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2015年10月 2日 (金曜日)

むかしの話 ─ 花も嵐もⅢ その85

わたしが若いころ、つまり子どもが小さいころから大人になるまでの間、わたしは色々なところに旅(ツーリング)をしてきました。そしてまずまずマメに足跡を日記に残してきました。

その日記や出来事そのものにもウチの子どもはあまり関心を持とうとしない ─ 聞こうとも読もうともしない ─ みたいです。

早い話が、父親の若いころにはどんな遊びをしていたか(またはどんな暮らしをしていたか)などということにはそれほど関心がないのです。

これは、わたしが子どものころに父親に昔の話を聞かせて欲しいとせがんだ様子とは、とても大きな違いだと思います。

こういった現象(傾向)は、昭和末期から平成に掛けての子どもたちには当たり前のようにみられることで、言いようによってはマイペースで個人主義の表れです。あまりにもこのごろになってから顕著になってきているようで、些か驚きます。

その理由を次のようにわたしは考えます。

世の中の成長曲線がなだらかになって、社会の変化率が小さくなってきたことは明らかです。不況ではありますが、安定しているともいえます。そんな日常で、何事に向けても好奇心や関心が薄れているのでしょう。

いつも何らかの形で満たされている状態で、お金があれば何でもできるという冷めた感覚が存在するのかもしれません。

自分なりに誰の影響も受けずに、ある種の平和を確保し、楽しそうなものを楽しもうという考えでしょう。受験もほとんど苦しいイメージを持たずに推薦で合格し節目は楽ちんに通過していく人が多いし、浪人という考え自体がかなり死滅しかかっているわけです。みんなのらりくらりと誰かの指導を受けて作られた道をきちんと歩む。

そうして生きていれば、これから新しい楽しみがやってくるし、それなりに夢が実現できてゆく。そう考えるのが一種の真面目な人の考えだ。そういうところでしょうか。

ですから、父親の生き方やその記録なんてのは、一種の古いスタイルであり、いわば歴史的レトロであるわけです。わたしには関係ないむかしの話だし、これから楽しむとすれば、レトロというジャンルで特別扱いになってしまう。

以前、日記のどこかにも書いたが、子どもというものは親の足跡や日記を読もうとはしないし、あまり熱心に話を聞こうとしないのは別に普通のことです。これは、50年くらい昔の子どもでも同じで、子どもとはそんなものでしょう。

それが大人になって、親を亡くしてしまうころから変化し始める人があります。

わたしに当てはめて言えば、父や祖父が(母や祖母でも)日記を遺していたら間違いなく貪るように読もうとしたわけで、何か記録に残ったものはないかと必死で探したり、老人に話を聞きに行ったりもしたのでした。

だからといって、子どもたちに先取り精神を教えてやろうというのは正しいとも言えないでしょう。若いうちから自分の一世代二世代むかしの人から話を聞きなさいな、というのも出過ぎているかもしれません。

その子がおとなになったときに、何をどう感じるかはまったく想像はつかないけれど、所詮儚いものなんですから、無理に伝える強引さはいけないのかもしれない。

調べたくなったときに発掘する資料を残しておくだけでいいのでしょう。そんな気がします。

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