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【随想帖 秘】

2009年3月11日 (水曜日)

年の瀬に考える 〔2003年12月下旬号〕

年の瀬に考える 〔2003年12月下旬号〕

いよいよ今年もあと数日で終わる。様々な感慨がこみあげてくる。2003年(平成15年)も喜怒哀楽の繰り返しの年であり、幸せであったことに感謝をする。

失業を経験しなければ、私はこれほど人さまに感謝をするような人間にはなれなかっただろうと思うことがある。優しさや哀しさというものは、そのことを命令して実行できるものではない。優しさには心の温かさが必要であり、心は自らの意思で優しく変化してゆくものである。哀しさは、哀しもうという意思だけではどうにもならず、感情の奥底から湧き出でてくるものであるのだ。したがって、私が喜怒哀楽を深深と感じ、皆様に感謝できるようになったことは大いなる進化であった。

だから、世界中の皆さんが失業しなさいとは言わないが、今ほどに社会が枯れ果ててしまい、個人主義、自由主義経済の名目が大手を振るうもとで、倫理や哲学を軽く考え、快適で住みやすければそれでいいという錯覚に、人々は陥っていまいか。

環境活動を創造するという仕事に現在携わっているが、社会の中の何が適切に機能せず、社会システムのどの部分が不活性なのかを見直そうとするとき、人々の気持ちが冷めてしまって、生きてゆくことへの戦略やポリシーを感じ取れないことがある。つまり、どうにかなる、私には関係ない、こっちのほうが楽しくて快適で得する、という概念ばかりが目立つ。

おまえら、誰にも感謝せずに生きるということは犯罪に等しいぞ、と言いたくなる。十年後、二十年後の社会を想像してみよう。そのときに、果たしてこれらの悩みは解決できているのだろうか。もしも解決できていれば、それはどんな手法なのだろうか。その手法を先取りしたい。そんな夢のようなことを思う一方、その夢を今すぐに実現するのが当面の私のテーマなのだ。

夜空を見上げて考える 〔2003年12月上旬号〕

夜空を見上げて考える 〔2003年12月上旬号〕

仕事を終えて建物の前の駐車場に向かうと空一面に星が出ている。私でも名前を知っているオリオン座が東の低空に見える。その形がはっきりとわかるので凄く嬉しくなる。人間が意図してデザインをしたわけではないのにこのように綺麗に並んでいるのを、太古の人類が発見したとき、それは発見ではなく偶然であったはずだが、そして今で言う科学の概念などないからこそ、そこにひとつの信仰のようなものとして定着したり、希望や願いをする際の祈りの対象となっていったのだろう。科学技術は果たして私たちに幸せをもたらしてくれたのであろうか。現代科学を考えると必ず私はそこに行き着いてしまう。

電話機で写真を撮影して送ったり、歩きながらでも電話を掛けられたりできること。200キロものスピードの出る車があること。非常に優れた音質でしかもマイルームで映像付きの音楽を聴けること。挙げれば数限りなく思い浮かぶ。しかも、そのことはほとんどが現代では当然のことで、低コストで提供されている。疑問はここから始まる。

人の命を救うために細菌や細胞を研究して癌をやっつけるとか、心理学や精神科学などとも融合させて人間というもの神秘を探る、というようなことに、歴史的な科学が挑んできた。だが、電車の座席に座ったままで電話を掛けたときに、もしかしたら相手がトイレの中にいるかもしれないのに、それでも平気で掛けてしまう可能性を認めてゆくのは正しい選択なのだろうか。確かに、暗い夜道を子供が帰ってくる時に電話がなくて連絡が取れないことは困ったことだろうけど。
科学技術を推進する人にとってみれば、開発することは人間の欲望であり未知なるものの解決は誇らしいことであるだろう。そしてシーズの活用分野を考えることも決して間違いではない。つまり、私たちがもう少し便利になるために新技術を利用してゆくことの「進化の流れ」に誤りはない。

進化する情報科学やデジタル技術を駆使して生活を向上し便利な社会を築きあげことに反対するつもりはない。しかし、人々が、電車の中から電話を掛けなくてはならない必然性を生んでいる社会構造に疑問を持ち、暗い夜道を危険にしてしまったこと(または暗い夜道に歩かねばならない必然性)を見直さねばならないのではないだろうか。

