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2015年9月30日 (水曜日)

名月

写真日記(9月30日)

サンマ(8匹目)


9月も尽きる

たぶん(記憶では)
27日(日)の夜に
二人で月を見上げたような気がする

満月は28日夜であったのか

29日が十六夜
この晩は表にも出ず
食事で何を食べたかの記録もない

30日にサンマを買ってきて食べている
終わってゆく九月を心で惜しんでいたのだろう

2015年9月26日 (土曜日)

9月下旬 雨模様の休日

写真日記(9月26日)

シャケがメイン


(進化する)おゆうはん ─ 【アルバム】

おゆうはん ─ 9月26日

いつまで送ってくれるかわかりませんが
お夕飯を写真にとって送ってきます

きっと、
上手にできるようになったら
誰にも見せる必要もなくなるでしょう

9月26日 肉じゃが


▶日記はコチラ 

2015年9月25日 (金曜日)

きのうから等伯(安部龍太郎) 今夜はカレー

写真日記(9月24日25日)

カレー 安倍龍太郎 等伯


等伯を買ってきました。

ちょっと心配でね
読みきれるかどうか
でも大丈夫という気がしてきた

おもしろいわ。

 


金曜の夜はカレーでしょ

ちょっとお鍋に焦げ付いたみたいで
そのところが美味しく出来上がっていました

カレーの他にはサラダがあって
揚げ出し豆腐やひじきの煮物があって
大根の味噌汁もあった

きょうは久しぶりに
小さい缶の「麦とホップ」を
二人で分けて飲みまして

雨も上がって
静かな夜です

2015年9月24日 (木曜日)

サンマとカツオ

写真日記(9月23日と24日)

サンマ(6匹目) 鰹の刺身


サンマとかカツオとか
幸せな魚三昧の日は過ぎてゆくのでした

2015年9月22日 (火曜日)

トロッコ列車に乗ってきた

写真日記(9月21日-22日)

トロッコ列車 トロッコ列車 トロッコ列車


21日と22日で嵯峨に帰ってきました

トロッコ列車に乗ってみました
9時7分発 620円
帰りは馬堀から嵯峨駅まで200円

歩いて家へ

(21日)
久々の串八でした


保津峡
保津峡の写真を撮っていました(ムスメの旦那さん)

2015年9月18日 (金曜日)

餃子

写真日記(9月18日)
餃子


あれこれとありますが
そのうち書こう

連休になることやし
ゆっくり風呂でも入ってくるわ

(後日記)

夏の間、6キロウォークのあとにシャワーをあびるので
お風呂にはお湯を張らずに済ませてきた。

ガス代も3千円、電気代も3千円と
非常にエコな季節であったので
暑い夏は大嫌いであるが
エコで行けることはウレシイわけです。

少し涼しくなってきたので
39℃のお風呂を沸かして入った。

2015年9月17日 (木曜日)

舌まがりアナタを好きと言いそびれ

タイトルと本文とは無関係です


(Sちゃんには)
ひとり息子がいる。
大学に進学して卒業して立派な職場で働き始めた。
勉強もしながらさらに望みを叶えるように転身してゆく。
結婚をした。
と同時にアメリカに渡り数年間は研究者として
そしてツマを日本に
自分はアメリカいて
離ればなれで暮らしている。
仕事で新潟に用ができて一時帰国した。
けれどもとても忙しいらしい。
そんな理由で実家には顔を出さずにアメリカに帰っていたという。
この子の父は子どものころに離婚をして実家にはいない。
母は嫁ぎ先の名前のままでいる。
今も仕事をしてひとりで暮らしている。
この息子は東大だった。
そこを出たあと京大でも研究者として
さらに理研での研究経験もしている。
こういったことを回想しながら将来展望を考えてみる。
しかし
母の立場からは
何も見えてこないのではなかろうか。

