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京都日記(平成27年7月篇)

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2017年8月31日 (木曜日)

南国屋さん(その2)

南国屋さん(その2)
蒸し暑い夜は昔(その1)の 下宿屋のことを思い出す。


向かいの下宿屋は、ぼろぼろの家で一階が食堂だった。

「南国屋」さんと隣近所の人は呼んだのだが、看板が出ているわけではなく、営業しているときでもその暖簾では食堂として営業しているようには見えなかった。

だから、お客が入っていくところも入っている姿も見たことはなかった。

二階の下宿へはどうやら食堂の戸をがらがらと開けて入るらしいのだが、夜中に帰ってきたときはどうしているのかはわからなかった。

そうそう、寅さんの映画に出てくるような雰囲気に近いのかもしれない。

こちらの部屋と向かいの部屋は一間余りの狭い露地を隔てているだけだったので、向かいの下宿屋には跳べば移れそうな感じがした。

窓を開けると向こうの部屋の中がよく見えた。

おそらく真正面の窓から見えている部屋と他には小さな押し入れがあるくらいだっただろう。

この部屋とさほど変わらなかったに違いないが、この部屋は貧乏な大学生が住んでいる賄い付きの下宿屋で、向かいは一人で暮らす若い女の子が住んでいる小さなキッチンのある部屋だった。

その女の子はたぶん学生ではなかったにちがいない。

こちらから、窓辺に座ってちらちらとみながらいつも想像をしていた。

向こうの部屋にはカーテンなどなく、磨りガラスの窓が1枚の構造であった。

だから、彼女はたいてい窓を開けっ放しで暮らしていた。

ご飯を食べるときも、テレビを見るときも、寝るときも、着替えるときも。

こっちの部屋から見えていることは充分にわかってる筈だし、若い大学生の男子がいることも気づいていただろう。

けれども、この部屋からしか見えないという理由なのか、その気がないのか、いつもこちらを意識している様子はなかった。

洗濯物も恥ずかしくないのだろうか、平気で窓際に干していた。

挑発的であったというわけでもない。

存在を意識していないのだ。

こっちの部屋の住人にしたら刺激的なことが次々と起こることもあったが、やがて慣れていってしまう。

下着姿でうろうろしようが、着替えをしようが、ほぼ裸で寝転んでテレビを見ていようが、慣れてしまって平気になってゆく。

と、そうは言いながらも彼女がどんな女性なのか気にかかって仕方ない時期があった。

南国屋さんは猫を7匹くらい飼っていた。

店主であり下宿屋の主人だったおばさんは、その7匹の猫ちゃんを大切にしているのだが、機嫌を損なうと箒で追いかけまわすという、漫画のような人だった。

ぼくはその主人であるおばさんの顔も下宿人だった女の子の顔も、2年近くもの長い間住みながら知らないまま暮らしたのだった。

パンツを見れば誰かわかっただろうというおかしな自信がある。


 

その1 南国屋さん
2012年1月28日 (土曜日)
    【銀マド】 深夜の自画像

2017年8月30日 (水曜日)

貧乏・暇暇 前略・早々   - 八月下旬号

最近 アメブロを始めまして
何にも書くことがないのに
開設したので
思いつくことやつぶやき
ひとりごとのようなことを
書いて遊んでます

よかったら遊びにきてね

気軽にコメントをかけるような
雰囲気にしていきたいと思っています

貧乏・暇暇 前略・早々
人生は第四コーナーから

八月尽
カステラ(おゆうはんまえに) カステラを買いました ブリの刺身

2017年8月26日 (土曜日)

八月は静かに終わっていきます

八月下旬、処暑のころに今月を振り返り、さらに20年を振りかえった。

18日に最後の勤務を終えたうちの人は、きちんと思い返してみると、父が亡くなる前から同じ会社の別の店に勤務していたのだ。
すっかり私は忘れていて、うちの人に直接質問をして思い出したのだった。

本当に長い間ご苦労さんとしか言いようがない。

私はこの人の働きのおかげでこうしてここまでやってこれたのだし、支えられれていたからこそ(心が)危ない時にも倒れずに仕事を続けてきて、さらには、野暮なこともしてしまっても、助けてもらって生きている。

