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Anthology 小さな旅

2013年4月17日 (水曜日)

まほろばYHや諏訪湖YHの写真など

昔の写真が出てきて
それがユースホステルの写真で
ひとり懐かしんでいる。

どれも1980年ころから数年のものである。
今は、すっかり変化しただろうから、一度行ってみたいなあ。

諏訪湖ユース

まほろばユース

まほろばユース

まほろばユース

東北へ行く途中のユース

2011年7月19日 (火曜日)

もくじ 小さな旅

大阪駅

懐かしい写真が一枚出てきた。
それを見ていたら、アンソロジーの写真を少しパラパラと見ている自分がいる。

でもね、バイクではもう旅に出ることは無いかもしれない。
そんな気がするの。

理由は自分が一番よく知っている。

小さな旅の目次を作りました。
別ページに記載しておきます。

─ 目次 ─

ひとり旅、下北の衝撃 2000/8/7
無言館を訪ねて 2000/9/4
三宅島の思い出 2000/10/2
安曇野で道祖神に会う 2000/12/4
あじさいの寺(鎌倉) 2001/6/11
「儚き出会い」1992年 2001/7/4
日和佐の駅にて 2001/8/11
奈良県・柳生の里 2002/3/9
奥飛騨から南信州へ(6月1-2日) 2002/6/3
バックミラーに青空が映った 2005/5/7

2005年5月 7日 (土曜日)

さあ、走ろう (バックミラーに青空が映った)

オフレポ>バックミラーに青空が映った

00/07/10 21:03

台風が去った後には、どこから吹いてきてどこへ行くのか判らないような風が吹いていた。東の空は青くても、県境に連なる1000メートルクラスの山には重くて不吉な雲がかかっている。きっと名古屋市を通り抜けた付近から天気も崩れるのだろうと、この先を当てにしないで走ることにした。これだけグッドなタイミングで台風が来てくれるなんて、神様がよほど私を戒めようとなさったに違いない。でもでも、前の晩にはいつものように酒を飲んで早々に眠ってしまい、夜中に家の軒先を見回ったといううちのんの行動さえ気がつかないでいた。6時頃に目が覚めて、青空が出ていたので電話番号が判っていたSたろうさんとえっちゃんに電話をいれた。えっちゃんは、ハスキーな声で電話に出てくれて、いよいよ会うのが楽しみになってきた。

もしも、参加者全員を把握して、しかも連絡先が聞き出してあったならば、このオフは確実に中止になっていただろう。無謀にも台風のなかでのオフになるかもと心配をしたが、最悪が避けられて幸運だった。田んぼには、嵐がもたらした水があふれている。水稲が生き生きしているように見える。青く広がった草原の中を風が吹き抜けるかのように、早苗にまだらの波模様を残しながら、嵐の余韻が吹いている。

天竜川の水は泥々で、怖いほど勢い良く流れているのだけど、アルプスの山々は青空のしたに少しずつ峰を見せ始めていた。

八ヶ岳横断道路を走り始めたら、綺麗に農地整理をされた野菜畑に出会った。おばあちゃんが腰を屈めて作業をしてたので、バイクを止めて話をした。
---これはじゃがいもですね、あちらの赤い花は?
と尋ねたら、
---赤い馬鈴薯ですよ
と教えてくださった。えんどう豆やとうもろこしがすくすくと大きくなっている。土の匂いがする。

ちょうど、そんなこんな話をしているところに、1台のジェベルが通り過ぎて、すぐに私に気が付いてか、止まった。初対面なのに、不思議な時間が流れてゆく。

バックミラーに青空が映って見えた。ああ、来てよかった。これからみんなに会えるんだと思うと、奮えるような衝動のほかに、口笛を吹きたくなるような気持ちになっていった。

2000.07.10

オフレポ>蛇苺
00/07/1121:28

八ヶ岳横断道路を少し蓼科に向かって走り始めて別荘が見え始めた所で、偶然にZZRとひとりの女性が目に入った。バイクに会わなかったので、直感が働いたのだろう。その前に、畑の前でタチさんに会っていたことも、反応する引き金になっていたと思う。

えっちゃんは予想通りの子で、素敵な人だった。朝、声を聞いていたので少し先入観が働いたが、思っている以上に若く見えて、着飾らず、そのままの姿に惹き付けられる。ううん、こりゃあ口説いてみたくなる人だ。そう思う人がたくさんいてもおかしくない。

その後、すぐに別荘に向かったら、何と昔の(オムロン)の別荘のすぐ隣でめっちゃ、びっくりしました。じゃばさんが先に到着してられて、かしこまった挨拶もなしに、うちとけて行く。

バイクのスタンドの下に敷く石を探して道ばたをごそごそしていたら、真っ赤な蛇苺(へびいちご)の群れを見つけた。思わず手を伸ばして実を採ろうとしたら、手にトゲが刺さった。

美味しいものには、トゲがある…。

苺を少しつまんで食べて、森の空気をたらふく吸って、やがてはしゃぎすぎる夜が始まろうとしていた。

2000.07.11

オフレポ>夢に嘘はひとつもなかった
00/07/12 21:53

あじさい(紫陽花)が雨に揺れている。そんな景色ばかりが頭にあったが、旧街道で見かけたあじさいは、太陽の光りを思いきり受けて、紫の冠のように輝いていた。

タチさんに会う直前に見た赤い馬鈴薯の花は小さく可憐だった。一方、あじさいは、自信に満ちて嵐の後の風に揺れていた。それまで…あじさいは、雨に濡れて暗いイメージしかなかった花だった、けど、気分が晴れれば明るいイメージに変わってしまう。夏の空が甦ってきて、軒先の花が私を勇気づけてくれているようで嬉しかった。

