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Anthology 旅の軌跡

2010年9月15日 (水曜日)

2008年 秋 奥飛騨・郡上八幡


いつか一緒に走れるといいね

楽しい旅でよかったね。

誰でも最初は初心者なんだけど
やっぱし心配するのよ。

旅情庵への道は迷うだろうなと思うけど
教えなかったよ。

迷ったほうがいいでしょ。ためになるからね。

多くの人に声を掛けてもらっても
それを、どのように捉えるかで大きく変わる。

当たり前と思えばそれまで。
ありがとうと思えば、次がある。

同じモノを見ても
違った捉え方があるんだけど
それは、他人が教えることではない。
その人が、その人の感性で受け取るモノですからね。

ツーリングのコミュでもそうですけど
一人でも多くの人を
そういうことで感動できる人にして差し上げたい。
そう思いますね。

いつか一緒に走れるといいね。

何よりも
お天気が良かったのがいいねえ。
(長い人生、いつもそうとも限らないんだから、感謝しよう。感謝。)

| 2008-10-11 09:06 | 日記系セレクション |



郡上八幡・断章

夜が明け始めたばかりだった。

コンクリートの坂道を下りながら、その人がすでに出発の用意を済ませて街を歩いている姿を想像していた。

昨日からの旅の道筋とそのときの思いを脳裏に呼び戻すお呪(まじな)いのように、自分の足音がコツコツと路地に響く。ゆっくり私は歩いてゆく。

そのときちょうど、お寺の鐘の音が霧に包まれた山々にこだました。6時を告げているのだ。

坂道を下る足を幾分ゆるめてみる。もう直ぐ走り始めるのだから、ここで駆け出して、いまさら時間を縮めても仕方あるまい。そんな気持ちが湧いてくる。

「ありがとう。楽しい旅でした」そんなふうに独りごちた。


旅は、今日で終わりだ。

昨日走った数々の感動や衝動を胸に、その人が向こうから帰ってくる姿を探しに川べりの方へと歩いてみることにした。

もしかしたら、道に迷っているかもしれないけれど、人生に迷わなければ構わない。いや、少しくらいは迷ってもまた元に戻って来れるならばそれでいい。

そんなことをただ何となく考えながら、商店街のほうへと歩いてゆくと、交差点の向こうからこっちに歩いてくるその人の姿が確認できた。

段々とこちらに近づいてくる。

静まり返った街。
気温は5℃くらいかもしれない。
少しだけ吐息が白い。

さあ、何て声をかけようか。


-----

「おはようさん」と声を掛けたら
昨日の自分に戻っている。

昨日の今頃、
見つけたら両手を挙げて手を振ってくれました。
初対面だったのに、あうんの呼吸のように
トントンと峠を幾つも愉しみました。


奥飛騨は、もう冬支度を始めようとしている。
暮れゆく秋。


--
(物語風に書いてみました)
(気が向いたら続くかも・・・)

| 2008-11-06 20:28 | 日記系セレクション |



手をあげてやっと逢えたねと呟く (下呂温泉まで) 番外篇

あるように、私の身体が緊張している。人は自分に嘘をつけない。

恵那市のしんちゃん(VMAXさん:通称Vちゃん)からメールが届いたのが連休初日の朝のことで、京都行の列車に乗る直前だった。伊勢に来るというので(私の早合点で)奥飛騨に変更してもらえば一緒に走れると考えた。即座に京都行きを中止し、その人に二日目(11月2日)の「早朝に、友だちを誘って下呂温泉に行きます」とメールした。夕刻に再び連絡が取れたVちゃんは、来客を伴った伊勢ツーリングなので予定変更を出来ないということが判明し、下呂温泉行きはひとり旅と決定したのだった。

バイク人と初対面で一緒に走るとのは珍しくはなかったものの、この日の朝を迎えるまでに迷いに迷っただけに不断な自分を嘆いてみるが、最後は勢いよくここまで来た自分を少し褒めてやってもよかろう。

名前さえも知らない人だから、メットの中で名前を叫ぶこともできない。「困ったね」と独り言をいいながら「橋のたもとで待ちましょう♪」などと鼻歌気分で温泉街へ滑り込んでゆく。4時間も5時間も闇と寒さに責められていた緊張から解放されて、力がすーっと抜けてゆく。麻酔にかかって眠ってゆく寸前に体感する揺らぎのようでもある。W650と思われるバイクが止まっているのが見える。

「もう逃さない、紅葉が呼んでるよ」なんてぶつぶつ喋っても届かない。霊感になって飛ばないかなぁーなどと考えたりしてるとウキウキしてくる。

噴泉池のお湯は早朝に抜いて掃除をするらしい。ちょうど再注入が開始されたところで、湯面は見えないものの白い湯気が立ち昇っている。

その子はいまごろこの街のどのあたりを散策しているのだろうか。


ひとしきり休憩を終えて、そろそろお散歩から帰ってきてもいいかなと思うころ、公衆電話を探した。「今ちょうど、ホテルの方に向かって帰っているところです」という声が返ってきた。昔からの友人のように話し始めるところがこういう世界の出会いの特徴といえる。ここにもここでしか味わえない感動がある。

橋を行く人が見渡せる交差点まで出て行って遠くを見やると、歩いてくるひとりの女性の姿が確認できた。私の姿が目にとまったのだろう、彼女は大きく手を上げて振ってくれた。

思わず、「やっと会えたね」と小さな声で呟いてしまった。

| 2008-11-06 20:30 | 日記系セレクション |

熊野古道「ツヅラト峠」

街道という言葉には人々の生活のなりわいの他にも、暮らしの裏に隠れた信仰や祈りの思いが隠されています。そう思いませんか? 松阪市の城跡内にある歴史民俗資料館の企画展示「祈りと街道」で見た道しるべの石塔の素朴さの興奮冷めやらぬ間に、熊野古道へと出向くことにしました。

熊野古道。
いにしえの巡礼人が踏みしめた街道。
多くの人が祈りを込めて、あるいは行商人が隣の村へと峠を越えた峠道がいくつか歴史街道として残っています。

9時26分、紀勢本線(伊勢市行) の列車が松阪駅を出発します。紀伊長島までの小さな旅の始まりでした。紀伊長島には 10時47分に到着します。料金は1110円とお手ごろ。

さて、駅前は人影も疎らで、ツヅラト峠の登り口に向かって歩いてゆく人影はまったく見当たりません。道案内の看板も、決して親切とは言いがたく、天性の方位針を持ち合わせた私でさえ迷いそうです。もちろん、そのくらい寂れているほうが私の好みです。

ツヅラト峠の登り口までは民家の間を行く舗装道路を歩きます。約4キロほど。車が横を走りゆきますので、排気ガスと風圧に悩まされながらとなります。

登山口が近づくと、やまあいの水田で啼くカエルの声が谷にこだましているのが聞こえはじめます。ウグイスが上手にさえずります。3月ころは下手くそだったのに5月にもなると下手くそなウグイスはいませんね。ヒヨドリ、ムクドリなど何種類もの鳴き声が聞こえてくるけど、その名前は何ひとつわからないありさまでお恥ずかしい。カシラダカとスズメの区別もつかない私ですし。

そんなことを思いながら平地を1時間あまり歩いて、11時半過ぎから登山道に入ることになりました。立派な石標が建っています。

「ツヅラト」という名前からも推測できるように「九十九折」の峠道です。
2万5千分の1の地図では
ココ
に当たります。標高350メートルあまり。ご覧のように最後の最後で100メートルほどを一気に登ります。
多くの人が紀伊長島のほうからの登りが長くてきついと、教えてくださいましたが、でも、昔のように健脚を誇れない。軽くて短い下りを選択して海側から登ることにしました。

ヒノキが綺麗に植林されて、枝打ちも施され整然と並んでいる林と、コナラなどブナ科の植物がまだら模様の黄緑色をなす斜面を、登山道は右に左にと曲がりながら上へと続きます。小さな谷にさらさらと流れる水で手を洗い首筋を流れる汗を拭きます。

一部、石畳の登山道が残っています。情緒があるなあ、と思いながら、峠の姿も見えない林の中を登ります。直射日光が差し込まないのが幸いかもしれません。しかしやがて太平洋が一望できるようになります。そこで少し休んだあとは、最後の力を振り絞ると峠に着きます。最後の一歩で思わず「ヨイショ」と言ってしまいました。

登山口の石畳に足を踏み入れてから1時間ほどです。峠には東屋があり充分に休憩をとりました。旧大内山村側・梅ケ谷の集落までは緩やかな下りです。まあ、山菜取りに出かけたようなお気楽な気分で下ります。

こちら側からは軽装の人が目立ちます。ピストンで帰ってゆくのでしょうね。お年よりも目立つけど何よりも二十歳から三十歳ほどの、街でしか見かけないような若い女性たちが列を成して登ってくるのに出会うから驚きます。メジャーな峠なんだなとそのときに気付いたわけです。

およそ9キロの行程を4時間半ほどで歩いてきました。梅ケ谷の駅では1時間以上、帰りのJRを待ちましたが、ホームのベンチで横になっていたらすぐに過ぎてゆきました。贅沢な散歩ができました。 【5月3日】

(写真は現像してからですから未定です)


| 2005-05-04 21:02 | 日記系セレクション

2009年5月11日 (月曜日)

1994年 夏・東北を走った

'94夏・東北
[8/6-8/11]

[1] 8/6:…伊勢湾~東海道…富士山の西側…甲府盆地…清里(泊)
[8/6-8/11]まえがき
[8/6-1]伊勢湾横断
[8/6-2]東海道
[8/6-3]甲州へ
[8/6-4]八ヶ岳山麓
[8/6-5]清里高原(泊)96行

[2] 8/7:…軽井沢…越後湯沢…只見…猪苗代…湖畔(泊)
[8/7-1]佐久市内にて
[8/7-2]軽井沢から北軽井沢
[8/7-3]三国峠から湯沢
[8/7-4]長岡市[8/7-5]守門村から六十里越え
[8/7-6]猪苗代湖(泊)75行

[3] 8/8:…喜多方…塩沢温泉…福島…(飯坂温泉・泊)
[8/8-1]五色沼
[8/8-2]喜多方市
[8/8-3]土湯峠
[8/8-4]飯坂温泉(泊)65行

[4] 8/9:…蔵王…天童(山寺)…大江町…(左沢・泊)
[8/9-1]鳩峰峠
[8/9-2]蔵王
[8/9-3]笹谷峠
[8/9-4]山寺
[8/9-5]天童市界隈(大江町泊)46行

[5] 8/10:…月山…鳥海山…日本海シーサイド…(三条燕・泊)
[8/10-1]月山~鳥海山
[8/10-2]日本海沿岸(1)70行

[6] 8/11:…日本海沿岸…富山(利賀)……自宅(松阪)
[8/11-1]日本海沿岸(2)
[8/11-2]利賀再訪
[8/11-3]帰途119行

[7] あとがき、
支出表、その他

[8/6-8/11]
あとがき支出表
S君への礼状



東北の旅('94):8/6


[8/6-8/11]まえがき

何故、東北に行くのか。その答を何度も書いては消している私がとても滑稽である。11年前、情熱だけを持って、ある女性を訪ねた旅の思い出が、東北の各所に散らばっている。今回の旅は、その思い出を"消し歩く行為"にほかならないことがわかっていながら、引きつけられるように旅に出てしまう。"芭焦"気分で東北を回ってみるのも面白いか。とにかくそんなこだわりで旅に出ることになった。毎度お馴染みではありますが、ツーリングレポートは私自身のために書いている日記です。それがたまたま共感を持ってくれる人がいてくれると嬉しい。ツーリングは建て前で、実は独りぽっちに浸りたいというのが目的かも知れない。家族を置いて旅に出ることには賛否両論があると思います。しかし、こんなひとり旅に出て初めて家族と旅をしたいと切々と思う。

GSXの調子はお世辞にも良いとはいえない。GSX最後の旅(長い旅)に出かけようという折に、今回は珍しくうちのんが写真を撮ってくれた。

---縁起が悪い?

---そんなことはない!

新しいことを何かやらなくては新しい発見は有り得ないやないか!子供と一緒に写真を撮ってもらって、6:45に家を出た。天気は快晴である。

[8/6-1]伊勢湾横断

「オーメンズ・オブ・ラブ」をくちずさみながらバイクを飛ばす。新しいレパートリーに加わったこの曲は来春のコンサートやるので近ごろ頭から離れない。ひとりで走る時のカラオケが演歌ばかりじゃあつまらないし。R23が二車線になる以前に鳥羽港まで走って伊勢湾フェリーに乗って出かけたことがあって、それがどこへの旅かをどうしても思い出せない。あの時は家を7時ちょうどに出て、鳥羽港に一分前に滑り込んだ。フェリーポートの建物が新しくなっていて少し戸惑うが、なんてことはない。10分ほど余裕を持って港に着いて船に乗り込んだ。8:00出航である。いつもなら神島や知多半島などを眺めて感激に咽び泣くのであるが、妙に落ち着いてデッキの椅子に腰掛けて居眠りをしている間に渥美半島に到着となった。

[8/6-2]東海道

朝のうちはまだ暑くはない。フェリーを降りて渥美半島を縦断するコースを取り東へと急いだ。渥美半島はメロンの直販が多い。旨いのだろうか。浜松市内あたりからの東海道は渋滞の連続で、おまけに所々開通しているバイパスの道案内がとても不親切である。バイパスは工事途中の箇所が幾つもあり、元から来た国道に戻る表記がいい加減でわからないなんてことが何度もあった。ほんと、この不親切具合には頭に血が登った。暑いのと重なって、もう二度と(必要以上には)こんな道は走らないだろう。

[8/6-3]甲州へ

清水市の郊外からR1に別れを告げてR52を北上するが、残念ながらこんな近くなのに富士山は見えない。暑さにバテてコンビニで休憩しながら北へと進む。途中、下部温泉の看板が目についた。一度行ってみたいな。『波の塔』に出てくる嵐の中を東京へと急ぐ情景が浮かぶ。温泉に寄りたい。今度、家族で来よう。

今回の旅は始まりのコースを変えてみた。それが失敗であった。やはり、三重県から信州に入るには名古屋を横切るのが素直なようだ。国道一号線にはロマンなんて何もなかった。

[8/6-4]八ヶ岳山麓

甲府盆地に入って八ヶ岳を見ても霞の中で見えない。裾野を鉢巻道路の方に登っていく途中から富士山も見えるはずであるがこれも霞の中である。しかし、日差しはきつく「水が欲しい」とばかり呟いている。連日35℃を越える猛暑に初日からへばっている。そんな状態であるから裾野に湧く『三分の一湧水』の案内版が救命の誘いであった。以前から行ってみたかったのがこんな形で実現できて幸いである。東北へ急ぐ前に少し八ヶ岳『鉢巻道路』を走ってみることにしたのもこの暑さのせいで、少しでも高いところへ行こうと考えたからである。その途中でこの湧水に寄ってみたのもそんな折の幸運であった。当然、この水が冷たくて美味しかったことは、言葉では表現不可能だ。手を浸し続けることができないほど冷たい。

日に焼けた腕を冷やし、顔を洗い、喉を潤した。

[8/6-5]清里高原(泊)

野辺山の高原駅(日本一高い駅)には寄らなかった。清里高原の入り口は車で混雑し、ああ嫌な感じ。のんびりと高原の鉢巻道路を走っていたら母校の寮の看板があった。

---卒業生です、泊めてもらえませんか

と言って入っていったら、協議の上OKとなった。トイレ付きバンガローをひとつ貸してもらって早々に寝た。トイレも水洗で洗面所もあるロッジであった。遠くから花火で遊ぶ歓声が聞こえてくる。大きな部屋の真ん中に布団をひいて寝っころがったらぐっと睡魔が襲ってくる。初日は結構疲れるのかも知れない。自然の中で独りぽっちになってしまえる静かな夜。走行距離361Km



東北の旅('94):8/7


[8/7 -1]佐久市内にて清里は6時半頃に出発した。高原は朝霧の中である。小鳥はやかましいほどにさえずる訳でもない。ゆっくりと散歩でもして下界を忘れたいところであるが先を急ぐので出発する。管理人の山口さんを起こしてしまい申し訳なかった。毎朝、家に電話を入れることにしているので、日差しがそろそろ暑くなりかけた8時頃に佐久市内のコンビニの前に止まって電話をした。

---ラジオ体操に間に合わなかったけど…

と言うと

---今日は日曜日で体操はないの

とうちのんは答える。早くも曜日の感覚が薄れているのか。

コンビニを経営するおっかさんが駐車場の掃除をしていて話掛けられた。

---息子が古いナナハンを持っていてね、古くなればなるほど手放せなくなるらしいね

軽井沢は人が一杯でも、やはり涼しいでしょ、話のネタにでも(年に)一回は行くっていうからね

さてと、その軽井沢を越えて早く新潟に行かなきゃならないのよ、私は。

[8/7-2]軽井沢から北軽井沢

こういう場所に別荘を持って、夏の暑い間は避暑に来る生活ができたら、怠け者になり果ててしまうだろうか。しかし、本当に涼しい。遠くを目指すのは止めてここらあたりに宿を見つけて滞在してもいいくらいだ。誰か、落ち合うことのできる女性の知り合いでもいれば、こういう所で密会をすれば最高だろうな。

すぐ近くに浅間山が見える。

[8/7-3]三国峠から湯沢

全部で53個のカーブがあるという。(55コダッケカナ)コーナーには「R=40」などと表示してある。思ったより交通量が少なく"ほっ"とした。しかし、観光バスの後ろに付いたら地獄だ。(無風になってしまうので)水温計はぐんぐん上がるし、煙で顔は真っ黒になるし…。

湯沢の町から六日町方面は車の流れも割とスムーズだ。しかし、やはり国道は暑い。

[8/7-4]長岡市

F君を訪ねるが外出中であった。今までに何度かお世話になり、今回もまたお世話になろうかと考えていたが駄目であったか。官舎の前で一時間ほど、木陰に腰を降ろして待ってみた。涼しい風が時々吹いてきて少しウトウトした。考えてみれば、日曜日の昼間、この暑い日に家に帰ってくる訳ないか…。さて、猪苗代の方面にでも移動するとしようか。

「まあ、のんびり行こうか」慰めとも気合いとも解釈できる独り言であった。

[8/7-5]守門村から六十里越え

この道は私の気に入りの街道である。少し遠回りになろうともわかっていながらでもここを通って福島県に入りたい。そう思わせるのは『六十里越え』という名前もあろうけど、自分でもわからないそれ以外の理由がある。こういうのを『こだわり』という。

峠道と並んでディーゼルカーが走っていた。背よりも高く生い茂った雑草の向こうを走る列車の窓に、若い女の子達が何人か見えた。バイクの方が速いときもあれば列車が追い抜いて行く時もある。私は、誰が乗っているのか、はっきりとは関心を持っていなかった。ところが、坂道が急になってバイクの速度が少し落ちて、ヘアピンカーブを曲がって一気に上へ登って行こうとする時に、窓に手が届きそうなほど列車が近づいてきた感じになった。乗り合わせている人達の顔が、私には、はっきり見えた一瞬であった。"みんなキャンプに行くのかな"という思いが閃いた瞬間、車窓の中からこっちを見つめるひとりの女の子が、手を肩のあたりまで挙げてこちらにそっと振ってくれた。はにかみながら…。しかし私は返事をする暇もなく、バイクはカーブに差し掛かり、列車はトンネルに入って行ってしまった。

手を振ってくれた理由は、たとえ一瞬でも出逢った人に別れを告げる儀式であったのだろう。彼女は旅人で、旅の仲間を意識していたのかも知れない。彼女のその時の顔を、私は忘れられなくなってしまった。彼女は恥ずかしそうに笑いながら少し躊躇して手を振った。視線が合った瞬間に急いで手を挙げた彼女に対し、私は何の返事もできずにすっと離れて行ってしまわなければならなかった。

この別れのシーンのあとの私は、記憶できないほど沢山の独り言を繰り返しながら街道を走り続けることになる。(その子にもう一度逢ってさよならをいいたい、逢えないものか、追いかけても無駄だよ、あたしゃバカよね・・・など)そしてそのあと、放心状態を隠し、慰めるために路肩の崖から流れ落ちる清水で顔を洗い田子倉湖が夕日で赤くなるのを呆然と眺め、そこに佇んでいた。

只見川にはとても神秘的な川霧が立ちこめていた。水しぶきが飛び散るのをスローモーションでみているように、川面の霧は流れていく。しかもそれが夕日に染まって朱に染めたように赤い。もう急ぐ理由は私にはない。ゆっくりと日暮れを楽しむように、いや、哀しむように川沿いの道を下った。言葉にならない旅の感傷を濃縮して味わってしまったようであった。

[8/7-6]猪苗代湖(泊)

会津若松市内に差し掛かった時には、夜の闇がすっかり空を覆っていた。闇夜には、月明かりさえもなく、容赦ないものであった。ナイトランを覚悟はしていたが、やはり不安である。猪苗代湖まであと一時間余りを走らなくてはならなかった。ヘッドライトが瞬停をすることがある。あれぇ…、少し不安になりながら走り続ける。

天神浜キャンプ場というところに8時半頃到着。設営費用は徴収係員不在のため無料。到着時刻が遅いため、周りが見えず少し不安であるが、バイクが数台止まっていたのでここで寝ることにした。酒も夕飯もない。カロリーメイトひと切れと缶ジュースで空腹をごまかして寝た。

走行距離489Km



東北の旅('94):8/8


[8/8-1]五色沼

5 時頃、目が醒めた。早々にテントをたたんで散歩をした。夜のうちに着いたこともあってテントの周辺がどんな雰囲気だろうかと気になった。散歩の後、家に電話を入れた。湖岸のごくありふれたキャンプ場でたくさんの家族連れや若者が6時にもならないうちから忙しそうにしている。猪苗代の湖岸を少し走りながら時々止まって湖岸を眺めた。朝日に湖面が光っている。やはり潮の香りがしないのが寂しい。

さて、五色沼。7時過ぎということで人影は少ない。写生に来ている御婦人の団体さんが賑やかだ。裏磐梯山の絶壁に朝日が差し、琵沙門沼の深いみずいろに映える。小波が起こる程度の朝のそよ風が心地よい。少し歩いてみながら思った。やはりこれ以上、人が踏み込んだら"只の沼"に成り下がってしまうだろう。道路は綺麗になりお土産屋さんが立ち並び、檜原湖の方にもドライブウェイができている。道路を造ってはならないことを物語っている。有料道路は走らないつもりにしているので、檜原湖岸を少し走って喜多方市へ抜けた。

[8/8-2]喜多方市

ここを訪ねてラーメンを喰うのがこの旅の大きな目的であり心の支えである。まず、情報は駅にありそうだと思い直行した。チャリダー君が荷物をセットしていた。駅で夜を明かした彼もこれからラーメンを食べに行くという。観光案内所でパンフレットを戴き駅の待合い室で本を読んでいた女子高生に美味しいラーメン屋さんを訪ねたらノータイムで答が返ってきた。「坂内食堂!」(ばんないしょくどう、と読む)

営業時間は、7:00ー19:00まで。私が店に入ったのが9時前。モーニングラーメンを食べる人で店はいっぱいであった。\500である。それほど高いという感じはしない。まあ、仕事で行って何度も食べた九州博多のラーメンでも\400であるから、本当はこの程度の値段が普通で、観光地のチャラチャラした店だけが高いのだろう。味は旨い。細いうどんとラーメンのあいの子くらいの太さの麺にまずは驚く。チャーシュウが大きくて多くてまた満足。醤油ラーメンは少し味が濃いめのものの方が個性があるように思えるのかも知れない。醤油ラーメンの嫌いな人はやめた方がいい。念のために書いておくと、メニューにはラーメンしかない。

[8/8-3]土湯峠

立派なトンネルが完成している。猪苗代側から抜けると山岳有料道路を走っている錯覚におちいる。標高がそれほど高くなくても、高山植物が身近にあり樹木の背も低いため、信州の峠と較べるとあっけない割に景色が雄大である。土湯峠の『道の駅』は綺麗で落ちつけた。野宿をするにも適している。ただし、季節を考えないと平野よりはかなり涼しい。一時間以上も休憩室でぼんやりしていた。その間に同じテーブルに座った家族旅行(女性だけ)のお母さんにおにぎりをもらった。これから白布温泉に行って数日間バカンスや登山を楽しむそうである。『高湯』は昔から三つが有名で、白布温泉もこの高湯のひとつで、逃せないらしい。しかし、コースに組み込むのが難しい。

土湯峠を降りて、大学(母校ワンゲル部)の山小屋を探しに塩沢温泉へと向かう。山岳周回道路は気持ち良い。あれれ、簡単に見つかると思っていた山小屋はどこにあるのだろうか…とんだハプニングである。山小屋で2ー3泊をあてにしていたのに。

早々に諦めて岳温泉経由で二本松に降りた。エンジンオイルも買う必要があるので平野に降りたのであるが、暑い!熱い!

