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2016年8月31日 (水曜日)

堀川惠子、小笠原信之 チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ (講談社文庫)

BOOKs(読書日記)

堀川惠子 チンチン電車と女学生

堀川惠子さんの作品は
永山裁判で出会って
八月中旬に読了した
「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」
の次にこの作品となります

図書館で借りたらアカン
手元に残したい作品ばかりです



8月29日に読み終わりました

堀川惠子、小笠原信之 チンチン電車と女学生
1945年8月6日・ヒロシマ (講談社文庫)

この作品を読みながら、沖縄や永田町でデモをする大勢の人の気持ちも考えた。

大声で叫ぶことや拳に力を込めて振り上げて闘志を見せるのも大いに素晴らしい表現方法なのだが、それとはまったく違う手法もあるのではないかと、何かが頭の中でぐるぐると回る。

八月中旬に読了した「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」(堀川惠子)が静かに語っていたヒロシマと「チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ」(堀川惠子、小笠原信之)が語ったヒロシマは同じ舞台で同じ日時のものだ。

月日が変わっても歴史が変化しないことを実証する一方で、時々刻々と記録は消えてゆく。
さらに記憶は忘れられてゆく。
そしてやがて関心は薄れて、挙げ句の果てはどうでもよくなってきて、紙切れに残された写真は色あせ、興味を持つ人が必ずほとんど消えてゆく。

それは、人類が言語を得て、情報を通信する(意思をお互いで通じ合わせる)ようになり、それを伝達し、伝達の歴史や足跡を残し、文字が生み出され、消えてゆく時間をヒトの本能として残すようになって以来の歴史の上で、何ら変わらない摂理としてきたことである。

しかし、ヒロシマだけはそうしてはならない、と多くの人がそう考えたに違いない。
まだ一世紀にも満たない歴史であるだけに、それほどまでに冷めた人が増えているとは思えないものの、世の中の動きをじっと見つめているとそれも否定できない。

科学技術は、神が為す技ではないのだから原子力エネルギーというものを未来の光として発明した時にはまさに輝かしかったのだが、一切を巻き戻して封 印する「科学技術力」と「哲学」「判断力」に欠けたが故に、今もなお迷信のような幻の技術を未来のものだと勘違いし続ける人々が一向に減らない。

その点が、人間というモノが、生き物としての限りなく動物に近いところなのだろう。

そのような動物的な欲望に任せて生存するが故に、数千年数万年という未来に自分たちの種を保存することに野生界の生物は失敗をしてきた。
生物の歴史でもほとんど例外なく、生物は愚かな生き物なんだと言える。
つまり、だからこそ人間である故に、それを断ち切る判断をしなくてはならないのだろう、と思う。

この作品は、テレビのドキュメント番組の取材をベースに、再度の取材を重ね、映像番組では表現できず伝えきれなかったことや新しい事実を掘り起こしてまとめている。

とてもわかりやすい。難しい言葉も表現方法も一切ない。構成もとてもよく考えられている。

至る所に取材で得たことがらを忠実に書き残している。被曝をした後の様子などは、何ページかを読み進めば必ず出てくる。読んでいる方までもが、当時の状況に吸い寄せられてしまっているのを感じる。

《わが目を疑った。「ボロボロ」としか形容のできない人たちが、たくさん歩いている。手の皮がだら〜んと垂れ下がっている。頭もからだもあちこちの皮膚はめくれ、衣類とともにそれがからだからぶら下がっている。真っ黒になった目が飛び出している人もいる》(165ページ)

《みんな肌がジャガイモの皮を剥いたみたいにズルズルでね。その皮が腰のベルトの所に服みたいにぶら下がってね。まるで、腰で服がとどまっているよ うな感じで、手をぶらぶらさせて、その手の先からも皮膚が垂れ下がっとるんですよ。そんな人らがぞろぞろ、物も言わずに歩いてくるんですよ》(182ペー ジ)

堀川さんはテレビ局の報道の人だった。

テレビの作品は、多くの人の目に焼きつき言葉は耳に残り、生き残った人の話や当時の写真記録などは、かなり強烈に視聴者を驚かせたことだろう。
見た人が何を感じたのかも推測の通りだろう。

