【つぶやく】十七音-17のおと

2012年5月16日 (水曜日)

夕暮れや飛行機雲が見たくなる ─ 5月初旬号

5月7日(月)

▼微笑んであなたの泡に酔いしれる

ビールの季節が近づいた。
そういうトキメキは大事なのだな。

ビアガーデン。
最後に行ったのは20年以上昔のことだ。

5月8日(火)

日差しが夏めいてきたので、
駅まで歩く道のりの緑が生き生きしている。

▼雑草の茫々たるや露纏う
▼青苗に日差し優しき車窓かな

表面張力の緊張の中で
弾け落ちないで揺れている水玉を見ていると
がんばれ、といいたくなる。

麦の穂が出ているのに気が付く。
あと1ヶ月か。

▼もう居ない貴方の心のバラの花

どこかの家の軒先で綺麗な花壇をみたことが
とても強烈に目に焼きついているのだ。

初夏の花を切って、花台に活ける。

その人と二人並んで花を見つめている私を想う。

▼草を噛んでヤギのお乳を思い出す 
▼おはようございます。視程6キロ

この日は6キロほどだったのか。

どんよりとしているけど、
夏の風が吹いていたのだろうな。

5月11日(金)

▼はなきんと言うことばのノスタルジー
▼母の日や気は合わないのだけど顔を出し
▼母の日と太筆で書く、丸を打つ
▼新しい筆を買おうか、母の日に

今度の日曜日は母の日だというのだが
とりわけ、私は母と話すこともなく
酒飲みのぐうたらな話は聞きたがらない。

そういえば、私の父は、
そういう理屈じみた終わりのない話を
一切しなかった人だった。

5月13日(日)

▼夕暮れや飛行機雲が見たくなる
▼日暮れどき子どもの声も赤くなる
▼茜空きみも見上げる伝言板
▼キミとボク赤い夕日の美術室
▼約束は指切りでなくうふふのふ
▼ははの日やハハハうふふの八十一

インドアな生活をしている。
出歩くことに心が飛び跳ねなくなってしまって久しい。

しかし、インドアにいても
老眼のせいで、
読書が昔ほどてきぱきと進まなくなった。

あらゆるものが
終焉の準備を始めているらしい。

5月14日(月)

▼爽やかと毎朝言うて君に会う
▼雨だってやさしく降れば好きになる

県庁の下の坂道のツツジが咲き始めた。

いえ、その花をみて
毎年、同じことを思い出している。

▼ツツジ咲く、それは昔のプロポーズ

夕暮れが待ち遠しい季節だ。
でも、なかなか、秋のように鮮やかに晴れてはくれない。

梅雨を控えたアンニュイな季節かもしれない。

▼あかね空貴方の赤を独り占め

5月15日(火)

▼ひっそりと寂寞なりや月もなく

解説不要。

5月16日(水)

▼おおおおお!恋愛運が高確率!

というわけで、5月の後半が始まってゆくのだった。

2012年5月 6日 (日曜日)

その昔、せっせっせーのよいよいよい ─ 黄金週間号

4月28日

▼取って置きのエンピツで試す言葉は秘密

iMac が私の勉強部屋に来たのだ。
ムスメが買って、ムスメのものであるのだが、
私のアカウントも設定したの。

トラックパッドのノウハウとか、ショートカットとか。
いろいろ教えて欲しいことが出てくると思いますが。
……と友だちを見かけたらお願いしている。

(買ったことをアピールしているようにも取れるか)