[8/8-4]飯坂温泉(泊)

S君の家を訪ねた。15年ぶりくらいだろうか。早稲田西門の赤ちょうちんで飲んだのが最後の記憶だ。彼は文学部で演劇に打ち込んでいったので、私とは次第に逢うことが少なくなっていった。夜遅くまで話し込んで、彼は22時過ぎに仕事に出かけて行った。手厚い接待を受けたお母さんや弟さんに感謝。

昔と何も変わらない話し方で、彼は

---川端(康成)っていうと何か威厳があるでしょ、ずるい言い方だけどさ

文学を語らせると熱くなる。少し語尾が東北っぽい余韻で話を続ける。

---今でも子供っぽいところが残っているというか…

ビールが好きで、どこまでも飲み続けるが決して饒舌にはならず淡々と文学を彼は語ってくれる。私にとってそれが無性に清涼剤であった。

" 仙気の湯"という共同浴場を紹介してもらって入りに行った。行く前に「熱いよ」と教わって行ったが、本当に熱い。地元の人は子どもの時から入っているから平気なのだそうである。共同浴場は3ヶ所あって"あせも"ができたりしたら"○○の湯"へ行くと直るなどという事実が有るそうだ。さすが、温泉文化が息づいている。弟さんと深夜まで話し込んだ。共通の話題といえば、私が家電メーカの技術者で彼がそのメーカショップの経営者ということだけである。

走行距離211Km



東北の旅('94):8/9


[8/9-1]

鳩峰峠煮干のだしの味噌汁を朝飯時にご馳走になった。泊めてもらった部屋からの景色が素晴らしい。温泉宿に泊まっているみたい。窓の下には温泉街の中心を流れる川が流れている。9時頃、飯坂温泉を出発。鳩峰峠を越えて山形県に入ることにした。S君に教えてもらった仙台の旨い蕎麦屋には蔵王を回ってから行こうかと思う。暑い国道を走るのは嫌だから。飯坂温泉から山形県に抜ける道である鳩峰峠が面白い。なかなか険しい山岳道路である。優しい名前とは違って狭くて深い谷が続く。両脇には林檎の畑が続く。青い林檎が白い粉を吹いたような木に成っている。高度をかせぐと、やがて雑木林になり、ブナの野生の森になっていく。山形県に入ったらまた林檎の山が広がった。"フルーツライン"などという名の道路があったり、"ぶどう・まったけライン"という農道があったりする。果物が美味しそうだ。『山形にきたら、鯉料理と米沢牛を食べるべし』と教わった。しかし、結果的には食べずに終わった。

[8/9-2]蔵王

蔵王は結婚して一年後くらいに車で来た。あの時には『お釜』にも行った様に記憶する。今回は、雲行きも怪しく頂上付近で少しパラパラと降られたことや雷さんの怒りの声が遠くに聞こえるため、福島県側に越えたが、また高速道路の走っている笹谷峠の一般道をまた山形県側に戻った。あとで聞いたが、「福島県雷警報」だったそうな。

[8/9-3]笹谷峠

笹谷峠は高速道路が峠の前後にあるため車の数は少ない。峠の途中に湧水があったのでそこで顔や手を洗って喉を潤した。暑い日が続く中、バテ気味での私にはこんな清水でバイクを止めない理由はない。重宝した。まさに命の水であった。S君には申し訳ないが、教えてもらった仙台の蕎麦屋は諦めて山形県を北上することに決めた。まずは山寺(立石寺)に行ってみることにする。

[8/9-4]山寺

山寺を訪れるのは長年の夢であった。『しずけさやいわにしみいるせみのこえ』俳句というのは不思議である。静かなことでもなく、岩があることが大事でもない蝉に感激した訳でもない。大自然の不変性を感じる。

自分の足音だけしか聞こえない様な人里離れた寂しい静かな山寺に一歩一歩足を踏み入れていく。立ち止まれば蝉の清い声が伝わってくる。蝉の声は都会の自動車の騒音と電気的波形は同じ様なものかも知れないが、違うんだな、これが。

16:30頃から登り始めた。30分程度で登れる。関東ではJRのCMをやっているらしい。汗びっしょりになって登って、旅の甲斐があったと満足する。

[8/9-5]天童市界隈(大江町泊)

山寺の駅で何人かと話をした。旅人は純粋である。こんなに純粋で世の中を渡って行けるのだろうか。いや、世の中に飽きて来ているのだから不思議ではないのだ。列車の時間を待ちながら木陰で本を読む女性。ドラマのヒロインにしたいな。私が若ければ一声掛けただろうに。

山寺駅は野営を許さないということで、天童市の駅に行ってみたら都会のように豪華な駅だった。市内は祭の最中で賑やかである。そんなところには泊まれない。少し走ってみることにした。左沢(あてらざわ)の終着駅でタクシーの運転手さんの推薦場所"ふるさと会館"でテントを張ることにした。綺麗な公園、公民館の様な所であった。近くのコンビニで久しぶりに大好物のヤキソバを買い込みビールでくつろいだ。

日中に焼けたコンクリートは深夜を過ぎても熱を持っていて、背中が生温い。こんなにお天気に恵まれるなんて、何と幸運なことか。

走行距離216Km



東北の旅('94):8/10


[8/10-1]月山~鳥海山

『ふるさと会館』の朝は爽快であった。明るくなってくる5時前には目を覚まし付近を散歩した。タクシーの運転手さんが教えてくれたように綺麗なトイレも有った。驚いたのはすぐそばを最上川が流れていたことである。その姿は悠々としており、川向こうに連なる奥羽山脈に日が登り、街が赤く染まっている景色などは、ちょっと内緒にしておきたい気持ちである。

「私も芭焦になるんだ」と言って出てきただけに最上川や山寺はちょっと僕だけが楽しい旅であった。(お薦めはしません)

R112 に出て、月山の麓を抜けて鶴岡市方面へ抜ける。思ったより険しい山岳道路である。今回の旅にお供してもらっているGSXは、エンジンオイルが上がって燃えるため高回転では煙がモウモウである。快適な道路がこういう山岳地帯にたくさんあるが、残念ながら法定速度で走らなくてはならない。エンジンオイルは 300Km走るごとに300cc程度の補給だろうか。

今回の東北を走ってみて感じることに、この山深い里の冬は、道路も閉鎖されているという事実と、険しい峠が多いということである。東北では、峠を越えて庶民の苦労を肌で感じてみて初めて、昔からの文化は理解できるといえるのだろかと感じながら走り続けた。

昨晩タクシーの運転手さんが薦めてくれた『鳥海山』には行きたい。「高いところか見おろしてくるのもいいものだべ」というあの話し方に愛着を感じてしまう。

酒田市を通り抜けた頃、日本海が見えた。日本海沿岸の国道にはライダーが多く少し驚く。北海道に向かったり、帰ってきたりの連中か。ピースサインに彼らの気合いがこもっている。鳥海山は深い谷を持ち景色の綺麗な山である。自動車(バイク)は五合目まで行ける。登山帰りの奥さんと話をして山に引かれてしまった。綺麗な奥さんには中学生くらいの可愛い娘さんがいました。ああ。束の間の憩いでした。芭焦が詠んだ「象潟」に向かうバスに乗り、大きく手を降って消えて行った。その句が思い出せない。

[8/10-2]日本海沿岸(1)

さて、鳥海山にも行ったし、帰ることにしよう。よし!行けるところまで走ることにしよう。日本海側は少し涼しい様にも思える。来た道を少し引き返し、新潟方面に行くことにした。時々、日本海が見える。海を見ながら走るのもまたいい。

新潟、三条・燕のワシントンホテル飛び込んだのが5時半だった。ワシントンホテルは、三条・燕の新幹線の駅の近くの"SATY"の一角にある。駐車場も共用である。それが理由で、7:30までバイクを出せないという。6時頃出発しようと思っていたがこの際ゆっくりすることにした。風呂も浴びて眠れるのだから文句もいえまい。久しぶりにくつろげる時間である。"SATY"で夕飯の食事を買い出してきて部屋でくつろいだ。

走行距離409Km 



東北の旅('94):8/11


[8/11-1]日本海沿岸(2)

ホテルの駐車場はSATYの駐車場と兼ねている。荷物を積んでライトをつけたらいきなり消えた。あれっ!と思った。先日からおかしかったしな。原因は球が切れたのではなく、接触不良であった。おお恐っ!

さてと、今日はもう利賀村を回って帰ろうと思う。昔、食べた蕎麦の味が忘れられなくてまた行くことにした。三条を出て富山を目指す。海水浴の姿が目立つ。メットの中で唄うカラオケも少し陽気になっているかな。

『親不知』にある親子の銅像のパーキングには止まらずそのまま通過した。何故か富山県に早く入りたかった。利賀村到着は13時過ぎになると予測がだんだん確実になっていくのを確認しながら左手に立山連峰、右手に日本海を見ながら走る。ここも水不足が深刻な様子で黒部川の水は枯れていた。いつもなら山から海へと勢いよく水が流れているのに…。

[8/11-2]利賀再訪

利賀村へは、富山市から飛騨高山へ行くR41を少し走ったところで県道にそれて行くルートをとることにした。県道は舗装されていたことを喜ぶべきだったのかも知れないが、結構な山道である。ダートだったらエンディューロにも十分に使える道だと思う。まあ、昔はどの道を通ってもダートを走らなくては利賀村には入れなかったことを思うと改善されたことは明らかだ。利賀村に着いたら当然のことながら蕎麦を喰いに急いだ。利賀温泉の近くにある『うまいもん館』『ごっつお館』で利賀の蕎麦を喰わせてくれる。一昨年の晩秋に来たときには『うまいもん館』で食べたので今回は『ごっつお館』で食べることにした。

---盛り蕎麦を大盛りで下さい!

値段は、\1000である。

味: 色合い:歯ごたえ 
-------------------------------
利賀村: 満足:   淡泊:さらり 
開田高原:十分満足:蕎麦色(黒っぽい):シコシコ 
戸隠:少し不満:  淡泊:さらり
-------------------------------

蕎麦色(黒っぽく)で味もきつく蕎麦の匂いがプンプンするものが好みなので開田高原で食べた蕎麦の方が私の好みかも知れない。しかし、歯ざわりは、利賀の感じが讃岐うどんを連想する硬さで気に入った。開田と利賀は優劣を付け難い。

前回食べた"かけ蕎麦"は、"盛り蕎麦"と違ってもっと黒っぽく、匂いもきつく、麺も硬く、だしも旨く、比類なく最高であった。

[8/11-3]帰途

蕎麦を喰い終わって時計を見たら15時前。いっそうのこと松阪まで走ってしまおうか。ゆっくり家で寝たい気もするし。R156を飛ばせば19時頃岐阜、22時頃松阪に着ける計算(経験的推測)になる。

「まあ、夕日でも見ながらゆっくり帰るとしましょうか」なんてぶつぶつ云いながら山の神峠を越えた。峠道のトンネルからR156迄の道は完成しすべてセンターラインが付いている。一昨年に土砂降り中を登った林道が谷の底に見えている。感慨深いものがある。

R156 を一路岐阜方面に南下する。広い道路が川沿いを高速道路のように続く。10年後には高速道路が開通しているのかも知れないことを考えると日本中の自然が、欲望や身勝手だけで節度なく開発されていいものかと思う。利害だけで人が都会に住み、既得権の様に水を使ったのがこの有り様である。都会は田舎を蔑み、自分達の住む都会がパラダイスのように思っていた部分がなかったか。自然に囲まれ自然と共存していく知恵を持つ文化を軽んじてはいけない。いつか今年の水不足以上に罰を食らうだろう。

台風が九州に向かって接近中のせいで西日本の太平洋側は不安定な天気が続いているらしく、スコールのような雨が三重県南部を見舞っている。四日市あたりから例外なく私もスコールに迎えてられてしまった。シャワーを浴びせてくれるならヘルメットを脱いでからにして欲しい。

ほぼ予定時間通り、21:45松阪着。走行距離576Km 

[8/6-8/11]あとがき

今回のツーリングでは、湧水は命の水であった。灼熱の国道を走って、もうこれ以上暑い国道を走るのは嫌だと思う。今までに前例のない暑さだったのではないだろうか。久しぶりに行ってみて思うに、東北はやはり広かった。とても青森や盛岡などには到達できないし目指せない。内陸部ではバイクの姿は少なかった。みんなが北海道に向けて走って行ってしまうからだろうか。それとも高速道路を一気走りしてしまうのだろうか。日本海側には高速道路がないこともあってかたくさんピースを交わした。秋に行くのが一番いいのかも知れないが、秋休みは長くても5日程度だからほとんど不可能だ。電車で行くしかないか。そうなると、ゴールデン・ウィークに行ってみるか。まだ寒いかな。この夏の旅は、若い頃の自分に戻った様な感じであった。未知の場所を走ることに生きがいを感じている。(実は未知ばかりではなかったが)しかし、体力の衰えと無鉄砲さの消失に、もう若くはないことを知らされる。帰ってから手の痛みや握力の低下で顔も洗えなかった。靴ずれするし、日焼けはするし、悲惨であった。何も良いことがなかった旅でもひとりになれて走り回れたことが大きな充実感をもたらしているのだろうか。



支出表 


=
8/6
・110・冷飲料(350cc)
・100・ 〃(500cc)
・1030・鳥羽ー伊良湖(旅客)
・1230・鳥羽ー伊良湖(バイク)
--------------------------------------------
小計・2470・走行距離361Km・(1788)・ガソリン(14.3㍑) 山梨県長坂町
=============================================
8/7
110・アクエリアス・220
・ 〃 ボトル(1.0リットル)
・100・コンビニのおにぎり(1ケ)
・100・ジュース(350cc) 
--------------------------------------------
小計・530・走行距離489Km・(1764)・ガソリン(14.0㍑) 新潟県守門村
=============================================
8/8
220・冷飲料(2ケ)
・500・喜多方ラーメン     
・780・エンジオイル      
--------------------------------------------
小計・1500・走行距離211Km福島県・(1543)・ガソリン(13.3㍑) 伊達郡川俣町
=============================================
8/9
100・冷飲料(500cc)
・100・ 〃
・300
・山寺拝観料
・460・ビール
・620・夕飯一式
--------------------------------------------
小計・1580・走行距離216Km
=============================================
8/10
1140・鳥海有料道路
・100・冷飲料(500cc)
・100・〃
・1990・夕食買出(酒類含む)
--------------------------------------------
小計・3330
・走行距離409Km 
・(1863)・ガソリン(15.4㍑) 山形県遊佐町
・(6600)・ワシントンホテル/三条燕      
=============================================
8/11
・230・コンビニのおにぎり(2ケ)
・100・冷飲料(500cc)
・1000・大盛り蕎麦
・100・冷飲料(500cc)
--------------------------------------------
小計
・1430・走行距離576Km 
・(1659)・ガソリン(13.6㍑) 柏崎    
・(1769)・ガソリン(14.5㍑) 郡上郡   
=============================================
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現金総計・\10840 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カード総計・(ガソリン・ホテル) \16986 
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
走行距離・     2261Km 
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


S君への礼状


前略、S様。先日は大変お世話になりありがとうございました。突然の訪問にもかかわらず手厚くお世話をいただき、心から感謝しております。また御家族の方々にも御迷惑をおかけしたかも知れず、申し訳ありませんでした。どうぞ、心意を皆様にもよろしくお伝え下さい。一方で、S君自身も旅の疲れが癒えていないうちに私が押し掛けましたため、予定があったかも知れないのに変更してもらったかも知れず、いくら"旅のわがまま"とはいえ勝手をしました事を後悔しております。さて、お世話になったおかげで精神、体力とも元気を取り戻し旅を続ける事ができ、8/11に無事わが家に帰ってまいりました。芭焦気取りで出掛けた旅でしたが、予想以上に暑い日が続き、心身ともにバテておりました。バイクに乗っている間は意外と食欲もなく食事を取りませんので、手厚い食事がとても嬉しくなりました。"何故、野宿か"を語れば長くなります。ただ、昔に読んだ「菜根譚」に「貪らざるを以って宝と為す」(不貪為宝)のくだりがあり深く感銘を受け、現代の社会の崩壊の根元を見るような気がし、自然人の生活をできる時はやってみようとしている訳です。単に貧乏とも云われますが。久しぶりに会ったS君は何も変わっていませんでした。歳は喰いますが、太りもせず、痩せもぜずですね。話し方までほとんど同じですから。高校時代の数学の先生が「歳、寄っても声は変わらないんだ…」と授業中に話をされていたのを思い出しました。早稲田文学部の学風を感じて久しぶりに若返った気がしました。昔一度、西門の所の居酒屋で飲んだ事がありましたね。私のような工学部出身の理屈ばかりを追いかけている仕事をしていますと、文学部の持つ優しさにひかれて行ってしまいます。考古学や文化人類学、中国古典などに逃避してみたくなります。芭焦を知らずして、芭焦を想像して奥の細道の旅に出た私は結局のところ現実逃避を繰り返しているに過ぎないのかも知れません。飯坂温泉を出て蔵王を通り、天童市郊外・山寺に辿り着きました。仙台で蕎麦を喰うつもりで出たのに急遽予定を変更しました。(落雷警報などの事もありまして)その後、鳥海山をめざし、日本海沿岸を走って南下し富山の利賀村で蕎麦を喰い家路につきました。東北には予想通りの優しさがありました。旅日記は8000字を越えると思いますが、お盆に書こうかと思っています。よろしかったら読んでやって下さい。残暑、まだまだ続くようですがお身体、ご自愛下さい。皆様にもよろしくお伝え下さいますように…かしこ

PS:機会があれば旅のついでに伊勢や京都にも来て下さい。案内しますから。
(1994.8.13 自宅にて)

『夢をさがしに/九州』('94・GW)

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『夢をさがしに/九州』('94・GW)

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★期間:1994年4月29日-5月5日

★場所:四国-九州

★バイク:GSX

∞はじめに∞

J君から手紙が届いたのは4月20日頃のことであった。(母校である上智大学の講師から)「鹿児島純心女子短期大学に助教授として着任することになりました」と書いてある。

奴のニタッと笑う顔が思い浮かぶ。「よし!ひとっ走りして会ってこようかな」と、私の決心が固まっていくのはそれからの一週間のことで、ツーリングマップの九州編を買いに行ったり、GSXのリアタイアを交換したりで休日は過ぎていく。Jの奴には葉書を一枚出して「GWには九州に旅に出て鹿児島に寄りますので…」と書いておいた。

旅の詳細計画は出発の前日になっても全然立っていない。「船の中で考えればいいだろう」と考えている。いつもほど胸をわくわくさせるようなこともない。GSXの不調が気になっており、修理しても直り切らないGSXの調子を確かめたい旅であるのかも知れない。来年('95)の夏の車検までの間でこのGSXでロングツーリングができるチャンスはそう多くはないだろうと考えると、少しでもツアラーとして走ってあげたい気持ちがあったことは確かだ。義務のような感じを持っていたかも知れないが、自分では説明できない。

とりあえず、和歌山から徳島に船で渡り四国を横切ってもう一度船で九州に渡ろうという荒技を考えている。

前夜、彩と約束をした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・(1)お饅頭のお土産を買ってくること

・(2)おもちゃを買ってあげること

・(3)お風呂で遊んであげること

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と紙に書いて、お父さんのサインをした。彩にとってのGWは京都に行って(従兄弟の)ちいちゃんと遊べることの方が楽しいので、簡単にお父さんのツーリングを許してくれた。

準備するものを忘れぬようにメモ用紙に書き込みながら雨対策のことを考えている。雨が一番心配だが、連休初日に晴れていたら出発と決めた。途中で降ったら仕方がない。お風呂の中から

「下着は5日分、家にある古くて棄てる奴を入れて、それから帽子と眼鏡も…」

と純子にメモを追加で頼んでいる。

さて、書き始める前にツアラーについて少し。旅の途中で何度も自問自答を繰り返しながら「何故に走るんだろうか」を考えた。(毎度のことであるが)答はあるようでないのかも知れない。「腰が痛くなって寝返りが打てなくなるのに走るの?」「博物館も庭園も見ないで、ただただ走り回ってくるのがそんなに楽しいの?」と聞かれそうだ。

バイクに乗る人をライダーと呼ぶがすべてがツアラーとは限らない。ツアラーである必要もない。私の場合はライダーというよりはツアラーだと思う。別にバイクでなくてもいいのかも知れない。

チャリダーになれるほど強靭(狂人)な精神力と体力があればそれに越したことがない。また、トホダーになるための根性があればトホダーでも良かった。しかし、軟弱だからライダーなのである。風を感じて走るという点では、ライダー/チャリダー/トホダーは仲間なんである。

旅とは何だろう。ライダーの旅人をツアラーと呼ぶならば、ツアラーはわがままで、自分流に感激したがる人が多い。色付き始めた道端の麦の穂をひとつ戴いてバックの地図の1ページに挟むことができるほどロマンチストでもあるのではないか。

海や山の匂いを感じて走る。雨にも打たれる。(バイクに乗らない人にはわかってもらえないかも知れない)自分のための自分だけの旅を求めているのだろうか。気まぐれで当てのない「さすらいの旅」に憧れるのだろうか。まだ見たことのない場所に行くだけならJRや車でもかまわないのだから。

不思議な魔力を手がかりに、もしかしたら見つけられるかも知れない、そんな夢をさがしに旅に出るのだと私は思う。

『夢の国への扉』なんて簡単に開くんだ。鼻歌混じりで出かけることにしよう。

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『夢をさがしに/九州』('94.4.29)

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∞'94.4.29∞

のんびりとした朝であった。出勤と同じ時刻に目を覚まし、前夜にまとめた荷物をバイクに積む。そうしている間に、彩は起きてきて私を見送ってくれる。子どもが寝ている間に、その寝顔に挨拶をしてから出かけるケースが多かっただけに、子供と言葉を交わしながら出発することに少し不安を持っていたが、それほど辛くはなかった。出発風景はまったくドラマチックではなく、いつもと同じように

「又電話するから」

と言って家を出た。9時半頃のことで、天気は快晴、暖かくて日差しがまぶしい。

一昨年の四国ツーリングで和歌山港から徳島までの船を使ってみて便利だった時の印象が強烈だったため、勘違いして記憶して松阪~和歌山は近いんだという思いこ込みを持っていた。いつもの様にR166をのんびり走り、高見峠を越えた。新道が開通してから初めて来る高見峠である。連なるカーブを60Km/h程度で快走する。新緑が湧き出るように目に飛び込んでくる。新しい道のせいだろう、車も幾分多いように思う。

お昼前に和歌山港に着いて夕方までには四国に行けるだろう、と考えていたのがとんだ勘違いであることに気がつき始めるのは、R166をそれて吉野の町に入ってからのことであった。R169~R370~R24と走るにつれて、思うように和歌山が近づいて来ない。交通量は驚くほどでもないが、時間はどんどんと過ぎていった。

忘れ物はなかったかな、と考えたときにハッと浮かんだ。

「バンダナ、忘れた」

ああっ思わず声に出してしまった。純子が買ってくれたバンダナを交通安全のお守りの代わりにしているだけに残念だ。和歌山市内で買えばいいか…と思いながらR24をひたすら西へと進んで行く。

12:15和歌山港着。次に出航するのは13:30の船であった。待っているバイクの数は30台程度だろうか。バイクの乗船は予約システムにはなっていないそうで、NO.5の番号札をもらってフェリー接岸壁で空きを待つ。心配なかれ、

「待てば海路の日和あり」である。13:30発のフェリーに乗れた。それほどウキウキしているわけではなく、約二時間ウトウトする間に小松島に入港、バイクはしんがりで下船となるため16時頃にやっと四国の地に降り立つことができた。感激はまだ沸き上がってこない。二度目であることと、今回は「九州」という大きな目標があるからだろう。

まだ走ったことのない道を走りたいと考えるのは、ほとんどのライダーの気持ちだと思う。R192を西に走って今日は何処まで行けるだろうか。「四国三郎」の名も冠す吉野川に沿ってR192は続いている。

「今夜のお宿はどうしましょ」といつものように独り言を呟きながらノロノロと西に走り続ける。

四国が目的地でないので剣山方面に伸びる国道や県道もそれほど気にならない。ちょうど貞光町の警察署の前で休憩となった。オイルの燃え具合を気にしてゲージを覗き込んで、なかなか走り出さない私を見てか、警察署の二階の窓から「○○○○さん」と呼ぶ声が聞こえた。「青年さん」と呼んだのだろうか。良く聞き取れなかったが、返事をしてハンサムな"小林薫"風の職員の人と話し込んでしまう。

ポリ「何処へ行くの?」

私「九州です」

ポリ「何処に泊まるの?」

私「決めてませんけど、公園とか、学校とか…」

ポリ「もう少し走ると愛媛県の川之江市という所まで行けますよ…」

バイクの調子が悪いことなど、聞かれてもいないのに私の方が喋りまくるから、最初は閉口気味だった警察の人も少しづつ話にのり始め、挨拶程度に交わした言葉から話は弾んでいく羽目になった。結局、長い休憩となった。17:00を過ぎている。「気をつけてね」と言い見送ってくれる警察の人にピースで別れた。

NAKAさん(中日ネット)が琴平のYHに泊まったというツーレポを書いていたのを数日前に読んでいたので、最悪の場合は琴平YHというのが頭にあって気分的に安心していたのだと思う。電話で空きを確認した後、R192からR32に進路を変更して池田町から猪ノ鼻峠[420m]を越えた。快適でごきげんな峠である。山の斜面に点在する民家の風景が絵になる。カメラを出して写真を撮ればよかったと思うのはいつも後のことで、一端走り始めると止まるのが億劫になる。「まあいいか」で済ませて後悔ばかりしている。

琴平町は「金比羅山」で有名な街である。小さな街の参道だけが独特の賑わいを持っている。琴平着は19時半頃。琴平YHは参道の石段の付け根付近にあり、割とオンボロで、歳をとった夫婦でやっている。中国の研修生の団体が泊まっていて一般客は少なかった。バイクも5台ほどである。トイレも綺麗とはお世辞にもいえない。

食事のために20時過ぎに街へ出た。少し時間が遅くなっていたこともあって、店は閉店し始めていたというよりほとんど閉まっていた。参道の街灯もお愛想程度の明かりである。暗くなったらお客さん(参拝客)は来ないので営業は終了らしい。一軒だけ路地裏で開けていたうどん屋に入って『てんぷらうどん』を注文した。

店の中を、どんぶりを持って往来するオヤジさんが

「テレビをつけて阪神-巨人戦にしてくれ」

と私に無愛想に言う。

「どっちが勝ってる?」

と聞く。

何てオヤジだ。お客を使うとは…。さらにオヤジは出来上がったうどんを運んで来てお客に

「夏目溂石が松山に先生として来た時に友人に手紙を書いたんだ。その時の手紙に出てくるのがこの『八幡浜』の蒲鉾だよ」

うどんに入っている蒲鉾を指さし、食べているお客に講義をしている。こういう講釈はバカバカしくて面白く、嫌いでない私は、ニタニタしながら隣で聞いていたに違いない。講義を受けている若いアベックも相づちを打っている。

店の外観や食卓まわりの雑然さとは反対にうどんの味は旨い。値段は\600である。『ざるうどん』なら\300である。コシのあるうどんに鰹だしで関西風の味である。オヤジさんが作ってくれているのを見ていたら決して衛生的には見えない(思えない)ところもあったが、味は旨かった。

YHに戻って蚊のいる部屋で缶ビールを飲みながら同宿者と話をしていたら、偶然、その店で食べたという人と一緒になり、うどんの話になった。「立ち喰いかと思った」と言う。

「「屋島」で海を見ていたら感激してね。何でもない景色なんですが…来て良かったと思いました」

と語る若者の言葉に、彼の旅人としての気持ちが理解できる。

YHに泊まっている人達2~3人と話すうちに明日の計画を変更しようかという迷いが生じる。しかし、「北四国」には再度来ることにして「明日は九州だ!」と心に誓いながら眠っていった。本日の走行距離:223Km

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『夢をさがしに/九州』('94.4.30)

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∞'94.4.30∞

琴平YHを出発したのは9時半頃である。今日は移動日で、九州上陸を果たすのだ!という気合いが朝になって出てきている。高松界隈や屋島を回って帰ろうという軟弱な気は失せている。私を元気づけるように晴れ上がってくれた。GSXは、やはりオイルを少しづつ食っている様子で、200cc程のエンジンオイルを補給してから出発した。

R377を南西に向かって走り途中からR11に合流する。『こいのぼり』がちょうど良い具合に風に吹かれている。風速2~5m/sといったところか。この地方の『こいのぼり』は、一本の支柱にアルファベットの『F』の字のようになびかせるのではなく、カタカナの『イ』の字の『ノ』の部分に垂直にぶら下げてある。推測するに、どうもこの地方では風が強く吹かないためにされた工夫ではないだろうか。たくさんぶら下げて見栄(?)を張るのは何処の地方でも同じ風習で、快晴の空の下で気持ち良さそうに泳いでいる。

新居浜市から松山市までは定期便のトラックの姿も多く、排気煙の中を淡々と走り続けなくてはならない。小松町から松山市へ途中にある「桜三里」の桜並木の街道を通って松山市方面に向かう。(四国を地図で見て下さい)北側の窪んだところを通過してきた訳で、GWだから仕方がないにしても、道は混雑している。渋滞は嫌だ。

松山市郊外で少し県道を走って市街をパスし伊予町からR378に入る。瀬戸内海の穏やかな海を右手に見ながらシーサイドラインを快適に走る。R378は車も少ない。久々に海の匂いを感じた。ついついアップテンポな16ビートのリズムが鼻をついて飛び出す。店が乱立するわけでもなく観光化されているわけでもない快適な道が続いた。

ごぜが峠[320m]の上りは一車線のタイトコーナーの連続である。今回訪ねようとしているJ君が高校時代に自転車でこの峠を内陸側(南側)から越えた時の話を大学一年の時にしていたのが印象的だったから、こだわって私はこの道を選んだ。桧林の合間から瀬戸内海が見える。漁船が幾つも浮かんでいる。貨物船も見える。

峠を上り始めると、海の匂いから木の匂いに変わった。峠を越えて南向きの斜面に差し掛かったら蜜柑(みかん)の林が一面に広がり始める。温室栽培もおこなっているようである。

ツアラーとはそんな自分だけの感激を求めてこだわりの旅を続けているのだなんて独り言を言いながら一気に300mを上がっていく。昨日の猪の鼻峠に続いて、今日のごぜが峠は嬉しく楽しい峠である。また来たい。

国道がR378からR197に変わるとそこは佐多岬「メロディーライン」である。道幅も広くなり高速コーナーが続く。伊方原発をチラリと見ながら先端の港町、三崎町を目指す。汗ばむような陽気である。道端の畑には煙草の葉(だろうか?)が栽培されている。じゃがいもやえんどうの花も風に揺れている。他にも初夏の花がたくさん咲いているが、名前を知らないのが残念である。メロディーラインというよりはフラワーラインと呼ぶ方がふさわしいように思う。

佐多岬から佐賀関までは約一時間である。穏やかな豊後水道を揺れることなく船は進んでいく。

「さて、今夜は湯布院あたりで寝ることにしましょうか」

と一人でぶつぶつ言いながら別府市内を通り抜けた。別府の「地獄めぐり」はパス。10年前のこのGWに純子と訪ねている。純子と来た九州をひとつひとつ確かめて、今、私はツーリングを楽しもうとしている。

別府市街から鶴見岳の山並へと一気に駆け上がって湯布院側へ出るとやっと九州らしい景色に出会う。やっぱし火山の国であった。納得できる景色である。狭霧台からの由布岳(豊後富士[1854m])と湯布院の温泉街の眺めは格別である。止めたバイクのエンジンを簡単にかける気にはなれず、寝る場所も決まらないのに凄い余裕である。

若いアベックにシャッターを頼まれて、その後、少し話をした。

「私たちキャンプなんです。この先キャンプ場ありましたよね」

と言って仲良く寄り添っている。いいなあ、若いってことは…。

峠から湯布院の駅まで降りて、共同浴場とテントを張れる場所をさがしたが、駅にはヤンキーの兄やんがいてテントを張るとかベンチで寝るとかは不可能と判断。「やまなみハイウェイ」の途中にキャンプ場がたくさんあると街の中で教わり、そちらに行くことにして仕方なく湯布院は諦めた。やはり、悔しい。

もう19:00をすでに回っている。やまなみハイウェイの有料道路のゲートが無人になっていることに期待をして阿蘇山系に入ることにした。目指すは長者原キャンプ場である。料金所ゲートには残念ながらおじさんがいた。

「ここで料金を払うんですか」

ときいたら

「そのための料金所です」

だって。日本語の通じない人だ。

長者原が近づくと硫黄の匂いが鼻をつく。九住山[1787m]の山肌から煙が吹き出している様子が見える。レストハウスの前の駐車場にバイクをゆっくり入れると尾張小牧ナンバーのZ900氏と視線があった。傍らにバイクを止めて話しかけたら、この駐車場にテントを張るつもりだという。「良い方法だね、二人の方が心強い」などと話しをしている間に日はすっかり暮れて星が瞬き始めた。

ワンボックスのバンを家にしているおじさんに話掛けられた。「筋湯というところがあってそこはイイお湯」とか「ここにテントを張ると係員が追い払いに来るが遅くなら大丈夫」とか、いろいろ話して車に戻って行った。

「やまなみハイウェイ」を上っていくバイクのライトが宵闇に映える。排気音(エキゾーストノート)が山にこだましているのが聞こえてくる。無上な寂寥感に襲われる。この溢れる人の中で不思議なほどにそれを感じながら、一方で、九州に来たんだなという感慨が少しづつ満ちてくるのがわかる。

Z900氏との話しは早々に切り上げてテントへは21時頃に潜り込んだ。駐車場のまわりでバーベキューをする人達は、まだ賑やかである。彼らはどこで寝るのだろうかと思いながらテントの中でぼんやりしたり、蝋燭ランタンの灯火で地図を見たりしている。まわりの人達はどうやら車の中で寝るらしい。深夜、遅くまで車の音が消えない中で(駐車場だから仕方がないが)一日に疲れがすっ~と引いていく。(しかし、地面に寝るより布団に寝る方がいいに決まっている!)

