服なんて着られるかどうか、サイズのことなど気にしているなんて(といっても軽く触れただけなのだが)、お笑いネタみたいにも思えてくる。葬式なんてのはそんな感じでやってくるのがありがたいのだろう。

今の時代、いつでも会えるという安心感が潜在的にあるものの、 18歳で家を出てしまったこともあって、父親はそれほどいつもそばにいたわけでもなく、それは父だけでなく母もそうですが、これから死んでい行くという不安や恐怖はなくて、既に私の心の片隅に住むところを持っていた。だから、どうぞ楽に痛みもなく逝ってください、とわりと冷めて祈っていられる。日々一緒に暮らしているならばまた話は変わってくるのだろうと思う。

しかし、生きるということは、人それぞれの思いの違いが歴然として出てくるもので、私の母の場合は、もうすぐ死ぬだろうと自分で言いながらも、ものすごい負けん気で生きたがっているのがわかる。「食事に注意を払って、生活に気を使うように」と、子供らに言われても気にしないようなふりをしながらも、生きたがっているの伝わってくる。

その点、おやじは14年前に逝きましたが、いつ死んでも仕方がないほどにそれほど健康ではなかった人だったのですが「「生きられないのは悲しいなあ」といつも嘆くようにしていた。けれども諦めのようなものを持ってようにも思えるときがあった。

私はおやじ譲りで、生きることには、固執しないような面があって、いつ死んでもいいなと思っている。

人には、人を育てるという、つまり育成し次世代をよいものに改革してゆく大きな使命があって、(貴殿の場合は子供がないのでそのことには、理由もわからないし触れてきませんでしたが)、社会的に、その使命を負うことで、さらにもっと早く若き時代にその使命を意識することで一人前になる条件のひとつが揃うと思う。

夫婦になる、つまり結婚して家庭を持つという基盤のうえで社会に参加をし、その基盤の上で社会を見つめて、人間を見つめて、あらゆるものを理解しながら生きるのだ。人とはそういう社会の中で、社会に貢献して恩返しもしてゆく使命がある。

自分が楽しく。そんな傾向が現代社会に蔓延しているけど、人間なんてちっぽけなもんだから、社会を永遠に引き継いで行くような遺伝的な動物的使命を持っていることをあっさりと認めて、毎日の暮らしを見ることは大事なんだと、45歳あたりを過ぎてから切実に思う。

つまりは、詰まらない見栄や快楽や豊かさや怒りなども必要なことは認めるけど、そんなことにこだわって自分の人生の目標を狭義的に決めてきたことが社会の中での不満を生み、ばかばかしい欲に走る遠因でもあるような気がするのだ。

ボケに満ちた今の社会の奴らに対し、死と向かい合って生きろというわけでもないし、もっと世の中に尽くせというつもりもないが、じじいになってきて、そういう自分のことばっかしを見ている人を見ていて、ああ、あれは間違っていたな、と自分を諫めるわけです。

人にはさまざまな家族があって、そのお父さんがどのような影響や言葉や規範を次の世代に与え、遺していたかまでについて僕の言及するところではないのですが、おやじの遺したあらゆるものが、ゲーテの残した言葉と同じくらいに、神秘的で、詩的で、あるときは論理的に解釈することで、結構蘇って来る。

つまりは、ささやかな周期で、遠大なる使命を背負っているということなんだ、と思うわけです。

花筏を、歓喜に満ちた酒宴の後の酔いで見送る人もあろうけど、散る花を惜しんで、涙で悔やむ人もあろう。別れと出会いの季節である時にお父さんが逝かれたことは、ご本人がどんな病だったのかはわかりませんが、花の中でのご逝去として記憶に残ると思います。

僕が第15回目の三重県の俳句で
▼散る花と国の峠でわかれたり
と書いて佳作になった時の心はどこにも書かなかったし誰にも言わなかったけど……。

別れとは、そういうものであり、峠道の向こうとこっちでは新しい暮らしが待っているということです。

新しい使命を明確にして、さまざまな社会の一員として、小さな力であり大きな力になって、もうしばらく生きていきましょう。(……と、自分に言っているみたいな手紙になってしまった)

2012年4月 8日 (日曜日)

ヌカガジュンコ写真展「音が伝わる温度」

ヌカガジュンコ写真展「音が伝わる温度」
ヌカガジュンコ写真展「音が伝わる温度」

2012年4月7日 土曜日

心斎橋へ出かけた。
わくわくした。

泣き虫の僕が
このときには、泣くのを忘れた。

2月3月になってスランプに陥っているのだと自分をなじってばかりいる日が続く。なしればなじるほど、自分は委縮するがわかるけど、きっと、カラダに新しいカビのような種をまとって蘇れるような気もしている。

