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2015年12月30日 (水曜日)

コレ買いな味噌の写真をムスメに送る

写真日記(12月30日)

西京味噌 西京味噌 西京味噌

小晦
こつごもり と読む季語だそうで

どちら様も買い物でお忙しかろう(30日)
近所の大型ショッピングセンターも大賑わいで
ムスメがおせちの材料を買い出しに来ているので付き合う

母がムスメのために味噌を買っていたのだが
持参するのを忘れてしまって悔しがっている

あとでメールで味噌の写真を送るから
大晦日に近所の店を探しなさい

と言っていた。

たぶん なかなか見つからないと思う

嫁に行き初めて真似る母の味

西京味噌

2015年12月29日 (火曜日)

回鍋肉

おゆうはん 12月29日

12月29日 回鍋肉

大掃除の後のおゆうはんだよ
(ムスメのLINEから)
回鍋肉

2015年12月28日 (月曜日)

ブリ大根とウインナー

写真日記(12月27日)

ブリ大根 ウインナー

ブリ大根ができるまで
ウインナーでも食べて
待っててや

という感じで
待つのです

居酒屋みたい

近ごろ
ぶりのアラを買おうと思って覗くと
結構 高いのですよ

人気メニューになったのかねぇ
アラだからって安かったころもあったんですけどね

2015年12月25日 (金曜日)

クリスマス

ムスメ夫婦のクリスマス

ディナー ちらし寿司(お昼)

お昼はちらし寿司で

おゆうはんは
旦那さんからのサプライズで
コースディナーだったそうです

クリスマス

わが家は鯖の塩焼き

2015年12月24日 (木曜日)

クリスマス・イブ

写真日記(クリスマス・イブ)

クリスマスのケーキ


おゆうはん(24日)

クリスマスのケーキ クリスマスのチキン

なんとも
ふつうに
年の瀬が暮れてゆくことを
当たり前とは思わずに
感謝しなくてはならないのだと気付き
一人でも多くの人が幸せになってゆけることを
心から祈れるような人になって欲しいと願う

2015年12月23日 (水曜日)

年の瀬に母を訪ねて考える ─ 冬至篇

冬至のあくる日に母を訪ねた。(23日 天皇誕生日)

ムスメもあと二ヶ月に迫ったこともあるので呼んでやり大きなおなかを母に見せながら正月のことなどあれこれと話をする。

母を訪ねれば昔の話をするのはどこのウチでも例外ではないだろう。近ごろはたとえ同じような話であったとしてもそんな話を聞かせてもらうのがわたしはとても嬉しい。

85歳になろうとするのに話す内容は正確で、細かい点まで記憶していることに驚く。年寄りとはそんなものだでは済ませることのできないレベルである。

例えば、親戚の人の逝去年表、家系図に登場する隅々の人までの名前、生い立ち、数々のエピーソード、それらの出来事に伴う年月日、付随する数字などなど。

真似をするとか、習うとか、はたまた、こうなりたくて自分も鍛えようとか、そう考えてできるものではない。脳みそと心の構造の問題だ。記憶しておくことや分類して整理をしておくことのメカニズムの凄さに感心する。

自叙自伝的な話も多くなった。歳をとることで昔には話さなかったことでも捨てるように吐き出せるんかもしれない。年齢と気持ちがもたらす堰のよなものが外れるイメージで話してしまうのだろうか。

今までは堪えていたのか、話すチャンスがなかったのか、それともわたしが(娘でなく)息子だったからか、孫がこうして大きなお腹をしているからか。理由までは訊ねたりしないけれど、話す内容はしっかりと聞いておかねばならないことの連続だ。

冬至のあくる日に尋ねたのは、正月の餅つきのことを訊いておきたかったからだ。
だが、いつものようにストーブの前で話し始めた母は、自分が赤ん坊を生む頃の話をし始めた。
わたしには弟があるが、死なかしてしまった子が三人あったのだという話である。

大きなお腹のウチのムスメが安心するようにと思ってか、おばあちゃんの経験的な昔話なのか、これから子どもを生む子を心理的に安心させるためなのか、それほど深くを考えてのことでもなく、むかしを単に回想しての話であったのか。