別荘の朝はすがすがしかった。朝日が落葉樹の間を透過して手元に届く。白くて優しい光りだ。ひとり、二日酔いでしょげていたのが悔しかった。コーヒーさえも一緒に飲めない。

このオフのメンバーの中で一番、昔から会いたいと言い続けてきた「かみりん」さんと昨晩は会えた。感動は、しょぼしょぼとやってきた。彼には飲んだくれの私を披露して恥ずかしい限りだ。しかし彼を始めパティオのメンバーにも会えたし満足だ。それが深酒の理由にはならないか…。

夢に嘘はひとつもなかった…。浜崎あゆみのシーズンという歌の一節だ。

蓼科湖の湖畔を待ち合わせ場所にして、9時と指定しておきながら、酔っぱらいが醒めずに遅れてしまった。しかし、その駐車場で待っていてくれた人。あとからやってきてくれた人。大勢が集まってくださった。

まさに夢に嘘はひとつもなかった…。

2000.07.12

そういえば、昔、こんな日記を書いた。

kumiさんの日記を読んでいたら、私も走りたくなってきた。

今、それを読み返すと、やっぱし、走ろうと思う。

2002年6月 3日 (月曜日)

奥飛騨から南信州へ(6月1-2日)

  6月1日

  奥美濃地方、板取村から白鳥に抜ける道の通行止めで1時間以上のロスをする。その後、大白川温泉へとむかうものの工事の時間規制に遭遇し温泉に到達しながら涙をのむ。天生峠を越えて平湯キャンプ場泊。

  6月2日

  乗鞍高原で湯に浸った後、木曽路を横切り権兵衛峠、さらに高遠から入笠山に入り、ここから南アルプススーパー林道ゲート横を通って、分杭峠、地蔵峠を越えて伊那谷に降りる。三河地方は矢作川沿いを下った。


  ■はじめに

  久しぶりにツーレポを書いてみようと思う。ツーレポを書くための旅ではなく、旅があってレポートができあがる感触が戻ったからである。

  「癒される旅」というのがある。乗鞍高原の湯に浸りながらそのことを考えた。「二日の予定を告げて家を出たのに、ここの湯に浸かると満足して家に帰ってしまいそうだ」と私が話したら湯船で隣にいた人が「癒されてしまうってことですね、目的が達成されるわけだ…」とおっしゃる。

  なるほど、癒す必要がなかったから出るぞ出るぞといいながらも旅に出ない日々が続いたのか、と気が付く。

  先日から人に会って、考えねばならないことが少し増えた。じっくりと考える時間もなく、ついつい目の前に人がいると言葉に出して語ってしまう。そのことで考えに揺らぎが出ていた。一日中誰とも話さない状態を体が自ら求めていたのかもしれない。ひとりごとでの格闘が始まる。

  ■出発

  子どもはサッカーに夢中で、深夜遅くまでTV中継に夢中である。私が出かける時にはまだ熟睡中だ。よめはんが玄関まで出てきて一枚だけシャッターを押してくれた。

  曇り空である。まさに夏の朝と同じ空模様で、暑くなる日の朝はくもり気味で、実は暑さがあの雲に隠れているのだ。

  四日市の火力発電所の煙突から昇る煙もまっすぐだ。珍しい風景だ。1時間ほど走ると県外に出る。

  ■美濃へ

  実は行先をはっきりしていなかったのに、木曽川沿いを走って岐阜市外を回り込むつもりが、国道256号に迷いこんでしまったために、そのまま北上をして洞戸村から板取村を走ることになった。

  ところが、板取街道の村のはずれで道路工事表示を発見した。引き返す距離と行く距離が同じほどだ。賭けてみようと思い進んだのが失敗だった。ちょうどお昼ご飯だからその隙に重機の横をと思ったが、前方から戻ってきた軽トラの夫婦の話ではまったく通れないから早めに引き返した方が良いでしょうという。タラガ谷越(R256)まで戻ったら往復60キロほどになった。大きなミスだ。ロス時間を何度も嘆いてしまう。昔ならロスを喜んだかもしれないぞ、というようなことも思いながら久々にタラガ谷越を走った。まあ、楽しい道だけど。

  ■白川温泉へ行くか

  国道156号線に出てしばらくしてから東海北陸自動車道路の東側を北上する鷲が岳高原を抜けてゆく農道を走ってひるがの高原に出る。白川の温泉に寄って、今夜は平湯キャンプ場かな、と考えている。GS(このあたりはガソリンは105円)で地元の人の持っている時間感覚を尋ねて、ギリギリかなという感じである。少し急ぐか。

  ■時限通行止めに気づかず

  いやーそれらしいことは書いてあったが、制限時間が書いてなかったし、通してくれている様子から、交互通行かと思っていた。一瞬、工事の人にバイクを止めて聞いてみようかと迷ったのだが、そのまま大白川温泉に向う。

