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2016年1月31日 (日曜日)

チャンポン

写真日記(31日)

マルちゃん チャンポン

マルちゃん チャンポン
インスタントであるのに十分においしいです。

一月尽

写真日記(1月尽)平成28年1月

お肉

お肉
半額だったので ついつい

1月30日 (土)

2016年1月30日 (土曜日)

高村薫 リヴィエラを撃て(上・下)

季節は冬ばかりだ。
2月とか3月とか。
この国の物語をこの重たさで書こうとすると最も合う季節なのかもしれない。
1月いっぱい、ちょうどそんなふうに同じ季節に読んできた。

リヴィエラを撃て(上・下)

リヴィエラを撃て(上・下)

平成28年1月29日

エスピオナージ。耳慣れない言葉はどこかに記憶があるものの、スパイ小説なんてのはふだんから触れる小説や映画、ドラマでは007くらいしか知らない。(それに私は007の映画は1度も見たことがない)

「愛する者を傷つけないために別れ、愛してくれる者を傷つけいないために愛し、遠ざけ、キムは結局ひとりで逝ったのだ。」

こんな一文が目にとまる。
この言葉と出会うのは、物語として第4コーナー付近に差し掛かるあたりになろうか。
もしかしたら、さり気なく行き過ぎる物語のシーンのなかで、ふっと一息つく瞬間に痺れたのは私だけではなかったのではないか。

人が人を愛するとか何かに情熱を燃やすとか執念を煮え滾らせるとか正義を通すとか、そういう人間味からはまったく無縁にも思えるハードボイルドな側面をオモテにしている物語であるはずだったが、作者の思いは決してそんなにもクールではなかったのだと思う。

そんな想像を絶やさせないような只ならぬ作品だと難解と闘いながらも読み始めれば誰もが感じ取ってしまうだろう。

そして読み進むにつれて、人間の愛情や社会の不条理のようなものに熱いものを滾らせているのではないかと思いはじめるのだった。

登場人物が次々と狙撃されて死んでいってしまう。
これほどまでに非情がどこにあろうか。
死んで欲しくない人がことごとく無残に死んでいく。
しかしながら、タダの殺し合いの小説ではないことくらいは、それも少し読めば直ぐに分かる。

スパイ小説とはどんなものなのかをお手本で知らされたわけではないし、このような作品の経験がない私には最後まで読み切る自信が持てなかった。だが、とても難解な物語であるはずだったのに、未知のジャンルに戸惑いながらもドキドキで読んでいく。どこかしらに最後まで読んでしまう理由と確信があって、それは読み終わってみてはっきりと見えたのだった。

私たちの非日常のテロリストというものが登場する。
スパイがいる半ば非現実の社会で、そこには民族の意識の闘いが潜む。
情報機関が事件の水面下でざわざわと動く。

伊勢志摩サミットの警備のニュースはお茶の間で流れ、身近でも囁かれている。

各国でのテロ事件も騒がしいときに読み始めたこともあって、公安警察や外事警察の物語としてもグッドタイミングでドキドキとして読む。

スコットランドの地名や地形や民族の闘争の背景の資料を探して読んで、読者に求められるスタミナをつけた。
さらに、登場人物リストを大きな紙に書き出して自分なりに関係図を描いてみた。
それでも、何度もページを最初までめくり直す日が続いた。

1月下旬のある日

写真日記(1月下旬)

ほうれん草 かぼちゃ お刺身(鰤と鯛) 車窓から 春のケーキ(シャトレーゼ)

1月下旬尽 


ムスメおゆうはんだより

しょうが焼き シャケのホイル焼き とうふや(おはらい町)

1月下旬 ある日

2016年1月27日 (水曜日)

団子みて家族三人の時を思い出す

団子みて家族三人の時を思い出す pic.twitter.com/00QaXQOzEU
posted at 07:48:27


おやすみや あさくま ランチに行きたいな 20160127_81301

2016年1月24日 (日曜日)

牡蠣を食べる

(24日)

おいしい牡蠣をあっさり味のパスタにのせて食べたい
と思いついた

さてどんな味付けにするか
ということで
単純な私はペペロンチーノにのせることにしました

ワインで少し加熱をしてやれば旨味が出ないかな
と まあ男の思いつきです

美味しかったです

最近 刺し身もあまり食べていなかったので
魚屋を覗きに行くとブリがありました

こんな脂っこい魚には見向きもしなかったツマですが
この地に引っ越してかれこれ長くなると
お店には地産のおいしい魚がありますから
少し食べるようになりました

牡蠣に軽く火を通すためにワインを使って
残ったワインが(安いものですが)おいしかったので
二人でみんな飲んでしまいました

 写真日記(1月24日)

牡蠣のせスパ
ぶり

2016年1月23日 (土曜日)

寒波予告

写真日記(1月22日・命日)

パン屋さん

22日
夕方に連絡があって一駅前で降りて待つ
再び連絡があって遅れるという
パン屋の前で北風を避けて待つ
金曜日の駅前の人の流れを眺めている

ずっと
【裏窓から】のことを考えている
誕生日 大寒 命日 大寒篇 ─ 裏窓から

2016年1月20日 (水曜日)

寒波愈々

鱈のフライ 18日は鰤の照り焼き 17日は八宝菜

寒波愈々

2016年1月17日 (日曜日)