そうだ!今日は食事も取っていない。非常食は…カロリーメイトが二切れ。しかも賞味期限が一年以上もオーバーである。とりあえず寝よう。

「わあ、流れ星!!」

若い女の子の声が聞こえてくる。風も少し出てやや冷え込む様子だが寒くはなく、安堵感とともに次第に眠りは深くなっていく。

本日の走行距離:332Km

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『夢をさがしに/九州』('94.5.1)

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∞'94.5.1∞

深夜になって風が出てきている様子で、眼が覚めた。3時頃だった。月が出ている。月齢で16、17ってところだろう。九住山[1787m]の方向に輪郭をぼんやり滲ませながら出ている。雲もなく風はやや弱い。テントから出した顔に外気がツンと冷たくテントに流れ込むのがわかる。もう一度シュラフに潜り込んで寝てしまった。

野営場の朝は早い。長者原は有料道路の途中なので、早朝から車の音がやかましく、5時頃には眼が覚めてしまい、テントは6時過ぎに撤収した。昨日は食事なしだったため朝から腹が減って仕方なく、カロリーメイトを二切れ食べた。結構いける。癖になりそうだ。

牧ノ戸峠[1230m]を7時頃に越えて瀬ノ本高原に出た。「やまなみハイウェイ」に必要以上に料金を払うのは嫌なので黒川温泉方向にR442を降りることにした。

途中に「瀬ノ本YH」の看板があり、立ち寄って--九州のYHの一覧を頂けませんか?とお願いしたら一冊のガイドブックをくれた。これは非常にありがたかった。さらに--温泉ありませんか?と尋ねたら--黒川温泉があります少し下って温泉街に入って温泉組合の事務所の所を降りていくと共同風呂がありますよと教えてくれた。強く薦められたわけでもなかったので期待はしていなかったが、昨晩に風呂に入れなかったのでとにかくひと風呂浴びることにした。

黒川温泉は静かな山間の温泉である。特に大きなホテルがあるわけではなく、湯煙がたち昇っている様子もない。露店風呂のはしごを楽しんでいる連れ合い同志が下駄の音を狭い谷間に響かせて歩いている。浴衣姿が爽やかである。その点、私はむさ苦しい。革を着てくるべきではなかったかと後悔するが今更始まらない。少し靴づれをし始めたのを我慢して共同浴場へと向かった。贅沢にも朝風呂である。

共同浴場は地元の人達のために作られた銭湯形式のもので、旅人には\150(地元民はタダの様だ)で開放してくれている。囲いがなければ只の池の様な雰囲気である。お湯の方は最高に素晴らしく、アルカリ性の単純泉の部類だろう、少しヌルッとしていて肌にも優しそうだ。浴場には鍵はなくシャワーもない。石鹸も当然ない。浴槽のお湯が上湯と下湯に分けてあるのは、掛かり湯は上湯を使い、浸かるのは下湯に行くよう配慮がされているのだろう。タオルしかない私は、石鹸なしで身体を洗い流した。顔や首を洗うタオルが真っ黒になっていく。排気ガスやほこりで意外と汚れたみたい。

共同浴場から上がってきたら温泉組合の売店事務所を開けてちょうど職員の人が掃除をしていた。革を着ると汗が吹き出すのでTシャツのまま売店内のベンチで休憩をさて戴くことにした。3つの露店風呂がハシゴできる「露店風呂温泉手形」というのがあって、\1200である。少しの休憩の間だけでも何人かがチケットを買って行ったのをみて私も行きたかったが、諦めた。\1200はまあまあの値段だが。

「コーヒー:\100」と書いてコーヒーメーカーの横の手作り貯金箱に貼ってある。無性に飲んでみたくなって、休憩がさらに長引いてしまう。気持ち良い風が窓から吹き込む。今日はのんびりと走ることにしよう。

黒川温泉を出て満願寺温泉の街を通ってR212に出た。R212は、北九州から阿蘇山カルデラの内までくる国道のひとつである。観光の車がさすがに多く、世間はGWなのだなと実感する。阿蘇の外輪山は山というには大きすぎて、頂上付近は大地と表現した方が正しいかもしれない。火山岩の上に、少しではあるが堆積した土があり、植物は乏しい。ブナの林が新芽を吹き出し林となり、そのまわりの高原には放牧の牛の姿も見える。車を止めて山菜(ワラビだろう)を採っている人の姿が目立つようになってきた。高速道路のような道の脇に車を駐車しているのは危ない。

阿蘇の外輪山を越えるところ、峠の頂上付近でR212は「ミルクロード」と交差をする。「ミルクロード」は、外輪山の上を線で結んで200度以上ぐるりと回る快適な広域農道である。R212との交差点から少し右に回ったところに大観峰の展望台があり、ここからカルデラへは急斜面になっていて、崖っぷちの下の街が一望できる。ミルクを飲んで朝食にしようと考えていたので、大観峰の駐車場で早速飲んだ。\200は高いと思うし、普通のミルクで特に旨くはなかった。

今日の予定はゆっくり走ることで、どこに行くかはまだ決めていなかったが、阿蘇の「ミルクロード」をのんびりと楽しむつもりである。心に余裕があるのがよくわかる。

駐車場でぼんやりしていて気が付いた。あれれ、左手袋(グローブ)の中指と薬指が擦れ合って孔が開いている。手入れが悪いのも理由だろうが、先日から豆ができる時のように擦れて痛かったのが原因らしい。それほど使わなかったのに残念である。

しょげていたら、なにわナンバーのCBR250の可愛い子が隣にバイクを止めた。

「大阪からにしては荷物が少ないけど…」

と話しかけた。

「違うんです。今は北九州、柳川って知ってます?あそこにいるの。大阪に5年いて今年の2月に実家に帰ったの」

アルバイターなのかと聞いたら違うという。本物のプーだという。

「ライダーはわがままで他人と一緒に走ると意見が合わない時があり、だからみんな一人で走っているのですよ…」

と口癖を呟いてしまう。会った人にはいつもそんな話をしてしまうが、そんな私の話に相づちを打ってくれる彼女も何の目的もなくブラリ出てきた様子である。

景色もろくに眺めないで、出会った彼女と草むらに座り込んで話をしているのが心地よい。サラサラに乾いた土がお尻に付着するのを払いながら、立ったり座ったりで時間は過ぎていく。石野陽子の様な雰囲気の子で、意識をしてかどうかは不明だが、なびく髪を手で後ろにかき上げている仕草が似ている。北九州からだと日帰りの距離だと彼女は言う。あれれ、話は2時間近く続いた。

さてさて、いい加減で走り始めないと、この子に恋をしてしまいそうだ。

「じゃあ行きます。」

…どこかで、また…

『どこかで、また…』は、動き出しているエンジンの音で聞こえなかっただろう。"また、会えること"など有り得ないのだが、私はそう言いたかったのである。彼女にとっては、どうでもいい言葉であっても、私はそう言いたかった。

ライダーは走り続けなくてはならない。これは宿命である。別れとはこういうものだ。旅を続けよう。

「ミルクロード」を右まわりに、外輪山の南東方向へとバイクを走らせる。途中、「やまなみハイウェイ」と「ミルクロード」が交錯するするところに城山展望所がある。ここでミルクをまた飲んでみた。こちらは旨い。景気のイイ売店のおばちゃんに薦められたのが理由だが、かけ声は嘘ではなく本当に旨かった。彼女が言うには「やまなみハイウェイ」は6/22から無料になるらしい。みんなに教えてあげなくては・・・

10年前のこの季節に純子と来た道のりは阿蘇の温泉街からこの城山展望所を越えて「やまなみハイウェイ」を走って別府に辿り着いた。雨の中を走って寒かったのを思い出す。R57~R265を走って高森峠を目指す。途中、根子(猫)岳を眺めながら清室坂[900m]、箱石峠[870m]を越え、ぐるりと回って高森の街中の「らくだ山公園」らしい一角にある蕎麦屋で昼食を取った。国道沿いに大きな芝生広場がある。テントを張るには絶好だなと思いながらここでGSXにオイルを補給してやる。京都から来たZZRの男性と少し話をした。それぞれの人がそれぞれの走りを楽しんでいる。快晴に恵まれて誰に感謝をすればいいのだろうか。阿蘇を離れて少し南に行ったところに宿を取ろうと考えていたら、彼が市房YHの話をしてくれた。温泉付きYH。ここに決めようと思った。彼は、3日後くらいに市房YHに泊まるという。すれ違いか…。

高森峠の手前で電話をして道も確認した。あと150Kmほど走らなくてはならないという。なかなか険しい峠を越えなくてはならず、国見峠というらしい。

R265を五ヶ瀬町まで走ってコンビニで1.5㍑ボトルのアクエリアスを買った。すっかりアルカリイオン飲料水が定着して、とうとうボトルで買ってしまった。荷物の上に縛り付けて、さあ、国見峠[1130m]にアタックである。

バイクに乗り始めると食事を取ることが少なくなるので、せめて水分だけでもと思って定着したのがこの方法だ。カロリーメイトは売っていなかった。

国見峠[1130m]は、四国の剣山を南北に越えた時の道よりもまだ険しい。権兵衛峠(木曾)や天生峠(奥飛騨)を連想する。しかし、実際にはもっと険しい。初めて越える時は一層そう感じると思うが。チャリダーを一人追い抜いた。今日中に彼は峠を越えられるのだろうか…と思うほど上り下りが厳しい一車線の国道である。おお、これが三級国道の楽しみよ…と独り言も尽きない。飛行機の着陸時に見えるくらいの高さで眼下に上って来る車が見える。ガードレールがないから余計に恐い。私は高いところが(恐いから)嫌いなんだ!!

椎葉村は、九州中央山地のやや南寄りの山深い村である。日向市に行くにしてもクネクネの国道を2時間以上も走らねばならないだろう。椎葉村から人吉方面へはもうひとつ分水嶺を越えなくてはならない。しかし、この椎葉村でミスコースを2度続けてやってしまった。

1回目は国見峠をほぼ下り終わった頃(2時間ほどかかる峠道を走り終わってほっとした瞬間)「内の八重林道」に迷い込んでしまった。分岐点を間違えているのを知らずに、山に入って行く。道は狭くなり、やがてダートになった。あわや遭難か!というところを林道入口にいたトレール氏軍団に道を尋ねて命拾いとなる。もうひとつは椎葉から湯山方面へ行くもうひとつの峠、飯干峠[1050m]を迂回し「林道大河内-桑の木線」を、地元のオヤジさんの誘導で越えたまでは良かったが、湯山方面への分岐点(大河内)での判断ミスがあったためだ。(昭文社:二輪車九州ツーリングマップ115p参照)

大河内の交差点からしばらく走ると、地図から想像する雰囲気と少し違うことに気が付き始め、やがて西米良村に抜けてしまった。もう随分と谷を下っていたので引き返す気にはなれなかった。湯山に行くのを諦めて日向に行こうかとも思ったが、ここは九州でも指折り深い山の中である。どこに行くにも時間がかかるので、仕方ないから走ることにした。

一瞬の判断とは不思議である。もしもこの時、日向に向かっていたら…、旅の後半はまったく違ったものになっていただろう。

あの時(大河内の交差点で)対向してきた人を信じないで、もう一度地図を確認していたらミスコースはなかった。対向の人は、自分の来た道が遠回りのミスであったのを知らずに私に教えてくれた。また、九州ツーリングマップの国道表示に、R338がR446と誤記されていたのも原因である。現在位置の確認を怠ったことと、国道が見つからず発言を信じてしまったことを反省する。

少し遠回りをしたが何とか湯山温泉に19時頃着くことができた。日本一の桜の名所とあるだけに桜の木が多い。新芽が吹き出して青々としている。温泉街であるのに湯の香りは漂わない。大河内の林道を越えるときに硫黄のような匂いがしてきたので、湯山温泉から風に乗って匂っているのかと思っていたのだが…。

湯山温泉(湯前町)の街の中にある市房YHに着いて、バイクはこっちよ…と誘導を受ける際に--(夕飯を買いに)まだスーパーに行きたいのでと言ったら--この街にそんなものはない!と笑われた。しかし、夕飯を作ってくれるという。家を出て以来、米を食べていない。YH利用は食事抜きと決めていたのだが、たまには宿の夕飯を食べてみるのもいいもので、峠が険しかっただけに旨い。それほどご馳走ではなかったが…。

ビールを許しているYHは多く、ここも例外ではなかった。

一日の記憶を消滅させられそうな、ほのかな酔いが襲ってくる。忘れたくない大事なことは身体が憶えているだろう…とつまらないことを考えながら、走りの疲れを癒していく。

元湯温泉という温泉センターがすぐ近くにあって\300。ここの風呂も黒川温泉とよく似た泉質で、すべすべの肌になる。うたせ湯もあった。YHのロビーでは久しぶりにくつろげて、神戸から来た50歳代(?)のご婦人と話し込んでしまう。旅には思い入れがあって、他人が見ても何の変哲もない景色や詩碑などで感激し、立ち止まってしまう話をしたら共感してくれて、うっすら感涙のご様子である。こちらも『熱く』なりやすいタイプなので、ついつい饒舌になってしまう。

旅人達が純粋なのではなく、旅に出てくると純粋になるのではないだろうか。純粋な気持ちには、薬(アルコール)によって得る『作られた酔い』よりも遥かに勝るものがあって、それがツアラーを引きつけているのかも知れない。市房山[1772m]に登る予定だと彼女は言う。キリシマ・ツクシ・ツツジ(?)というツツジが自生していて、魅力的な山(女性百名山/九州百名山)だそうである。

コンビニでアクエリアスを買った五ヶ瀬の街から、自転車で国見峠を越えてきた若者(チャリダー)と同室になった。この旅は国見峠を越えるためにやってきたようなものだと、彼は自分自身の旅を振り返っている。

全国の峠を幾つも越えているうちにどこかで出会ったような峠に、また出会うことも珍しくはない。しかし、似ているということは違うということである。「風の香りが違う、何かが違う」としか表現できない。しかし言葉ではなく、肌で感じたもので彼らとは共感できていると感じながら眠りに落ちていく。

旅とは、損得を振り返るものではなく、「どれだけ燃えたか」なのだろうか。本日の走行距離:257Km

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『夢をさがしに/九州』('94.5.2)

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∞'94.5.2∞

市房YHでみんなが朝食を取っている頃、ロビーで地図を見て今日のコースを考えていた。朝が早い割にはYHの連中はみんな出かけるのが遅いと思う。ぼんやりしていると幾人かの人がソファーに座って話をする形になった。--何処に行くのですか…--何処から来たのですか名前を尋ねるよりも重要な挨拶のひとつである。大阪から来ている「ハーレーダビッドソン」に跨る女の子。阿蘇の南を横断して今日は高千穂に行くという。一方で、多くの人達は鹿児島や桜島を目指すという。

--指宿温泉の砂むしに行ってみたかったけれど--指宿YHが取れなかったと言う女性。

旅はスリリングは方がいいに決まっている。ドラスティックな旅を続けたいと願っている。あとで考えたら「なあ~んだ」で終わってもいいから、その時々を精一杯にはしゃぎ回ってその場を満喫したいと、誰もが思っているだろう。「セナが死んだ」という話もここで初めて聞いた。バイク談義に花が咲く中で、ぼんやりとしているのが心地よい。朝のまどろみを味わっているようだ。

お天気が下り坂だそうですがなんて言っても--へぇ~、そうなんですかの返事を返してくれた群馬県から来ているR1Z子ちゃん。そうだ、私もこの子達のように「楽天家(オプティミスト)」にならなければいけないのだな、と感じる。

「お母さんには友達と出かけるって言ってきたんです。その子も、もうすぐ飛騨高山に出かけるし…」

ちょっぴり不良っぽく、ふと、女らしく…。

R1Zというバイクは浜松の"ひまじん"さんのご愛用のバイクで、名前は知っていたが実物をゆっくり眺めたのは初めてである。バイクに乗っている人で私ほどバイクのことを知らない奴も珍しいのではないかな、と苦笑してしまう。

出かけ前に尾張小牧のTW200氏に中日ネットを宣伝しておいた。もうすぐモデムを買うそうで、期待ができる。

あまりみんなと仲良くなって、情が移って走るのをやめてしまうのを私は恐れている。しかし、何を理由に走り続けなくてはならないのだろうか、という反問も浮かんでくる。

ハーレー嬢のマシンはピンクのカラーリングで、タンクにはボカシの絵が入れてある。人吉インターの手前までご一緒してみて初めて気が付いたが、ボディもヘルメットも靴も眼鏡の紐も、みんなピンクを入れてデザインしてある。すっごいおしゃれなバイクである。だた、バタバタとやかましいのが難点である。こんな威勢のいいバイクからこんな可愛いギャルが出てくるなんて、なんて刺激的であろうか。それだけで楽しくなってしまう。

曲がるのが難しいらしい。YHの出口の下り坂の急カーブをうまく曲がれるかどうかを彼女は心配している。「転けたらみんなで万歳をしたげる」なんて冗談の飛び交う中、栃木ナンバーのZ750氏と私の3台で山を下ることになった。Z750氏はR445に出るので…と言って途中で県道に消えて行った。人吉インターの少し手前で彼女と手を振って別れた。

北へ向かう人と南へ向かう人、行きずりの旅人同志は楽天家でないと、やはり旅は続けられそうにない。

人吉からループ橋を通り堀切峠[730m]を越えると、えびの高原が眼前に見える。R212はトラックや乗用車の多い幹線道路だ。えびの市街を通り抜けたら、えびの高原へと県道を上っていく。純子と来た10年前は反対側からで、雨の次の日で晴天に恵まれた気持ちのいい朝だったと記憶する。朝早く阿蘇方面へと向かって走った。記憶とは儚いものである。懐かしんでばかりもいられない。

この旅で出会った人は、関西・関東・東海の順に多い。今朝、話した人で、大阪からトレール(BAJA)で来ていた若い男性は指宿温泉へ、R1Zの彼女は桜島に泊まるという。少し話しをた彼女ともう会えないのかも知れないと思うと何だか寂しい。しかし、会えなくて当たり前でそれが普通のツーリングとも思う。自分の心は欺けない。寂しがっているのがありありとわかる。前に行ってしまったのか、まだ後ろにいるのかさえもわからない。R1Zのことで頭がいっぱいのまま走っている。

えびの高原の駐車場でバイクを止めてもソワソワしている。上りがやや渋滞したせいもあってエンジンはオーバーヒート気味である。水温計の針が半分を越えて上がって、ファンのかき出すラジエターの熱い風が足元に吹き出す。

えびの高原からは、霧島スカイラインを下ってR223を走り、県道に乗り換えて鹿児島空港のすぐ横を通って加治木町に出た。鹿児島湾の一番北側を思い浮かべてもらえばいい。桜島の頂上付近は噴煙のせいで雲がかかっているように見える。予想外でもあり当たり前でもあるが、鹿児島市内までのR10では、この噴煙のおかげで身体中に灰をかぶり悩まされ続けた。

南国だから熱い(暑い)のか、晴天だからかは判断不可である。とにかく暑い。市内に入っても汗が吹き出てくる。砂煙が身体の中入るのを嫌がってつなぎのチャックを目一杯上げていたのが余計にこたえた。

指宿温泉に行ってみようと考えていたので鹿児島市内の観光はパスしてもっぱら先を急いだ。途中のオートバックスでエンジンオイルの1.0㍑缶を買って、これで安心だ。アクセルひと捻りで煙が黙々と出るけれど、何とかこの旅は行けそうだという安心から少しアクセルも開け気味になっている。(7000RPMオーバーで急に煙が増える)

「カラオケのレパートリーは全部うたってしまって」なんていう冗談を(事実を)言うと、みんながうなずきあってくれる。ソロで走るライダー達は、孤独をそれなりに楽しんでいる。

R1Zの彼女のことが時々思い浮かぶ。今夜また、会えるだろうか。又会ったからといって一緒に走るわけでもないし、名前を聞くわけでもないが、ソロをしばらく続けていると、知っている人に会うのは嬉しいものである。

ピースサインを出すのもそのひとつの表れかも知れない。道ですれ違うごとに聞こえはしないが、「貴方もソロですか」とか「馬鹿だね、貴方も、バイクなんか乗ってさ」なんて呟いている。

彼女にもう会えないかも知れないと思うと、やり場のない寂しさがこみ上げてくるような気がした。

指宿駅前で話したチャリダー君が、長崎鼻のキャンプ場のことを教えてくれた。水もトイレもあり、綺麗な芝生でテントも張れて無料だそうだ。しかし、天気が怪しいので(?)結局、桜島YHに行こうと決め始めている。(R1Z子ちゃんに会いたいから?)

