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(追憶) 居酒屋・鶴さん

2010年9月16日 (木曜日)

終楽章が書き出せない


終楽章が書き出せない 【鶴さん・ひろちゃん】

4月の初旬から、
「鶴さん」と「ひろちゃん」の続きを書かずに置いている。

物語の最終楽章は、決してグランディオーソ(grandioso)をフォルテシモで駆け抜けようと考えているわけではない。
むしろ、私にしたら大きく息を吸って勢いよく書き出しながらも、繊細で震えるように消してゆきたいというように、考えていたこともある。

しかし、
そう簡単には書き出せない。
いつまでたっても、最終楽章に取り掛かろうという気持ちになれないまま、幾日もが過ぎてゆく。

ストーリーは、わかっているし、決して面白いものでもないのだから、そそくさと終わらせてしまいたい。
・・・・というものの、自分に納得のゆく余韻が得られないのだ。

---

理由は簡単だ。

物語が終わってしまえば、再び生き返ることがない。

中途半端でもいいから、このままで「続く」としておきたいと、私は心のどこかで思っているのだろう。
終わりのないドラマにしておけば、いつまでも夢の中を彷徨えるのだから。

どうしようもなく眠れない夜に、身体の髄まで酔いしれてしまったならば、書き出すことが出来るのかもしれない。
静かな夜が、あらゆることを思い出させてくれるという、魔術に似た力をくれるような気がする。

Tags:見つめる 勇気

| 2007-05-03 18:31 | 深夜の自画像(詩篇) |

2010年7月24日 (土曜日)

別れの風景 (みちくさ バージョン) 

時刻は午後四時を回った。最終バスが岬の先端から小樽の街に帰ってゆく時間だ。
「もう帰らなきゃ」
女の子は、そう私に教えてくれる。しかし、私は帰りたくなかった。自分でもこれと言えるような理由などなく、ただ、わがままを押し通したかった。だから、今夜に泊まる宿屋のことも、駅までのバスの時刻のことも気にしていない素振りをしていた。
旅に出て初めての衝動だったかも知れない。彼女から離れたくない気持ちが私のさまざまな不安を吹き飛ばしてしまっている。
女の子は続けてしゃべった。
「早くしないとバスがいっちゃうよ。」
そう言ってくれても、私は
「ヒッチハイクで帰るから」
と答えて、強引に彼女のそばを離れようとはしなかった。主題のある話をするわけでもない。名前を聞くわけでもない。顔をじっと見つめたわけでもない。私の身体は、自分の理性や抑制心を無視して、その子の発散してくる新鮮さをひたすら掴もうとしていた。心が持ち合わせている本能、それが身体全体を支配して、私は金縛りにあったようにその場所にとどまっていた。
そこはバス停の前の小さな売店だった。その店の中をウロウロとしながら、私は、女の子に何か他愛もない話を続けた。そうしながら最終バスを見送った。売店のその子はとても愛想が良くて、止め処なく話相手をしてくれる。私が去ってしまえば私のことなどその場限りで忘れ去ってしまうかも知れないのに…。
真夏の太陽はまだ暮れるほど落ちてもいなかったけれども、ひとしきり話した私は、彼女と「さようなら」をしなくてはならない時刻がとうに過ぎていることを知っていた。何とかなるだろう、という気持ちでヒッチハイクを決心していたのだ。そんな勇気が湧き上がったのも、すべて、私を動かしたあの衝動であったのだと思う。止まってくれる車を幾台も乗り継ぎながら小樽駅に辿り着いた時にはすっかり日が暮れていた。
名も知らぬ彼女に私の気持ちをどうにかして伝えたい、どうしても伝えたい。ヒッチハイクの不安から解放されたときに再び私を襲ったのは、たった今まで私の前に居たあの子の面影だった。
手紙を書こう、と考えた。小樽駅の売店で葉書を買い、しかし、手がかりは何もないままで深く深く悩み、待合い室でひたすら思案に暮れた。