  行き止まりまで行っても温泉がないので地図を見ていると、「通行規制時間、13:00-14:30、15:00-17:00、と書いてある。時計を見たら14:50である。なるほど、先ほど工事区間を待つことなく通過できたのは、14:30-15:00の通行時間にピッタリに着いたからだったのか。この谷の入り口の工事箇所からは20分以上は走ってきた。15:00には間に合わないかもしれない。温泉などはどうでもいい、早くしないと17:00まで待たされることになる。

  私は焦った。上ってくるときは、「予想以上の険しさやなー」などとメットのなかで驚き叫びながら、雪をかぶった白山に感動していたが、下りは必死であった。もうすでに15時を過ぎたが、通してくれるだろうか…。

  15:10頃に工事現場に着いた。ゲートは固い。徒歩で工事現場の中に入り監督らしき人に頼むが、「ひとりを通したら全部を通さねばならない、工事のための時間規制だから守って欲しい」と頑固である。

  私は通りたい。理由として「こんなところで5時まで待てない。キャンプ場に着くのが真暗になってしまうじゃないか・・・」とは言えない。ただただ頭を下げて手をあわせて拝むだけである。お願いしますを三十回は繰り返しただろう。

  ■大白川に残念を残したまま

  もしも、相棒がいたら…温泉にでも入ってゆっくりしながらリラックスしていたと思う。必死になって頼むようなことはしないで、だれかが一緒にいると思ってゆっくりするのも打ち手だったかな。しかし、それは後になってから思うことで、このときは走ることしか考えていなかった。

  三十一回目のお願いで(オイオイ)現場前までバイクを持ちこむことを許してもらい、崖の上で動いている重機をちょっとだけ止めてもらって、落石が途切れている一瞬に、直径1メートル近い岩の間をスラローム試験のように通過させてもらった。

  ■天生峠に

  私は天生峠に向かった。

  忘れもしない1983年の黄金週間に、甲斐大泉の先輩宅を出て、友人の泊まる白川村のYHを目指したときに越えた峠である。

  山岳ツーリングの経験などまったくない私は、この峠を越えねば白川に行けないと思っていた。前から来たバイクが越えて来たというので、工事中の標識を無視して峠に入ったのだった。

  工事箇所は10メートルほどで、人が歩いて通れるほどの幅である。左は断崖絶壁で右は崩れている崖斜面。バイクで通るには右斜面に足を着けるが左は崖の底である。おまけに、バイクの轍跡を水がちょろちょろと流れていた。

  あの崖はどこだったのだろうと思いながら峠を走る。高所の怖い私がよく越えたものだなあ、と思い出すのも嫌なほどの怖さだった崖は、今は面影をなくしつつある。

  最も危険だったところからまっさきに工事を施され、道幅は広げられガードレールができている。今越えても恐怖の片鱗も湧かない。他にも怖い峠道を経験してきたことにもよるだろうが、この国道が必要な国道であるからだろう。確かに平湯トンネルを抜けて天生峠を越えれば富山はすぐそこだ。

  恐ろしいというイメージの峠道も、道路脇に水田が見え始めるとホッとひと息する。ああ、人が住んでいるんだ、そう思う。

  ■平湯キャンプ場へ

  勝手知ったるキャンプ場への道程。高山郊外のACOOPで発泡酒と日本酒、さつま芋のてんぷら、コロッケ、鍋焼きうどん、どんべえを買いこみキャンプ場に急いだ。

  5時半過ぎに到着した。おおかた7時頃まで明るいので、結構明るい間に遊べた。といっても、前回、焚火に失敗しているので、今回は入念に薪集めをした。蚊がブインブイン飛んでいたが、落ち葉の煙でどっかに行ってしまった。

  面白くよく燃えた。薪を触っていると酒を飲むのも忘れてしまう。火種は触るほど燻る。煙たい。

  芋のてんぷらとコロッケの揚げ油が良くなかったらしく胸やけがする。というか、胸やけなどなったことがないので、多分、これが胸やけだろう。

  ■夜

  8時頃に眠ったが、いつもどおり12時頃に目が覚めた。ちょうどその頃に雨が降り始めて、ざーざーとうるさい。雨を想定していなかったので、フライも緩く張ったし、ウェストバック(ハンドルバックにしている)も付けたままだったので慌ててしまった。大きな木の下だったのでそれほど濡れることなく雨は止んだようだ。

  ■早朝

  気温は10℃。Tシャツの上からジーンズのシャツを着て寝たが、汗ばんでしまったようだ。数種類の鳥の声が聞こえる。キツツキのこんこんこんという音も混じっている。

  5時に目が覚めたので、カップスープとどんべえを食べて出発する。安房峠を越える。穂高の頂上に雲がかかっていたが、尾根に残る雪がなんとも鮮やかであった。この季節に信州に来たのは初めてかもしれない。

  ■乗鞍高原・せせらぎの湯

  乗鞍高原から乗鞍岳に向う道路は冬季閉鎖中となっている。つまりは積雪で上れないということなのだろうか。せせらぎの湯に入ってゆっくりしてゆくことに決めた。

  先客がひとり。私のあとからまたひとり。三人でしばらく浸かって話をする。今日は温めの設定で40℃くらいじゃないだろうか。立ちあがると風が寒い。

乗鞍高原

乗鞍高原

  ■奈川から境峠

  奈川の温泉街を迂回する綺麗な道ができていますね。こうして温泉が寂れてゆくのかね。野麦峠に向う人には便利になっている。観光バスが境峠への分岐点で野麦峠の方に行ってしまった。あの排気ガスで野麦峠を走られたらたまらない。

