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【随想帖 秘】

2009年5月 6日 (水曜日)

いつも空を見ていた

  ■----------------------------------------

  〔2002年の塵埃秘帖4月号から〕   

  いつも空を見ていた

  好きだった人  
  いつも空を見ていた  
  飛行機雲が見えたら家まで電話をかけてきた  
  おまえの部屋の窓からも見えるかーって尋ねた  
  いつも空を見ていた

  好きだった人  
  夜になっても空を見上げていた  
  星の名前なんか知らないけれど  
  天文学者になりたいなとつぶやいていた

  いつからかわたしも空を見上げるのが好きになっていた  
  言葉に詰まるとそっぽを向いて空を見た  
  いつも青空ばかりじゃなかったけれど  
  そんないくつもの顔を持った空がわたしは好きだった

  雨がやんで小鳥がさえずりはじめると  
  緑の新芽を精一杯に吹き出した森の雑木たちが  
  ざわめき出すような気がした

  峠には木霊が棲んでいた  
  太陽が差し込み  
  雨のしずくがきらりと光った

  あいつはいつものように空を見上げて言った  
  別れのときが来た  
  新しい道を歩もう

  空は青く  
  飛行機雲さえなかった


  あの子のこと・その1

  その子のこと・その1

  〔塵埃秘帖6月号から〕

  これでお別れだと決めた夜にも私はその子を抱いていた。別れ話を口にできずただひたすら手を握りしめた。二人で幸せになるんだと信じて何も疑わないその子を、ポイと海に放り投げるように突き放して、別れてしまった遠い夏。あの夏も雨が幾度となく旅の私をいじめた。雨があがると蒸し暑い朝を迎えた。大きな橋を渡った後に、川霧を見おろしながら私は言った。

  「……」

  あの子は何も返事をしないままそれきり一度も振り返ろうとしなかった。別れの瞬間だった。〔6月12日〕

  あの子には鳥のように自由にふるまう気ままさがあった。誰にも束縛されずに大空にひとりいて、地上の獲物を狙っていた。ときには、甘えた猫のように無抵抗に自分をさらけ出した。私を騙して、抱かれる悪い女でもあった。でもたったひとつだけ、謎を残して消えてしまった。〔6月19日〕

  私たちは弱虫同士だけれど、助け合えば必ず成功するよ。十年後の夢をここに描こうよ。この崖から飛び降りようなんて言い出したらダメだよ。〔6月20日〕

  別れは突然やってきた。そう、風に吹き飛ばされる麦藁帽子のように私の前からアイツは消えてしまった。〔6月23日〕

  あの日も雨が激しく降っていた。夕暮れ前に買物を済ませて部屋へ戻って、わずかに灯油が残るファンヒーターに火を入れた。何も疑うことなく、惣菜をつまみながら過去を哀しみ、夢を語った。せんべい布団が一枚あるだけのささやかなひとり住まいの部屋に、ほのかに明かりが点ったようだった。横顔が可愛かった。〔6月24日〕

  〈続・あの日のこと〉

  二日めになっても雨が降り続いていた。いつから私は雨降りが嫌いになったのだろうか。冷たい雨はその子の首筋から背中へと染みこんでいった。苛立ちを隠せず、服を脱ぎ捨て、ひでぇ男に騙された夜のことをポツリポツリと話し始めた。〔6月25日〕

  桑の実を摘んで食べた。お父さんは優しくて、いっぱい摘んでくれた。でも、時には鬼ような父の姿もあった。暴力をふるう父。妹だけを大事にして、姉である彼女には、去っていった妻の仇のように冷たく当たった。だから18歳で家を出たという。そこは多摩川沿いのボロアパートだった。〔6月27日〕

  あれは湘南の海岸だったんだとあとで気がついた。彼女は自分の哀しくて醜かった過去をひとりで握りつぶしながら私を海に誘った。雨は嵐のように吹き荒れ、砂浜は悪夢の舞台のように乱れた。この子は私にとって重苦しい子なのかもしれないという予感がそのとき走った。筋書きのないドラマだった。まだ私は決め兼ねていた。〔6月28日〕

  (詩篇)

  君をさらってどこまでも走り続けてゆけるなら僕は深い深い幸せに酔いしれることができるだろうけれど、いつか二人が無言になって不安を語ろうとしない時間がやってくるに違いない。そのとき、僕は君の手を取ってあの山の向こうへと旅を続けられるだろうか。そんな勇気があるだろうか。ねえ、どこまで、そして何故、私たちは走るの?君の問いかけは厳しい。僕には迷いがあったのだ。〔7月2日〕


  あの子のこと・その2

  彼女が貞心尼の話をしてくれた。長岡藩士・奥村五兵衛門の娘として生まれた貞心尼は、幼いころ母と死別し乳母に育てられた。文学好きでふっくらとした美少女だったという。17歳で結婚するが、6年ほどで離婚し23歳のとき閻王寺にて髪を落とした。父と言い争い家を出て行ってしまった自分の母の面影を追い、幼い頃に裏の河原で水遊びをしてくれた父の姿を思い、さらにひとりぽっちになってしまっている自分とを貞心尼にオーバーラップさせていたのだろう。〔7月3日そのⅠ〕

  雨が上がって、長野県から新潟県へと県境を越えた。彼女は良寛と貞心尼を思い詰めてか、少し無口になっていた。私たちの旅は二日目に入っていた。このまま地の果てまで一緒に行けたらどれほど幸せだろう、そう何度も思いながらも、二人の実らぬ恋を私は案じていた。閻魔堂へと峠を越えるか、それとも子どもの頃に父と水遊びをした裏の河原を探しに文字村を目指すのか、彼女は悩んでいた。私の迷いは、緑に萌える越後の山塊を見ても依然と燻っていた。〔7月3日そのⅡ〕

  千曲川は名前を信濃川と変えている。およそ今までに出会ったことのないような豊富な水を抱え込み、蛇行することもなく悠々と流れている。河岸段丘を眺め下ろしたり、津南という町の小さな温泉に浸かったりしながら私たちは川沿いを下流へと走ってゆく。二人には会話など不要だった。ひとりごとをいう私の口の動きを正確に捉えて理解しているかのように、バックミラーに映る彼女の笑顔はにこやかに反応していた。幹線国道の通行止めで少し迂回をした。そのときも私が止めたバイクに歩み寄り、君について行くよ、と言ってまた自分のバイクに戻っていった。〔7月4日〕

  二人でいれば怖いものなどなかった。とりわけ不幸せが私たちを襲ってくるような不安はなかった。人里を離れた寂しい村を目指して旅は続く。やがて私たちは結ばれて、温もりのある小さなペンションを何処かで始めたいね、と語り合い、そして見つめあった。森立峠を越えればそこには閻魔堂があるけど、そこへ向かう交差点を左折せずにさらに北へとゆく道を選んだ。もしもこのまま二人がはぐれたとしても、三年後の今日かもしれないし五年後の今日かもしれないけど、私たちは文字村に辿り着くこの道のりの何処かで必ず再会できるような赤い糸で結ばれている、と彼女は言った。〔7月5日そのⅠ〕

  父の冷たい仕打ちに絶えながらも、学費だけは稼ごうと思ってバイトだけはやっていた。その疲れた身体を教室の片隅で休ませていても、深夜に風俗でバイトをしてるんじゃねぇか、と疑ったり、三日ほど風邪で寝込んでも、子どもができたんじゃねぇか、と担任は冷たく怒鳴ったという。進学校で成績もよかったけど、不運でお金がなかったし、家を出てからも何度も何度も男に騙されてしまった過去を、彼女は打ち明けた。昔を思い出して俯いてしまう姿を見つめていると何も言葉も掛けられず、私はただ手を握り締めるしかなかった。あの夜、星を見ようと言ってテントを出た彼女をその場できつく抱きしめた。〔7月5日そのⅡ〕


  あの子のこと・その3

  二人が初めて出会ったあの年の春、大きな湖を見下ろす高台の展望台から、遠くに見える断崖の果ての水際に小さくひとつ咲いている白い花を見て、あの花はなんという花なのだろう・・・と彼女は何度も繰り返し呟いていた。湖面に今にも吸い込まれてしまいそうな急斜面の茂みの中にポツンとひとつだけ白い花が咲いている。自分の生きざまのように感じていたのか。幾度となく旅は繰り返され、その終わりは夏だった。木槿(むくげ)の花が好きだと彼女は口癖のように言った。出会うまでは気にも懸けなかった地味な花だが、旅の途中の街道沿いに並んで咲いていたのが痛々しい記憶として残る。決して美しくもなく香りも放たない。寂しい花だと、今になってしみじみ、そう思う。〔7月6日〕