まさに支えてもらったというよりも(溺れているところを)引き上げてもらっている姿が当てはまるのだろう。

思い切って、ひとつの区切りと判断をし、仕事を退いたことは勇気のいることであり、必然であり、我慢の限界であり、夢でもあったのだろうといえる。

うちの人は、毎日、仕事に行くのが嫌で、継続するのも辛くて、人との関係に心をすり減らしやすいタイプであるにも関わらず、およそ20年という歳月を苦労に注いだ。

上手に感謝の気持ちを伝えられなかったのだが、本当にご苦労さんと抱きかかえたい気持ちです。


八月下旬号
かぼちゃのサラダ 車窓から(稲刈り終わって)車窓から(稲刈り終わって) ランチバイキングの4皿目 巨峰 ぶりの照り焼き

2017年8月24日 (木曜日)

少しずつ変化が出ている

高橋順子さんの「夫・車谷長吉」を
読んで感動していたのが
八月中旬のころです

うちの人がパートを辞めて
ムスメのほうに時間をさこうと
そう思って生活スタイルが
変化し始めています

11月に生まれるので
勤めてる暇がないだろうと
考えたのですが

長年勤めたので
寂しいような思いも
少しはあるのか

清々したかもしれないけど


処暑のころまで
22日 一日一魚はシャケでした キャベツ味噌炒め ワイン美味しかった

2017年8月22日 (火曜日)

高橋順子  夫・車谷長吉

付箋を貼った箇所は書き写して
写真のページに貼りました


ムラサキイロノユウグレ
ムラサキイロノカオ
ヲシタヒトガ
ハヤクハヤク
トセカセニ
クルサクラノキ
ニハサクラノキノ
カオヲシテクル ジュンコ ヨシ

表紙にはそんな絵手紙がある
この人がこんな作品を描くということは随分とあとになってから知った

高橋順子 夫・車谷長吉

赤目四十八瀧心中未遂をはじめて読んで、純粋に、これは素晴らしい文学だと思うと同時に「ものがたりの芸術」だとも感じた

文学が持つ高貴で高尚な顔と芸術作品が持つ複数の歪んだ顔(現実ドラマ)のようなものを併せ持ち、心の中にあるドロドロでありながら澄み切ったものを人間的な美学として作品に編み込んだ鮮やかさを感じたのだった

車谷長吉と高橋順子さんは夫婦である

このエッセイは夫婦になる前に、車谷長吉さんから恋文を受け取るところからエッセイ風味に回想が綴られている

出会いが古典的とも思えるスタイルであり、結婚の決意が燃えるようでもなかったみたいに思いだされて、日常の暮らしの一場面を切り取って語るほかに、数々の文学賞に纏わるエピソード、四国へのお遍路行や世界一周の船旅の記憶などを辿ったエッセイになっている

信じられないような二人の暮らしぶりがの様子が随所に出てきて、二人の間の生活ぶりの実態に驚かされ続けてながら没頭し、何度も読みかえしてしまう

しかし、詩人・高橋順子さんは極めてさりげなく随想作品にして綴っている

だが、車谷長吉への深くて大きな愛情が生き続けていることをこの作品からどっしりと受け取ることができる

つまり、このエッセイはこの上ない愛の手紙であり、追悼であり、愛を改めて告白しているとまで感じさせる熱いメッセージの集積だ、といっていいでしょう

読み進むにつれて面白いところでは笑いながら涙を流し、驚くところではビックリ顔になってオオッと叫びながらやはり涙を流して読んでゆく

涙無くして読めないのは、車谷長吉さんが高橋順子さんをとても必要な人としていて、そこにある愛情が二人の間に満ちていたからでしょう

決して軽度とはいえない神経症をやみながら、作家として車谷にしか書けない作品を生み出し続け、燃え尽きたくても願いも叶わず、とんでもない予想外で尽きてしまう長吉さんを最期まで見守って、亡くなってからも熱く振り返り続けている

車谷長吉の人間味の純粋なところをストレートに受取り、それをこの作品で私たちにストレートに伝えてくる

当然、高橋順子さんも熱い気持ちで車谷氏を回想しているんだろうから、涙まみれで書いているのではなかろうか

だからこれはやっぱし愛のエッセイであるのだなと感じるのです

2017年8月18日 (金曜日)