  ■権兵衛峠

  木曾谷に出てすぐに鳥居トンネルをくぐり、後権兵衛峠に向う。新緑の森の中を南アルプスと伊那谷の風景を見下ろしながら走る。有名になったせいか車が多い。昔と比べて私の運転が下手になったのか、車が無謀になったのか、ヒヤリとするようなコーナーでの出会いが何度かある。

  ■入笠山へ

  伊那の町を通過しながら、ローメンを食べるかなー、と思う。でも、少しおなかがごろごろ鳴っているので先を急ぐ。

  ■続く自問

  こういう時に店に入らず先を急いでも、昔なら何も後悔しなかったけど、近ごろになって少し後悔することがある。もっとゆっくり余裕を持って、無駄だらけなツーリングをした方がいいのではないか。そう問い掛けることがある。

  連れ合いと一緒なら、旅の速度が遅れるなーと思いながらも、店に入って1時間は休憩をするだろう。

  もしかしたら、この年になって、気の合うツーリングクラブでも作ろうなどと思いつくような自分を予感した。そう言えば、先日もうちのんに「月に1回、定例で走りに行って、年に2度ほどのお泊りツーリングをするというような仲間を集めて主宰してもいいな」なんて話したばかりだ。

  こんなことを考えながら、未知である入笠山へ入って行こうとしている。ひとりごとが出る。

  初めて行くからドキドキする。ドキドキするから嬉しくて楽しい。例え失敗でも行って見ないとわからん…

  ■高遠から入笠山へ

  杖突峠に向こう道路沿いに小さな交番がある在所があった。そこから山に入ってゆく。ひとつ山を越えたところにも小さな集落があった。ひっそりとしていたので驚く。道路沿いには庚申さんの石仏が幾つもある。何か理由があるのだろうか。農業も林業もとりわけ盛んにできそうにもないこんな山の中でいったいどんな信仰があるのだろう。

  少しダートを走ると入笠山の頂上を付近を巡回する道路に出る。ここを反時計回りに四分の三ほど回って湿原や電波塔があるあたりまで行って、キャンプ場の様子を見てから南下を始めた。

  入笠山は牧場だと聞いていたので美ヶ原のようななだらかな草原を想像していたが、実際にはまったく違って木のない山である。そこに牛が飼われている。

  ■黒河内林道

  この林道はTMにも書いているが、まったく展望がきかない谷を北から南に流れる小黒川に沿って下ってゆく。ゲートの開閉箇所が2箇所ある。フラットで走りやすいダートである。水が綺麗で、道のすぐ下を流れている。何も尾根筋の断崖の上ばかりを走ることもない。こういう林道も随分と楽しいと思う。

  ■分杭峠へ

  南アルプススーパー林道に入るゲートが閉まっている。よく考えてみると、いったいどんな理由でこんなところにスーパー林道などを作ろうと思いついたのだろうか。日本の林業にそれほどの未来を抱いていたのだろうか。

  政治家は自分たちの手で、自由主義経済社会という大義名分を掲げ日本の農林業を壊滅的にしておきながら、よくもスーパー林道と言えたものだ。理解できない。国民が生まれる前に国家があるのだと思っているのではないだろうか。それを考えると住むのも嫌になる。国民がみんな愛想をつかして移住してしまい、政治家だけが政治をすればいい。

  ■地蔵峠

  これほど素晴らしい山林の景色を見ることができる峠は少ないかもしれない。天竜川が作った長くてまっすぐな谷に、自然以外のものが描きあげることがとてもできそうにない素晴らしい大山塊のうち重なる景色がある。新緑がまぶしい。

  ■飯田市へ

  矢筈トンネルを越えてみたかったので、少し遠回りだが飯田市の方に向かうことにした。4キロ余りもあるトンネルが、あの山の中にあるのもまったくおかしな風景である。もちろん、上村や南信濃村の人々の生活はすっかり変わったのだろうが、ちょっと中途半端ですよね。

  この天竜川の作った伊那谷というところの風景は、スケールが大きい。谷の底部分を流れる川から山の斜面の上部にまで延々と集落が存在する。人々がその昔に移住し始めた頃は、相当に神秘性も大きかったのだろうが、このように文化的に発展してきたのも豊富な資源と大河のおかげなのだろうか。

  田園が平坦に放射状に(団扇のように)広がる私の地方の村落と違って、この葉の絵を■その導管を描いたように村落の形が点在している。

  ■帰途

  国道157号線に出て、去年の秋に行った阿南温泉の前を通る。ううーん。阿南温泉に泊まってゆっくりするということも頭をよぎったが…、夜中に着けばあくる日にまた別のこともできるしなーって思いながら、ノンストップで走りすぎた。いつものように売木村、羽根村、稲武町を通ってゆく。

  安房峠や平湯では10℃だったのに、標高の低いところ来ると暑い。

  「下条村は峰竜太のふるさとです」と道端の看板にあるし、道の駅では「竜太そば」というものもある。暑いし腹も減ったし、普通のざる蕎麦を食べてみたが、値段の割に美味しくないし、わさびが最低だったのでがっかりした。こういう田舎なら少しは洒落てみて欲しかった。