  七夕さまの夜になるといつも必ず思い出す。旅先のテントの中で星空を見上げながら自分のちっぽけさをいつも嘆いていた。どうして空が青いと元気が出てきて空が暗いと反省ばかりが浮かんでくるのと呟いた。今夜は昨日よりも星が瞬くから私たち神様に見つめられているんだよと言ったあと、五年後でも十年後でもいいからこの空の下の何処かで私たちは二人で幸せに暮らしていたいねとも言った。許されない愛を人は悪意を込めて不倫だと罵るけどこんな情熱的でまじめな恋はないよ。深夜の森に包まれている。鳥たちの声が消えて私たちの愛が触れ合う音だけになってしまう。身体の奥まで痺れてゆく。〔7月7日〕

  猫って主人に媚びるわけでもなくて気ままだけれど、私はそんな生きかたよりも鳥のように生きたい。明日になればもっと強い獣たちに命を狙われるかもしれなくとも、自分の力で地面も空も自由に選んで、私を狙っているヤツラを見下ろしていたい。彼女は話し続けた。私だって大勢で仲良く暮らしたいし、家族も大事にして仲睦まじく生きていたい。でもね、人間なんて考えていることは所詮わがままで勝手なんだよ。いつかひとりで社会の放り出されてしまうんだよ。私たちのように恋人同志だったら力を合わせて…ねえ、新しい家を建ててペンションを始めるの。海の見える高台で、窓を開ければ水平線に朝陽が昇るんだよ。〔7月10日〕

  この子が夢を語ると、身につまされような現実感とそこから永遠に逃避しようとする虚脱感のようなものに襲われる。じわりと彼女の不幸が私にのしかかり、彼女の幸せは私にしか叶えられないんだという呪縛のようなものが私に取り付く。初めて会った朝が不思議だった。京都の古寺の山門前で彼女は佇んでいた。何かの拍子に彼女が置いたバイクが倒れそうになった瞬間に、偶然、私がその前を通りかかり、そこから会話が始まった。別段、可愛らしくもなく、ファッショナブルでもない。全身じゅうが埃臭く髪がボサボサで、田舎っぺの女の子だ。ニコニコと私を見つめて愛想がやけに良かった。騙されないぞと思いながら一緒に古寺の拝観券を買った。〔7月11日そのⅠ〕


  あの子のこと・その4

  ねえ、あなたの地方の太陽が沈む色は私のところの色とは全然違って真っ白に見えるわ。私の太陽はもっと赤くてもっと大きいような気がするの。東北の太陽は本当に赤く燃えながら沈むのだろうか、と私は素直に思った。理屈など考えなかった。じゃあ、一度、君の生まれた村に太陽が沈むのを見に行こうじゃないか。夏になったら行こう。私はそう言い返して黙ってしまった。無口は嫌いだよ、何か喋って欲しいよ、とすかさず彼女は言う。決して大声でもなく話題が豊富でもないが彼女はおしゃべりだった。喋るのが好きであった。まるで喋る友達が今まで居なかったのではないか、と思わせるほどだった。〔7月11日そのⅡ〕

  桜並木は新緑の葉で満ちていた。その木陰から大きな湖を眺め下ろして、白い花を見つけた後、家に帰る心の準備をし始めた。太古の昔に湖が残してくれた平野の中を、言葉を交わすことも無く、ただひたすら家路を想って高速道路のインターに向かった。比叡の山に懸かった黒い雲は、早苗の広がる水田地帯に不吉な風を吹かせ始めた。お互いに雨の心配事を言葉に出さず、SLが走っているのを眺めた。煙突から吐き出す煙が風で散らばってしまう。あれだけ喋りまくったのに、別れ間際には私たちは無言だった。「もう行かなきゃ…」。インターで手を振って見送った直後に豪雨が私を追い越してこの子の去った東の方角へと駆けてゆく。〔7月12日〕

  彼女は自分の名前を告げずに去って行った、にもかかわらず数日後に私あてにメールをよこした、そこにはあの日のお礼とインターで別れた後のことが綴ってあった。ちょうどパーキングでトイレ休憩に入ったところに大粒の雨が襲ってきたという。強い運に支えられて、したたかに生きて行く野性的な性格を彼女は備え持っていた。それは動物がジャングルで生き延びるために持つ獲物に執着する天性の野性味のようなもので、彼女がこれまで生きてきた環境によって培われた霊感のような能力でもある。そのしたたかさが不吉な予感のように私には怖かった。或る日、もしも大喧嘩をするとしたら、それは彼女との距離を錯覚してしまい、自分を見失ったときではないか、とも思った。〔7月14日〕

  彼女のことをなるべく記憶に残さないようにしようと努めていても、彼女から届くメールがトリガーになって過去が戻ってきた。1,2年前に桑の実を探しに行きたいというメッセージをネットワーク会議室で読んだことがあったが、その発言者がこの子だったことをメールで初めて知った。子どものころ、優しかった父親に連れられて桑の実を摘んだ思い出があり、もう一度、その実を摘んで食べてみたいという。信州は養蚕が盛んであった地方だから、何処かの町に昔からの桑畑が残り実が成っているのではないか、と私は考えた。とにかく信州に行ってみるしかない。春の終わりを締めくくった黄金週間の旅日記をまとめあげる前に、私は桑の実を探す旅に出た。〔7月16日〕

  どうしても彼女のことを切り離したい。日記にさえも登場させたくない。私は私であるし、ひとり旅をすることをひとつの像としてきたのだから、そこに彼女が割り込んで入ってきたことを腹立たしく感じた。猫のように甘えて見せるひとときがあり、ひとりで獲物を狙う隼のようなスタンスでいる彼女が邪魔であり恐怖でもあった。しかし次第に彼女は私の拠り所になりつつあった。5月末、梅雨の走りの合間に桑の実を探すために天竜川を遡り、木曽山脈を越える峠の入口で二人は待ち合わせをした。雨上がりの天竜川はチョコレート色の濁流となり、私を地獄に引きずり込んでしまうぞと脅すかのように横たわっていた。南アルプスのあの透き通った雪解け水がどこでこんな泥水に変わるのか。〔7月17日〕

  「ねえ、私のことをこれからは基花と呼んでよ」待ち合わせ場所に現れた彼女は、バイク停車させると同時にそう叫んでいた。きっと高速道路を飛ばしてくる間も、1ヶ月ぶりに顔を見せるのだから、最初に何から話し始めようかをずっと考え続けてきたのだろう。待ち合わせの橋の上から川を眺める私の姿を見つけて、手を振らずにじっと我慢をしたのだろう。基花、基花と口ずさみながらやって来て、自分の体重の3倍ほどもあるバイクを止め、よろけるように降りて彼女はそう言ったのだった。桑の実のあてなど私にはまったくなかった。山の斜面に沿って峠を越えてゆけば野生の桑の実があるかもしれない、と考えていたが、どうでもいいような気も湧いてきて、特別な打ち合わせもせずに伊那谷から木曾谷へと峠道を二人は越え始めた。〔7月18日〕

  「さびしいという字には人がいないんだよ、ほら、淋しいってこう書くでしょ」と言って人差し指で宙に山水偏に林を描いて見せた。その字の向こうには緑の山脈があり、覆い被さるように南アルプスの白い嶺が鮮やかに青空に映えている。峠の森には人っ子ひとりいない。車も通らない。1時間以上峠道を走り続けて来ても誰ともすれ違わない。しかし、人が居ないということは、ほんとうに淋しいことなんだろうか。鳥がさえずり、樹木たちがざわめく林に居て風に吹かれていれば、淋しいという言葉なんて遥か昔の人々が考え出した夢を叶えるためのお呪いのようなものであったのかもしれない、と思えてくる。二人でいれば何処に淋しいという概念が生まれてくるのか。そんな言葉など不要だ。青い空を見上げながら無言の時間が過ぎる。〔7月19日〕


