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【語録選】

2017年10月27日 (金曜日)

大学を卒業して
初任給で初めて買ったのは
広辞苑だった

第三版
長い歴史を感じる

ぼくは 第三版で十分です
そのまま暮れてゆくつもりです

新しい言葉などいらないわ


三省堂の新明解国語辞典

「恋」のところに

〈他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する〉ような状態

とあるそうだ

意思でそんな状況を作れない難しさがある

2017年10月14日 (土曜日)

「羽生善治の名言」が目に止まる

「羽生善治の名言」が目に止まる

私は才能は一瞬のひらめきだと思っていた。しかし今は10年とか2030年を同じ姿勢で同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。

勝負の世界では「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。常に前進を目ざさないとそこでストップし後退が始まってしまう。

誰でも最初は真似から始める。しかし、丸暗記しようとするのではなくどうしてその人がその航路をたどったのかどいう過程でそこにたどり着いたのかその過程を理解することが大切。

ただ一局一局を大切にそこにだけ集中して指してきた。見た目にはかなり危険でも読み切っていれば怖くはない。剣豪の勝負でもお互いの斬り合いで相手の刀の切っ先が鼻先1cmの所をかすめていても読みきっていれば大丈夫なんです。

すでに過ぎ去ったことは仕方がない。私は、意識的に先のことを考えるようにしています。

反省は勝負がついた後でいい。「いかに戦うか」は大局観にかかわるがその具体的な戦略は事前研究が決め手になる。事前にしっかり準備して万全の態勢で対局に臨んでくる人は強い。

プレッシャーはその人の持っている器に対してかかるものだ。器が大きければプレッシャーを感じることがないはずだと自分に言い聞かせています。

一番いいと思えるものを簡単に単純に考えることができれば逆境からの突破口を見出せる。ビジネスや会社経営でも同じでしょうが一回でも実践してみると頭の中だけで考えていたことの何倍もの「学び」がある。

勝敗を決定するのは“ただの一手”であったりする。絶妙の一手。あるいは絶妙に見えて最悪の一手。

直感には邪念の入りようがない。長く考えると言うのは道に迷っている状態なんですね。

「勝ちたい」とか余計な思考も入ってくる。だから、いくら考えても分からない時は最初に戻って直感にゆだねることがよくあります。

勝ち負けにはもちろんこだわるんですが大切なのは過程です。結果だけならジャンケンでいい。

いろいろ考えられる選択肢の中から「この一手」を選ぶのは自分しかいないわけです。

ミスはミスを呼び悪手は悪手を呼ぶ。プロがミスをしないのはミスしにくい局面を選択しているからなんです。

夢は目指した時から目標に変わる。

2017年9月 2日 (土曜日)

(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子

半月ほど前から新聞連載に佐藤愛子さん「(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子」が登場し、9月1日が、最終回・その15でした。

その14のときに

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書き始めると、ハチローのエゴイズムの裏側に潜んでいるものが見えてきました。小説の基本は、人間について考えることです。そして、そのためには、さまざまな現象の下にあるものを見なければならない。

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という部分がありました。

そしてさらに、その15では、

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私の人生はつくづく怒濤(どとう)の年月だったと思います。しかし、その怒濤は自然に押し寄せてきたものではなく、人から与えられたものでもない。私自身の持ち前の無鉄砲でそうなったのだと気がつくと、よくぞ奔流に流されず溺れずにここまで生きてきたものだと、我ながら驚いてしまいます。とにもかくにも自分の好きなように力いっぱい生きてきました。決して楽しいといえる人生ではなかったけれど、恨みつらみはありません。何ごとも自分のせいだと思えば諦めもついて、「悪くなかった」と思えるのです。

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とはじまっています。

二度目に離婚をした夫のことを回想し、思わずマーキングをしたのですが

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(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子:15 最後はわからずとも受け入れる

 最後の作品になると思い、88歳で長編小説『晩鐘』を書き始めました。小説で彼を書くことによって、私はその変貌(へんぼう)を理解しようと考えました。人間を書くということは現象を掘り下げること。一生懸命に掘れば現実生活で見えなかった真実が見えてくる。そう思って書いたのでした。

 しかし書き上げても何もわかりませんでした。わからないままでした。いくらかわかったことは、理解しようとする必要はない、ただ黙って「受け入れる」、それでいいということでした。