この子の母には兄がいてその人には息子がいる。
似た年代のつまり従兄弟にあたる。
この子も良くできる子だと小さいころからいわれた。
進学校として有名な中学に進学しトントン拍子で地元の国立大学に合格。
この子の父は役所勤めで周りからも安定した家庭で
良くできる子が育ったと評判高い。
自分は地元の国立
従兄弟は東大理科一類に進んでいる。
できる子の話題になっても
地元に進んだ堅実さを大きく買われて
二人は良くできた息子たちの評判が高い。
しかし
地元の国立大学に進んだものの
卒業を目前にして大学から離れていってしまう。
卒業したかどうかさえ親戚でも推測話になって飛び交う。
しばらく引きこもったあとに公立の農業大学校に通い始める。
順調に卒業をして地元で大規模農業を運営する企業に勤め始めた。
結婚をしたかどうかは不明である。
仕事は上手くこなして
引きこもり時代の不安などは一切なくなっている。

なかなか子どもは
夢に描いたように大人になってくれない。

だから
なまじっか成績が良くても子どもは都会にいってしまうだけや
大学なんかにいったら古里に帰ってこなくなる
といわれる。
大学に行っても地元に何も貢献しない
農家の跡取りとしてしっかりして欲しい
などと言われる。
良く耳にする話だ。

この子の母親と仲良しにしている子がいる。
自分の従兄弟に当たる。
その子が便りをよこし

(アナタから)
見たらかわいそうに見える?男の子は元気で頑張って自分の生活をやってくれればいい。人に迷惑かけたり借金作ったりしなければ。だから結構楽しくやってるみたい

と書いている。

別に言い訳をするつもりも反論をするつもりもない。
人生は人それぞれで自分の思うように操って暮らせるわけでもない。
流れに任せて
その結果が幸せかどうか
なのではないかとも言える。

しかし
わたしは意思で流れを変えていきたいといつも激しく考え続けた。
叶わぬことであったのだが。

何もいいことがなかった人生だったかもしれない
それだけに
数々のお世話になった方々に恩返しをしたいと
日々
思いが強くなっていく。

自分たちだけが
迷惑をかけずに
幸せに暮らしていればいい
という甘っちょろい時代ではないだろう。

恩返しをするための強い意思を持って
親のもとへ帰ってきて
社会貢献をするべきではないか。

2015年9月16日 (水曜日)

9月中旬のゆっくりした日

写真日記(9月15日と16日)

ミスド 焼き栗マロン 焼き鳥 スガキヤ あんかけ温野菜 スガキヤ 担々麺

割とゆっくりしました。
ムスメさんが急きょ帰ってきましたからツマは嬉しいいようです。
旦那さんが課の夕食会でひとりになるので帰省をするといって帰ってきました。

わたしもなんのかんの言いながら飲み過ぎました。

15日16日(火曜日・水曜日)はちょうどわたしが休みでツマも休みにしていたのでとても楽しい時間だったかもしれません。

16日は家まで送っていき、豚の角煮を作ってやっておいてきました。

2015年9月14日 (月曜日)

夕焼けを待つのさよなら言いたくて

夕焼けを待つのさよなら言いたくて

ボクがノートの片隅に
夕焼けを待つのさよなら言いたくて
と書き残したのは11日のことだった

どんなことをそのときに考えていたのかは
まったく思い出せない
けれども、
どこかで美しい夕やけが見えたのだろう

誰を待つわけでもなかったし
待ちたい人がいるわけでもない

かつて
夕やけを仰ぎながら坂道を二人で歩きながら帰ったことはあったかもしれないが
それも後になって数々のドラマを書いているときに
日常と非日常が混ぜっこぜになってしまったのかもしれない

確かに
そんな風に二人で睦まじく坂道を帰れるような仲良しな人は数少なかった
或るとき偶然にバッタリと校門ではち合わせになった人が
クラスの人気者の可愛らしい子だったりすることは
ドラマでなくとも限りなく日常に近いことであったかもしれない

しかしボクの学校時代の思い出は
授業が終わると誰かの自転車のケツに飛び乗って駅までぶっ飛ばしていったような
校則との闘いのような青春だった

さようならを言って別れてまた明日会えるようなピュアな
ドラマのような日常を夢見たわけではないものの

夕やけを見ると
胸がときめくような人を
坂道の下で待ち伏せして
取り留めもない話を交わして
さようならをするというドラマを
頭のなかで創りだしてしまう

同じ夕やけを見ているかもしれない人のことを
切なく思い続けるような人は
もう今はどこにもいないのだろう
そんな気がする


写真日記(9月14日)
しょうが焼き

2015年9月13日 (日曜日)