でもまだ
電源ボタンもどこか知らんし
天気はいいし、
暇やし。
脳みそ、腐りそうやな。

そんなことを呟きながら、連休初日が過ぎてゆく。
まあ、これをあと、6日言えば連休終わってくれるか。

4月29日

▼暇すぎて哲学者の如く成る

連休であっても何も変わらん。
風呂に入らず過ごすのが楽チンだ。

▼先月に会った素敵な、ある人のことが忘れられない。届かない、この気持ち

ええっ?!誰に会ったっけ。忘れてしもた。歳のせい。

▼ブルブルと振り回される貴方の都合
▼しみじみと大空みればくもの飛ぶ

この日は1日家にいて
「おはなはん」のお好み焼き。

▼今やもう奇跡を起こしてまでして、あの人を連れ去ろうとは思わない
▼坂道を先に駆け上がって行ったあの人のうしろ姿が陽炎
▼雲雀高くさえずる空に飛行機雲

昔なら、いつも連休になると
♪暮らしてみたい……遠くで汽笛を聞きながら
なんて呟きながら旅をしていた。

もうそんな気はないな。

4月30日

うど。
もらってきたので、今夜は、うまうま。

▼三日間、ゆるりと太って炭酸酒

うどうど

 

近年、これほどまでに美味いうどを食ったことはない。
人の心が寂れてゆくほどに、美味さが増す。

これを食わねば夏は迎えられない。

5月1日

おはようございます。
列車ガラガラ、高校生だけ。

▼山ウドや貴方と向き合う苦い酒
▼しみじみと八十八夜に便り待つ
▼山の味八十八夜にほろ苦く

▼ねえあなた逢いたいの八十八夜

5月2日

▼失恋も八十八夜に棄ててゆく
▼恋しさを八十八夜に置いてゆく
▼あの人は赤いバラなの棘のある

5月3日

▼想い出や楔のごとく墓碑を打つ
▼おはようさんオシッコに起きまして

れんげ畑。
寝転んでいるだけで幸せだったあのころ
ヒバリ高く囀って、
何をしても愉しかった。

缶蹴りも達磨さんが転んだもポコペンも。

潮干狩り日和やなあ。絶好の汐加減

▼静かなる野山も海も息を吸う

部屋を片付けたら、楽譜が出てきて

楽譜

ガーシュイン、
難しかったなあ、と振り返る。

5月5日

▼さあレンゲ畑を探しに出かけよう
▼その昔、せっせっせーのよいよいよい
▼ホトトギス、啼いた気がするこどもの日

日記アプリをダウンロードしたので、
28日から何をしてたのか思い出そうとするが、
何も思い出せない。

何もしないまま連休が終わることがわかった。

映画に行った以外、
まともな服も着ないまま
外にも出ないで終わるのだろうか。
とほほ。

仕事しとる方がええわ。

▼月見酒貴方を飲んでいるような
▼満月や白無垢そろりそろりとな
▼満月や喧嘩したときキミの顔

▼キミの名を呼んでみたくなる月の夜
▼夏が来て泣いていないか子猫ちゃん

5月6日

連休最後の日。ゆっくり過ごそう。

▼ 土の匂い吸うておるのか葱坊主

2012年4月30日 (月曜日)

坂道を先に駆け上がって行ったあの人のうしろ姿が陽炎 ─ 4月下旬号

4月26日(木)

▼貴方なら明日の花は何にする?

花屋の店先を通って
春の色と優しく甘い香りの花々に出会う。

店のテーブルではいつもの店員さんが
花を切っていけている姿が窓越しに見える。

私が好きだった人も花が好きで、
思い出にあるのは
花を生け終わって花台に向かいあっている姿だ。

花屋になりたいの。夢なんです。
京都からこの地に移り住むときに、ある人にそんな話をした覚えがある。

4月27日(金)

▼貴方には夏のイメージよく似合う

いよいよ、明日から大型連休だ。
あの人は、旅に出るのだろうか。

もはや、初夏の気温だ。
夜半、机に向かったときに机の上に積んだ本の一番上にあるのを見つけた。

ひとの
最後の
言葉
大岡信

BOOKs】から

大岡信 ひとの最後の言葉

「さりながら、死ぬのはいつも他人なり」

序章は、マルセル・デュシャンの言葉から始まる。

4月28日(土)

おはようさん、道はひっそり、鳥は賑やか。

聞きなれない鳥が近所の小枝に来ている。
うっかりと寝ておれない。

▼ 朝日まぶしくGWは始まった
▼ 朝霧の光の渦を泳ぎゆく

私はどこに
旅に行くわけでもなく
会いたい人もあるわけでもなく

▼ 一人旅貴方のいない切り通し
▼燦燦と窓いっぱいの春花粉

4月29日(日)