お盆のころ

お盆は仕事でしたが
後半戦はお出かけしました


久しぶりの M's Zoom

帽子が編みあがったという知らせ

お盆のころ
長芋 カンパチ 信楽・黒田園の蕎麦 信楽・黒田園の蕎麦 鳥居 大文字(東山)

2017年8月11日 (金曜日)

高橋順子 夫・車谷長吉

八月中旬へと

偶然にも素晴らしい本に出会う
あらっと気がついて図書館を検索したらちょうど空いたので
すかさず図書館で借りきた

感想文は読み終わってから書く

けれども読みながら湧き上がってくる感動を抑えることができない

車谷長吉さんは六十九歳、誤嚥による窒息のため亡くなったのが2015年のことだった

奥さんは詩人の高橋順子さんで、一歳上です

三回忌に綴った回想記がこの本で、高橋さんや車谷長吉さん、そのほか周りの人たちとの知らないあれこれが綴ってある。車谷の(作品の)ファンならば、間違いなく引き摺り込まれてしまう

29年前に二人は出会ったころのことや、車谷さんから突然届いた1枚の絵手紙のエピソードを交えて、こちらの心に静かに染み入るようなタッチであのころを綴っている

「古風な出会いでした。絵手紙は毎月1通ずつ計11通届いたんですが、独り言のようなことが書いてあったりして、受け取るたび薄気味悪い気持ちでいました」  

1990年の大晦日に初めて車谷さんと会ったときの様子など、まったく着飾ってない文章だが心が恋してゆくのを予感させてくれる

「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞受賞のあと、ピースボートでの世界一周旅行やお遍路などをしたそうで、2人は片時も離れずにいた。2人が最も大切にしたのは、原稿を互いに見せ合う時間だったという

「そうしないと編集者に渡さない、儀式のような時間でした。車谷は命にかえても書きたいと思っていたし、私にとっても、詩を書くことはこの上ない喜びでした。互いに一番大切なものを最初に読んでもらい、読ませてもらう。それは本当に幸せなことでした」 
「この世のみちづれ」として、2つの魂が深く交流した夫婦関係だった

出版案内のインタビューで語っているのがとても印象的だ

早く読み終わってじっくりと読後の酔をたのしみたい

高橋順子 夫・車谷長吉

2017年8月 8日 (火曜日)

台風5号が来て、去って

お出かけをするから日記はあとから

一瞬涼しくなったけど 今日(9日)からまた暑くなりそう

立秋 親子丼 唐揚げ 広島原爆の日

8月上旬号

2017年8月 7日 (月曜日)

