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2015年11月30日 (月曜日)

満員電車と暑い地下鉄の話

むかしの話をしょうか
の続きを書く

冷房がない通勤列車

最初に「冷房がない通勤列車」と書いてみたが「満員電車がキライだった」が正しい。そして「暑い地下鉄」はその一例だ。

まだ冷房を備えた電車は珍しかった。

西武池袋線の江古田駅を7時45分ころはまだ朝の通勤ラッシュ時刻であるが、1時間に6本ほどやって来る各停の中に、1本だけが冷房車に当たるというくらいのレベルではなかったか。

地下鉄ではトンネル冷房というものが実施されつつあった。丸ノ内線はボロかったので、設備が充実するのも遅かった。
地下通路やホームは涼しかった記憶があるものの、まだまだ列車の中は地獄のように暑かった。
冷房をする装置がパワーや効率面で現代ほどには進化していなかったのだろう。

世の中のあらゆるものが現代のように大量の電力を消費するようには設計されていなかったのだ。


 写真日記(11月29日)

サッポロ一番みそラーメン焼きそば シュークリームを買ってきてもらう アニバーサリーで

2015年11月29日 (日曜日)

食卓にミカンさり気なく置かれており

なあ ちょっと
むかしの話をしょうか

なんてわけで あれこれ書き足しながら 逆引きリンクを作ってむかしを懐かしんでいます。

写真日記(11月29日)

みかん

11月も終わっていきますなあ

下駄履き
長髪
ブックバンド
トレンチコート
グウタラ学生生活
落第恐怖
ヘルニア
古本三昧

そんな大学生活が始まった最初の冬は
金がなくてコタツが買えたのはクリスマス前だった。

昨日ストーブ出しました。

スルメを焼けば
お酒が進む
ブタになる

2015年11月28日 (土曜日)

江古田のことはコチラが詳しい

むかしの話をしょうか

をリストアップしようとすると
能生館のことを真っ先に思い出す。

むかしのこの記事をぜひ読んで欲しい。

2015年11月27日 (金曜日)

京都日記 あれこれ

写真日記(11月24日-25日)

(24日朝)

朝ごはん(24日)

特急に乗る前に
モーニングで時間調整をして
その日は神護寺に行ってから車折へ

(25日)

帰りはいつもどおり 駅ぶら

京都駅伊勢丹のクリスマスツリー 京都街歩き本
おつまみを買って
ついでに仙太郎の大福も買って電車に乗りました。

仙太郎の大福を買う

家の近くの店で
鰤のにぎりも買い足して
家でゆっくり
ブリのにぎりを買う


(26日)

帰ったあくる日は
生節と千枚漬けでした
生節と千枚漬け

2015年11月26日 (木曜日)

京都日記(11月24日と25日)

京都日記(平成27年11月24日と25日)

24日と25日で京都(別邸)へ

二日目は天龍寺のお庭に行ってました

渡月橋   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   Img_0726   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて   天龍寺の庭にて 


一日目は高雄に行って
帰りに御室仁和寺に寄って
おうちへ

御室駅   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   仁和寺   高雄へ   高雄へ   高雄   高雄へ   高雄へ

往復で800円の切符はお得です(JRバス)

2015年11月23日 (月曜日)

最後の言葉 ─ 小雪篇

わはく(秘)伝 のブログにメモ書きを始めたら長くなってしまった。移動しながらコチラで書く

あのひとの最後の言葉


▶「ひとの最後の言葉」(大岡信 ちくま文庫)をみて、大岡信さんが亡くなられたころに買ったことを思い出し、さらに、わたしの父はなにか言葉を遺したのかを回想していた。

▶わたしは何を残せるだろうか。
残せる業績などなかったと卑下しても構わないが人として何かを感じたはずでゴミでもであろうがそれを残したい。

▶年が暮れてくると1年を振り返ることが多くなるので些細な事でも気にかかることが次々と頭のなかを掠めて通る。それが身近な人々の最後の言葉であるとか口癖であったりする。その人を偲ぶたびに切なくなり自分の覚悟ができてくるのが分かる。


