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京都日記(平成27年7月篇)

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【銀マド・名作選】

2008年11月19日 (水曜日)

初霜や八朔ひとつ供えたろ

マイナス5.5℃の寒気団が1200メートルの上空に辿り着いた。今年、最初の寒い朝だ。8時過ぎに不燃物ゴミを置きに近所の角まで突っ掛けで走っていくが、足の指先が冷たかった。靴下を履かねばならない季節になったなと沁み沁み感じる。

そのことが反対に嬉しいようにも思えてウキウキもする。寒くて冷たいのは嫌いなくせに、ガラス越しに温い陽射しを浴びながらソファーに掛けて本を読んだり手紙を書いたりする、そんな冬が好きなのである。


冬を迎える前に済ませておかねばならないことが幾つかある。山から切り出した薪を風呂焚き用に割ることや、北風を除けるための藁囲いを家の周りに組み上げるのを手伝うのは子どもの仕事だった。

現代ではそんな風景はどこにも残っていないが、霜が降りる季節になると心を引き締めて覚悟を決めるように人々は「冬支度」に取りかかった。


縁側で母とふたりの障子貼り ねこ

障子貼りも冬支度のひとつであった。縁側には優しい光が降り注いでいた。庭の花畑は枯れた色に変わっていたが、父の育てている菊は元気に咲いていた。そして蜜柑の木には橙色の---だいだい色という言葉の響きも懐かしい---実が幾つもなっていた。もぎ取って食べても酸っぱいだけで一度も家の蜜柑など美味しいと思ったことなどなく、店で売っている万遍なく綺麗な蜜柑のほうが甘くて好きだと言っては父や母を残念がらせたものだ。

思い出は脆いもので、この蜜柑の木ももう誰も食べる人が居なくなったから役目が終わりだということで父が切り倒そうとしていたころに実をひとつもぎ取って食べたら、栽培物の味とは全く違った酸っぱさがこの上なく美味かったのを思い出す。

父が逝って十年以上が経つが、時代は変遷して、今そこに父が植えていった八朔(はっさく)の木があり、背丈の倍以上にもなって鈴なりの実をつけている。

初霜や八朔ひとつ供えたろ ねこ

2007年12月31日 (月曜日)

大晦日 所感。不便を見つめる・・・・

朝日新聞、高橋論説顧問が12月31日の朝刊で荘子を参照している。

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荘子:反機械論

天地篇第十二

子貢が旅をしていたときのこと。老人がひとり、畑仕事をしていた。手仕事で、見るからに能率が悪そうだった。子貢は言った。

「ハネツルベをお使いにならないのですか。ハネツルベを使えば、流れるように水を汲めて、一日に百畝(うね)も水をかけられますよ」

「わしは師匠から習った。『機械』を使う者は必ず『機事』がある。『機事』がある者は必ず『機心』がある。『機心』が胸のなかに存在すると、純白な心がなくなる。純白な心がなくなると、精神の本性が定まらない。精神の本性が定まらなければ、道に載せてもらえない。わしはハネツルベを知らない訳ではないが、恥ずかしいから使わないのだよ」

参考先;加藤徹 KATO,Toru (Japan)
http://www.geocities.jp/cato1963/index.html


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▼昨晩は、昨日までと変わって木枯らしがきつく吹き荒れた。寒波が来ているのか、雪が降っているところもあろうな、と思いながらうつらうつらした。言葉にならないで苦心していることが、少しずつイメージとして頭の中を通り過ぎては消えてゆく。

不便さが必要なのだ。不便を承知することが大事なのだ。そんなことを考えていた。

29日の日記、師走、所感で
 Q2) エコに気を使って冬を乗り切るアイデアは?
と書いた。
快適で、幸せであれば良いのか。その心の思うところは、まさに荘子がいう「機心」であったのではないか。

▼情報処理科学から情報工学へ、サイエンスからテクノロジーを学びながらそして仕事で使いながら、今までここまでやってこれたのだが、昨今の情報技術社会には一矢を投じるべきだ、とも言い続けてきた。進化するべき矛先が間違っている。哲学なき暴走だとも言ってきた。

