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2015年7月31日 (金曜日)

直球で好きだと言ったらフォアボール ─ 七月尽

3年前の夏も暑かったのだ。
去年も暑かったし。

そうよ、去年カレー屋の前で話をした野球部員、今年は甲子園やな。がんばれよ

▼ 願いごとないと言ったら嘘になる


鯛の刺身 モーニング  残り物のカレーを食べる 豚肉とニラをニンニクをたっぷりで

写真日記(平成27年版)

2015年7月30日 (木曜日)

モナリザ

モナリザがあったのをふと思い出した。もちろん安物の壁掛け用である。

それがあった部屋は応接間という設定で拵えたのだが、農家に応接間など必要ないのでわたしの第二勉強部屋にしたような記憶がある。

18才で家を出てしまいそのあとは弟が使ったか、それとも誰も使わずに放置したか。

壊す直前には物置になってしまっていたかもしれない。

その部屋の壁に、ポツンと小さなモナリザが飾ってあった。

今思うとあれは父の嗜みの1つであったのかもしれない。

いや、父はそれほど多趣味ではなく、晩年は木を掘ったり絵を描いたりしていたので、その源流に当たる大切な嗜みであったのではないか、と考えて間違いはない。

もうひとつ思い出すことがある。

実はそのモナリザを模写したモナリザが家にあったような気がする。

なるほど、父ならやりかねないことだと今になって思う。

曖昧に記憶を呼び起こすと、その模写は似てもにつかないような下手くそなものではなかった。

決定的にニセモノだと直ぐにわかるものの、何となく優しい タッチの気品の溢れたモナリザだったような気がするのだ。

そのころの私は絵に対する関心などこれっぽっちもなく、可愛くない息子だった。

ワシの描いた絵を見てもくれない、とさぞかし父は哀しかっただろうと思う。

今ならそんな素気ないことは絶対にしないだろうに、あのころは理解をするチカラがなかった。

父は、ゆうはんを食べると一人で自分の部屋に行って絵を描いていた。

どんな気持ちで描いていたのか、考えたこともなかった。


こんな日記を書いてペンを置いてから幾日かが過ぎる。

形にならない思いが巡ってきては何処かに消えてゆく。
それは、父の本心に触れる思いのことであり、届かぬ思いに対するため息でもある。

つまりは、何も父のことを知らなまま、しかも死んでしまってからもそのことを掘り越すこともできないまま長い年月を費やしてしまったことをわたしは後悔しており、それを弁解し、懺悔しようとしている。誰かに向かって、というわけでもない。

モナリザを飾ったり父が絵を描く部屋(それはわたしの高校時代までの勉強部屋)のあった建屋を壊して処分してしまったから、あのモナリザやほかの 絵、そして父の持ち物であった彫刻道具も処分して消滅させてしまったことを後悔しているのだ。その佇まいを記録するための写真も撮っていない。

こういうことを思い出すたびに、何をうっかりしていたのだ、と自分を問いただしてみるが、壊して今は砂利を敷いて庭にしてしまって井戸だけが残っている。あの部屋で何を考えてどんな時間を送っていたのかを巻き戻すことは不可能で、もはや救いようがないのだ。

模写したモナリザに価値はなかった。しかし、わたしは父から形見として貰ったモノなど特に何もなく、たった1枚だけ、村のはずれの河原の景色を描いた絵が一枚玄関にあるだけである。

もしもモナリザがあれば、わたしの宝になるのだが、棄てたのか、母がどこかの押入れか空き部屋の隅にでも積み上げているのか。不明なままだ。

まだ書き足りないような気もして、足したいけど、ちょっと休憩とします。つづきはあとで。


モナリザ 秘伝篇

2015年7月28日 (火曜日)

