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2015年8月31日 (月曜日)

朝顔

朝顔写真日記(平成27年版)


夜どおし雨が降っていたような覚えもあるものの
涼しくなったのでよく眠れるせいか
外の気配のことなどはっきりしない

新聞をとりに外に出たら
雨が上がっていたので
駅まで歩いて行くことにした

着くころには薄日が差している
気温は低いが汗ばむ朝となった

2015年8月30日 (日曜日)

栗きんとん (鈴懸・博多)

写真日記(平成27年版)

鈴懸の栗きんとん 鈴懸(博多)


栗きんとん

博多の鈴懸というところの栗きんとんをJR名古屋高島屋でうちの人が買ってきまして食べました。

毎年栗きんとんの季節になると信州は恵那の「川上屋」とか「すや」のを買いに行くか名古屋あたりで買うかして一度だけ食べるのです。

すやさんはツーリングの途中で偶然見つけたそのころは質素で慎ましやかなお菓子屋さんでしたが今は有名になってしまいました。

今年はその恵那のお店の倍ほどする値段の栗きんとんをうちの人が買ってきたので、叱ったのです。そんな贅沢はアカンと。

しかし、2倍の美味しさでした。また買ってみたいと思うほどでした。

秋はもう1つ、蕎麦です。開田に蕎麦食べに行きたいです。

行動力が低下してるのでなかなか出かけませんけど、そば祭りいつかなあ。

2015年8月29日 (土曜日)

サンマ

今季 初サンマ

写真日記(平成27年版)


初サンマあっち向いてほいで右向いて

お皿を買ったので魚などの和食を乗せてみたくなる。イオンの食器コーナーの棚に季節モノの器が並んでいたので思わず目が行って落ち着いた面持ちの違った形のものを二皿買った。

夫婦ともにサンマを食べたいと思っていてお互いがそのことをハッキリとは強調し合わない。しかし、サンマがちょうど乗る横長の皿に目がゆくと視線同士がそこでぶつかっているのがわかる。

その皿ではサンマしか食べられないから…という理由で万能なカタチの小さなものを買うことになったのだが、サンマをどうぞというようなあの横長の皿に刺し身ともう一品を並べて盛ってもええなあと考えたりもする。

夢は空想に入っていく。呑兵衛というのはロマンチストなんであろうか。

サンマは、結局のところこの皿を買った日には値段がまだまだ高くて買わずに帰った。300円の値札がついていたので200円を割ったら買おうではないかと意見が一致した。

スーパーのチラシに185円というのを見つけたのは今朝のことだった。更に、ツマがパートの帰りに別のスーパーで「新モノ150円」と魚屋のマイク(録音)が叫んでいたのを聞いたという。

夕方にもう一度その店にツマは出かけて行ってわが家の食卓に2匹のサンマが並んだ。

少し痩せぼしである。

2015年8月28日 (金曜日)

シャケ

写真日記(平成27年版)

シャケとかぼちゃ どらやき


いつも使っているおまけでもらった皿ではなく
少し落ち着いた皿でサンマなどを食べたいと
思うのも秋である。

安い皿なのだが美濃焼と書いてあった。

心の何処かでゆっくりと秋の味わいを楽しみながら
一杯飲みたいと思うことがあるのだ。

サンマも買いたかったのだが、まだまだ高い。
シャケにした。

(28日)

2015年8月26日 (水曜日)

三種の発泡酒

写真日記(平成27年版)

発泡酒 3種類 飲み比べ


最初に
サッポロを6缶買ってきて飲んでみる
濃くて芳醇な味がした

つまりは
去年の印象が良かったが今年はそうでもなかった

--

そこで
この際きちんと飲み比べておこうとなった

3種とも
秋らしい味わいをつけてくれたのはわかる
しかし
麦とホップを越えるものはない

スーパードライ秋限定パッケージというのがあったので飲んだ
これは旨い

2015年8月25日 (火曜日)

雨戸閉め暗いよさりに目が冴えて

粥見(カユミ) 89ミリの記録があった(21時)
と日記には書いておく

台風は遠くにあっても雨は容赦なく
列車においても軒並み運転見合わせ続出であった


写真日記(平成27年版)

8月25日の大雨警報の雨雲

2015年8月24日 (月曜日)