結局、苦肉で思いついたのが「北海道中央バス終点、余別駅前の売店でバイトをしていたメガネをかけた女の子様へ」と宛名に書くことだった。きっと誰かが届けてくれるだろうという期待に胸がドキドキした。それをポストに投函して、私は何度も何度もポストを振り返った。
行くあてのないさすらいの旅だからこそ大きな道草を食えた。金はない。今夜の宿のあてもない。そのまま夜汽車に乗って最果ての街、稚内まで揺られることにした。それから二週間あまり、手紙を投函したことなどあっさりと忘れてしまって、ひとりの旅が続いた。
釧路の大地を走るディーゼルカーの中で相席になった女子高生に「○○○大学ですか?プロポーズ大作戦に出して!別海町の小林商店です。一軒だけしかないから」と誘われたりしながら、ヒッチハイクと汽車を織り混ぜて、スリルに満ちた必死の旅はしばらく続いた。
しかしある日、急に私を寂寥感が襲う。無性に一人が寂しくなって「帰りにはあの漁村のあの売店にもう一度寄ろう」という想いを秘めながらも、ポイと夜汽車に飛び乗って、私は北海道を離れてしまうのだ。
もう逢えないだろうな…という重く苦々しい寂しさ。旅の思い出がしっとりと私を包み込み始めている。汽車の窓の向こうは真っ暗闇だ。集落なのだろう、小さな灯かりが時より過ぎてゆくのをぼんやりと眺めているうちに眠れぬ夜が更けてゆく。早朝、夜行列車は上野駅に着いた。衣類は汚れ、髪はボサボサ、新調したズック靴はボロボロでほつれかけていた。これが貧乏旅の象徴だったのだ。
半月ぶりに我が家に戻り玄関を開けると一通の手紙が置いてあった。それは、四年間でダンボール箱一杯になるほど書いた手紙の第一通目だった。このあと、一度も北海道を訪れず、四年という歳月を経て東京に就職した彼女と私は再会を果たします。卒業。辛い別れ…。

そんな物語は、あのときの「みちくさ」が始まりでした。

---
一部、第26話と重なります。

2010年7月17日 (土曜日)

それは広くて深い湖の底に沈んだ泥に埋もれた宝石箱を探すようなものだ  [第62話]

2008年 10月 29日

鶴さんを見つけたい。でも、それは広くて深い湖の底に沈んだ泥に埋もれた宝石箱を探すようなものだ。なのに、そんな想いが湧き上がってくるときは、少し酔っているときではなく、珍しく深夜に、静かに椅子に座ってペンを持ったときであったりする。

ああ、いやだ。叶うことのない願望を追うのは嫌だ。メソメソした自分が強烈に嫌いになる。(でも、いたわってやりたくもなる)

私は嫌なことを想いながら酒は飲まないので、鶴さんの夢を追いながらマイナスなことは考えない。全てプラスに変えて酒を飲む。

そういえば、いつからか、酔わなくなってしまった自分が寂しい。酔いたいことだってあるさ、ねえ。

---

大学のクラブ活動OBの事務局さんの計らいで、私のメールが鶴さんの元へと転送されるという、あの話のときはまさに目の前がバラ色だった。ほんとうの喜びを得たときというのは誰にも打ち明けることの出来ないものなのだ、ということを知ったのだった。

だから、あのときは、きっときっと私あてに返事のメールか手紙が届くはずだ、と、そんな揺るぎない確信を持った私であったが…、何の連絡もなく1年、2年と時間は過ぎてきた。

事務局さんがあれほどまでに快く引き受けてくださったメール転送であったのだから、まさか転送が上手く行かなかったとか、転送を忘れていたとか、(失礼かもしれないが、)あれは返事だけで実はプライベートなことに事務局は関わってはいけないというルールがあって転送作業がまったくなされていなかった、とかは考えてはいけないのだ。それでも、考えてしまう。

正直、今でも、信じがたいものがある。鶴さんが私のメールを見て理由もなくそのまま放置することは、間違いなく有り得ないと思う。だったら、メールが届かなかった、ということになるのだから。