エアコンを取り替えました ─ 大暑篇

7月23日は二十四節気の大暑にあたり、いよいよ夏もこれからで覚悟をせねばならない時期です。

この日は朝から空模様が不安定でしたので、雨の合間にすいっと駅まで行ってしまおうと考えましたのに、途中で霧雨に降られて折りたたみ傘をカバンから取り出しました。

空気は じめっとしていましたが、かんかん照りよりは暑くはないので、朝のうちは少し助かったのかもしれません。

その雨も朝のうちにあがって、夕方に家に帰るころに晴れ間が出ていました。暑さは少しずつ襲ってきそうな気配で、天気予報も晴れマークばかり。

夜半になるとじりじりと蒸し暑くなっていきました。台風12号が近畿地方には来ませんでした。

朝のうちの天気予報を見ると雨の確率がやや高めだったこともあり、ツマは前倒しで買い物に出かけてしまったようです。簡単な買い物で済ませてしまいたいと話していたとおり、おゆうはんは冷蔵庫の在庫野菜で作るカレーでした。

大暑ということで「裏窓から」を書こうと思っていました。何かをするときも何処かを歩き回っているときも何の話を書こうかを考え続けているので、きのうきょうあたりはぼんやり顔であったかもしれない。

様々な思いが湧き出てきては消えていきました。でも、ことさらこのごろは平和な日々で、ムスメのつわりがひどいという話だけが気の毒で心配です。

24日は今夏1回目の土用の丑の日です。

夕方のウォーキングから帰るときに通る鰻屋あたりでは、ガードマンが駐車場整理に当たっていて前の道路の車もやや渋滞気味でした。でも、我が家では残念ながら鰻を食べることもなく、慎ましやかに普段通りのおゆうはんでした。

25日は仕事です。

身近な地域の夏祭りや花火大会のニュースが次々と流れて賑やかです。

「裏窓から」のネタはいっこうに浮かばず、書き倦ねている間に土用の丑も終わってしまいました。

大暑が終わって丑の日が過ぎたころから気温がグイグイと上昇し始めまして、連日の猛暑日となっています。

26日にはツマ待望のエアコンが二階の居間(寝室)に設置されました。日曜日でしたので午前中に庭の草引きとか町内会の出合いの掃除を済ませて、お昼はざる蕎麦を食べました。

現在部屋にあったエアコンは動かずに数年放置していたもので、ムスメが生まれる直前に買ったものです。

大塚先輩が東芝ということで、お薦めもあって冷蔵庫とエアコンを東芝製にしました。このエアコンを我が家が使い続けている間に大塚先輩は取締役になっていかれました。

私のムスメも結婚して来年には母になります。月日の過ぎるのは早いなあと一風変わった感慨にふけりながら新しいエアコンを眺めていました。

26日の夜、偶然にテレビをつけると日曜美術館をやっていました。

普段テレビを見ないのですが、たまたまスイッチを操作したらNHKでした。

番組を見て父のことを思い出しました。

父もテレビをほとんど見ない人でしたが、ときどきテレビの前にいることがあって、それがこの日曜美術館でした。

この日の番組は、蕪村の一句をお題にして出演者それぞれが自由に解釈しながら絶妙にマッチする西洋美術の名品を選び披露する、というものでした。

涼しさや鐘をはなるるかねの声 与謝蕪村

絵と俳句が画面に映し出されているのをしみじみと眺めながら、もしも子どものころに絵の手ほどきをきちんと習っていたらわたしも今ごろは父のような作品を幾つも残せたのだろうと思います。

ヒトは深くて味わいのある人生を送りその姿で終わっていけるのが理想だなと思うことが多くなりました。

若いときには上昇気流に乗って舞い上がってゆくことを夢に描きますが、大空を飛びながらも自分の姿勢や地面にいたときの思いを揺るぎなく振り返り続けることが大切なのだと思います。


宮本輝 水のかたち 牛肉・ニラ・ピーマン・コチジャン エアコン カジキフライ 大待宵草

写真日記(平成27年版)

2015年7月26日 (日曜日)

高村薫 李歐

「李歐」というタイトルがもたらす全てのイメージを取り除いて、何の先入観も抱かずに読み始めたい。

高村薫の他のどの作品よりも、厳しく言えば、全く違った味わいの作品である。もちろんファンであれば、高村薫の彼女らしさがとても出ていて、深みや厚みのある作品になっていると褒めちぎる人もあろう。文体においても同様で、それが小気味良いテンポをというより粘っこさを出している。