私たちは、便利、快適、イコール幸せという図式を作ってきたのだが、その裏には中流意識、富めることの麻薬性、それに伴う虚栄像がついてまわる。
(省エネを実践するのに、カッコよくしなくてはならないと考える人が多い。だからエコバックなのだ。)

▼そこまで書かなくても、と言って職制のチェックで保留になってきたことがいくつもある。
そのいくつかに
・テレビ事業は夜の10時ころには放送終了。国民は寝なさい。
・某放送局は即座に深夜の放送を中止すべきだ。
・朝の5時に起きてウォーキングなり体操なりをして健康増進に努める。
・ガソリンの高騰は、過去の歴史を見ても最大級であるにもかかわらず、ノホホンとしている神経のボケ具合に気づきなさい。
・昔、オイルショックの時には、テレビ放送も自粛していたのに、今はその影すらない。
・「環境と経済の両立」なんて、大義名分のマヤカシに国民は真剣に疑問を持つべきである。

▼エコに気を使うとか使わないとかに関係なく、人は少し不便を味わい、知恵を絞ることを甦らせねばならない。温温とした環境の下で、新しい解決手段など浮かばない。

前述の質問には大勢の人が「厚着をして乗り切る」と答えている。
しかし、包含している課題は果てしなく奥が深いのだ、ということを認識しなくてはならない。

▼もうひとつ。
テレビを消して…ラジオを聴こうでも良いし、目を閉じて考えようでも良い。
視覚に飛び込んでくるお笑いを見ていて、ヒトはお笑いの本質を忘れると同時に考える能力を失ってゆく危機を迎えると感じた。
落語でも文化講演会でもいい。目を閉じて聴いてみることを忘れてしまっては、やはり、失うモノが大きい。

見栄や虚栄を棄てて、不便を承知で今に挑まねば未来はない。そう断言してもよい時代を迎えている。

2007年12月13日 (木曜日)

逝った人

3月に、時実新子さんが(10日)、7月に、小田実さんが(30日)、続けて、8月に阿久悠さんが(1日)逝ってしまった。

いつかはそのときが来るにしても、いざ来てしまうと悲しい。

今年のこの3人は、私の人生に大きな影響を与えた作家さんたちのなかでも、最も贔屓にした人たちばかりだ。

時実新子

▼時実さんは、朝日グラフに連載していた「川柳新子座」でぞっこんになってしまった人だ。
宮本輝が「月光の東」という小説で主人公の生き様を「凛冽に生きてきた」と表現しているが、時実さんもそんな人だった。「小説新子」を読んでみるとその一部が書かれている。
彼女の川柳は、私の人生を揺るがすほどに強烈だった。その強さと厳しさと弱さに、人生というものを考えさせられる。

小田実

▼小田さんは、大学時代に貪るように読んだ。
「何でもみてやろう」なら知ってるわという人も多いはずだ。
今の時代に書店に並ぶ書籍の題名のように、自分を弁解または補足説明するかのような長たらしいタイトルではなく、小田はこう考えてこう行動するのだ、と明確に切り出してくれる。

▼阿久悠さん。
この人の作品は、唄にならなかったものや小説/作品集として文庫・新書で出版されたものよりも、音楽に乗せて作られた作品のほうが素晴らしい。
まさに、涙なくして聴けない。
いったいあのお顔のイメージの何処から作詞作品のような感情や情景が生まれてくるのだろうか。
人の心は儚いものだ。歌は口ずさまれて、人の心のなかを旅する。まぶたに浮かぶ風景が目まぐるしく揺れている。ひとりで静かに歌いたいと思う。

大橋純子

2007年8月 1日 (水曜日)