▶父はなにか言葉を遺したのか
そのことが真っ先に浮かんだ。答えな曖昧なままなのだ。あのときを看取ってくれた人に尋ねたわけではない。なぜこれまで尋ねなかったのか。死んでゆくときの様子を何度も聞かせてもらってはその場所にわたしがなぜ居なかったのかを悔やんできたのに。わたしは知ろうとしなかったのだった。

ひの菜
22日 (日) おゆうはんにひの菜があったのだ(嬉)

▶ひの菜で夕飯を食べながら
今夜はわが家の母の美味しいひの菜のことを考えていた。

▶母は80歳を過ぎてから
(細かいことを気にすれば)味付けの腕も変化したてきたものの、これを衰えというよりは進化のようにわたしは思う。

▶そもそも旨味というものがヒトの身勝手な趣向で線引きされたものであり、漬物の味が変わったり、煮物の味が濃くなったり薄くなったり、寿司の甘酢の味加減に変化があったり、日によって違ったり、味ごはんの醤油や甘さ加減が昔と変わったとしても、それは母のサジではないかと思う。

▶母のたくあん漬けはわたしだけが世界で一番おいしいと思う。だから、ひの菜も母のひの菜が一番旨い。写真は地場産の店で買ったもので今年は母の漬物をまだ食べていない。

▶そんなふうなことを考えながら他愛ないおしゃべりをしておゆうはんを食べてたのだが、ちょうどそのときに日曜美術館を放送していることを新聞TV欄で知った。わたしはNHKは見ないが父がいつも見ていたのを思い出してそんな日々もあったなあと染み染み漬物でごはんを食べた。

▶父という人はテレビを自分から進んでみることは全く無かったのだが、日曜美術館はいつも見ていた。あのころのわたしはあの人の気持ちをわかろうとしなかったのだな。もう少し近づける努力はできたのかもしれないのに、なぜ、一緒に見て共感しようとしなかったのか。幸せだったというのが答えのひとつかもしれんと思っている。だからそれを知っていて父はわたしに見ろとも言わず、また、自分の絵も押し付けようともしなかった。

▶父は朝ドラも時々見てた。仕事に出かける前に家で見るか、ご飯を食べに昼休みに家に帰ってきてドラマを見てから仕事に戻っていきました。あの人が見たテレビは、おそらくその二つの番組だけだっただろうと思うと、またまた切なくなる。

▶そんなことを思い出しながら まだ、あの人のあの人らしい言葉がするりと思い出せません。

(次篇へとつづく)

2015年11月22日 (日曜日)

ひの菜 ふたたび

あのひとの最後の言葉

ひの菜を食べた。ふたたび
メインはおでんですが写真なし

ひの菜
写真日記(11月22日)

2015年11月20日 (金曜日)

飲んでしまう献立

写真日記(11月20日)

揚げ出し豆腐で一杯

揚げ出し豆腐 お好み焼き


(あくる朝 21日)

てなわけで
揚げ出し豆腐

昨夜も小皿を並べて食卓でちびりちびり
風邪の症状はおさまっているのだが
咳が残っている

その咳がゴホゴホと忙しいものではなく
じっと腰掛けていればずっと静かで

電話をとって話したりすると
要件を話し終わらないうちに
胸の奥のほうが詰まって
話せなくなるのだ

2015年11月19日 (木曜日)

今季初 麦畑 (車窓から)

写真日記(11月19日)

昨日は雨で
きょうは晴れ

今季初の麦畑の車窓から
(写真がヘンですが)

車窓から 麦畑(今季初)

今季初の車窓から麦畑 ミスドでポンデ

2015年11月18日 (水曜日)

サバとひの菜

写真日記(11月17日)

朝は歩きで帰りバス
お昼は 平目のフライ
夜は サバ

サバ

なあ 醤油と味噌と どっちがええ?
と聞かれて

どっちでもええ
と答えたのでした

これからの季節はひの菜です。
旨い

2015年11月17日 (火曜日)

