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【語録選】

2019年8月20日 (火曜日)

「わたくしたちみんな、手間暇かけて、面倒臭い思いをして、子どもを育ててきたんだから。子育てだけじゃなくて、世の中を……前の世代から引き継いで、手間暇かけて、面倒臭い思いをして、それでも、自分なりに精一杯に良くしたつもりで、次の世代に引き継いだんだから」

 面倒をかける。迷惑をかける。

 神田さんの言うとおり、二つは似ていても、微妙に、しかし確かに違う。

「家族ってのは面倒で、手間暇がかかる。夫婦仲もそうだし、子育てもそうだし……歳(とし)を取るのや死んでいくのも、おそらく子育て以上に面倒で、手間暇がかかるんだ」


ひこばえ:431 重松清 第十七章 私は今日まで

2019年8月14日 (水曜日)

ちょっと立ち止まって考える時期もあれば、何も考えずがむしゃらに走っていく時期もある。その両方が人生を作っていくわけで、常に予測できない面白さがあるのが人生。

シンガー・ソングライター、竹内まりや


(語る 人生の贈りもの)竹内まりや:1 心はどこか「永遠のアマチュア」 朝日新聞 令和元年8月14日

2019年8月 1日 (木曜日)

「でも、そこがいいんですよ。最高です。間違いだらけの人生だから、自分史が盛り上がるんです。だって、正しさしかない自分史なんてただの自慢話じゃないですか」 「人生とは後悔なんですよ。やり直しができない人生で、どんな後悔があるのかが、自分史のキモなんです」

8月1日 ひこばえ (413)朝日新聞

2019年7月28日 (日曜日)

ぼくは何ひとつ芸術的なものを作れなかったけど「人生」という作品を今 作り上げようとしている

発言者:私

2019年7月21日 (日曜日)

(語る 人生の贈りもの)関野吉晴 (朝日新聞)から

(語る 人生の贈りもの)関野吉晴

旅や探検の醍醐味は、「気づき」


1 アマゾン通い50年、未完の旅

 旅や探検の醍醐味は、「気づき」。自分が普遍的だと思っていることが、実は他の人にとっては特殊なことだと分かる。そうすると物の見方が変わり、自分が変わることがおもしろいんです。

 エチオピアでは、ヤギやラクダを飼っている人に「もっと増えたらいいですね」と声をかけたら「いや、これを大切に育てるのが私たちの役目です」と言われた。足るを知る人たちなんですね。いま、「好きな言葉を書いて」と言われると、自戒を込めて「ほどほどに」と書いています。


11 こびない7歳、「かっこいいな」

 《グレートジャーニーの旅では、出会いにもこだわった》

 よく旅を布にたとえるのですが、移動を縦糸とすれば、寄り道して人と出会う横糸もなければ布にはならない。僕は横糸のほうが好きなんだけど、道草ばかり食っていると進まなくて、南米を出るまで2年かかりました(笑)。


10 我々は何者?問いながら進む

 旅をしながら「我々はどこから来たのか」とともに「我々は何者なのか」と考え続けました。他の動物とどこが違うんだろう、と。

 牙もなくて爪も鋭くなくて、皮膚も薄く、敏捷(びんしょう)性も劣る。こんなに弱い人間がなぜ生きてこられたのかが不思議でしょうがなかったんです。でも、四つ足の動物から見たら、二本足で立つ人間が大家族やコミュニティーを作り、集団でいると、大きく見えて、その上こん棒でも持っていると襲いにくいんじゃないか。だから弱いながらも生きてきたのだと思うようになりました。


9 太古の人類たどる、44歳の出発

 アマゾンで出会う人たちは、顔立ちが日本人によく似ています。僕は通い続けるうちに「この人たちは、いつごろ、どこから、なぜやって来たのだろう」という思いが募り、人類が世界中に拡散した道のりをたどってみたいという気持ちが強くなっていきました。