ほんとうは出る幕じゃないような気もするし、その正反対のような気もしながら、ヌカガさんんの個展へと向かう。心斎橋に着いたのが10時ころで雨粒がビルの合間から落ちてきて、田舎者の自分を隠すように空を見上げたりする。

20年以上前だろうか、ハーモニカを楽器屋さんで買ったのを思い出した。1万円以上する私にしたらその当時細やかな贅沢な楽器だったが、寂しいときとか嬉しいときとか、このハーモニカは私をささえてくれた。

時間があるのでぶらっとする。appleストアに行く。ブックとデスクトップのパソコンを交互に眺め、ああ来て良かったと思いながら、何を見て確かめるわけでもなく、マックを見ている。

楽器屋さんにも立ち寄った。ピアノを見て、リコーダーを見て、オカリナを見て、ボントロのところへとゆく。キングとかバックとかコーンしか知らないけど、何の見栄もないのだけど、贅沢など何もしないのだからこれくらいはいいよね、と言いながら40万円くらいのを買いたいな。でも、今買ったもうすぐ迎える自分の最期のときに、この楽器が一番高価な遺品になってしまう。

そんな散策の時間を送りながらも、ずっと写真展のことが気にかかる。なんたって私は素人なんだし、とても素敵な写真をみにいってしかもその作者にも会えるなんて最高にウレシイのだ。

いっぱい喋ってごめんなさい。こういうところでは静かに見てるのが常識なのかもしれないけど、と気にしながら、お構いなしにヌカガさんに話しかけてしまう。たくさん語らない人だけに、自分がふらふらと彷徨うのがわかる。

写っているものと隠しているものと、訴えているものと秘めてるものと、期待しているものと諦めているものを、わたしはどうにかして掴み取りたいと思う。ああ、これって昔の大好きになった人の心が掴めなかったときに必死になって探ろうとした私に似ているのかもしれない、などと思う。同時に、レベルが低すぎる自分を心のなかで大声で叱る。

テーマなんてきいたら野暮なんだなと思いながら、そういうことを言葉にしてしまう。もう、この次にいつ再び出会えるかわからない作品たちを、記憶の中に刻みつけることが不可能なだけに、必死になる自分がいたのだ。言い訳をするならば、だから、記憶を引き出す手がかりを探して一緒に仕舞おうとしたのだと思う。

そんなことは不要なのだとも思う。芸術は爆発だと岡本太郎が言葉を残しているけれど、ほんとうの意味を理解しているわけではないものの、爆発という響きが好きだからいっそうこの言葉も好きだ。

音が伝わる温度という一見メンタルで詩的な響きも、私の頭の中では数学的物理式にイメージ化されてしまう。爆発するエネルギーの変化量のデルタδ=という文字がその先を探っていて、いつも到達するあらゆることが普遍的にもっている結論「モノゴトでも感情でも、そのエネルギーが満足させるものは変化量の大きさで決まってくる」というアレに到達するのだ。

ヒトは、温度という目に見えないものを姿に変えてわかろうとしてきた。音だって見えないもの。見えないものばかりが絡み合って作る物理現象を言葉にすると、詩的になる。

しかし、そこには、ほんとうに人々の心を震わせたものを伝えたい熱情があるのではないか。震えることはエネルギーだ。フクシマが震えて、そのあと、音も立てずに木々を揺らし、人々の心も揺るがせて、社会も震撼させ続けていることと、そのことが減衰してゆくことへの激しい怒りのようなものを、逃したくないのだ。

アナログ的に無限大のステップで、青から赤へと色彩が変化してゆく四季の変化や春に生まれたパワーが冬にかけて滅亡してゆくように、物理的破壊が放ったメッセージが消えてゆくのを引き留めてゆかねばならない。その使命をみんなが均等に担っているのだから、時々刻々と発散されるエネルギーの変化を捉えたいのだ。

瞬間を切り取るためには鋭くてよく見える眼が必要だ。その瞬間を読み切るアンテナも、変化を捉える素早い神経も必要だ。
でもそこには、シャッターが切れなくなるほどに感情豊かに潤んでしまう眼も心も欠かせないし、チャンスを逃して悔しがる意地も、圧し折ってもまた伸びる尖った鼻も、あったほうがいい。

ボクの好きとあなたの好きは正反対かもしれないけど、たった1枚でもいい、同じステージにのっかって別の角度から眺めることができたことが嬉しい。お気に入りは言葉にしないということも大事なのかもしれない。そんなことをつぶやきながら、帰ってきました。

 

2012年3月22日 (木曜日)

「プラ」ごみを考えてみる

きのう、FACEBOOKとtwitterに

引越し難民を受け入れるため台所を掃除したらスーパーレジ袋が45リットルに3袋分出た。まだまだゴミ出る。
プラ扱いと不燃物、雑紙が多い。
不燃物も3袋は硬いなあ。
自分の家で実際にやってみて、社会の実態を予測できた