  あの子のこと・その5

  ほら,君はまた空を見上げている…。いくら一生懸命に空を見てもあの山のずっと向こうにある君の古里へ、僕たちはそう簡単に行けやしない。山を越えるだけなら誰にでもできるさ。難しいのは、あの里山に住んでいた人々を、今になって許してあげられるかどうかだと思うよ。君と僕が旅を始めるきっかけは大昔に君が水遊びをした川原に行って、石ころを積んで遊んだあのころを思い出すことなんだ。裸足で川原を駆ける君の面影と、君を育んでくれた山や川に僕は出会うことなんだ。そこで僕も一緒になって空を見上げてみるよ。君の過去の苦しみは簡単に消えやしないけど、力を合わせれば新しい未来がやってくる。二人で青空にとけてゆけたら僕たちは魔法の世界で結ばれるのかもしれない。〔7月21日〕

  もっかの本名は基花という。いつも一番最初に名前を覚えてもらえるようにと父が付けてくれたという。この子は他人に基花と呼ばれるのが嫌だった。高校時代の成績は優秀だったが、負けん気が強かったので仲間が少なかったし、小学生の時に母が家を出てしまったことが負い目だった。父は妹ばかりを大事にして、茶碗が洗ってないと姉の基花を叱り、自分が仕事で不愉快なことがあっても基花に当り散らした。だから家での居心地は決して良くなく、帰り道にあるファーストフードでアルバイトをして、遅く帰るのが彼女の日常だった。学費もろくに出してくれなかったので辛くても働いた。眠そうにしている彼女を担任は辛辣に攻めた。「男相手の仕事かい?」となじった。しかし、それ以上にクラスメートに基花と呼び捨てにされることが彼女には最も辛いことだったという。私は真摯に生きてるんだ、と怒りが込み上がったという。〔7月22日〕

  担任が「基花」と呼び捨てにし、クラスメートも同じようにそう呼ぶのがどうしても好きになれなかった、と基花はいう。さぞかし辛かったのだろう。傷は相当に深い。友達はたくさんいたように見えたが、受験が山を迎えるとみんなは去って行き、貧乏で大学に進学などできそうにない基花は、自力でゆける専門学校に進んだ。頭は良かったので学校での成績は上位で就職にも困らなかった。高校を出てまもなく家を出て多摩川沿いにアパートを借りて住んだ。専門学校に行きながらもバイトは続けていた。お金に困ったこともあって、少しヤバイ仕事にも手を染めたという。風俗かどうか、そのことまでは基花の口からは語られなかったが、二十歳前のころのことを尋ねても何も私には話さなかった。言いたくない、死んだほうがマシだ、と言って止まなかった。〔8月3日〕

  私は彼女を基花とは呼びたくなかったが、結局のところ呼び名に困った。親しみを込めて「基花ちゃん」と呼んでも許されただろうが、そうも呼ばなかった。内心では、基花という名前が私には宝物のように思えてむやみに呼ばずにいたかったのだろうと思う。取っておきのときに呼ぶためにしまっておこう。そう思った。新しい名前を考え出せば、過去をそこに残して、また新しくこれからを始めることができるような気がした。しかし考えても考えてもいい呼び名が決まらず、そうこうしている間に私は彼女を「基花」と呼ぶようになってゆく。〔8月4日〕

  月日はあっという間に過ぎてゆく。旅は続く。私たちは読み切り小説のような旅をふたりだけで続けた。基花のことが好きだったのかというと、熱烈ではなかった。あれから基花の昔話をテントの中で聞く夜を何度も過ごした。月に2度ほど、野営場所を打ち合わせて、テントで夜を過ごすという日々が続いた。〔8月某日(忘日)〕

  基花は一人用にしては少し大きめのテントを持っていた。昔の恋人がアパートに置いていってしまったのだという。その話を聞いて私は彼女の過去が気になった。しかし、お互いの辛いところには触れ合わないでいようという約束ごとのようなものもあって、基花が思い出したくないことには、私からも触れようとしなかった。基花が私をどう思っているのか、わからないまま私はテントで夜を過ごし、一緒に星空を見上げた。真っ暗闇の草原で星を見た。言葉もなく抱きしめた。「僕と暮らそう」とつぶやくように私は言った。〔9月7日〕

  真夜中に御嶽山の真っ白い雪は見えなかったが、うっすらと山の形が見えるほどの月の明かりがあった。いつまでもいつまでも抱きしめていたいけど、これから何が起こるのかを想像すると怖かった。ふたりでどこか遠いところに逃げてゆくのか、ひっそりと山の中で暮らすのか。それとも都会で誰にも邪魔されずに暮らすのか。夢は果てしないが、そんなに簡単に実現できるとも思えない。私は独身ではなかったし、おいそれと彼女のもとに走るには民法的にも人道的も解決せねばならない難題が山積だった。しかし、大きな不安を持ちながらも、直感のようなもので彼女を抱きしめている自分が怖かった。〔9月18日〕

  明くる朝、基花よりも早く目がさめたのでテントを抜け出し草原に散歩に出た。迷いが二日酔いの毒素のように身体にこびり付いているのがわかる。彼女を幸せにすることができるのは私しかいない、という強い信念がある一方で、現実の波もたやすく想像できた。数十分の散歩を終えてテントに戻ろうとすると、遠くから彼女が朝の食事の支度をしている姿が見えた。軽やかに跳ぶようにテントの周りで火を起こしスープを作っているらしい。迷いからくる不安に、言い訳を覆い被せるような気持ちで、私はテントに帰り着いた。そこに居た彼女は昨日の彼女ではなかった。妻のように私の片腕に抱きついて朝の挨拶をした。〔9月19日〕


  秋・その子のこと

  木枯らしに追われるような別れなり (ねこ)

  あと数日でその山には雪が積もるだろう。そんな山里でひとりの女〔ひと〕と別れてきたことがある。もう二度と会えないし会わないだろうとお互いに確信しながら、冷たい風に吹かれて、その場を去った。〔2002.12.1記〕

  昔を回想して「比叡おろしが吹いていた」と書けば、如何にも物悲しくせつない響きを誘うが、実際にはそれほどの風が吹き荒れた日ではなかった。秋も深まりつつある、あれは確か11月の初旬だったと思う。琵琶湖の湖畔で再会をした。伊勢志摩を案内したときの写真を人目を忍んで返して、後は何もなかったように言葉を交わした。一時期に燃え滾った情熱は、彼女の中ではおさまりきらず、焦りとなって私に襲いかかった。私には彼女を受け入れるだけの力がなかった。この激しい感情をこのまま受け続けたら空中分解になってしまうと感じたのだろう。夏のある日、別れる話を彼女にした。その後の2人の間での葛藤もさることながら、私の悲しみは痛ましく深くかった。夏が過ぎ、秋になっていた。写真を返すためにもう一度だけ会って、それで別れようと決意していた。もう二度と会えない人なんだと理屈で分かっていながら、時々、便りも出したし、返事も届くことがあった。彼女は幸せを取り逃がしたとは思っていなかったようだが、何度か繰り返してきた激しい失恋と縁を切りたいと思っていたのだろう。結婚願望が一層大きくなったと言っても過言ではなかった。〔12月7日/記〕

  ある日、あの子が話してくれた昔話があった。高校3年生の秋、山手線とある駅で、学校帰りにひとりの人に会った。成り行きで彼のアパートに行き、半ば犯されるようにやられた。「私って人が良すぎるのかなー」と言う。「強姦だったんだよ、あれは…。」お金がなくて大学に進学できず専門学校に行きながら仕事を始めた彼女は、多摩川の土手に近いぼろアパートに引っ越し、父親と別居生活を始めた。

  幾度も男にだまされた。職場では可愛がるふりをして、食事に誘われたりドライブに誘われたりして、一度抱かれたら棄てられた。金をせびられたこともあった。ありったけの貯金を貸したのに、トンズラされたこともあった。海辺のホテルで暴力的にやられて、引きちぎられた服のまま道路に飛び出し逃げて帰ったこともあった。甘い言葉にすぐ乗って、からだを許してしまう愚かな自分を、あまり多くは語ろうとしなかったが、今度もまたひとりの男に棄てられてしまった。細い糸でありながらも音信が続く男と、木枯らしの吹く湖のほとりで別れた。初めて会って肩を並べで湖面を見下ろした日々などロマンでもなんでもない。忌々しい思い出であるだけだ。からだじゅうがアザだらけだった。ふたりが別々の方角に向かって走り出したときに、田んぼの向こうをディーゼルカーが警笛音を響かせて走ってゆくのが見えた。あの日はあそこを蒸気機関車が走っていた。バックミラー越しにふたりが感動を伝え合った日はもう終わったのだ。