このようなことを考えながら、夜空を見上げる。寒さを何ひとつ感じることなく、マイカーでドアからドアまで帰ることができる便利さの恩恵を受けながら、この車の中から家に電話を掛けて「もうすぐ家に着くから」と言えることよりも、「お父さんがもうそろそろ帰ってくるよね、ご飯の支度をXXちゃんも手伝ってね」という会話の中で母と子が父を敬うようになるのではないか。このままでは、心待ちにする本当の姿が薄れてゆくのかもしれないと思う。

快適さを生産するのがテクノロジーを開発するエンジニアたちであるのだが、彼らを戦士と称えるメディア番組に人気があることなどを考えれば、矛盾も多くため息も出る。

自然環境が破壊され、人間としての野生の感覚も失い、生きていることの感謝を忘れ去り、暗いくて静かな夜も失ったことが重大なことだとは思わないのは、高度情報化社会の裏で、やはり、どこかで何かを勘違いしているとしか思えない。

木枯らし 〔2003年11月中旬号〕

木枯らし 〔2003年11月中旬号〕

 

木枯らしが一年ぶりに戻ってきた。
早朝の休日の国道は車の数も少なく、プラタナスの枯葉が舞っている。北山修が「プラタナスの枯葉舞う冬の道で♪」とうたったのは遥かに昔のことだ。本当にプラタナスの葉が京都の都大路を舞うのを彼は見たのだろうか。そんなことを考えながら鈴鹿山麓の職場に向かって車を走らせた。

 

日本海を渡った冷たい風は琵琶湖の北岸にある三国峠を越え、伊吹山と鈴鹿山系の谷間を吹き抜けてくる。本州の首根っこのように尾根筋が低い関が原付近でどっさりと空気中に含んだ水分を雪にして落とした後、鈴鹿の山から太平洋へと勢いよく去って行く。
11 月22日。御在所岳[1212m]の頂上には雲がかかっていた。しぐれているのだろう。車のフロントガラスにも小さな水滴が時々飛んで来る。少し手前にある入道ヶ岳[906m]の尾根に陽光が差し込み、紅葉した山肌がハイコントラストになって浮かび上がる。こうして冬を迎えれば、やがて、私はこの山脈から吹けてきて舞う小雪に毎朝迎えられて国道306号線を職場へと向かうことになる。

 

デスクのパソコンの電源を入れると県内の気象データを見ることができる。山頂の気温は1度以下、風は13メートル。北西。本格的な真冬の数字である。
ああイヤだ。…そんなことばかりも言ってもおれない。冬があるから春が来る。震え上がりながら3Fのコンピュータールームに入ったら、そこは20度の世界で、ひんやりと寒い。ああ、なんてこった!

 

でも、時にはいいこともある。正午ころ、藤原岳の方角に大きな虹が見えたのでした。これも時雨のお蔭なんだろうか。
PS:26日にはこちらの山の気象観測設備の設置完了の立会いで山に登ります。覚悟が必要そうです。

 

会釈 〔2003年11月初旬号〕

会釈 〔2003年11月初旬号〕

近頃、会釈という言葉は死語なのだろうか。

日が暮れるまでには十分に間がある時刻に、住宅街を私はウォーキングしていた。道の向こうを近所のお子さんが犬の散歩で歩いてゆくのが目に入ったので声を掛けた。こんにちは!と叫んだのだが届かなかった様子で、次に、○○君!と呼びかけてみた。首が私の方に少し動いたようにも見えたが、ネジの緩んだロボットのように再び元の方角を向いて、あたかも何もなかったかのように彼は過ぎ去ってしまった。
彼には私の声が本当に聞こえなかったのか、それとも聞こえたけど返事をすることができない事情があったのか。近所の皆さんとも、それが大人でも子供でも、挨拶を交わす機会が少なくなっている。高校生だと恥ずかしさもあってはにかんでいるだけの子もあるが、知らぬ振り、見えぬ振りで通り過ぎる人が多いことに驚く。地域社会が枯れている一面だろう。