残念なのは、音と映像はそのとき限りで消えてしまうということだ。
そしてその内容を何度も繰り返し再現するためには、毎回同じ時間を要する。

読むことは映像から情報を得るよりも時間がかかることもあろう。
作品に触れるきっかけを得られなければ、そして自らが中身に触れようとしなければ、真相にさらには深層に触れられる確率は0%である。
そういう意味では映像作品と足並みをそろえて、この取材がほんとうに目指すものを遂げねばならないといえようか。

この取材でピックアップされたのは女学生である。
しかし、この時代のこの日に闘った人たちは、この国に生きていた人たち全部だった。
そのほんの一握りがこれほどまでに壮絶だったことを考えると、いったい何がどうなったのか想像を絶するとしか言いようがない。

当時の社会的背景や社会構造、庶民の一般心理状態や生活スタイルや社会思想、あらゆることを掘り起こして歴史に刻むことが理想なのであろう。
だが、七十年という月日が人々(国民)に与えた「豊かさ」と「幸福感」と「満足度」を持ってして社会を斜めに見る限り、虚しいデモが幻のようにさえ思えるのです。

みなさんは読後にどんな風に感じられるのか。そちらにも興味があります。

写真

2016年8月30日 (火曜日)

とり天や猫舌のわたしを虐めないで

むかし チャレンジした
とり天

ですが、あれ以来
食べたくなると
ときどき やっています

タコの天ぷらも
美味しいのですが
パン!というこのが怖くて

写真日記から(30日)

とり天

2016年8月29日 (月曜日)

ツユクサを探しに来たら肩すかし

学校が始まってわかったのです
いつも前に座っている女子生徒二人は
中学校の生徒だったらしい

高校は一足先に始まったので
月曜から出てきたから判明した

少し丸くなったかな という子と
少しスリムになって黒くなったかな という二人

休み明けということで
さらに二人の友達が加わってワイワイとやっていた

29日は
関東方面に台風10号が接近しており
空模様は不安定で

そのおかげで涼しい
畦道をツユクサを探して歩いて
駅まで着いてアサガオを撮る

1年前から整数値で引き算して
6キログラムの体重が減ったのだが
実感はそれほどなく

酒を飲んでも
もりもりと食べなくしているので
体調は良い

野菜炒めはとてもシンプルな料理だが
とても難しい料理で
炒め加減とニンニクなどの味付けが
非常に微妙なのです

今日の野菜炒めはよそで食べられないレベルでした
ごちそうさま

写真日記から(29日)

20160829img_2483 20160829img_2482

2016年8月28日 (日曜日)

夏が終わってゆく惜しみながらだだ茶豆を食う

8月も終わってゆきます

新学期が始まって
生徒たちが電車の乗ってきて
嗚呼夏も終わりやなと思うのでした

土曜の夜にムスメが帰泊していて
いなくなったので質素なおゆうはんとなります

茶豆を食べながら
もうこれもそろそろ終わりやね
お鍋の季節も近いね
などと言いながら豆を食う

嵐が太平洋をウロウロしてせいか
お魚やさんの魚がちょっと淋しいような気がする

ハマチがあったので
照り焼きにした


写真日記から(27日、28日)

はまちの照り焼き 答志島のめかぶ だだ茶豆

2016年8月26日 (金曜日)

とんかつは安上がりですね

(24日)
ムスメが帰泊する日には
ハハはがんばって何かを美味しいおゆうはんを
と思うのでしょうが
焼肉になってしまうことも多く

お魚にしようかなと考えたのですが
台風のせいもあってか
イマイチ思うようなものが
並んでおらず
ちょっと残念ですが

とんかつでした。(24日)

あくる日とかは
残り物のなまぶしで食べて

26日などは
サンマのみりん干しだったのだ

写真日記から

とんかつ

2016年8月24日 (水曜日)

秋の田の刈り穂の匂いや処暑の風

裏窓から・処暑篇

秋の田の刈り穂の匂いや処暑の風 裏窓から・処暑篇

つぶやきには
秋の田の刈り穂におうや処暑の風
と書いたよ

もうそろそろ夏のお野菜とかが終わって
お鍋の季節になるなあ
と二人で話していたのですが

まだまだ暑さは続きますが
気温が高い割には
風は爽やかです

散歩をすると
秋の田の刈り穂の匂いがします


写真日記から

なまぶし かぼちゃのサラダ

2016年8月23日 (火曜日)