7 先住民族の地図、森と川の世界

 日本では電気、水道、ガス……と管につながれて暮らしていて、1本切れるとパニックになるけど、彼らは何にもつながれていない。自然の一部となって生きている。そうすると、自然への畏敬(いけい)の念や感謝が生まれます。目に見えない何かがあり、それを怖(おそ)れながら生きていく。そのほうが人は謙虚になり、自然をコントロールしようなどとは思いません。


6 「トウチャン」一家と付き合って

 《彼らと付き合う中で、先住民族に対する見方が変わった》

 日本でマチゲンガの話をすると、よく「彼らは何を楽しみに生きているんですか」と聞かれるので、同じ質問を返すんです。急には答えられない人が多く、しばらく考えて、「家族が仲良くて元気で、仕事がうまくいって、カラオケで歌ったり本を読んだり」と返ってくる。アマゾンにはカラオケはないけど、歌も楽器も踊りもあり、小説はないけど神話、民話がある。仕事=狩猟、魚取りがうまくいけばうれしい。最初は違いが目に付きますが、付き合ってみると、根本的には一緒だと気づきました。


3 失恋こそ大学時代に

《師にも恵まれた》

 国際私法が専門のあき場準一先生のゼミに入りました。ゼミ生は2人。僕が「あまり法律をやりたくない。文化人類学でアマゾンをやりたいんです」と言ったら、先生は「好きなことをやってもいいけど、やるなら真剣にやれ」と言われました。

 あき場先生の「すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる。学生時代は本を読め。友達を作れ。酒を飲めるようになれ。それだけやればいい」との言葉に感銘を受けた。後に武蔵野美術大で教えるようになり、学生時代にやっておくといいこととして「本を読む。友人を作る。恋をする」という言葉を贈ったことがあります。恋というより、失恋しろと言いたい。失恋すると奈落の底に落とされた気分になるけど、勉強になる。失敗って非常に大事なことだと思うんです。失敗すると、必ず反省して真剣に物事を考えるから。


2 渡航自由化「あ、行けるんだ」

でも文化も自然も全く違うところに行けば、自分がよく見えるし、自分が変わるかもしれないと思ったので、入学後しばらくして探検部を作りました


 

2019年7月19日 (金曜日)

人との距離感が変わってきた

「人間関係や恋愛に臆病になったことの理由の一つに、本を読まなくなったことがあると思います。恋愛を知り、憧れを募らせるとか、世の中にはさまざまな人間がいて、いろいろな考えがあることを知るのは、読書から学ぶ経験が大きいと思うんです。」

*

 「『誰かを知る』ということの意味が変わったように思います。相手の話を聞いて少しずつ相手との距離を縮め、その像を形作るという作業が『知る』でした。今はネットで誰かの情報を7割も得たら『相手の人生をつかんだ』と錯覚する。だから相手をこうだと決めつけ、感情むき出しで極端なことを言える。でも現実の女性との関係や人生には臆病なんです」


(インタビュー 新時代・令和)野心も欲望も薄いよ 作家・林真理子さん (

2019年6月18日 (火曜日)

旅や探検の醍醐味は、「気づき」

 旅や探検の醍醐味は、「気づき」。自分が普遍的だと思っていることが、実は他の人にとっては特殊なことだと分かる。そうすると物の見方が変わり、自分が変わることがおもしろいんです。

 エチオピアでは、ヤギやラクダを飼っている人に「もっと増えたらいいですね」と声をかけたら「いや、これを大切に育てるのが私たちの役目です」と言われた。足るを知る人たちなんですね。いま、「好きな言葉を書いて」と言われると、自戒を込めて「ほどほどに」と書いています。


(語る 人生の贈りもの)関野吉晴:1 アマゾン通い50年、未完の旅

 