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と書いている。
その後、ふらんす堂の yamaoka さんも同じ箇所を自分のブログに引用して「ただ黙って受け入れる」というタイトルの所感で「丹田にズンと来た」に書いた。

ぼくは嬉しくなってきました。

受け入れる、ということは人生の幾つもの節々でぼくたちに要求されてくることで、或るときは否応なしなこともあります。

受験においても、子育てにおいても、社会人になっても、結婚しても。
夫婦お互いに対してもそうでしょう。

受け入れることによって滲み上がってくる身体中の抹消神経を痺れさせるような「苦味(にがみ)」のようなものに、多くの人が共感するのではないでしょうか。

ほんま、ぼくもズンときました。
まだまだ若輩モノですけど。



(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子:14 
書き始めると、ハチローのエゴイズムの裏側に潜んでいるものが見えてきました。小説の基本は、人間について考えることです。そして、そのためには、さまざまな現象の下にあるものを見なければならない。
      
(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子:15 
 最後の作品になると思い、88歳で長編小説『晩鐘』を書き始めました。小説で彼を書くことによって、私はその変貌(へんぼう)を理解しようと考えました。人間を書くということは現象を掘り下げること。一生懸命に掘れば現実生活で見えなかった真実が見えてくる。そう思って書いたのでした。
      
 しかし書き上げても何もわかりませんでした。わからないままでした。いくらかわかったことは、理解しようとする必要はない、ただ黙って「受け入れる」、それでいいということでした。    

2017年6月26日 (月曜日)

いつ死んでも後悔するように生きる

幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと 若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日

作者名 中山祐次郎


「人は生きたように死んでいく」

一生涯をかけて誰も愛してこなかった人、誰にも本気で尽くしてこなかったひと。そういう人は残念ながら誰からも付き添われず、病院のベッドでひっそりと淋しい最期を迎えます。

それとは対照的に、たくさんの人を愛して、たくさんの人を慈しみ、お世話をした人の最期とはどんなものか。


 「いつ死んでも後悔するように生きる」

今、中断したら後悔するでしょうか。しないでしょうか。

もし後悔しないとしたら、それはどこかで本気ではないのではないかと思います。

後も先も考えず、今目の前にあるミッションに対して、目いっぱい熱狂して夢中で取り組んでいたら、それが中断したら無念で無念でならないはずなんです。いのちがけでやっていたら、無念で仕方ないはずです。

2017年6月 2日 (金曜日)

歯をくいしばる

向田邦子さんが「眠る盃」の中の「水羊羹」で書いているのが面白い。

水羊羹は、ふたつ食べるものではありません。
歯をくいしばって、一度にひとつで我慢しなくてはいけないのです。
その代わり、その「ひとつ」を大事にしましょうよ。

歯をくいしばることも
我慢をすることも
近頃の人々はあまりなく
忘れてしまったかもしれない

さりげないことだが
姿勢というのは正さねばならない
何故って 恥ずかしいから

2015年11月 6日 (金曜日)

花鳥の夢(山本兼一)から利休と秀吉の言葉

利休の言葉がいい。第八章最後にある。

性分でございますゆえ、お許し願いたいが、見せよう、見せよう、という気持ちの強い絵は、どうにも好みに合いませぬ。絵師がおのれの技倆を鼻にかけているようで、いかにも浅薄な絵に見えてしまいます

そして、秀吉の言葉が更に素晴らしい。(第九章P485、486)

そなた、悪相になったな

秀吉の命を受け東福寺法堂天井画を描きはじめる直前の永徳は、自分と格闘をしている。悩み苦しみ命をも削っている(…ことに気づかない)

なにごともな、すべてを一人で掴もうとすると、し損じる。わしの天下統一でも、すべての大名たちが従うわけではないぞ。従わぬ者を討伐しても、皆殺しにするわけにはいかぬ。生かして残してやらねば、連中は追い詰められて、死にもの狂いで歯向かってくるぞ

・・・

絵は、もっと楽しんでゆるやか描くがよい。長谷川の絵は、観ていて気持ちがゆるやかに楽しくなる。絵のなかに、観る者の居場所がある

2015年8月20日 (木曜日)