▼ 暇すぎて哲学者の如く成る
▼ しみじみと大空みればくもの飛ぶ

今やもう奇跡を起こしてまでして、
あの人を連れ去ろうとは思わない。

▼坂道を先に駆け上がって行ったあの人のうしろ姿が陽炎

なんだか、短歌っぽくない?なんて。

▼雲雀高くさえずる空に飛行機雲

暮らしてみたいと思った。
遠くで汽笛を聞きながら。

哀しい歌ばかりを口ずさみながら
どこまでも山を越えて走っていったあのころを思い出す。

あれはあれでよかった。

2012年4月25日 (水曜日)

いばら饅頭のこと ─ 4月中旬号外

4月22日(日)

▼せめて一度好きだと貴方に伝えとう

そうえば、
花が咲いたあとに出会って
花が咲く前に別れてしまった人がいた。

もう憎んでもいないけど。

▼春嵐や別れる人の髪濡らし

嵐のように雨が降ったのだろうか。
花を散らしたのだろうか。

サクラは、散りたくないと、願っていたのだろうか。

4月23日

おはよう、雨降り。

▼一輌のディーゼルがずぶ濡れでやってくる

▼貴方にはしびれ薬の饅頭を

+  +

いばら饅頭のことを
私の古里の母は
かしわ饅頭と総称して呼ぶ。

饅頭の文化というのは
探ってみると面白い。

先日、その古里に帰ったら
母が形のゆがんだヨモギ餠を出してくれた。

50年間、形を変えることなく
丸められてきた餠だが
そろそろ食えなくなるのだと思うと
2個続けて食ってしまった。

2012年4月22日 (日曜日)

合わせ鏡その隅っこに君がいる ─ 4月中旬篇

4月の中旬は、こともなく過ぎてゆく。
雨が降り、晴れとなり、また雨となる。
花はちり、人も散る。

そぼ降る雨が、
水をいっぱいにたたえた田植え前の田んぼに降り注ぐ。

季節のこういう側面を見るのは、必要なことだ。

雨が降らなければ
母親は蛇の目でお迎えには行けない。

4月10日(火)

▼せめて一度好きだと貴方に伝えたかった

そうえば
花が咲いたあとに出会って
花が咲く前に別れてしまった人がいたなあ。

4月11日(水)

▼春嵐や別れる人の髪濡らし

嵐のように雨が降ったのだろうか。
花を散らしたのだろうか。

サクラは、散りたくないと、願っていたのだろうか。

4月12日(木)

▼花びらよ宙へと自由に跳ぶ瞬間

花が散ると、
花屋になろうと思い
都を離れたあのころを思い出す。

▼道ばたのソメイヨシノ葉が出始めて
▼一列で黄色い帽子がピカピカで

-*

毎朝のかわいい高校生の鏡、
覗き込んだら目が合って

▼合わせ鏡その隅っこに君がいる

散る花が惜しいのかなと思いながら
そんな奴じゃないなあ、私は、とも思う。

▼散る花で祝い忘れよその人を
▼舞う花や別れの盃なみなみと
▼いい夢を見る方法を探ってる

4月13日(金)

▼忘れがたき人花びらのごとく
▼恋心未熟に燃えて花と散る

いけない、いけない。
思い出してはいけない人がいるのだ。

4月17日(火)

田植えの終わっている田んぼ、見つけた。

▼花が散って赤い小さな実を結ぶ
▼花吹雪ボクとアナタに幕を引く
▼草笛がピープー泣けば君が来る
▼梅干しとたくあん好きさ君好きさ

4月19日 (木)

造幣局へサクラをみにいく

造幣局へサクラをみにいく

4月20日(金)

チューリップ 庭で

庭で

▼チューリップきのうの晴れはウソだと笑う
▼しとしとと優しい雨に貴方も濡れる

4月21日(土)