秋晴れ・サンマ・5匹目

写真日記(平成27年版)

5匹目のサンマ 車窓から 車窓から


(13日・日曜日)

今年最後の休日出勤当番にはクルマではなく毎朝のようにJRで行くことにした。いいお天気で気持ちよかったので、いつもの車窓の写真を撮っておく。

夜は今秋5匹目のサンマであった。100円だったそうです。

2015年9月12日 (土曜日)

秋風に吹かれて鉄棒にぶら下がる ─ 白露篇

九月になって瞬く間に秋めいたような気がする。雨が二三日続いてバスに乗った日もあったものの8日に台風18号が伊勢湾の上を通過してからというもの風がすっかり秋風になった。

白露は9月8日で台風の来る前日の事だった。毎朝に駅まで歩く間に汗をかいてしまうので困っていたが、この頃から少しマシになった。ゆっくりと休憩をしながら行けばびっしょりにならずとも済む。

休日ごとに近所を5キロあまり歩いている。コレもあれこれ夏の終わりから続いているのだが、始めたころにはTシャツから汗が滴り落ちたころもあったのだ。今は行程の後半になるころにすっぽりとシャツが汗で浸っているくらいだ。

いつまで歩けるか自信がない。しかし、健康のことを考えるとやめるのが怖くなってきた。心配が実感として湧いてくるようになると食事においても食べ過ぎに気をつけるようになる。体重計には毎日乗る。それほど変化はないが、もうひと頑張りは続くと思う。

この行程の途上に高等学校のグラウンドがある。背中を伸ばそうと思ってたまたまぶら下がってみたらめちゃめちゃ驚いたことがあった。小声でしか言えないが、懸垂ができなくなっているのだ。体重が20キロほど重くなったのが原因だろうが、100回くらいは学生時代にやっていたことを思い出すとちょっとショックです。たぶん、逆上がりもできないのかもしれない。

鉄棒は子どものころから好きだった。父が庭に作ってくれたがきっかけで大体の事はできた。わたしの数少ない得意なことだった。お陰で上半身の体格はしっかりしていて、共同浴場でレスリング部ですかなんて声を掛けられたのは懐かしい思い出だ。

そんなことを思い出すと、もう一度できるようになるために、ココに来て時々ぶら下がって、這い上がれるようになりたい。


青森産にんにく入りスパ

写真日記(平成27年版)
青森産にんにく入りスパ ─ 11日 (金)
シャケとホタテのスパに青森産のにんにくを入れてキャベツ、しめじも合わせて炒めたら、グッドになりました。キャベツとしめじは冷蔵庫の残りものでした

2015年9月10日 (木曜日)

九月上旬号 ダイジェスト

9月に入ると瞬く間に日が過ぎてあっという間に10日を迎えた。

今夜はこの写真日記を追いながら10日間を振り返ってみよう。

1日はスローなスタートやったなあ。
ウォーキングも続けております。
2日ころには

前略 残暑ますます幻のようになりまして散歩に出る朝夕にも激しく汗ばむこともなく 山ぎわから離れようとしなくなってゆくこれからの季節の太陽を眺めながら 校庭の奥の緩やかな丘の上の風を 日々心地良く愉しんでおります。学校始まって二日目なのに生徒たちは元気です
09-02 18:31

こんなことを書いているから。

4日には

朝挨拶した子犬を連れた子に
同じ場所で夕方にも会ったので
今朝も同じ所で会ったな
と言ったら
ニッコリとしていた

カワイイ子でした
09-04 18:53

なんてつぶやいてます。

さんまを食べたのは7日と10日です。
その間にハンバーグが入っている。

9日には台風も来て大雨降って
でも日々涼しくなっていくのでウレシイ。

【裏窓から 白露篇】とか「原民喜全詩集」
のことはまたあとで書きます。

ぼちぼちいく。


写真日記(平成27年版)

サンマ 原民喜全詩集 ハンバーグ サンマ食後 サンマ ツユクサ なまぶし 鯖と揚げ出し豆腐とかぼちゃ

2015年9月 9日 (水曜日)