死なかした三人の子について、どんな気持ちで思い返したのだろう。
大きなお腹を見ていると昔の記憶が蘇ってくるのだろうか。

一人は1年半ほどしか生きられなかった長女の話であった。貧しいのと農家が忙しいことで、ろくに医者にも連れて行けず死なかしたという。
あとの二人はわたしと(5つ離れている)弟の間にできた子で、八ヶ月と七ヶ月でそれぞれ流産した。
生まれてからもピクピクと動いていたというような少し怖くて残酷なことも平気で言う。わたしにはこれまで一度も聞かしてくれなかった話であった。

弟は7月10日に生まれるのだが、生まれる間際の6月25日にもまだ田植えをしに田んぼに出ていたという話も聞いた。

今の子は大切にしてもらえて、更に医学も進化して安心して産めるから幸せである……というような単純な話では決してないのだ。

そこには60年の社会の進化と変化があり、人々のイデオロギーの遷り変りがある。暮らしのスタイルが姿を変え、身の回りにある物質が豊かになってきた。家族の体系が新しくなり、幸せ感にも大きな差異が出てきている。

母はそんなことを理屈でいう人ではないのだが、その糾える縄のように変遷する時代の襞のひとつひとつまでをしっかりと見つめ続け捉えている。そういう視線で語っていた。

話の深みを聞き逃すか、聞こうとしないか、聞いても理解できないのか、聞き取れないか。
貴重な話を生かすも殺すも、これからの人に任されている。


とうみとうみ

2015年12月22日 (火曜日)

年の瀬に考える

写真日記(12月20日から22日)

焼き鳥 ワインを買ったのです 車窓から(雨ふり) 車窓から(雨ふり) ゆず 新聞 鯵のフライ ビーフシチュー(スパがけ)


年の瀬を迎えて一年を振り返る時間が増えています。

ブログのあり方も考えることが多くなってきました。

死んでしまって、残った人がボタンをポチと押せば2500篇ある記事はあっという間に消滅します。

そこで、PDFとEPUBに残そうと思い立つわけですが

続きは
わはく(秘)伝

2015年12月19日 (土曜日)

サンマの丸干しの季節

おゆうはん

12月19日 サンマの丸干し 12月19日 ハムとエリンギとぶなしめじのマヨネーズ(ソテー)


サンマの丸干しの季節やな
サンマの丸干し など

2015年12月18日 (金曜日)

ハンバーグは母ゆずり

おゆうはん

12月18日 ハンバーグ 12月17日 煮物 12月17日 鰤の刺し身


17日、18日に着々と
おゆうはんを作っている
ムスメさんからの LINE写真
旦那さん連日仕事の都合で
早くから出掛けたりしているのに
よう頑張っとるな

ところで
わが家は何を食べたんや 忘れたな お鍋やった

ハンバーグ

ムスメさんには母がいて
子どもが生まれるときも
あれこれと世話を焼いてくれて
傍に居てくれる

その傍にいてやる母が
この娘を生むときには
すでに居なかった

さぞや心細くて淋しくて
哀しかったことだろうと思う

中3の卒業式の前日に
母を亡くしてしまったことの深い傷は
こうして子どもが
また新たに生まれる時を
目前にしてもなお重々しく

哀しみで断ち切って
味を受け継ぐのだ。

2015年12月13日 (日曜日)

おとやん の手紙

Walk Don't Run

Photo_4 Photo_3


おとやんの手紙

2015年12月11日 (金曜日)

大雪が過ぎてトントン水木金

写真日記(12月9日、10日、11日)

小松菜お浸し+鯛 から揚げ サバと大根


トントン拍子に年が暮れる

(水曜日)お天気ぽかぽか
ひなたぼっこで一日過ごして
サバが買ってあったからと
冷蔵庫のお掃除しているみたい
サバの塩焼き

(木曜日)夕方には雨にならぬか
心配すればしっかりと雨降りだして傘の人
から揚げが食べたかったから
と気の合うことをいうではないか
から揚げ

(金曜日)強風で
列車のダイア乱れまくって
でも綺麗な虹が出ていました
お昼はカレーを食べて
ありふれた金曜日であったが
夕方になっても風やまず
飛ばされそうでした
小松菜とお揚げの煮浸しに鯛

2015年12月 8日 (火曜日)

冬眠をする ─ 大雪篇

7日は大雪

それほど寒くないなと思っていたのだが 大声で さむ~い と叫んでいる子がいたので 一生懸命に歩いたわたしだけが寒くなかったのか

廊下からデスクに入り込むときに天井の送風口から なま温かい風が顔をさするように吹きつけた

外は冷たい風が吹いている

大雪の日 つぶやきを拾ってみる

夢のなか好きだと言って 逃げだすの
12-07 08:25

大雪や赤いセーター追いかけて
12-07 08:26

追いかけて遮断機くぐる月曜日
12-07 08:27

母は七十一年前のきょうの地震の日の思い出を話してくれたことがあります。終戦前のころの正月前で 麦踏みをしていた と言っていたかな。今度もう一回訊いてみよう
12-07 23:27


