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2015年9月 9日 (水曜日)

桜木紫乃 ホテルローヤル

文芸が乏しくなっている。そう感じるのは文学よりもおもしろくて売れるものが本屋の棚に目立つように積まれるからだろう。やり場のない時代の流れを受け止めねばならないが、仕方がないと考えている。

モノマネのように物語を次々と作り、娯楽的で話題性のあるものが注目され、一絡げで読書というジャンルを賑やかにしている。イミテーションのような読書に飽きずにいつまでも耽っているのもいいだろうが、やっぱし、ニンゲンとしての感性が腐っていくように感じる。確かにそれでもオモロイものはオモロイ。それを読むのも自由だ。

でもそんな雑草のような棚積みの作品群のなかにポツリとあった作品に惹かれてしまった。暗闇のホタルのように光っていたわけではない。むしろ深く積もった落葉にひっそりと隠れている松茸のようであった。そんな風にして出会えた作品が桜木紫乃さんだった。

いつの時代にも裏切らないものが必ずあるものだ。この作品もそうだった。読後感を語れば、裏切らない作品だが暗くて悲しい印象が残るというだろう。読み終わっても勇気なんか出てこない。

小説というのはここにあるような架空を愉しみもので、やり場のない結末は架空だからこそ現実と隣合わせにおいてじっくりと味わうことができる。小説が小説らしくあるときに、隣にある現実世界から言葉を借りて、一層それが文芸として活き活きとしてくる。そう思い返しながら自分を納得させようとしている。


芥川賞がきちんと周期的に話題になってマスコミが騒ぎお祭りのようになってくる。
毎回の賞のたびに、新しいカラーの新人が登場するのだから文芸ファンは枯れてはいないといえる。

しかし、いつのときも、作品がおもしろいそうか、買って読みたいか、といえばノーだ。それでも、芥川賞は大丈夫、不滅だと感じている。新人とはどんなに歴史が変化しても新人らしいものなのだ。

直木賞だって苦心しているのだとこの作品はアピールしたのか。悪口な人ならば、直木賞もアカンなとか異色で詰まらん作品を選んで…みたいなことを言ったのだろうか。

まあ、いわせておけばいいのだが、みんなが絶賛したわけではなかったこの作品のもつ良さこそが枯れさせてはならない文芸であるのではないかと思った。

ちかごろ、文学が詰まらないと思う人が多いのは、村上春樹のような作家がそれらしくてちやほやされているような画一性にもあるのではないか。

実際に(村上作品の何が)いいのかどうかもわかっていないだろうにちやほやするような読書家も多かろう。わたしはムズムズしている。もっときちんと読めよ。村上春樹のどこがノーベル賞なんだ、どこが〇〇賞なんだ。(この作家さんがキライだといっているのではないのであしからず)

そんな気持ちで読んだ初めての桜木紫乃「ホテルローヤル」は「やっぱし直木賞には味があるわ」と納得させてくれた。七篇を順に読みながら抱いた感想がグイグイと確信に変わってゆく素晴らしい作品だった。

櫻木紫乃 ホテルローヤル

桜木紫乃という人は文芸が好きなんだなと想像しながら作品を読んでゆく。自己主張の少ないなかで、味わい深い文「芸」のやや重いめの作品に出会えたと思えて嬉しくなる。

歴史的にも文学作品は山のようにある。山のようにあっても、例えばわたしの好きな福永武彦のようなタッチの文学はほとんど存在しない。どんなに売れたとしても到底福永武彦には叶わない。

紫乃さんは、名作とはそもそも一線を引いて、結構独自の路線を走っている。ところが詰まらないというわけではない。幸せがあるとか喜びがあるとか、エンドマークが涙で曇るなんてこともない。日常でありながら、非現実であるのだ。ところが「ホテルローヤル」の七つの作品たちは夢の射程距離にあり、また一線を隔てた向こうにある物語なのだ。

詩人としても活躍されているそうですが、小説の中に詩人としての雰囲気はまったく漂わない。

映画のシナリオにしてもインパクトが弱いかもしれない。映画なんかに盗みとられないような小説だけの世界がこの作品にはあるのだ。だから、映画にも見向きもされない。何百種類もあるような文学のジャンルの中で、オモシロイ作風を作り上げている。★もたくさん付けたい。ちょっと…らしくないけど好きになる作家さんだと思う。

こんな小説を読んでホロホロしてしまうのはわたしくらいかもしれない。たいていは小説の中にのめり込んでしまうわたしであるが、この作品はのめり込んではいかなかった。なぜなら、そんなことをしたらわたしも滅びてしまう。苦い苦い味わいだけを噛み締めて楽しませてもらった。


読後にじわりじわりとムズムズしたものが湧いてくる。少し加筆したくなってくる。

七つの短編が誰一人として幸せにして終わらなかったことは、この物語が持つテーマもどきものが潜めるもう一つの美学にあるのかもしれない。

心中という非現実めいて非日常のような ── 実はすぐ身の間近にあっていつ現実になってもおかしくないようなものを考え続くけている時間にわたしは迷い込む。

誰だって幸せな顔をして暮らしているけど、不幸せや逼迫した暮らしと対座している。そのことを指摘されたり、琴線に触れるようにチラリと出されると、しっかりしているつもりだった自分の姿勢がユラリとする。人間の裏の弱みの襞のようなところを冷静にかつ小説的に書いているのだと感想で言い忘れてきたことが気にかかる。

まっとうに生きて成功してきた人たちには、この物語の一番の味わいを共感しながら理解することは決してできないだろう。

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