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  1. 関野 吉晴 グレートジャーニー―地球を這う
    者〕、マスコミやTVメディアが取材した。関野吉晴さんは、1993年に、南米ナバリーノ島を発ち2002年にアフリカのラエトリに到達し冒険を終えた。関野吉晴著:ち...
  2. 音楽篇 (1)-(6)
    した。─ ─ ─ ─【きょうの買い物】○関野吉晴著グレートジャーニー地球を這う ユーラシア~アフリカ篇筑摩書房 \950○遠藤周作著女の一生(上・下) \70...
  3. Patagonia Autor: Federico B. Kirbus 〔2003年9月初旬号〕
    に興味を持ったのは、グレートジャーニー(関野吉晴著/No121で紹介済)を読んだからであった。まだ関野さんの著作が強烈な印象を残しているときに、手元に「Pat...
  4. いきいきと三月生る雲の奧  飯田龍太
    雨の日は読書などいかがでしょうか。以前、関野吉晴著 「グレートジャーニー ─ 地球を這う」という本を紹介したことがあります。 約400~500万年前にアフリカ...
  5. ねぶか  <2月中旬続号>
    るな、と感じますね。 最近の語録から、関野吉晴さん。 「移動したという達成感が旅の中心じゃない。彼らの考え方やものの見方を学びたかった。彼らの社会は進歩優...

2019年3月22日 (金曜日)

イチロー引退

イチロー引退


「こういうときに思うのは、別にいい結果を生んできたことを誇れる自分ではない。誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね」



イチロー引退


 

2019年1月20日 (日曜日)

「あと数年で死のときが来るので、その日が待ち遠しい」 車谷長吉

 修行僧のような風情と言われることもあるが、失礼ながら筆者は任侠の世界に属する人の匂いを感じてしまった。作家の車谷長吉さんが文壇に登場した時に受けた印象である。ごく短い髪、鋭い目、こけた頬に、どこか捨て身な気配が漂っていた30代の大半、関西を転々として過ごした。料理場の下働きなどをしたが、極貧だった。「泥の粥」をすすって生きるような「世捨て」の時代だ。この経験がなければ「物書きという無能者」にはなっていなかったと振り返っている金貸し一族の物語「鹽壺の匙」を表題作とする作品集で三島由紀夫賞を受けた。時に47歳。自分自身の骨身に染みたことを、骨身に染みた言葉だけで書く。反時代的と言われようが、私小説でおのれの存在の根源を問い、代表作の『赤目四十八瀧心中未遂』に結実させた変人といっていいのだろう。「私は原則としてズボンの前を閉めない」と書いている。原則、の2文字がなんともおかしい。48歳の時に結婚した詩人の高橋順子さんから「卦ッ体な人」と呼ばれたのも無理もない本紙「悩みのるつぼ」の回答者としても異彩を放った。小説を書きたいという相談に、善人には書けないと答えた。作家は、人に備わる「偽、悪、醜」を考えなければいけないのだから、と。それは車谷さんの自負だったろう5年ほど前に書いたエッセーに「あと数年で死のときが来るので、その日が待ち遠しい」とある。予感があったのだろうか。69歳での旅立ちだった。

2014年5月20日 天声人語


2015520

2018年1月 5日 (金曜日)

星野仙一 七十歳 (一月四日)

天地人 1/7

 スポーツ選手には、そのプレースタイルや外見などからさまざまなニックネームが付けられることがある。それが付けられれば、超一流の証しと言ってよいのかもしれない。

 よく知られているのは外国のサッカー選手だろうか。ペレ氏は「王様」。「皇帝」はベッケンバウアー氏。プラティニ氏は「将軍」と呼ばれた。「空飛ぶオランダ人」はクライフ氏だ。野球界で「ミスター」といえばもちろん長嶋茂雄氏。「トルネード」は野茂英雄氏。松井秀喜氏は「ゴジラ」だった。

 プロ野球中日のエースとして「燃える男」、その後、中日、阪神、楽天の監督になってからは「闘将」と称されたのが星野仙一さんだ。気迫を前面に出し、特に「宿命のライバル」と呼ぶ巨人戦ではめらめらと闘志を燃やした。