▼葱坊主雨の合間にふらふらと

木曜日に大阪の造幣局の通り抜けを見に行き
金曜日には下り坂で、

土曜日、今日も、
雨が続きます。

どこかで悲しむ人がいたら、
それはことさら悲しい雨であろうなあ。

(その夜)

嵐のような雨が降っている。
今夜は珍しくこんな時間まで起きている。

余計なことが思い浮かんできて、
いつの夜のように、
耳鳴りが消えてゆく。

▼GW近し、嵐のような雨が降る

旅の計画が
ぶんやりと浮かんでいる。

2012年4月11日 (水曜日)

春嵐あなたは素知らぬふりをして ─ 4月上旬号

新年度、あけましておめでとうございます。

4月1日

3月のお別れの時期も過ぎ去って、新たな仲間たちを迎えようとしている。
通勤列車に紺や黒のスーツの若者を見ると自分たちが社会人になったときのことを思い出す。
鶯が鳴いている。でも、人里には鶯は来ないなあ。
姿を見せないので、その意外さを知らない人も多いのではないだろうか。
鶯は、ウグイス色の美しいイメージのまま、そっと。

▼もう少しあなたを待つわホーホケキョ
こんな呟きを書きながらも私は
鶯など待っているわけではないし
もちろん、恋人を待っているわけでもない。

だが、待ち遠しいのだ。
何をなのかはわからないのだが。
それが春よ。

つい先日から、ホオジロが鳴いている。
そうだ。たぶん、アイツはホオジロだと思う。
鳥は鳴いて
地球もいつまでも揺れ続けている。

そういう自然界の独立した歩みのようなものがとても偉大に思えてくる。
偉大というより尊大なのかもしれない。

▼春なれど地球はなおも震えたり


4月3日

▼そういえば親父もこっそり泣き虫で

どうして、この日に「泣き虫」という言葉を思い起こしたのだろう。
瞬間を切り取るのは、何も写真ばかりではなく、言葉でも可能だ。
私の父は、声に出して泣くことはなかったが、目頭の涙をたびたび拭いているのを見かけた。その気持ちが30年の隔たりを経て届いてくるこのごろ。

父は、季節を喜んだりする言葉は何も残さなかったものの、春になると一番に竹の子を掘ってきてくれた。旬のものを心の底から楽しんでいる自然人だった。

▼竹の子を食うても、必ず父思う

生きているときには、毎年この時期に食べさせてもらっても、まったく気にもかけなかったのだから、人というのは勝手なもんだ。


4月4日

昨日の朝に
▼ことごくモノは手遅れで始まる
と書いて、車窓を眺めていた。
夕方の列車は風で運転停止が1時間近く続き、大きくダイヤが乱れた。
風も強く、夕刻には嵐のような雨が降った。
寒い気団と暖かい気団が混ざり合うのだろう。
空でもドラマが起こっているのだろうか。

この季節にはこんな天気がつきものらしい。
▼じゃあと言い別れることもできぬまま
▼春嵐あなたは素知らぬふりをして

4日は一転して穏やかな日差しの下で花見をするような日となった…のかどうか、つぶやきだけでは回想できないが、竹の子を食べたいと書いているから、穏やかだったのかもしれない。
きのうの雨は上がったので
▼無人野菜販売所にタケノコを見に行ってこようかな
というわけで、午前中にベルファームの直売所で小さな竹の子を買ってきた。