早朝の散策では年配の方に深々と頭を下げられる。もちろん何処のどなたかは存ぜぬが、思わずつられて頭を下げる。その度に死人のように視線をそらせた彼を思い出す。

会釈をすることを忘れたのか、それとも親から受け継がなかったのか。そんな人たちが街で目立つのはどうしてなのだろうか。

キンモクセイ 〔2003年10月号外〕

キンモクセイ 〔2003年10月号外〕

何とも、身体じゅうがとろけてしまうのではないかと思わせるような香りを放つ。

三重県環境学習情報センターというところは、鈴鹿山麓にあるので周囲は雑木林で囲まれて、海側は見晴らしよく四日市市の街並みや遠く名古屋の街、さらに晴れた日には御嶽山も見える。

秋になって汗も噴出さなくなってきたので、お昼休みにはセンターの周辺に散歩に出ることが度々あります。すると、このキンモクセイの匂いに出会います。

花として、決して姿かたちが良いわけではない。ところが植栽としている家が近所にたくさんあることに、散歩に出てみて初めて気が付く。

さあ、キンモクセイを探しに散歩に出ようか。

土佐堀川 〔2003年10月下旬号〕

土佐堀川 〔2003年10月下旬号〕

「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名前を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわる所に三つの橋が架かっていた。」

これは宮本輝の「泥の川」の書き出しです。映画は白黒映像で、貧しかった時代の、大阪の人々の切なさを淡々と映していました。その大阪の街を何年も後になって歩いてみたことがありました。研修の初日、北浜という地下鉄の駅を降りて地上に出ると、いとも簡単に淀川の水面に出会え、偶然にも土佐堀通りという名の通りに沿って歩きます。このまま逆に西に行けば1キロほどであの映画の舞台になった所に着けるのだと思いながら、ビルとビルの間から北に伸びている天神橋という橋のほうに向かってゆきました。

余った時間には少しだけ街を歩くことができました。何の変哲もない街ですが、ビルの合間にはささやかな紅葉が届き始めています。淀川というたった一本の川がこれほどまでにこの地域の風景を作り上げ、人々が無言でいるとき、あるいは、ビル街が騒音に包まれているときに、自分ひとりでこの川のほとりに立つと、真っ先に自分が蕪村になって堤防を歩いていたり、真田幸村の足跡を探そうとしていたりします。

大都会でありながら、歴史的風情を完全には捨て去らないのは、豊臣の意地とか慰霊というものでもなく、日本という国をまったくダメにしたまま何百年も勝手を続けた東の覇権への反発なのかも知れません。しかし、そういうことにも寛容になれる自分がどこかにいるのです。それは、この川に囲まれた街の持つ文化というものが、広義には関西文化というものが、ここまでしなやかさを保っているのは、或る意味では東のおかげだったのかも知れないと思えるようになったからでしょう。

海側から西日が差し込むという幸運な位置関係もあって、淀川の満々とした水が音もなく流れているのを、河岸の公園の鉄の手すりにもたれながら眺めることができました。市場動向に最も敏感に反応する人々が集まるような街です。わずかながら色づき始めたもみじや蔦などが公園の水際に巧妙に植栽されいるのを眺めてくつろいでいるような余裕人は誰一人としていない…ような気がする。でも、その分、私はひとりごちて、無言になれ、存分にエネルギーを蓄えることができたように思う。

実は…半年振りに電車に乗ったこともあって、通勤時間に溢れる社会情勢の顔のようなものもじっくりと見ることができたし、硬くなった脳みそも随分とリフレッシュできて、また、化粧をした子供たちもたくさん見て動物園に行っているみたいな気分にもなれたし、旅に出かけていたような三日間でした。

帰りの電車の中から、長谷寺の門前の在所が見えました。ゆうげの煙が山並みを静かに漂っていました。

やまあいに熟れ柿ともす日暮れかな  〔ねこ〕

ふたりの人 〔2003年10月中旬号〕

ふたりの人 〔2003年10月中旬号〕

或る電子会議室のことを急に思い出して、昔のログを読んでみた。こんなことをし始めるなんて、老化のひとつなのかもしれない。

1994年のものを読んだ。そこには懐かしい名前が二人あった。RさんとKさん。ちょっとストーカーみたいだけど、インターネットで検索をしたら、二人とも見つかって、恐る恐るメールを出したら、届いていることがわかった。