  冬・その1

  あの日もどしゃ降りだった。

  寒冷前線が通過して、雨はいっそう強くなり、アスファルトには水溜りができた。ふたりで傘を差してスーパーに夕飯を買いに出かけた。さながら昔からの夫婦のように寄り添って歩いた。合理的で理屈家であった基花は、相合傘で歩こうとせず、キッパリと断った。その割にはスーパーの中で大好物のお魚を買っている私を大目に見た。

  まだ日の暮れる時間ではなかったけど、部屋の電気をつけなければ薄暗いアパートだった。窓の外には建物の壁が迫っていて、カーテンを閉めることはほとんどないと言う。この日も例外ではなく、カーテンを開けたまま部屋の明かりをともし、ふたりは過ごした。誰かが見ているかもしれないという恐れなどこれっぽちも感じず、動物のように何度も何度も抱き合った。

  クリスマスの夜だった。二人でサンタクロースの思い出話をしながら夜を過ごした。


  冬・その2

  目がさめて布団の中で雨の気配を感じ取った。早朝、音もなく深深と降っている。

  それほどにも寒さは厳しくなく、難なく布団から出ることができた。隣で眠る基花の寝顔をしばらくうす暗がりで見つめていたが、もう一度寝入る気持ちにもなれなかったので洗面に立った。

  霧がかかった山々が二階の窓から見えた。窓の下の軒先には私たちのオートバイが止めてあり、しっとりと濡れた地面を避けて置いてくれている宿主の心づかいが妙に嬉しかった。垣根の向こうにある道路を走る車もなく、人の声も聞こえてこない、静かな朝だった。

  昨日、私たちはあてもなく一日を走り回り、名もない山里に辿りついたところでちょうど日が暮れかかった。小さなバス停の待合所の前に間口の広い料理旅館風の家があった。正面に業務用の大きな冷蔵庫が置いてあり、脇の棚にはお菓子や雑貨が並んでいた。この山里にはどうやらこの一軒だけしか店がない模様であることに気づいた私たちは、玄関から店の主人を呼んだ。

  「今夜の宿を探しているのですが」

  と店の主人らしき人に話し掛けると

  「そんな…こんな山奥には旅館などという気の利いたところはありません。ただ、私どもは料理屋で、座敷がありますので、お泊まりを希望なさるかたがあるときはお泊めして差し上げておりますが…」

  と言う。

  クリスマスから幾日かが過ぎ、街は静かになってゆく。

  あの日から、私たちの旅は始まっていた。


  すばる

  霧のように寂しい時雨だった。不思議にもその中へ散策に出てみたくなった。

  生垣の脇にある棄てられた石臼に水が溜まって、薄氷をはっている。あとで部屋に戻ったらあの子に教えてやろう、と考えて嬉しがってはしゃいでいる私がいた。

  少し裏山に登ってみることにする。山里の小さな旅館だと最初から思い込んでいたが、実は大きなお寺で、奥へ歩いてゆくと、斜面の途中には古代の中国に行ったような本堂や山門があった。山門までの石畳や階段を登りながら、谷の向こう側の斜面を見た。霧が漂う。川面を流木がゆっくりと流れるようにその霧も動いてゆく。針葉樹林帯の尖った樹木にクリスマスの雪のようにまとわりつきながら流れてゆく。

  雪に変わるかもしれないな、と思った。寒さは身に沁みてはこないものの、風がやみ空が随分と重く感じられる。この先に行って雪になったら身動きが取れなくなるので、今日の出発は諦めてもう一泊ここに世話になろう。ひとりごとを呟きながら山門附近をぶらぶらと歩き回った。

  登り窯のように勇壮に続く土塀があった。所々塗土が剥がれ落ちて、埋め込んである竹の骨が露出している。霧雨のせいでやや湿り気味だが、じっと忍んでいるように見えた。

  色褪せてしまった檜の柱に、小さな字で落書きがあるのを見つけた。けしからん奴がいるものだという怒りを抱きながら、その文字を追ってみた。

  落書きには

  南の空にすばるが見えるぞ  
  あごを前に出して首をいっぱいに、のけぞるように後ろに曲げて  
  空のてっぺんを見上げると  
  星のかけらが六つほど見えるよ  
  この塀にもたれて二人で見上げている  
  一月二十二日

  と書いてあった。

  今夜はあいつと星を見ようか。そんなことを思ったのことなどあっただろうか。

  星が見たいのか、抱きしめたいのか。わからない。私だってわからない。


  ねえ僕たち熱くなりすぎている(怯え)

  彼女は猫のように私の脇に居て、私をいつも見上げて、見つめてくれた。何日もの旅のなかで、人生の重さやこれからの人生設計について存分に話したつもりだったのに、夜になると、昨日の話を忘れたかのように「10年後の私たちは・・・」と熱くなって語り合っていたのだった。

  私は怖さを感じ始めた。彼女の一途な性格と爆発しそうな熱い心に、私の人生がもしかしたら狂ってゆく、いや、もはや狂い始めているのかもしれないと気付き始めたからであろう。

  必ず精算して、やがてどこかで暮らそう、その日がきっと来ると信じている、としか、私から彼女には言ってあげられなかった。当然、彼女はそのことが気に入らなかったのだろう。再会をするたびに私の薬指から指輪を奪い取り、私の財布の中に入れてしまう。それが私の財布だったのは、再び指輪を元の指に戻さねばならない現実を認めていたことと、自分自身の焦りを隠すためだったのだと思う。でも、彼女の苛立ちや焦りを私は見逃さなかった。

  旅はあてもなく山村に向かって続いてゆく。冬枯れた峠への細い道をのぼりながら、この山を越えたらいったん彼女を家に帰し、私も旅を中断しようと考えた。

  「遠い遠い北の国の鄙びた村に行こうと思うの。」

  北の鄙びた村のことを基花が話すのは初めてではなかった。子供のころに父に腕を引かれてディーゼルカーに乗って、雪がたくさん残っている村を訪ねた記憶があるという話や、そこが父の生まれ故郷で近所に親戚の従兄弟たちがたくさんいたという話をして、懐かしがっていた。その一方、心の隅にある父への憎しみから来る嫌悪を隠せずに、町に対する拒絶の心も見せた。彼女の心はまだら模様だったのだろう。

  「春になったらバイクを飛ばそう。僕たち、お互い、冬の間は家に篭もって準備をしようよ。遠距離恋愛みたいなもんだよ。」

  私は思い切ってそう言った。しかし、すぐに

  「いやだ、すぐに行きたいと私は思う。」

  と彼女は言う。

  頑固さがあった。母に棄てられ父に当り散らされ憎まれて育てられた屈折が彼女の心のどこかにあって、愛する人への執着心になって現れる時があったのだ。だから、それ以上、そのことに触れることなく夜になるまで無言でいて、寝床で夢の話に付き合った。

  早く、見知らぬ山村に行きたい気持ちは私にも確かにあった。しかし・・・闇のように大きく、海のように重い恐怖が私にのしかかってくるようでひとときも落ち着かない。私の怯える気配を見ないふりをして、彼女は私の身体を攻めてくる。私は空を見上げている。すばるが南西の空に見えた。凍えるように寒い夜だった。やっぱし、峠を越えたら旅を中断しよう。


  冬

  長い冬が、何も無いような顔をして過ぎてゆく。

  しばらくの間、会わない日が経った。募る苛立ちと焦りで送る日々は、次第にマイペースに変化し、メールを送ってみることで紛らわすようになっていた。身体が性的欲情を我慢できないのは仕方が無く、苦心をしながらもお互いが爆発しない方法を考え出している。離れ離れになっているときの基花は、冷めた印象が強く、落ち着いているように思えたが、時には返事がない沈黙の一刻もあって、私はそのことで腹を立ててみたり落ち込まされたりして、それがまた基花の魅力でもあった。