処暑ノート 裏窓から・処暑篇

二十四節気にあわせて
【裏窓から】シリーズをもう何年も書いてきて
これも下書き感覚で書き始めましたが

できごとの少ないころであるとか
思いの湧き上がる激しさの緩やかなころとか
感情に凸凹のない自分がいるときなどをみてきて
いかにも私は周囲の人とともに歩んでいるのだなと痛感する。

お盆が過ぎてヒグラシやミンミンゼミの声が
ひときわ遠くから届いてくるような気がするのは
セミが増えたとか風が吹いているからという理由ではなく
私が秋を待っているからなのだと思い直している。

夏バテをするわけでもなく
痩せることもなく
胃腸もしっかり暮らしておれることに感謝する。

この夏になってから二人も
癌に罹っていたので…と知らせが届いてきて
返事のしようのない無力を感じている。

母はオウム事件のころに大腸癌を切除した。
その切除片は途轍もなく大きなもので
全部の腸を切ってもこれほど大きくないのではないかというほどの塊が
褐色の血まみれでトレーの上に置いてあったのを憶えている。
6人部屋の5人が数ヶ月の間に次々と死んでしまったあのときに
母は自分が癌だとは知らずに手術を受け
あれから現在も生きながらえている。

癌は不治だという時代は過ぎたのだが
どうしても、ハイと素直に頷けない。

暑さは次第に緩やかになってくるだろう。
焦げ付いたコンクリートの蜃気楼とも
サヨウナラをしたい。

人生も第四コーナーを回ったら
粗食を続けるに限ります。

と言いながら、お酒はやめてないのよね。

機嫌が良くて気分も爽快で
酒が旨いときしか飲まない
という人生哲学で生きているのです

毎日飲める暮らしに感謝しています


写真日記から

しょうが焼きとポテトサラダ オクラと納豆

M's Zoomから(LINE)

8月22日回鍋肉

2016年8月20日 (土曜日)

秋始まっていました 稲刈って ビール飲みたく候

写真日記から

鶏肉ミンチハンバーグ
稲刈り

2016年8月19日 (金曜日)

堀川惠子 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

堀川惠子さんに出会えたのは、とても幸運であったと思う。それは、ちょっとした書評の何かに閃きがあって手にした
● 永山則夫 死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの
● 永山則夫 封印された鑑定記録
という二冊を読んだのが二年ほど前で、あのときの出会いがなければこの作品は間違いなく読まなかった。

原爆供養塔は、広島平和記念公園の片隅にある小さな塚で、そこの地下にはおよそ七万人の遺骨が眠っている。この物語は、この原爆供養塔に毎日通い世話をしていた佐伯敏子さんという女性がヒロシマで闘った歳月を、堀川さんが取材をして、さらにこの人のやってきたこととやり残してきたことを受け継いで、遺骨の家族を訪ねて歩き、話を聞き纏め上げたたものだ。だがしかし、それでも見えているものはヒロシマのほんの一部であり、終わりのないことなのだということを知ることも大事なことだと思う。

取材の中で語られる一言一言の想像を絶する出来事や地獄のような風景、佐伯さんの半生から語られる壮絶な事実は、ヒロシマから経験者が消えてゆくけれども、次の世代へと受け継ぐ貴重な言葉だとして絶やしてはならない。

ヒロシマを語った人もそれを聞いた人も、消えてしまった形で登場した人たちも、七十年というあれからの年月に言葉に出来ないモノを滲ませている。作品を読むとそれが伝わってくる。

その堀川さんは、まずその佐伯さんを訪ねたのだった。序章はそこから始まる。

テレビは周知の通り映像で勝負をするドキュメントを提供するメディアである。そして、その正反対の方向から「活字」や「写真」で迫るが書籍によるルポルタージュである。

テレビならば無駄になるような些細なことや面白くないこと、だらだらと長すぎること、細かいことなど、さらにはゴミのネタもみんな活字にして積み上げて(それでも涙をのんで削るのであろうが)私たちに提供してくれる。しかも、一過性のモノではなく、文字として残って自由に読み返せる。声に出しても読める。(この作品もぜひ声にだして読んでもらいたい)