研ぎ澄ます

そういえば、駅の待合室から伝言板が姿を消してしまっている。

区切り線を引いた黒板と白墨が、人ごみの溢れる駅の片隅に置いてあったのを憶えているだろうか。待ち合わせで想いの叶わなかった人がそこに伝言を書き残すのだ。

ケータイ電話を誰もが持つ時代に伝言板は不要なのだろう。個人情報だって書きこめるので、或る意味では厄介モノなのかもしれない。


もしかしたらあと五分待てばやって来て巡り会えたかもしれないのに「先に行く、次の駅で待っている」と書き残す。「しばらく待ちましたが、時間なので出発します。今度、お目にかかったときに」というようなケースもあろう。そこにはドラマがあり悲哀があったはずだ。

止むを得ず先に列車に乗る人は、限りなく想いを巡らす。もしも、あと一分待てば…その人は現れたのかもしれないのに、置いてゆかねばならないのかもしれない。

いや、もう逢えないような別れが用意されていたのかもしれない。

一足先に汽車に乗っても、想いも人もあとから追いかける。

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ケータイ電話や公衆電話を悪害視するわけでないが、リアルタイムに応答を得たり送出することばかりが合理的で理想的なことであるとはいえないのではないか、と常々思っている。

現代人は、相手の心理やその場の雰囲気を読むことに、その予測能力や神経を使う。会議の進行に気を使い、帰宅すれば家庭を取り巻く社会や友人関係にも神経をすり減らす。

その反面、平気で待ち合わせに遅れたり、ケータイ電話一本で仕事をキャンセルする。

お世話になったお礼を伝える、年季の挨拶をするなど、本来であれば細心の神経を使わねばならないことに対し、電話一本でおざなりに始末しているのを見かけることがある。

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先日から「研ぎ澄ます」という言葉が気に掛かっている。

現代人は、あらゆるところで神経を使い、思い悩み、気持ちを「研ぐ」ことに鍛錬を惜しまない。しかし、本来、人は、人の心を探るというセンシング機能を、利害や損得を推測すためだけに注ぎ込んでいたわけではなかったはずだ。

一目見て余計で無駄だと判断したモノを次々と切り捨て、あたかも自分の精神も、生活も、実の姿も、研ぎ澄まされてゆく…錯覚に陥っている。

伝言板の白墨の文字を見つめながら、書いて立ち去った人の心を想像するような人の姿は今やどこにもない。こんな余裕を喪失してしまった現代人は、自らの力で研ぎ澄まされたモノに出会う機会にも恵まれなくなってゆく。
数式の上で誤差率を消滅(キャンセル)させたシナリオに振り回され続け、汗を拭き拭き動き回る。

2007年7月24日 (火曜日)

ほろ苦い

▼夏休みの思い出はこの歳になってなおさらほろ苦いモノになっている。苦味というのはビールのようにひと味付けるのには最適で、ややもすると、癖になる魔力さえ持っていながら、しかし、味そのものを論じれば決して美味いものとはいえないだろう。ほろ苦いモノを指折り数えると、淡いものから濃いものまで、今となってはどうでもいいことから、そうでないものまで、様々なことが次々と浮かぶ。

▼7月末から8月いっぱいまで休暇を取ってバイクで旅に出たことがった。自分では「東北激走4800km」と名付けて、大きな思い出になっている。また或るときは、初恋のような感動だった、と後になって振り返った旅もあった。旅は、あらゆる面でほろ苦い。

▼貧乏な学生時代の夏休みは、日頃から古本屋で買い込んで積読になっている何十冊もの本を片っ端から読んだ。バイトにも行かず、実家の和室に寝転がってゴロゴロとしながら読書をした。中学高校時代まで遡れば、一学期に顔を合わせてキャンキャンと騒いでいたクラスメートの女の子に9月まで会えなくなると思い沈み込む日々を送った。

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▼梅雨の合間に広がった大空を小さな鳥が高く高く飛んで夕焼けのほうへとゆくのを見上げながら、鳥になりたいという夢を持ったことのある自分を思い出して、もしかしたらそれは間違いだったかもしれないと、ふと、考えた。
何故なら、あの鳥はいったい何処を目指して何処まで飛び続けるのか、飛ぶことは苦しいことではないのだろうか、変化のない景色を見下ろし飛び続けることが面白いのだろうか、などと想像してしまったからだ。