 数々の名シーンがあるはずなのに、小欄がなぜか真っ先に思い出すのは、あの「ヘディング事件」。グラブをたたきつけて悔しがった、そのときの投手が星野さん。1981年の巨人戦、遊撃後方のフライを中日の選手が頭にぶつけて捕球できず完封を逃したのだ。

 いや、しかし何と言っても忘れられないのは、2013年に楽天を初の日本一に導いたこと。東日本大震災の被災地東北が歓喜に沸いた。星野さんの訃報がきのう伝わった。本県のゆかりの人からも惜しむ声が漏れた。70歳。あまりに突然で、あまりに早過ぎる。

…………

談話室 1/7

明治大野球部のキャプテンにはグラウンドの外でも三つの役目が課せられた。合宿所の便所掃除と監督の車の運転手、チームについての意見具申である。名将島岡吉郎監督(故人)の考えに基づく厳格な習わしだった。

「人が嫌がること、つらいことこそ先頭に立って上の者がやるべきなんだ」と便所掃除の初日、監督はたわしと雑巾を持ち手本を示す。運転手役は礼儀や言葉遣いなど気配りの修養になる。監督室を毎朝訪ね、その日の練習や試合のオーダー編成といった意見を申し述べる。

多くの逸材を輩出する名門で星野仙一さんは主将を務めた。熱血指導で島岡イズムの薫陶を受け、野球人の「原点」を学び、「指導者としての哲学」を培った。「厳しさと激しさの中でこそ人は伸びる」。著書「勝利への道」で「オヤジさん」と慕う師の姿に自身を重ねた。

闘志むき出しでマウンドに立つ「燃える男」、チームを率いて栄光に導いた「闘将」は鮮烈な記憶と球史に大きな足跡を残して永逝した。プロ野球楽天を日本一の座に押し上げ、東日本大震災の被災地に元気をもたらした「本気の男」は天上で、恩師と何を語らっているか。

…………

正平調 1/7

中日のエース時代、星野仙一さんはけがに苦しんだ。痛めたひじが、あるとき赤くはれ上がっていた。聞けば、ハチにわざと刺されたのだという。

ミツバチの針に刺されたら血行障害が治る。そう聞いてハチをピンセットでつかみ、ひじに当てたのだと。投げて勝つことに命をかけた男の執念だろう。本人からの告白談を、野村克也さんが後に明かしていた。

突然の悲報である。星野さんが70歳で急逝した。“燃える男”と“闘将”と。二つの異名がこれほど似合った人をほかに知らない。語るべき評伝はあまたあるのだろうが、ふと頭に浮かんだのがハチの話だった。

阪神の監督時代には、「あしなが育英会」のステッカーを選手のヘルメットに貼ることを提案している。震災や病気で親を亡くした子どもたちを支援する同会には、ステッカーの効果で寄付の申し出が相次いだ。

〈人の半分は後姿です〉。昔の広告コピーを思い出す。けがと勝利の重圧に独りもがき、未来ある子どもたちにはそっと手を差し伸べる。華やかな舞台の陰で見せた、星野さんの後ろ姿に教えられたことは多い。

18年ぶりの阪神優勝で関西を元気づけてくれた人である。ありがとう。天上へ旅立っていく背番号「77」に、今はまだほかの言葉が見つからない。

…………

滴一滴 1/7

「燃える男」と呼ばれた星野仙一さんは倉敷市水島で生まれ育った。「私の闘志を培ったのは、田舎者で、決して野球エリートではないという自覚によるものではないか」。そう著書に記している。

工場の技師だった父は星野さんが生まれる前に病死した。母は工場の寮母をしながら3人の子どもを育てた。「周りの人を大事にしなさい」。それが母の口癖だったという。

負けん気や親分肌を示す逸話は子ども時代から事欠かない。けんかの強さで知られ、理不尽な上級生には一人で向かっていった。一方、後輩や仲間の面倒見はよく、小学6年の時は難病で歩けない同級生を背負って登校した。