構成やタッチも、わたしにとったら非常に受け入れやすいもので、いわゆる芥川賞系の清々しさのようなものが無いのがまたいいのだ。マークスの山(直木賞)やレディ・ジョーカーなどの彼女のポピュラー作品と比べると(比べてる元もコテコテですが)少しコッテリとしているかもしれない。

ハードボイルド作品であると言ってしまえば、本物のハードボイルドを愛する人にその違いを指摘されそうだ。しかし、こんな色合いの作品と思って読み始めなかった私は、結構なハードぶりであると思ったのでした。

映画にするならこのくらい激しいのが面白い。しかし、映画には絶対にできないのがこの作品だろう。何故なら、面白さというのは話の流れを追っかければいいというものではない。登場人物の手指のぬくもりやら動きやらから心の奥まで、好き嫌い・愛情に似た生温さ、生臭さ、そしてバックグラウンドとして設定している社会の流れ、そのリアリティまで。彼女のペンが書いたものでなくてはならない。

例えばちょうど今話題になっている芥川賞の花火を書いている又吉さんが真似して書いてもアカンのだ。又吉さんの作品は映画にして楽しく見て、みんなで感動して痺れてください…になってしまうだろう。芥川賞の作家には異次元に近いか、接近できてもここまで到達できるには相当の年月と経験と失敗が必要だろう。

というわけで、高村薫にしか書けない。書いたものでしか衝撃は味わえない。そういう作品であった。

という「李欧」という作品ですが…。

鋼の冷たさが肌身に伝わってくるような作品でありながら、ニンゲンの人生って何だろうなあ、と考えさせられる作品でもありました。

非常に個人的な人の昔話になるのですが、ちょっと身近なところに刑事をしている人がありました。
それで、その人が何らかの事件で撃たれて亡くなった。
50年ほどの昔の出来事です。
そしてその人の息子が大阪府警で刑事になったのですが、やはり20数年ほど昔に撃たれて亡くなっている。
大体、父は私の父と同じくらい、そして息子も生きていれば私と同じくらい。
死亡したのは40才前後の敏腕刑事のころだったのではないでしょうか。

一般庶民には、マル暴の担当をする人などが身近にはいないのが普通です。世の中の裏のことなど知らないまま、気付かないまま、平和な暮らしを送って一生を終わってゆく。だからその当時に、私が二人の話を聞いたときも、まるでドラマのようだと思いました。

人生の送るうちに人付き合いも増えてくる。その中には思わぬ世界を知っている人がいたり、信じられないような経験を積んでいる人があったりする。驚くような話を直接聞くことができるたりもする。そういう人生の延長線上を直線ではなく点線で辿ってゆく感覚でドラマが存在する。

高村薫の作り出すドラマは、作り話であることが分かっているにもかかわらずドキュメントを読むような感覚にさせる。それが彼女の物語への哲学の提示であり、社会批判でもあるのかもしれない。

マル暴の世界も日常のニュースでは扱わないのが常識で、いわゆる水面下ではドロドロと流れている社会の歪んだ姿なのかもしれない。

紙一重で私たちの日常なのだ。

高村さんは朝日新聞の論壇でかつて

人間の社会があるところには必ず物語が誕生します。原始時代でも自分たちの集落とその外を分ける物語があったはずです。日本で「古事記」や「日本書紀」が編纂されたのも、律令国家が確立して自らの国史を欲したからです。つまり、物語は人間が生きていくうえで必要なものなのです。私たちの国、私たちの王、私の家族、これらはすべて物語です。物語の特徴は、自分たちが見たいもの、好ましいものを取り入れる一方で、見たくないもの、不都合なものは排除することができるところにあります。つまり虚構です。私たちは物語という虚構を消費しながら生き、社会は虚構に支えられて維持されているのです。

物語は自ら完結する性質があります。つまり物語の外を遮断して閉じているということですが、この閉じた物語をあえて開いて、外にまなざしを向けるのが人間の進歩というものだったと思います。