トンカツと唐揚げ そしてハマチの刺し身

写真日記(11月下旬の始まり)

日曜日は
ブリの刺し身に
鶏の骨付きを焼いて
ひの菜もあったの

ひの菜 ぶり 手羽元

ハマチと骨付き手羽元とひの菜

そして
月曜日は
骨付きを唐揚げにして
トンカツもしたんです

トンカツと唐揚げ

トンカツと唐揚げ

痩せませんね

2015年11月16日 (月曜日)

ひの菜 食う

M's Zoom(ひの菜 食う)

ひの菜が旨い季節やね
20121130

20150119

2015年11月15日 (日曜日)

風邪ひいたままの土日が終わる

おゆうはんから

相差4 相差3 相差2 相差1


志摩半島に旅に行っているムスメさん夫婦からの便りでした。
豪華やなあ。

わたしら夫婦はお肉を買ってきて二人でテーブルで焼き肉をしまして
風邪も1週間以上になりますが
ウォーキングにも出られるようになってきたし
お酒も飲めるほどになってきたから。

ケーブルテレビが光ファイバーになってBS放送が映るというので
接続をして欲しいとうちの人に言われまして

TVのチャンネルのスイッチも変更方法も音量調整も
咄嗟にはわからずじっとリモコンを見つめて考えるわたしですが

接続後に映像が出るかどうか確認しなきゃアカンということで
いじくり回していたら面白くて懐かしい番組をやってまして
主題歌などすっかり覚えておりますが

1時間だけ見ました。
TVを見たのは久しぶり。

昔の作品なら見てもいいね

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2015年11月14日 (土曜日)

手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太

手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太(昭和三十五年)

飯田龍太のこの句に出会ったのは最近のことでそれほど深い意味もわからず静かな落ち葉の公園の遊歩道のようなところを想像していた。

然しのちになってもう少し深い意味があるのではないかと思い立ち評論や引用などを手探りで辿ってゆくと、今度はわたしの文学の知識や資質を大きく上回るような解説が出てきて、これはこれは大変偉大な作品に出会ったのだと密かに喜んだのだった。

手が見えて父が落葉の山歩く(昭和三十五年)

[自選自解 飯田龍太句集]の解説から

<実景である。早春の午下がり、裏に散歩に出ると、渓向うの小径を、やや俯向き加減に歩く姿が見えた。この季節になると、楢はもちろん、遅い櫟の枯 葉もすっかり落ちつくして、梢にはひと葉もとめぬ。乾いた落葉がうずたかく地につもる。しかし、川音でそれを踏む足音はきこえない。明るい西日を受けた手 だけが白々と見えた。くらい竹林のなかから、しばらくその姿を眺めただけで、私は家に引き返した。この作品は『麓の人』のなかでは、比較的好感を持たれた 句であったようだ。しかし、父が、これから半歳後に再び発病し、爾来病牀のひととなったまま、ついに 回復することが出来なかったことを思うと、矢張り作の高下とは別な感慨を抱かざるを得ない。いま改めてその手が見えてくる。父は生来、手先は器用の方であった。>

昭和三十五年の秋といえば、わたしは3歳になるときのことだ。父はもちろん祖父も元気であった。
母がいる実家の押し入れには、おそらく、わたしが父に肩車をしてもらって祖父と並んでお伊勢さんの鳥居の前で撮った写真が残っているはずで、それがそのころのものだ。

伊勢まではどうやって行ったのだろうか。
写真には書き添えられてはいないが、ディーゼルカーはあったのかどうかもあやふやで、蒸気機関車が普通に長い長い客車を引いて走っていたころのことだから、汽車かもしれない。近鉄電車にも乗っただろう。