母が話してくれたむかしのことを単に物語や出来事として聞くだけではもったいないと歳を食うに従い切々と思う。平成10年に逝ってしまった父の話もわたしに話してくれたときの年齢を越えるころになって初めて心に響いて届く。

母は正月があけたら八十五歳になる。わたしはこの歳まで生きていないだろう。祖父も父も短命で六十五歳、六十六歳で逝っている。生まれながらにして内臓が丈夫ではないのだから、よく頑張ってもそのころまでか。あと、7、8年ほどの勘定になる。

冬眠なんて そんな甘っちょろいこと言っていたら時間がもったいない。

7日は月曜日で大雪。それほど寒く感じなかったのだがあくる日の8日の朝は少しピリリと寒かった。

太陽はは地平線の下にあって東の空が赤くなり始めたころに霜が降りた真っ白の田んぼの横をコツコツと歩いて駅まで出かける。いつの間にか吐息が白くなるまでに寒くなていた。

ダウンジャケットは羽織ってみたが手袋が見当たらずカバンは幼稚園掛けをして手はポケットに入れて歩いてゆく。

夜明け前 初霜ひかりごけのよう
12-08 07:02

そんなふうに書いている。本当に初霜だったのかどうかはわからない。ただ、日の出は着実に遅くなっている。

つづきはあとで

2015年12月 6日 (日曜日)

拗れる、拗ねる ─ 月のはじめに考える(その続き)

起きれない

▼ 拗れる─こじれる
風邪をひいて8日にあったミドラの練習を休んだのを始まりとして
ずーっと風邪の症状が続き、12月になってからは胸の真ん中奥深くで引っかかったような咳が出るようになっている。

静かに座っていると何ごともなく過ぎてゆく

▼ 拗ねる
「すねる」という読み方もあるのだと改めて印象を強く焼き付けている。

わたしはおすね(お拗ね)であるとよくいわれたので、こじれると読むこの漢字を少し特別な思いで読む。

拗ねる拗れるに何か共通すつ点があるのだろうか。
人間の一面をじっと見るように考え続けている

霜月から師走へと ─ 言葉おぼえ帖から

▼ ささやか
細やかと漢字が飛び出すが、あまりピンとこないのでかなで書く。

ささやかにボーナス明細でた夜のケーキ

ここでも書いたようにささやかなことは大切なことだ。

▼ 手遅れ
お給料をもらって暮らしているときにはそんなことには感謝もしない。
多大な人々に世話になったことに感謝をしなくてはならなかったのだと
気づいた時は手遅れである。
残念ながら手遅れにならぬようにとお節介をしたり言ったりしても
受け皿にその用意がしてなければ果ててゆく。

どっかに書いたが「これでいいの!」と思う。

禍福は糾える縄の如し
そうか おとやんは こういうことを伝えたかったのではないか

▼ おでんの鍋突っつきながら酒も飲まない父だった

▼ 年末の忘年会11月下旬から週末5連続で10万円ほど

  • 高雄のもみじや別館で桜鍋
  • 雄琴温泉で鴨鍋
  • 四条河原町東華菜館で豪華な中華コース

懐かしがるわたしにムスメは

バブルな時代やったんやな

と言っていた。
厳密にはバブルよりももう少し前やったよ。
成績ビリ(わたし)でも大手企業に好きなように就職できた時代やったのよ
(地道に大学の残った友人が大学教授・学部長の時代や)

揺らぐことなく真面目に生きよということや

2015年12月 5日 (土曜日)

おでんのほかに鰤の刺し身を

写真日記(12月5日)

鰤の刺し身とおでん(写真なし)

ブリの刺し身

sun

おでんのほかに鰤の刺し身を うちの人
鰤の刺し身

2015年12月 4日 (金曜日)

お好み焼本舗と丸源ラーメン

20151204

(4日夜)
ムスメとおそとで食事をする

旦那さんが忘年会でお食事不要
という情報が入ったので
仕事帰りに待ち合わせをして

  • お好み焼本舗
  • 丸源ラーメン

をハシゴする。

閏年の閏日まで三ヶ月を切ったので
お腹も減るのだろう

体重も1000グラムに増えたそうで
あと2000グラムやなあ

お好み焼きを食べて更に肉そばも食べる

2015年12月 3日 (木曜日)