4月5日

きのうあたりからウチの庭先でチチチとないている鳥は何だろう、と気にかけている。
どうやらホオジロらしい。

▼ホオジロやホーホケキョには負けるなよ
▼日曜日、ちょうど咲き頃、花見頃

次の日曜日(8日)あたりがお花見にぴったしになりそうだ。
7日は大阪経由で京都に出かける予定。
家族は嵐山で花見だ。

▼夜桜のぼんぼり遠し君恋し
▼サクラサク昨日の涙あすの風
花の下で一杯飲むには少し肌寒い日が続く。
もうこの歳では外で飲む気など毛頭起こることはない。

▼小説の一言で泣けて車窓みる
▼もういいの、散った花びら水に流し
▼木瓜淡きキミと出会ったときを思う

どうも、花は咲けども外に出て散策する機会もなく
なかなか頭が刺激されず、ピリッとした作品ができない。

いいえ。
スランプの理由はほかにあるのだが、書けないのだ。


4月6日

メモ帳に
▼恋は封印
なんて書いている。
封印したいのは、ほんとうは別の心ではないのか。

▼白雲の下り行く駅舎の空
▼病院の桜が咲いて意味重く

桜が、いよいよ、きれいだ。
やはり散りゆく風景がなんとも刹那的だと思う。

▼怖すぎる貴方の無音のまなざし


4月7日


▼奥の手を打って明日から蘇る
▼花びらを散らしてホントのじじいかな
朝から心斎橋に降り立ち、アップルストアに立ち寄り、楽器屋で道草をして、ヌカガさんの写真展をみにいく。
芸術のことはなぁーんにもわからんが、頭はがんがん刺激を受ける。


4月8日


▼朧月黙ってのぼる貴方らしさ
昨日、街に出て歩いたので、へたっている。


4月9日


▼あの頃は夢だけを食って生きていた
▼デモーニッシュに迷走したあのころの夢
▼届かない私の思い、またその思いを思う思い
スランプならそれはそれで、その瞬間を言葉にすることにした。
朝の列車にやかましさが戻った。
高校生たち、新学期は楽しかったのを思い出す。

▼恋文を書いて最後の恋となる


4月10日


▼あの人の名を呼んでみたくなる月夜
▼きょうあすとお休みだけど用もなし
資源ごみの日だったので、朝に時間休を取ろうとしたところ、先日行った医者で採取した血液検査の結果を聞くのにいい機会なので、1日休みにしてしまった。
そういうわけで用がないわけではないのだが、日の当たる部屋でぬくぬくとしている。

▼そうだ!恋文十七音にしよう
そんなことを書いてみる。
しかしゆるゆるとした時間の中にいると作文はまったく進まない。
「花も嵐もⅡ」を書き始めようと思っているのだが、怠けている。

2012年4月 4日 (水曜日)

夜更かしをすればするほどキミ遠し 年度末篇

3月28日

▼夜更かしをすればするほどキミ遠し
▼それを機に便りの糸も切った人
▼あの人を重ねた街の赤い夕陽

このような3作を年度の最後になって吐き出している。
誰かと永いお別れを果たさねばならないのだという予感を感じたのだろうか。
それは、わたしにも想像のできない秘密なのかもしれない。

誰にも言えない。

3月29日

この日になって、
言葉には秘めたものが必要だね,そっと秘める…
というようなことを落書きしている。
あ・うん。読み続けている。大事に読む。蘇る遥か昔。

▼ステップを踏めど日暮れは淋しいと

3月30日

▼春になって沢庵頬張る音が増え

2年間の転勤から戻ってきた娘が大好物の沢庵をぼりぼりと食べる音が食卓をにぎやかにしている。

3月31日

▼お別れのあいさつ、こんにちはに変わる新年度

そんなこんなで平成23年度もおしまい。
古いことは忘れて、新しいことに向き合おう。

2012年3月31日 (土曜日)

沈丁花あの日のウソは朧月 ─ 3月下旬篇

瞬く間に三月も過ぎて行った。
こうして季節が巡り
歳を取り、
わたしは成長し続けるのだ。

3月22日(木)

▼沢庵でお茶漬けしたら父思う

20日は父の誕生日で
生きていれば81歳だ。
66歳で逝ってしまったことを思うと気の毒だが
そういう人生を
そういうふうに
満喫した人だったのかもしれない。

▼春の雲どこまで行っても君遠く
▼お別れの指切りの向こうに春の雲

春は切ない季節だ。

3月23日(金)

▼長い夜眠れぬ背中を感じてる

少し暖かくなってきたせいで
眠りが浅いような気がする。
眠れない夜を過ごしたのは
記憶にもないほど昔のことだが
春先は眠れないなと思いながら寝返りを打つことが多い。