  三河地方は真夏日を記録したそうで、なるほど暑くて当たり前だったらしい。

  今回の初めての試みとして矢作川沿いを豊田市まで下ってきた。思い切りケチって国道23号線を通って帰ってきた。高速利用料金は丸ごと貯金である。

  ■あとがき

  もう一泊すれば、山梨方面から大井川に出る案が実行できたが、タイヤが三分の二以上磨り減っていることや、ブレーキの効き具合が少し不安だったので、今度にすることにした。

  全走行距離は1000キロ弱で、まずまず走ったほうかな。大白川の温泉に入れなかったのが一番残念。車の非常に少ない土日でした。

2002年3月 9日 (土曜日)

奈良県・柳生の里

3月9日 晴れ 久々の晴れだった。

奈良県・柳生の里を目指して走り出しました。今回はひとつのテストを試みます。月末に四国にいけたらいいなあーと思っているんで、防寒処理の実験。まず、ハンドルカバーに透明のカバーを付け足して風をよけることができるようにしました。実際には、マウスパットほどの大きさで下敷きより倍ほど柔らかい透明のセルロイドをガムテープで貼り付けて、いわゆるハンドルのカウルにしてしまったの。80キロを越えるとパタパタと音がして、手の甲にカバーが当たるのですが、それ以下ならちょうど手を半分ほどカバーしてくれて非常に暖かかった。…というか、もう真冬ほど寒くないけど、今年は夏用の手袋でずっと走っています。

さて、柳生への道は、いつもお決まりです。松阪から西に走ってR368を通って名張市を通り抜けていきます。名張までには、仁柿峠と言うやや険しい峠を越えますが、拡張工事が相当進んでいます。早く行かないと旧道がなくなってしまう。ほんと、水が綺麗です。峠を越えるところから水は大阪湾に向かって流れるのですが、言葉にならないほど綺麗。名張市外のR365が快適なバイパスに変わっていて、とっても快適です。

松阪を出てから渋滞どころか足つきもほとんどなしです。名張市から柳生方面へは、地図の上をまっすぐに線で結んでしまい、その下の部分の集落をひとつひとつ辿って走るんです。それがなんと言うか、快適な農道の連続です。北海道のようにまっすぐではなく、信州の高原道路のような農道が山の尾根を走ります。村と村を繋いでいる重要な生活道路です。

もしも、関西方面から伊勢地方に来るひとがあるなら、絶対にこの道を少しでも走ってきてください。ツーリングの先入観を覆してくれるほど嬉しくなります。周りにはもちろん素晴らしい景色が広がっています。

ひとつは、棚田。これは美しいですね。こんな田園風景の間に点在する農村の家屋がまた特徴的…というか、みんな立派な家です。二重屋根のつくりで、どこの家にも蔵がある。村が栄えた深い理由がどこかにあるんでしょう。今度行ったら、畑作業のおばあちゃんに尋ねてみることにします。

もうひとつは、茶畑。宇治茶ブランドのお茶は、このあたりの生産品もきっと多いのでしょう。初夏に来ると美味しいお茶に出会えるかね。

スギ花粉に弱い人には、相当辛い道かも知れませんが、山はすっかり春の支度を終えていました。少し寒い。山間部はじわっときますが、フリースを2枚重ねて、3シーズンのジャケットを着ていただけです。シールドがないのでマフラーを顔じゅうに巻いていましたが、鼻水だらけになってしまった。Gパンとオーバーパンツ。パッシュで行きました。タラの芽をひとつかみほど採りたいなと思ってたけど、まだ少し早かった。たけのこは今が旬みたい。

2001年8月11日 (土曜日)

日和佐の駅にて  (小さな旅シリーズから)

【小さな旅】

日和佐の駅にて  (1992年夏)

あれは暑い暑い夏の夜でした。湿った空気が首筋の汗をドロドロにしていくような蒸し暑さです。初めての四国でひとりぼっちの野宿をしたのは、徳島県の日和佐というJRの駅でした。朝から剣山付近を走り回って海に辿り着きました。そこは何の変哲もない寂れた猟師町です。駅前の食堂で食事をしていると、南方の海洋で台風が発生して日本に向かって来るというニュースが流れていました。その後、駅の待合室のベンチに座って夜が更けるのを待ちます。一時間か二時間おきにディーゼルカーがやって来て数人の乗客が降りてゆくのをぼんやり見ていた。

あと数日でお盆だったので、観光や帰省の人の動きが少しづつ増え始めていた。けれど、駅前で客待ちをするタクシーの運転手さんは暇を楽しむかのように夜半まで車の中で過ごしている。人もまばらで、静かな静かな田舎町の駅前風景をぼんやりと眺めて私は時間をつぶしました。

初めての野宿です。テントを持ってきたけど、一度もそれを張ったことがなかったし、誰もいない海辺の町の空き地で張るには少し不安があったのだと思います。だったらJRの駅で寝ようと思い付き、そこにあったのが日和佐駅でした。ベンチに寝転がって眠ろうとしますと、頭の先を蟹が動いてゆく。静かな時空にサラサラという足音が聞こえてきます。また、時々、ホームに列車が入ってくるのでエンジン音で目が醒めます。

最終列車がやってくるころに私のバイクの隣に一台のバイクが止まりました。気軽に話し掛けたり掛けられたりできるのが一人旅の味わいです。近畿日本ツーリストに就職が決まったという彼は、昼間の暑さを避けて夜に移動することが度々あるという。眠くなったので駅でひと休みしようかということで寄ったらしい。

