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【イマージュ】

2020年7月17日 (金曜日)

「トルコキキョウというんです」 と教えてくれた

ロビーの片隅に置かれた花台の前で生け終わった花に手を差し伸べて小首を傾げてそっとしている

その後ろ姿が遠くにいるところから目に止まりじっと捉えたまま近づいて行った

 

「しっとりと落ち着きましたね」

と肩口から小さく声をかけると

「トルコキキョウというんです」

と教えてくれた

 

八月のある日

季節感のない職場の陽の当たらない廊下のその場所に花が咲き

昔からそこにこんなワンポイントがあったかのように空間を落ち着かせる

 

エレベーターから吐き出される人の波が通り過ぎざわめきが響くときも

人が去った後の静まり返ったコンクリートの冷たい壁に迫られているときも

 

花はニコニコと揺らいでいるように見える

 

あの人が生けてくれた花だからなのか

あの人が元気になったからなのか

八月があの人の誕生日のある月だからなのか

 

花の名前を繰り返し口ずさみながら席に着くときに

少し離れた自分の席に戻ってゆくその人の姿見えた

 

後ろ姿でよかった

真正面なら目のやり場に困ってしまうところだった

2020年7月14日 (火曜日)

つむじ風

どうしてもあの人に

届けたい言葉があって

 

でもそれはきっと

叶わないことなのだとわかっているのに

もしも届けることができたらと考えてしまう

 

そんな言葉がもしもあの人に届いたとしても

つむじ風が起こってシャボン玉が散ってしまうように

瞬間に言葉は破裂してしまうこともわかっているの

 

だから

 

言葉は届かなくてもかまわない

届けたいくせに諦めてしまう

 

私は意気地なしでもないし

根性無しでもないけれど

 

だから

つむじ風になって

あなたのところに飛んで行ければいいの

 

2018年10月 2日 (火曜日)

あの人はそっとわたしのそばを通り過ぎたのでした

もう一度

あの人のそばを

 

あの人に気づかれることなく

吹いてゆける風になりたい


あの日の風になりたい

あの日の風に戻りたい

そう 

つぶやいてみた日記が見つかった

 

あの人の

あの日の

風とは

いったい

何者だったのだろうと

残された日記を見て

わたしは考える

 

きっとわたしは

誰かにひとつのことを

知らせたいと思ったのだろう

 

これは告白のようなものではなく

祈りのようなものでもない

 

山帰来

では

と考えてみる

 

熱い情熱を燃やし尽くすための

揺るぎなくパワフルなものが
わたしに備わっていて

 

あのときその力を使い果たすことができていたら

わたしはふたたび風になりたいとは考えなかったに違いない

 

風は気まぐれでなくてはならない

ゆくあてもなくさまよえる自信があったのか

 

あの日あのときに

風であったわたしは

強くて逞しかったのだ

 

だから

あの日の風には戻れない

 

---

 

【イマージュ】

2015年6月13日 (土曜日)

封じる

封じる

 

横なぐりの雨が暴れた夕暮れに
凪の入り江を見下ろすの

汚れたガラスを越してみえてくる
色をなくした波のゆらめき

焼け焦げてピンクに染まった反対の空を
飲み込んでしまいそうな暗い海と闘いながら
時間を刻む

君がここにいたならば
扉を閉めて君を封じ込めて

海に沈んでしまいたくなるだろう

濡れて汚れた君を
僕のものにしたいと願うだろう


後ろ姿

 

ディーゼルカーが行き違うために
ほんのわずかの時間だけ
長めに止まる駅で
いつも向こうのホームにいて
到着する列車を待ちながら
ベンチには座らずに
こちらには背中を向けて
立っている女の人がいた

毎日
必ずその列車の決まったドアの前に立って
必ず同じところに乗る

その人は雨でも風でも居て
毎日同じ後ろ姿で
足をクロスさせて
まっすぐに立っていた

いつも必ずスカートで
冬でもブーツの姿を見かけたことがなかった

一年も二年もその後ろ姿を見つめながら
その人がいるホームとベンチと滑り込んでくる列車の
決められたストーリーを
こちらのホームに停まる列車の中から
わたしは見続けていた。

ところが
たぶん
今年の春あたりから
見かけなくなってしまった

あの人は
こちらを一度も振り向いたこともなかったので
顔もわからないままだった

ホームとベンチのあたりが
やけに寂しい


迷路ごっこ

 

わたしは
どこか
戻ってゆけるところを
さがしつづけている

 

 

 

果たして
そんなものやそんなところが
この世にあるのだろうか

 

 

 

そんなつもりで
これまで生きてこなかった

 

 

 

しかし
もしも
そのつもりで生きてきて
周到に準備をしたものがあったならば
それは味気ないもので
戻れるようなものではなかっただろう

 

 

 

わたしは
戻るところを探しながら
迷路ごっこのようなことをし続けるのだろうか

 

2014年4月 8日 (火曜日)