ひとりは、ツーリングレリーフのBBSに書き込んでくれたので、はしゃぐように返事を書いた。もうひとりは、その人のHPのBBSで挨拶をした。

その晩は、とても嬉しかった。彼女たちは子育ての合間にバイクから離れていた様子で、最近になってお二人ともバイクを動かそうとしたらしい。Kさんが再びバイクを動かし始めた日に私のメールが届いたってのも、何かのシナリオのようです。

RさんのHPには、ツーレポが載せてある。これがとても素晴らしい。さすが文筆を本職としておられるだけある。しかも、ツーリング日記では稼いでいないので文章に裏腹がない。素顔が見えるような気がした。

じっくりと読みたいという気分に飢えてる人は、ぜひ、行ってみてください。Rさんは、ツーリングの大先輩だったんです。〔URL:略〕

Kさんは、新しいハンドルになっているので、何か新しいことでも始めているのかもしれない。
うきうき気分になってゴキゲンだったので、ちょっと日本海まで走ってきた。走りながら、例のごとく様々な思いが駆け巡ってゆく。

二人とも10年以上前のバイクをじっと家の片隅にしまったまま、ずっと子育てなどをなさっていたらしい。その間、いかがな日々をお過ごしだったのだろうか、バイクにはもう乗らないかもしれないと思った日はなかったのだろうか…。そんなことを想像しながら私のバイクへのこだわりのことを考え続ける。
私も少し冷ましてみるのもいいかもしれない。何もこだわって乗りまくらなくても、通勤に乗ってるだけでもいいような気がしてくる。

Rさんのツーレポを読んで、また少し考える。風景も人も空気も、…何もそれほど大きく変化したわけではない。もしかしたら私の心が一番大きく変化したのかもしれない。

彗星のように巡りあえた二人は、彗星のように消えていってしまうのかもしれない。私もその宇宙を彷徨っているんだってことなんだな。

彼岸花 〔2003年10月初旬号〕

彼岸花 〔2003年10月初旬号〕

彼岸花とコスモス

9月24日に彼岸花が一斉に咲いた。不思議なことに伊勢平野ではほとんど誤差なく同じ時期に咲くから不思議だ。

あの赤い花は田んぼのあぜ道に似合うこともあって、秋になった象徴として待ち遠しい。まだかまだかと待ちわびる。それがお彼岸のころだから彼岸花と呼ぶ。

近くで見ると思うほどに綺麗ではない。寿命も短いうえに10月になるとあの赤みの鮮やかさが枯れてきて、花として幾分落ちぶれてくる。それが如何にも野山の草という感じで、ことさら寂しい。

やはり遠くから見ているのがよろしい。これは美人にも言えることかもしれない。彼岸花にも毒があって、手で千切ったりしたら、その苦味に悩まされる。美人にも悩まされた方は多かろう。

一方でコスモスには優しさが漂う。この花には毒もなく苦味もないようだ。ちかごろは、休耕田に咲き誇る花に埋もれて写真を撮る人の姿を見かける。

それぞれの花言葉を調べてみると、コスモスは「少女の純潔」「乙女の真心」、彼岸花は「悲しい思い出」とある。彼岸花のどこに「悲しみ」を連想するのだろうか。人それぞれだと思うものの、あの真っ赤な色には情熱を感じても、私は悲しみを想像しなかった。

若いころは赤色が好きで、赤い服の女性の見かけると、いそいそと後姿を追いかけてついていったものだが、年齢を重ねるとともに穏やかになったせいもあって、黄色系や黄緑系の服に刺激のもとが移ってきた。

以前にどこかで書いたが、自然の色の移り変わりというのは不思議なもので、春は新緑に代表されるように刺激の少ない緑や薄い青系の色に始まり、コレに少し赤色が加味され、黄色が主体になるのが夏のころ、秋になるとさらに赤が加わり、すべてが真っ赤に燃えて枯れてゆくのである。この色の変化を周波数軸にプロットすると、高波長から低波長へと移動していることがわかる。人間が体感する時間の速さも、高から低へと変化することを考えると、自然の変化といえども理論的に作られたかのようだからおもしろい。