大手まんじゅう

大手まんじゅう 写真日記(平成27年版)


24日(月)

夕方に
突然、おなかが張るとか
言い出して
急遽
南産婦人科にムスメがきました。
駅まで迎えに行って
診察が終わったら泊まることになり
診断の結果は心配無しでしたので
プチ里帰りでした。

四国まんのう公園のフェスに行って
帰りに岡山で泊まったので
大手まんじゅうを買ってきてくれた。

岡山へはブレンビーの立ち上げのころに
行き詰めだったので
懐かしみながらお饅頭をいただく

2015年8月23日 (日曜日)

稲刈り ─ 処暑篇

▼ 秋立てば長い日記が書きとうて

と今朝からつぶやけば、昨日は

▼ 朝の田を稲刈り機がのそりのそり
▼ おつかれさん日暮れのホームは秋の風
▼ 回れ右すれば一面が秋の田
▼ 日暮れの田んぼには秋風が吹く

とつぶやいたのだった。

「出穂して四十日」という言葉がある
まさにその通りであった。

秋の風が坂道を吹き降りてゆく
ホームを吹き抜けてゆく
田園の道でわたしを追い抜いてゆく。


水のかたち(宮本輝)を
シバタさんに LINE でオススメしたりしながら
心に残った言葉を拾い出しては
ぱらぱらと斜め読みをして
本をめくってゆく。

負けるな、負けるな、あきらめるな。
心は巧みなる画師の如し、だ

この一節を感想で引いている人があった。
だが、どのあたりに書いてあるのかを思い出せなくて焦っていた。
ぱらぱらと見る程度ではヒットしなかった。

探し出すまでに結構な時間を費やす。
サラサラとめくって行くだけでは何度繰り返しても見つからない。
歯の奥に何かがはさかったようで気にかかって仕方がない。

よし、こうなったらもう一回全部読むか
と決めて再び読み始めた。

ありました。
いろんなところで尋ねてみたけど無反応だったし
教えてあげない


刈り入れ後の秋の田 宮本輝 水のかたち

写真日記(平成27年版)

2015年8月22日 (土曜日)

櫻木紫乃 ホテルローヤル

櫻木紫乃 ホテルローヤル

櫻木紫乃 ホテルローヤル

2015年8月20日 (木)

仕事帰りに本屋による
二三日前から気にかけていた桜木紫乃 ホテルローヤルを買う。

水のかたち(宮本輝)の感想が全部出なかったウンコみたいで気持ちが悪いので
そっちのことを考えているとなかなか全力で読みかからないのだけど
味がぜんぜん違うので気分転換になる。

同じドラマでも宮本輝と桜木紫乃ではステージも味付けも方向づけも違う。

ホテル ローヤル
実在していたときに行ってみたかったな。

小説と現物のギャップを噛み締めて味わってみたかったなと思いながら
7篇の物語を少しづつ読んでゆく。

短編には作者が込めたエネルギーがぎっしりと詰まる。
一字一句が勝負なのだ。

短編小説のような人生をこれからは送らねばならない
そんなことを気取って言ってみては車窓を見ている。

どうでもいいオンナのことを思い出している。

※感想は全部読み終わってから

2015年8月20日 (木曜日)

心は巧みなる画師の如し ─ 水のかたち(宮本輝)から

宮本輝の水のかたちのなかで、志乃子が

私ねェ、「心は巧みなる画師の如し」っていう言葉が凄く好きなの

-

心は画師の如し、じゃないのよ。
巧みなる、っていう言葉が付くのよ。
つまり、心に描いたとおりになっていくってことなのよ。
心には、そんな凄い力がある

だから、不幸なことを思い描いちゃいけない。悲しいことを思い描いちゃいけない。不吉なことを思い描いちゃいけない。

楽しいこと、嬉しいこと、幸福なことを、つねに心に思い描いていると、いつかそれが現実になる。お伽噺みたいだけど、これは不思議な真実だ

と語る。

「華厳経」の「唯心偈」に説かれた  「心は巧みなる画師の如く、種々の五陰(ごおん)を画き一切世界の中に、法として造らざるもの無し」

を引いているものだろう、とメモしておく。

2015年8月19日 (水曜日)