ほんとうに鶴さんは、自分の意志で私への返事をやめてしまったのだろうか。

---

いつか、銀座の街のどこかを歩きながら、
「一番星だ。あれは願い星って言うんだよ。それで、その隣の二番目の星は叶え星なの」
と話してくれたのを思い出す。

あれも秋の夕暮れだったかも知れない。きっと、今も、鶴さんは広い日本のどこかで、私が見ている真っ赤な夕日と同じ夕日に顔を赤く染めて空を見上げているのだろう。この「鶴さん」シリーズを書き始めた理由のひとつは、この広い世界のどこかで、もしかしたら鶴さんがこのブログを読んでいたら、このブログが目にとまったら、鶴さんは私に必ず手紙をくれるだろう。

もしもこの「鶴さん」シリーズが本になって出版されて、書店の棚に積まれたら、私のことを思い出してくれるだろう。

そう思って書き始めた。しかし、万事休すかな。

終章 その4  -ネオン消えバンダナ赤し夏の夜-  [第61話]

2008年 04月 12日

ネオン消えバンダナ赤し夏の夜 ねこ作

もともと、この物語は「出会いの風景」で始まり「別れの風景」で終わる4話ほどを考えていた。しかしながら、書き綴りながら、鶴さんと織り成した数々の別れや出会いが増幅されて、甘味が加わっていった。自分のために悲愴感を絞ってみたり明るく泣いてみたりしてしまった。

どれだけ飲んでも酔いつぶれることのない私が一度だけ苦しいほどに飲んだ夜があったように、いっそうこのまま全てを吐き棄てて終えてしまいたいという激情に似たものがこみあがっていたのかもしれない。

いいえ。
美味くない酒はいっさい飲まない私であるから故に、酔うほどに身を任せることなどありえない。

そう。
ここで得られる仮想空間を鶴さんと旅して、私は夢心地をしばらく楽しんでいたのだろう。それは、初めて酒を飲んで酔うことを知った夜のように、うぶで柔らかく、純白で欲のない自分であり、私はそこに帰ってゆこうとしていたのかもしれない。もたれかかったその胸の中は、暖かく柔らかかったのだ…。

赤いバンダナは、この物語の中で一回だけ出てきている。郡山で過ごした夜に鶴さんが私に買ってくれたのだった。「バンダナ、買おうよ」と言って赤色のものを渡してくれた。プレゼントとか思い出などというようなやわい言葉は何もなく、渡してくれただけだった。

旅に出ると必ず赤いバンダナを私は首に巻いた。お守りであり、祈りであったのかもしれない。結婚してからもそのバンダナは使い続けていて、うちのんはその理由を知りながら、「バンダナ持った?」と出かけ前にチェックを入れてくれた。友人知人は、赤いバンダナはねこさんのトレードマークだ、と言ってくれるほどになった。

或る日、鶴さんのことを思い出して少し沈んだことがあった。どんなことを回想してしまったのか、それはもう思い出すつもりもないが、その後、バイクでぶっ飛ばしたときに、ポケットに入れていたその赤いバンダナは飛んでいってなくなってしまった。

赤いジャケットに赤いバンダナ。私の旅のスタイルはいつもそうだった。私は赤色が好きらしい。
口笛を吹き鳴らし、夕焼けを見上げる。

鶴さんが私に旅のスタイルを授けてくれたのかもしれない。

高石ともやの107ソングブック(82番)に「涙色の星」という高石とし子さんのうたがある。

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夕焼けの山に登り
想い出をよんでみた
別れた人の名は
いまも胸に痛む
私のブルースは
涙色の星 
気まぐれ青い鳥は
あなたの窓でうたう

(107ソングブックから)
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♪私のブルースは涙色の星…
そうか。なるほどね。

旅に出る。
夕焼けを眺めて、うたを歌う
口笛を吹きながら、峠を越えてゆく。

私の旅がいつもひとりであったのは、いや、ひとりでなければならなかったのは、そんな理由があったのだった。

続く

終章 その3  [第60話]