  私たちは離れて暮らしていても、やがて、ひとつになって新しい道を歩み始めるだろう。そのときに、あなたは、私の手を引いて山を開き、いつも強く抱きしめて、十年後には牧場が広がる高原のそばに小さなペンションを建てる話を打ち明けてくれるでしょう。私はその牧場の夢のような風景を私の筆で絵に描いて友達に届けるわ。十年の結婚記念日には、たくさんの仲間を呼んでパーティーをしたい。

  基花は子供を欲しがらなかった。それは自分が子供のころに受けた仕打ちの辛さが身体中に染み込んでいて、自分が母になる自信がなかったのだろう。さらに、母というものが子供にとってどれほど大きなもので、寂しいときや不安なときには暖かく包み込んでくれるものなのだ、ということを味わった経験がなかったために、そういう欲望さえも生まれようがなかった、ということもあるらしい。

  基花は苛立ちが募ると自分を棄てた母の悪口を言いながら自分に冷たく当たった父のことを思い出し、ひどかった十代の思い出をわずかな言葉にして私にぶつけるように浴びせ、そんなことをしながらすっかり忘れてしまおうとしていたらしい。傷は相当に深く、癒えることはなかった様子だったが、辛い部分はそのままにしたままで、夢を語って紛らわして忘れたつもりになっていただけなのだ。

  春が近づいたら雪解けの村に旅に出るのだと、基花は繰り返し言い続けた。桜の花が咲く前に私たちは再び固く抱き合おうと毎日のようにメールに書き続けた。しかし、春が来るまでは辛くて寂しい日々が続いた。


  春

  春が間近だというのに、東京にも私の住む街にも大雪が降った。

  交通が乱れて1日じゅう家に居ようと決めて部屋で読書をしていたら、お昼前に電話が鳴った。

  「昨夜のバスで東京を発って今朝、雪で遅れながらだけど、近くまでやって来たの」

  基花はケロリとそう言い、車で迎えに来て欲しいと私を誘った。もしも、雪が降っていなかったらどうなっていたんだろうか…。私はいつものように家を出て会社に行ったはずだ。そのとき基花は何処にいる誰に電話をしたのだろう。そのことを考えると恐怖で胸が詰まりそうになるものの、大急ぎで身支度をして家を出た。

  花びらの舞い散る街はずれの小さな古刹で  
  あなたと私は出逢ったの  
  昔からの恋人のように川辺を歩き  
  緑の山を眺めて佇んだ  
  幼なじみだった友達のように  
  手をつないで駆け出していた

  昨夜、一晩、バスに揺られてこの街まで来る間にいろんなことが頭をよぎったの。

  私はあなたと出逢ってまだ間もないのに、幼なじみの恋人どおしのように、こうして二人で会えるし、散歩もできるの。

  それがとても嬉しくて。

  二人で強く生きてゆこうと、バスの中で誓ったの。そしたら泣けてきて…ねぇ。

  一気にそう話してうつむき加減に私をにらんだ。そしてニコリとした。


  別れの言葉をさがしていた

  街へ誘った。

  もうコートも不要なほど暖かい日があると思えば、冷たい風の吹く日もあった。思いつきで家を飛び出してきた基花も、慌てて家を飛び出した私も、ふたりともギクシャクした格好で、「私たち、駆け落ちの恋人同士みたいね」と笑った。

  まんざら嘘でもなかった。

  駆け落ちの恋人で、あいつはこれから逃避行を夢見ている。私はこの女からどうやって姿をくらますかを悩んでいる。

  街を抜け出して海の見える公園に向かった。白い光が南の空から容赦なく私たちを照らした。基花は、髪が風でバサバサになるのを押さえながら、眩しそうに目を細めて私を見てニッコリする。

  ああ、私はこの女を裏切ることなど出来ない。でも、このままだと私たちには破局しかない。私の想いは沈み込んでゆくが、基花は演技をしているように決して暗くは振舞わない。

  この世に生まれて、あなたと私  
  逢わなければよかったのかしら  
  日蔭の花と日向の花  
  私たちの蜜を吸う虫さんに便りを託して  
  恋文だけを交わす仲でいればよかったの?  
  いえいえ私はちがう  
  いつか日の当たる明るい街角まで  
  私の胞子を飛ばして旅をするの  
  だから  
  私たちは風に乗って遠くまで旅に行くのよ  
  ねえ、雪が解けたら、花を求めて旅に行こう

  なんて潮風が爽やかなのだろう。この子とふたりでいると海の放つ哀しさがこれっぽちも感じられない。海に私の身体が融けてゆくような錯覚が襲いかかる。基花と深い海に沈んで行けたら幸せになれるのだろうか…

  〔2004年春に記す〕


  ふたたび、旅に

  桜の花はいとも簡単に散ってしまった。綺麗に咲き誇った花の回廊をふたりで歩くことをきっといつか叶えたい、と基花も私も願っていることは間違いない。

  夢は簡単には叶わない。

  オレたち、出会って1年になるんだなあ。

  あなたが「オレ」って言うのを初めて聞いたわ。

  1年過ぎてもまだ知らないことだらけよ。

  嵐のような雨のせいで無理やり散らされた花びらが、路地裏の水路をゆっくりと流れてゆく。水面から三輪車の車体の一部が見えている。ああ、この街を出てしまおうか。そんな弱気が自分を襲う。

  東北地方に向かって走れば桜も咲いているから、私は旅に出るよ。あなたとどこかで落ち合おうと思っているの、とメールに毎日のように書いてくる。

  さて、出かける準備をしよう。今度こそ、別れ話を切り出そう。

  ぼくたちはこうして  
  手をつないでいるときが一番美しいね  
  誰にも邪魔されないで  
  遠くまで逃げてゆける  
  おなかがすくときも  
  眠くなるときも  
  強く握り締めたくなるときも  
  いつも  
  わかるんだ  
  幸せになろう

  越前から越後へと続く北国の街道は、灰色の海を背にして枯れ果てているように見えた。でも、私たちは何度も何度も止まって、何も語りあうこともなく隣どうしで道端に腰かけて海を見て、ひとしきりふれあいを味わって、また走り始める。

  〔2004年5月初旬に記す〕


  彷徨う

  ボクたちは淫らで乱れた男と女の姿をして  
  いかにも心中をしますといういでたちで  
  断崖から海を見下ろしていたかもしれない  
  でも  
  いつだってボクはキミを  
  キミはボクを刺して殺してしまえるほどに  
  血が騒いでいたから  
  あの岬まで一緒に居よう  
  あの山の峰の向こうまで一緒に走ろうと  
  励ましあってこれた

  ボクがキミに  
  「オレたちセックスフレンドみたい…」  
  と言った瞬間に  
  すべてが崩れてしまった

  下手な別れをしたもんだ

  〔2004年5月初旬に記す〕


  未練

  未練たらしい自分が途轍もなく嫌だった

  別れてしまいたい、別れなくてはならないという宿命だった基花にあまりにも心のない言葉を放ってしまった自分がつらかった。

  別れが間近に迫っていることに気付きながら、少しでもそのことを考えないようにしていた。けれど、心を隠すことは出来なかった私のひとことでそっぽ向いてしまった基花は、(実はそのとき、私は必死で彼女に泣き叫んでいたのだが)、私を振り返らなかった。

  別れとはこういうものだ…と、そう私は思わなかったし、思えなかったが、背を向けて走り出していた。たった今まで私たちが目指そうとしていた地に向かって、ひとりで放出されたのです。心は何度も振り返った。後を付いて来るはずもないない基花の姿を期待している。しみったれているけど、付いて来て欲しかった。目標にしているそこまで一緒に行きたかった。

  国道は北へと向かう。そこに分かれ道のないことを確かめながらどんどんと進んだ。大きな分かれ道があると、停車して彼女が追って来ないかと待った。大きな道の駅などでもバイクを止めて、あからさまに休憩をした。しかし、彼女は追いついてこなかった。。

  基花は言う。あれから?そう、私はともだちに電話をして、今の場所がいったい何処なのかを尋ねたんだよ。ひでぇ男だね、恋人を棄てて先に行っちまいやがって。私は信頼して付いて来てるんだから地図も持ってないのよ。どうやって東京まで帰れって言うのよ。あの晩かい?公園で寝たよ。怖かったけど、テントかぶってね。夜が明けたら高速道路で一気に東京に帰ったわ。貴方のことなど憎しみで殺したやりたかった。体の中に昨日の夜の体液が残っていて、それが少しずつ下着に流れ出すと、いっそう腹が立った。もう、愛などなかった。初めから無かったのかもしれないと思ったよ。