今の時代、何もかもがデジタル化になり、テレビのような映像ドキュメントは、接しやすく入り易いため人気があることもあって、予備知識や興味と無関係に、誰もが目に飛び込むモノを深く考えずに見て触ることができる。
映像の刺激が強烈であれば簡単に食いついてしまうこともあるだろう。

確かに映像(動画)は、美しいモノを美しく醜いものもありのままの姿で確実に伝えることが比較的容易だ。音も伝える。匂いもやり方次第ではかなりリアルに近い形で伝える工夫ができるかもしれない。

しかし、活字のルポはそうは行かない。膨大な調査・取材をする点ではどちらも同じでも、活字メディアでは、資料の吟味を怠ってホイホイと積み上げてしまったら途轍もなく不出来な作品になってしまう。読者に伝えたいことの肝心な部分さえ伝わらなかったら、ルポが死んでしまう。

堀川さんはテレビの報道の人であったのだが、活字のドキュメントを書く人に姿を変えている。しかしながら、どこかしらに映像のセンスが流れているのが読んでいて伝わってくる。一字一句を絵に描くように綴ってゆく。

活字出身の映像作家がいいのか、映像出身の活字作家がいいのか。ぼーっと頭の片隅で考えながら作品を追い続ける。

取材に何の甘えも手抜きもないヒロシマの物語にグイグイと引き込まれいていってしまう。

いったい誰に読んでもらいたいのか。
今の我が国の人たちのどのような人々、年齢層に読んでもらいたいか。

必要性として、誰が読むべきだろうか。
何故、これをルポとして伝えなくてはならないのか。
伝える意義や意味とは何なのか。
ひとつひとつをここで紹介したいが、それをすれば1冊丸ごとになる。無駄のない1ページ1ページは淡々と語り続ける。

作者は焦ることも気負うこと無く、この膨大な(分厚い)本を、五倍も十倍あった資料から纏め上げている。

作品は静かに事実を語り続け、読者はそれを堀川さんの魔術のような構成や記述により映像に変換してイメージを膨らませる。だからこそ一人でも多くの人の目に届けたいと思う。

現実をぶち壊した残忍なこのような事実を書いた作品が書店に並び、大勢の人が想像を超越した事実に触れる。

読んだ人だけが知っていればいいことなのか。
知らない人があれば届けて皆が隈無く読むべきなのか。

70年という歳月が過ぎてゆくなかで、作品に書かれた事実や実情が歴史の1ページに変化してゆくのを嘆くことは必然としても、埋もれた事実がまだまだあることへの歯がゆさのようなものが湧く。

人の心に触れながら、その生きざまを真正面で受けとめて、決して揺るがずに事実を地道に掘り起こしてゆく。余韻のような問題提起が続く。

感情を限りなく高ぶらせないで、事実をきちんと正確に伝えているのだろう。その感性や技術を図り知ることは到底できないが、ルポルタージュとしての完成度の高さが波の揺らぎを受けるように伝わってくる。そこに、しっかりとした強烈で熱く煮えたぎるものも感じる。読者は、目を背けずにそれらを受けて、見つめる。

ヒロシマに関わった、あるいは反戦に関わった日本中の多くの人々が、切実に願ったことを叶えるために、改めて一歩進み出そうとしなくてはならない。

焼け焦げて融けて消滅してしまった数々を蘇えらせてやるためにも、出来事や足跡を遺すルポルタージュという活字の力で国民はヒロシマと向き合わねばならない。

(平成28年8月18日読了)

堀川惠子 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

堀川惠子 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

2016年8月18日 (木曜日)

大文字 雨降り出してもたくましく燃えて ─ お盆の日記

(13日)

ぎゅーとらで冷やし伊勢うどんというものを見つけて
食べてからお墓参りに出掛けました。

あくる日から2日間仕事をして

(16日)

大文字の日は京都に

いつものようにハゲ天で天丼を食べて
四条をブラっとしてから嵯峨の家へと向かいました

雨でしたね
大文字

あくる日(17日)

ムスメ夫婦のクルマに便乗して
家まで送ってもらって

スーパーのお寿司とお魚で
あっさりと疲れを癒やしました


写真日記から

サバの高菜巻き 鰹のたたき ハゲ天の天ぷら丼 冷やし伊勢うどん

2016年8月12日 (金曜日)

涼しくなったので読書に励む(堀川惠子 原爆供養塔)