2008年 04月 10日

「アセチルコリンっていうのよ。神経伝達物質なの。そこから名前を取って、喫茶コリンと呼んでいたの」

鶴さんは社交的で明るく、学生時代にも人付き合いが広かった。バスケットボールに打ち込みながら、遠征先からたびたび便りをくれた。その彼女が下宿に友だちを集めてお茶をするとき、そこを喫茶コリンと呼んだという。

コリンの話は、鶴さんシリーズで何度も書いてしまった。今、終章を書き終えようとしているときにも、再び「コリン」という名前が蘇えってくる。

楽しそうに命名の由来を話しているのを見てお茶目な子だなと感じた。一度だけ「コリン」と聞いただけなのに一度も忘れることはなかった。

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或る日、鶴さんのところに一通のメールが届いた。そのメールは見覚えの無い人からであったが、少し読み進むと話の筋が見えてきた。メールの送信先はバスケットボールのOB会事務局からだった。そしてそこには、次のように書いてあった。

あなたのお友だちが、あなたおことをお探しです。OB会の事務局に電子メールを寄せられましたので、転送させていただきます。内容はご当人から預かったものをそのままお送りします。

このあとに事務局宛てに出された手紙が付いていた。何故、今、あなたを探しているのか。何処にいて何をしているのか。どんな暮らしをしているのか。予期せぬメールであったが、もしかしたら心のどこかで期待をしていたかもしれない。そんな複雑な気持ちで目を通す。

メールに目を通しながら、あれから20年の間にあった出来事を、鶴さんは思い出していた。

ねこ君か。元気にしているのかな。

そうねえ、郡山市の薬局で、仕事が始まる前にやって来て、青森まで行ってきたんだっていう話をしてくれたのよね。薬局を替わったばかりだったしお仕事前だったので、じゃあね、また手紙を書くから、って言ってそそくさと別れてしまったわね。

あれから何度か手紙を書いたけど、ねこ君、私の手紙に返事をくれたっけ?

母が脳梗塞で倒れてしまい自由が利かなくなった身体なので、私が傍に居てあげる決心をしました、って書いたのよ。ねこ君は結婚するって言ってたから、忙しくて手紙を暮れなかったんだろうな。そう思って私もあれから書かなくなったのかも。

私には私の人生があって、貴方には貴方の人生がある。貴方は自分でその道を開いてゆかねばならない使命を持って生まれてきたの。立派な技術者になって夢を叶えるんだって口癖のように話してくれたわね。そのために京都に行くんでしょ。私も蔭ながら応援するから。そのことは、あの晩、東京で話したわ。何を今更、弱音を吐いているのよ。手紙なんかよこして。私は今、返事なんか出さないわよ。私たち何処にいてもいいじゃない。私のこの気持ちは届くはずよ。

こんなふうに鶴さんが思ったかどうかは定かではない。

アルプスの少女ハイジが高原をかけているアニメを見るたびに鶴さんのことを思い出したときがあった。優しく甘い雰囲気を放ちながらも、心は厳しい人だった。医者だった父を子どものころに無くし、決して豊かではない暮らしの中で育ってきたという。「私は私を育ててくれた母を最期まで面倒みます」、と言い切った彼女の心の奥深くには、私では分かり得ない厳しい彼女の人生の決意が秘められていたのだろう。

メールが届いたからといっておいそれと返事を出すような人ではないことは簡単に想像がつく。そうか、(ねこ君には)子どもができて幸せに暮らしているんだ、と頷いたとしても、そこまでだ。鶴さんは自分の人生を自分で描いたように歩んでゆく人であるから、「AはBのようになるべきなんだよ、というあの口調で、きっと、私たちはこのままで良いんだ、と言い切るに違いない。

鶴さんはピリオドも打たない、返事も出さない。
私はピリオドを打とうとしない。返事を期待しない。

千の風になって、という歌がヒットした。鶴さんは歌っただろうか。ふとそう思った。

続く

終章 その2  [第59話]

2008年 03月 30日

サヨナラと三回ゆうたら夕焼け。

京都でそんな別れをして、その明くる年に郡山でどんな言葉を交わしながら別れたのかも記憶にないようなさり気ない別れを置き去りにして、それが最後の鶴さんとのシーンになったまま、月日は刻々と過ぎてゆく。