と書いてみた。

プラ プラ

この「プラ」マークが、非常に身の回りに多いことが分かって、しかも、きちんとポテトチップスやラーメンなどの「袋」を集めてみれば普通の「紙ごみ」よりもたくさんの袋が必要なのかもしれない、ということがわかった。

さらに、雑紙と呼ばれる雑誌ではなくダンボールでもない紙類も多いことに気づく。雑紙は、いわゆるパンフレット類、1枚モノの案内紙、ポッキーなどの箱も含まれる。

どうしてたくさんあるにもかかわらず、まとめてもらえず、つまりは資源ごみに回してもらえないのかを考えてみたが、答えは非常に明快だった。

分別は簡単であっても、ゴミとして出すときに面倒だからだ。
現代人は面倒なことをしてまで、みんなのためには尽くさない。
震災被害支援というような大義名分でもない限り。

2012年3月14日 (水曜日)

弱虫も啓蟄過ぎて顔を出す ─ 三月お水取りのころ

桜吹雪が谷から吹き上げてくるころ、吉野の奥千本を訪ねたことがある。
一人で佇むには最適の場所だった。
杣道に踏み込むと西行の句碑があった。

ちょうど、大河ドラマに西行が登場して
懐かしい吉野の山を思い出す。

桜のころに一度、赤ん坊だった娘を連れて花見に出かけたことがあった。

わずか20年ほど前であるだけなのに、今のようにモノゴトに過剰に人々が反応するようなこともない穏やかな時代だった。
誰かがダッシュをしたら出遅れてはいけない、とか
勝ち負けに必死に目を凝らして、常に勝ちの方角ばかりを見ているような風潮とか

そのようなものはなく
比較的のんびりと、していたように思う。

しかし、やがて、人々は簡単なものやそれなりのお金や努力で確実に手に入り易いものに、抜け目なく手を出す風潮が現われ始め、その情報を付加価値をつけて売り物にする社会が出来上がってゆく。

新自由主義という便利な言葉ができて、人々は幻想の幸せを手にして、回復もしない経済の蘇りに夢を棄てない。

今もそのままだ。

その幻想が、鬱憤を晴らすかのように、一見正しそうな政治改革に走ってゆく。

最たるものが、減税であり公務員の改革だ。
間違いなくこの間違った選択で自分たちの生きる社会は瓦解する。

それでも、ヒトは自分の幸せだけを追うことをやめないだろう。

3月12日 (月)

三月は弥生という。
人の名前にも使われるやさしい響き。

ぬくもりが広がるのが分かる。

▼坂道を登って通うのこの春から
▼弱虫も啓蟄過ぎて顔を出す

▼ため息を手紙に添えて罪深く

3月13日 (火)

少し温かかったのだが、今週は再びコートを出すことにした。

このころの寒さが一番好きかも知れない。

それは、三月という時節の持つ歓びもあるのかも知れないものの、寒かった日を今は許すのだ。

山の端が少し白いか。
布引の山も最後の白き肌。

子どものころにおとうちゃんと炭焼き小屋の中に入ったあの温もりを思い出した。
列車の暖房がお尻にほんわか。

▼炭焼きのしたくを呼ぶや父の声
▼炭焼きの小屋の温もり春とおし
▼手のひらの汚れて温き炭焼き小屋

▼錆び付いたネジそのままにして蓋をする

2012年2月29日 (水曜日)

幸せとは、を考え続けて

幸せとは、を考え続けている。

世の中が経済的に成長を続けて、会社が核分裂のように大きくなり続ける中で、私の時代は就職戦線を闘っていた。ある人が、就職をする私に問いかけた。

「会社に入って何になるのが目標か」と尋ねる。「昔の新入りは社長ですというようなことを平気で言ったものだが今の子たちは課長ですというような子もいる」、そんな世の中に変化している話してくれた。会社に入れば未来があった。給料も組織も企業成績も、さらには物価や地価も下がるということは誰もが想像しなかった時代だ。

まさかの急旋回。しかし経済神話だけは残り続けたのではないか。いつか必ずまた昔のように右上がりが取り戻せ、増殖し続けるような会社が次々と生まれる社会が再現できる、と信じ続けている人がゼロにはならない。また、そうでなくては経済学というものの学問的価値がないのではないかと思い続けている人たち。

多くの人々はその神話を信じないと思いながら夢として棄てきれていないから、幸せというものを夢のステージの上に築き上げて、風が吹いたら喜び日が照ったら新しいものに期待して、次を諦めていない。

私が永年、エンジニアとしていた「パー」な会社も、本当はあのときに倒産すればよかったのかもしれない。しかし、本当にバラバラになるまでとことん解体をすることはありえなかったから、やはり今の姿が落ち着くべき姿だったのだろう。経営者というのは先を見据える力が凄い。