宮本輝 水のかたち

ちょうど戦後70年にあたるため八月中旬のお盆のころには戦争を振り返るニュースが多かった。思想も曲がっているが行政力にも技が無いために(お馬鹿総理と言われ)反発を食らって社会は騒然としている。戦争という言葉が飛び交っている。

物語には北朝鮮から戦争後に引き上げて来た実在する人の実話と手記が挿入されている。

なかにし礼の赤い月を読んだときも、数々の戦争文学で触れてきた戦争というものが出てくる。宮本輝には異色な面であるかもしれない。

そして宮本輝にも存在しない戦争の実態を抱きかかえての物語。宮本輝が小説の主人公にしたのは五十歳の女性だった。

--

人生の中間点を回り終えて過去の足跡を振り返って歓んだり悲しんだりしたあとふっとため息をついて残りを考えてみるときに多くの人はよく似た景色を思い浮かべている。更年期を伴い生理学的にも下り坂を感じる人も多いはずだ。ここから眺めることができる坂の下の景色は、年齢に達していない人には決して見えない。理屈でも理解できないだろうと思う。

そんなことを考える日々が続く日常を乗り切って今を生きている。本屋で立ち止まって何気なく手に取ったのがこの作品だったのか。出版社の販売戦略が戦後70年のお盆の頃を狙って文庫化していたのか。それともいつの時代にも同じようなことを感じている人が存在するのか。

わたしが主婦ではない点が違うだけで、主人公はわたしとおないどしである。(物語ではこの時代に五十歳であった)

宮本輝の作品を初期から思い起こすと、なるほど年齢に沿った波が作品にもあるような気がしてくる。作者はそのことを振り返り確かめながらこの作品を築き上げていったのではないだろうか、四十代のころはさぞや苦心もあったろうにと推測してしまって、作品と作者の両方に同期していくのである。

五十歳に満たない人は読んでもすぱっとわからないかもしれないので、いつか五十歳になったら再び読んでくださいねと言いたくなるような作品だ。

--

サラサラと水が流れるように滞りなく人生を過ごしてこられた人はそれほど多くはいないだろう。物語ではさして大きな事件も起こらず、いかにもな展開で進んでゆくのだから、読者によってはまったくの幸せ物語の作り話として冷めた感覚で捉える人もあるだろう。しかし、それはそれでいいのだ。架空であろうが、現実に限りない架空であろうが、いかにも現実に近いけど叶わぬ夢物語であろうが、わたしたちが人生を歩んでゆくなかで心に抱く善なる側面を躊躇うことなくさらけ出して、持ち前の筆で惹きつけてゆく。

宮本輝に物語を作らせたら誰も真似ができない。これは誰もが認めるだろう。もうひとつ、素敵な女性を描かせたら読者を魔術にかけるように吸い込んでいってしまう。この作品に出てくる主人公もその他の女性たちも例外ではなかった。(宮本輝は女流作家ではないかと思う人もあるかもしれない)

登場人物は、一人ひとりが魅力的で、宮本ウェーブのような波動に乗って物語の中を漂う。作者が語る「善き人」が次々と決して奇抜ではないのだがドラスティックな変化に沿うて流れてゆく。

少し読めば読み手はこの「善い人」の放つ意味に気づき始める。かつて遠藤周作が数々の中間小説で登場させたおバカさん・ガストンが持っているような清さを秘めていると連想したのはわたしだけかもしれないが、途轍もなく共通する人間がそこにいて、この人間の表現する味のようなものを感じたのだ。「善い人」を突き詰めて物語すればこうなるしかないでしょ…みたいな。

宮本輝の人生の経験と数々の洗練された哲学、コレを宮本節とか宮本哲学などと呼ぶ人があり、さらっと見渡した評判レビューなどでは下巻では宮本節が全開となってゆくとあった。

彼は人間力というものを信じている。それがまっとうに働けば誰もが幸せになれるのだから、教科書のような小説を書いているともいえようか。

といっても、社会はそれほど甘くなく荒んでいるし悪も存在する。嘘、欺、騙、卑、逃、暴などというのがゼロではないのが現実であるが、何もそんな悪意に満たものばかりではない。