わたしは隣で眠る人の寝息が気になって眠れない
というような繊細な神経の持ち主ではないので
眠れぬ夜を浮遊するように愉しんでいる。

朝は来る。

▼言い訳を考えつつ傘をさす
▼シャッターの音聞きたくてキミを見る
▼物語、曇る車窓の指のあと

通勤列車に乗ってくる高校生もいなくなって
静かな時間を過ごしている。
毎朝会う子供たち、今年度から3年生やなあ。

3月25日(日)

引っ越しは土曜日に済ませてしまって
日曜日はのんびりとしている。

▼この指にとまってほしい子逃げてゆく
▼沈丁花あの日のウソは朧月
▼豆鉄砲貴方が倒せるものならば

ぼーっと暮らすと、十七音のリズムを失ってゆく。
激しく熱した自分のほうがスリリングだ。

3月26日(月)

8階の窓から公園を見下ろす。
道路から坂道にぼんぼりついたのが見える。

嬉しいな。

▼窓いっぱいウソじゃなかった晴れの朝
桜情報は、カウントダウンとなった。

3月27日(火)

▼今朝の雲ひとつもなくて空白で
▼空白と言った貴方の心模様
▼もう住まないあなたの心の片隅に

これは、朝の通勤列車の中で思いついたものだ。

息を吐いたように春休みになって
みんなさようなら、またね、と別れを惜しみあい
4月になったら
熱く肩を組み、頑張るのだ。
新しい人と。

そんなことを考えながら
あなたを思ったのだろう。

2012年3月25日 (日曜日)

曲がり角追う人消えて沈丁花 ─ 三月中旬篇

3月17日 (土)

お風呂は二人で入るのがいい。二人で入ると追い炊きが少なくなるので、ガスも水も相当に節約になるから。

このことは意外と知られていないのだが、我が家では冬には必ず二人で入るように心がけている。

時間を合わせたりするのが面倒だが、地球温暖化対策にはかなり貢献できていると思っている。

▼一度だけ背中流してあげたこと

若い二人ならなおさらのこと、仲良く湯舟に浸かっていると、一日の出来事の話などが愉しいと思う。

▼口喧嘩した事もないまま色褪せる
▼夜更かしの時間に電話かけたこと

真冬に公衆電話から友達に電話をするのは辛かったなあ。
今の時代のように部屋や机に電話がある時代ではなかったのだ。
炬燵を買うのももったいないなあという季節、まさに早春に上京した36年前が懐かしい。
いろいろあったなあと、春になると思い出す。

3月18日 (日)

▼空白と詠んだ貴方のまなざし

空白に季節はないのだが
今頃には今頃の空白がある。
別れであり、出会いである。
ぽっかり。なのだ。

▼二ヶ月を待てずに逝った父の誕生日
▼サクラサクただその言葉だけ待ったとき

私の父は1月22日、母だけが21日に67歳の誕生日を迎えて
あと二ヶ月後の3月20日の67歳の誕生日を迎えることなく逝った。
悔しいと思っているわけではなかろうが、
私は、二ヶ月を悔しいと思うことがある。

▼ホーホケキョ鳴かぬスズメが澄ましおり
▼一夜にて別れ惜しまずカモは発ち

鳥たちは何を考えているのか。
オマエら幸せかいと聞いてみたい。

▼冬布団片付けたいの、いや待てよ
▼春の土深呼吸して鋤を打つ

春が来るのが嬉しいのだ。
夏になるのはキライなくせに
短い春も悔しいくせに
春が来るのがウレシイのだ。

3月19日 (月)

▼曲がり角追う人消えて沈丁花

別に誰かを追うてきたわけではありませんが
曲がり角で出会うと嬉しい。

▼油断する貴方のくちびる盗みたい
▼おはようとショートカットの君が現れてビックリ

いつも近くに座る女子高校生たち。もれなく可愛らしい子たちばかりなんだが、その中に宇多田に似ている子がいた。髪も長くすらりとしている。
この日は終業式の日だったのかもしれない。
もう1日あったのかもしれない。
残り少ない3学期の終わりに、長い髪をバッサリと切ってきた。
それがまた、ことさら可愛らしい。