と語ってる。

つまり、私たちは物語の中で自己完結をしてはならないのだという。

だが作品は、それ自体がもたらすハードボイルドで現実と空想の狭間にあって、リアリティをふんだんに伴った陶酔に似たもので私たち読者を満たしてくれる。

作品の中で

---

一彰はそれ以深く考えるの放棄したが、所詮、理性で突き詰めるに足るだけの意味はない。
突発的な歓喜の発熱だと思ったからだった。
熱である限りそのうち冷めるだろうし、熱が下がらなければ死ぬだけだった。

---

と哲学を語り
また別の形で漢詩を引く。

(文庫250ページ)

(重送裴郞中貶吉州 劉長卿)
猿啼客散暮江頭
人自傷心水自流
同作逐臣君更遠
靑山萬里一孤舟

これは、

重ねて裴郎中の吉州に貶せらるるを送る
猿は啼き 客は散ず 暮江の頭
人は自ら傷心 水は自ら流る
同じく逐臣と作りて君は更に遠く
猿の鳴きしきる夕暮れの時の船着場で君と別れる。

人は自然と心を痛めるが
そんな人の情などお構いなしに
川の水はどこまでも流れていく
君も私も同じく左遷された身
君は私よりもさらに遠くに赴任するのだ
青々としたあの山の彼方
万里の果てまで
小さな舟に乗って行ってしまうのだ

という意味の詩で、李歐と一彰が別れるシーンで一彰がボールペンで写真の裏に書き付ける。

この詩は突き刺さった。天才的にうまい。

人生をドラマに仕立てて小説にして感動までを呼び込むのは非常に難しい。
友情を言葉で表して長い月日の物語の中に埋め込んで結実させるのはもっと難しいだろう。

有りもしない背景の中でいかにも有り得るような奮えみたいな興奮をじりじりとストーリーから放出し続け、滅びるべきものを滅ぼして、多くの男女の心のふれあう物語が完結する。

高村薫は、これで感動してはいけないんだ、と言いたかったような気もする。

李歐
(講談社文庫)

2015年7月22日 (水曜日)

カツオを食べる

カットしたスイカ(値下げ札)
20150722katuoimg_1825

写真日記(平成27年版)


県内産カツオをスーパーで見たので買った。ツマは割引価格になっていたとスイカも買っていた。夏は食欲が出ないから楽しく嬉しく食べたいものです。

カツオはなかなか満足のいくものが手に入らず少し焦りを感じていたのですが、夏も本格化してうちの近くの海でも捕れるようになってくると味も満足できるようになってくるはず。

結構旨味が出てきたのでお茶漬け用に半分取り残しておいて晩酌のあとにサラサラといただきました。美味しかったです。

2015年7月21日 (火曜日)

冷たいスパ

冷やしスパゲッティー(冷製パスタ)

写真日記(平成27年版)


冷やしスパゲッティー 梅ドレッシング風味 明太子のせ
(冷製パスタという表現はキライですので)というのをゆうべやってみたんです。

作り方はまったくの自己流です。どこかで食べて美味しかった味を思い出しながら頭の中で組み立ててみた。

写真に撮ってみるとちょっと彩りに欠けると思う。
あれもこれもと欲張ってしまう性格もあかんので
この辺でヨシとしよう。

オクラとか みょうが など、夏の野菜を入れても良かったな。
スパゲッティーは大好きなのでまたチャレンジしてみる。

2015年7月20日 (月曜日)

ノスタルジー水割り二杯の融ける夏

ポテトサラダ
餃子も焼く
ポテトサラダを始めよう

写真日記(平成27年版)


アルコールは薬物やから体内で脂肪を増産する働きをするのよ せやから、飲み過ぎなければ確かに身体にはそれほど悪くはないけど 脂肪が増えるという働きがプラスとして受け入れられずマイナス効果な人にとったら よい薬物といえんのやな

とそんなことを言って朝に家を出て今日から控えようと思っていたがタコの刺身と餃子があると2杯ほど水割り(店なら4杯相当)を飲んでしまった。

太川陽介のバスの旅が1年遅れくらいで放送しており それをうつらうつらと見て 東北の懐かしさがこみ上がってくるのを感じた夜だった。

2015年7月16日 (木曜日)