父も祖父も重苦しい外套を着てカメラに向かって最高の顔をしている。

三十歳に満たない時代は誰にでもあった。わたしは自分が子どもである写真よりも父と祖父がここにいることに大きな価値を抱いている。

祖父は二三年後に亡くなってしまう。わたしには祖父の記憶がある、と思いながらそれは遺された数少ない写真を見て作られたイメージであるような気もする。しかし、5歳ほどなら記憶があっても不思議ではなく、何となくであるが祖父の葬儀に参列しているような像も頭の片隅にある。

子どものころは事ある毎に父に肩車をしてもらったものだ。今の子どもたちがお父さんに肩車をしてもらっている光景をあまり見かけないのは何故だろう。高く突き放す感じよりも子どもを大事に抱きかかえる動作のほうが日常になったからかも知れないと推測したりしている。子どもは宝なのだがある一面で抱きかかえ過ぎていることの象徴のようにも思う。

父も祖父もいなくなりわたしが父という立場から祖父へと代わる時がもうすぐに来る。

そんなこれからのかずかずの光景のなかで、ほんの少しでよいからこの句の「手」のようにありたいものだと思う。

祇王寺にて

2015年11月 9日 (月曜日)

冬じたく ─ 立冬篇

11月8日は立冬で暦のうえではこの日から冬となる。また寒い季節を迎える招待状が届いたようなものかもしれない。

20151108立冬

それほど冷え込んでこないのは雨が近いからだろうと天気予報を見て、前日の土曜日にお出かけをした帰りにムスメと合流しておゆうはんを食べた。

鍋が食べたいというのでお手ごろな店に4人で入ったのだが、焼肉とお鍋とがセットになったコースを注文して、みんなで汗だくになって食べた。

食事が終わって店の外に出ると、傘なしでどこまでも歩くわけにもゆかないほどの雨が降りだしていた。天気予報は夜半を回ってからといっていたのが、少し外れたようだ。

今の季節などは、天気や気流、気温の予測をすることにおいて難儀な時期ではないと思えるのだが、珍しく外してしまったには訳があったことだろう。何事も安易に見えてそこには無数の奥があるのだ。

▼ 雨静かに降り出して今年の秋と別れる

家の前まで車で送ってもらって週末・土曜の夜が更けた。

二三日前に「花鳥の夢」を最後の第九章を残すところまで読み終わっていた。感想は思いつくことをメモ書きするように書き溜めていたので、第九章を読み終えて読了とする。

山本兼一の作品は「利休にたずねよ」を読んだのみで二冊めであった。

小説として作品を見ると、文芸の域より大きく文学に傾きながら、文学に偏らずに芸術をしっかりと手のひらの上に置いて書いているのを感じる。

利休の言葉がいい。第八章最後にある。

性分でございますゆえ、お許し願いたいが、見せよう、見せよう、という気持ちの強い絵は、どうにも好みに合いませぬ。絵師がおのれの技倆を鼻にかけているようで、いかにも浅薄な絵に見えてしまいます

そして、秀吉の言葉が更に素晴らしい。(第九章P485、486)

そなた、悪相になったな

秀吉の命を受け東福寺法堂天井画を描きはじめる直前の永徳は、自分と格闘をしている。悩み苦しみ命をも削っている(…ことに気づかない)

なにごともな、すべてを一人で掴もうとすると、し損じる。わしの天下統一でも、すべての大名たちが従うわけではないぞ。従わぬ者を討伐しても、皆殺しにするわけにはいかぬ。生かして残してやらねば、連中は追い詰められて、死にもの狂いで歯向かってくるぞ