耳たぶ赤いの終業式の日

3月20日 (月)

▼あれこれと理由をつけてカンパイで
▼お肉など食べたくないの、あれは嘘

いいの。みんな異動でどっかに消えていくんだから、飲むの。

3月21日 (火)

▼せっかちにおはぎを丸める母の癖
▼筆を置く哀しみ隠す父の癖

ぼたもちは、母の味が一番だ。
まずくなってきたなあ、と思うのだが
近頃は店に並ぶものもまずくなってきたから。

▼癖偲ぶあれもこれもと悪い癖

癖。
そうだなあ、父の癖って、なんやったやろ、と
ふと考えてしまうのも、私の癖だろうな。

▼じっとじっと水槽見つめる長い時
▼耳の遠い母に電話で春を告げ

めっぽう冬に強い母なのだが、暖かくなるのは少しうれしいようだ。
風呂に入る時刻を心配しなくてもよくなるなあ。

もう一度、山霧の晴れゆく谷間に差し込む朝日を二人で見ることができるだろうか、
と考え続けた時期があった。
幻を追いかけて、旅を続け、
大きな夢をみていたとき、
それを馬鹿馬鹿しいとも非現実的とも思うことなく、
向かっていこうとしていたときが、
とても懐かしくなることがある。

2012年3月14日 (水曜日)

弱虫も啓蟄過ぎて顔を出す ─ 三月お水取りのころ

桜吹雪が谷から吹き上げてくるころ、吉野の奥千本を訪ねたことがある。
一人で佇むには最適の場所だった。
杣道に踏み込むと西行の句碑があった。

ちょうど、大河ドラマに西行が登場して
懐かしい吉野の山を思い出す。

桜のころに一度、赤ん坊だった娘を連れて花見に出かけたことがあった。

わずか20年ほど前であるだけなのに、今のようにモノゴトに過剰に人々が反応するようなこともない穏やかな時代だった。
誰かがダッシュをしたら出遅れてはいけない、とか
勝ち負けに必死に目を凝らして、常に勝ちの方角ばかりを見ているような風潮とか

そのようなものはなく
比較的のんびりと、していたように思う。

しかし、やがて、人々は簡単なものやそれなりのお金や努力で確実に手に入り易いものに、抜け目なく手を出す風潮が現われ始め、その情報を付加価値をつけて売り物にする社会が出来上がってゆく。

新自由主義という便利な言葉ができて、人々は幻想の幸せを手にして、回復もしない経済の蘇りに夢を棄てない。

今もそのままだ。

その幻想が、鬱憤を晴らすかのように、一見正しそうな政治改革に走ってゆく。

最たるものが、減税であり公務員の改革だ。
間違いなくこの間違った選択で自分たちの生きる社会は瓦解する。

それでも、ヒトは自分の幸せだけを追うことをやめないだろう。

3月12日 (月)

三月は弥生という。
人の名前にも使われるやさしい響き。

ぬくもりが広がるのが分かる。

▼坂道を登って通うのこの春から
▼弱虫も啓蟄過ぎて顔を出す

▼ため息を手紙に添えて罪深く

3月13日 (火)

少し温かかったのだが、今週は再びコートを出すことにした。

このころの寒さが一番好きかも知れない。

それは、三月という時節の持つ歓びもあるのかも知れないものの、寒かった日を今は許すのだ。

山の端が少し白いか。
布引の山も最後の白き肌。

子どものころにおとうちゃんと炭焼き小屋の中に入ったあの温もりを思い出した。
列車の暖房がお尻にほんわか。

▼炭焼きのしたくを呼ぶや父の声
▼炭焼きの小屋の温もり春とおし
▼手のひらの汚れて温き炭焼き小屋

▼錆び付いたネジそのままにして蓋をする

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