しかし、宮本輝がインタビュー記事で、在りそうであるが実は意外に無いのではないかと指摘される「善い人」との繋がりついても

  • 現代社会ではどんどん希薄になっています。それはどうしてなのかと考えてみると、人間って非常に嫉妬深い
  • 友達の旦那は大会社の役員になったのに自分の亭主はリストラされたとなれば、仲のいい友達だろうが妬み心が生じ
  • 立場が逆になったらどうか。そういう嫉妬心が強い人が、今度はきっと必要以上に上から目線になる
  • 収入だとか地位だとか、そんなものを尺度にして物事を考える人の一番欺瞞的なところは、今の自分よりいい人に思われたいという気持ちが人一倍強いということ
  • 僕は人間の一番汚いところは、じつはそこなんじゃないかと思っている
  • 人からもっとこんなふうに思われたい、いい人に思われたいという気持ちは表裏一体で
  • 自分より劣っている人をさげすむのと同じことです。これを同じだ と考えない人が、今すごく増えています

と語っている。

だからこそ作品の中で

どんなに小さくても、火種があるかぎりは、息を吹きかけることをあきらめてはならない

とか

私は、こんなことをしてやろうかって、ふと思ったことを実際に行動に起こしてしまう人間が嫌いなの。それがいいことならすばらしい意志と行動力よ。でも良くないことなら、その衝動を抑えるのが教養というものよ

などと言葉にしてゆける。

自分を自分以上のものに見せようとはせず自分以下のものに見せようともしない、というのは至難の業だ。人間はすぐにうぬぼれる。しかしこの作品の主人公には、「絶えず嫉妬する、他人の幸福や成功をねたんだり、そねんだりする。自分を周りからいい人だと思われようとする」ことがない。決して美人ではなく器用でもないのだが、不思議な流れがあるのだ。

石の一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を持たねばなりません

というロダンの言葉を頭の片隅に置きつつ、数々の自分の足跡の困難苦難を振り返りながら、生きるお手本のような作品を作り上げた。

実は、不安定な年齢時代の宮本輝は、ゴーストではないかとさえ思った時期があったのだが、このごろは安心して次の作品を待てるようになってきた。

波があっていいのだ。水のかたちを書き続けているころにはそんなこともつぶやいてたのかもしれない。

夢を描くことのできる主人公。
宮本輝とも大きく重なる。

--

そうそう、作品の中にたびたび登場するジャズの名盤。アレってけっこう手元にあったりするので嬉しくなりました。

強く背中をポンと叩かれて押し出された気分です。


BOOKs(読書日記)

宮本輝 水のかたち

2015年8月18日 (火曜日)

旬を食べるテーブルから

豚肉とかぼちゃ豆板醤炒め(17日)

きょうの料理(NHK)本を見ながらムスメとツマが料理を工夫している。
インターネット系のレシピ本(クックパッド)と氾濫する料理本を見ていると
ただいま料理ブームなのだろうかと思う。

クックパッド真似してがっかり ネット迷信
という社会が出来上がってきている。

モノの価値をしっかり考えず、本質を見極めず、安易に手を伸ばし、適当で満足
味もホンモノもわからなくてもニセモノで満足
そういう世界から脱出しようとする人さえ少ない
そんな人であふれている(それでいいのだと思っているのか)

我が家族は見上げたものだ。

キャラメル・ミルク(16日)

コメダはキライですが、かき氷は食べたいの

茶豆(14日)

黒崎という地は失くなったと新潟の方が寂しそうにしてましたが
茶豆は旨い。
山形、秋田、新潟
頑張ってるのがウレシイ

鯛(14日)

豆に鯛
必ず買ってしまう一日一魚

ナスビ(13日)

母がたくさんナスビを収穫し続けるので
少しもらってきました。

CUTTY SARK(12日)

イオンで少し安かった。
ちょっと薄めの辛さのようなものがある変わったスコッチ
旨いけど


写真日記(平成27年版)

豚肉とかぼちゃ豆板醤炒め キャラメル・ミルク 茶豆 鯛 ナスビがたくさん採れました CUTTY SARK

2015年8月11日 (火曜日)