野球をするように勧めたのは母だった。体が大きく、気の強い息子が横道にそれないよう、心配してのことだったという。高校時代、甲子園出場はかなわなかった。その悔しさが「今の自分をつくった」と語っていた。

野球人生を振り返り、自らを「幸運な男」としばしば称したが、幸運は逆境に耐えてこそ手にしたものだろう。中日の監督時代には、妻が白血病で亡くなる試練もあった。

昨年11月には帰郷し、野球殿堂入りの祝賀会で見せた笑顔を覚えている人も多かろう。突然の訃報を信じられない思いで聞く。1年半前から闘病中だったという。最後まで「星野仙一流」を貫いた、その強さを思う。

…………

地軸 1/7

 悲報に涙を流す市民の姿があった。ありがとう―。東北の地から寄せられるたくさんの感謝の言葉に、その存在の大きさを改めて知る。

 球界の「闘将」星野仙一さんが、人生のグラウンドから去った。楽天の監督就任1年目に、本拠地が東日本大震災に見舞われた。闘志むき出しのプレーと采配で沸かせた「燃える男」は、被災地を思いやる「情の人」でもあった。

 避難所を訪ね、災害臨時ラジオで共に乗り越えようと語り掛けた。見えない明日を前にどうすべきか自問自答。諦めないで戦う姿を見せることで希望を、と誓った。

 「選手はこれまで優しさを被災者へ届けたが、今年はさらに強さを与えたい」。2013年、オープン戦で松山を訪れた際にはこう語っていた。そして、まさにその年、日本一を決めた。仙台の雨の球場で、仮設商店街で、集会所で、抱き合って涙を流す被災者やボランティアの姿が胸に残る。

 岩手、宮城、福島3県では今も1万5千人余りがプレハブ仮設住宅で暮らす。ふるさとに戻れない避難者は8万人近くいる。復興への道は、まだ遠い。

 福島県南相馬市では先月末、津波に耐え、住民の心のよりどころとなっていた「かしまの一本松」の命の灯が消えた。だが、そのそばには一本松の種から育てた苗木が植えられるという。希望の光は受け継がれる。「諦めない」星野さんの思いもまた、人々の心を照らす光となって、つながれるに違いない。

…………

小社会 1/7

 安芸市があれほど熱狂に包まれた日々がかつてあっただろうか。星野仙一さんがプロ野球阪神の監督に就任した2002年の春。キャンプ地タイガースタウンのにぎわいは今も語り草である。

 

 安芸球場は観客が1万人を超える日が続き、市内のホテルや旅館は報道陣で満杯。このため周辺の駐車場で車中泊する県外客が続出した。球場前のコンビニエンスストアの売上高は全国の系列店の中で上位を記録。

 

 商店街は監督の名前にちなんだ千一円セールを展開した。商品や宣伝に知恵を絞って売り上げを伸ばすなど波及効果はすごかった。「闘争心を燃やせ!」「もっと元気出せ!」。グラウンドに響く激しいげきに、市民まで奮い立たされているように感じたものだ。

 

 星野阪神になってから、安芸キャンプが縮小されるといった残念なこともあった。それでも低迷久しいチームを03年にリーグ優勝させている。言うことは言うが結果もしっかり残す闘将だったと、訃報に接して改めて思う。

 

 楽天の監督だった13年には日本一に導き、東日本大震災の被災地を盛り上げた。東北だけじゃない。夢を諦めず、挑戦し続ける姿勢に、どれだけ多くの人が勇気づけられたことだろう。

 

 星野さんが再び阪神監督となり、安芸球場に立つ姿を想像する。「うつむくな!」「元気を出せ!」。疲弊が進む地方で暮らす一人として、背筋をぴんとさせるあのげきをもう一度聞きたかった。

…………

水や空 1/7

私事にわたって恐縮だが、長崎に生まれ育ったのになぜか「寝ても覚めても中日ドラゴンズ」という熱狂的ファンを身内に持ったせいで、「燃える男」の活躍にも派手な言動にも、知らず知らず目や耳が向いた気がする。