蚊の攻撃が執拗だったので、待合のベンチをあきらめてホームのベンチに移動したり、星が見えるほどに雲が切れてくれば、駅前のロータリーの真中にあるベンチに移動したりしました。隣に寝っころがりながら彼のツーリング感や大学生活の話などをした記憶があります。旅の疲れもありますが、出会った人が与えてくれる安堵感にいつの間にか包まれて、そのうち私は眠ってしまいました。

空が白んでくると小鳥がしきりに囀(さえず)ります。いや、囀るというよりも鳴きしゃぎるという感じ。野宿の朝はいつもそんな鳥の声で起きます。<あらら、はて…。昨夜の彼がいないなあ。どうしたんだろうか。>そう思いながら私も出発の支度を始めたら、荷物を固定するゴム紐に紙切れが挟んであります。

|お先に失礼します。名前も住所もわからない旅の仲間、

|またどこかでお目にかかれることを夢に見ております。

|お互いの安全を祈りましょう。

彼からのメッセージは確かそんな内容でした。メッセージとしてはありふれているし、あれから幾年も旅を続けていますと、時にはもっと泣かされるようなメッセージにも数多く出会います。しかし、彼が駅を離れる時に急いでペンを走らせ、それを荷物に挟み、エンジンの音が届かぬあたりまでそっとバイクを押して離れて行く息づかいを感じて嬉しくて仕方がなかった。旅行会社に就職すると言って喜んでいた彼は、きっと素敵な旅の案内人になっていることでしょう。

ねこ
01/08/11 09:03 記

2001年7月 4日 (水曜日)

「儚き出会い」1992年  (小さな旅シリーズから)

小さな旅


「儚き出会い」1977年

田辺君という立命館大学の学生さんに出会った.彼はバイク(バイクツーリスト)で1977(昭和52)年の夏の北海道を旅していた.当時、北海道を旅していた私は、本誌の新年からの連載に書いたように、ヒッチハイクと徒歩の旅だったので、田辺君と出会った(というか縁が出来た)瞬間は、バイクでの旅に関して冷めた感覚というか無関心に近い印象だったと思う。

雌阿寒岳(めあかんだけ、海抜1,503m)でのご来光を拝む夜間登山を終えて戻ったメンバーに野中温泉ユースホステル(以下、YHと略)のスタッフの誰かが、「ウトロYHに出立してしまった田辺君というライダーに忘れ物の免許証を届けて欲しいのだが誰かいないか?」と言って人を探していた。まさにその日に知床(ウトロ)に向かう予定だったので、気軽に「ハイ!」と私は引き受けた。

ウトロYHには明るいうちに到着した。そして、田辺君の免許証をYHの人に預けて、私は夕飯前に熟睡におちいってしまった。夜通しで歩いたせいで、とても眠かったのだろう。ミーティングの頃に一度目を醒ましたけど、夕飯を食べたかどうかさえも記憶にないほど再び眠り続けた。ただあの時、ミーティングでギターを抱いて歌っている誰かがいたのを朧気(おぼろげ)ながら覚えている。透き通った声で「今夜はキリマンジャロ、二人で飲みましょう」というフレーズが鮮明に蘇る。

結局、田辺君とは同じYHに泊まったはずだが会って話すこともなしに、次の旅先へとお互いが出発していった。しかしその後、旅から帰った田辺君から私に感謝の手紙が届き、何度か手紙のやり取りがあったのを記憶している。

私が大学を卒業して、彼の下宿のあった京都の鴨川沿いの路地裏通りを尋ね歩いたような記憶が微かにある。まさか、出会って数年後に京都に就職するなんて考えてもいなかったので、便りもやがて途絶えたままだった……。

彼もどこか遠い街に就職してしまったかもしれないなあ~と思いながら、鴨川の土手を歩きその住所を探して、暮らし始めたばかりの古都の散策をしたのだった。

今、もしかして、押入を探せば彼のあの下宿先が見つかるかも知れない。そしたら、下宿に問い合わせて実家を聞き出して、また音信が戻って、「オレも今、バイクツーリストをしてるんだよ」と言えるのかも知れない。

出会いとは儚(はかな)いものだとつくづく思う。ちょっとしたタイミングのずれで、二、三度の文通で終わることもあれば、一生の出会いにだってなる。

ウトロYHで夢と現実の狭間を流れたあのフォークソング。誰かが弾き語りで歌っていたあの「キリマンジャロ」の言葉の響きが忘れられない。だから私は、キリマンジャロが好きになった。世間ではコーヒー嫌いで通している私が、それは偽の姿で、キリマンがないと朝が始まらない。

そして、エキセントリックでドラスティックな出会いをした田辺君。あれから24年の歳月が過ぎたけど、まだライダーをしてるのだろうか。あの時、バイクに乗っていなかった私も、今はバイクの話に参加できるようになったよ。立派なツーリストになったよ。風貌も変わってしまったけど、私はまだ旅人をしています。彼にそう伝えたい。


July 4, 2001

2001年6月11日 (月曜日)

あじさいの寺(鎌倉)  (小さな旅シリーズから)

小さな旅


あじさいの寺(鎌倉)

締め切りが迫っている。そう言ってもIMFのメールマガジンが復活した嬉しい悲鳴です。これからも読者の皆さんに少しでも旅好きになっていただける種のようなものをほんの少しでいいから蒔いていきたいので、どうかよろしくお願いします。