桜島YHに彼女は来ているだろうか。市房YHを出て以来、追い越したり追い越されたりしてないし、いったい何処に行ってしまったのだろう。

指宿の温泉街に着いても彼女のことが気にかかり、見物や散歩などをするわけでもなく、「砂むし」の様子を堤防からしばらく眺めていたが、また走り始めることにした。桜島YHに電話を入れて予約を取ったあと、M君を訪ねて知覧へ行くことにした。彼は東京の同僚で紆余曲折の後、久留米医大を出て何処かで医者をしているはずと聞いている。GWということもあって、もしかしたら実家に居るかも知れない。訪ねてみよう。

開聞岳を見ながらR226を走り、池田湖畔で小休止をした。でっかい鰻(うなぎ)がいるということだが、知覧を回って帰るならばちょうど良い時間であったので、それほどゆっくりとするつもりもない。道端の綺麗な花畑をじっくりと散歩するでもなく知覧へと急ごうとしたが、ガソリンスタンドで道を尋ねたら指宿スカイラインを走らなくては行けないという。即断で諦めて鹿児島市内を目指して、さっき来たR226を北上し始めた。

コンビニでポカリの1.5㍑ボトルとパンを買って食事とした。16時頃である。尾張小牧ナンバーのDT氏とコンビニの前で地面に座って話をした。桜島が見えるから余裕である。「雨の日のテントは、撤収するのが嫌ですよね」などと他愛もない話で意気投合してしまう。「DT」の文字が剥がれてしまって、少し汚れているのが旅の勲章のようにも見える。往路は高速道路で来てサービスエリアでテントを張ったそうである。DTで高速道路を九州まで走ってくるには根性が必要だろうな。

「じゃあ、お先に」

と言ってその場を失礼した。桜島に渡る前にJ君に電話を入れたいと考えていたらフェリー乗り場の看板があったので切符を買った。乗船場に行ったら2分後に出るという。電話をしようと思っていたが、まあいいか、島からしよう…というわけで、ほっと一息。

ところが、乗り込んだフェリーは桜島からどんどん離れていく様子である。あれれ。乗り合わせた人に聞いたら、「垂水港行き」だという。大ボケミス。とんだおまけ付きで、約20Km程、シーサイドラインを走って桜島に戻ることになった。

桜島周遊道路(溶岩道路)の途中で薩摩白波の2合ボトルを買い込みYHに到着となった。ライトを点灯しなくてはならないほどの時刻であったので、19時は過ぎていただろう。30台以上のバイクが止まっている。

ここは公営YHで、係りの人はメッチャ愛相が悪い。建屋の一階に駐車場があり、雨露が凌げるから、「明日は雨降り」の予想には優しいYHであり、愛相の悪さは我慢するべきか。値段も安いのはありがたい。素泊まりで\1950だった。

群馬ナンバーのR1Zが止まっている。

「彼女、来たのか…何処に行っていたんだろう」

そうつぶやきながら階段を昇った。

「わぁ~いたぁ~何処に行っていたの?」

思わずそう言ってしまった。旧友との再会というより、初恋の人に出会ったときのような衝撃である。彼女に捧げるのにドラマチックでキザな台詞(せりふ)をたくさん用意していたのに…。

荷物を部屋に置いて、風呂を浴びてロビーに来て、J君に電話を掛けた。留守番電話だった。

「今、桜島に居ます。帰ったら手紙を書きます」

とメッセージ?を伝えるしかできずに電話は切った。ごぜが峠の話もしたかったのに…。留守番電話は味気ないな。歌でも披露してやるのが面白かったかな。結婚式に行った時は貧乏していたけれど、リッチになったのかも知れないな。電話を切った後、意外と簡単に彼のことは忘れていってしまった。

電話が終わって、まわりを見渡しても彼女は居なかった。煙草を買おうと思って係りの人に尋ねても冷たく「自動販売機はありません」と言うだけである。ああ腹立つなあ。ロビーで煙草を吸っていた女の子にせびったら、快くどうぞといってくれた。何本か恵んでもらいながら他愛ない話をした。

明日の天気が怪しい。「午前中が40%、午後はそれ以上」と誰かが遠くで話しているのが聞こえる。東京から飛行機で鹿児島空港に降りてすぐ桜島に来たという子は、まだ明日以降の予定を立てていないという。

「桜島って本当に(写真のように)岩がゴツゴツしているんですか?」

なんて言っている。可愛い子である。ツアーで来るのが嫌なんだろう、きっと。ここにはそういう風に枠にはめられるのを嫌がって独自性を望む人が集まってくる。ライダーなんてのは、存在そのものが「変人」だから。『エキセントリック』と呼べば格好はいいが…。

R1Z子ちゃん、現れないかな、話がしたいな…と期待しているのがミエミエである。今日、どういうルートでここまで来たのかを彼女に聞きたい。--どれだけ私をヤキモキさせたか知ってるか!…なんて言えるわけもない。どうも、私は熱くなるタイプで、いけない。

ただただ待ち続けていたら、風呂上がりらしい姿でロビーに現れた。バイクに乗る時は髪を編んでひとつにしているので、別人のように雰囲気が違う彼女に驚きを隠しながら私は今日のルートを尋ねる。--人吉を出てガソリンスタンドに寄っているのを抜いたんですよそして今度は、ループ橋の手前で地図を見ていた私をすう~っと抜いて行ったのと彼女は話す。--気が付いていなかったようだったけど

私はまったく知らなかった。

磯庭園など鹿児島市内観光をして桜島への船に暗くなる頃飛び乗ったそうだ。もしも一緒に走っていたら、気も使わなくてはならなかっただろう。今、会えたのだから、別々で良かったのかも知れない。もしものことは、走りながらたくさん考えた。しかし、会えたんだから日記に残すこともないだろう。明日は、都井岬に寄って、宮崎港から川崎に向かう船に、雨でも晴れでも乗って帰ってしまうという。

部屋に帰って薩摩白波をポカリで割って飲んだ。多弁になるので気をつけてはいたが、きっとしゃべりまくっていたのかも知れない。今日は興奮した一日だったから。種子島や屋久島に行ってきた人が様子を話してくれる。また一方で、東京から高速道路を飛ばして人吉まで国内最長距離を走ってきたゼビウス氏。そんな旅仲間と珍しく11時頃まで旅の話に花が咲いている。

さて、明日のことも考えなくてはならない。しかし、私の予定も流されているのが小気味よいほどよくわかる。雨降りなんてのはそれほど苦にしていない。

「雨でも宮崎まで行くだけだから」

の彼女の言葉にこちらも勇気付けられているみたい。

宮崎市に行って中学時代の悪友のYちゃんを訪ねてみようか…と考えている。その後、四国に渡って紀伊半島に渡るかな…と漠然と思う間もなく眠っていってしまった。本日の走行距離:290Km

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『夢をさがしに/九州』('94.5.3)

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∞'94.5.3∞

昨晩、寝床に入る前に夜景を見にベランダへ出た。鹿児島市内が良く見えた。朝の空気を吸うためにまた一度出てみた。桜島の山裾が左手の建物の奥の方角に広がり、山頂は雲の中に消えている。鹿児島市内が海の向こうに見える。湿気の混じった空気だ。

雲の流れはほとんどないが、昨日の雲とは違って雨雲の端くれが空を覆っていることは否めない。駐車場に降りてGSXにオイルを足してやる。さあ、雨が降り始めるまでに何処まで行けるやら、と思って屋根から身を乗り出していたらポツリポツリと水滴が落ちてくるのがわかった。荷物にビニールシートをかぶせて、覚悟を決めて出発することにした。時刻は不明でおよその記憶もない。太陽も出ていないし気持ちも晴れていなかったからではないだろうか。YHを出てすぐの緩い坂道で大きなザックを背負った人が歩いているのを見かけ、振り返って手を上げたら、昨日東京から飛んできたという彼女だった。片手に持つビニールの傘が寂しそうなのが印象的だった。

雨は嫌だ。しかし峠の途中で田植えをしていた人達は雨を待っている。反面、集中豪雨も困る。去年の豪雨の爪痕はまだまだ各所に深い傷跡を残したままである。

桜島を一周する溶岩道路の北側半周は「断念」というより「まあいいや」って感じでパスした。途中にある遊歩道も修学旅行で来たからを理由にパスした。YHを出てR224(溶岩道路/桜島周遊道路)を左に廻ってR220を南下する。途中で煙草を吸っている時に、YHでバイクを並べて止めていた人達やR1Zの彼女が抜いて行った。そういえば、桜島YHはオンロードの方が圧倒的に多かった。やはり観光地が近いこともあるのだろう。

垂水市街を抜けて海岸沿いを走る途中でいよいよ本降りとなった。さっき抜いて行ったR1Z子さんも止まって雨具を着ている。もしかしてもう会えなかったら…折角の巡り会いも水の泡(?)になるので、名刺の裏に走り書きをしたラブレター(?)を渡しておこうと思いバイクを隣に止めた。「ツーレポを送ります」と書いた。私なりに思いっ切りおしゃれな作法で気取ってみたつもりである。

「もう少し私は走ります」

と言って先にその場を去ったのは照れ隠しだったわけで、しばらくして鹿屋市内でガソリンスタンドを見つけて給油のついでに雨具を着た。その間に彼女は又、私の前に出て行ってしまった。

「都井岬で会いましょうね、待っててね」

と独り言を呟く。彼女に対する呼びかけが多くなっているのが自分でもよくわかる。雨の中を一人で走る時には、孤独感を痛切に感じる人も多いだろう。さらに「何故こんなことまでして走らなくてはならないのか」とか「家族を置いて愚かだな」などと考えてしまう。

この旅(ツーリング)もいよいよ折り返し点を回って、終わりに近づいているのを感じる。北へ行こうとしている私の旅の疲れと寂寥感を、雨は容赦なく刺激してくる。

奥の細道で芭焦が「旅に病んで夢は荒野をかけめぐる」(?)と詠んでいる。東北から信越、北陸を旅し伊勢へと向かうはずであった芭焦は、その旅を美濃の大垣で突然中止している。「パタリと終わってしまって、そこが大垣だったところが面白い」と高校時代の田辺先生に習った記憶がある。

「旅に病む」とは何か。「夢は荒野を…」ってどういうことか、などとぶつぶついいながらR220を、R1Z子ちゃんを追いかけ都井岬方面に走る。

志布志の港街を通り抜けて串間市街から都井岬に向かう県道に入った。メッセージも名刺の裏に書いて渡したことだし、彼女にはもう会えなくても構わない。安心感に満たされて運転にも余裕が出ていることがわかる。都井岬を回る県道は、まだまだ2車線に満たない所が多い。雨が強く降っていてバンクするのもまままならない。どうしても足に傷を負った20年も前の事故のことが甦ってくる。雨降りは恐いと思う。安全運転で行くに越したことはない。

都井岬に入るにはパンフレット代として四輪は\200が必要で、バイクは無料。でも岬の駐車場は\50取られる。昔はタダだったように思うが。

峠に近づくに連れて、雨は本降りになっていく。もしかしたら止んでいくかも…と期待をしたが、それは儚い希望だ。駐車場にすでに止めてあったR1Zの横にバイクを止めて少し歩いてみよう…と売店の方に向かったら彼女が向こうからやってきた。先端まで行ってきました?と尋ねたら--いいえ…

それほどゆっくり海を眺めるわけでもなく立ち話をした。バイクに乗る格好に着替えてしまった時と、宿では、心の置き場が違うのかな、会話の中味も旅の話ではなくバイクの話だった。彼女はKX80も持っていてトランポにタウンエース(だっけ??)を買って、河原などを走ったりするという。エンデューロにも関心があるという。旅の手段にバイクを使っている私とは大きく違うなと感じた。

「馬と写真を撮ってから…」

と彼女が言うのでしばらく走って馬のいるところでシャッターを押すことにした。駐車場を出る頃には、雨脚が激しくなりかけている。こんな時には、強(あなが)ち走りっぱなしになってしまうが、彼女は「押さえるところはきちんと押さえて」いくと話す。

「しばらく一緒に走りましょうか」

馬と一緒に写真に収まって(ウマく撮れたかな)…さて青島を目指して走ることになった。成り行きか、故意にかは自分でも不明であるが、後ろについて青島まで走っていくことになった。

「おおっ、結構飛ばしますね」と届かぬ独り言をつぶやきながら日南海岸を北上する。雨はさらに強くなり、バケツの水をひっくり返した様に降り始めた。

「カーボンサーレンサーだし、買っちゃったんですよ」

都井岬の駐車場でそう話していた彼女は、直線になると青い煙を残して"す~うっ"と離れて行ってしまう。さっすが2スト。

青島では、バイクを降りて見学&休憩とした。R1Z嬢のバイクが群馬ナンバーなのを見て同じ群馬県のZZR(1100&400)の二人組が話しかけてきて、少し立ち話をする。(コント赤信号風の二人組だった)去年の雨の話や一日の走行距離の話で心も和む。

彼女が青島に歩いて行くのを送りながら「昔に来て(青島には)行ってますから」と言ってお土産屋街に残った私は、Yちゃんに電話をかけた。電話のコールに応答もなく、すっかり滅入ってしまった。彩へのお土産も気になったが、結局買わずに終わった。(*)Yちゃんは中学時代からの友人で、宮崎の学校に来て現地で会社を始めた。3人の子持ち。男性。

「もう(船に乗って)帰るだけですから」

と彼女は言う。今夜の宿も決まらない私は、宮崎駅まで行ってそのあとを考えるつもりに決心していたので、

「ここからはフリーにしましょうね」

そう言って、彼女と別れることにした。

宮崎空港にジェット機が着陸していくのが見える。両翼に点灯したライトがやけに明るく見えた。Yちゃんの結婚式に来て以来の空港の姿であった。シールドの中まで雨粒が入り込んで前が見えにくい。(眼鏡を外していることもあるが)

宮崎駅の屋根の下にバイクを入れYちゃん宅に電話を数度ほど掛けてみたが応答なし。ここまできてビジネスホテルには泊まりたくないし…と考えながら、JR・緑の窓口で時刻表を見ていたら、大阪行きのフェリーが宮崎港から出るのに気がついた。川崎にしか行かないと思っていたから、帰ろうと決心がつくのも早かった。フェリー会社に電話で確認したらキャンセルは"来て待たないとわからない"という。半分は帰りたい気持ち。残り半分はまだ帰りたくない気持ちで、複雑であった。

約10分ほど土砂降りの中を走って港に着いた。

「やっぱし来ちゃった」

と言って彼女の前に顔を出した時は、少しばかり恥ずかしいのと、もう一度声をかけたいのとで、気持ちは入り乱れていた。追いかけて来たみたいで、しみったれていてそういう自分が嫌だった。

キャンセル待ちの番号は12番。無理だと諦めているが、帰れないほうがいいような気もする。運を任せてしまっている。乗れたら大阪、乗れなかったら宿を探して、四国をまわって帰るだけである。

フェリーの待合い室で隣に座った若者は

「バイクを買って初めてのツーリングなんです。感激しています」

と話しかけてきた。雨にあった過去のツーリングの話をしたら嫌われることはわかっていながら、ずっと雨に降られ続けた昔話をしてしまう。しかし、それも彼には新鮮だったのかも知れない。

「ツーリングがやめられなくなりますよ」

何年もそのバイクに乗っているとバイクのご機嫌や弱点もわかるんですああ、そろそろ壊れそうだとか修理してやって一緒に走ってくれる一日中走り続けて、宿に着いた時なんかよく走ってくれたなって労ってあげたくなりますよ何を先輩ぶってしゃべっているのだろうと自分でもおかしくなるが、まじめに走るライダーになって欲しいものだ。

予約者(車)の乗船開始は、一時間以上も前から開始される。

R1Z子ちゃんは雨の中を19時過ぎに乗船口の方に消えて行った。待合い室の出口で見送っている私のことなどには気が付いてくれる様子もない。もしも気が付いたら手も振れたのに。

もしも乗れなかったらどうしていたか…と悩んだが、挙げ句の果て、つまりは乗れたのであります。

みんなの乗船が済んで一時間も過ぎてから、キャンセル待ちの乗船が開始された。大雨のせいで「雑魚寝(ざこね)」席の整理券が一枚づつ剥せない。出航の10分前のことである。

「ええい、みんな乗って!」

の係員の一声でキャンセル待ちの人達はみんな乗船可能となった。座席について「万歳ですね」と言い合い話が弾んだ。

深夜、船はかなり大きく揺れた。足が、頭よりもずっと高いところに行ってしまっているような感じで、幾度も目が覚める。でも、旅の道中の光景のひとつひとつを振り返るうちに、又、眠っていってしまう。

船は揺れ続ける。淡い眠りの中で、ひとつのシーンが甦ってくる。

(私):旅を続けて(九州を)一周回ってきた訳ですけど

きちんと計画していないから、最後が曖昧で…

どうしよう、どうしようで(ここまで)来て

雨が降って(予定を)急に変更して、

旅がストンと終わってしまうのが嬉しいようで、哀しいようで…

(貴方とのお別れが哀しくてとは言えなかったが)……

そうだ、名前を聞いていませんでしたね…(彼女):田上といいます…

夢のような旅は、ここで終わったのかも知れない。いや、終わらなくてはならなかった。本日の走行距離:219Km

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『夢をさがしに/九州』('94.5.4-5)後記

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∞'94.5.4-5∞

7:50、定刻通り大阪南港にフェリーは着いた。旅が、たった今、終わったのだという気持ちが突き上げてくる。旅を終わって、フェリーから降りる時に吸う空気には異様さを感じる。それは、社会復帰への逃避であり、嫌悪であろう。

早朝、船は紀伊水道を悠然と進んでいた。

船の甲板から陸が見えた。

左手が四国であり右手が紀伊半島か。

宮崎であれだけ降った雨も止み、

水平線付近の雲は切れている。

5時過ぎ、日の出時刻

雲は、赤く染まって海に映えていた。

低気圧の影響だろう

まだ風や波は残っており

甲板に立ち続けると少し肌寒い。

南九州は晴れているとニュースが告げる。

ざわめきが起こる。

関西地方は雨に変わるという。

お母さんと一緒に帰省している彩を、京都の実家に訪ねることにした。昨日の夜の電話では、直接家に(松阪に)帰ると言ったのに。大阪駅前のヒルトンホテルや千里ニュータウンのビルが私を現実に引き戻していこうとする。

京都で一晩泊まって、次の日、松阪へと向かった。

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あとがき

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私の旅は何だったんだろうか。土砂降りの雨の中、もしも、宮崎駅で野営していれば、まだ快晴の中を走り続け、予定通り四国に渡っていただろうか。

旅の手帖には走り書きでメモが綴られている。半年もすれば旅の記憶も薄れその崩れた文字の意味も思い出せなくなるだろう。それは、それで構わない。最後までカメラにフィルムは入れなかった。チャンスを失った。

景色は「自分の頭の中に焼き付いていれば良い」というのは私の口癖ではあるが…。今度から、旅に出る時には、会った人や話した人の写真を撮ってこようか、と考えている。

GSX、ありがとう。おまえとは、一緒に行く最後の長旅になるのかも知れない。できることなら直して乗ってやりたいが、現実という壁がある。旅が山場を過ぎた頃から急に愛着が湧いてきたのだが、懐中との相談もある。いつまでもこのままなら『煙が目にしみる』の物語は終われない。

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ノートから『語録』

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ノートから『語録』の一部を書き出しておくことにする

琴平YHでJRラー、トホダーの若い女の子と

|松阪っていいところですか(どうしてそんなこと聞くのかと思ったら)

|来年(卒業して)結婚して松阪に

|いくんです

阿蘇・長者原を出発前に尾張小牧ナンバーのZ900氏に今日はどこへ?と尋ねて

|山(九住山[1787m])に登ろうと

|思って…

|でもやめろっていわれてね

|女が登る山だって

阿蘇・大観峰にて、石野陽子みたいな女の子(可愛かった)

|ライダーはわがままですもん

|阿蘇は北九州から日帰りできます

|今日は「やまなみ」を回って帰るの(どうして一緒に走ろうと言わなかったのか)

国見峠を越えた日に、市房YHで夕食時に横浜から来た若者と(チャリダー)

|二輪という連帯感ありますよ

|この旅は国見峠を越えるために

|来たようなもの

|なんですよ

市房YHで、朝、雑談中に、群馬の女性(R1Z嬢)(お天気が下り坂だそうですが…の問いかけに)

|へぇ~そうなんですか(天真爛漫ね、いいなあ)R1Z嬢

|お母さんには友達と出かけるって

|言って来たの

|(彼女も)知っているから電話

|掛けてこないし…

|その子ももうすぐ飛騨高山に出かけ

|るし…

尾張小牧のTW200の男子に中日ネットを薦めて

|もうすぐモデム買いますから

|(ネットに)いきますね

砂むしの前で、なにわナンバーの男子と(暑いでしょうと聞いたら)

|バイクに乗って汗かいて

|またここで汗かいて

|ただ話題のために来ているだけですわ(大阪弁)

桜島YHでの雑談(誰と交わした会話だったか)

|(走ってばっかしで)

|薩摩ラーメン食べられなかった

煙草をくれた同い年の岐阜から来た女性と(未婚)

|日焼けして、砂むしなんか

|10分(くらいしか入ってられなかった)

|その後で風呂浴びて又宿で風呂浴びて…

都井岬駐車場でR1Zをみながら

|カーボンサーレンサーだし

日南海岸でぶっ飛ばしていて、バイクがねじれるようにバランス崩してあわや転倒か!の後、荷物を直しながら

|私って一日一回

|危ないことやっているんですよね

|昨日なんかもカーブでステップ擦っちゃ

|ったんです(群馬アクセントで)

青島の見えるところでZZRの男性たちが

|海の匂いがしませんね

|コンビニで

|「るるぶ」をその場でコピーして

|宿を探したよな

|去年の四国なんか

|カッパを着なかった日なんて

|一日もなかったよな

青島、お土産物屋さんの前で、田上さんと(お土産を買わないという私に対し)

|(子供の頃)私の父はふらっと

|何処かに出かけるんです

|何も買ってこない人でね

|出てくるのは(ホテルとかの)

|領収証ばかり

(お土産は何を買ったんですかと尋ねて)

|漬物です(ラーメン屋さんがあるので、誘うと)

|そうだ、お昼食べてませんでしたね

|そうですね、ラーメン食べましょうか

青島でラーメンを食べながら田上さんに(髪が雨に濡れて大変でしょうと尋ねたら)

|男の子と間違われたから絶対に髪は

|切らないっ

土砂降りの雨を見ながら宮崎のフェリー乗り場の待合い室で神奈川から来た男の子が

|初めてのツーリングです

宮崎、フェリー待合い室で田上さんとの別れ際に

|どうしようどうしようで来て

|雨が降って急に(予定を)変更して

|旅がストンと終わってしまうから

|嬉しいようで、哀しいようで・・・

|また二、三年後、同じ日に同じ場所に

|ツーリングに来てて、会ったりしてね…

(名前、聞いていませんでしたよね)

|田上と言います

|たんぼの「田」に上下の「上」…

宮崎港で土砂降りの中キャンセル待ちのバイクも乗り込めたあと部屋に入って

|キャンセルのみんなで万歳三唱しましょうか

帰りの船の席でビールを飲みながら(R439なんかを四国で走っていて前からバイクが来て)

|たまに会うとニタッて笑ったりするんで

|すよね

|ああ、みんあ同じなんだなと思う

フェリーで一緒だった、種子島に行ってきたという

(名古屋ナンバーの)物静かでおとなしそうな男子と

下船前に、船の倉庫でエンジンをかけながら

|げげげ、すっごいバイクに

|乗ってますね(雰囲気があわない:うっちゃんに似ている)

………

彼は

南港を出て

京都に向かう私に

大阪市内で

ピースサインを残して

西名阪方向に

消えて行ったまっすぐに走り去る後ろ姿を見ながら

私は交差点を曲がった

もう二度と会えない

行きずりのライダー達今度

どこかで偶然にも会えたら

それはドラマだ(気が付けば…の話だが)

………

「語録」は、記憶を刺激する。私にとっては、写真よりも刺激的だ…。

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『夢をさがしに/九州』(支出表)

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ツーリングノートから(ガソリンはカード処理)

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・・4/29

・1390・航送運賃和歌山…小松島

・1700・旅客運賃南海フェリー

・2300・琴平YH

・250・ビール

・220・たばこ

・600・うどん/夕食

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小計・6460・走行距離223Km

・・徳島市内\1457(11.6㍑)

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・・4/30

・600・航送運賃三崎…佐賀関

・900・旅客運賃国道九四フェリー

・110・ポカリ(待合い室にて)

・670・やまなみハイウェイ

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小計・2280・走行距離332Km

・・別府市内\1882(14.5㍑)

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・・5/1

・260・やまなみハイウェイ

・100・黒川温泉共同浴場

・100・コーヒー(黒川温泉組合・売店)

・200・牛乳(阿蘇・大観峰売店)

・100・同上(ミルクロード・やまなみハイウェイ

・800・ざるそば(昼食)

・330・アクエリアス・1.5㍑ボトル

・3550・市房YH・夕飯付き

・400・ビール

・300・湯山温泉・元湯浴場

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小計・6140

・走行距離257Km

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・・5/2

・906・エンジンオイル(1㍑)

・842・食事(コンビニ:パン、ヤキソバ)

・229・ポカリ、1.5㍑ボトル

・480・航送運賃鹿児島…垂水港

・350・旅客運賃南海郵船

・350・焼酎2合ボトル

・500・TELカード(?)

・1950・桜島YH

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小計・5607

・走行距離290Km

・・人吉市直前\1847(14.7㍑)

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5/3

・220:たばこ

・50:都井岬駐車場

・520・昼食?青島にてラーメン

・3000・航送運賃宮崎…大阪南港

・8230・旅客運賃マリンエキスプレス

・110・コーラ(フェリー待合い室にて)

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小計・12130・走行距離219Km

・・鹿屋市内\1570(12.1㍑)

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5/5・

・関ドライブイン\・・・・(14.4㍑)

・(金額は不明、給料引き)

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・総計・32617・

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四国から山陰へ(’97GW)

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四国から山陰へ(’97GW)
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今年のGWの気合いは(あまり認めたくない気もあるが)いつもより少し弱いようだとうちのんは言う。レポートをアップします。よろしかったら読んでやってください。

少し長々と書いて、バランスの悪い箇所もありますが、私としては一端書いた物は削れないので、そのままにします。時が経つに連れて思い出す部分に加筆をして増えていきますので、この日記は、ひとつの旅を振り返っている過程であります。旅とはそういうものでしょう。日記は、だんだんとバランスを崩していきます。自立できなくなったらまた旅に出かけて行くのでしょうか。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる  山頭火

種田山頭火の句集を探し回ったけど、田舎ではなかなか見つからなかった。しかし、三月末に出かけた京都の本屋でその忘れかけていた本を見つけて買った。

山頭火は山口県で生まれて、愛媛県松山市で没する。そのゆかりを訪ねてみたいと切々と思った。出発前に知人にあてたメッセ-ジを添付する。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる   山頭火

そう詠んでいます。彼を早稲田文学に入れるのかどうかは私にはわかりませんが、感性に訴えてきますね。好きです。このうたの季節は恐らく秋だと思いますが、私は春に行きます。明日が晴れかどうかさえも私にはわかりません。でも四国をしばらく走ってこようと思います。

皆さんの多くが四国を訪ねて行かれました。私も二年ぶりです。四国を走って、なあ~んだ、つまらないと思う人もあれば、その逆の人もあると思います。

道端で買ったパンの味や工事現場の親父さんのちょっとした姿や仕草、言葉がツーリングを変えます。私の四国を探しにまた出かけます。

レポートはこれにぶら下げていきたいと思い、まえがきのつもりで書きました。

昨日、娘が
「私、地図を見ていて行ったことがない道を見つけると行ってみたくなるの、地図を辿ってずっと…」
と話してくれました。ツーリングの原点を呼び起こされた感動でした。この子も私の子なんだなと思った。

明日、明け方に出て、昼過ぎには四国に上陸できるかな。では、数日後に会いましょう。


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四国から山陰へ(’97GW) --はじめに
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[4/27-0]

週間予報では4/30頃から天気が崩れるという。近年、天候に恵まれているので期待できるかなと思っている。

GWといえば半分が雨降り…という季節である。覚悟はしているが、雨は嫌いだ。

テント、シュラフ、マットは、前日にうちにバイクに積んでしまってあるので、27日の早朝は静かに着替えなどの荷物を載せ、暖気運転なしでソロリと家を出る。

出発前の記念写真を二枚撮った。「お父さんは朝早く出るよ」と言って、就寝前に「行ってきます」を子供にした。

青空が夏のそれに変わりつつあるなあと思いながらどのあたりというわけでもなく上空を見上げる。快晴である。肌に冷気が沁み通る。大きく息を吐くとシ-ルドが曇った。タンクバックの温度計付き時計はちょうど6:00を示していた。

今回のツーリングの持ち物で思案をしたのは地図であった。先日、博士号の授与式の写真付き葉書を送ってきた鹿児島のJ君にも会いたいので、もしかしたら九州に渡るかも知れないと予感している。しかし、思い切って九州版を持つのをやめた。

広告の裏に書いて食卓の上に放り出してきたメモには、四国を横断して松山から山口(湯田温泉)に行き山陰を回って帰るか、讃岐へ戻って帰るかどちらかと書いてある。

予定通りに走ったことは恐らく今まで一度もないと思うけど、出る前には誰に見せるわけでもなく、思考を整理するためもあって書きなぐったメモをうちのんに見せたら、「見とうない、勝手に行っといで」と冷たい言葉であった。子どもは前の晩に「お饅頭…」と繰り返していた。

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四国から山陰へ(’97GW) --4/27
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《三重県-高見峠-和歌山市:紀伊半島横断》

[4/27-1]

何度も越えている峠でも旅が始まる時には胸がドキドキするものである。いつも見慣れた景色を送りながら、いつものようにひとりごちた。

紀ノ川沿いの高野山側には新芽が吹き出した果樹(柿?葡萄?オレンジ?)園が広がる。遠くから見るとゴルフ場の芝のような錯覚に陥るが、信号などで止まった時に良くみると違うのはすぐわかる。休日の朝ということで車も少なく、和歌山港まで三時間と17分の所用時間で到着した。

恐るべき速さである。違法値がでたらあかんから平均時速は計算してはならない。

フェリ-の切符売り場で「次の便は何時ですか」と問うたら三分後という。乗れるから急ぐように言い、大急ぎで切符売ってくれた。それを口に喰わえて移動した。

バイクがフェリ-に乗り込んだらテ-ルゲ-トが上がった。何ともラッキーなスタートである。

船中にはツアラーの姿も疎らで、誰とも話すことなく、しかし寝るわけでもなく海を見ながら種田山頭火の句集を読んだりして過ごす。ただ、ぼんやりと読む。うららかな日で、風もほとんどない。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる  山頭火

まさにその気分なんです。


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四国から山陰へ('97GW) --4/27-2
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《四ツ足峠へ》

[4/27-2]

小松島港に入港し、四国上陸をしたらすぐに高知方向に走り出す。

那賀川沿いを遡る。川沿いの狭い道は、四国の雰囲気を思い出させてくれた。

「そうそう、こういうふうに道が狭いんや」とひとりごとを吐きながら、しばらくこんな道とお付き合いしていこうとしている自分に満足である。

八十八ヶ所への道路を示す標識が目立つのでそれを頼りにある程度方向を決めて県道に入ると、これが驚くほど狭い。おおっと、この狭さが四国なんだった、信号も少ないな…などとぶつぶつが続く。

太竜寺のロープウェイの乗り場の脇を過ぎてやっと国道に出る。R195にのっかり四ツ足峠へと向かう。だんだん四国の雰囲気が戻って来たのが嬉しくて仕方なく、一人だから誰に隠すわけでもなく大声で喜んで叫んでいる。聞こえたのは野生のお猿さんたちだけだろうな。