ないしょの話

春の花が散ってしまって
また新しい花が
風に揺られている。

 

わたしは
ないしょの話ができる人を
探してたのかもしれない。

 

数々の失望と大きな希望を抱きかかえて
それがばくんばくんと音をたてるほどに激しく鼓動をしているのを
我慢できなくなってくると

 

ほら、
ないしょの話だといって耳に口を近づける。

 

あなたは
頬にキスされてもいいほどの距離に
耳を近づけて

 

うんうんとこたえる準備をした細い涼しい目でわたしを見る。

 

惑わしながら、ふるえる視線。
ないしょの話は、始まる前からドキドキで
わたしの影は真っ赤になっている。

 

 

自分がドンドンとつまらなくなってくるような気がしていた。

 

それは、言ってみればわたしの中から「ときめき」が失せていっているということではないかと考え続けている。

 

季語だって同じで、俳句を愉しもうとそういう人たちの流れのなかに身を投じてみるものの、お遊戯会のように季語をテーマに詠んでいるだけじゃ、どこかに不満を持ち続けている。

 

わたしは、スリリングでドラスティックな展開を望み過ぎているのだろうか。

 

 

ぼんやりと田舎道を車で走っている時には止め処なく演歌のような歌詞や音楽が出任せに浮かんでくる。 でもやがて目的地に到着すればカラリと忘れてしまう。わたしの頭のなかはどうなっているのだろうか。

 

ないしょの話をしようと思ったのはいいけれど、惹きつけるパワーにちょっと自信をなくしかけているかも。

2013年11月 2日 (土曜日)

わからぬまま

本当に好きだった人とは
実は本当に好きだったのかどうかさえわからないままで
別れなくてはならないのかもしれない。

確かめることも出来ずに
そしてわたしの気持ちとしては
好きだったのに引き裂かれてしまう悲しみに苛まれながら
そこで流す涙を
誰にも理解してもらえないままで
その場を去らねばならない。

事件か
事故でもない限り
そう簡単には物事は崩れないと
安易だったのかどうか
そう考えていた。

しかし、

そうでなくとも簡単に瓦解することもあるのだ。


と、
そんなメモが見つかった。

2013年9月22日 (日曜日)

日暮れ

夕焼けに
カラスの1、2羽悲しそう
鳴いて悠々、飛んでゆく

今宵、まあるい月が出て
母の丸めた月見の団子
おころと呼んでお供えに

熱燗恋し秋の日暮れ
内緒の話をひとつ聞かせましょうか

満月

 

おころ丸め今年も秋を迎えをり

2013年9月17日 (火曜日)

十三夜

月が東の空に浮かんでいて、白い光を柔らかく放っていたのをチラリと見ただけだというのに、その足で部屋に入ってペンを持っても、そこには駄文を書くことを許さないような張り詰めた強かさがあったのだった。

弱気になって、ほろりと本音を書いてみたい夜だってあるだろう。でも妖気はそれを許さないで、貴方はゲーテのように熱く語ってくれればいいじゃないかと、わたしに語りかけるようだった。

ある夜に激しい愛が、私を束縛したことがあったように、何かがわたしを、冷気を含んだピュアな眼差しで見つめている。

十三夜もしもあなたを盗めたら

 

2013年3月13日 (水曜日)

口笛を吹いても波で立ち往生 三月或る日

▼口笛を吹いても波で立ち往生

 

と書いて置いて、しばらく時間が過ぎている。

 

春の海は柔らかい陽射しを浴びて、繊細なさざなみを揺らせながら、きらきらと輝いているのだろう。コンクリートの堤防を駆け降りて、大粒の砂利浜を当てもなく歩き、波のゆくえに浮かぶ鯛の養殖筏のほうをみて、静かな海やね、と語りかけたのかもしれない。

 

沖の静かな海原を探せば必ず小さな漁船が通り過ぎてゆく。季節はいつだったのかまでもしっかりと記憶しているのだが、私はあの海のあの風景から季節感を取り払ってしまい、永遠のメモリーの中に放り込みたいと願ったのか。

 

それは無意識のことで、蜜柑の花の香りが谷を覆い尽くしていた時期だったと今ここで白状しても構わないが、もしもあれが春のヒバリの高く啼く今の季節だったとしても、おそらくさざなみは無表情に揺れ続け、私はあの人の後ろ姿に何も声をかけることができず、口笛も音になって響くことはなく、全てが終わって行ったのだろうと思う。

 

あれから幾年もの歳月が過ぎても、あの海の姿に変わりはないのだろう。人の心だけが廃れてゆくのか。

2013年2月 8日 (金曜日)

海へ

私の書いた一通の手紙は小舟に乗せられて大海原に流されてゆく迷子の祈りのように波濤の合間をゆられて沈むことなく彷徨い続けるのだろう。

 

苦しく辛い夜を過ごしながらひたすら誰かの手に拾い上げられ明かりに触れることを願いつつ、しかしながらやがては波にのまれて海の藻屑と消えるのだろう。

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