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京都日記(平成27年7月篇)

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【随想帖 I】

2013年7月30日 (火曜日)

稲の花咲いてお父うと畦をゆく

7月30日 (火)

お米をもらいに家に行ったら、冷蔵庫にスイカがあったので半分に切ってお匙ですくって丸ごといただいた。
今年、初スイカだった。

子どものころは、一個丸ごと食べたものだが、このごろはそんなこともしなくなった。

畑で収穫するから、お店に並んでいてもどうしても買う気になれない、というのは仕方ないことかな。

母に
「なんばは?」
と聞いたら、
「二三日前に全部食べた」
と言われた。

「今度来るときは、新米やで」
とも言われた。

もっと頻繁に家に顔を出しなさい、
というお叱りのようであった。

┘┛
┛┛

すいか

┘┛
┛┛

稲の花が咲くころに水田では農薬の散布をする。
そんな当たり前のことを、先日近所の田んぼのなかをウォーキングしていて思い出した。

田んぼの匂い。
稲の花の匂い。
農薬の匂い。

日暮れの水田一体には農薬の匂いが立ち込める。今の時代は事情も変化してそんな光景も見かけないし、そんな農薬も使用しなくても済んでいるのかもしれない。

農家の人々がカンカン照りの暑い日に田んぼに出ているのを見ると、働き者だったお父うのことを思い出す。

日が暮れて小屋に帰ってきてからも、器具の手入れや片付けで忙しくしていた。

┘┛
┛┛

歩きながら考えた。
ぼんやりと雲など眺めながら歩いていることなど、あの人には想像も出来なかったことだろう。

あの人が苦心して作り上げた田んぼの稲の花が咲いている。あと1ヶ月で収穫だ。食えば他所のコメとは格別に味が違って旨いと誰もが言う。(ビールの銘柄判別よりも簡単にわかるほど)旨いらしい。

農業をしたいと思ったときは手遅れだった。人生で後悔をすることの中ではそれが一番かも知れない。

2013年7月12日 (金曜日)

温度差 のことを考え続けている

温度差のことを考え続けている。
 
昔からの友人がいる。
遠く離れていたときは手紙を書いた。そのうちPCメールになって、近ごろは携帯メールになっている。返事は殆ど来たことがない。
 
どんどんとボクと彼の距離が遠ざかっているような気がする、10歳あまりからの友だちだからというか、あの頃の損得を超えた人間味のわかる友だちだからこそ、返事が来なくてもオシマイにはならない。
 
二十歳の頃の友だちがいる。同じようにPCのメールからケータイのメールへと変化している。社会人になる前の青春時代を共に送った友だちだ。
 
こいつ達とも遠ざかってゆく。
遠ざかってしまっていいのかもしれない。彼らには家庭があり身近な社会がある。子育てにも忙しかろう。孫に夢中の人もいる。昔ながらのスタイルを今さら共有することは出来ないし、イデオロギーも変化しているだろう。
 
これまで誰とも、幸せ感というものについて、さほど語ったことがなかった。それは、夫婦だって同じ事なのだけど、私たち夫婦は98%の不一致の上で2%の接点でこうして毎日を暮らしている。
 
「豊かさと満足度」のことについてこれまでにもここで何度か書いてきたが、そのことにおいて、二人で意見を交わしたり衝突させたことはない。衝突してたがえる事になったとしても喧嘩にはならない。まして、別居にもならなければ離婚にもならない。
 
様々なものをデジタル的に捉えてフィルタリングして、スレッショールドを決めて分類していったとしても、そのお互いの中に存在する「温度差」が大きなデシジョンとなることがある。
 
最後はひとりで死ぬ。
その1歩手前は、家族といる。
さらにその一歩手前は、日常の傍にいる人といる。
 
心が通じ合えるとか信じられるとか何かを共有できるというような幸せ感をひとまず脇に置いておき、温度差を肌で感じ取ってみる。
 
あらゆるものが進化する世紀で生きている。
温度差を吸収することの出来ない機構が当たり前になりつつあるから、社会がバランスを失ってゆく。
 
デジタル化された無数のパラメータの向こうにみえるデジタルフィルタのゴミのようなもの。温度差も高速フーリエ変換する概念、が必要になってくる。

2013年6月29日 (土曜日)