・・・

絵は、もっと楽しんでゆるやか描くがよい。長谷川の絵は、観ていて気持ちがゆるやかに楽しくなる。絵のなかに、観る者の居場所がある

山本兼一 花鳥の夢

言葉というのは、受け取る人の心の状態でいくらでも変化する。
気にもとめられないこともあれば、言った本人がまったく違ったことを考えていたりすることもある。

秀吉が狩野永徳にそのように言い放ったとき、利休はまだ秀吉から切腹を命じられていない。

秀吉からの厳しい言葉を浴びたあとにも永徳は描き続け、龍の瞳に丸い二つの目玉を入れて、鼻の線を引いたところで永徳の命は尽きる。

小説は永徳が死んでしまうのだとは明確に記述していない。まして、利休がこの半年後の春に切腹を命じられこともどこにも触れていない。

ムスメさん夫婦は私たちを家の前まで送り届けたあと、簡単な買い物をするためにスーパーに寄り深夜に家に着いたらしい。

ツマが、あの子たち買い物してから帰ったんやって、と明くる朝に話してくれた。
そうか、と返事をするときにノドが痛いことに気づいて風邪のはじまりとなった。

ぬくい夜がおわって雨の立冬の朝を迎えた。その雨も夕方には小止みになったかのように見えたが、月曜日の昼過ぎまで降り続いた。

わたしの風邪は、雨がやんでも、知らぬ顔。ノドはまだ痛いが、明日は休めない。

2015年11月 8日 (日曜日)

山本兼一 花鳥の夢 (感想追記付き)

山本兼一 花鳥の夢

山本兼一 花鳥の夢

2015年10月21日 (水)

長谷川等伯を書いた安部龍太郎「等伯」を読んで山本兼一の「花鳥の夢」へと思いを誘われた。

かつて、山本兼一「利休にたずねよ」を読んだときに、それまでに接してきた歴史的な小説とは全く違った味わいを知らされ、激しい情熱やドロリとした人間味を読ませてもらった。

芸術的に美しく且つ煮え滾る感情のようなものであったのかと、今になってもう一度思い返しながら考えてみている。

歴史小説としてポピュラーな司馬遼太郎の作品は例えれば落語のようで、吉川英治の作品は講談のように読者をその世界に惹き込んでゆくと、私はそう思っている。

では、安部龍太郎や山本兼一はどうなのか。
二人を同じに考えることはできないが、人物が絵師という芸術のうえで、激しく自分を押し出したり、控えたり、噛み堪えたり、ぶつけたり、自省の檻に叩き込んでみたり、もっと激しく自分を責めたり、悩んでみたりして、生きるてゆく人間の姿を手法を違えて物語にしてゆく。

司馬作品のように 俯瞰的な視線はない。吉川英治のように読者を踊らせてくれるような巧妙さもない。

骨子にあるのは、芸術的な視線を持つ山本兼一の眼差しが捉えている狩野永徳の生き様だ。

ときには、芸術素人読者や非読書虫である私のようなものには、些か退屈なところもある。しかし、扱う人物(素材)の力は遥かに大きく、引力が激しい。

安部龍太郎を先に読んだときに、安部龍太郎は自分を等伯と確実に重ねているということを感想で書いた。まさかと思うことを感じたので、そんな思いの人はそ れほど多くも居ないだろうと思いつつそう書いた。なのに、後になって多くの人の感想や談話を読んでみれば、安部龍太郎自身が「私は等伯です」と直木賞受賞 時のインタビューで語ったと書いているから私は驚く。
私は間違っていなかったらしいのが嬉しかった。

「花鳥の夢」の文庫の解説を書いている澤田瞳子さんは「狩野永徳は山本兼一だ」と書いている。そのことは読み始める前に拝見した。その書評を読んだからこ の作品を読まずにはいられない。ということで、歴史作品を連続読書するなどという前例がないまま、二人の絵師の世界、戦国の激しい時代のなかを生きる 人々、芸術家であり人間である姿で真正面から自分の使命と運命に立ち向き合ってゆく物語のなかに私は踏み込んでいった。

安部龍太郎の文章は読み手の心を上手に捉えて離さない。
一方、山本兼一は、美的で考え抜かれて吟味され尽くした厚みのある一節一節で、いかがでしょうかというように惹きつける。
美的なものをきちんと美的に伝えて、物語のなかで粉塵のようにして読者に吸い込まれてゆくように、作品にまとめ上げ てゆく。さながら、この物語のなかの永徳のようでもある。

小説家という人物の頭のなかはどんな構造になっているのか。安っぽい小説なら「ボクも真似して書いて」みたくなるのだろうが、山本兼一はそれを寄せつけないような凄みがある。決して詩的で美文でもないが、やわらかみのある作風だ。

