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2015年11月 8日 (日曜日)

山本兼一 花鳥の夢 (感想追記付き)

山本兼一 花鳥の夢

山本兼一 花鳥の夢

2015年10月21日 (水)

長谷川等伯を書いた安部龍太郎「等伯」を読んで山本兼一の「花鳥の夢」へと思いを誘われた。

かつて、山本兼一「利休にたずねよ」を読んだときに、それまでに接してきた歴史的な小説とは全く違った味わいを知らされ、激しい情熱やドロリとした人間味を読ませてもらった。

芸術的に美しく且つ煮え滾る感情のようなものであったのかと、今になってもう一度思い返しながら考えてみている。

歴史小説としてポピュラーな司馬遼太郎の作品は例えれば落語のようで、吉川英治の作品は講談のように読者をその世界に惹き込んでゆくと、私はそう思っている。

では、安部龍太郎や山本兼一はどうなのか。
二人を同じに考えることはできないが、人物が絵師という芸術のうえで、激しく自分を押し出したり、控えたり、噛み堪えたり、ぶつけたり、自省の檻に叩き込んでみたり、もっと激しく自分を責めたり、悩んでみたりして、生きるてゆく人間の姿を手法を違えて物語にしてゆく。

司馬作品のように 俯瞰的な視線はない。吉川英治のように読者を踊らせてくれるような巧妙さもない。

骨子にあるのは、芸術的な視線を持つ山本兼一の眼差しが捉えている狩野永徳の生き様だ。

ときには、芸術素人読者や非読書虫である私のようなものには、些か退屈なところもある。しかし、扱う人物(素材)の力は遥かに大きく、引力が激しい。

安部龍太郎を先に読んだときに、安部龍太郎は自分を等伯と確実に重ねているということを感想で書いた。まさかと思うことを感じたので、そんな思いの人はそ れほど多くも居ないだろうと思いつつそう書いた。なのに、後になって多くの人の感想や談話を読んでみれば、安部龍太郎自身が「私は等伯です」と直木賞受賞 時のインタビューで語ったと書いているから私は驚く。
私は間違っていなかったらしいのが嬉しかった。

「花鳥の夢」の文庫の解説を書いている澤田瞳子さんは「狩野永徳は山本兼一だ」と書いている。そのことは読み始める前に拝見した。その書評を読んだからこ の作品を読まずにはいられない。ということで、歴史作品を連続読書するなどという前例がないまま、二人の絵師の世界、戦国の激しい時代のなかを生きる 人々、芸術家であり人間である姿で真正面から自分の使命と運命に立ち向き合ってゆく物語のなかに私は踏み込んでいった。

安部龍太郎の文章は読み手の心を上手に捉えて離さない。
一方、山本兼一は、美的で考え抜かれて吟味され尽くした厚みのある一節一節で、いかがでしょうかというように惹きつける。
美的なものをきちんと美的に伝えて、物語のなかで粉塵のようにして読者に吸い込まれてゆくように、作品にまとめ上げ てゆく。さながら、この物語のなかの永徳のようでもある。

小説家という人物の頭のなかはどんな構造になっているのか。安っぽい小説なら「ボクも真似して書いて」みたくなるのだろうが、山本兼一はそれを寄せつけないような凄みがある。決して詩的で美文でもないが、やわらかみのある作風だ。

どこまでが史実で、どこからが架空であるのか。それは全く不問でいいのだと思えてくる。そんなことは歴史の教科書や図書館の美術史の書籍に任せよう。狩野永徳という人間の心のなかに踏み込ませてもらうことで、知らない絵の世界が見えてくるではないか。

こんなに激しく燃えて、悩みぬいて、自分を問い詰めて、芸術を極めて生きぬいてゆくなんてことは、誰ができるものでもあるまい。しかしながら、歴史に名を残した人物にはしかるべき苦心があったのだ。

作者は、狩野永徳が持っていた天才肌の他にあるもう一方の面で、彼を責め続けた自分に問いかける正義のようなものを書きたかったのではないか。

いつの時代の凡人にも非凡人にもあるような側面を、歴史的芸術作品の絵の裏にある泥っとした過程のようなもののなかに、物語として書いて、凄まじい永徳の本当の姿を表現したかったのではないか。
等伯と永徳の絵を見に出かけたくなる。そんな作品です。(平成27年11月6日)


ここまで一息ついて、最後の方をもう一度読む。
終章(第九章)花鳥の夢の段は興奮も収まり静かな章になっている。
一度登場した利休も姿を表し、芸術から哲学の色合いをもった問答や自責が続く。
戦国の世の激しい闘いのなかでその波に揺られながら命辛辛生きている人間たちである。
物語のうえでは少しばかり悪者のイメージで描かれていて、実像はどうであったのかも気にかかるものの、強くて華麗であった人に少し物語上は悪役を買ってもらったというところなのか。
志も半ばで、等伯よりも遥かに早く、利休が無念で切腹をするより半年早く、永徳はこの世を去る。
なるほど、こうして考えていると、山本兼一は狩野永徳だったという点も見えてくる。

─2015年11月8日 (水)

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