逃げる

「逃」がテーマだったそうです。でも、私には洒落たことなど思い浮かばないけど、テーマだけ頂戴します。
 
 
人生の節目を少しずつ失いつつある年齢になってくると、ときどきこのような槍を投げつけられた鋭さのテーマが刺激になってよろしい。槍をかわしながら、自分の足跡と行く手とを考える時間を持つことで、戦の力が衰えるのを防げる。
 
追いかけられて死にもの狂いで逃げているわたしが夢に出てきた。夢を見ながらああいつもの夢だと冷静に思考し、逃げ道を瞬時に左右から選択し、魔法のように跳躍する力を得て広い川や高い木を飛び越えてゆく。不思議なことに鈍足であるはずのわたしは駆けるのも速くなっている。
 
逃げる夢とセットでたびたび見る夢は、迷子になる夢である。卒業のかかっている試験に臨むために久々に登校するのだが、そこには試験場は用意されていないし、連絡掲示板もなくなっている。必死で探しまわるうちに大学の中で迷子になってしまい、泣いているのだ。焦りと大失敗の夢だ。
 
泣いたり魘されている私をツマは何度も見ている。
 
どんな苦難に遭おうともヘコタレずに、しかし無理して乗り越えることもせず、恐怖に追われたら逃げ、ときには迷いながら、水に溺れることもなく火に焼かれることもなく、私は生きてきた。
 
職をなくしても生きてきたから、これからも生きていけるような気がする。
 
生きていけなくなったらどうするかなどとは考えたことがないのだが、何処かへ冒険に出てゆき、蛇とかトカゲとかに追いかけ回されて逃げ惑いながらも生き延びるのではないか。無限の跳躍力があったはずなのだが、それが衰えて広い川を飛び越えられなくなったときが夢の終わりだと思っている。
 
ぱっと、向こうの見えない淵からジャンプしたことがあった。そこは高い崖だったかもしれない。急降下をするのだが、私には羽根があって自由に旋回をしたという夢も見たことがある。今度跳んだときはきっと羽根はないだろうと思う。
 
そうだ、近々、時間の都合つけてシルバー人材センターに登録しに行こう。

2013年6月26日 (水曜日)

ぎゅっと

コメントのかわりにぎゅっと抱きしめて 髪撫でたくなる君のツイート  砂女

+

砂女さんが途轍もなく若がえって
柄でもないような(といったらめちゃめちゃ失礼なのですが)
そのような作品を書き残しておられるのを拝見して
渋々と一日中降り続くという雨の予報を歓迎してもいいほどに気分は爽やかである。

もしも、こんな歌をわたしに向けて詠んでくれるような人がこの世の中にいてくれて、その人に出会うことが叶っていればわたしの人生はまた違ったものになってくれたかもしれない。

 +

人生というのは、しかしながら、そのように筋書き変えることはできない。

意志で多少なりとも喜びの方へと導くことはできたとしても、あるいは思わぬ巡り合いがあったとしても、それはやはり運命の筋書きであったのだと思われてしまうのだろう。

わたしたちは、昔から筆で想いを綴り、一晩寝かせて考え、更に投函するまで懐で温めて、散々な迷いを経てから、異空の地へと彷徨わせるべく送り出したのである。

いとも簡単にポチッと電子化されて届いてしまうものとはその重みが随分と違っていた。

そんな重みを届けることが下手くそになってしまった現代人は、人の心を動かす重さのエネルギーを利用できなくなったために、詰まらない(こともある)「婚活」に走ってしまうのかもしれない。

 +

「ぎゅっと」抱きしめる無言を、その静けさを、その人は感じることができたのだろうか。


ぼんやりと日のある朝の蝸牛 星野早苗

(稔典さんが26日の今日の一句で)