新春の夢を思い描く松の内に、好きな言葉は「夢」という星野仙一さんの早すぎる訃報を聞く。70歳。中日と阪神をリーグ優勝、楽天を日本一に導いたのだから「闘将」という前に「名将」と呼ぶべき人だろう。

阪神を引っ張ったころのオフ中、ベテランの多くを自由契約にして“血”を入れ替えた。非情と呼ばれたその裏に「何としても勝つ」の信念が張り付いていたとすれば、ああ、やっぱり「闘将」なのだと思い至る。

プロ野球にげきを飛ばしたことがある。「必死でやってくれたらいいの。ホーム(本塁)でさ、バーンとぶつかって、けんかになるでしょ? それでいいっていうの」

何かと無理はせず、ほどほどに、角を立てず-と自制が重んじられる昨今、必死でやれよと叫び、必勝を期して実際に勝ってみせる人の存在が、今にしてずしんとくる。

楽天が日本シリーズを制したとき、大震災の被災地に必死の末の「V」をささげた。燃え上がるほど熱いだけではない、苦しむ人たちの肩に温かな手を置く“ほっかほかの人”でもあったろう。

…………

有明抄 1/7

現役時代は不動の強者・巨人に臆せず立ち向かった。監督となっては選手を鉄拳で鍛え、審判に激しく詰め寄る…。人呼んで「燃える男」、星野仙一さん。この“熱い血”のルーツはどこにあったのだろう。

「お父さんがいる子には絶対負けない」「家の中でたった一人の男なのだから、いつもちゃんとして何かあったら一番頑張る」―。星野さんの小学生のころの誓いである。母親の胎内にいる時に父親が病死し、姉2人の母子家庭で育った。

母親は工場住み込みの寮母として働き、3人の子どもを大学に進ませる。星野さんは、大学時代に母親から毎月送ってもらった書留封筒と手紙の束を、ずっと大切にしていたという。明治大野球部では、スパルタ教育で名をはせた島岡吉郎監督に出会う。

島岡さんから「命懸けでいけ!」「魂を込めろ!」「誠を持て!」―の三つの教えを徹底的に仕込まれたと自伝『夢』に記している。星野さんは島岡さんに、知らない父親像を重ねていたのかもしれない。厳しさと愛情。それは、星野監督そのものだ。

その星野さんが70歳で亡くなった。投手としては、意外にも146勝にとどまり、監督としての評価が高い。「若者を育てていくことは男のロマン」と語っていた星野さん。精魂込めて育てた野球人たちの中に、いつまでも生き続けることだろう。

…………

河北春秋 1/7

試合に敗れた翌朝はどうしても寝覚めが悪い。采配を振ったわが身を責める。「チクショー、この野郎」。そんなとき、仙台市中心部の自宅マンションからいつも散歩に出た。「東北大の片平キャンパスから広瀬川沿いへ出て山並みを見る。これがいいんだ」

街角では行きつけのとんかつ屋のおじさんが店の奥で開店準備をしている。鮮魚店は仕入れ魚を忙しく店頭に並べている。「『ヨッシャー』と思う。息遣いを感じて、俺、この人たちのためにも街のためにも頑張ろうって思ってくるんだよ」

享年70、星野仙一さんの訃報に接し、生前伺った話を思い起こしている。スポーツ部に在籍していた頃、ちょうどプロ野球東北楽天の監督や球団副会長だった。沈む心を闘争心に変えてしまう「燃える男」のパワーの源は街と人であると知った。

中日での鬼気迫る投球、中日と阪神を指揮してリーグ制覇、そして東北楽天で日本一と、まばゆいばかりの大輪が咲いた歩みのなかで、仙台での散歩はささやかな道端の露草だったか。だが、それは「俺は二流投手」と言っていた野球人がユニホームにそっと挿した花だったと思えてならない。

露草の花言葉の一つは「懐かしい関係」という。東北で誰が忘れよう、背番号77。きょうの七草がゆは何と苦いことか。

 

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