どこまでが史実で、どこからが架空であるのか。それは全く不問でいいのだと思えてくる。そんなことは歴史の教科書や図書館の美術史の書籍に任せよう。狩野永徳という人間の心のなかに踏み込ませてもらうことで、知らない絵の世界が見えてくるではないか。

こんなに激しく燃えて、悩みぬいて、自分を問い詰めて、芸術を極めて生きぬいてゆくなんてことは、誰ができるものでもあるまい。しかしながら、歴史に名を残した人物にはしかるべき苦心があったのだ。

作者は、狩野永徳が持っていた天才肌の他にあるもう一方の面で、彼を責め続けた自分に問いかける正義のようなものを書きたかったのではないか。

いつの時代の凡人にも非凡人にもあるような側面を、歴史的芸術作品の絵の裏にある泥っとした過程のようなもののなかに、物語として書いて、凄まじい永徳の本当の姿を表現したかったのではないか。
等伯と永徳の絵を見に出かけたくなる。そんな作品です。(平成27年11月6日)


ここまで一息ついて、最後の方をもう一度読む。
終章(第九章)花鳥の夢の段は興奮も収まり静かな章になっている。
一度登場した利休も姿を表し、芸術から哲学の色合いをもった問答や自責が続く。
戦国の世の激しい闘いのなかでその波に揺られながら命辛辛生きている人間たちである。
物語のうえでは少しばかり悪者のイメージで描かれていて、実像はどうであったのかも気にかかるものの、強くて華麗であった人に少し物語上は悪役を買ってもらったというところなのか。
志も半ばで、等伯よりも遥かに早く、利休が無念で切腹をするより半年早く、永徳はこの世を去る。
なるほど、こうして考えていると、山本兼一は狩野永徳だったという点も見えてくる。

─2015年11月8日 (水)

2015年11月 7日 (土曜日)

山本兼一 花鳥の夢 読了報告

(平成27年11月6日版の感想)

長谷川等伯を書いた安部龍太郎「等伯」を読んで山本兼一の「花鳥の夢」へと思いを誘われた。

かつて、山本兼一「利休にたずねよ」を読んだときに、それまでに接してきた歴史的な小説とは全く違った味わいを知らされ、激しい情熱やドロリとした人間味を読ませてもらった。

では、安部龍太郎や山本兼一はどうなのか。

二人を同じに考えることはできないが、人物が絵師という芸術のうえで、激しく自分を押し出したり、控えたり、噛み堪えたり、ぶつけたり、自省の檻に叩き込んでみたり、もっと激しく自分を責めたり、悩んでみたりして、生きるてゆく人間の姿を手法を違えて物語にしてゆく。骨子にあるのは、芸術的な視線を持つ山本兼一の眼差しが捉えている狩野永徳の生き様だ。

ときには、芸術素人読者や非読書虫である私のようなものには、些か退屈なところもある。しかし、扱う人物(素材)の力は遥かに大きく、引力が激しい。

2015年11月 6日 (金曜日)

花鳥の夢(山本兼一)から利休と秀吉の言葉

利休の言葉がいい。第八章最後にある。

性分でございますゆえ、お許し願いたいが、見せよう、見せよう、という気持ちの強い絵は、どうにも好みに合いませぬ。絵師がおのれの技倆を鼻にかけているようで、いかにも浅薄な絵に見えてしまいます

そして、秀吉の言葉が更に素晴らしい。(第九章P485、486)

そなた、悪相になったな

秀吉の命を受け東福寺法堂天井画を描きはじめる直前の永徳は、自分と格闘をしている。悩み苦しみ命をも削っている(…ことに気づかない)

なにごともな、すべてを一人で掴もうとすると、し損じる。わしの天下統一でも、すべての大名たちが従うわけではないぞ。従わぬ者を討伐しても、皆殺しにするわけにはいかぬ。生かして残してやらねば、連中は追い詰められて、死にもの狂いで歯向かってくるぞ