 このところ、まさにこの句のような「ぼんやりと日のある」日が続いている。ただし、蝸牛をあまり見かけない。どこへ消えたのだろう。

 と書き出しておられるのを、わたしも「ぼんやりと」読んでいる。

 

きょうのわたくしの部屋の窓からは横なぐりに雨が降り続き庭の片隅であじさいが嬉しそうに揺れているのが見えている。

◎ 雨降りを鉛筆画にすれば線ばかり

2013年6月 2日 (日曜日)

本気でもないのに

じゃんけんで負けて螢に生まれたの
蛇苺いつも葉っぱを見忘れる
 
池田澄子
 
**
 
「負ける」「見忘れる」というふだんの私の弱みを握ったような言葉が俳句には欠かせないのではないかと、時々そう思う。
 
弱音を吐いたり、言い訳をしたり、静かに考えて自分にいいように納得してみたりして、わたし自身に何かを言い聞かせてここまで生きてきている。 
 
930 本気でもないのに恋を占って途中で飽きる牡丹のはなびら 砂女
 
「本気でもないのに」というところが私好みで、俳句(で遊ぶ)人を泣かせてくれる。
泣かせるものはもちろん他にも数多いのだが、5弁の花びらを可憐に咲かせる初夏の花はも数多いものの、六つの花びらをさも安定させているかのように見せてくれる花は珍しく、他にも名前が浮かんでこなかった。
 
占いというのは、もう誰にも何にも縋れないときに初めて全身全霊で便りかかるものである。そんなことがあるとすれば生きている間にあと1回だけあるかないか。
 
「本気でもない恋」は何度落ちるのだろうか。そんなことを考えていた。

おかえり

ねこさん、ときどき、くまさん TO 砂女
 
 
大学時代に早稲田西門で久しぶりにばったりあって、それが実は大学時代では1回きりだったという飯坂温泉の電器屋の倅ががいる。 彼は文学部で柄にもなく演劇などをやっていて、洒落にもならないのに4年も浪人して大学に来て、7年たっても卒業しないで、僕が先に東京を諦めた。「ちょっと旅に出て3ヶ月ほどたつかな」、と飲み屋で友だちを語るのに話していた言葉を思い出す。 3ヶ月ほど消えていても探さないでおこうと思っていた。で、もしそのままわからなければ、探せないから悲しんで、消えてしまったのだと思おうと考えていた。 近頃、自分が消えたあとの遺文ばかりを書いている。書き終わったら第二の人生を誰かの真似をして始める事ができると夢見ている。 兎にも角にも、おかえりなさい。

2013年5月28日 (火曜日)

おゆうはん (豆ごはん)

27日。

私の部屋からホトトギスの鳴き声が聞こえた夕暮れ時。
今年の初鳴きかもしれない。
 
おゆうはんは
今年二度目の豆ごはん。
 
ツマは豆ご飯が好きで
18歳の卒業式の前日に逝った母を想いながら
毎年このご飯を炊く。
 
三十数年以上も昔のことを手繰り寄せるために
豆の実をむいて米を研ぐ。
そしてご飯を食べるながら母を思い出す。
 
豆は、家でもらってきたものです。
この豆を毎年楽しみにして、この季節には豆ごはんを炊きます。
 
やがて私の母が死んでしまい
私のツマも老いぼれてしまった頃に
ムスメはこのご飯をどんなイメージで思い出してくれるのだろうか。
 
豆ごはん

2013年4月 7日 (日曜日)

時計

部屋の大きな時計が1時間遅れている。
まるで誰かが悪戯をしたようにきっちり1時間遅れて素知らぬふりをして動いている。

そこで、時間とは一体なんだろうと考えることになる。

**

私が子どものころは、今でいう居間にあたる部屋の柱にはいつも振り子が揺れている大きな時計があった。

その時計はネジ巻き式の時計で、父が毎日夕飯を食べ終わったころか朝ごはんを食べ終わったころにネジを巻いていた。

おそらく1日1回程度、ネジを巻いたのだろうと思う。踏み台にのぼって巻くので、子どもの私には手の届かないものだった。

そう。あのころには、手の届かないものがたくさんあって、子どもはそれをいつか大人になったら…と思い見つめていたのだ。時計もそのひとつだったのだろう。

時計は、小学生のころに乾電池式になった。けれども、時計には振り子があった。

**

そういえば、母は腕時計というものをしないので、オモテの庭や畑に出かけていったときでも、正確な時刻を知りながら仕事をしているわけではないのだということを、時間というもの考えたときにふと気付いた。