私は夕焼けを見上げても、もはや、鶴さんのことをメソメソと思い出したりしなくなっていた。

郡山をあとにしてからその後の十年ほどに東北へは数回の旅をしたものの、時にセンチになって会津若松から東へと越え行く名もない峠に佇み、眼下に広がる小さな街を見下ろしながら、それはもう過去のことなのだと自分に言い聞かせることができたのだ。

鶴さんの名字が、郡山市内(たとえ近隣も含めたとしても)には1、2軒しかない珍しいものだったこともあろう。探せばわかるのに、今、探し出すのはやめようか、と思いとどまってばかりだった。

それは、私が鶴さんを諦めたからではなく、逢えないけれどもここに居るという一種の安心感のようなものだったのかもしれない。

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ふとしたことで見つかった彼女への手掛かりとは、大学時代のバスケ部のOB会のホームページだった。もしかしたら、そこの事務局に連絡先が登録されているかもしれない、と思うのは当然の思考パターンで、事務局あてにメールを書いた。住所や連絡先を教えてくれるわけもないので、私が書いたメールを転送してもらえないか、という内容だった。そしてメールにはすぐに返事がきた。貴方の仰る人は確かに登録されてるので、そちらのメールに転送することはできます、という内容だった。

よし!、では、鶴さんから手紙がきたら、積もる話をし始めることになるだろう。鶴さんあての手紙にはこんなこともあんなことも書きたい。次々と浮かんでくる想いを胸に、私は返事を待った。

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前略。

郡山でお別れしてから随分と長い時間が過ぎてしまいました。あっという間に過ぎたというのが実感です。その間も、貴方のことを気にかけていました。お母さまのお体の具合が悪いという話もあのころに聞いたのでしょうか。

あれから20年以上が過ぎますので、多くのことは過去のことや終わってしまった歴史のことなのかもしれませんが、やはり貴方に簡単にあれからのことをお話したいな、と思います。

私は京都で結婚しました。マンションの3Fと1Fというご近所さんでした。その話は今度お目に掛かることでもあればお話するとして、まあ、その彼女が(妻ですが)今でも貴方から届く手紙のことを話します。月に一二度、私のところに届く手紙が気に掛かっていた、私の心に貴方という人が存在することは知っていた、と今でも京都時代を思い出し懐かしみながら話します。

私たちは十年も住まないうちに京都を離れました。私は仕事を変わって大阪に本社のある会社に移りました。この会社には十年あまり居ましたが、この頃に何度も東北を旅しました。1990年代ですね。10年の間に6、7回は行きました。

貴方と巡り会い、貴方と別れて(保留になったままと考えてますが)以来、私はひとり旅が大好きになりました。旅先を変更して、郡山の近くを通過してみたり、霊山に泊まってみたりしてました。

私は貴方をもっともっと強引に連れ去ることができたのでしょうか。今でも、そのことをふっと思います。メールもない時代ですからね。電話を掛けまくるとかすればいいのに、そんなこともせずにいましたね。

ちょっと、仕事に燃えていた頃だったかもしれないな。私の力で大きな発明をして、社会にどーんと飛び出したい、みたいな。貴方ならわかってくれるでしょうね。私の夢物語をいつも聞いてくましたからね。

汚い身なりの貧乏学生の私を嫌がらずに何度も連れて行ってくださったあの銀座のパブ。もう、とっくの昔に無くなっているだろうな。

私には姉はありませんでしたから、そんな姉のような貴方に、いつも寄り添いながら銀座を歩いた。幸せだった。酔って甘えることだけが楽しみだった学生時代の暮らしは、少しずつ私の記憶の中から風化してゆきつつあります。貴方と再び会えることで、私の記憶を大きく巻き戻したいですよ。

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こんなふうに手紙に書くのだろうか。
電話で話すのだろうか。
そんなソワソワが続いた。