山藤(やまふじ)が山の斜面を紫色に飾っている。そばに寄るといい匂いがする。春は空気の匂いがまろやかで、走っているとうっとりすること、おやっと驚くことが多い。自然が何かを訴えているのだろうか。

四ツ足峠を越える道は快適で、一部に狭いところがあるけどこの程度に狭くないと面白くない。剣山スーパー林道から降りてくるオフツアラーの人に時々すれ違うのを期待しているが、それほど来なかった。みんなどこに消えて行くのだろう。あれれ、今年は四国に来ている人が少ないのかな、なとと呟きながら、見つけると手を振る。オフローダーのピースは確実に還ってくる。バイクをほんとうに楽しんでいるからだろうか。

四ツ足峠は初心者マークでも越えられるほどの峠で、秋もお薦めである。秋になると綺麗に色付く木ばかりであった。

べふ温泉には寄らなかった。実はこれは最大の後悔で、これから行かれる人はぜひ寄られるのがいいでしょう。高知には目立った温泉がないのだけど、この温泉を薦めてくれる人にたくさん出会った。美人肌系のお湯である。共同温泉場は近年新築したようで、随分と賑わっている様子。こんな谷の深いところまで人がやって来れる様になったのも道路が整備されたからだろう。

トンネルの開通日付を確認すると1990年前後が多い。それ以前はすっごい田舎だったに違いない。谷の落ち込み具合が違う。


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四国から山陰へ('97GW) --4/27-3
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《定福寺YHへ》

[4/27-3]

雲行きが怪しくなってきたぞい。

明日は雨なのかな、と思って道端のお店のおばさんに聞いた。案定、下り坂だそうで迷わずYHに泊まることに決め予約の電話を入れた。

夕飯は頼まず、途中でカップラーメンとお寿司を買ってYHに入った。スーパーで道を尋ねたら、小説で竜馬が話していた言葉と同じである。ささやかな感動であった。

そうそう、ここはYちゃんが来た今年の冬に来てレポートを書いてくれたYHである。何だかYちゃんの慕って旅しているみたいだなあ、違うぞい。YHの前からの景色をじっくりと眺める。

山腹に民家が建っていて、これでもか!といわんばかりに峰の上方まで道が右に左に延びて家がポツンとある。これが四国の景色だ。四国でしか見られない。感動がまた甦ってきた。


《YH・夜》

[4/27-4]

ライダー(ツアラー)さんは疎ら。

でも皆さん、四国をよく知っていらっしゃる。三人ほどが筍のご飯をいただいている。おひつにいっぱいある。夕食を私も予約したらよかった…。

住職さんと脳死の話をする。お寺のYHは評判が悪いとどこかで聞いたことがあるが、このYHはまったくそんなことはない。この宿は常宿にしても良いな。

私的メモ:
草加市のレイドさん、佐賀のR100GSさん、松山の黄色のビートさん 福山のイギリス人ふたり組、徒歩&JRラーの女性。←可愛い子でした。


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四国から山陰へ('97GW) --4/28
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----《YHの朝・雨があがるぞ霧が逃げぬうちに見ておこう》

[4/28-0]

谷間を霧が流れていく。その向こうに民家がある。峰上には青空が見え隠れしながらも渋々と雨は降り続く。寺の門前の石段から集落を見下ろすと民家の屋根の向こうから一筋の煙が昇り始めるのを見つけた。朝ご飯の支度だろうか。竃に火が入りあさげの支度が始まる。生活の息づかいを感じる時だ。

雨を憂うるなかれ、この趣きを味わおうではないか。できればあの人たちの所までいって、インタビューをしてみたい。平家の落人なのかなあ。何でもいいから話を聞かせて欲しい、そう思うことを人に話すと、時々、同意してくれる人がいる。


----《晴れ間が私を待っているR439/大峠を越える》

[4/28-1]

Yちゃんがツーリング部屋@ニフティで

「R439の吾北町柳野、ここはすごい道だった。ヘアピン、急勾配、一車線道路、木々が鬱蒼と茂っており視界は悪い上に対向車は多い。おまけに雨のため、落ち葉で滑りそうでとても怖い思いをした。きっと地元の人達の生活道なのだろう。中学生か高校生くらいの女の子が、歩いて通学している姿が印象的だった。」

と書いていた。彼女、こんな山の中を寒い雨の日に一人でよう走ったなあ、と驚きながら私も大峠をトレースする。感じる事はまったく同感である。最も四国らしい風景であると思う。

トンネル切削工事中で、そのうち快適道路が出来てしまうだろう。この道の上に延びている集落の人たちだけの峠になってしまうのが、もしかしたら住人の皆さんにとっての幸せなのかも知れない。

峠に差し掛かると雨が降り出す。けれどカッパは着ない。青空が私を待ってくれてるんだから、天気予報が晴れると言っていたのだから、期待を込めてカッパは着ない。

しかし…。寒冷前線が通過し、気圧が不安定となり夕立のような雨が降り出したところで屈する。

「四万十川源流」の立札を前にしばらく休憩して、雨の中を峠の向こうに消えていくツアラーを幾人か見送って、私もカルストには向かわずに檮原町へと向かう。

道の向こう側にバイクを止めていた神戸ナンバーのZZR250の可愛い女の子に、反対側にバイクを止めて声を掛けた。(猫柳さんは女性を発見するとすぐ止まる傾向にあります)カルストに上った後は大堂海岸のYHに向かうという。

ううん、私もさりげなく旅程を変更してしまおうか…とも思ったほど。

この子より先にもう一人、ひとり旅の女の子を大峠の前で追い越していた。剣山スーパー林道を走って、明日からは四万十川でカヌーだって言ってた。

二人の旅程を頭にインプットしてた私は、四万十川方面に行こうかしらん…と悩んだ。(この迷思案は松山の朝まで続いたのであった。)

----《檮原・関門の関を訪ねる/維新の道》

[4/28-2]

檮原町にはいると「維新の道」の道標が目立つ。「吉村虎太郎生誕の地」の碑があった。お遍路さんも幕末の志士も、皆が徒歩で峠を越えた。

車輪の付いたモノが普及するまで日本は篭か徒歩が普通で、馬車などのようなモノが無かったので、峠はどこも二本の足で越えるためのものであった。坂道は狭くて所により石段になっているところが多い。その入口に佇んで、やはり無念であるが、それが日本の峠なのだ。

関門の関に行く細い道でバイクを止めて工事現場の人に尋ねた。

「ただ石碑があるだけですけど…」

と教えてくれたけど、私にとってはこれもひとつの感動であった。維新の道という綺麗で観光化された看板が不似合いであるようにも思う。

----《これが噂の松山YHか》

[4/28-3]

空いていないかなとも思ったが予約を入れたらOKで、食事もお願いした。

天気が優れないこともあって早く着いてしまったので道後温泉本館に行った。二度目以降なら「椿湯」を薦められていたが、本館にこだわった。絶対に今度は椿湯にしようっと。

本館はロッカーでも百円取るから380円になります。YHに荷物を預けてから行くのが賢明である。

定福寺YHで会った草加のオフさんに温泉本館の中で裸でばったり。今夜の彼はビジネスホテルでのんびりするらしい。

YHでは佐賀からのR1100GSの人にまた会う。「石鎚山には雪があったよ」などという話をしながら食事が盛り上がった。レストラン風の食堂でリッチな気分で食事をいただくのであるが、このYH、お酒の持ち込みも百円取るらしい。冷めた感じがするのは私だけか。

GSの彼は県庁の農林水産関連のところにいるらしく「佐賀牛」の美味さを説いてくれる。長い話になってビールの量も増加気味。

松山YHの感想を書かねば。これが噂のYHなんだって納得します。ただ、至れり尽くせりという設備がビジネスホテルふうで、お金がかかっているなあって感じますね。これもひとつのビジョンなのかも知れないけど、松山再訪の節には別の宿を探してみることにしようと思う。

私的メモ:同室は札幌ナンバーのCBR君。


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四国から山陰へ('97GW) --4/29
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-----《松山市内/種田山頭火一草庵》

[4/29-0]

観光マップには「一草庵」の所在だけがぽつんと黒丸で示してあるだけで、解説は一行もない。正岡子規や漱石は書いてあっても山頭火には触れていない。教育委員会さん、もう少し書いてくれてもいいんじゃないですか。

街の外れの民家の中にひっそりと一草庵はあった。一日に何人のファンが訪れるのかは想像できない。けど、雑感帳が置いてあったので少し拝見してみると一日にひとりから数人が書き込んでいるのがわかる。

私もここに来るためだけに四国に渡ったのだから(宮本輝「地の星」の宇和の海も行きたいと思いながら)感動はピ-クを迎えている。

何もない、何もしない。ただ終焉の地にある家を歩き回ったり、ただここに立っているだけで満足である。句集に備え付けの記念スタンプを押し、ツ-リングマップにも押した。

濁れる水のなかれつつ澄む  山頭火

彼が死ぬ1ヶ月前の句で、一草庵の前を流れる樋又川に自分の人生を感じて詠んだという。川藻がせせらぎに流れる。その脇の道路を生活の車や自転車が通り過ぎる。

-----《波方から竹原へ》

[4/29-1]

さあ、何だか海が見たくなったな、ってなわけで、波方から竹原に行くフェリーに乗って北に走ることにした。瀬戸内海を越えてみたくなったらしい。凄く衝動的な旅程変更である。

今考えると、宇和島に行けばよかったのに、四国を出ようとしています。

家を出るときの予定では山口市の湯田温泉の「其中庵」へ行くことで、雨の場合には足踏みをしながらでも行こうと思っていた筈なのに、天気が良かったので走ろうと思ったらしい。

感動を大事にしようという潜在心理もありながら自分でも説明が付かない。うちのんの分析では年齢をとって気が弱くなったのではないかという。毎夜電話を掛けるが、若い頃のような気合いがないともいう。雨にも屈せず、銭も惜しまない、ということがなくなったらしい。

山頭火ふうに一句書いてみよう。

かえりじたくの迷いをもってとろとろおろおろ走る  ねこ作

-----《山陽から山陰へ》

[4/29-2]

瀬戸内海の波は穏やかであった。フェリーの客が疎らで、今日は祝日なのにこんなに少ない人出とはどうなってるのかしらん。みんな瀬戸大橋に行ってしまうのかな。三倍も四倍も金が掛かるのに…。

船の中で思案は続いた。山口市の湯田温泉に行って、山頭火以外にも中原中也や金子みすゞを訪ねてみよか。でもいつしかの夢に残しておいて…。迷っているようで、何も考えていないのか。何よりも「其中庵」に行くというルートをとってもよかった筈なのに、私は松江に向かって走ったのでありました。

中国山地を横切る道路は、四国を走ったあとの私にはとっても優しい雰囲気がある。過ぎていく景色がまろやかである。山の上の方まで家が建っているという四国の風景と打って変わって、水田では田植えが始まっている。三次から出雲へと行く街道は「出雲歴史街道」とか「出雲神話街道」とか言うらしい。(名前の記憶曖昧ですが…)

-----《出雲市/出雲そばを喰い玉造温泉に入る》

[4/29-3]

中国山地の峠を走っている時に道路脇の温度計が29度を示しているところがあった。暑い日でした。ただ、淡々と走るだけで日が過ぎていく。

出雲駅の前にいたタクシーの運転手さんや街中で子供と遊んでいる若い奥さんに美味しい蕎麦屋さんを尋ねたら「羽根屋」という店を教えてくれた。なかなか頑固な雰囲気を漂わせる店であった。本店で喰う。安い。ざるそば、\550。味には満足した。

時刻は16:00頃になっていて遅すぎる昼飯であったが、食べただけでも珍しい。食べないまま夕飯になる日もあるのだから。その蕎麦屋さんで玉造温泉の共同浴場を教えてもらって寄り道をして松江YHまであと一息。YHの談話室でガイド本を持っている人が、私の食べた蕎麦屋が一番先に載っていると教えてくれた。満足だ。

-----《玉造温泉》

[4/29-4]

やはり共同浴場をお薦めしておく。

600円と少し高い感じがするが、近代的な建物で、五階が浴場になっていて、その階下に休憩室、更に階下には歴史展示館のようなものがあった。(YHへ急ぐので行かなかった。)

-----《松江YH》

[4/29-5]

予想以上に良かったので、皆さんもマルしておかれたらよろしいでしょう。GWのどまん中なのに人は少なく、食事のテーブルも空いている。

食事後、地図とペンを持ってだべっていたら、松山YHでご一緒のCBR君が現れて、「おおっ!」とお互いに驚き合う。

建物などは古いけど、マイナス点はそれほどなく、ここのYHも常宿候補に挙げてもいい。


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四国から山陰へ('97GW) --4/30
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-----《松江市内》

[4/30-0]

宍道湖が霞の中にぼんやりと見える。憂欝になってくる。

雨も午後にはあがって…という天気予報はいうけれど、信じれない。一昨日には騙されたもんなあ。でも急がない旅なので、寒冷前線に追いつかない早さで走るつもりにしている。一日おきに雨に見舞われている。

そういえば夕凪ちゃんが四国を走った時も、雨にたたられていたなあなどと思い出していた。そうだ、彼女は(別の時だけど)松江にも泊まっているんだ、うん、四国で使ったYHといい、ここのYHといい何かご縁があるのかも知れないぞ…と気が付いたら心は晴れてきた。竹内まりやの「涙など見せない…」なんていう歌があったような。あればっかし口ずさんでいる。

タンクバックのマップケースにポツリと落ちては自然に乾いていく程度の雨なので、傘も要らないから少しばかり松江城の界隈を散策してみることにした。

小泉八雲の旧居と松江城は隣接しているので割と気軽に歩けた。木次から社会見学(自主研修というらしい)に来ている中学生が八雲の旧居のひと間でワイワイと賑やかである。私も畳に腰を下ろして沈思状態に落ちていく。庭の池で蛙が元気よく鳴いている。

ツ-リング中に散策をするなんてのは随分と久しぶりである。

-----《大根島》

[4/30-1]

大根島では牡丹が綺麗に咲いている。島一面が花畑になっている。霞んでいるからもちろん大山は見えない。 

牡丹散てうちかさなりぬ二三片  蕪村

この句が頭にふっと浮かんだ。あら私が暗句してるなんて珍しい。

小さな島の中に綺麗な農道が幾つも通っていて、役場付近からは灰色というより無色で無表情の中海が見下ろせる。

-----《湯村温泉》

[4/30-2]

大山がこの天気で見えるわけがない。

湯村温泉に寄ってから行こうと思って浜坂YHに電話をいれたのが午後を少し回っていた。若くて可愛い声の女性だったので、電話を切ってからもうきうきしている。

松江YHで会った人が前日に浜坂YHに泊まったら夕食に「ほたるいか」の刺身を食べさしてもらったというので私も期待をしている。

湯村温泉の荒湯の前にバイクを止めて、小雨対策ビニールをかぶせて風呂に行った。湯は98度で噴出しており、薄めて使っているので少し不満だが泉質には満足をしている。300円。お薦め。

湯舟からあがったときに言葉を交わしたご老人に私が松阪から来たというと三重県の温泉の話をなさった。榊原温泉という名前を最初に出されたので、この人は湯に詳しい人だと察した。なかなか遠方である三重県の温泉にも詳しい。もしかしたらその道の人なのかも知れない。

建物を出るときにスコールのような雨が途絶えていた。湯で濡れた髪を自然乾燥させているといろんな人が声を掛けてくれる。鳥取から荒湯に筍を湯がきに来ているおばさん、温泉街の中に結構でかい建物で目立っている「八田屋」というホテルの社長など。社長は自ら客引きに出てきている。GWの最中なのに客引きとはこの業界も厳しい風が吹いているのか。社長を見る限り、街の中を行くお客を眺めているのが好きらしいが。彼も若い頃はバイクに乗って「ぶっ飛ばした」そうで、ライダーを見ると話掛けるらしい。「安くしとくよ」と盛んに言っていた。

-----《浜坂YH》

[4/30-3]

今回のツーリングで最も意外性のあったのがこの浜坂YHである。

荷物を置いて談話室に戻るとコーヒーを入れてくれて、お饅頭まで付けてくださった。雨の中をバイクで走ってくるから寒かろうという配慮のようである。

「ほたるいかを喰いたくて、一昨日に泊まった人から聞いてやってきました」

と話すと、その私の行動を喜んでくれて、今夜も夕食に出すんですよという。だが残念なことに刺身にできるものはないそうである。

厨房にいるペアレントさんたちと話す私は食堂から海を見下ろしていて、そうしている間にもイカを釣りに漁に出る船が防波堤の向こうへと出ていくのが見える。もうひとつプレゼントがあって、その向こうの水平線には沈んでいく太陽があった。真っ赤で、ぐにゃぐにゃの夕日である。

若い子が電話に出て…と前述したが、その子をヘルパーだと思って話をしていたら、ペアレントさんというショッキングな悲話もあります。中野さんという新婚若夫婦でありました。

四月から浜坂に着任したそうで、この業界にも転勤があるのだそうです。ひとつでも品数を多くしたいし、新鮮で旬の物を出したいと彼女は言う。笑顔がとても可愛らしい、人懐っこい女性である。また近々、旬のものを食べに行きたいなあ。

常宿にするにちょうど良い場所だしな。少し秘密にしたい所でもある。と書きながら、六月になったら行こうかなとも思っている。

夕飯を食べてYHの車で浜坂温泉センターに連れて行ってくださる。町民料金の300円で湯にはいれる。少し塩辛い温泉で、湯量も豊富なようである。温泉からの帰り道に海岸を回ってくださって、漁火がポツリポツリと見えるのも見学できた。キャンプ場もあるので要チェックです。この海岸道路を走るのは、今ごろが一番お薦めだそうで、「但馬漁火街道」というらしい。

風呂上がりに談話室で地図を見て思案して、同室に泊まることになった男性と談話をしていると、付出しふうの「ホタルイカのしぐれ風味」の料理を小鉢に出してくれて、「何だかスナックみたい」なんて言っている。

「こんな情報を四万五千人の〔FBIKE〕というフォーラムで宣伝しておきましょう」というと「酒好きライダーズYHになってしまうね」なんていうふうに他愛ない話をしている。ほんま、可愛い奥さん。もしもこれから行く人(すでに行った人)があったら、印象を聞かせてね。

もうひとつ驚く話もあった。また可愛い子ちゃんが絡んでいるのだが、隣の座卓にいた女性と話すうちに(大阪の、事業部が違うけど)同じ会社の子だとわかり(めっちゃ驚いたよ)、松阪市の隣接郡に実家が引っ越してたのでこちらに転勤したいと希望しているいう。

「七月頃になってバッタリ会ったらよろしく」なんて言っていた。私のもうひとつの姿は職場では秘密なんだぞ、って言うのを忘れた。名前も聞いてないし、事業部の名前も控えず記憶から消えてしまったので、災難は忘れた頃にやってくるのか…どうかは楽しみであります。可愛い子だったな、うちの会社には珍しいわ。

〔FBIKE〕の人には会わないのに、会社の人には会うもんなのかね。悪いことはできんなあ。


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四国から山陰へ('97GW) --5/1
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-----《鎧駅》

[5/1-0]

念願の鎧駅である。「ふたりっこのロケ地」という看板が出ている。

やめて欲しいなあ。私の鎧駅なのに…。(←勝手に自分の物にするな!って…)

幼い日に母に捨てられた兄と妹は、それぞれ、自分の深い想いを持って海岸列車に乗り鎧駅を訪ねる。宮本輝は小説「海岸列車」(文春文庫)の始まりの章で

駅から入江への急な斜面には、かつてサバ漁で賑わった鎧港の名残として、錆びて風化した鉄のレ-ル敷きだけが一直線に下りている。陸あげしたしたサバを列車に積み込むためのケ-ブルの残骸であった。その横に、村へと下りていく折れ曲がった錆色の道がある。列車の車輪とレ-ルとが撒きちらす鉄粉によって色を染めた道は、ほんの数十メ-トルで、黒ずんだコンクリ-トに変わるのだが、かおりは、その道の錆色の部分しか歩いたことはない。

小説に出てくる向こう側のホームのベンチも、またそれが海側を向いて置かれていることも、そこから見下ろす港に倉庫らしい建物が見えることも、私にとっては期待通りでありまた新鮮で嬉しい。

ひとりごとをぶつぶつ言いながら私は周辺を歩き回っている。そしてぼんやりと海を眺めては、時々、シャッターを切る。畑で仕事をしているおばあちゃんにはそんな姿が変に映ったかも知れない。それでも私は、向こうのホームに行ったりこっちに来たりを繰り返していた。

時刻は8:20頃で、下りの列車が来てホームに止まった後、二、三分で上りの列車が入ってきた。降りる人も乗る人もいない。列車の中の人影は疎らで、行き交う列車を遠巻に私は眺めていた。

やがて重そうな車両を動かすためにディーゼルエンジンの音を山に反射させて列車は動きだした。黒い煙の匂いが私の所まで届いて、その後、列車はまたトンネルに消えて行った。

さて、鎧駅はここまでにしておこう。

-----《出石そば~周山街道~花背峠~琵琶湖大橋》

[5/1-1]

久しぶりに周山を回ってきました。(10年近く行ってなかったので)懐かしかった。

出石そばを喰って、福知山~綾部~美山~周山街道~花背と通りました。百井峠を越えようとすると工事中で残念ながら静原を回って大原、寂光院の前を通って琵琶湖大橋を渡りました。

寂光院は、建礼門院が壇ノ浦で入水後、源氏に助けられて上洛し、出家して晩年を過ごした所です。少し前のリンクで「源平」の話が出ていた時から気にしていたので、今回の山陰からの帰りに通過することにしました。

何度か行っているので門前を通っただけでしたが、GWなのに人影はやはり少なく、これはきっと嵐の前の静けさでしょう。


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四国から山陰へ('97GW) --あとがき
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あとがき

★こいのぼり今の季節は、どこの集落でもこいのぼりを見かける。四国の山中や漁村で、数え切れないほどのコイが泳ぐ。子供が生まれた時の感動をふと思い出す。

少しでもみんなに見てもらいたいという気持ちで、コイを縦の棒に付けるのではなく、ロープや横棒に付けてぶら下げるという工夫も至るところで見かけた。その独特の景色を愉しみながら走る。

何げなしに目に飛び込んで、薫風に揺れている姿がほのぼのとして疲れを忘れさせてくれる。ノボリもこの地方では多い。ただ、やはり気になるのは、このこいのぼりの姿がひとつもない山村に時たま出くわすことだった。子供がいればまず必ずひとつはあがっているだろうから、その村には子供がないということか。いつか、村に人がいなくなる時が来るのだろうか。

ふと現実に帰ってしまう瞬間であった。

★れんげ畑れんげ畑が少なくなったなと感じる。

今に始まった訳ではないと思うが、あの濃いピンク色の絨毯を見るとれんげに埋もれて寝転がって空を見上げた子どもの頃を思い出す。四国より中国地方のほうでたくさん見かけた。すでにたんぼに水が来て耕されてしまっているところも多いが、水の分配の事情もあるのだろうか、れんげ畑が一面の谷もあった。

麦の穂はまだまだ青い。あとひと月ほどで黄色くなるだろうか。土の香りがすると来て良かったなあと思う。

★人生の縮図チャリダーのツアラーさんと言葉を交わした時に彼がひとつの感動を話してくれた。

二人のヤンキー娘が峠に座っていたので視線が合わないように必死でペダルを漕いでいたら追い抜いた後姿に向かって「ファイト!」と言ってくれたという。一日中雨で、カッパを着ていた日だから感動が二倍三倍だったようだ。

雨の日は嫌だと思うから暗くなる。迷子の子どもは、自分が迷子だと気付かないうちはまだ迷子ではなく、迷子と気付いた時に初めて迷子となり、泣き出す…という話を誰かが書いてましたね。雨についても同じ様な筋で問答していけば、気が晴れるかも知れない。

良いこともあるだろうから、苦にせず走ろう。「ツーリングは人生の縮図だ」ってたいそうなことまでいうつもりはないが、そう思うと元気も出るね。

天気も変わる。出会いも感動もある。もちろん冒険をすることがある。したがって道草も喰う。

★ 情報武装どこに行くにしてもあんまり情報武装をするとツーリングの味を落とすことになりかねない。思うままに走ったら取りこぼしがあるかも…と心配する気も理解できる。しかし、行けないところや知らないところが少しくらいはあって、帰りの船や帰路などで会った人との会話で初めて知って、悔しがったほうがまた今度行こうってことで再訪をする機会も増える。それを何度も繰り返している間に自分のツーリングが出来るようになるのではないか。

あまりにも過度な情報武装は冷めたツーリングになってしまいそうだ。行く前から感動し始めているようでもある。そんな話をYHの同室の子などと話した。

西四国を目標にあげながら山陰に行ってしまった私。四万十川に行かなかった理由が自分でもわからないのだけど、今回の四国の旅の途中で出会った子たちがその川の名を出すことが多かったので、潜在心理的にブレーキがかかったのかも知れない。もっと、偶然の気持ちで四万十川に行きたいのだろうな。

★こだわり

毎度、書きますが、「こだわり」というのはその人だけのもので「竜馬はここから海を見たのか…」とか「山頭火がここでこの句を詠んだのか…」という程度のことです。他人にとったら只の砂浜、只のあばら家です。しかしそこにある音に耳を澄ますと、現代の雑音が消えていくから不思議であります。

ある森である人にここで聴こえる音は?と質問をしたら、鳥の声、木葉の音、沢の音、…風の音、という。自動車のエキゾーストもあったが、風の音の方が耳に残ったようだ。何れにせよ、こだわりをなくした時がツーリング人生の終焉であります。

★種田山頭火のこと彼を好きになる人とその逆の人と、これ程までに極端に好き嫌いが別れる俳人も珍しかろう。

ただの行乞だといえばそれまでだが、この生活の中にひとつの哲学を感じとり、それに芸術性までも感じるのは私だけではないようです。

同じ松山市内に正岡子規の記念館(行かなかったけど)があるのもイヤミにも思えますが、どちらの俳句が素晴らしいとかいうのではなく、ストレートに神経を刺激してくれます。

名もない草のいちはやく咲いてむらさき   山頭火

★レポートに出てきたキーワード

R195,四ツ足峠,山藤(やまふじ),剣山スーパー林道,べふ温泉,美人肌系,定福寺YH,R439,大峠,檮原町,関門の関,維新の道,松山YH,道後温泉,椿湯,種田山頭火,一草庵,神話街道,出雲そば,玉造温泉,松江YH,小泉八雲,松江城,湯村温泉,荒湯,浜坂YH,ほたるいか,但馬漁火街道,鎧駅,宮本輝,海岸列車,寂光院

金鳳花(きんぽうげ)摘まれてポツリと居間で散り  ねこ作(浜坂YHにて)

御礼:長々と書きました 読んでくださった皆様に感謝します

(終)

1977年 北海道へ

1977年北海道へ


■ 夏のひとり旅─その1


書庫を整理していたら、思わぬメモが出てきました。

ユースホステル(以下、YHと略)のハンドブックに挟んであったのがポトリと落ちた。

その旅は1977(昭和52)年の夏のことです。私はこのメモを発掘して公開することで皆さんの旅心を刺激したかった。書きながら、私自身もグラグラしました。
ただ書きながら思ったことのひとつにとても重要なことがありました。
それは、ここにある「センチ」を棄てなくてはならないということです。

「棄てる」という言葉は、遠藤周作さんが(私に?)教えてくれた……紙屑を丸めてごみ箱に放り込むようなことを意味するのだと思っています。棄ててしまうと、そこにはエンプティ(空集合)がある。身近な言葉では「0」です。つまり哲学でいう「始まり」です。