  もしかしたら追ってくるかも知れないと思った私は、典型的なバカだった。夕方になっても、基花がそのあたりの公園に居ないかと気にかけていた、基花が私を追って来るならここに来るだろうという宿を探して泊まったが、彼女の姿はない。当然である。彼女は私が泊まった宿には死んでも来るつもりなどなかったのだから。

  少なくともこの時点で私たちの運命的な別れは完成されていたのです。

  〔2004年5月中旬に記す〕


  誰がオマエなんかを追いかけるものか

  *

  どうせ、そんなことだろうと思っていたよ。気が付くのが遅かった私がおバカだったのね。

  金も無い。頼るものも無いまま、私は見知らぬ土地に放り出されたのさ。まったく、ひでえ男だと思ったね。追いかけるなんて、これっぽちも思いつかなかったわ。

  目の前にあるのは聞いたとこともないインターだったので、友達に電話を掛けて、その名前を言ったよ。そしたら、クレジットカードで払うことにしてその高速道路に乗っちまえよって教えてくれたので、そのまま東京に帰ったよ。

  宇宙の果てに帰るほど東京が遠かったけど、帰れて良かった。オマエのことなんか思い出さずにその夜はひとりで寝たよ。  
  終わったな。

  新しい恋も、恋と呼べる前に終わったよ。また、身体がボロボロになってしまった。  
  エロで変態な男だったね、オマエは。  
  もう、会いたくない。

  *

  基花はその夜のことをそんなふうに語った。

  〔2004年5月中旬に記す〕


  もう会えなくても

  *

  もう会えなくてもかまわない、  
  あの男は私を置いたまま、  
  北に向かって走って行ってしまったの。  
  そのうしろ姿がやけに瞼に焼き付いていたのが気に掛かった。

  でもね、やっぱしね、私には男なんて無縁なのだと思った。  
  何度も何度も騙されて、またエロな男に捕まってしまったのに気付かずに、幸せになれると思って旅に出た。  
  それが間違いだった。  
  自分のすべてを投げ出してしまった。

  昔、男にありったけの金を持って逃げられたことがあったの。  
  あの朝を思い出したよ。  
  ドラマのような朝だった……。

  愛なんて嘘っぱちよ。カラダが欲しかったんだよ。だってさ。私ってそんなに美人じゃないからね。  
  少しは可愛いと思ってくれたのかね。  
  あの言葉も嘘だったんだろうね。  
  ああ自分の心も汚れて行くような気がするわ。

  *

  基花には、ふたつの心があった。  
  男を許せない、許さない心と、  
  そして、ほんとうに微かだが、少しは許してもいいかなと思う心もあった。

  〔2004年5月中旬に記す〕


  日本海は寂しいね

  *

  ちょうど特急雷鳥が新潟方面に向かって走り去ってゆくのが見えた。  
  何号っていうのかな、と思ったけど、そんなことどうだっていいや、と気を取り直すことにした。  
  しばらく荒波を見ていた。小さな船が揺れている。漁師さんなんだ。ここにも小さな暮らしがあるのか。

  小さな田舎の町に逃げ込もう  
  そこでペンションでもやろう  
  俺たちはバイク乗りだから、旅人のための宿をやろう

  とんだ間違いだったね。あんな夢は見るもんじゃないよ。私は魚が嫌いでね、そのことを黙っていたけど、いい加減で気が付いてくれよ。

  あたしは都会生まれの都会育ち。母と父も喧嘩をして別れているけど、本当はどうだかわかんない。だってお父さんとはあれから便りも会話もないし、18歳で家を飛び出してきたしね。でも最近、女の人と隣の県のあるところで暮らしてるらしいって話を聞いたけど。妹も一緒らしい。あの日に通った親不知の史跡でふと母さんのことを思い出したよ。

  雷鳥って、どこまで走ってゆくんだろう。新潟かな。新潟にゆくと佐渡が見えるなーって思っていた。あそこからは見えないけど、了寛さんの里にも行ってみたいな。

  *

  ゴキゲンなときと不機嫌なときがはっきりしている人だった。  
  しかし、基花には、優しい心があって、どんなに怒っていても、ひとりぽっちの自分を思い出すとしょんぼりとしてしまう。

  「きっと、私は一生ひとりだよ」と、それが口癖のように呟いた。  
  「結婚なんて出来ないよ、もう…」

  〔2004年6月記〕


  もう二度と会えることなどないと思っていた

  *

  もう二度と会えることなどないと思っていた。私のことなど許してくれる訳がない。憎んでも憎みきれない奴だったはずなのに、呼び出したら逢ってくれるという。  
  落ち合う場所は、琵琶湖の畔だった。比良山が湖面の向こうに見える。朝日に薄ぼんやりと赤くなっていた。  
  まもなく冬を迎えるころだった。

  私は過去の写真を胸のポケットに仕舞い込み、真夜中に家を出た。真っ暗の国道を琵琶湖に向かって走った。  
  朝日が昇るときに空が赤くなった。夕焼けと同じように赤くなる。  
  人は赤い空を見上げて、熱いものを感じる。それは日の出と日の入りで同じ色なのに、感じるものが違う。

  本当のことを言えば、私は別れたくなかった。  
  初めて会ったあの日、比良の夕焼けを見ながら湖東の農道の中を走り抜けた。沿道の蒸気機関車を見て思わずバイクを止めた、あのときに走った湖畔を再び走って、別れの朝を迎えた。  
  再会してすぐに、ポケットから写真を出して渡した。

  *

  最後と思って、感慨深く空を見上げた。  
  同じように明日の旅の道順を決めるために空を見上げたこともあった。それを思い出すのも今が最後だ。別れのときだった。

  〔2004年6月末記〕

  ―この章はひとまず終わろうと思います―

2009年3月11日 (水曜日)

年の瀬に考える 〔2003年12月下旬号〕

年の瀬に考える 〔2003年12月下旬号〕

いよいよ今年もあと数日で終わる。様々な感慨がこみあげてくる。2003年(平成15年)も喜怒哀楽の繰り返しの年であり、幸せであったことに感謝をする。

失業を経験しなければ、私はこれほど人さまに感謝をするような人間にはなれなかっただろうと思うことがある。優しさや哀しさというものは、そのことを命令して実行できるものではない。優しさには心の温かさが必要であり、心は自らの意思で優しく変化してゆくものである。哀しさは、哀しもうという意思だけではどうにもならず、感情の奥底から湧き出でてくるものであるのだ。したがって、私が喜怒哀楽を深深と感じ、皆様に感謝できるようになったことは大いなる進化であった。

だから、世界中の皆さんが失業しなさいとは言わないが、今ほどに社会が枯れ果ててしまい、個人主義、自由主義経済の名目が大手を振るうもとで、倫理や哲学を軽く考え、快適で住みやすければそれでいいという錯覚に、人々は陥っていまいか。

環境活動を創造するという仕事に現在携わっているが、社会の中の何が適切に機能せず、社会システムのどの部分が不活性なのかを見直そうとするとき、人々の気持ちが冷めてしまって、生きてゆくことへの戦略やポリシーを感じ取れないことがある。つまり、どうにかなる、私には関係ない、こっちのほうが楽しくて快適で得する、という概念ばかりが目立つ。

おまえら、誰にも感謝せずに生きるということは犯罪に等しいぞ、と言いたくなる。十年後、二十年後の社会を想像してみよう。そのときに、果たしてこれらの悩みは解決できているのだろうか。もしも解決できていれば、それはどんな手法なのだろうか。その手法を先取りしたい。そんな夢のようなことを思う一方、その夢を今すぐに実現するのが当面の私のテーマなのだ。

夜空を見上げて考える 〔2003年12月上旬号〕

夜空を見上げて考える 〔2003年12月上旬号〕

仕事を終えて建物の前の駐車場に向かうと空一面に星が出ている。私でも名前を知っているオリオン座が東の低空に見える。その形がはっきりとわかるので凄く嬉しくなる。人間が意図してデザインをしたわけではないのにこのように綺麗に並んでいるのを、太古の人類が発見したとき、それは発見ではなく偶然であったはずだが、そして今で言う科学の概念などないからこそ、そこにひとつの信仰のようなものとして定着したり、希望や願いをする際の祈りの対象となっていったのだろう。科学技術は果たして私たちに幸せをもたらしてくれたのであろうか。現代科学を考えると必ず私はそこに行き着いてしまう。