涼しくなったので読書に励む
(堀川惠子 原爆供養塔)

堀川惠子 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

写真日記から

麻婆豆腐と鮭ホイル焼き

M's Zoom

8月12日ハンバーグ 8月12日悠人

2016年8月11日 (木曜日)

鮭とホタテのスパ(和風で)

(10日)

小麦粉のアレルギーだと
自分で思い込んでいるツマは
私がパスタ好きな事を知っているのに
家ではずっと麺類の料理を控え続けている

少しはしますけど
焼きそばとか冷麺とか
お昼にちょこっとだけ

そこで私はキッチンに返り咲く事にしました

このごろは最初から最後まで料理に
おせっかいをするのは控えていますが
材料が揃っている事だけを確認して
包丁を取って立ち上がったのでした

といっても
切るモノも料理をするモノもそれほどなく
パスタの茹で加減に神業を発揮したほかには
ニンニクを上手に潰したくらいで

月並みな料理ですが

味付けを醤油バターで和風にしてみました


写真日記から 鮭とホタテを醤油バター味で和風に びっくりドンキーにて

2016年8月10日 (水曜日)

堀川惠子さん

ふらっと本屋で
買おうと思っていた以外の本まで
買ってしまう

BOOKs(読書日記)から

堀川惠子 裁かれた命 死刑囚から届いた手紙 堀川惠子 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年 堀川惠子 チンチン電車と女学生

2016年8月 9日 (火曜日)

宮下奈都 窓の向こうのガーシュウィン

http://wp.me/p6fXhf-xm

宮下奈都 窓の向こうのガーシュウィン

宮下奈都 窓の向こうのガーシュウィン

ピンチはチャンスだ、って誰かがいっていた。何かで読んだんだったか。だとしたら、たぶん、私は今、チャンスの近くにいるんだろう。もしかしたら、目の前にいるのかもしれない。ピンチには気づくのに、チャンスには気づかないなんて不公平だと思う。どうせピンチに気づいたって打てる手などない。黙ってピンチに打たれるだけなのだ。チャンスに打つ手がないのも同じかもしれないけど、気づくことができたら楽しい気分が身体じゅうをぽかぽか温めてくれるはずだ。


いろんなことを誰かが決めている。算数の式では、足し算と引き算よりも掛け算と割り算を先にやる。加減乗除の法則を知ったときのあの驚き。英語でhaveは「持っている」なのにtoをつけると「しなければならない」に変わると教えられたときもうろたえた。世の中は後出しジャンケンに満ちている。


宮下奈都 窓の向こうのガーシュウィン

切り抜いてきたものが二つあったのでここに残しておきます

2016年8月 8日 (月曜日)

だだちゃ豆 先輩の訛りを思い出してビールうまい

▶  だだ茶豆先輩の訛り思い出しながらビールを飲む
  (増殖版)

先輩は山形県米沢市の興譲館というところの出身で

仙台で浪人を経て東京に出てきた人でして
ビールが好きで
隣の部屋で夕食後に一段落勉強を終えると
毎晩 しゅぽんと音を立てて栓を抜くのです

訛りがあり素敵な口調で色々と為になる話をしてくれました
江古田の下宿での時間は人生の基礎となった掛け替えのない時間でした

写真日記から だだ茶豆(山形産)

2016年8月 7日 (日曜日)

きのうから涼しい顔でドアの裏

8月6日土曜日

ムスメさん帰ってきて
母と買い物にでかけたので
ついていって
散髪をしてくる


写真日記から

三重づくし かぼちゃ

2016年8月 6日 (土曜日)

ひまわりが一枚届いて八月のはじまり

増殖する秘伝(これから書く)
ソロリソロリと八月が始まって

今が1番暑い時なのでしょう
エアコンつけずにたっぷりと汗をかいて寝ております


  • 「小説というのは、自分のなかにある自分がいちばん知りたくないことを、取り出そうとする作業だと思うんだよね。それをやろうという奮闘の跡が一行でも見えれば、それでいい」 @arereno (快感語録・久々)朝日から posted at 11:02:41

千代の富士がなくなったことは大きな衝撃ですね
同時代を生きてきた人です
強い横綱を投げ倒してくれるカッコよさがありました


写真日記から

ウインナ 天ぷら 稲穂 悠人 冷奴

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