ともだち (2)  ー 立秋号

飾り気のない素朴なものを摘みながら明日は忘れていてもいい話をする 【裏窓から・立秋篇】◀️ NEW


ともだち (七月中旬号)を書いてから何日かが過ぎる。

その間にさりげなくツマにこの話を持ちかけてみた

「ともだちってのはなんでも話せるけど話せるだけやからな」

と喋りはじめたところで、ツマは大きく相槌を打ちながら

「そういうところがええのよなあ~」

という

ぼくはさらに続けて「ともだち」ってのは

「何の支えにもならないし

命を賭けて協力し合うなんてほとんど稀で

所詮「なかよし」なだけで

『ともだちって大事ですよね』

という言葉がもたらしている

ほんとうのともだちのイメージと

大きな隔たりがあるのではないか」

と言おうとしていたところを
遮られてしまっており

さらにぼくは

「たかが学生時代に偶然に同じ釜の飯を食うことになっただけで

一、二年の短い時間に何が分かり合えるわけでもなかったと思うのよ

どん底で一緒に苦労をして過ごしたりしたなら別やけど

たまたま出会ったお見合いの相手も変わらんやろ

もちろんお見合いというシステムは素晴らしい出会いのシステムではあるけど

ともだちをお見合いで決めるというのは一種の無謀な気がするのや」

と付け足した。

++

そのあと、ツマと何を議論したわけでもない

だが、ツマは

一瞬のタイミングで偶然に出会った我々をつないでいる不思議なチカラは

すごく安定してプラス(+)もマイナス(ー)もうまい具合に吸収しているのだ・・・

と似たり寄ったりなことを考えていたのではないか

「我々をつなぐ」不思議なチカラは決して世間一般にある「なかよし」なものではないし

「一日じゅう喧嘩をするように言い合いをしている」と身近な誰もが言うくらいだから

「なかよし」でも「ともだち」でもないだろう

「なかよし」や「ともだち」は、そう簡単に言葉でもカタチでも
表現できないものなのだということがわかってきて

おまけに、夫婦というものも
得体の知れないチカラで繋がるのだということがわかった

そんなことを考えて妄想にふけっているときに
大学時代に一二年を共の過ごした「ともだち」の一人が

メーリングのグループから抜けてしまった

可哀想に
抜ける決心をするまでは
さぞかし窮屈な時間を過ごしたのだろう

これまでの人生をおくった様々な社会のなかで
ポチッとボタンを押して
簡単に次のステップへと
ステージを変化させるようなこと
-組織を抜けたり、誰かを動かしたり、何かを壊したり-
移れるようなことはとても珍しい部類だ

何事も思い通りに使いこなせる術を
完璧に習得できることは素晴らしいことなのだから
そのことを考えると思案時間の長短にかかわらず
ポチッと押してグループから抜け出て
新しいステージへと移るまでには
さぞかし窮屈な瞬間があったのだろうと思う

スッキリしたことを願ってやまない

++

ヒトは

絶対に完成できないようなジグソーパズルみたいなシナリオの上で生きている

合わないこと、できないこと

悔しいこと、憤ること

許せないこと、不条理なこと

悲しいこと、うれしいこと

涙さえ出ないようなこともあるのだ

そんな中で

涙を見せたり、隠し通したり

笑ってごまかしたり

怒って見せたり

幸せを粧ったりして

生きているのだ

そして

これからもそうして

生きていかねばならない

長芋とオクラ かます

2017年8月 6日 (日曜日)

鶴さん そのつづき(4)*

8月10日 札幌から積丹半島へ

何をどう思ったのか積丹半島に向かう

今となっては、理由や当時の気持ちは思い出せない

秘境的イメージを地図から感じ取っていたのかもしれない

汽車が行き止まりであったからかもしれない

綺麗そうな海を想像したのか

灯台のある静かな漁村を瞼に絵描いたのか

行けるところまで行ってみようと考えたのだろう

このころは野宿をする発想もなければ技も道具もない

駅で寝るなども考えない

どうにかなるさ的な呑気さもない

冒険心のようなものはあったとしても

勇気はない

根拠も

自信もない

そんな頼りない奴がよく一人旅をやれるものだ

この時代がのんびりしていたのだ

人々がゆっくり生きている

安全で信頼できる人たちがあふれている

みんなが支え合っていたのだろう

みんながお隣をお節介ではない目で眺めていたのだろう

バスで行き止まりまでいった

この道の向こうには何があるのだろう

どんな景色があるのだろう

ただそれだけだった

半島で写真を撮ってもらって

帰って来て北海道中央バスのバス停の売店でくつろいだ

バイトの女の子と話した

メガネをかけた可愛い子だった

それが鶴さんとの出会いだった

帰りのバスが行ってしまっても話がしたかった

そんな衝動はこれまでにはなかったのだ

バスが行きますよと言われて

ヒッチハイクという手を思いついた

人生があの時に変わった

ひとつの選択が違っていたら

全く違った人生であっただろう

8月13日 改訂・追記

2017年8月 5日 (土曜日)

8月になりました・夏バテ知らず

8月がゆるりゆるりとはじまる

日ごろの暮らしを大きく変化させたりするとリズムを崩しかねない
そんな年齢であると薄々気づいている

大食いをしても大酒を飲んでも
必ず変調をきたすのも知っている

なのに
スーパーでお買い得のお肉を見つけるとカゴに入れて
ウキウキして夕飯を食べると
しっぺ返しがくる

カマスを食べてみたり
長芋を食べてみたり
豆腐、納豆、オクラ、枝豆であったりもする

長芋とオクラ ハイボール かます 中村弦 ロスト・トレイン 松阪牛

八月はじまる

2017年8月 4日 (金曜日)

