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2020年7月29日 (水曜日)

「県外に行き来するとか、行き来する人と身近に生活する人は『うちには来ないでください』という看板を当たり前のようにそこらじゅうに立てろ!!と思います、という側の論理

昨日、クローズドなところで



県外に行き来するとか、行き来する人と身近に生活する人は

『うちには来ないでください』

という看板を

当たり前のようにそこらじゅうに立てろ!!

と思います
と書いたら
意見が出て
-- -- -- --


それには同意できない。
あなたの生きる社会は、それを支える人達がいて成り立っている。
感染のリスクをおして仕事してる人もいるのに、自分の都合の良い人だけ識別できるのですか?
コロナは「県境で遮られてる」と思うのも、大きな勘違いでは? 

コロナに打ち勝つ前に、自分の負の側面に負けていると思う。
直ちにこのコメントは削除されるべきだ
--
と指摘された
個人的な日記であると返事をしたら、フォローをやめる、とコメントがあった

残念ながら
上記の日記の続編は、意見を言ってくれた彼には届かないが
紙くずみたいに丸めて捨てるのも嫌なので、続編を書いて置く

以下のような思いが僕の頭の中にはありました

日記です、書き留めて置く所がないもので
(改訂する可能性は大きいです)

---

どこまであてになるかわからない情報が迷走しているし、一部の知識人と言われる人が暴走的に評論をする
専門家と言われる人がそれなりの一般論を述べて、優越的に事態を見下ろしている
専門家とは、どこまで信じられるのか
専門性が高くなればなるほど適用範囲が狭ってゆき、発生する現象に登場する専門家は変化しなくてならないのではないか
感染の拡大を収束させることができないで苦心している
目に見えないものをコントロールすることは困難である
故に、そもそもコロナを収拾させることにいきなりチャレンジしていいのか
試行錯誤しかできないだろう
どういったメカニズムで何故に拡散するのかは感染学としてわかっているのかもしれない
だが、人間のというか群衆の行動科学を分析した上での解析は未知な面が多い、
これを、理屈と実証を混同して、一丁前の顔をして専門家が喋るから、イケナイ
現代の群衆は、ツイッターのアホくさい書き込みに根拠もなく反応して騒ぎ立てるようなアホさを持っている人たちも多い
情報が適切に人々の動きや思考をコントロールするのではなく、大きく偏っていることは、多くの人が気づいているはずだ
政治ではそれらの悪い面を知らぬふりして都合よく利用している人も多いし、みんなが使うからというわけで悪気がない人も多い
公的機関もツイッターを利用し始めているが、マイナス面や歪んでいる情報の浸透分布には未検証のまま目をつぶっている
何が正しい、コレが正しい、というものが存在しないのも事実で、メディアは都合のいいそれなりの知識人を引っ張り出してくる
その人のどこが使い物になるのかを、多分、丁寧には検証しないままだ

予測が外れてテレビ解説から姿を消した人も多いだろう
そんな状況の中で

「県外に行き来するとか、行き来する人と身近に生活する人は『うちには来ないでください』という看板を当たり前のようにそこらじゅうに立てろ!!と思います」
という発言に意見を言うのは構わない
事実を解決してからモノを言わなくては、自分勝手な視点からの、しかも推測の上での言葉の(泥の)塗りつけ合いにしかならない

55%の高齢者率の地域の老人福祉施設、スーパー、食堂などの前に
「県外に行き来するとか、行き来する人と身近に生活する人は『うちには来ないでください』という看板を当たり前のようにそこらじゅうに立てろ!!と思います」
とあるの見て、(A)20%の高齢者率の地域で暮らす人が感じることと、(B)50%の高齢者率の地域の人が感じることに、大きな差が出るのは、歴然としている

それは高齢者の死亡率が高いことが数字で実証されているからで、当然予測できる結果だ

「県外の人が」という表現は適切かどうかは検討しなくてはならない
行政が人のコンントロールをしようとしているのだからその表現は説明を丁寧にすれば誤解を生まない

つまりは、何故病気が拡散するのか、それは人々のどうのような行動の特徴によるものなのかを、現時点で真っ当な専門家から怪しい専門家までの意見なども配慮して冷静に考察して、解決すべき問題点の解決方法を導いてゆくと、答えは見えてくる(最善策ではないだろうが)

リスクを押して仕事をしなくてはならない人、自制を促していることに対策を持ちながら行動を例外的にしなくてはならない人たちをゼロにすることは不可能である
それぞれが違った条件下で暮らして活動をしているのだから当然のことである

コントロールする側には、理屈もあるし、思いもあるし、情熱もあるし、魂胆もあろう
社会は誰のためにあるのか、その前に何故社会というのが存在するのかという原点に立ち戻ってみるべきではないのか
思うように好き勝手に投資をし社会構造にメスを入れ変革してきたのは「自由」であり、その結果が目覚ましい業績や発展をもたらしたのは事実である

しかし今は、ここでもっと巻き戻して、多く利害を恐れず、確かに真っ当であるのだがその既得権を一旦棒引きにして、社会構造をというよりも「社会構造構築進化理念」を元から見直すべき時ではないのか
戦後の崩壊の時のようだと、現況のコロナ災禍を例える人がいる
それは、あの時代起こったような見直しと覚悟が必要だと案じているのであろう
見直すべきポイントを暗示しているとも言える

多数決の論理は採決の論理である
その前に十分な分析、調査、検討、協議、考察があってその上での「多数決」ではなかったのか
多数決が大事なのではなく、分析、検証、協議が大切なことを見直してもらい、恐れるものを恐れながら思い切った施策の立案実施を望みたい

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