時刻を知るということは、一体どこまで必要なことなのだろうか。

人間は、太陽が昇って明るくなったら動き出し、暗くなったら家のなかに戻ってくる。電気がなければ、ささやかな蝋燭などの明かりで必要なことをこなし、あとは眠る。

技術の進化でというか、文明の進化で暮らしが便利になるのは良いことであるものの、そのシーズにより時計のネジを電池に変化させていったわけだが、ネジはいつまでも巻き続けていたほうが人類のためになったのではないか、と思うことがある。

今はほとんどすべてのものが時計の刻む時間の上で動いている。

そのおかげでテレビが録画できる。やがて、遠方から電話をかけてビデオに喋りかけてやれば、ビデオ機器がその言葉を理解して自動で録画をする時代が来るのだろう。

柱時計

昔、学生時代に思い描いた人工知能というものは、イメージ通りではないものの、今の世の中に広がりつつある。

だが、そういうものに支配されるのがどうしても嫌で、人間が考えだしたマネー社会が好きになれず、海へ山へと移動する人が少なからずいることに、安心感を持つ一方で、そういう人たちにとっては生き抜きにくい社会なのだとも思う。

普段からテレビは見いないし、ひと月の半分は時間などどうでもいい暮らしをしているので、私も母のように時計は持ち歩いていないし、部屋の時計が1時間狂っていても困ることはない。

狂った時刻の時計は、誰も直そうとせず動き続けている。
それでいいのだ。
バカボンのパパもそう言ってくれるような気がする。

2013年3月31日 (日曜日)

いさぎよく

「夜になっての雨できっと散り始める。」 そんな風に30日のブログを終わっている砂女さんの凛とした姿を、お目にかかったことがないのだが想像してみたりする。

このなかの一句に「書ききれず出せない手紙残る雪」というのがあり、いかにも私もこういうのが好きなのだなと思いつつ、感想など言葉にできずに夜が更けた。

日が明けて、昨日見た満開の桜を思い出し、今度あの花たちに会いにいくときは少しではあろうが散り初めているだろうと思うと、「夜になっての雨できっと散り始める」と、砂女さんがこう書いたところに「桜よ散らないでおくれ」という心が、「どうぞ散っておしまい」へと潔く変化する微動が隠されている……のではないかと気付いた。

先輩に軽々しく言うことではないが、「書ききれず」にも現れるささやかな無念を残しながらも、潔く散りたい。

2013年3月18日 (月曜日)

官女ひとり帰らぬままに雛しまふ 砂女

官女ひとり帰らぬままに雛しまふ 砂女 

雨降茫々日々記 909から)

を読みながら

**

私は俳句やブンガクのことをきちんと理解してやっている訳ではありませんので、
宦女と聞いてもさほどピンと来るものがなかったのですが、

母が私の上に子をもうけて、それが姉であったことを幾度も話してくれることを思い浮かべました。

女の子は1年ほど生きていましたが、病で亡くなりました。
私が生まれて5年後に弟が生まれますが,その間にも子どもを一人流したという話を何かのときにぼそっとしたことがありました。

男の子か女の子であったかは話しませんでしたが、今になっても自分に女の子がなかったことを寂しそうにするのを見ると、流れた子はもしや…と思うこともあります。

おひな様を飾ることのできなかった母は、80歳をもうとうに越えるのですが、おひなさんの季節になると、やはり寂しそうです。

女三姉妹が長生きしているから、まあ幸せかな。
おひな様ということで勝手を書いてしまいました。
失礼しました。

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