******

北海道
ひとり旅メモ

昭和52年.8月

・親の心子知らず
・何故北海道へいくのかひとりで
・きたぐに余裕で着席(9:30、8/7)
・あんまりさあ出発の感じないけど夢のようです

8/8、16:00

10:10に大阪を出て以来今まで何をしていたか?!
眠ったり、
話したり
東京で中学の先生の人や
会津若松の女の先生
秋田で体操の試合だそうです

19:40
15分遅れて出航
何故ひとりできたのか?!
そんなことばっかし自問自答してます

この汽車は走り続けていく

札幌から
その日の夜のYHへTEL
あしたの宿(稚内のYH)へTEL
北大寮へもTEL
夜、船は遅れて出たけど
結局きちんと時間通りにつく

赤平の女の子に会ったのも
この時デッキへ行ったら
その前に彼女たちの席の中へ
酒に酔ったおじさんが入ってきて
散々になったので、

デッキへ逃げた彼女たちと
たまたま??デッキへ出たオレが
会って話すきっかけになった

デッキへ逃げたのは
彼女たちだけじゃなく、
とにかくおじさんが入ってきたフロアーに座っていた男の人たち
(その人たちは山に行くような格好だった九州だって)
も同じく逃げてきたそうでした
割と船は揺れて参りかけた頃、
函館オレは彼女たちと同じ各停に乗ったわけ

******

このころは、急行「北国」がまだ走っていた。
北陸トンネルで大事故がまだ鮮烈に記憶にある。
自省的な想いが次から次へと浮かぶ……。

8月7日の午後に家を出ています。

夕方、大阪駅に着いて、
急行「北国」の発車が10:10だったんでしょう。

まだ二十歳にもなっていなかった私。
旅なんて、はじめてです。

どんな会話をしたのか。
記憶にないが、
狭いボックス席に
一日じゅう座って、
話をしました。

青函連絡船に乗りました。

不安と希望が交錯していたみたい。

メモは、
思い付いた時に、
書きなぐってありました。
そうだ。

赤平という土地の名前を知ったのは
この女の子たちに会った時が初めてだった。

もちろん、函館から札幌まで
一緒に乗っていたことだけ記憶にあるだけで、
どんな様子かすっかり忘れた。

******

雨は、
大阪を出てその夜以来ずっと降っている

札幌の駅前なんかは有珠山の噴火で
すごく火山灰が降っている

バイクの彼と話をしてもしかたないので
その山でも見てみるかと思い

函館行きの急行(すずらん2号)
8:54に乗る

支忽湖へ行こうと思い
千歳、苫小牧で下りようととも思ったけど

まず火山へ行こうと思った
雨は少し緩くなって

少し青空もあった

火山はかなりひどいそうなので
「東室蘭」で下りて
室蘭の方に行こうと思ったけど

ちょうどそこへ札幌行きが来て
それに乗ってまた戻ってきてしまった

それが(午後)1:00少し前

またまた駅で暇になって
中之島YHへ電話をしても満員だし

「小樽へ行こう」と
改札をくぐったのが
(午後)2時少し前で

「やっぱしやめ!」と思って
また出る

駅の前でぐるぐるしていて
それからラーメン(350円みそ)を
食べたのは駅の地下食堂街でのこと

思いきって大通り公園にへ出てみた

タワーの見える所で
ベンチに座りボーとしていたら
寝袋とリュックを持った人が
隣に座ったので
話しかけた

いろいろ話をして
地下街へ行ったりして
アイスコーヒーを飲んで(250円)
時計台へも行った

その前に銀行で3万円をおろした

駅でかなり長く話をしてた
階段に座り込んで……

PM5:30ころ
裕の家でも訪ねようと思い立ち
案内所へ行って

北27東2を聞いて
途中(地下鉄北24まで)行って
帰ってきた

18条で下りて
今大学寮にいます

PM6:30
北大寮へついた

今日1日を振り返ってみて

昨夜
船の中で知り合った女の子2人は
金沢、能登へ行ってきたそうです

函館から彼女たちと一緒に各停に乗った

予定を変更して
札幌についたのは7:30過ぎ、
(ほんとは6時の予定)

駅の前や中を行ったり来たりして
バイクできた大阪の人に会う

仕事を辞めてきたんだって言ってた
(その前に新聞を買った)

******

面白くて懐かしいのは私だけかも知れません。
所々、記憶と違っていたり、すっかり忘れていたりしてます。
読むと、あの時の必死にもがいている様子が甦ります。

札幌の初めての夜は、北大の寮です。
その辺で寝てください、
と言われて適当な部屋に入って、
真っ黒な布団に潜り込んで泥のように眠った。

夜中に人の出入りがあったようだが
ほとんど、気づかずに眠ったのを思い出す。

この時、大通公園でバイクの人に会っています。

バイクなんてまったく関心なかったみたいで、会話の様子はまったく残っていない.


■ 少年は北へ─その2


当時はまだ、子供です。
大学1年生です。

親のスネかじって働くことの大変さ、
重さ、辛さ、喜び……
何も知らない
雛(ひな)より哀れ。

しかし
その時にしか感じることができない様々なものを、
一生懸命に手探りしていますね。

******

8/9日
北大寮にて

ずっと長く書いてきたけど
まとめますと

初日から雨が降るし、
1日何もしないつまらない日になった

もったいないと思う少々不安になってきて
どうしようこの旅、
成功させたい

さっきからしきりに反省している
親の言うことを聞かずに飛び出したりして
お金もスネをかじって
7万も8万も使うオレは
ほんとうにいけない子だ、
と思う

出てくる時、
母ちゃんがくれた10円玉、30個に
涙流したらだめだよ

このあたたかさ、母ちゃんありがと

******

私の家は貧乏だったので
大学に進学するような余裕はなかった。

でも、私が言い出したことだからといって
親父はせっせと仕送りをしてくれました。

荷物の中に、
鉛筆で書いた走り書きの手紙が
いつも入っていました。

逝ってしまってから、
その意味がわかるんですなー。

******

8/10

積丹半島へ行って
神威岬を見学

売店の女の子に手紙を出したのが思い出

返事がくるかどうかは別問題

帰りはヒッチハイクで
ずーと美国まで

頭の中にたたき込んでおくべし

1) 2台連れのアベックの方
2) 3人親子
3) 老人夫婦
4) 親と娘さん
5) 土方の人夜行で稚内へ直行

******

ヒッチハイクをした人をメモしてある。

土方の人は記憶にあります。

だって、大きなリュックをトラックの荷物台に放り投げるように言うんだもん。

飛んでいったら大変だから心配でした。

宿に泊まる金がないので、
夜行列車で移動しました。

******

8/11

稚内から
すぐ礼文桃岩YHへ

絶対来年も来るべし
この旅、長くつづくだろう、
つづきそう

それでも汽車は走り続ける

空と海がまざりあう時
長い夜が終わり
空が明るくなってくる

旅をするオレたちは
そんなことに感激してる暇はないんだ

じっと遠くを見て、
じっと遠くの島をみて

動く景色を忘れちゃいけないんだ
時にはひとりが寂しいけれど
オレたち旅人同志だから
寂しくなんかないんだ

自由になれる、
自由になろう
この旅続く限り、
続けたい

8/13

十勝岳
白金温泉から望岳台へ登り
すこし登りはじめたら
長袖を忘れたのに気づく

割と早く引き返して
かなり残念旭川駅でゴロゴロ

結局、2泊する

(旭川YH)

夕食、バツグンだった
meeting、まあ楽しい方で

******

少し旅にノリが出てきたかな。
旭川駅のロータリーの真ん中の芝生で
寝ころんでいたらOLの二人に声かけられて、

あくる朝にもそこで横になってたら大声で
「そこで寝たんですか?」って聞かれたなあ。
注目だったの。

******

8/14

本日は黒岳まで
ヒッチハイクと

留辺蕊へ泊まる予定です

どうぞ、
うまく自動車、
止まってくれますように

天気、バツグン
朝すこぶるさわやか

黒岳に登って
ヒッチで留辺蕊へ

リフトの下までひとり

上川までひとり
その人が駅を間違えてダメ

また乗っけてもらった人が
留辺蕊まで

8/15
留辺蕊から北見までヒッチ
そこから美幌峠までヒッチ
そこから屈斜呂湖まで
砂湯まで
摩周湖まで
弟子屈まで
阿寒湖まで、
2台
オンネトーの前YHまで
計9台

******

ヒッチハイクは順調でしたが、
大雪山から東に向かう
あんなメジャーな国道でも
車は止まってくれない時間が続いた。

歩いたなあ。

今考えてみると
観光の人が多かった分だけ
汚い浮浪者みたいな奴は
乗せたくなかったんだろう。

やはり車というのは閉ざされた空間……なんだ。


■ 少年は北へ─その3


山に登ることに出会う人は北海道では多いと思います。

森林限界が標高の低いところから始まるので、
景色を見ながら登る楽しみに出会えます。

登りきれば、そこには確実に自分だけの景色が待っていますから。

******

(8/15)

美幌峠はよかった、
抜群屈斜呂湖は
泳げば良いだろうけど

人が多すぎて
摩周湖は車の列がすごくって

湖は綺麗、抜群

雲が映っていて、
山も映っていて
少し行くと牛なんかいたりして

今日は全然金の要らない日

8/16

7時間コースに行く

8/17

雨降りとなり1日ゴロゴロ

8/18

朝、雌阿寒岳へ登ってご来光!

とはいかずに
少ししか見えなかった

とっても残念
でもあの雲海を忘れるようなことはないはず

山はいつもどんなことがあって
裏切ることはしない

朝、見送りを盛大にして
野中温泉YHを飛び出す

知床へとヒッチハイク、
すごく順調

明日はどんな風が吹くのやら
とっても楽しみだけど不安!

尾岱沼へも行きたくなってきた

******

野中温泉YHでのイベントや出来事は、
二十歳前の私に取っていい人生経験だった。

今ではあんな遊びも会話もバカも出来ない。
今なら温泉に浸かって湯上がりに旅の薀畜をたれる……
そのくらいしか出来ないだろう。

いかにも「じじい」らしい。

若者は若者らしい旅をして欲しい。
最近の若者の旅は、
いろんな意味で充分すぎる気がする。

******

8/19

トドワラへ行った

北大、ケイテキの人に会った

根室標津の駅のそばから駅まで
トドワラは神戸の人、2人組
ウトロのヘルパーの自転車の人にも会う
車3台

根室標茶
16:00に乗って

今は釧路

全車指定に乗った為に
1000円も必要

がっくりきたところ

途中で高3生に会ったりして、
結構楽しくする

広さに少しびっくりしたけど
多少慣れたこともあり

何となく終わりに近い
この旅を
悔やむ

最後は
満足のいくように
終わりたい

******

旅の原点は、
貧しさの中に雑草のように芽生える好奇心。

それを実現しようとする行動。
しかもそれは衝動的なもので最初は、失敗に終わる。

やり残しを私は宿題と呼んでいるが、
宿題を解決して新しい宿題を戴いてくる執念。
絶えることの無い好奇心。
そして感動することでしょう。

文法には「命令形」という表現がありますけれど、
「失敗しなさい」「感動しなさい」という命令形は、
文法上のもので実在できない。

喜怒哀楽に対する命令形は存在できないのだ。

「悲しめ!」と命令されても、
そんなことコントロールできない。

******

かけていっていって
思わずあげた感激の声に
君はあいづちうった
波の音にまぎれて
消えたけれど
心にいつまでも
こだましてた
くちづさむ歌に
終わりがきて
その日にも
終わりがやってくる
旅を続ける僕の前の

******

メモは途切れている。

私の心にどんな変化が起こったのか。
私だってわからない。

人生なんて無駄の繰り返し。
いや何事も無駄だらけ。

それを認められない人には理解できないでしょうけど、
こういう無駄が人間には必要なんだ。
最初から無駄無く、効率よく、手際よく、格好よく、
スマートに夢を実現したら、それは、「夢を叶えた」とは言えない。

******

8/20
SAT
朝5:00

北へ走る汽車は
もうここで止まってしまう

朝のあけた街なみへ
ひとりで踏み出せば
何だか旅を続けて
今励まされて

・青い空と広い海と小さな船の向こうへ
 このままずっと歩いていけたらもしかしたら
 ひとりになれるのかも知れない

・沈む夕日見つめてた岬の砂浜で
 出会った恋なんか棄てたほうがいいんだ
 忘れてた方が ムー

・ぼんやり思う揺れる汽車の
 揺れる子守歌閉じるまぶたの
 そのうらに君の姿??に手を振っている

・旅は続く汽車は走る
 長い道と一緒にどこまでも
 街のあかりどっかへ去って
 星が窓に映る人に会って

 その人が僕と話してくれた
 ただそれだけで嬉しい純なボクには
 それがすぐ恋に変わってしまう
 男の人でも懐かしくなってくる
 住所を書いた人書いてもらった人
 出会いとはここに真の姿をひそめていたのでは……
 と思ったりする

 昨日会った高校生
 自分が高校の時は何をしていたかなーって
 考えさせるような子たちせ

 めて名前だけでも聞くべきだった?!
 それとも中途半端なことをやめて
 このままか住所まで聞いとくべきか

 まあいいけれど根室標茶の駅で
 一緒に話した北大ケイテキの人

 さわやかで根性のありそうな人
 男はああでなくちゃ
 来年は自転車

8/20
PM6:00

とうとう帰路につきます

ほんとうはもっといたかったけど
軟弱な精神を暴露して
登別に行っても
登別には行かず

あそこに行けばよかった、
って思うところもあるけど
来年にします

人より変わった旅をしてきた

観光ブームに乗って
押し寄せる人の波に
紛れることなく楽しんだつもりだ

だから他の人は
すごくつまらない旅をしているのではないか?!
と思う

何故こんな苦しい思いをしてまで登るのだと
心の中で叫びながら
はいあがった感じの黒岳

瓦礫の原の十勝岳
山は俗化されていない

自然の美を求めるのなら
山だと思う

神威岬も素晴らしかった

あの海の色
真の自然だった

来年は絶対に登りたい山、山だけ

反省として

いちばんにあげることは
無計画が時間をむだにしたこと反面、
人との触れ合いを大切にしたことは
良かったのではないだろうか?!

8/21
PM8:10

今、八甲田を下りた
長い旅も終わろうとしている
たるかどさんと急行の中では
ともにして
帰りも
比較的楽だ
樽角京子

******

ここで書いていることなんて、
狭い世界の自己満足なんだろうけど、独特の感性を持っていますね。

今でも、あんまり変わっていない点もある。
逆に、恥ずかしくて、赤面の部分もあります。

帰りの急行「八甲田」の中で
ずっと一緒に私の相手をしてくれた人は、
樽角京子さんという人で、
品川のキャノンの本社に勤めていた人でした。

当時、25─6才くらいかな。
素敵な人だったんでしょうね。

私には姉がありませんし。
もしかしたら私から電話をしたかも知れないけど、
子供なんて相手に出来ない……と、
それきりだったのかも知れない。

その頃の私を想像すると、
OLなんて興味なかったし、
年上なんてそれほど好きにもなれない年頃だった。

恋人も切々と欲しいと思うわけでもなかった。
エッチ度も今より低かっただろうし、
清かったんではないだろうか。

では、何故、名前がメモしてあるのか。
エッチは期待しないような
好意を彼女に持ち始めていたのでしょう。

彼女は『チャタレイ夫人の恋人』の文庫を持って、
話の合間に読んでいた。

まだ彼女の素敵さが
本当に理解できるほどに
私は成熟していなかった。


■ 少年は北へ─北海道77 あとがき(2001年記)


あれから24年が過ぎようとしている。

歳月人を待たず
(Timeandtidewaitfornoman.)

積み上げられた年輪に、
tideという言葉の響きが何ともいえない余韻を残す。

東京での就学を終えて
京都という街で
新たな生活を始めたのが
24歳という年齢だった。

私にはこの24というキーナンバーがあって、
ちょうど77年の北海道から24年後に北海道日記を回想したことになる。

決して偶然ではなく、
私の人生においては24というある意味を持った周期が、
もしかしたら重要な意味を持っているのかも知れないのだ。

私の知らない運命の数字なのかな…って思ってみたりしている。
旅は偶然から始まった。

ふと手にした
北海道のガイド本の刺激で
夜行列車に跳び乗って、

ヒッチハイクをしながら、
行く当てもなく、
金もない、
さすらい旅に出た。

自らを「旅人」と呼び
「旅行者」と区別して、
明日、明後日の筋書きを決めて行く旅を嫌った。

疲れたら休めばいい…
と思って歩き続けた。

夏といえども熱い日差しが照りつける日があった。

ヒッチハイクの手を挙げても車は
一向に止まってくれなかったことだってあった。

このまま歩きつづけたらどうなるのだろうか、
今日はどこまで行けるのだろうか、と不安にもなった。

ひとりが寂しいなあと弱音も吐いた夜もあった。
でも、もう少し行こう。

地平線の向こうまで行って何があるのかを見てみたい…
と心は燃えつづけていた。

支出メモには

ラーメンが一杯350円と書き残してある。
ユースホステル(YH)は素泊まりで1150円。
新聞が50円。

鶴橋から大阪までの環状線が80円だった。

友人に餞別を貰いながら何も手土産なしで帰ってきた。

他人から受けるご恩に感謝して応えようとする心などない。
自分ひとりで生きているんだと思っていたわけでもないのだろうけど、
世の中をまだまだ理解していなかったことがひしひしと分かる。

1977年(昭和52年)頃、登山や気まま旅をする人たちが
布製の大きなキスリングを背負って歩く姿は決して珍しくなかった。

(あれをカニ族と呼んだ)

だから、早朝、札幌駅の正面玄関の脇には
夜行列車から降りた旅人や宿賃を節約する
ネーチャーな若者が寝袋に包まって寝ている光景は
ある意味で夏の風物詩だった。

私の旅はふた昔も前のものになってしまったが、
貪りながら見知らぬ街を彷徨い、
好奇心に反応し続けた点で大きな価値があった。
歩き続けながらヒッチハイクをする。

便乗させてくれる人は
みんなおしゃべり好きな人ばかりだった。

方言がきつくて、まったくわからないこともあったし、
夜間登山のあくる日で眠くて、
せっかく乗せて下さっているのに居眠りをするような無礼もした。

新婚旅行のカップルにもお世話になったことがあった。

みんなが優しかったし、現代のような不信感もなかった。

徒歩+ヒッチハイクという旅の形を経験した人の多くが、
チャリダー(自転車の旅人)になり、バイクツーリストになってゆく。

社会人には贅沢に過ごせる時間が無いから、
やむなく自転車や徒歩を諦めるのである。

旅の形態は時代と共に変化し、
あの頃には存在しなかった「卒業旅行」という言葉も定着した。

若者は貧乏から抜け出した。

「苦学生」という言葉は死語になっている。

だがしかし、
井戸の水をつるべで汲み上げバケツで運び
風呂釜を満たしたほんの40年ほど昔には、
その作業自体に大きな意味があったように、

つまり、
一日の労働で何が一番辛かったのかと振り返れば、
野良作業で疲れきった身体で「風呂の水汲み」という
その日の最後の労働をすることだった、
と母がいつか話してくれたことからも分かるように、

きっとこんな時代には、
誰もが水を大事に扱い、
髪を流す水さえ疎かにしなかったはずで、
貨幣の価値よりも水の重さが勝る時だからこそ水不足もないし、
お隣同士がお互いを気遣うことさえ何ら重荷にならなかったことが想像できる。

だから、苦労をしなさい!と言うわけではない。
原点を知ろうじゃないか、と言いたい。

初めての旅として
北海道を歩き回ってから3度、
私は北海道を再訪した。

廃村になって朽ち果てた小学校、
廃線になって
草が茫茫と生い茂り立ち入れない踏切跡も見てきた。

24年が経った今、私は原動機のついた二輪で旅を続けている。

その昔、旅人が馬をひいて越えた旧街道の峠道を越えることがある。

芭蕉が越えた山刀伐峠や竜馬が脱藩の時に越えた韮ヶ峠にも立った。

人々の心は、
歳月と共に変化し

過去の文化風習は
単なる史実となってゆくのだろう。

社会が進化して
経済が豊かになって
心が満たされても
それは貨幣の価値が上がるばかりで、
文化の値打ちはなおざりにされてしまっている。

何不自由なく何でもこなせることが、
本当に人類にとって幸せなことなんだろうか…。

ふと湧き出た冒険心が、
やがて未知なる大地を夢見て駆け巡る憧憬に変化し、
私はいつしか旅人になっていた。

20時間も座り続けた青森までの列車の中で、
入れ替わり立ち代わり私の話し相手をしてくれた人たち。

帰りの急行の中で東京までご一緒した樽角さん。

そういう人たちのおかげで
私は今もなおひとり旅を続けています。

きっとこれからも…。

長い連載でしたが、
読んでくださった皆さん、
ありがとうございました。

2003年9月22日~24日:信州・南アルプスゴールデン・ループを走る

2003年9月22日~24日:信州・南アルプス、ゴールデン・ループを走る

1日目(22日)

◆はじめに
十年が過ぎてからこの日記を読んでも、ああ、あの時はこう考えていたんだな、というものを残しておこうと思う。一部始終を残すことはできないにしても、ちょっとしたことがトリガになってくれることもあるから。

◆出発まで
光化学スモッグ監視体制が終わった。幸運な偶然で、一日を振り換るだけで5連休になる出勤日程だったため、21日から25日まで休日とさせてもらった。
ネットのツーリング仲間のレポートを読んでいても、出かけたいという思いが募った。しかし一時のように無理やり仕事の都合をつけたり、こじつけて出掛けたりはしない。ゆとりが出てきたとも言えようか。確かに、がむしゃらに走ってみたいと時々思う自分の苛立ちを解消するために、秋田県と青森県の県境の五能線の風景を訪ねてきたい、と募ってゆく思いが、日々増幅していたことには変わりがない。しかしながら、台風が来たことで今回の旅が流れても、それはそれで仕方がない、と思えるようになった。機会があったらJRラーとして行ってみたいと思う。

◆台風15号
さてさて、18日ころから沖縄本島や宮古島付近をウロウロとしていた台風がいよいよやって来た。私が出発をする前日には一気に本州に向かって加速を始めた。どうか関東のほうに行ってくれ、と願うものの21日の出発は断念せざるを得ず、秋田行きは阻まれた。諦めと同時に私の心を支えていた緊張の糸も切れてしまった。

◆出発の朝
お昼ごろに出発すれば三ケ日の大谷キャンプ場に到着できるだろう。たまにはこんなのんびり旅をしてみるか・・・と考えながら荷造りをはじめたら8時過ぎに終わってしまったので娘が学校に行くのと同時に出発することになった。確かに6時から準備をし始めれば8時にはできる。大谷キャンプ場は、某コミュニティで秋季キャンプの話題に出ていて、そこが三ケ日インター近くにあった。ひっそりと隠しキャンプ場にしておきたいところだ。ここからならば「井川雨畑林道」が余裕で狙える。

◆海が光る。さざなみが光る。伊勢湾。
通勤時間帯を少し過ぎたので、津市を過ぎて四日市付近を走っていても車の流れがスムーズである。こんなことに平日を実感する。
青空だった。四日市港から桑名あたりを走ると右手に海が見える。風もなく、さざなみがきらきらと輝いている。こんな綺麗な海を見るのは久し振りだ。この白銀のまぶしさが何とも秋らしい。見上げれば青空が広がっており、かすかに雲があるものの、近く、どこかの町で雨が降っているなどとは想像などできない。Tシャツに3シーズンジャケットがちょうど心地よい。

◆散々迷う、三河の山岳地帯
国道23号線も、流れに沿って快適に走り飛ばす。高速道路よりもスリリングな走りができるので結構気に入っている。たまにはエンジンもブイブイと回してやってもいいだろう。道草をしたくなるような陽気であるもの、そんな調子で岡崎インターの近くまで来た。ここらあたりから山に入って秋葉神社あたりを通過して中川根町には夕方に余裕で到着と目論んだ。いつの間にか大谷キャンプ場行きは取りやめにしていた。。

◆迷走始まる
しかし、迷走はこのあと始まった。一発目のミスコースは、インターから本宮スカイライン方面に行く道路の選択だった。ひとつ西の道を北上したため、三河の山奥にどんどん入り込んでいってしまった。道端の畑で二人で仲良く話をしながら畑作業をしているおばあちゃんに道を尋ねた。

----本宮山のほうに行きたいんですけど
----それじゃ反対じゃなあ
----下山村のほうは?
----それも反対じゃ
----今、どこか地図を見て、わかりますか?
(地図を見せようとすると)
----そんなものは見てもわからん
----ここは額田町のどのあたりですか?
----端っこだぎゃ

さっぱり、何処に居るのかが判明しないが、30分ほどこのような会話をして手当たり次第に在所の名前を挙げて地図上で繋いでゆくと、現在位置が判明する。それが額田町一色という集落であった。
その後、おばあさんに教えてもらった道順を頼りに下山村、作手村、設楽町、東栄町などを経て佐久間ダムで有名な町までやってくる。所々に風景に憶えのある交差点を通るがそれが有機的に頭の中で繋がっていないのが迷走の原因であったのだろう。
迷走の途中に従兄弟の家に寄ったりして開き直りながらも、しかし、「水窪」の言葉が頭にこびりついていて、どどどっと正反対に山の中に入っていた。

◆ダメ押し。水窪から天竜林道・天住峠へ
最後に右左を勘違いしていたのは佐久間の町だった。気が付いたら水窪町に到着寸前で、さすがに戻るのを悩んだ。川を下って秋葉神社まで行くか、天竜スーパー林道か気田川沿いを下るか・・・。気合付けにフリースを一枚着た。
結局、気田川沿いを下ってみる決心をし、天住峠で記念写真を撮ってみたりして、自分自身に余裕を見せ付けている。一人芝居のようなものだ。
気田川は、コーヒー牛乳のように濁っている。山は想像通り深いのだが、山住峠のあたりに門桁小学校があっただけで、相当の距離の間、民家がなかった。走りながら私が不安になってくるほどだっただけに、あの村の人たちはどんな暮らしをしているのだろうか。もっと知ってみたくなってくる。地図には在所の名前はあるものの、集落を成していたという記憶はほとんどない。そんな山中を1時間ほど走る。

◆中川根町。くのわきキャンプ場
国道473に出れば、心配はない。・・・と思っていたが、この道路は何度走っても目的地までが遠い道路だ。飛ばしても飛ばしても、思うように時間が縮まらない。やめればいいのにまた来た自分はおバカさん、とひとり言をつぶやきながら走る。
大井川沿いの中川根町に出たらスーパーに寄ってキャンプ場の情報を、買い物に来ていたおばさんから探ってみる。小林聡美ふうの丸顔の愛想のいい人だった。「三ツ星キャンプ場」と「くのわきキャンプ場」を教えてくれるあたりは、相当にこれらのキャンプ場がメジャーなんだろう。三ツ星にはヒルがいるよ、いうことも教えてくれた。それなりの信頼性だろうということで、「くのわき」に向かう。

◆くのわきの夜
買出しで、鍋焼きうどんを探したけど見つからなかったのが残念だ。鍋を持っていないのでアレを当てにしていたのになあ。お酒も今日は中止。たまには飲まないのもいいだろう、そう思いながらも、夜中に欲しくなったらどうしようか・・・。
このあたりは日中にも雨がパラついたらしい。芝生がぬれている。三角の大きな屋根の施設があったのでその下にテントを張った。管理人さんを探しても見当たらない。明かりもない代わりに金も払えない。雲は重く、明日の天気は期待できないのかもしれない。しかしさっきのスーパーのおばちゃん(小林聡美さん)はとても明るい口調で、明日は晴れるよ、と言ってくれた。
真っ暗なテントサイトでカップラーメンと魚肉ソーセージを食べる。公衆電話があったので家に電話を入れようとすると、コインを入れる口やボタンが見えない。久し振りに真っ暗を体験して、心細くもあり嬉しいような気分でもある。
夜中に何度も目が覚める。早く寝たのだから当然のことで、空を見上げると星が幾つか見える。その星の散らばりを見て雲の出具合がわかる。

2日目(23日)