▼多かれ少なかれ、私たちは自由というものを与えられ、同時に束縛も受ける。この相反する力学の均衡がヒトの気持ちを向上させてくれることは自明で、自由の中に放たれること夢見て、それは大空を自由に舞う鳥のような姿だと考えて夢を追い闘志を燃やすのだろう。

▼鳥たちが自由に飛ぶのを見ていると、確かに疲れ果てれば地上に降りてくればいいと思う。ところが、よくよく考えると、一旦降りてしまえば餌の在り処も見えなくなり、また飛ばねばならない。果たして鳥たちは飛ばねばならない宿命を背負いながら幸福なのだろうか。

▼昔、無人島哲学論(ねこ著)の中で、「スズメは何故電線から落ちないのか。それは、落ちそうになったら跳べばいいのだから」と書いたことがある。だが、スズメは飛ぶために生まれた鳥ではない。電線に止まるために生まれた鳥なのかもしれない。

▼飛べないブタは只のブタ。紅の豚の中に隠されたオトコのロマンへの夢というのは、我々が何かを実現するために、一方で苦し紛れに握りつぶしてきた人生の犠牲というモノに感じるほろ苦さであった。だからこそ、夢は果てしなく、或るときは儚くある。ロマンとはそういうモノだ。

▼苦味とは何だろうと考えて、空想が拡散してしまったが、要するにこれまでの人生で自由を獲得しようとしてきた自分の行動や思想を、自ら否定しようとしているかなと思う。それは、つまり、NEXTをどうするのかという問題提起であり、その問題解決の手段の中にもあのほろ苦さを混ぜこめるような人生でありたいと考えているのだ。

▼先日、娘が二十歳になった祝いにビールでもと思って薦めると、苦いので飲みたくないと言う。では、私たちがあのビールの苦味をウマイと感じたのはいつのことだったのか。苦いビールを、初めてウマイと感じた瞬間の自分はどんな顔をしてたのだろうか。あのときまで時間を巻き戻せば、飛べるわけもない空を見上げて、再びでっかい夢を持てるようになれるだろうか。

2007年4月16日 (月曜日)

進化というもの

自分自身のことを思うと、やはり進化に乏しい。
しかし、人生の足跡が、ただまっすぐではなく、いくつかの曲線で織り成されているのだとすると、その関数は見事なほどに美的であるはずだ。

2007年3月10日 (土曜日)

ふと、懐かしい

今朝の新聞(朝日)を開くと、私が以前居た会社が5000人のリストラ…などと書いている。今はもはや人員整理とか早期退職者とかいう表現をとらずに、あからさまに「リストラ」と書いても、世が受け入れる時代になったのかもしれない。

私が辞めたときは公表で約1万5千人だったが、噂では2万人という声もチラホラだった。そのチラホラの背景には、人材は「人財」だ、と神様のように言い奉り上げ、社員の頑張りを煽りあげようとする社風の裏腹に、社員など財(マネー)の種でしかなく金を生み出す道具だとしか思っていないという実態がある。そのことを、暗に社員は気づいているからこそ、噂も生まれてくる。

もとは創業者の偉大なおかげで社会的なステータスも高まっていたのであるが、この思想のころから所詮使い捨て文化の理念が底流にあったと、今になって振り返ることも出来よう。まあ、多くのことを学ばせてくれた感謝すべき会社だが、もはや私には関係ない会社だから、あまりのことは言えないのだが。

今お付き合いをしていただいてるいくつかの会社の方々にこの会社の話をして、「会社はこうでなければ上昇して増殖することは出来ないし、優秀な商品は出来ません」ということがある。

しかし、「人の心は枯れ果て、人間性や創造性を失い、管理されることに長けた面白くない人間が増えてしまう恐れもあります。その危険性を数字でデジタル処理して分類処理し画一的な判断を加えた結果が、現代社会の最も醜いモノを作り上げてきたのだということを、多くの国民も気づいていながら、寄らば大樹の陰であり我先勝手の論理で乗り切ろうと」している。