でも、会社という生き物は死にたがっていたのだし、贅肉が重くて、重病で腐っていたのだから、10万人の社員の3万程度を整理したからといって、見せ掛けだったのだと思う。7万人ぐらいを整理して、しかも本当に有能な人を残して再出発したいところではなかったか。

まあ、辞めたんだから、関心もまったくないのだが、社会が一向に良くならないのは、あのような腐った企業が、社会や社会を構成する人々を「幸せ」という迷信など飴のようなものを撒き散らすからだ。しかも利益を上げながら撒くものだから、社会が幻のようなその幸せに骨抜きにされてしまった。利益が上がっているころまでは良かったが、優良でありつづけるために迷信のように大企業神話だけが残り続けた。

人々は幸せというもの考える力をなくしている。マクドナルドのハンバーガーを食べるようになって、美味しいパンや美味しいハンバーグの味を見極める力が退化していったように、幸せボケの世紀がやってきたのだと思う。何も外食産業ばかりではなく、情報化社会の中で見直された時間軸上に重みつけられる価値観を背負ったあらゆる概念が、費用対効果のような一見まっとうそうな論理で社会を腐らせ続ける。今も。

いつかは再び。そんなことがあるわけもなく、そんな夢を見続けるようなステージなんかないのではないか。そんなことを考えながら、幸せとは何だろうか、を考え続けている。

2012年2月25日 (土曜日)

貨物列車のゆくところ

仕事の帰りにいつもの列車より少し遅く帰ると、私の降りる駅に長い長いJR貨物が行き違いのために止まっている。何両あるのかは暗がりなのでわからないのだが、ホームの端から端までかかっているように思う。切符を車掌さんに渡して跨線橋の階段を上って向こうのホームへとおり始めると貨物列車はゆっくりと動き始める。

いくつも並んだコンテナが徐々に加速しているのを見ながら、車両の繋ぎ目に小さなデッキがあることを見つけた。手すりがついているけども、ホームから飛び乗ろうと思えば簡単に移れそうだ。

高校時代に伊勢市駅に入ってくるJRの客車には扉がついていたが、走りながらでも飛び乗れたのを思い出したし、子どものころに見た客車にはやはり小さなデッキのようなものがあった。手すりにもたれて走り行く汽車からさようならを叫ぶようなシーンを思い浮かべてしまう。

さて、このデッキにもしも飛び乗れたら、私はJRの行くところに気ままな旅を始めることができるのだろうか。

少し悪戯をしながら、誰にも見つからずにタイムスリップするようにどこかに出かけて行けるという夢のようなコンテナ。しかし、出かけた先には無限の束縛や規制が待っている世の中だから。このまま家に帰って黙って座れば水割りが出てくるのも悪くはないか。

寝床に入ってからも、デッキで揺られている夢を見た。私はどこに行きたがっているのだろうか。

昨日のままなら

Sさんが、心の病気で入院したときの友だちのことを書いていた。退院してからも親交があったのだが、次第に疎遠になり、音信が途絶えたあとしばらくして自殺という話を聞いたという。

人生とはなんだろうか。幸せとはなんだろうかと、問い詰めてゆく。

--
(私は通勤の列車の中で走り書きをしたのでそれを貼って置こう)

人のスタンスってのは、些細なところで幾らでもバランスを崩す。
フラフラしないなんてのは特別な時で、いつもユラユラ。
そんなままで大人になってゆく。
いいのか、悪いのか。
分からないけど、生きていれば世界は広がり続けるし、自分でも変化しなくてはならない。
生きると言う事は成長であるのだが、変化してゆくことでもある。
幸せだって、昨日のままなら、誰も自分を幸せとは思わない。

2012年2月 4日 (土曜日)

詰まらなくしているもの

(さとこさんの日記へのコメント)

私は永年、パーな会社の技術者をしていましたが、
こういった会社が詰まらなくなっているのは、内外の多くの人が感じているとおりです。

そのことを、あれこれ言うつもりはないですが、面白くないですね、社会が。

高額で美味しいものであっても、好きでなければ食べないような性格ですから
いい商品を出しても、それがつまらないものだと魅力はないです。

いまの世の中はすべてが正反対で
高額で美味しいものには、味も分からないし見抜く力もないのに飛びつく奴らがわんさかいる社会でしょ。
しかもタダたっだりしたら、人気沸騰で。
さらに、持っていないとのけ者みたいで。

そういう社会は嫌なので
田舎に引き篭もっていますけど、
さぞかし、都会は住みにくいのではないでしょうかね。

脱線した。

ソニーも、そういう社会で企業を存続させなければならない使命が、企業経営としてあるのも事実。
まあ、だから嫌気が差して辞めたんですけどね。

あきらめるか
意地を通すか。
そんな気がします。
荒っぽい言い方ですけど。

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忘却という…

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