立秋と書き出す手紙蔓の花 ─ 立秋篇

立秋(8日)の前日夕方の散歩でツクツクボウシ、その明くる日の散歩でカナカナの鳴き声を聞いた。蜩(ひぐらし)はカナカナと鳴くのでそう呼ぶようにしている。

カナカナは6月の末ころから鳴き出す夏のセミらしいが、秋になると目立って気にかかるようになる。その鳴き声を今の時期に聞くと季節感を感じてしまうのは、寂しそうな響きによるものだろう。

ギラギラと真夏の日差しが照りつけてクマゼミがとても喧しく圧倒しているときにはどこかでカナカナが鳴いていても気付かなかないのだろう。住宅街の雑木ではクマゼミの声であったのが、高校の山ランコースの方まで登ってくるとアブラゼミに代わる。立秋からはカナカナとなった。

山ランコースからは遠くの海岸や造船所、海の向こうに火力発電所らしきものまで見える。野球部も近くで練習をしているから呼び声やボールを打つカキーンという音も聞こえる。セントレアから飛び立つジェット機の音が聞こえてくれば、上空に残る太陽光線で真っ赤になって去り行く翼を見上げ、遠くへ旅立つ人がここにもいるのだな、といつも思うのだ。世の中にはさまざまな人がいてそれぞれの暮らしがある。ここはその一コマなのだ。

立秋と聞くだけで季節が移り変わってゆく風情を感じる。夏休みの空っぽの校舎も秋を待っているだ。

--

かなかなやまっしろおばけの宿題帳  岡田葉子

「増殖する俳句歳時記」の清水哲男は、「決して上手な句とは思わないけれど、読者に素朴に過去をふりかえらせてしまう力はある」と書いている。

そういえば、お盆を過ぎたころから夏休みが忙しくなってきて、手を付けずにほったらかしにした宿題も気になってきたな。

夏の思い出にもまた格別な味わいが残っている。

▼ 立秋と書き出す手紙蔓の花

暑中見舞いも書かずにいてこのままだと手紙は出さぬまま夏を終えるかもしれない。

毎年そんなことを思いながら秋めいて来る風にウキウキしている。


豚しゃぶ 写真日記(平成27年版)

2015年8月10日 (月曜日)

宮本監督(津商) ─ 頼まれごとは試されごと

基礎的なトレーニングをコツコツ続けることは、体づくりはもちろん、「無意識」レベルで正しく体を動かすためでもある。

「短い距離でのキャッチボールや、緩いゴロをたくさん捕ること。意識が、いずれ無意識になるように。意識、意識、意識、意識・・・とやっていくと、自然に無意識になっていく」(宮本監督)

『分かっていないのに、出来てしまっている』実はこれが一番よくないことなのかもしれません」
と宮本監督は言う。

そのために練習では、目的を明確にして取り組んでいる。

練習中、宮本監督が進行を止めて、「この練習のポイントについて分かる人は?」と選手に挙手を求めるシーンが何度も見られた。当てられた選手が、何に目をやりどう動くべきかを答える。

体が「決まりごと」通りに動くことも不可欠だ。

決まりごとは、投球がワンバウンドになれば「ゴー」、キャッチャーがボールを捕ったなら「バック」だ。

だが練習中、ゴーもバックもせず、二次リードの位置でつい止まったままになりがちな選手が厳しく注意された。チームとしては「ギリギリでアウトになるのは構わない」方針だからこそ、グレーゾーンを狭め、正しくアウトプットできる体にしておく。

決まりごとを言えないようでは、ゲームのときに役に立たない。話が聞けて、指示・発信ができるコミュニケーション力も大事です」
とは坂倉コーチの解説だ。

精度の高さは、意味を理解できるかどうか、役割への理解ができているかに通じる。

心が体を動かすということも、忘れない。生活に「考動力」を求める。

「中村文昭氏(飲食店・レストラン経営者) の『頼まれごとは試されごと。相手の予測を上回れ』という」話をする。

相手から使われる(頼りにされる)人になる。
部訓は「心豊かなれば技冴ゆる」だ。


「頼まれごとは試されごと」

こんな解説をしている人を見つけました。

人から何かを頼まれるということは、「この人は信用できる人間かどうか」を試されているのです。 頼む方だって、悪いなと思って頼んでいるのです。

頼まれた方が「面倒くさいな~」と思っていることは百も承知なのです。

それだからこそ、気持ちよく引き受けてくれることに感謝、感動して「この人は信用できる」ということになっていくのです。

2015年8月 7日 (金曜日)