・・・

絵は、もっと楽しんでゆるやか描くがよい。長谷川の絵は、観ていて気持ちがゆるやかに楽しくなる。絵のなかに、観る者の居場所がある

2015年11月 4日 (水曜日)

サンマ(12匹め)と肉豆腐

写真日記(11月4日)

サンマ12匹目 ほうれん草 肉豆腐

肉豆腐が食べたくなってね

サンマは12匹目です

肉豆腐が食べたくて


ブリの照り焼き

むすめさんのおゆうはん(4日)

11月 初旬 文化の日

11月3日 ハンバーグ

トンカツと串かつ

わが家

ハンバーグ

ムスメ


最低気温が
12℃くらいであったり
8℃付近まで下がったりして
朝起きてきてブルっとする日もあれば
温たいなあと思う日もある

6キロ散歩も定着しつつあって
挨拶してくれる高校生も(中学生もいるかも)
一部だがおよそ顔を覚えかけている

7時にはグラウンドに出て柔軟体操をしている
陸上部の生徒さんはスマートでかっこいい

あんなふうになりたいなと
内緒だけど
思う

2015年11月 3日 (火曜日)

遺す言葉 29 をまとめる

遺す言葉 - 29 をまとめる

遺す言葉 - 29
をブログからピックアップしている


遺す言葉 - 29

平成27年の晩夏から秋へ


続く(不定期)

2015年11月 2日 (月曜日)

霜月ときいてぬるめの燗をする 

霜月というといかにも寒さがただよう。11月の初日は日曜日で、ムスメが美容室に来るというので駅まで迎えに行った。もう一回、お正月ころに切ったらそのあとは子どもが生まれてそれどころではなくなるだろう。髪を切ったり何か出来事があったりしながら季節はこつこつと過ぎてゆく。

Photo冬の寒さは嫌いではないものの、カラダの動きが鈍くなったり動き出すのが億劫になったりするので、少し自省の気持ちも出てくる。しかしながら、ぬくたい布団のなかでひとときを過ごすのも快感だ。

時間がもったいないと思ったころもある。そんな時間を過ごすならば読書をするか、何か外で行動でも起こす、日記を書こうかなどと忙しい心に責められていたあるときが懐かしい。

今は「これでいいのだ」という精神で生きている。わたしの父はまさにバカボンのパパと同じような雰囲気を持った人であったなあと、亡くなって年が過ぎるごとにますます痛切に感じる。

ぬるめの燗。

霜月という言葉をきいて「ぬる燗」の酒を思い浮かべた。日本酒を飲まないくせにこの季節のピリッとする寒さを連想させるには持って来いな言葉だ。

わたしはこれまでの人生で日本酒をほとんど好んで飲んでこなかったので「ぬるめの燗」の旨さは知らないし、今でもそのような域には到達していない。

ムスメが嫁いで居なくなってから二人でお猪口に二三杯ほどのお酒を飲むことがあるものの贔屓の酒に出逢えたわけでもない。味わいが酒それぞれに少しずつ隠れていて個性の幅が大きく、私のような者でも味わいやすい面をそれなりに愉しむ。

味は極めるほどにはわからない。それでいいと思っている。

ムスメさんの夕飯の写真がLINEで送られてきた。(おゆうはん

旦那さんはお酒を飲めない人なのだが飲み会があるとわりと楽しそうに出かけていくそうで、深夜の帰りを待ちながら、そそくさと簡単に一人ご飯をいただいたらしい。

わが家はおでんだった。

しらたきという関東風のこんにゃくみたいなのが食べたいと言って買ってきて冷蔵庫にしまってから二度おでんをしたけども二度とも入れるのを忘れてしまったらしいうちの人。

よほど馴染みがないのだと思うとますます食べたくなってくる。

2015年11月 1日 (日曜日)

土曜日にハマチを食べて 日曜日に水炊き食べる

写真日記(10月31日)

ハマチ

水炊きの写真はなし

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