京都日記(宵々山)

京都日記(平成27年7月篇)

鱧のお弁当
長刀鉾
ソフト
パスタ
烏丸通
フレンチトースト
菊水鉾
ハモ
かき氷(ポルタで)
韓国料理
韓国料理
朝のサンド(ドトール)

2015年7月15日 (水曜日)

ソーダ水 ─ 裏窓・番外

私は冷たい麺類が大好きで、夏になっても美味しく食べ続けますので、夏バテという言葉は全く無縁です。好き嫌いも全くありませんので、四季折々の味覚を美味しくいただいて、モリモリと成長しております。

もうすぐやって来る土用の丑の日には鰻も食べます。県内ではなかなか手に入りませんが、鱧も好きで遠くまで買いに出かけたりします。

夏をそれなりに楽しみながら感じることは、楽しもうと思えば思うほどに子どものころに食べた美味しかった食べ物やお菓子に戻って行ってしまう、ということでした。スイカ、かき氷、冷や麦・冷そうめん、ソーダ水…。

文明が進化しても涼しさを呼ぶ夏の味はそれほど変化しないのかもしれません。

一生の楽しきころのソーダ水  富安風生


7月号のメールマガジンのあとがきにはそんなことを書きながら、何十年もの変遷がもたらす味覚の変化や食べ物に対する執着心そして満足心のようなものも、ずいぶんと姿を変えてきてしまったと振り返る。

成長してゆく真っ直中で自分の身体の中に染み込ませていった味とか習慣というものは、容易く変更してしまうことなどできず、好き嫌い旨い不味いなどの感覚に基づくものは他人の忠告や刺激でさえ役に立たないほど頑固であることが多い。

それでいいのだと思う。

政治の方も揺れている。今決めたことは20年30年後になって不安から現実課題へとかわり問題となって人々を困らせたり悩ませることになるだろう。

新しく選挙権を得て勇んで投票をした人々は人生の半分以上を終えたころにあの時の人たちが叫んでいた声の本当の意味を知る。

歴史はそういう長いうねりで躍動している。

「一生の楽しきころ」はたった一回しかないのかもしれないが、間違いなく次の世代に伝わっている。少しずつ姿を変えて伝わってゆくのは仕方がないことだし、何が善くて何が悪いのかは、更にその後の歴史が吟味することになろう。

このうねりを楽しみながら人生の最終コーナーを心地よく走り終えたい。

2015年7月14日 (火曜日)

本心

そう、それでよろしいんや。本心いうもんは、人に明かすもんやあらしません。
(李歐 159ページ)


一彰はそれ以深く考えるの放棄したが、所詮、理性で突き詰めるに足るだけの意味はない。 突発的な歓喜の発熱だと思ったからだった。 熱である限りそのうち冷めるだろうし、熱が下がらなければ死ぬだけだった。
(李歐 180ページ)


(高村薫 まだ途中ですが)

2015年7月11日 (土曜日)

ビールの泡

写真日記(平成27年版)

高村薫 李歐 穂 鯵のフライ 塩昆布キュウリ

7月7日 七夕
雨降りで星空は望めず
小暑なれどもとりわけ苦痛な暑さもなく

我が家の電気料金が3千円を切った
ウチほどの大きさの家で3千円は模範的
安いだろううと高く評価している

いつも見てるテレビは1台でエアコン寝室になし
ガスや電気や水道の節約が着々と達成できて
気持ちの良い夏を迎えています

8日 雨降り
お天気も良くないし
休みであったので
大層なものを食べる気もなく

ぶらりとスーパーに行って
アジを見つけたので
フライに決定したのでした

9日 ムスメの誕生日
二人でお祝いをしているとLINEが届く

麦の穂が出ていて
そろそろかなと思っていましたところ
ひっそりと
あと1か月後には刈り取りになり
冷夏かもと言われているだけにやや心配が残る

10日 ビールの泡

泡を見ながら飲むのを少し抑えねばと思うけど
きのう受け取った健康診断の結果の中性脂肪が予想通り上昇中
週に二三回歩くものの変化表れず

ウォーキングにデブはおらず
デブは歩かないのか歩くとデブが解消できるのか

2015年7月 7日 (火曜日)