電話機で写真を撮影して送ったり、歩きながらでも電話を掛けられたりできること。200キロものスピードの出る車があること。非常に優れた音質でしかもマイルームで映像付きの音楽を聴けること。挙げれば数限りなく思い浮かぶ。しかも、そのことはほとんどが現代では当然のことで、低コストで提供されている。疑問はここから始まる。

人の命を救うために細菌や細胞を研究して癌をやっつけるとか、心理学や精神科学などとも融合させて人間というもの神秘を探る、というようなことに、歴史的な科学が挑んできた。だが、電車の座席に座ったままで電話を掛けたときに、もしかしたら相手がトイレの中にいるかもしれないのに、それでも平気で掛けてしまう可能性を認めてゆくのは正しい選択なのだろうか。確かに、暗い夜道を子供が帰ってくる時に電話がなくて連絡が取れないことは困ったことだろうけど。
科学技術を推進する人にとってみれば、開発することは人間の欲望であり未知なるものの解決は誇らしいことであるだろう。そしてシーズの活用分野を考えることも決して間違いではない。つまり、私たちがもう少し便利になるために新技術を利用してゆくことの「進化の流れ」に誤りはない。

進化する情報科学やデジタル技術を駆使して生活を向上し便利な社会を築きあげことに反対するつもりはない。しかし、人々が、電車の中から電話を掛けなくてはならない必然性を生んでいる社会構造に疑問を持ち、暗い夜道を危険にしてしまったこと(または暗い夜道に歩かねばならない必然性)を見直さねばならないのではないだろうか。

このようなことを考えながら、夜空を見上げる。寒さを何ひとつ感じることなく、マイカーでドアからドアまで帰ることができる便利さの恩恵を受けながら、この車の中から家に電話を掛けて「もうすぐ家に着くから」と言えることよりも、「お父さんがもうそろそろ帰ってくるよね、ご飯の支度をXXちゃんも手伝ってね」という会話の中で母と子が父を敬うようになるのではないか。このままでは、心待ちにする本当の姿が薄れてゆくのかもしれないと思う。

快適さを生産するのがテクノロジーを開発するエンジニアたちであるのだが、彼らを戦士と称えるメディア番組に人気があることなどを考えれば、矛盾も多くため息も出る。

自然環境が破壊され、人間としての野生の感覚も失い、生きていることの感謝を忘れ去り、暗いくて静かな夜も失ったことが重大なことだとは思わないのは、高度情報化社会の裏で、やはり、どこかで何かを勘違いしているとしか思えない。

木枯らし 〔2003年11月中旬号〕

木枯らし 〔2003年11月中旬号〕

木枯らしが一年ぶりに戻ってきた。
早朝の休日の国道は車の数も少なく、プラタナスの枯葉が舞っている。北山修が「プラタナスの枯葉舞う冬の道で♪」とうたったのは遥かに昔のことだ。本当にプラタナスの葉が京都の都大路を舞うのを彼は見たのだろうか。そんなことを考えながら鈴鹿山麓の職場に向かって車を走らせた。

日本海を渡った冷たい風は琵琶湖の北岸にある三国峠を越え、伊吹山と鈴鹿山系の谷間を吹き抜けてくる。本州の首根っこのように尾根筋が低い関が原付近でどっさりと空気中に含んだ水分を雪にして落とした後、鈴鹿の山から太平洋へと勢いよく去って行く。
11 月22日。御在所岳[1212m]の頂上には雲がかかっていた。しぐれているのだろう。車のフロントガラスにも小さな水滴が時々飛んで来る。少し手前にある入道ヶ岳[906m]の尾根に陽光が差し込み、紅葉した山肌がハイコントラストになって浮かび上がる。こうして冬を迎えれば、やがて、私はこの山脈から吹けてきて舞う小雪に毎朝迎えられて国道306号線を職場へと向かうことになる。

デスクのパソコンの電源を入れると県内の気象データを見ることができる。山頂の気温は1度以下、風は13メートル。北西。本格的な真冬の数字である。
ああイヤだ。…そんなことばかりも言ってもおれない。冬があるから春が来る。震え上がりながら3Fのコンピュータールームに入ったら、そこは20度の世界で、ひんやりと寒い。ああ、なんてこった!

でも、時にはいいこともある。正午ころ、藤原岳の方角に大きな虹が見えたのでした。これも時雨のお蔭なんだろうか。
PS:26日にはこちらの山の気象観測設備の設置完了の立会いで山に登ります。覚悟が必要そうです。

会釈 〔2003年11月初旬号〕

会釈 〔2003年11月初旬号〕

近頃、会釈という言葉は死語なのだろうか。

日が暮れるまでには十分に間がある時刻に、住宅街を私はウォーキングしていた。道の向こうを近所のお子さんが犬の散歩で歩いてゆくのが目に入ったので声を掛けた。こんにちは!と叫んだのだが届かなかった様子で、次に、○○君!と呼びかけてみた。首が私の方に少し動いたようにも見えたが、ネジの緩んだロボットのように再び元の方角を向いて、あたかも何もなかったかのように彼は過ぎ去ってしまった。
彼には私の声が本当に聞こえなかったのか、それとも聞こえたけど返事をすることができない事情があったのか。近所の皆さんとも、それが大人でも子供でも、挨拶を交わす機会が少なくなっている。高校生だと恥ずかしさもあってはにかんでいるだけの子もあるが、知らぬ振り、見えぬ振りで通り過ぎる人が多いことに驚く。地域社会が枯れている一面だろう。

早朝の散策では年配の方に深々と頭を下げられる。もちろん何処のどなたかは存ぜぬが、思わずつられて頭を下げる。その度に死人のように視線をそらせた彼を思い出す。

会釈をすることを忘れたのか、それとも親から受け継がなかったのか。そんな人たちが街で目立つのはどうしてなのだろうか。

キンモクセイ 〔2003年10月号外〕

キンモクセイ 〔2003年10月号外〕

何とも、身体じゅうがとろけてしまうのではないかと思わせるような香りを放つ。

三重県環境学習情報センターというところは、鈴鹿山麓にあるので周囲は雑木林で囲まれて、海側は見晴らしよく四日市市の街並みや遠く名古屋の街、さらに晴れた日には御嶽山も見える。

秋になって汗も噴出さなくなってきたので、お昼休みにはセンターの周辺に散歩に出ることが度々あります。すると、このキンモクセイの匂いに出会います。

花として、決して姿かたちが良いわけではない。ところが植栽としている家が近所にたくさんあることに、散歩に出てみて初めて気が付く。

さあ、キンモクセイを探しに散歩に出ようか。

土佐堀川 〔2003年10月下旬号〕

土佐堀川 〔2003年10月下旬号〕

「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名前を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわる所に三つの橋が架かっていた。」

これは宮本輝の「泥の川」の書き出しです。映画は白黒映像で、貧しかった時代の、大阪の人々の切なさを淡々と映していました。その大阪の街を何年も後になって歩いてみたことがありました。研修の初日、北浜という地下鉄の駅を降りて地上に出ると、いとも簡単に淀川の水面に出会え、偶然にも土佐堀通りという名の通りに沿って歩きます。このまま逆に西に行けば1キロほどであの映画の舞台になった所に着けるのだと思いながら、ビルとビルの間から北に伸びている天神橋という橋のほうに向かってゆきました。

余った時間には少しだけ街を歩くことができました。何の変哲もない街ですが、ビルの合間にはささやかな紅葉が届き始めています。淀川というたった一本の川がこれほどまでにこの地域の風景を作り上げ、人々が無言でいるとき、あるいは、ビル街が騒音に包まれているときに、自分ひとりでこの川のほとりに立つと、真っ先に自分が蕪村になって堤防を歩いていたり、真田幸村の足跡を探そうとしていたりします。