◆くのわきの朝
雲は空一面を覆っていたが、太陽が昇り始める時刻になると山肌が少し赤く染まっているのが見えたので、この後、晴れるのではないかという期待は膨らんだ。

◆接阻峡から
レインボーブリッジが見下ろせるところに遊歩道があった。あそこは行けばよかった、と思ったのは後のことで、接阻峡温泉会館は10時ころからかなと感じていただけに、実際に温泉会館に寄って改めてそれを確認したときは少し後悔した。もしも二時間ほどの散歩に行っていたら温泉会館に9時半ころとなったのだから・・・。
接阻峡をさらに深く入ってゆくとすぐに道路は狭くなる。奥井川の集落の人はこの道路ではなく静岡市側に通じる道路を使っているということが走っているとわかる。山を走り続けると、まず、キジだ出た。そのあとリスが出た。さらにサルも出た。

◆井川雨畑林道へ
分岐点のところで仕事の準備をしていた人に道の様子を尋ねたら、通行できないでしょう、というので、少し前に行けたそうですが、と言うと、少し前に行けたなら、行けるだろう、と答えてくれた。あまり自信なさそうだったが、この人たちはそんなところには用事がないのだろう。
林道に差し掛かると落石が目に付く。路肩崩壊も多い。ガードレールが丸ごと崩れているところもあり、またそれが隠し絵のように風景に溶け込んでいるからブラックホールのようにそちらに吸い込まれそうになる。うっかり落ちたら誰も助けに来てくれないだろう。谷底は見えないし、怖くて見に近寄ることもできない。
にもかかわらず、お天気を気にして空を見上げたり、やっぱし崖下を見たくてわき見をする。ひとり言で「おやめなさい、死んでしまうよ」と何度もつぶやきながら、それでも誘惑から逃れられない。

青空は、最も高く見える山の向こうに大きく広がっている。しかし、私の行く手方向のにある山伏峠には霧が掛かっている模様だ。峠の頂上が近づくと気温がどんどんと下がり始め、霧の塊が目の前をよぎり始める。10度以下になっていることは間違いない。10メートルほどの視界のところもある。

山伏峠でバイクを止めた。川の急流が流れるように、霧が流れている。寒い。人工の音はない。風の音もない。高山性のアザミの花が道端にいくつも残っている。花が枯れているのを見ると、秋や冬が近いことを切々と感じる。どうしても写真を撮りたかったので、霧の中で一枚だけシャッターを切り、さらに確実に深い霧の中へと下り始める。

◆奈良田温泉
奈良田温泉には、町営施設がある。下の駐車場にバイクを止め、斜面を登ると温泉がある。しかし、わかりにくい。民家と区別がつかないからだ。
お湯は、ぬるい浴槽と、上流側には適温の浴槽がある。適温といっても普通よりはぬるい。浴槽は木で、泉質の影響でヌルヌルとよく滑る。スケートリンクに初めて降り立ったときほど滑ると思っていい。浸かると体中にヌルヌルが浸透して、しばらくすると皮膚に気泡がたくさん付着する。何度も擦り取るけど再び着く。匂いも色もほとんどないけど、このヌルヌル感は非常に心地良い。一時間も浸かったのに湯舟から上がると空気を冷たく感じる。しかし、つかの間のことで、身体は十分に温まっているのであった。

Narada2003092224

◆甲府盆地を眺む
稲刈りの季節である。バックミラーに富士山が映るのを時々見ながら走る。稲刈りの田んぼの脇にバイクを止めて、昨晩の残りの魚肉ソーセージを食べる。
信州などの山あいの稲刈りはわが国の稲刈りの原風景のような感じがする。小さな田畑が緩やかな斜面に広がる。平野でないため区画整理に限界があるのだろう。いびつな形の田んぼの中で、家族総出で作業をしている。そうか、今日は秋分の日で子供たちも借り出されているんだな、と気が付く。
八ヶ岳のすそのの町の景色も甲府盆地特有のものだ。大塚先輩を思い出す。帰ったら手紙を書こう。

◆松香寮キャンプ場
甲府盆地を眺めて走る間に、諏訪南から松本盆地までは高速移動をしようと決めていた。白州の道の駅でミニペットボトルに水を頂いた。ここからは諏訪北までノンストップで走った。

白州の道の駅で家に電話を入れたらうちのんが、明日は雨だという。早朝にも降り出すかもしれない、という予感もあって、平湯キャンプ場まで走るか、それともたちさんに教わった松香寮キャンプ場にするかを考え続けた。

ところが、サラダ街道でコース選択をミスし車の渋滞に巻き込まれたこともあり、あっさり松香寮の見学ということで回り道をしたら気に入ってしまい泊まることにした。
アップルランドというスーパーでウイスキーのミニボトルと発泡酒、恒例お鍋焼きうどんと調理済みおでん袋を買った。今日のスペシャルメニューは、りんごとトマトと国産ロースとビーフである。明るいうちからごちそうをいただいて、7時ころから施設の風呂を利用し(350円)て早々に眠った。

◆松香寮の夜
2時前くらいに目が覚めて、その後、眠れない夜を過ごす。といってもさほど苦痛ではなく、眠れなければ起きてればいいし、なんらならテントをたたんで出発しよう、と思う。起きて目を閉じていると、次から次へと思いが駆け巡る。心細さから来る迷いや不安、反省。そう、またひとりでツーリングに出てきたけど、そばに誰も居ないのはやはり寂しいなあとか、お決まりに思い浮かんでくるのは、何故にひとりでで出掛けてくるのだろうか、という自問自答である。

思い出したくない過去もある。それは、しかしながら、思い出したい過去でもあり、今この瞬間だけ思い出して明日の朝には忘れてしまうようなモノでもある。憎い女であり愛しい人かもしれない。叶わぬ願いなのかもしれない。

記憶に、あるいは記録にも残せない幻想のようなものは、止め処なくなく駆け巡るのであるが、やがて私は再び眠ってゆく。あの時間は夢だったのかもしれない。
記憶に残らないのを嘆くことはない。また、同じようにひとりになれば、同じように記憶が蘇えるのだろうから。

3日目(24日)

◆朝

5時半ころに目が覚めたので、そそくさとテントを片付けた。すぐ出るのももったいないような気がして、昨日、スーパーで買ったトマトをかじりながら地図を見る。お土産を買わなかったなーと思ったので、りんごをBOXの奥に、フリースに包んでしまった。6時15分に走り出して1分も経たない間にポツリポツリと雨粒が落ちてきた。

◆帰路
雨の木曽路をひたすら走った。こんな本降りをこんな長時間にわたって走るのは久し振りのことだ。木曽路の雨は冷たい。

秋雨や しばし別れの木曽路かな  ねこ作
別れ雨 思いとどめる中仙道  ねこ作
振り向かず手を振り別れた馬籠宿 ねこ作

季節は秋ではなかったものの、冷たい雨の中で何度も別れて、あげくの果てには結ばれずにいる人がこの世のどこかにいる。ひとりで走り続けると、どうもセンチになっていけない。

柿の実の雨にうたれし奈良井宿 ねこ作

この雨で秋も深まることだろう。柿の実がやけに枯れて見える。赤い実は、透き通るような青空がよく似合う。


2003年9月22日から24日:レポート作成後、あれこれと書いてます

口ずさむ

◆ちょうど、相米慎二監督の「風花」を見たこともあって、あの小泉今日子の「可愛さ」と「魅力」に惹かれていた。何度も映像を見て、最後の山小屋のシーンで登山者が夜の食事の席で「♪ピヨピヨ~♪ピヨピヨ~」と歌うシーンがある。あの音楽が何度も何度も口をついて出てきた。私も俳優としての小泉のような女性に巡りあってしまったら、人生を棄ててまで何処までも狂ってしまうだろう。いや、狂えるように夢中になれるものを、枯れた心が望んでいるような気もした。あの音楽は、哀しい。

◆♪旅に疲れた恋人たちにさすらい人の子守唄を・・・なんてのも歌ったなぁ。

◆三河の山中を走り、青空を見上げた。昔、吉田拓郎が「♪流れる雲を追いかけながらほんとのことを話してみたい・・・」と歌っていたのを真似して大声で歌ってみたりしている。あの青空を見たら、歌いたくなるんです。

◆♪あなた変わりはないですか、日ごと寒さが募ります・・・ってね。やっぱし、寒さがこたえるとこういう歌が出てきます。まして、思い出深いところを偶然にも走っていたりするとねぇー。

◆歌ったうたは数限りないと思う。すべてを思い出せるわけではない。しかし、また旅に出れば、また同じ歌を歌っているだろう。

喜ぶ

◆さざなみが光り輝いていたこと。四日市の海。

◆中川根の町のスーパーで、明日の天気を心配していた私に、「明日は晴れるって、そうらしいよ」と軽く言ってくれたあのおばさん。

◆奈良田温泉を出てこれからの行き先を考えているときに、私のKLEとまったく同じKLEの人が現れた。相模原からだと往復で300キロだから日帰りだって言っていた。彼のKLEは6万キロ以上も走っているらしい。最初に挨拶に交わした言葉は「珍しいですねぇー」だった。

◆白州の道の駅で水が沸いているんですが、ちょうどペットボトルが空になったのでラッキーでした。

◆松香寮の管理人さんが、106番コレクトコールがうまく繋がらずに困っている私に、使っていいよ、と電話を貸してくださったこと。

思い出す

◆甲府盆地を走っているときに、初めてツーリングに来て雨に降られそうになった街が似ていたので思い出した。あのころはブーツカバーなんてのを知らなかったので、雑貨屋に寄ってゴムの長靴を買って荷物にくくり付けた。そして、あのころは、停まることも惜しまず、必要と思えば迷わずに実行した純粋さがあった。

信州・上州の旅 (1996.4.27-29)

【4/27-1はじめに】
四国の話が話題に出ているのを読むと行きたくなる。でも東北の高湯や喜多方、盛岡などへもまた行きたい。散々悩んだ結果東北に行く事にした。青森の三内丸山遺跡を見てこようというのが今回の大きな目的になった。さて、前日に寝る段階になってもまだアプローチが決められず迷っている。富山のQちゃんのキャンプに寄って行こうか。名古屋市内は混むから奥三河を通って行こうか、東海道を通って山梨のおりえちゃんに一目だけ会ってから行こうか。悩んで答の出るものではないから早々に寝る事にした。いつもより燃えるものが少し少ないのかも知れない。だから、夜が明ける前から目が覚めないのか。外が明るくなってきた頃に起き出して二時間ほどかかって荷物を詰めて支度をした。英会話入門も聞かずに荷物を詰めている。しばらくさぼる事になるので少し引け目を感じながら荷物をバイクにくくりつけた。

【4/27-2出発】
ラジオの講座が終わる頃(7:00)に準備完了となる。ちょうどうちのんが起きてきた。出かけ前の写真を二枚撮ってもらって暖気運転は近所迷惑を配慮して省略しスローペースで家を出た。R23を北に向かう。この時はまだ富山に行くか伊那谷方面に行くかを迷っている。次第にペースが上がってくる。休日を楽しむ車よりも仕事へ出る人の車の方が多いだろうか。四日市市街は普段の土日の早朝よりもずっと仕事色が強い。名古屋方面に向かう事にして富山は諦めた。伊那谷を越えて軽井沢方面から上州を越えて信越に入ってから東北を目指そうと考えている。

【4/27-3名古屋郊外】
R23が名古屋郊外をおよそ回り切った頃、豊田方面に曲がって稲武町から平谷村を通り伊那方面へと行くのだが、豊田市郊外で渋滞が待っていた。これには頭に来たが、隣に止まったパトカーの助手席の警官に

---凄い渋滞ですねと尋ねたら
---いつもだよ、この辺は

とにこやかである。警察官の皆さんもお仕事、ご苦労様である。まあ、こんな渋滞だから猿投グリーンロードができたのかな。そう思いながら飯田街道を北へ北へと走っていく。

【4/27-4飯田街道】
平谷村で「ひまわりの湯」という道の駅ができている。人気もありそうで駐車場も車で一杯だ。寒原峠を越えて「おんびら」で蕎麦を喰うが、そこで前に座った夫婦の人も浜松から蕎麦を食べて風呂にはいるのが目的だと言っていた。お昼を少し回っていた頃にちょうど蕎麦を食べて満足である。ここが話に聞いていた有名蕎麦屋なんだなと思うとミーハー的に満足である。味は…旨い方だと思うが、私の蕎麦感は随分ひねくれていると自分で思うからあてにならない。

【2/27-5伊那谷】
飯田から松川方面に向かうのに高速道路の下の道路を走った。農道と書いてあったので期待をしていったがはずれだった。結果的に時間が掛かって疲労が増したか。南アルプスの山々が壮大である。少しでも近づいてみたいなあと思う。地蔵峠や分杭峠にも寄ってみたいがまたもや今回もお預けにした。先を急ごう。高遠の桜はまだ咲いているのだろうか。渋滞してるだろうな…と思いながら見て行くことにし火山峠を越えた。快適な峠である。しかし、高遠の高台に桜が見え始めると車が滞り始めた。町の真ん中ではお盆正月の渋滞並みになってきた。一番公園に近づいて見える所付近からわき見で眺めた。素晴らしい桜である。GWに咲いてくれたのはラッキーだった。例年ならもう少し早いのだろう。得したなあ。

【4/27-6諏訪】
さて杖突峠を越えて諏訪の町を見おろせる所までやってきた。桜のせいで国道の交差点は混雑している。ややうんざり気味に大門街道を目指す。ビーナスラインが無料になってから初めてかも知れない。大門街道への分岐点でウロウロして右往左往する。蓼科山が三角にドンとそびえている。もちろん真っ白である。家を出る頃は麦草峠を越えようというプランも少しはあった。心の中には越えたい気持ちと幻滅を怖がる気持ちが交錯していてここまで走ってきた。今日越えるのはやめてキャンプ場を探そう。温泉が近くにある方がありがたいやと思ったから麦草には向かわなかったのであった。

【4/27-7大門峠越え】
白樺湖は毎度幻滅するがやや飽和した感じだ。大門峠を越えてさて今夜の寝ぐらを探さなくては。。。鹿教湯に行けば何かあるかも知れないぞ。温泉に入ってゆっくりテントに入ろう…って筋書きで温泉を目指す。共同浴場を探して往復したが見つけられずあっさり諦めて別所温泉に行く。

【4/27-8豆石峠】
石峠[910m]である。これでも県道??とぶつぶついいながら越えた。狭いが綺麗な舗装である。雑木林の山を走る。いやぁ、雑木林だったかどうか分からない。まだ林は冬のままの感じで、新芽はそれほど目立たない。

【4/27-9別所温泉】
尾根を走って別所温泉に辿り着く。まだ五時頃だったのでキャンプ場所を探す。まず公園。別所公園というのがある。駅前のスーパーのおじさんに尋ねたらいいところがあるよと言って教えてくれたので意見が一致したな。でもアベックが多いという事と山の中に少し入るので寂しかった。明かりはあるのでやはりあそこにするべきだったか。。。と後悔。廃校になった別所小学校がスーパーの裏にあった。お風呂に先に行く事にした。おじさんの薦めで「葵の湯」に行く。 \100と洗髪料\10である。昔に来た時は\30だった。随分昔の話だなあ。さて最適の絶好地にテントを張ろうと思いきや、風呂から出てきたら若いヤンキー風の坊や達がミニバイクに乗って集まってきてウーロン茶を持って花見の準備だった。酒でないところが後で考えるとおかしい。

【4/27-10夜】
ここと決めて温泉に入りに行ったのに、仕方なく温泉を下りる事にした。長野大学そばに自由の森公園というのがあったのでここに決定した。桜の花の下では家族で花見をしている人がいる。その四駆のライトを借りてテントを張った。テントの骨をクロスに通すのをミスってなかなか張れず苦心した。汗だくだ。一緒に飲みましょうヨという声に誘われて焼酎をご馳走になった。いい気になって飲んで、スキっ腹に別所温泉のお湯が入っていたうえにお酒をブレンドしてしたたかに酔ってしまった。御礼を言ったかどうかも記憶にないままテントに潜り込んだが夜中に気持ちが悪くなって目が覚めた。何も喰ってないのだから何も出ない。真っ暗なテント中で出口のファスナーを探すうちに苦みがこみ上げてきて粗末をしてしまった。下の粗末ではなかったが、ややテントが匂う。こういう時ってめげるなあ。

【4/28-1車坂峠】
暗がりでどんなふうに拭き取ったのかわからないけど朝を迎えた。決してすがすがしいとは言えなかった。高峰高原を目指してみることにした。湯の丸高原に行きたかったからだ。しかし、車坂峠までは上れてもその先は通行止めで、湯の丸方面の行けそうにない。てっぺんまで行って引き返してきた。昨日のお昼はポカポカだっただけに少し高いところに行くと寒い。まだ日差しが弱くてわき腹がぞくぞくする。上田盆地の景色を春がすみの中に眺めていてもいつもならこみ上げてくる感動もない。寒さと空腹のせいだろう。朝食にする焼きそばパンとマミーを軽井沢のコンビニで買って峠の茶屋に着いた時に食べた。

【4/28-2峠の茶屋】
浅間に登るアベックと少し言葉を交わした。バイクの数が目立つようになってきている。日曜日という事もあろうか。鬼押し出しには行かずに長野原方面を目指す。この時にはもうすでに頭に中に「四万温泉」を浮かべていた。長野原から中之条までは眠い道を我慢して走る。結構疲れが残っているみたいだ。四万温泉はまだか、まだか。。。みんな同じ方向に向いて行く車が四万温泉に行くR353になるとぐっと減った。甘い予測は禁物だけど人は少ないかも知れない。。

【4/28-3四万温泉】
看板の矢印で温泉街へと曲がったらすぐ左手に温泉が見えた。何かありそうなので曲がった。駐車場は満杯である。公共の温泉施設「清流の湯」である。 \500/2h。お湯から上がってきたおばちゃんに聞いたらえらく薦めてくれるので入ってみることにした。新築みたいなので係りの人に尋ねたら4/1にオープンしたばかりという。休憩所に食べ物を持ち込んでも出前を取っても構わないそうです。施設の前には散歩コースもありベンチもある。さてさて、お湯に行きましょうか。まだテレビなどにも紹介されていないらしくGWのこの時期にしては人が少ない。大勢の人がお酒を飲んだりして休憩室でくつろいでいる。湯舟はガラガラ。露天風呂がいいというのが皆さんの感想のようだ。お湯は無色で透明。きつい匂いもない。湯量は豊富でどんどんと溢れ出ていく。露天風呂は川に面していて(他人だから仕方がないが)皆さん難しそうな顔をして湯舟に足を突っ込んで河原の景色を見ている。

---ほんと、イイお湯ですね
---そうだろ、ここがこの辺では一番いいよ

上州の言葉は再現できないが、年輩のじいさんの顔がくしゃくしゃになった。苦虫を噛み潰した顔も湯舟の中で言葉を交わせば旧知のそれに変わってしまう。皆さんの会話は、私の発した言葉で急に弾んでとどまる事がなかった。

---上州は何が美味しいの?
って聞いたら「うどん」だと教えてくれた。また私のテーマがひとつ増えた。嬉しいな。松阪肉の話なども出ていつまでも話が続く。春の日差しにしてはきついくらいで、露天風呂でも日陰の方に寄った。絵で書いたようにキラキラと輝きながらお湯は浴槽から溢れ、流れ出ていく。いろいろ話を聞いていると、温泉街には無料の公共浴場もたくさんあるようです。お湯が豊富だから出きることらしい。後で行く草津の公共施設も人が溢れていたが、混雑する時期はとりあえずこちらにした方が得策みたい。

【4/28-4暮坂峠】
四万温泉から暮坂峠[1090m]を越えて六合村の役場の前に出て草津温泉を目指した。初めて草津温泉を訪れた頃に通った道である。まだ随分と若かったので旅感も違ったものを持っていただろうな。しかし変わってくることは進化でもないのだから、昔の様な旅感に戻ってみてもいいのかな…などと、ぼんやり考えている。上越の山々が白銀に輝く遠望風景が少しづつ変化するのを楽しみながら、カーブをひとつひとつ抜けて行く。イイ湯だな♪なんて鼻歌気分である。

【4/28-5草津温泉】
草津温泉という所は不思議な魅惑を放つ所温泉で混んでいることがわかっていながら湯畑の前を通ってしまう。うちのんとタンデムで来た時に泊まったホテルも新しく立派になって、あの時バイクをしまってくれたガレージの面影はなかった。湯畑の前には何をしているのかをまったく想像できない多くの人がベンチに腰を降ろしている。温泉風情を楽しんでいるのか。銀座の歩行者天国に硫黄の匂いを漂わせたって変わらないやんか。みんなファッショナブルで、カメラを持って走り回る。でもそれを結果的に私は見に来たのだった。

【4/28-6白根山】
白根山に上っていこうとしたらいきなり観光バスの排気ガス攻撃に会う。イラついて抜こうとしたら対向車が現れた。危なかった。命拾いをしたな。やはり冷静さをなくしてはいけない。こんな所で仏になるのはゴメンだ。当時では珍しかった写真葉書を作ったのもこの白根山での記念撮影である。展望台で少し景色を眺めた。見知らぬおじさんが声を掛けてくる。三重県ナンバーをみて話し掛けてきた。

---三重のどこから?
---松阪です
---肉の旨いところだねぇ、いいなあーひとり旅は。。。

ひとり旅と言って羨ましがられると、何だかとっても得をしたことをしているみたいな気になってくる。雪は5メートルとも7メートルとも見学者が好きずきに言っている。湯釜の前の駐車場も雪で少し狭いし勝手が違う。少々の渋滞を抜けて万座温泉方面へと向かった。

【4/28-7万座峠】
風が最高に気持ち良い。冷たい。しかし、凍るような冷たさではなく、春の風なんだな。志賀区域に下りて行くと恐らく又混雑してるだろうから、万座峠に行く事にした。プリンスホテルの脇を通り県道へと入る。きちんと除雪がなされていて、乗用車も対向できるようになっている。雪の壁の中を走る。雪解け水が道路を横切るので、ハネが飛んでバイクが汚れるなあ…と思いながらのんびりと景色を楽しむ。ダートも覚悟(少し期待)していたのだが全面舗装だ。オフ車には何台もすれ違う。(オンも含めて)彼らとはコンセプトがマッチするらしく、こういう場所で逢うとピースを出す瞬間のタイミングが非常にスムーズだと思う。本来なら樺の木などが一面に生えた高原気分を走るのだろうが、雪のおかげで違った味を楽しませてもらっている。山田温泉が見おろせるところに展望台があったのでバイクを止めた。高低差が思ったよりある。何げなしに地図を見ていたらすぐ隣の道なのになあ。谷の向こうに林道が延びている。鎌田林道だろうか。ああ言うのを見ると行きたくなるんだよなあ。

【4/28-8須坂市から】
須坂市まで下りてきて長野市の薫さんに電話を入れた。随分と久しぶりである。たわいもない話をしてカードが減っていく。さて今夜は戸隠と決めていたのに YHに断られすったもんだで浅間温泉YHを目指す事にした。猿が馬場峠と風越峠を越えて浅間温泉に直接到達というわけである。風越峠は快適な道だった。今度からうまく利用しよう。保福寺峠などの看板も目についたが今日は時間がないから位置確認だけである。

【4/28-9夜】
共同浴場が近くにあって\200である。そんなにでっかいわけではないがとってもアットホームな感じ。この風呂で逢った東京から来たライダー君も誘ってやった。後に部屋で再会した。夕飯はコンビニでおにぎりとパン、酒屋でビールを仕入れて部屋で飲んだ。浅間温泉YHの部屋で相部屋になった人に井上貴はアウトライダーのpatioの常連さんでこれから長崎に帰るという。名刺を頂いて消灯の10:00pmまで話が弾む。電気を消したらみんな静かに眠っていったのだろうか。私はすぐに寝たが、大いびきで眠れなかったってことはないのだろうか。。。

【4/29-1朝】
今日で帰る事になった。うちのんがお腹をこわして倒れていると言う。天のお告げなのだろうか。安雲野に寄って、御岳に寄って…と頭の中で考えながら松本市内を抜けた。

【4/28-2安雲野】
北アルプスの真っ白の峰は何度見ても雄大で、大王わさび園からもゆっくりと眺めた。大王わさび農園でNHKの「小さな旅」の取材をやっている。スタッフの人達がわさび園のそばを流れるせせらぎにパンツになって足を突っ込んでカメラを回していた。関東ローカルで20分ほどの番組だそうです。関西弁の私には見られないのが分かったのか、残念そうな顔が出てしまったのか

---BSでもやりますよ…やったかな…やると思うけど…
と言ってくれた。5/25の放送だって言ってた。早朝に行ったので「わさびアイス」は我慢して少し散策した後「道祖神さま」を探しにもう少し西に向かうことにする。以前にカメラマンさんが教えてくれた道祖神さま達に会いたくてソワソワしているのである。穂高の駅に寄った。それらしいミーハーな女性二人連れなどが歩いている。でも清里みたいにチャラチャラしてないからのんびりするわ。駅でポスターを見たら「安雲野わさび祭」ってのが5/18,19にあるらしい。何をするのだろうか。。。この散策は今の季節はぴったしで正解だった。新緑の山に花が咲き、でっかい農家の庭ではこいのぼりが泳いでいる。このあたりは旗みたいな「のぼり」も立てるみたい。文化にも触れることができて満足だ。林檎畑の中を自転車ほど速さで散歩するように移動をした。畑仕事のおばちゃんに話を聞いた。花はいつもより少し遅いという。長野市の方の河川敷で咲いてた花は何だろか…って聞いたら、「あんず」か「もも」だろうと教えてくれた。サラダ街道はどっちですか、と問うたらこっちだよ、と教えてくれる。おばちゃんも知ってるサラダ街道なのである。

【4/28-3木曽路へ急ぐ】
さて、開田高原を目指すためにR19を南下し始めた。単純でつまらない道だけど時々すれ違うバイクのピースが活気を戻してくれる。日帰りで走っている人、これから帰る人、出かける人。木曽福島に着く直前で話したなにわナンバーのCB1000の男子はこれから帰ると言う。そのまま帰るのがつまらないと言うので開田高原と御岳周回道路を教えてやった。その気になってくれたようだ。楽しい旅で締めくくれるように願おう。姫路ナンバーのデグリーの女の子は今日は乗鞍高原ですという。乗鞍と白骨の温泉の話をしたら、風呂上がりが嫌いだと言っていた。必ずしも温泉好きとは限らないもんな。

【4/28-4地蔵峠・旧道】
素晴らしい峠であった。滝がある。唐沢の滝?と書いてあったか。思ったより険しかった。途中に二本木湯というのができていて賑わっている。

【4/28-5開田村】
岡さんに逢うために開田高原に行くのだが、彼女も忙しそうでおまけに後輩が来ているみたいでお話なんてできない。馬術部の後輩で…という話声が聞こえてくる。TV取材での苦労話が聞きたかったのだが。乗馬ができるようになったんですと生き生きと話してくれた。みんなに宣伝しておかなくては。毎度のことではあるが、そばを村営の食堂でいただいて帰途に着く。

【4/28-6中津川から高速道路】
安全と時間節約などを考えて高速道路を選択した。中央道は車が多い割には春日井インターは混雑していなく、市内の車の流れもいいようだった。わが家到着時刻は六時過ぎだった。

1983年の東北〔幻の東北旅〕

1983年の夏は、アンニュイに始まった。はじめての東北は、センチメンタルな旅でした。それで私は東北が嫌いになってしまったかのように、北には足を踏み込めなくなってゆくのです。思い出は化石のように風化してゆくけど、私が生きている間だけ消えなければいい。

◎--------------------------------------------------

7月28日〔木曜日〕 はれ

朝5時を少し回ったころに目が覚めた。別に早く出発するつもりはなかったけど、気持ちがその気になったら出掛けるしかないか。前日から用意してあったタンクバックとディパックをバイクにつけて、さあ出発。ちょうど青山さんちの純子さんと家の前で挨拶を交わしてエンジンをかけた。AM5:45だった。