…ということで、枕を胸にあてがい、ノートとボールペンを持ってうつ伏せになってあれこれと考え始めた。しかし、活字になって何も出てこない。それどころか紫陽花の葉っぱの絵を描いて遊んでいる。絵は苦手で下手ですが、気持ちが集中するので考え事をする前はおまじないのように絵を描いることがある。余談ですが、旅に出る時には必ずスケッチブックを持っていきます。滅多に描きませんけど、雄大な景色ではなく、小さな道しるべとか石ころとか…を落書きします。お下げ髪が可愛らしかった売店の女の子を地図の空欄に描いた事もあったあったな。美術の点数は最低でしたし、若いころは点数をつける芸術に反発してたけど、今は落書きがとても楽しい。ほんの1、2分で描く紫陽花の葉でも、恐らく誰が書いても葉っぱらしく見えると思います。水彩で着色したらちょっとした作品にまとまるのでしょうが、所詮落書きですから、このノートもそのうちどこかに消えてなくなります。落書きといえば、大学時代の講義のノートを、今になって読んでみると面白い。(もちろん私だけが楽しいのでしょうが) つまりここにも、欄外に落書きがしてありました。

きのう、鎌倉に行ってきました。
横須賀線に乗って、ららららーって感じで
T子ちゃんと二人で。
北鎌倉で電車を降りて、円覚寺の中を歩いた。
傘をさしていたけどやがて雨もやんで、
日が差し始めると、木立の合間に
幾筋もの光の縞模様ができるの。綺麗。
縁切り寺にも行った。さだまさしの歌をうたいながら歩いた。
紫色は好きじゃない。

そんなことをメモってあります。ちょうど今ごろでしょうか。貧乏学生だった私は、電車賃を払うのに四苦八苦だったに違いないが、滅多に会えないT子ちゃんとの「小さな旅」に出かけたのでしょう。こうして綴っていると、「源氏山から北鎌倉へ」と歌いながらもう一度切通しを歩いてみたくなってきます。バイクの旅の時は晴れてほしいけど、鎌倉を散策するなら雨降りがいいな。私の鎌倉の思い出は雨ばかりだから…かな

先日、梅雨入り宣言も発表されて、伊勢地方にも雨の季節がやってきました。紫陽花を見ると、あの時、縁切り寺で見た紫色を思い出します。T子ちゃんは薬学部出身だったので、草花のことをよく知っていました。道端の小さな花や雑草を見つけるたびに薬草の講義をしてくれました。学術的な話は何ひとつ覚えていなくとも、のらりくらりと歩き回ってくるのではなく、人それぞれの視点があることを教えられたなあ。実は、我が家の庭にも紫陽花があります。私の剪定がまずかったらしく、ここ数年、花を咲かせなかったので諦めていたのですが、それが今年は何故か咲きました。天気予報は週末の雨を報じています。雨降りが嫌いな人も多いでしょう。でも、久しぶりにお湿りが来るのを喜んでいるように紫陽花の花びらが揺れています。手元にある(広告の裏でもいいから)白い紙に庭の花のスケッチでもしてみませんか。そこから小さな旅が始まります。

<後記>旅にはカメラを2台もって行くことがありますが、最近、廉価モノのデジカメを記録用に買いました。カメラとしての測光にかなり難がありそうです。たくさんのカメラより地図の隅っこに走り書きしたイラスト風の絵のほうが旅の記録としてはサマになります。


01/06/11 メールマガジン・投稿原稿のまま(原文)

2000年12月 4日 (月曜日)

安曇野で道祖神に会う (小さな旅シリーズから)

小さな旅


「安曇野で道祖神に会う」

旅に出かける時の必需品にカメラがあります。決して撮影テクニックがあるわけではないのですが、学生時代に写真学科に在籍していた友人(後に彼は報道カメラマンになったんですが)の影響もあって、野次馬根性や好奇心が旺盛で写真を撮るのも大好きです。ですから、積める荷物を限定されてしまうバイクツーリングであっても、あれこれとやりくりしていつも2台のカメラを持って出かけた頃がありました。そういう頃の作品には秀作が残っています。しかし、ひとりで走っていますから自分自身を写すことは滅多になく、景色や人の動きなどを撮ったものが多いですね。最近は、カメラが高機能になってくるとともに腕が衰退していくのでしょうか、気に入った一枚になかなか出会えません。

写真ばかりに夢中になると実際の景色の印象が薄れてしまいます。しばらくして思い出そうにも記憶に残っていなかったりしますので、やはり、しっかりと記憶するためにも余裕を持ってスケッチをするように心がけています。ただ、私の場合、美術の成績はクラスでビリでしたので画才といえるものはこれっぽっちもなく、とても他人に見せられるような作品が描けません。そこで、下手でも投げずに描くように努めてます。無心になれて、結構、楽しいです。道行く人の視線は気にかかるのがたまにきずです。

さて、安曇野へ行きましょう。素敵な名前ですね。どんな所なんだろうかって、初めて訪れた時はドキドキしました。アルプスの裾野に果樹畑が広がっていて、塩尻から松本にわたる盆地を見下ろせます。北アルプスのせせらぎが生き生きと流れている。その水は千曲川となり信濃川となってゆくのです。サラダ街道が大地を突っ切って延びています。