高村薫 リヴィエラを撃て

読書日記(BOOKs)(12月3日)

仕事帰りに本屋による
高村薫のピンと張った物語が読みたくなっているのだ

高村薫 リヴィエラを撃て

買ったことだけメモしておく

読みきれるのは年明けかもしれない…


だって
最初のページからいきなり難解で
数回読み返してもわかったようなわからないような
そんな感じです

休まずに突き進めるような
甘っちょろい作品でもないし

2015年12月 2日 (水曜日)

ビール2本

下宿に商学部の黒金先輩という人がいた。

黒金さんは米沢興譲館出身で、浪人時代を仙台で過ごしており、そのときの仲間で「北山会」というのを作っていた。その会に萩山寮時代の島田くんがいて「黒金とういうのが下宿しているから君に勧めるよ」と紹介してくれたのが能生館であった。

島田は、飯坂温泉の電気屋の息子なんだが、弟に島田ラジオ店を任せて仙台で2浪、萩山で1浪、そしてわたしが1年の時にも1浪して、合計4浪で文学部に入った。

島田くんの世話になったときには、この二人がお酒大好き仲間だと気づかなかった。

あの頃(1977年)、ビールは195円ほどで、黒金先輩は毎晩ビールを飲んだ。
学校から帰ってくるときに江古田の駅前にある十一屋でビールを2本買って帰る。
下宿の廊下をカランカランと音を立てて部屋に滑り込んでゆく。

このころは風呂屋が150円ほど、駅前のメシ屋でラーメンを食うと300円以内だった。

わたしも黒金先輩の真似をしてビールを2本毎日飲むようになった。

だが、先輩は勉強家でビールを飲みながらではあるものの大学生とは思えないほど日常の時間を勉強に費やしていた人で、のちに山形の銀行に就職し、随分と偉くなったと聞いている。(休日は「なべの会」で奥武蔵や秩父の山を駆けずり回っていた)

真似をしなくてもいいところばかりを真似したアホなやつだったのだ、わたしは。

夜行列車

わたしの家は貧乏だったから新幹線には勿体無くて乗るのが辛かった。
だからできるだけ負担を軽くと考えた。
必死で苦心をするのは誰もがするべきことだ。
普遍的なことであるべきだ。
現代社会の大勢の人々は、心のなかに豊かさの意識だけを大事に残している。
だが、いつの時代でもあの時のように苦心をする気持ちを持ち続けりことは不可欠だ。
(親の思いとこの気持にはヒステリシスがあるが)

大垣行き各停が東京駅から深夜11時半すぎに出た。
利用した思い出のある人は多かろう。
時代を経て人気が出て混むようになってくる。
いつも早めに東京駅で並んだ記憶がある。
三時間以上ホームに並んで待ったこともある。
満員で4人がけのボックスに5人とか6人とかで床にも人が寝ていたことがあった。

旅行気分になる。実際に旅行の人もいた。
京都で講義をする大学の先生にあったこともある。
様々なタイプの人たちがいて話し相手ができた。

思うようには眠れなかった。
長い夜を孤独に過ごすのも学生の試練だったかもしれない。

2015年12月 1日 (火曜日)

拗れる、拗ねる ─ 月のはじめに考える

12月1日(朔日)

キリも良いのでダウンジャケットを背広の上から羽織ってゆく。そうだ去年は1日に出したのだっといった具合に思い出しやすい。

今のように症状が治まらないのを風邪が拗れたというのだろう。インフルエンザの接種を受けに行きたいのだが、打てないかもしれない。11月8日からひいているのでもうすぐ1ヶ月になる。

咳が止まらない。静かにデスクに座っていれば問題ないのだが、電話に出て一言でもしゃべろうとすると言葉を遮るように咳が出る。

拗らせてしまったのかと思う。
拗れると漢字で書く。
漢字を調べてみると面白い。

拗れる、拗ねる、拗れる、拗らすと送り仮名がある。
執拗、拗音、拗強、拗者、拗体と例がある。

これらを見ながら「月のはじめに考える」ことになった。

(つづく?)


進化するおゆうはん(12月1日)

野菜炒め
12月1日 野菜炒め
(おゆうはん写真 久しぶりです)
野菜炒め

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