5000という数字そのものは私には関係ない話でが、この数字が何を物語るのかは無関係の人々でも考えねばならないのではないかと思う。

さらに、「人間を枯れさせてはいけません、枯れた人間が考えたものは、いずれ枯れてしまうかもしれません、多くの点を真似しても構いません(真似すべきことも多いです)が、良い点を数ポイントに絞って残りをばっさり切り捨てなければいけない」と、あくまでも雑談レベルですけど、話します。

「痛みを伴う・・・」という表現があるが、矛先を誤った茶番劇に使われてはまったくこの言葉が気の毒です。

2007年1月 2日 (火曜日)

年頭雑感 「新戦略」

新年 明けましておめでとうございます。
どうぞ、今年もよろしくお願いします。

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去年の3月に辻信一さんの回想をちょっとお借りした。

>政治学者のダグラス・ラミスの著作を回想して辻信一氏がこんなことを
>書いていました。

>都心に雪が積もった日、彼(ラミス)とある言語学者は会話を交わしてい
>た。ビルの窓から見ると、眼下の公園に職場へと向かう人たちの足跡が
>ついている。定規で引かれたようにまっすぐだ。ラミスは言う。雪国で
>見る野生動物の足跡は必ず曲がっている。
>ウサギやネズミがあのようなまっすぐな足跡を残すのは、捕食者に追わ
>れているときだけだ。それを聞いた言語学者が呟く。
>「だったらあの人達を追いかけているのは何だろう」。
>                  (時、金、そしてメトロノーム)

>3月3日は桃の節句。桃といえば子供のころにお伽噺で聞かされた「桃太
>郎」や三国志演義で有名な「桃園の誓い」などを思い浮べます。
>この物語の時代の人々は、きっと、「定規で引かれたようにまっすぐ」
>には歩かなかったのだろうな、と思いました。
>いえいえ、私たちが大切なものを見失ったのはそんな昔のことではなく、
>つい先ごろのことなのかもしれません。

(中略)

>マネーや時間という麻薬のようになモノサシから少し目を逸らすことで、
>「環境」というキーワードの向こうに存在する違った世界が見えてくる
>ような気がします。時代を超えて語り継がれてゆく、かけがえのない示
>唆のようなものが、そこに存在するのではないでしょうか。

 参考:ちょこっと日記 > 2006年03月分 > 桃の節句に考える
 http://www.eco.pref.mie.jp/nikki/200603031925121500/index.htm


自分のこの文章を読みながら、一向によい方向へと舵を切らない政治にある種の無力を感じる一方で、無力や諦め感に侵されてはいけないのだとも思った。

もう少し、「新戦略」でがんばろう!

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元旦の朝日新聞・社説は、「戦後ニッポンを侮るな 憲法60年の年明けに」という表題で

>キリマンジャロのような高山から、しだいに雪が消えつつある。
>氷河はあちこちで「元氷河」になり、北極や南極の氷も崩れている。
>このまま進むと世界の陸地がどんどん海になり、陸上の水は減っていく。
>ニューオーリンズを襲った恐怖のハリケーンなど、最近の異常気象も、
>海水の温度上昇と無縁ではない。大気中に増える二酸化炭素(CO2)
>を何とか抑えなければ、地球の温暖化はやまず、やがて取り返しのつか
>ないことになる。

と書き出し、米国の元副大統領アル・ゴア氏が伝道師のように世界を歩き、地球の危機に警鐘を鳴らしている記録映画「不都合な真実」に触れている。

参考サイト:http://www.futsugou.jp/

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私は政治家でないので余りなことは書けませんが、原因は「人間にあります」というテロップが印象的です。

国民よ、もっと、しっかりしなさい。

2006年10月21日 (土曜日)

スズムシや親父なきとて今も啼く

◇ スズムシや親父なきとて今も啼く ねこ作。

秋になると実家の庭では鈴虫がなく。静かにふけゆく夜に透き通るようなその声は悲しく響く。

父は、幼少時に耳を患ったこともあってかなりの難聴だったが、スズムシが啼く風流をとても好んだ。耳を澄まして聴いていた姿が思い浮かぶ。

お風呂の追い焚きをするために焚き口に行き薪を放り込みながら、「湯かげんはどうやぁ?」と尋ねてもまったく返事がないこともあったし、逆に、風呂から遠く離れた台所の片隅で何かを大声で誰かが話しても、風呂の中から「ええかげんやでぇー」と返事をしていることがあった。

