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2015年7月 3日 (金曜日)

題詠ブログ

題詠ブログを楽しませてもらっている。といってもわたしは拝見して楽しむレベルの立場である。

「激減」している投稿数に不安を感じて、それが引き金となって継続を悩んでおられるらしい。誰もが同じ状況だったら悩むとことと思います。

歌を愛するゆえに安易な判断で方向を決めてしまっては、自分に納得がいかないし、読者の皆さんにも申し訳ないという気持ちもあるのでしょう。

そうはいっても、激減という数字は現実の前に重くて厳しい。

今のネットを(ひいては社会を)俯瞰的に見渡せば、わが身勝手で好き放題のうえに、安易に割り出される情報やその指標に烏合が流されるように群がっていきます。そこにいる人たちの多くにはモノの本質を見極めるつもりもないし、見極める力も、その潜在的な希望もありません。

所詮ネットや社会がその程度のものだと言い切ってしまうには、寂しさや悲しさもありますし、少し見切りが早いかなと思うものの、社会を動かす流れはまだまだ今のままでしょう。新しい流れなどは到底期待もできない。

ツイッターやブログでいち早く短歌や俳句を楽しみ始めた人たちが、数年前まで遡ってどれほど最初に描いたユートピア的な歌や俳句の世界を続けているのでしょうか。

ご本人は何にも変化していなくても、潮流が随分とみなさんの姿を捻じ曲げて行っているように思います。

様々な人がいます。自分にだけ注目して欲しい人、高く評価をして欲しい人、本当に上手になりたい人、上手な人の中で黙って鑑賞しているだけでいい人、こっそりひっそりと参加していこうと思う人、歌会の参加を狙う人、賞を狙う人などなど。

しかし、濁流のような流れが、個人の価値観や楽しみ方、生き方までも、脅かしてくることもあります。

自分流を守って生きている方々もたくさんありますが、勝ち組・負け組などという言葉がチヤホヤされた潜在性は未だ根強いものがあります。

正しかろうが善かろうが(劣悪であろうが紛いもんであろうが)多数決的な勢いで物事が進むことは日常です。

題詠ブログをみんなで守って、しっかりとした「詠む」「詠みあう」文化を作り継続していきたいという気持ちは痛いほどよくわかります。

参加する側の人々の技量や気持ちは素晴らしくとも、しかしながら、育んでゆく土壌がこれから頼りになるという確信はありません。

様々な意見が様々な方向から出ると思います。決して均等な母集団から湧き上がるものではないと思います。それらゆえに判断が難しいし、やめれば復活は難しいという心配もなさっています。

しかし、誰のためにって、それはご自身のためにも、一旦ゼロにしてしまう勇気も必要と思います。

本当に不可欠で、またパワーがあるならば、必ず姿を変えて甦ることのできる時がきます。わたしはその新しい姿がとても楽しみです。

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題詠ブログ:五十嵐きよみさんが主宰しておられる歌を詠みあうイベントのブログです)

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