七夕や星なき夜やカレーなり ─ 小暑篇

きのうの話(6日朝)

駅で毎朝会う女子高校生に「試験終わった?」って尋ねたら「ハイ」って言ってた。
「夏休み 楽しみやな」って言うたら「うん」って。
この子は中学の時から駅で顔を合わす子。中学の入学の時にお母さんに連れられて、成長期だからダブダブの制服着せてもらってピカピカの鞄を持って不安そうな顔で汽車に乗っていた。
あれから5、6年か、そのころから知っているけど名前も知らん子です。
大きなったな、と思います。
それだけですけど。

駅に乗り降りするのは数人だし、ぴったしの時刻の列車は1本しかないから、特に理由がない限りは大体いつもの人たちは顔を合わせます。行きが3両、帰りは1両で出口は1つ。

テストが終わって夏休みになるので嬉しそうな笑顔だった。けど、受験勉強もしなアカンから忙しいのだろうな。

今のところ冷夏なので少し助かっているかも。

▼ 七夕や星なき夜やカレーなり

またまた雨降りの七夕さんでした。
受験生のころって夜空がとてつもなく神秘的だった。

▼ 月見草人里はなれて君を待つ

小さな花を道ばたで見つけた。
夏は黄色い花がよく似合う。


写真日記(平成27年版)

カレー 浜松のおみやげ

逃げ道

くみさんがFBで書いている。

---

■人生の〈逃げ場〉 会社だけの生活に行き詰まっている人へ(朝日新書)上田紀行

こんな本をぽちっと注文してしまったくらい疲れてる。心身ともに疲れてる。

読む気も起きないくらい疲れてる。
読めるくらいに回復した頃には多分もうそこまで行き詰まってないんだと思う。

でもせっかくだから読んでみようとか思う。


私の場合を振り返ってみました。
仕事をしているときは開発部門でしたので潜在的なプレシャーとかが大きかったのでしょうかね。家電屋の製品にはわたしの息がかかった物がほとんどと言っていいくらい溢れてました。
人それぞれのプレッシャーの感じ方は違うと思いますが、あのころはバイクに乗って連休などは1週間以上俗世界を離れるみたいなことをしてさらに週末はかなり身勝手な休息をしていましたが、やめてしまったらプレッシャーはないんです。髪が減っていく速度が急激に遅くなって解放されてます。
別の社会に変わってみて知ったのは、プレッシャーの少ない社会が世の中に在るのだということで、もしもこの世界に24歳から来ていたらどうだったのだろうかと考えることがあります。
長くなるので控えますが、人間は圧力の感じ方や影響の受け取り方に差が大きく在るのですけども、私は仕事をやめてバイクをやめて旅をやめてストレスから解放されて、その後の打ち手が大事だと思いました。辞書からストレス発散という言葉が消滅したのです。でもそれはアブナイことなんです。
人は緊張するから生きているんだなと思いますね。緊張って誰のためのものか。自分のために緊張してるんです。人に緊張させられていると思っていたら負けなんやな。ウマく言えないけどね

嫌なことをたくさん書いたかもしれないと反省していたけど、人生には「嫌い」と「好き」は都合のいいような割合では存在しないのも現実ですね。「向いていない仕事」は良くなかった仕事と言うわけでもなく、わたしは嫌々でも飯を食って子どもを就学させたのだから、◎だったのかもと思っています。自分の夢の仕事をして成功できるなんてのはできないのが当たり前で、それ自体が夢ですね。

人生をあれこれと語れば、たぶん、成功した多くの人の話なんか、参考にならないし、時には自慢話にしか聞こえないから。
私のようにどん底の人の話は、反対に腹立たしいかもしれないけど、上手に聞けば参考になるのは、私のように順風満帆でなかった人のほうがいいんでないかな。