心は巧みなる画師の如し ─ 水のかたち(宮本輝)から

宮本輝の水のかたちのなかで、志乃子が

私ねェ、「心は巧みなる画師の如し」っていう言葉が凄く好きなの

-

心は画師の如し、じゃないのよ。
巧みなる、っていう言葉が付くのよ。
つまり、心に描いたとおりになっていくってことなのよ。
心には、そんな凄い力がある

だから、不幸なことを思い描いちゃいけない。悲しいことを思い描いちゃいけない。不吉なことを思い描いちゃいけない。

楽しいこと、嬉しいこと、幸福なことを、つねに心に思い描いていると、いつかそれが現実になる。お伽噺みたいだけど、これは不思議な真実だ

と語る。

「華厳経」の「唯心偈」に説かれた  「心は巧みなる画師の如く、種々の五陰(ごおん)を画き一切世界の中に、法として造らざるもの無し」

を引いているものだろう、とメモしておく。

2015年8月10日 (月曜日)

宮本監督(津商) ─ 頼まれごとは試されごと

基礎的なトレーニングをコツコツ続けることは、体づくりはもちろん、「無意識」レベルで正しく体を動かすためでもある。

「短い距離でのキャッチボールや、緩いゴロをたくさん捕ること。意識が、いずれ無意識になるように。意識、意識、意識、意識・・・とやっていくと、自然に無意識になっていく」(宮本監督)

『分かっていないのに、出来てしまっている』実はこれが一番よくないことなのかもしれません」
と宮本監督は言う。

そのために練習では、目的を明確にして取り組んでいる。

練習中、宮本監督が進行を止めて、「この練習のポイントについて分かる人は?」と選手に挙手を求めるシーンが何度も見られた。当てられた選手が、何に目をやりどう動くべきかを答える。

体が「決まりごと」通りに動くことも不可欠だ。

決まりごとは、投球がワンバウンドになれば「ゴー」、キャッチャーがボールを捕ったなら「バック」だ。

だが練習中、ゴーもバックもせず、二次リードの位置でつい止まったままになりがちな選手が厳しく注意された。チームとしては「ギリギリでアウトになるのは構わない」方針だからこそ、グレーゾーンを狭め、正しくアウトプットできる体にしておく。

決まりごとを言えないようでは、ゲームのときに役に立たない。話が聞けて、指示・発信ができるコミュニケーション力も大事です」
とは坂倉コーチの解説だ。

精度の高さは、意味を理解できるかどうか、役割への理解ができているかに通じる。

心が体を動かすということも、忘れない。生活に「考動力」を求める。

「中村文昭氏(飲食店・レストラン経営者) の『頼まれごとは試されごと。相手の予測を上回れ』という」話をする。

相手から使われる(頼りにされる)人になる。
部訓は「心豊かなれば技冴ゆる」だ。


「頼まれごとは試されごと」

こんな解説をしている人を見つけました。

人から何かを頼まれるということは、「この人は信用できる人間かどうか」を試されているのです。 頼む方だって、悪いなと思って頼んでいるのです。

頼まれた方が「面倒くさいな~」と思っていることは百も承知なのです。

それだからこそ、気持ちよく引き受けてくれることに感謝、感動して「この人は信用できる」ということになっていくのです。

2015年7月14日 (火曜日)

本心

そう、それでよろしいんや。本心いうもんは、人に明かすもんやあらしません。
(李歐 159ページ)


一彰はそれ以深く考えるの放棄したが、所詮、理性で突き詰めるに足るだけの意味はない。 突発的な歓喜の発熱だと思ったからだった。 熱である限りそのうち冷めるだろうし、熱が下がらなければ死ぬだけだった。
(李歐 180ページ)


(高村薫 まだ途中ですが)

2015年4月16日 (木曜日)

田園発港行き自転車

あの時、なぜ右の道を選んだのか。人生は、そんなことばっかりですよ。
宮本輝

田園発港行き自転車 書き出しから

私は故郷が好きだ。ふるさとは私の誇りだ。
何の取り柄もない二十歳の女の 私が自慢 できることといえば、あんなに美しいふるさとで生まれ育ったということだけなのだ。

黒部川に架かっている愛本橋の赤いアーチを見に行きたくなりますね。

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    記憶を記録として
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