世界の中のあらゆる音が、私の半分にも満たないほどしか聞こえていなかったであろうに、虫の声や風の音を、繊細に感じ取ろうとしていたのだろう。それが磨かれたものであったのか、不可欠な感性だったのかは不明のままだ。

子どものころの我が家は、田舎づくりの旧家屋だったので、じめっとした裏庭は苔がむして、鈴虫の他にカエルやヘビも居たしウシガエルも啼いた。懐かしいことが次々と思い起こされてくる。

いや・・・・スズムシが啼いているのを耳にしたので、親父がそこに居て耳を澄ましていた風景を思い出しただけである。
「おい、コタツを出そうか」と言うているような気がしただけである。

2006年8月15日 (火曜日)

二人の田中氏

▽先日、葡萄を食べながら子どものころを思い出していたのですが、夏休みといえば家の前の畑で収穫した葡萄や桃、すいか、瓜、枇杷、とうもろこし、などが食べ放題でしたが、ところがその葡萄にしても桃にしても、いまどきに店で買ってくるものと比較すると各段にマズかったように思います。ほんの二十余年の間にすっかりと甘くなり、さらに美味しくなってしまったなと思うのです。

▽人々の暮らしも様変わりしました。良きモノ、悪しきモノの盛衰をとやかく言うわけでもありませんが、いと儚きことであるなあと思いながら、甘くて美味しい葡萄をパクパクと食べていました。

▽いつの間にか、渋くて甘くもない果物を避けて、よりいっそう美味しいモノを求めるようになった現代人の心に間違いはないと思うものの、一種の麻薬のような誘惑がそこにはありまして、この麻薬のようなモノにしわじわとやられていってしまっているのではないでしょうか。まあ、その結果、失ってゆくものがあるわけです。


▽二人の田中氏。まず、三重県議会議員だった田中氏の言葉から
┃ 暴行事件については
┃ 「力の強い者に果敢に挑戦するのが自分の信条だったが、
┃ 言っていることとやっていることが乖離(かいり)していた」
┃ と自嘲(じちょう)気味に振り返り、
┃ 「4期連続当選し、会派の代表になり、
┃ 若くして議長も経験したことで、
┃ 人の意見を聞かないようになってしまっていた」。

▽もうひとりの田中氏について、朝日新聞の社説(8月8日)から
┃ 田中氏の敗北 大人の知事になれずに
┃ 長野県知事選で、3期目に挑んだ田中康夫氏(50)が敗れた。
┃ ことし6月、「鳴りやまぬ『目覚まし時計』をもう止めましょう」
┃ という意見広告が地元紙などに載った。
┃ 6年前、作家の田中氏を知事選に担ぎ出した元銀行頭取が出した。
┃ 「利権集団との長年の癒着を徹底的に断ち切ったのは見事」と、
┃ 民主主義の目覚まし時計としての田中氏を評価しつつも、
┃ 出直し選後は身勝手な言動が目立ち、改革も停滞したと批判した。
┃ 当初の田中氏の取り組みは斬新だった。
┃ だが、いかんせん、組織プレーができなかった。

▽ここで 「力の強い者に果敢に挑戦するのが自分の信条だったが、言っていることとやっていることが乖離していた」いう語録が残されたわけですが、ここでも諸行無常を感じるわけで、この言葉は我々の周りのあらゆるモノに一般論理として当てはまるような気がするのです。

▽彼も権力という麻薬に犯されてしまったひとりだったのではないでしょうか。二人の田中氏。持ち味に深みがあり、社会を引っ張っていく牽引力、人物としての求心力も持ち合わせていると思います。甦って再び活躍する日を待つのか、はてまた、新しい時代の人に任せるのか。

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