お肉を少し

写真日記(1月16日)

お肉

土曜の夜(16日)にお肉を食べた

日記はあとでゆっくり書こうか

2016年1月16日 (土曜日)

センター試験 小正月篇

センター試験のニュースが流れている。
わたしのころはセンター試験などはなかった。
二期校の受験生は3月20日過ぎまで頑張り続けた。

思い起こせば受験時代は人生の真冬であったのかもしれないが
赤々と燃え滾っていた情熱的な時代だった。

平成28年から新しいステージ(わはく(秘)伝)に移ります

年のはじめに考える

変化しゆくもの 小寒篇

見てわからん者は聞いてもわからん

2016年1月11日 (月曜日)

意地っ張り凩吹いて拗ねている1

❏ 意地っ張り凩吹いて拗ねている

12月4日の夜中にこんなことを書き残している。
わたしは拗ねるという言葉を使うのが好きなようで、その訳は何となく自分でもわかっている。

わたしはよく拗ねる子だった。母からそのことを何度も言われて決して責められている訳でもなかったのだろうが、そんなところで拗ねていてはイケナイのだと叱られたことが多かったのだろう。

人が(子どもが)拗ねているのを見るのは好きではない。だが、物語の成り行きで人が拗ねるようすというのは不可欠であるしドラマの場面を作りやすいのではないか。

人は甘えたいものだ。動物だってきっとそうだろうと思う。

拗ねるという行動は、甘えている行いをバッサリと切り捨てられて立ち直ることを要求されたときなどに、自分の甘えが実現できなかったことへの不満の表現形の1つだ。

悔しさが伴うこともあるだろう。どんな理由で意地を張らねばならなかったのかは今となっては想像の彼方だが、単純に解釈して、予想もしなかったのに凩が吹いて何か願いが叶わなかったからふくれっ面になっていただけだろう。

わがままとはそんなものだ。

うちの子は、わがままも言わなければ意地も張らないし拗ねもしない子であった…と今ふと思った。(今のところわたしには)まったく想像の付かない人と一緒になって新しい家庭を築こうとしている。

わたしの時代が終わったのだからと考えが行き着き、凩が吹いただけでわたしは拗ねていたのかもしれない。

小鯛のささ漬

ほんの少しのわさび醤油でいただくと格別に旨い

2016年1月10日 (日曜日)

1月の3連休の前半(2日間)

写真日記(京都墓参日記)

ポルタの凡凡亭 小鯛の笹漬 新福菜館

9日 行きがけに京都駅近く・たかばしのラーメン屋さんに寄って
第一旭はお馴染みなので新福菜館をセレクトし
数メートルの列を辛抱してお店へ

しかし
大きく期待はずれで失望気味

食べ残している人もチラホラ周りにいたくらいで
やはり情報の暴走というか
グルメ人たちの味覚の失墜であろうか

評判は信じたり期待したりしてはいけない
ということや

もう行かん


夜は別宅で小鯛の笹漬とか村沢牛のステーキをご馳走になり
満足な夜を送った

あくる朝から墓参を済ませて
いつものように京都駅で食事を済ませてか帰宅する

京都日記(連休前半)

2016年1月 9日 (土曜日)

寒中 ぼちぼち

写真日記(平成28年版)

お肉 お刺身

帰ったら また ゆっくり書きます

寒中 ぼちぼち

2016年1月 2日 (土曜日)

謹賀新年

写真日記(平成28年元旦)

ブリ大根 元旦 スヌーピー茶屋(伊勢) 大学跡地 大学跡地 ムーミン島(日の出前)


今年もよろしくお願いします

普通に始まって家族は3勤の真っ最中

新・日記のブログとのバランスを思案しながらのスタートです。

年のはじめに考える

元旦

2016年1月 1日 (金曜日)

一子相伝 ─ 元旦篇

ブログをだらだらと書いてきて2500篇ほども溜まってきたので整理をしたいと考え始めたのが年末のある日のことだった。

大きくて揺るぎない

でも触れたように何かを残したいとか伝えたいという気持ちが日増しに強まってくる。

一子相伝。
そう書いてみたが実体が見えてこない。

写真日記(元旦)

角煮
(ムスメの角煮)

ムスメが角煮の写真を送ってくれた。私が自己流のレシピを送り届けたのを参考にして最初から最後まで自力で初挑戦したものだ。

1回前は私が作ってタッパーに入れて家に持って行った。それをお皿に移し替えて旦那さんにはどうぞと言って飯台に並べたと思う。結構好評だったようで、また食べたいとリクエストが出たらしく、愈々チャレンジをすることになった。

料理はどうやら好きらしい。家族を褒めても笑われるが、あれこれと工夫をして探求してみようというような気概があるみたいだ。旦那さんが喜んで食べてくれるという勢いも背中を押しているのかもしれない。

祖父、父、私とそういう精神が潜在的に流れていて人それぞれに表出する形は違うものの、底流を滾々と流れるものが息づいているのを感じる一瞬だ。

文学部だったのだがちょっと理系っぽくて、三代続いた理系色が僅かに残っているみたいで、嬉しいのである。

何事においてもそういう気持ちで取り組んでくれるといいのだがと思っている。

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