バスケ部の事務局の人は、本当に私のメールを送り届けてくれるのだろうか。
手違いはないだろうか。
いいえ、あれほど快く引き受けてくれたのだから、必ず鶴さんに私の連絡先は届くはずだ。

一方で、メールの返事は来ないかもしれない、という確信のようなものもどこかに在った。
それは悲愴感から来るものではなく、彼女が持っている厳しさのようなものを想像したからだ。
鶴さんは今、幸せとも不幸せともわからない。生きているかさえもわからない。
私はそんな他人の人生に勝手に踏み込むことはできない、というのも一種の掟かもしれない。

もしも、今、会えば、飛びつくとか抱きつくというようなアクションではなく、ぐっと静かに手を添え硬く握り、今の鶴さんを尋ねるのだろう。
おかあさんはどうなさいましたか。お兄さんはいかがですか。

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事務局さんの返事の素早さとは正反対に、鶴さんからの便りは私には届かない。これにはピリオドがないので、今でも届かないとだけしか記載できない。

転送は正確にされメールは届いたはずだ。そう思うしかないわけで、確認の手段はどうやら尽きたようだ。

その3へ続く。

(ちょっとだけ書こうかなと思ってます。)

続く

終章 その1 [第58話]

2008年 03月 21日

「幻の旅 東北」シリーズを八話、「名もない峠」の話を二話、書きました。その後、話をはぐらかすように脱線していましたが、いよいよ終章に入ります。

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終章

幻の旅、東北 のときに撮影した写真がミニアルバムに何枚も閉じこんである。そのことをうちのんは知っているし、いい加減で棄てたら、と言うこともあるが、どんな大掃除のときでもその写真に手をつけることなく、私も棄てる勇気を振り出せないまま、今もなお写真はそこに保存してある。

不思議な写真だ。

鶴さんと、鶴さんの兄さんと一緒に、郡山の家の前で撮っている。この日は、お昼頃から雨に見舞われ、二人で阿武隈洞に出かけるものの、途中から雨具を着て走ることになったのだった。

(今でいうコンビニで売っているような)簡易の雨具しか持たない鶴さんは、後ろのシートに乗せられてどんな気持ちで雨のツーリングに付き合ってくれたのだろうか。

「幻の旅 東北8」の最後で私は東北を去る。鶴さんと会ったのはあれが最後だった。

それから、彼女のことを気にかけないようにする日々が続いたのだが、2,3年前にふとしたことで、彼女を探す手掛かりが見つかった。

それは、小樽にある彼女の母校のクラブOBのホームページの事務局さんにメールを入れたのが切っ掛けだった。人を探しています、と問い合わせたら返事がきたのだ。もしかしたら、居場所が見つかるのかもしれない。

東京で再会する切っ掛けとなったのも、深夜であったにもかかわらず名字を頼りに番号案内で探し出し電話を掛けたところから始まったのだ。

今、再び、彼女が見つかるのだろうか。

続く

別れの断章 (号外)  [第57話]

2008年 03月 19日

(号外)

啓蟄が過ぎて数日後の或る日の朝。嵐と呼んでもよいほど空は荒れて、雲の隙間から青い稲妻が突き出てくると同時に轟音が轟いた。朝のまどろみの中で緩やかな休日の朝を迎えたいと願っていたのに、春雷はこの想いを打ち砕くように鳴り止まない。窓際に寄り添い、ガラスに額をつけながら灰色の空を見ている。大粒の豆をばら撒いたような大きな音で、雨が空から地面へと叩きつけられるのを、私はじっと見ていた。

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小説「朝の歓び」で「紫色の雷光が、夜の海の上で烈しく走りつづけるのを眺めながら、江波良介は、海辺の旅館の窓辺に坐ったまま、ひとりで四十五歳の誕生日を祝ってウィスキーを飲み始めた」と宮本輝は書き出している。

明らかに私は、小説のこの冒頭を思い浮かべるために布団から抜け出しガウンを羽織ることなく自室の窓辺まで来た。そして、更にもうひとつのシーンへと想いが遷移してゆく。

春雷が駅の構内に響き渡るのを思い出しながら、あの日の夜のこと知っているのはあの人と自分だけであることに、言葉にはできない安心を感じている。あんな土砂降りのなかで、永遠かもしれない別れのシーンを、ひとりの女性と共有した一瞬があったのだ。