桜木紫乃 ホテルローヤル

文芸が乏しくなっている。そう感じるのは文学よりもおもしろくて売れるものが本屋の棚に目立つように積まれるからだろう。やり場のない時代の流れを受け止めねばならないが、仕方がないと考えている。

モノマネのように物語を次々と作り、娯楽的で話題性のあるものが注目され、一絡げで読書というジャンルを賑やかにしている。イミテーションのような読書に飽きずにいつまでも耽っているのもいいだろうが、やっぱし、ニンゲンとしての感性が腐っていくように感じる。確かにそれでもオモロイものはオモロイ。それを読むのも自由だ。

でもそんな雑草のような棚積みの作品群のなかにポツリとあった作品に惹かれてしまった。暗闇のホタルのように光っていたわけではない。むしろ深く積もった落葉にひっそりと隠れている松茸のようであった。そんな風にして出会えた作品が桜木紫乃さんだった。

いつの時代にも裏切らないものが必ずあるものだ。この作品もそうだった。読後感を語れば、裏切らない作品だが暗くて悲しい印象が残るというだろう。読み終わっても勇気なんか出てこない。

小説というのはここにあるような架空を愉しみもので、やり場のない結末は架空だからこそ現実と隣合わせにおいてじっくりと味わうことができる。小説が小説らしくあるときに、隣にある現実世界から言葉を借りて、一層それが文芸として活き活きとしてくる。そう思い返しながら自分を納得させようとしている。


芥川賞がきちんと周期的に話題になってマスコミが騒ぎお祭りのようになってくる。
毎回の賞のたびに、新しいカラーの新人が登場するのだから文芸ファンは枯れてはいないといえる。

しかし、いつのときも、作品がおもしろいそうか、買って読みたいか、といえばノーだ。それでも、芥川賞は大丈夫、不滅だと感じている。新人とはどんなに歴史が変化しても新人らしいものなのだ。

直木賞だって苦心しているのだとこの作品はアピールしたのか。悪口な人ならば、直木賞もアカンなとか異色で詰まらん作品を選んで…みたいなことを言ったのだろうか。

まあ、いわせておけばいいのだが、みんなが絶賛したわけではなかったこの作品のもつ良さこそが枯れさせてはならない文芸であるのではないかと思った。

ちかごろ、文学が詰まらないと思う人が多いのは、村上春樹のような作家がそれらしくてちやほやされているような画一性にもあるのではないか。

実際に(村上作品の何が)いいのかどうかもわかっていないだろうにちやほやするような読書家も多かろう。わたしはムズムズしている。もっときちんと読めよ。村上春樹のどこがノーベル賞なんだ、どこが〇〇賞なんだ。(この作家さんがキライだといっているのではないのであしからず)

そんな気持ちで読んだ初めての桜木紫乃「ホテルローヤル」は「やっぱし直木賞には味があるわ」と納得させてくれた。七篇を順に読みながら抱いた感想がグイグイと確信に変わってゆく素晴らしい作品だった。

櫻木紫乃 ホテルローヤル

桜木紫乃という人は文芸が好きなんだなと想像しながら作品を読んでゆく。自己主張の少ないなかで、味わい深い文「芸」のやや重いめの作品に出会えたと思えて嬉しくなる。

歴史的にも文学作品は山のようにある。山のようにあっても、例えばわたしの好きな福永武彦のようなタッチの文学はほとんど存在しない。どんなに売れたとしても到底福永武彦には叶わない。

紫乃さんは、名作とはそもそも一線を引いて、結構独自の路線を走っている。ところが詰まらないというわけではない。幸せがあるとか喜びがあるとか、エンドマークが涙で曇るなんてこともない。日常でありながら、非現実であるのだ。ところが「ホテルローヤル」の七つの作品たちは夢の射程距離にあり、また一線を隔てた向こうにある物語なのだ。

詩人としても活躍されているそうですが、小説の中に詩人としての雰囲気はまったく漂わない。

映画のシナリオにしてもインパクトが弱いかもしれない。映画なんかに盗みとられないような小説だけの世界がこの作品にはあるのだ。だから、映画にも見向きもされない。何百種類もあるような文学のジャンルの中で、オモシロイ作風を作り上げている。★もたくさん付けたい。ちょっと…らしくないけど好きになる作家さんだと思う。