対数関数的に加速してゆく現代の生活クロックのなかで私たちは暮らしていますので、ふと、立ち止まった安曇野のさりげない民家の軒先で泰然と時間の流れを見つめるように座る「道祖神さま」に出会うと感動が襲ってきます。道祖神さまはこの地方では有名らしく、気をつけているとあちらこちらの道端で頻繁に出会えます。思わずバイクを止めてカメラを向ける。大抵が夫婦で居てカラフルな服を着ています。珍しい風景に心も和みます。

安曇野といえば、美術館などがあって賑わっているようですが、私はバイクのソロツーリストですから、「サラダ街道」と呼ばれる農道がお気に入りです。アルプスの峰を間近に仰ぎながら、林檎や杏の畑の中を快走して行きます。5月の中頃行くと「わさび祭」をやっていて、わさび園でわさびソフトを食べながら、北アルプスに向かって両手を広げて「わぉー」って叫んでみると最高です。

ある時、このわさび園でNHKの「小さな旅」の取材に出会いました。川藻の漂うせせらぎの中に足を突っ込んで撮影しているカメラマンさん。雪解け水がさぞかし冷たかろうに……と思いました。些細な風景のひとコマひとコマが絵になるところ。安曇野は何もないところですが、とても満足感のこみ上げてくるスポットです。


December4,2000

2000年10月 2日 (月曜日)

三宅島の思い出  (小さな旅シリーズから)

小さな旅


「三宅島の思い出」

人々が、まったくの無関心を装っているように見えるのは私だけであろうか。三宅島の都民が避難をしてから幾日も過ぎているのに、大自然の怒りに対して、都知事の権力や金、ご自慢の「三軍」はまったく役にたっていないようにしか思えない。危険が街に忍び寄ってくるのは、災害でも侵略でも同じだと誤認しているからか。おびえる庶民の心がまったくわかっていないのだろう。火山活動が収まって島に帰れたら、東京都から独立して静岡県とか三重県の自治区になる運動でも起こしてみたら面白いかも知れない。

さて、私の旅のお話に入ります。約20年前の11月に私は三宅島を旅しました。それは、寝袋を背負っての野営旅でした。きっかけは偶然にやって来る。秋の大学祭も間近に迫り、ひょっこりと講義に出かけた私に、花川君という友人が「三宅島に行くぞ、お前も一緒に行くか?」と誘ってくれて、寝袋を借りて、古くて小さなディパックに詰まるだけ服を押し込んで、有楽町あたりの港からその日の夜中に船に乗ったんです。

東京湾から都心を振り返る夜景がとても綺麗で、無数の星を散りばめたように……という表現がふさわしい。夜景というのは東京タワーのような高いところから見おろしても綺麗ですけど、海上から眺めるのが本物だとこの時に初めて知った。船は伊豆七島を順に巡るのだろう。三宅島に着いたのは未明の時刻に真っ暗な岸壁に降り立つ。やけに釣り人が目立ちました。ひんやりとした空気の中で、東西南北もわからないまま二人は歩き始める。いったいどんな島なのかさえ知らないしわからない。一種の冒険気分に満ちていました。

太陽が水平線に姿を見せた。なるほどーという驚き。船着場の近くは飛行場だった。真っ青な海に白い光が差してくると、雄山の姿が青空に映えた。噴煙はほとんど見えない。一周で40キロほどの島を二泊三日の計画で歩いて回ろうという計画である。昔の噴火の爪痕が残る火山の裾野をひたすら歩き、時には原始林のように深い森を抜けて火山の頂上を目指したりした。

この島はバードアイランドと呼ばれている。しかし、鳥(バード)の名前を私は知らなかった。温帯の森の植物の名前もまったく知らなかった。都会で暮らしていると数々のブランドが目に飛び込むように、ここでは植物や動物という大自然のブランドが満ちていた。歩き回って疲れ果て、海岸にある避難小屋で、寝袋にくるまって寝た。避難小屋といっても屋根だけの吹きさらしで、展望台か東屋の姿を想像してもらえばいい。米を炊いて、サンマの缶詰を温めておかずにした。近くの酒屋で段ボールをもらってマットにした。寒冷前線が通過し一時的に冬型になったために夜は寒く、風がびゅーびゅーと音をたてて吹いた。寒くて眠れない時間が過ぎて、やがて夜が明け始めた。

貧乏な旅だった。しかし、こういう旅を経験することは必要だと思います。ひたすら歩いて島の人と語らい、民家の隙間を通り抜け、太平洋に臨む海岸では強風に吹き飛ばされそうになり、波の華というものに出会い、素朴な集落の生活の息吹にも触れた。若干二十歳。旅の感動と出会う。

あれから二度の噴火があり私が歩いた島道もその面影を変えたことだろう。溶岩が流れた跡は時間とともに風化しながらも、数十年に一度の噴火を繰り返し、火山は住民を脅かす。無限大の自然力を素直に受けとめることは大切である。共存するというある種の動物的な感性で、島の人々は火山と共に暮らしている。

私の旅の原点のひとつはこの島にあった。自然の中で夜を明かし、ひたすら歩き続けること。旅は目的を持つものではなく経過を愉しむもの。そういうゆとりは、管理された社会から脱出してこそ得られるもであるということ。島の人々の気持ちは、コンクリートの中で暮らす人には到底理解できないものであること。そういうことが体感できるから旅は素晴らしい。


October2、2000

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