大都会でありながら、歴史的風情を完全には捨て去らないのは、豊臣の意地とか慰霊というものでもなく、日本という国をまったくダメにしたまま何百年も勝手を続けた東の覇権への反発なのかも知れません。しかし、そういうことにも寛容になれる自分がどこかにいるのです。それは、この川に囲まれた街の持つ文化というものが、広義には関西文化というものが、ここまでしなやかさを保っているのは、或る意味では東のおかげだったのかも知れないと思えるようになったからでしょう。

海側から西日が差し込むという幸運な位置関係もあって、淀川の満々とした水が音もなく流れているのを、河岸の公園の鉄の手すりにもたれながら眺めることができました。市場動向に最も敏感に反応する人々が集まるような街です。わずかながら色づき始めたもみじや蔦などが公園の水際に巧妙に植栽されいるのを眺めてくつろいでいるような余裕人は誰一人としていない…ような気がする。でも、その分、私はひとりごちて、無言になれ、存分にエネルギーを蓄えることができたように思う。

実は…半年振りに電車に乗ったこともあって、通勤時間に溢れる社会情勢の顔のようなものもじっくりと見ることができたし、硬くなった脳みそも随分とリフレッシュできて、また、化粧をした子供たちもたくさん見て動物園に行っているみたいな気分にもなれたし、旅に出かけていたような三日間でした。

帰りの電車の中から、長谷寺の門前の在所が見えました。ゆうげの煙が山並みを静かに漂っていました。

やまあいに熟れ柿ともす日暮れかな  〔ねこ〕

ふたりの人 〔2003年10月中旬号〕

ふたりの人 〔2003年10月中旬号〕

或る電子会議室のことを急に思い出して、昔のログを読んでみた。こんなことをし始めるなんて、老化のひとつなのかもしれない。

1994年のものを読んだ。そこには懐かしい名前が二人あった。RさんとKさん。ちょっとストーカーみたいだけど、インターネットで検索をしたら、二人とも見つかって、恐る恐るメールを出したら、届いていることがわかった。

ひとりは、ツーリングレリーフのBBSに書き込んでくれたので、はしゃぐように返事を書いた。もうひとりは、その人のHPのBBSで挨拶をした。

その晩は、とても嬉しかった。彼女たちは子育ての合間にバイクから離れていた様子で、最近になってお二人ともバイクを動かそうとしたらしい。Kさんが再びバイクを動かし始めた日に私のメールが届いたってのも、何かのシナリオのようです。

RさんのHPには、ツーレポが載せてある。これがとても素晴らしい。さすが文筆を本職としておられるだけある。しかも、ツーリング日記では稼いでいないので文章に裏腹がない。素顔が見えるような気がした。

じっくりと読みたいという気分に飢えてる人は、ぜひ、行ってみてください。Rさんは、ツーリングの大先輩だったんです。〔URL:略〕

Kさんは、新しいハンドルになっているので、何か新しいことでも始めているのかもしれない。
うきうき気分になってゴキゲンだったので、ちょっと日本海まで走ってきた。走りながら、例のごとく様々な思いが駆け巡ってゆく。

二人とも10年以上前のバイクをじっと家の片隅にしまったまま、ずっと子育てなどをなさっていたらしい。その間、いかがな日々をお過ごしだったのだろうか、バイクにはもう乗らないかもしれないと思った日はなかったのだろうか…。そんなことを想像しながら私のバイクへのこだわりのことを考え続ける。
私も少し冷ましてみるのもいいかもしれない。何もこだわって乗りまくらなくても、通勤に乗ってるだけでもいいような気がしてくる。

Rさんのツーレポを読んで、また少し考える。風景も人も空気も、…何もそれほど大きく変化したわけではない。もしかしたら私の心が一番大きく変化したのかもしれない。

彗星のように巡りあえた二人は、彗星のように消えていってしまうのかもしれない。私もその宇宙を彷徨っているんだってことなんだな。

彼岸花 〔2003年10月初旬号〕

彼岸花 〔2003年10月初旬号〕

彼岸花とコスモス

9月24日に彼岸花が一斉に咲いた。不思議なことに伊勢平野ではほとんど誤差なく同じ時期に咲くから不思議だ。

あの赤い花は田んぼのあぜ道に似合うこともあって、秋になった象徴として待ち遠しい。まだかまだかと待ちわびる。それがお彼岸のころだから彼岸花と呼ぶ。

近くで見ると思うほどに綺麗ではない。寿命も短いうえに10月になるとあの赤みの鮮やかさが枯れてきて、花として幾分落ちぶれてくる。それが如何にも野山の草という感じで、ことさら寂しい。

やはり遠くから見ているのがよろしい。これは美人にも言えることかもしれない。彼岸花にも毒があって、手で千切ったりしたら、その苦味に悩まされる。美人にも悩まされた方は多かろう。

一方でコスモスには優しさが漂う。この花には毒もなく苦味もないようだ。ちかごろは、休耕田に咲き誇る花に埋もれて写真を撮る人の姿を見かける。

それぞれの花言葉を調べてみると、コスモスは「少女の純潔」「乙女の真心」、彼岸花は「悲しい思い出」とある。彼岸花のどこに「悲しみ」を連想するのだろうか。人それぞれだと思うものの、あの真っ赤な色には情熱を感じても、私は悲しみを想像しなかった。

若いころは赤色が好きで、赤い服の女性の見かけると、いそいそと後姿を追いかけてついていったものだが、年齢を重ねるとともに穏やかになったせいもあって、黄色系や黄緑系の服に刺激のもとが移ってきた。

以前にどこかで書いたが、自然の色の移り変わりというのは不思議なもので、春は新緑に代表されるように刺激の少ない緑や薄い青系の色に始まり、コレに少し赤色が加味され、黄色が主体になるのが夏のころ、秋になるとさらに赤が加わり、すべてが真っ赤に燃えて枯れてゆくのである。この色の変化を周波数軸にプロットすると、高波長から低波長へと移動していることがわかる。人間が体感する時間の速さも、高から低へと変化することを考えると、自然の変化といえども理論的に作られたかのようだからおもしろい。

星野道夫さん 〔2003年9月中旬号〕

星野道夫さん 〔2003年9月中旬号〕

 お盆に帰省をしたときのことです。京都・四条烏丸の大丸百貨店で開催される「星野道夫の宇宙」展の広告を地下鉄で発見して私は「おおっ!」と叫んでしまいました。そばに居た娘(高1)が「この人、中3の教科書に載っているよ」と言うので、あくる日に早速二人で出かけました。
 星野さんは「環境」に関して何かのメッセージを発信したわけではないし、無駄な電気は消そうとかゴミを減らそうなどとも、恐らくひとことも言わなかったのではないでしょうか。イデオロギーを掲げて活動したのではなく、ナチュラリストだったんです。それだけに地球の環境を考えている真剣味が伝わります。
 高校時代にアラスカの村を写した1枚の写真と出会い、感動し、一通の手紙だけをきっかけにして極北の地を訪れます。慶応義塾を卒業してアラスカ大学に留学し動物学を学び、そのまま永住します。大自然や野生動物を追いかけ、クマやカリブー、クジラ、オーロラなどの写真を撮って、エッセイを書いています。教科書に掲載された作品は、文春文庫「旅をする木」にあります。感動的な風景や動物たちの生態など、伝えたいたくさんのことを写真とエッセイに綴りながら、アラスカの風景を追いかけて暮らしながら、人間と自然とのかかわりに畏敬の念を抱き、いつまでも感動し続けていた人でした。
 「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか」という一節がエッセイにありますが、何不自由なく暮らす文明への提言なのかもしれません。
 私たちは何でもすぐに答えを求めたがる傾向があります。地球温暖化について教えてください、と質問を投げかける子供たちがいます。しかし、教育をする人、学習を手助けする人たちは、簡単に答えを教えたり、あらすじを知らせてしまう前に、調べる手立てやその過程での寄り道の手法を教えてあげることが大事です。これが真のゆとりです。そうすることで、例えば星野さんの写真を見て感動できるような、あるいは環境学習推進員の木村さんがミンミンゼミに出会ったとき(木村のページ参照)に「感動」したように、自然の姿やそれらの営みに強烈な刺激を受け心を奪われてゆくような、そんな感性を伝えてゆける。
 環境を学ぶ人には、フィールドワーカーたる気性も必要と思います。こういう書物に刺激されて野外に興味を持つ人がひとりでも増えると嬉しいですね。何か一冊に感動できれば、答えを求める旅の切符を手にしたようなものです。

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