丸太町通りまで出て、トリップメーターを見たら「11739」であった。どこまで走るかは決めていない。もう嫌だというところまで思うほど走ってくるつもりだった。

天気は良いし、太陽が昇り青空が広がっていた。とにかく信州へ、そして千鶴子さんの所へ・・・、このことだけを考えての出発だ。だから好天なのが何よりも嬉しい。

京都市内を抜けて滋賀県に入る。旧中仙道であるR9に入り関が原方面へと向かう。左側に新幹線のあるところで第1回目のピースサインを交わした。

左側に伊吹山が見えるはずなんだが雲が掛かっている。しばらくして雨がパラパラときた。太陽が出ているのに降っているのは「狐の嫁入りというのです」なんていうひとりごとを言って不安を忘れようとする。

R8からR21へと移って岐阜市内に入る。軽トラのおじさんが信号で止まっているときに「暑いでしょうね、革を着て・・・でもかっこいいよ。どこまで行くのだい?」と聞いてきた。

「北海道に行くんだ。10日間の休みで・・・」と答えて別れててしまう。十六銀行というのがある。道端のスタンドでそこを教わったので探す。けれどお少し迷って、やっと見つけて3万円をおろした。9時ちょうどだった。

このときには白川郷から高山を抜けて平湯のほうへと考えていたが、何だか遠くて疲れそうだし…と思ったら、少し近いほうのルートに変えて走ることに決めていた。ゴールデンウィークに安藤が走った白川街道を走ってみたかったが、既にめげていた。

岐阜から少し遠かったR156と別れてR248に入り、そしてR41へと、何かに引かれるようにただ走っている。

飛騨川沿いのこの道は、車もそれほど多くなく谷間をくねくねと続いている。金山町、中切だったと思う。ダム湖のそばにある店で11:30に昼食とする。

カツカレーを頼んだけど、食べ切れなくて、珍しいこともあるね。手が震えて・・・。疲れているんだなと感じる。
けど、とにかく米を腹いっぱいに入れなくてはいけない、と思ってがんばるけど、やっぱし残してしまった。

店の人が「乗鞍はいいところです」といっていたのが有料道路に行くきっかけとなってゆく。

高山市を抜けてR158へと入る。去年の秋に走ったところだ。そしてここはゴールデンウィークに安藤に会いたくて走ったところでもある。

平湯に入るまでにガソリンを入れた。詳しいことは残念だがメモにない。

乗鞍スカイラインに行くことにする。高さを稼ぐところで馬力が落ちたかと思わせる。寒い。何もかもが高いためだ。

2700メートルくらいの終点のところでしばらくぶらぶらしていたが、降りることにした。高原のほうに行くことにした。去年の秋にも下ったルートだ。懐かしい風景を見てまたR158に戻って松本市へと向かう。

3:00PMを少し回ったころか。上田まほろばYHに泊まろうと決意する。松本市内を抜けてR143へと行く。

青木峠というところを走って行けば上田市に抜けられる。峠に入る前にYH に電話を入れてOK。

実はこのOKはとてもラッキーだったのです。バイクの人が2人居たけど、出掛けて戻ってくるまでに接触の事故を起こして、急遽東京に帰ってしまったのだそうで、そこへあたしが電話を入れたんだそうです。

YHには5:30PMに着いた。京都の人がたくさん居て、工芸繊維大学と京都大学の人の住所を教わってきた。

T.M. 12183 本日444キロ。

◎--------------------------------------------------

7月29日〔金曜日〕 はれ

天気はよく、まほろばYH の前で記念写真を撮って出発となる。8:45AMであった。今日のコースは昨晩にほぼ決定していた。

まず菅平まで行き、草津に向かう。R143を走って上田市に入り、R144に移って鳥居峠を目指した。特に印象がないところだが、5月に霧の中を走った菅平高原の入り口を、妻恋村のほうに向かった。

ハプニングとして大きな事件があった。国鉄バスと接触をするところだったのです。結構見通しのいい2キロほどある直線で、普通車が1台だけバスについて走っていた。ずっと後方から追い上げて近づいていった私は、バスを抜こうという気持ちになっている。そのとき、バスが右にウインカーを出した。そして戻して、再び出した。

ラッキー!抜けのサインだ、と思って右に抜きはじめて、まさに抜こうとするときにバスが右に曲がってきたのだ。もう止まれない。時速100キロ以上は出ていただろうか。右側を必死で抜けた。バスの風圧が私に届くのがわかった。バスのブレーキのエアーが抜ける音を背中に聞いて、助かったとほっとしながら、胸がどきどきして止まらなかったヨ。

「追い越しは気をつけろよ、スピード出すなよ」とつぶやきながら鳥居峠を越えて、万座温泉へとバイクを進めてゆく。

CBXは快調だ。天気もいい。だから万座ハイウェイは楽しめた。温泉は硫黄の匂いで、それが谷じゅうに充ちている。ここももう一度来たいところだ。

白根山の頂上にまで人の列が並んでいるのが見えた。人でいっぱいだったけれど、風景は最高にいいところだ。この辺りを見たら他の場所ではなかなか感動しないだろう。硫黄の匂いが風に乗って草津温泉の方からやって来る。

草津道路はR292.。そして長野原に下りてR145を吾妻町に向かって走って高山村を通って沼田市に出る。東北新幹線の線路だけが近代的である。R17に出る。

三国峠。53曲の峠でカーブひとつひとつにR25とかR40などと示されている。運良く前方に車なしで最高の気持ちで峠を越えた。

さて、今度は湯沢あたりと思っていたが。CBX650にのった山口に似た感じの人と外人さんと、スタンドで話をする。外人さんは当てのない旅だそうだ。

湯沢で給油。 1800円 12リットル 約350キロ。

カナディアンロッキーという店で休んで、地図を見て只見YHに電話を入れた。3:30PMころ。

只見まで1.5時間ほどだ、と店の人が言うので走り出した。R17からR252へ。

田野倉ダムまで1.5時間ではとてもじゃないが行けない。地元の人たちはみんなが1.5時間というが、無理だ。

六十里越えトンネルを抜けてダム湖が見えたとき、ああやっと只見だ、と思っても少しもダムは来ない。なんてでっかいダム湖なんだろう、そう思うことしきりだった。

ダムで30分ほど休んだ。5時PMころだった。店は町営なのだろうか、閉めてしまっている。その後、只見町に降りた。YHに飛び込んでひと息ついた。

仙台から来た国鉄職員の人と2人だけ。女子高校生が4人勉強に来ていた。夜、彼とビールを買いに出て歩きながら飲んだ。昨夜は飲めなかっただけに天の水だ。ぐっすり眠れた。

夕方5:30只見YH着。T.M.12493 本日310キロ

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7月30日〔土曜日〕 曇り時々雨

只見YH を出るとき何とか天気は良かったのにR252を猪苗代に向かって走っている間にパラパラと来た。会津若松に出るこの国道の途中で雨具を着た。しかしすぐにやんだので脱いだ。さて、今夜は困ったものだ。泊まる宿が決まっていない。

とにかく猪苗代湖に出てみた。海みたいな湖だ。大きいから湖という感じはしない。汐の香りがしないから何となく味が出ない。

R252からR49にすでに移っていた。このあたりは磐梯朝日国立公園である。残念ながら一番見てみたい磐梯山には雲が掛かって見えない。

猪苗代湖から磐梯山の東側を回って裏磐梯に出た。五色沼に行ってみたが人ばかり。ひとつだけ沼を見て、駐車場でXL250の人と話し込んだ。筑波から来たとのことで、CB750にも乗っているんだそうだ。

天気が今にも崩れそうだ。2時過ぎ、ここを離れてR115に出て吾妻小富士のほうに向かう。土湯峠を往復して猪苗代湖を回っているR49に戻ってきてしまう。

YHはいくつかあったけど、今ひとつで、泊まる気になれず郡山へと降りてきてしまった。市内に入るとパラパラと降り始めた。駅前のほうに走ってみたり、戻ったりで、開成山公園というところで雨宿り。少しやんだから、また、大槻町を探して出発するけど、土砂降りに遭う。ガソリンスタンドで雨具を着て詳しい住所を探し当て、千鶴子さんの家の近くまで行った。

6時前だった。家に電話を入れた。それが家のすぐ前のボックスだったから、知らないって恐ろしい。7時半くらいまで待っただろうか。彼女は帰ってきてかなり強引に家に泊めてもらうことになった。

夜遅くまで話をしていた。夜というか、朝の5時くらいまで話していた。

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7月31日〔日曜日〕

朝起きると雨は上がっていた。お母さんとお兄さんと彼女と4人で食事を取って、写真を撮って、彼女を乗せて出発。猪苗代この方に向かうけどパラパラ・・・。ああ。

あぶくま洞というところがあると言うので、郡山市内を抜けてR49をいわき市の方に向けて走る。10キロほど走って、そこからそれてあぶくま洞へ。

雨が途中から強くなり私だけが雨具を着けた。三春町の方へ回って郡山市に戻った。

今夜の宿は、ワシントンホテルだ。バイクが心配なので駐車場に入れて荷物を降ろして・・・。

いつの間にか日が暮れていた。

夜には酒を飲んで、ホテルの階上でさらに食事をして、部屋に戻ったのが10時過ぎ。

バンダナを買ってもらった。思い出の多い1日だった。

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8月1日〔月曜日〕 雨のち晴れ

朝起きると雨だ。うんざり。もう走りたくないし、郡山を離れたくない。

けど、思い切って北に向けて出発。

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8月2日〔火曜日〕

唐桑YHから田沢湖まで。

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8月3日〔水曜日〕 雨のち晴れ

田沢湖から那須まで。

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8月4日〔木曜日〕

那須より安藤の家まで。

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8月5日〔金曜日〕

古里へ。日記は、中途半端で終わっている。記載することがなかったわけではないだろう。そっと自分の心の奥にしまっておくことだと思っていたのかもしれない。20年も前のことなど、断崖から飛び降りるなど、死ぬ間際に直面しない限り思い出せない…。

1995年春・煙が目にしみる 四国・中国篇

煙が目にしみる('95春篇)ねこさん

奥飛騨~金沢の旅を終えたGSXFを冬の間も私は通勤に使い続け、入院前にはカムチェーンも緩んでカラカラと今にもぶっ飛びそうな音を立てていた。煙の出具合は今になって思うと二年間も無理して乗った事もあって、当初よりも多くなったかに思えた。冬場はチョークを引くので余計にそう思えたのかも知れない。こんな病を持ち続けたままで九州や東北、奥飛騨、金沢と走り回った去年の私はGSXにとったらとんだ罪悪人という事になる。まあ、許してくれや、夏には復帰だ。

永く病を治癒するためにやっとの思いでメグロさんに渡したのが3月の初旬だった。月末にはコンサートを控えていることから、その練習に忙しく乗ってやる暇が最も少ない時期だと判断したからであった。その時にメグロさんには「4月になったら乗りたいので」言ったつもりであったが、メグロさんの都合もあり遅れ気味となり、「ゴールデン・ウィークには間に合わせて」とお願いするも虚しく、天候の意地悪もあって退院は4/30となった。そのあとから早速乗ってみた。

--まだエンジンが重いのでとメグロさんは言う。

すぐにでもツーリングに出たい私に、

--物理的には、50Km走れる物は1000Km走れるわけで

と説明をしてくれる。早い話が、出かけるのは無謀と忠告してくれているようにとれる。真意不明。

--しかし、速度は法定並で走って行かなくてはなりません。ロングの件ですが、まあ前例がないので。

メグロさんの心使いでガソリンタンクに1/100のオイル(10cc)を混ぜてもらった。これは当たりが出ないメカ部品に対しての焼きつきの防止の為である。やはり低回転で登る坂道では、後方から誰かに引っ張られているようなほどに前に出て行かない。これは、ボーリングの直後の為か、エンジンの特性自体が変わってしまったのか。

試運転を繰り返すうちにやはりツーリングに出るには無理がありそうだと感じ始めた。天が慰めるように雨を降らせてくれるので諦めもつく。(ツーリング中断の人には申し訳ない、慰め合いましょう)そんなわけで、ゴールデン・ウィークは読書をしたりして有意義?に過ごさせて頂けそう。

エンジン音は新車の時のように静かになり、アイドリングの時は振動も少なく、加速時には電動モーターの様に回り始める。肝心のオイル燃えについては、低回転でしか確認ができないが、煙の出はおさまった様子である。まだ予断は許されないが。

250のマグナがもう少し早く出ていれば修理を止める事も考えたかも、と思いながらしばらくはまたこいつと付き合う事になった訳である。

低回転のトルク不足は、今後ずっと付き合う事になるかも知れないが、もう100ー200Km程はトロトロと慣らして見ようと思い、いやその必要がありそうなので、50Km程度の日帰りのツーリングを繰り返していかなくてはなるまい。

さて、残されたゴールデン・ウィーク、どんなふうに走ろうかな。'95.5.3ねこさん

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旅日記('95GWツーレポ)[1]<四国>

副題を【煙が目にしみる('95GWツーレポ)】とします。

GSXが煙を吹き始めて以来、二年間に渡り(一部で)書き続けた「煙が目にしみる」の完結篇をここにツーレポと兼用で残します。 

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----<<まえがき>>----

■雨は嫌だ。季節の変わり目には雨が多い事はわかっている。GWの半分が雨降りであることも覚悟している。けれども、雨が降ると気持ちは冴えない。連休初日、4/29も朝から雨だった。メグロさんは雨が止んだらGSXを届けましょうという。雨の中で受け取ったところで出発できるわけではないから、早々に諦めて家族と買い物に出かけた。休日の連続雨記録を更新中だそうで、この日で5週目とか。仕事で走るわけでもないので、晴れるまでは家族と暇つぶしでもしようか。安易にそう考えたが、GWの天気予報に晴れマークが現れず、そんな苛立つ日が5/1になってもまだ続いた。そんな状況でも、後半からは晴れてくるだろうという希望的予測も棄てられず、もう待てないから5/4には出発!と決めた。

■行き場所は山陰である。GSXの煙を初めて見たあの鍵掛峠に行こう。そうぼんやりと考えている。どこかに「こだわり」がある。が、そのパワーはいつもより弱い。それでも山陰なんだなあ、あれだけ四国は素敵なブルーアイランドだってみんなに薦めておいても。

やっぱし「こだわり」だけで走ってるんだよ。

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----<<5月4日>>----

■さて、5/4の朝。天気ははっきりせず、どんよりと霞がかかったような空だ。空気は生暖かい。去年のツーレポを引っ張り出して出発時間を確認すると、8:30に家を出て和歌山港に12:15に着いている。--お母さん、9:00には出るわ。それから、バンダナ探して。

平日と同じくらいの時刻からドタバタし始めた私に起こされて、うちのんも目が覚めたようだ。ごめんごめん。そういえば昨日の夕方、裏のTちゃん(小2)が--Aちゃん、子どもの日、何を買うてもらうの?(返事も聞かず)僕なあ。プラモデルや。

バイクに荷物を積み始めたら娘が出てきた。--おみやげ、何にしょ。お饅頭か。--うん。

8:30を1,2分過ぎていたかも知れない。さあ出発だ。まずは高見峠である。

■100%元気…忍たま乱太郎の主題歌を鼻で歌いながら軽快に走って行く。光ゲンジの歌だと子供が後で教えてくれた。知ってるところがほんのさわりだけであるため、そこばっかしを繰り返し歌っている。何て滑稽な姿だろう。でもみんな似たようなものだと思う。

■高見峠を通って和歌山港まで。GSXのシリンダは「新車の時よりも加工精度が悪いので慣らし運転は慎重に」とメグロさんから聞いている。慣らし運転でそんなロングツーリングは珍しいらしく、ガソリンにオイルを1/100だけ混ぜてくれた。(15ccほど)

思いっきり水蒸気を含んだ気団が山の上にあるのか、山頂は霞んでいる。新芽が湧き出るようだ。秋の紅葉は華やかで綺麗だが、春の緑も爽やかでいい。秋と違って新しい物が生まれてくる時のパワーのようなものがある。独特の空気の匂いがする。それに田舎の匂いが重なる。周りの水田はほとんどが田植えを終わっている中、まだ、真っ最中の所もある。大雨が続いた事もあって櫛田川の水はやや濁り気味であった。高見峠の交通量はいつもより多い様に思う。「GWなんだなあ~」と独り言を言いながら制限速度で上って行った。

すべては時間通りである。和歌山港までの道の混雑も難なくこなして12:30に港着。

■13:30発ですよねと言いながら切符を買おうとすると窓口の係員さん(の野郎)が次の出航時刻を表示した窓の一角を鉛筆でつついている。その馬鹿さ加減に心で笑って、怒りを消した。船への乗り場に行ったらバイクが意外と少ない。移動の谷間の日なのかなあ。客室に一番乗りで行けるのはライダーの特権であったが、ポツンポツンと別れて寝ころんでもどうも落ちつかないのでライダーの人の近くに移動した。無愛想な人だったなあ。特に女の子。あまり軽々しい子も困るがもう少しにっこりしてもよさそうだろう。まあ、(彼女は)逆に寂しいのかも知れない。だから話そうとしなかったのかなあ。ソロライダーは孤独なんだよなあ。船内のテレビはオウムの話ばかりで、早く徳島に上陸したい。

■雨が心配。雲行きが怪しいぞ。さて、高知へ行こうと思っていたのだが、南は雨かも知れないと予想すると、瀬戸内海の地方は雨が少ないと小学校で習ったのを思い出し、高松に向かって走って行く事にした。しかし浅知恵だった。雨に降られるならどっちでも同じ。ほんとうに行きたい方に行くべきだった。

■R192~R193脇町から塩江温泉の所を越える峠はなんて言うのだろう。この途中で雨具を着た。でも、高松に近づくと止んで、しばらくしたらここにも雨がやってきた。土砂降り。町のアーケードの中の電話ボックスから屋島山荘YHに電話をした。雨の中のテントは嫌だ、というのが理由である。|どうも今回の旅では、野営実行気力が随分弱く、宿(YH)に甘えて|しまった。でも、もう泊まらない。高いし汚いから。決心は固い。

アーケードの出口で横断歩道の赤信号を待つショートカットのいい感じの女性に後ろより声を掛け道を尋ねた。--屋島ってどっちですか--番町の交差点を…綺麗な人だった。「泣いているのか笑っているのか」と思わず口ずさみながら先を急いだ。

■YHに着いたらすぐ後にグース250の練馬ナンバーの女性が飛び込んできた。初めは女性だと思わなかったので、「この雨のきつい中、狭い駐車場にまた人が来てもう少し後からにしてくれればなあ…」と思った。でも、この子、なかなか積極的でしっかりしていて茶目っ気のありそうな子だった。--法隆寺でぼーっとして、ゆっくりしすぎて…。

昨日は赤目(三重県)に泊まって法隆寺を回って陸を走ってきたそうである。何故、あの法隆寺なのか。法隆寺の話が聞きたいと思いつつ最後まで忘れていたりして機会がなかった。それがこの地でも最も後悔する事であった。

三重高の女の子(二年)にも会った。賑やかで可愛い子だった。私の赤髭みて--画家のMさんと勝手に呼んでくれるくれるではないか。もしあんたの高校の教師やったらどうするんやと言ってやった。職業を隠したから余計に聞こうとする。余計に隠そうとする。

ロードスターの彼氏は鈴鹿の自動車会社の人。三重県の人にこんな狭いところでこんなに会うなんて。明朝、宇高連絡船の前まで送ってくれたが御礼を言いそびれた。

<本日走行距離:283Km>

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旅日記('95GWツーレポ)[2]<中国>

----<<5月5日>>----

■こいのぼりが風になびいている。屋島を一周してみた。8:30を少し過ぎた頃に宇高連絡船に乗った。豪華な船でたったのに\1400は安い。お客さんも少ないように思う。車もぱらぱら。グースの彼女と話が出来なかったのが少し尾を引いて消沈気味の私は船のデッキで海に向かってぼんやりとする時間を過ごした。とても客室でオウムのTV番組を見る気にはなれない。

昨晩の雨水が蒸発して海の上を漂う。それが遠くの島をぼんやりと隠してしまう。カラリと晴れて底知れぬ群青の深さを見せてくれる海ではなく、寝ぼけ眼で見るような海であった。一方で、風はさらりとして塩っ気がない。大きい川を渡る船のよう。

■宇野港から鷲羽山に向かってシーサイドラインを走る。伊勢志摩の海岸をいつも走っている私はちょっとやそっとでは驚かないよ。でもいいところでした。霞の中に浮かぶ瀬戸大橋を眺めながら潮風に吹かれる。玉子ヶ岳という山があり、行ってみれば良かったと少し後悔。面白そうだったのに。

■倉敷郊外を抜けて富峠を越えた。県道である。山の斜面にたくさん新芽を出している果樹は何だろうか。ゆっくり眺めることもなく先へと走った。(何故、北へ…と、何を急いだのだろう)

今回のツーリングはこんな時にもバイクを止めずに走り続けた事が多かった。後で書く美星町での出来事は例外であるが、全般的に走り続けた。何がそうさせたのかわからないが、(どこに行くか決まらず)行き先を決めるのに迷いがあったのと、気分がやはり雨で滅入りきってしまっていたのか。まあ、慣らしなんだし。

■矢掛町から美星町へツーリングマップにも載っているスーパー農道の一部を走った。快適である。飛ばすことはしない。(いつも田舎道をそう書くが)何の変哲もない景色である。そんなふうに周りの景色が妙に落ちついているところがとても好きになってしまった。眺めていると心が落ちつく。可愛い子に出会った時のような感じで、じわっと来るものがあった。したがって、スピードはだんだん落ちていって、ついに路肩にバイクを止めて山々や畑、樹木を眺めた。お茶畑や野菜畑や綺麗に植林された杉の木や桧の山などが幾重にも連なる。近くの斜面には家が散らばってる。安野光雅さんの水彩画の講座を少し前にNHKテレビで見ていた。あの時に出てきた南フランスやロンドン郊外の絵の様な感じである。だいたいこんな遠くまで来て、国道をそれて無名の田舎に入って来て、バイクを止めて景色を眺めているなんて…、失恋旅行でもあるまいし…。

■新見インターの近くまでやっと北上してきた。もうお昼に近かったと思う。2年前の夏にはこのインターから高速で帰ったんだなあと回想しながらいよいよ中国地方の北半分に差し掛かる。

■明地トンネルを抜けると大山が見えた。峠の下りには展望台もあり、一息ついたり地図を見たりして努めて休憩を取るようにした。米子が近づいて来るに従い大山周回道路でも走ろうかと思い始める。実は又、亀嵩に寄って今度は出雲大社にでも行こうかとも思っていたのだが諦める事にした。理由は簡単。明日、京都(亀岡市の実家)に寄ろうと決めていたからである。

岸本町から広大な農作地域をまっすぐ抜ける農道(県道?)を、一気に大山の頂上方向に走った。肥やしの匂いはたまらなく気持ちいいな。ほんと。

■枡水高原は人・人・人でいっぱいだった。しかし、前回に泊まったキャンプ場には、全然テントが設営してなくて、後で考えればここにしておけば良かったと後悔する事になる。やはり夏になると人で溢れるのだろうが、まだ今の季節は少し寒いせいもありキャンパーは少ない様子。道路脇には真っ黒に埃を被った雪が残る。今は虫も居なくて良い季節なので、テントにしなかった事を、帰ってからも悔やんでいる。

■羽合温泉のYH香宝寺に電話をした。とっても無愛想な女の人の応対だったので嫌な予感がした。キャンプにしようと考えを改め始めていて、東郷池の西岸の豪華な公園も見て回った。ここは緊急用にも、計画的にもお薦めである。すぐ前に温泉センターがある。夜中ひとりで寝るまでを過ごす方法を考えてやめてしまった。変にYHに行って人と会話をしている方が楽珍と考えたのがまずかった。やはり、徹底的にひとりになるべきだった。夏なら暑いから夕方になっても走り続け、疲れ果てて野営という事になる事がある。こういう時って純粋に生きているのを実感できているのだと、ぬるま湯の宿に行って思っている。

夕食をスーパーで買い付け、ビールも隠し持ってYHの部屋に滑り込んだ。

■ひっでえYHだった。あんなにYHのトイレってのは汚いものなのか。偶然にも今までが「まし」だったのか。お寺だったので御香の匂いかとも思っていたが、あれはトイレの匂いだぜ。

<本日走行距離:319Km>

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----<<5月6日>>----

■皆さんが寝静まっている時間に出発する事にした。早起きの習慣があり、5時過ぎには目が覚めてしまう。

東郷池を左回りして鳥取砂丘に向かった。近くを通ったら寄らなくっちゃと思い来てみたが、展望台が出来て駐車場が林の中に切り開かれている。観光地はつまらないとまでは言わないが、感激は少ない。お土産を買っただけ。

ここはキャンプ(野営)をするにはちょうど良い林がたくさんあるぞ。>皆さんチェックしておかねば。

■日本海沿いを走る事にした。R9を走って帰るのはしゃくにさわるというのが理由である。いつからか前を250ccのカワサキのバイクが走っている。余部鉄橋のあたりからかな。初めは男の子とばかり思っていたらどうも女性らしい。奈良ナンバーだったので、きっとこれから帰るんだろうなあと思いながら抜いたり抜かれたり。

信号で止まったときに---奈良まで帰るのですか私は出石で蕎麦でも喰ってから帰ります。どちらを通って帰るんですか---生野です(と言ったと思う)

■何故、彼女に一緒に(蕎麦を喰いに)行こうと言わなかったのだろうか。出石への分岐点あたりから姿が見えなくなった。彼女が消えてから、誘わなかった事を悔いている。ばか。

R9は懐かしい道である。今日は(うちのんの)実家まで。鳥取砂丘で買ったお饅頭を子どもに渡すのも楽しみのひとつである。

<本日走行距離:257Km>

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----<<5月7日>>----

■旅が尻すぼみになっているのが気に入らない。しかし、たんまり酒をご馳走になったので、元気が戻ったか。

いよいよゴールデン・ウィークの最後の日である。遊びすぎて明日からの仕事に差し支えてはと考えるところなどはまだまともなところが残っているのか。

■奈良で道草をする事にした。「理由は?」「昨日のカワサキのあのバイクの子のナンバーが奈良だったから?」「ノーだよ。」独り言を繰り返している。フルフェイスの窓から見える目元が、可愛かったんだから。

ほんとの理由は…京都と三重の間の道は走り尽くしたからさ。たまにはスリリングな道を行こうと思っただけであった。奈良市内や公園の近くは人でごった返していた。

奈良から高円山の麓を通って名張に行く県道を通った。田舎の道だ。こういう道って病みつきになってしまう。

<本日走行距離:169Km>

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----<<あとがき>>----

去年の秋の旅(ツーリング)以来だっただけに気合いもあって、早くから荷物を用意し自炊用のコッヘルも音楽室から借りてきたのだった。(音楽室は聖地としか書きようがない/校長先生まさか読んでないよね)革のつなぎも丁寧にクリームをぬってやった。10年物の輝きだった。でもキャンプツーリングをするなら避けた方がいいみたい。

旅先でうちのんに電話でYHに泊まる話をすると---折角準備して行ったのにねえと残念がってくれた。\2980のテントの寝心地は、この5月末か6月初旬まで持ち越しとなった。

今の季節は花が美しい。あちらこちら、山間部を走ったら山藤が紫色に散らばって緑を引き立てている。こんな所にこんな花がなあ、と驚かされる。れんげやつつじはわかるけれど、やはりツーリングをするだけではなく、旅を二倍は楽しむには、植物の名前なども知ろうではないかといつも感じてしまう。

最後に。二年間にわたって(一部のあちらこちらで)書き続けた「煙が目にしみる」(GSX修理日記)も完結を迎える日が近いかも知れない。煙がおさまったら車検をするし、直っていなかったら棄てる。

長々と書きましたが、文才なき事は許されたし。いつかどこかでピースを交わしましょう。

会計報告は機会があれば後であげます。また訂正があればコメントであげます。

<5/4-5/7,全走行距離:1028Km>

おわり

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