星野道夫さん 〔2003年9月中旬号〕

星野道夫さん 〔2003年9月中旬号〕

 お盆に帰省をしたときのことです。京都・四条烏丸の大丸百貨店で開催される「星野道夫の宇宙」展の広告を地下鉄で発見して私は「おおっ!」と叫んでしまいました。そばに居た娘(高1)が「この人、中3の教科書に載っているよ」と言うので、あくる日に早速二人で出かけました。
 星野さんは「環境」に関して何かのメッセージを発信したわけではないし、無駄な電気は消そうとかゴミを減らそうなどとも、恐らくひとことも言わなかったのではないでしょうか。イデオロギーを掲げて活動したのではなく、ナチュラリストだったんです。それだけに地球の環境を考えている真剣味が伝わります。
 高校時代にアラスカの村を写した1枚の写真と出会い、感動し、一通の手紙だけをきっかけにして極北の地を訪れます。慶応義塾を卒業してアラスカ大学に留学し動物学を学び、そのまま永住します。大自然や野生動物を追いかけ、クマやカリブー、クジラ、オーロラなどの写真を撮って、エッセイを書いています。教科書に掲載された作品は、文春文庫「旅をする木」にあります。感動的な風景や動物たちの生態など、伝えたいたくさんのことを写真とエッセイに綴りながら、アラスカの風景を追いかけて暮らしながら、人間と自然とのかかわりに畏敬の念を抱き、いつまでも感動し続けていた人でした。
 「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか」という一節がエッセイにありますが、何不自由なく暮らす文明への提言なのかもしれません。
 私たちは何でもすぐに答えを求めたがる傾向があります。地球温暖化について教えてください、と質問を投げかける子供たちがいます。しかし、教育をする人、学習を手助けする人たちは、簡単に答えを教えたり、あらすじを知らせてしまう前に、調べる手立てやその過程での寄り道の手法を教えてあげることが大事です。これが真のゆとりです。そうすることで、例えば星野さんの写真を見て感動できるような、あるいは環境学習推進員の木村さんがミンミンゼミに出会ったとき(木村のページ参照)に「感動」したように、自然の姿やそれらの営みに強烈な刺激を受け心を奪われてゆくような、そんな感性を伝えてゆける。
 環境を学ぶ人には、フィールドワーカーたる気性も必要と思います。こういう書物に刺激されて野外に興味を持つ人がひとりでも増えると嬉しいですね。何か一冊に感動できれば、答えを求める旅の切符を手にしたようなものです。

がむしゃら 〔2003年9月号外〕

がむしゃら 〔2003年9月号外〕

朝夕が涼しいねというタイトルでかわせみさんのHPのBBSに書き込んだ。その内容はというと…

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 朝夕が涼しい季節になってきました。信州の山あいなどはさぞかし秋の気配も漂い始めているのでしょうね。夏に咲いた花々が一斉に実を結ぶ季節ですかねぇ。

 澄み切った青空の下、心地よい風に吹かれて遠くの山を眺めると、今度はあの山の麓に行こうかな、と想いを馳せることになります。

 信州には、そのときどきの思い入れで走った峠がたくさんあります。初めて信州に踏み込んだのは、20年ほど前です。バイクに乗り始めて30年なりますから、10年間は信州を知らずに近所の野山を走っていたんですね。

 ある意味では、最初から信州に踏み入れなかったのが幸運だったかもしれません。〔コレは東北にもいえます〕

 秋に誕生日を迎えると免許取得30周年。ご褒美にどこかに旅に行こうかなと考えています。

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 このあとで、何だか沁沁とした気分になってきた。

 がむしゃらに走った日々があった。でも、あんまり燃えすぎないほうがいいようにも思う。ほどよくたしなむ程度にいつまでも…というのも良い。

 何が一番、とは言えない。そもそも答えなど何処にも無い。

 このごろ、時々思うのことは、もう一度くらい再びがむしゃらに走ってみたい、ということ。コレは過去にそういうお馬鹿な経験のある人だけに与えられた特権かもしれない。

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