雨粒が転げまわるように地面で踊るのを見ながら「あなたは京都で偉くなってね」と呟いた。それが合図のようにそのあと新幹線の扉は閉まった。

続く

離散した欠片  [第56話]

2008年 03月 08日

たぶん、

自分の誕生日を10月に迎えてそのすぐ後に前回の記事を書いた。その後、11月14日までのあいだに、これまで綴ってきたものを目次として整理している。11月13日は、鶴さんの誕生日で、そのことも実は記憶の中では曖昧なままで、私は鶴さんを想ってささやかにお祝いをしたのだ。

長い夜を最後に書いて、放置したままなのは、あの夜の余韻が今でも大きいからではないのだろうか。

鶴さんシリーズはもうひと通りを書き終えているので、終わることなく余韻のように綴るものは私の瞼に閃光的になって蘇えってくる離散した欠片のような風景ばかりだ。

どのシーンも輝かしくほろ苦いものばかりで、私はそれを簡単に忘れ去ってゆくこと恐れていたのかもしれない。だからそれを整理してみたいという気持ちがあったのだ。

しかし、それほど簡単に書き留められるような物語ではなかった。
もう、忘れ去ってしまいなさいと、天の声があったのかもしれない。
最後の力を振り絞って「終章」を書き上げてしまいたい。

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(あらすじ)

遥か昔の夏の日。それは、北海道の小樽からバスで少々走ったとても夕日の綺麗な漁村での出会いだった。鶴さんと私はひとことふたことだけの会話を交わした。

その土地を去った私は、北海道を旅する途中で、名前も分からない鶴さんに手紙を書いた。旅から帰ってくると鶴さんからの返事か届いていた。そのときから鶴さんとの文通が始まった。それは4年続いた。

夏の或る日、鶴さんからの手紙に、東京で勤めているということが書かれていた。そして私は4年ぶりに、2度目の鶴さんに再会し、東京での鶴さんとの日々が始まった。

それは、貧乏な学生と銀座の大きな企業で働く鶴さんとの不釣り合いな付き合いだった。銀座の夜。鎌倉。二人は、兄弟のようであったかもしれない。優しいお姉さんと頼りない学生…。

しかし、分かれるときが来た。就職が決まって私は京都に住み移った。彼女はその後、家庭の事情で仕事を辞め実家のある郡山市へ帰った。黄金週間に京都を訪ねて来た鶴さん。夏に東北を旅する私。

物語は、至ってシンプルだ。東北の旅で鶴さんの家を訪ねる。その後、本州の最果てを目指し私は旅立ち、その旅の帰路でもう一度だけ再会する。それが事実上の最後の別れであった。

続く

駄々のあと慰めるかのように終列車  [第55話]

2007年 10月 14日

地下鉄の階段をホームへと下りながらどんな会話をかわしたのだろうか。

ラッシュ時よりも人ごみが少なくなったものの、私たちがホームで別れを惜しんでいる間にも、人は増え続けホームを埋め始めていた。

そうか、終電車がもうすぐ来るのだ。

  駄々のあと慰めるかのように終列車  ねこ作

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電車に乗る前、アナウンスの騒音の中、あの人は無言だった。
なんにも言わずに黙って私を見つめた。

そう、そんな優しいさようならが切ない。

  沈黙がサヨナラせかすシンデレラ  ねこ作

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時刻は12時を回っていたのだろう。

また明日、また明日、と心の中で繰り返している私は、そこに滑り込んでくる電車のガラス窓に写る自分を見ている。

揺れる意識。
揺れる私の姿。
ブレーキ音を軋ませて止まる電車。
開くドア。

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シャツのボタン、上から順に
外してみては、またとめてゆく。

「どうするのよって… わからない」

そんなあなたの笑わない顔を、
真正面からゆっくり見つめた。

初めてのこと。
長い夜。

続く

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