広島原爆忌

(6日)

▼ 3日夜、阿川弘之さんが亡くなった。94歳。 ニュースが流れたのは5日の夜遅くのことでした。

学生時代は夢中で読みました。春の城、雲の墓標、そして山本五十六。青年期のわたしに相当強い刺激をくれた作家ですね。

▼ 花紀京さんも亡くなりました。5日夜、肺炎で、78歳だった。

吉本新喜劇は子どものころに夢中になって見てました。学校から帰ると鞄を投げ出して見ました。真似もしました。子どものころに夢中になって見ていた花紀京は、まだ三十歳くらいだったわけです。10歳くらいの子どもの心の底に深く大きな影響を与えてきた人です。

人というのはその時代のこんな文化や文化人から人間の根底にある優しさや逞しさの礎をもらうのでしょう。

いい時代だったんだなと思います、あのころは。

・・

宮本輝 水のかたち

いよいよ下巻になりました。ゆっくり読んでます。

じっくり読んでアンダーライン引きまくるか、付箋だらけにしたいと思っております。


(6日)

宮本輝 水のかたち
8月6日の車窓から(夕方)

写真日記(平成27年版)

2015年8月 5日 (水曜日)

にんにく・チキン

(5日)

猛暑日が続きます。出かけるのも億劫になりますが、骨付きのチキンをこんがりと焼いてみたくなりまして、ツマにいつも焼く焼き鳥の金串の代わりが骨だと思って焼いてみようかと持ちかけて、お買い物に出かけました。

鰹の刺身も買いましたけど、気持ちのメインはチキンでした。

焼き鳥の時は下味つけというものはあまりせず焼く直前に塩を振って焼いています。今回はちょっといつもと違う方法でやってみようと思いたち、にんにくのすり下ろしたものを唐辛子に揉み込んで軽くお酒などもまぶしてちょこっとおいてみました。

実は、にんにくが高額なんです。普段は海外産のお手ごろ価格のもので済ませています。肉野菜炒めなどにはそれでよかったけど、少し前に美味しいパスタに挑む際に国産品を買ったのでした。

国産のブランド品は3倍も4倍もします。にんにくという学術的分類は国産でも海外産でも同じで、にんにくの臭いを放つことは類似で、食べたあとにバレるという点では同じです。しかし料理に入れてまじめに食べてみるとぜんぜん違うのです。ああこれが本当のにんにくというモノなのだ、と思い知らされるわけです。いつも食べているのは、にんにくという名の(匂いが同じような)別のものです。

それでその青森産のにんにくが食在庫で出番を待っていましたので、今しかないと思ってチキンにすり込んでみました。

素晴らしい香りです。わたしは料理人ではありませんから美しく焼き上げたり綺麗に盛ったりしませんけど、お味の方は久しぶりに満足の行くものでした。また、改善してチャレンジしたいです。

・・

初めに触れたけど、他に鰹の刺身がありました。カツオも八月になって一段と旨味が出てきました。

お昼はお蕎麦を食べました。スーパーで買ってくる流水麺です。県内産の鱧の天ぷらが売っていましたので、ちょっと贅沢をしました。


(5日)

にんにく・チキン
(お昼は簡単な) お蕎麦で

写真日記(平成27年版)

2015年8月 2日 (日曜日)

超音波が映すもの

遺す言葉 - 28 」  をアップしておく

朔日の仕事人たち足早やに

(1日)
ムスメがお医者に来る日だったので、帰り際に駅の前で少し顔を合わす。
おなかはまだ大きくないが、超音波の画像では手指が確認できるとか。

わたしが大学時代はX線CTが実用化される段階の時代で、画像を立体で認識できるという夢の様な世紀に突入するときであった。

驚異というしかないほどのスピードで画像処理技術や装置のハード・ソフトが進化してゆく。

おもちゃのようなものを研究していた時代は、しかしながら、無駄な足取りではなかったのだと確信するが、完成されたものを提供されてのほほんと何も考えないことが増えていまいかと問いかけたくなるようなこれからの人々たち。


酢豚

写真日記(平成27年版)

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