こんな小説を読んでホロホロしてしまうのはわたしくらいかもしれない。たいていは小説の中にのめり込んでしまうわたしであるが、この作品はのめり込んではいかなかった。なぜなら、そんなことをしたらわたしも滅びてしまう。苦い苦い味わいだけを噛み締めて楽しませてもらった。


読後にじわりじわりとムズムズしたものが湧いてくる。少し加筆したくなってくる。

七つの短編が誰一人として幸せにして終わらなかったことは、この物語が持つテーマもどきものが潜めるもう一つの美学にあるのかもしれない。

心中という非現実めいて非日常のような ── 実はすぐ身の間近にあっていつ現実になってもおかしくないようなものを考え続くけている時間にわたしは迷い込む。

誰だって幸せな顔をして暮らしているけど、不幸せや逼迫した暮らしと対座している。そのことを指摘されたり、琴線に触れるようにチラリと出されると、しっかりしているつもりだった自分の姿勢がユラリとする。人間の裏の弱みの襞のようなところを冷静にかつ小説的に書いているのだと感想で言い忘れてきたことが気にかかる。

まっとうに生きて成功してきた人たちには、この物語の一番の味わいを共感しながら理解することは決してできないだろう。

2015年9月 5日 (土曜日)

北海道 ─ 花も嵐もⅢ その84

長~いバイク仲間のえみさんが八月の下旬にフェリーで北海道へ行ってしまった。FACEBOOKやInstagramで届いてくる景色や食べ物や野営の様子などを見ていると、バイクを降りてしまっている私であっても、グイグイと心を揺り動かされる。

砂埃を巻き上げながらオートバイで山道を駆け上がってゆく自分の姿が、今さら蘇ることはないのだろうと思うと少し寂しいのだけれど、あの時代の私だって、あの時代なりに一生懸命走り回ったのだから、それはそれでいいと思うことにしている。

懐かしいとか戻りたいとか再び駆けずり回りたいとか、もう一度冒険心を燃やしたいとか、そんなふうに思うことを「寂しい」というのだろう。しかし、「寂しい」のはそれ自体が「悲しい」ことではない。

今のように道具も地図も情報も充実していなかった時代であったからこそ私らしくあれたのだ。

自分の頭のなかに大きな構想として未知の大地を描き上げて、ルートを思案し、作戦を練ってチャレンジできたのだ。

お金がなかったし、十分にモノがあったわけでもない。それでも、快適でないとわかっていながら、必死で自分の夢に向かってぶつかていった。

寝ても覚めても無我夢中の精神があったからやれたのだろう。

便利なモノがあの時代の人々により実現化して、割と不自由なく満たされている今のツーリストたちとは違って、歓びや失望の凸凹レベルの差が烈しかった分おそらく驚喜になれるときの味が濃かったのではないだろうか。

えみさんの北海道は、もはや私の時代のツーリングステージではなく、今の時代のステージの上のものである。そう考えて楽しませていただいている。

だから、自分の昔を懐かしみ昔は良かった…みたいなことは思わない。

むしろ、あまりにも上手に満足のいく楽しい旅をしているので、もう一度生まれ変わって、30歳ほど若返って、チャレンジできるならやってみたいと夢見てしまう。

えみさんは、一生懸命に仕事をこなして、勝ち得た時間をフルに活用して、一分一秒も無駄にせず旅を充実させている。いつの時代だって若者は一直線だ。それが素敵で美しい。

私にはもうそんなふうに夢中に立ち向かってゆくような情熱も行動力もなくなった。

だから、多くのツーリストたちがみんな一生懸命に旅のために普段からがんばっているのを見ていると、ちょっと自分が情けなくなることも、正直いってありますけど…。

次のステージへと自分で決めたのだから、刺激を受けて新しいことを始めねばならないと、自分の心に鞭を打っている。

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  • 七月中旬ディズニーランドにて
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写真日記(平成28年版)

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  • 渡月橋
    京都日記
    平成27年11月篇

京都日記(平成27年7月篇)

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    京都日記
    平成27年7月篇

京都日記(平成27年春篇)

  • 焼き鳥
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    平成27年版の
    春の日記です

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  • ユース宿泊スタンプ帳
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日々是好日写真記

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