鶴さん そのつづき(3)

🍀無鉄砲が続く

8月6日から有珠山が噴火の兆候を見せ始めていた。ちょうど8日の夜に青函連絡船で函館へと渡る人混みの中で有珠山に駆けつけるマスコミか学者の人の何名かの話が耳に飛び込んできた。

それを聞いてぼくもその火山に行ってみたくなる。だから、9日の朝、札幌駅に降り立ってすぐに躊躇わずにまた急行に乗って有珠山のある道南の方面へと引き返したのだった。

無計画というものは恐ろしいことであり無駄が多いのであるが、そんなことは御構い無しにスリリングな旅が始まっていた。有珠山に近づくに従い入山禁止情報がわかってくる。火の山を見たいという興味本位で向かっているぼくに入山の許可は出ないだろう、第一に近づくのは危ないだろうという思いが湧いて来ると、あっさりと札幌に引き返してきたのだった。これも、不安と期待の入り混じった心理の起こす行動なのかと思う。

というわけで、9日は何の収穫もなく、札幌に戻ってきてしまった。

さてどこに泊まろうかという心配が俄かに湧いて来る。

旅の途中で話をする旅人たちはみんな似た者同士だった。彼ら彼女たちの情報を統合すると、大学の学生寮がタダで泊めてくれるところがあるらしいとわかり、北大寮を探して行ってみることにする。

そしてそこで頼んでみるとあっけなくどうぞということになった。泊めてもらえるらしい。誰もいない寮のなかの長い廊下を案内されて、とてつもなく汚い布団が敷いてあるベットを指してどうぞと案内された。

夜行できたぼくはそのあとすぐに深い眠りに落ちてしまい朝までぐっすり眠ることになり、寮がどんなものだったのかさえゆっくり見ないまま礼を言って出てきしまった。

後になって判明したのが、その寮の名前は「恵迪寮」という。

色んな意味で有名な寮であったらしいこともあとからわかった。

2017年8月 3日 (木曜日)

鶴さん そのつづき(2)

🍀物語は衝動的にはじまる

旅に憧れを抱いたり、ひとり旅を夢見ていたわけではない。

二三日前に街に出たときにふらっと立ち寄った本屋で北海道の旅本を手にとったのがはじまりだった。

衝動的というより他に言いようのない思いつきだった。

電車の乗れば北海道まで行けるだろう程度に考えたのだろう。

時刻表を買い周遊券のことを知って、母に北海道へ旅に出ると話したのは出発の直前だった。

母もそれを止めようとはしなかった。

旅費を用意してくれたし、ぼくはドタバタとリュックやズック靴を買いに走り回ったりした。

8月7日夜の急行・北国に京都駅で跳び乗るというのも、旅に出ると決まったあとには一直線で筋書きに組み込まれてゆく。

2017年8月 2日 (水曜日)

鶴さん そのつづき (はじまり)

図書館の窓際の机から庭の景色を見ている

カラスがちょんちょんと木陰を跳びはねている

むかし居酒屋で鶴さんという人との他愛のない話を掘り起こして語ったことがあった

それを「鶴さん」という物語風の作品にまとめている

http://wp.me/P6fXhf-wj

ふっと

鶴さん そのつづき

みたいなのを書いてみようかなと思い始めている

(追憶) 居酒屋・鶴さん

2017年8月 1日 (火曜日)

鯖をくう骨一本ずつ数えて人生

七月下旬が暮れるころから

やたら蒸し暑い日が続く

八月になると 毎年 やれやれと思い

もう一踏ん張りで夏も終わるのだと思うのに

体力に自信をなくしているのか

心が元気を失っているのか

ちょっと時間が過ぎるのを怠く感じている

特に変わったことはないけれども

暑い日の午後に
冷房を入れて昼寝をするのだが

ホームベーカリーの話をしたりして

値段のことや
どんなことができるのかなど

あれこれとツマと喋っている

鯖の味噌煮 なすびの煮浸し シャトレーゼにて

七月くれて八月

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