そうそう、流されてゆく?
それは間違い。どんなことがあっても、溺れていても、流れは自分が作るのだ。そう思うことが大事だな。

子どもは親の背中を見ているからね。どういうふうに捉えるかの味付けは、背中を見せっぱなしではなくて、親がする。

背中が大事なのか、真正面からの姿が大事なのか、そこで語る言葉に重みがあるのか(必要なのか)。

どっしりと重いものが親の肩に乗っかっているのですが、ボクは重くはなかったな。楽しかったよ。木を育てるように。

2015年7月 6日 (月曜日)

角煮 (ヒレ肉で)

写真日記(平成27年版)

豚の角煮 角煮途上 角煮 はじまり 豚のヒレ肉にしました


かれこれ1時間ほどの簡単お料理(7月5日)

脂身のたっぷりとあるバラ肉ってのは、いつでも必ずお店にあるとは限らない。豚の角煮が食べたいと思ったときにも例外ではなく、売っている肉で済ませることになります。

もも、ヒレ、ロース、バラなどがお店に並ぶ一般的なお肉で、何故かヒレ肉は高額であったりするのですが、お料理をするには手腕が必要で、ヒレを料るには技術と知識と経験が必要ではないかと思っています。せいぜい、一口カツに上げるくらいしかしませんけど、上質のヒレと上質のロースをミックスしたトンカツ膳で食べたいという欲張りなわたしです。

きょうは、ヒレを煮豚に。なんと恐ろしいチャレンジであること。だってトンカツにするとカロリー高そう……。

---

飲み屋でチョイチョイと小皿に出してもいいような具合に焼きまして、それからお鍋に投入する方法をとってみました。

脂身たっぷりのバラ肉だったら、煮るか焼くかの選択を思案するところでしょうけど、ヒレは焼く方に心が傾いた。

ウチの特徴は、みりんとお酒を同率(醤油もですけど)にするところで、砂糖の量はヒミツ適当レベル。少し甘めになっているかもしれませんが、ヒレとバラでは少し配合を変えています。

バラのときは煮詰めますが、ヒレは硬くなってくるので早めに上げました。白くて太っといおネギとかも放り込むといいでしょう。(今はそんなの畑にないし)

割とヘルシーに仕上がりました。ビール飲むから健康的じゃないですけど。

2015年7月 5日 (日曜日)

写真のない日記 ─ 花も嵐もⅢ その83

あのころのわたしは写真をのせることを嫌いました。どうしても、旅日記を文章で読んでくれる人を惹きつけたかったのです。

絵や写真が作品に入ることを評価しないわけではなかったのです。しかし、読み手の人が本当に没頭して読んでくれるためには目に飛び込むものは活字だけなくてはならない、写真があるとパラパラと写真を眺めて終わってしまい、中身までは読んでもらえないのではないかとと強く感じていたのでした。

それは今でも大きくは間違っていないと思います。ただし、写真のメディアが発達して充実したので、今では新しい芸術作品としての写真を取り入れた日記の形が出来上がっています。

これからはなお一層文字だけの作品は流行らないのだろうと思います。それって、落語を聞く人が減っていったのにも似ているかもしれません。40分も掛けて長い話を聞くよりも、1分で「がはは」と笑って「ハイ!次は?」って進む。

一見して難しそうであっても綺羅びやかで格調・品位が高そうだという理由で歌舞伎に人気が出たりしている一方で、目の前の多くの動画メディアでは、映像を重視する作品としてではなくストーリーに注目する映画が流行って(収益が上がって)いると、レベルの低下を感じざるを得ず少し残念になります。確かに儲からねばいけない訳はわかりますが、残念です。心も貧しく見極める感覚も低下する、そういう時代なんだと思っています。が、むしろ時代に乗り遅れる人はアホなんです。

というわけで、わたしはアホの走りだったのです。

将来を読み将来に生き延びてゆくこうとするならば、多少の考えの違いがあっても新しいものを取り入れてゆくことは欠かせない選択です。あのときのわたしも割り切って、多くの人に情報として旅のあれこれを届けることに一生懸命になってもよかったのだろうと振り返ることがあります。

コツコツと自分で切り拓いてきた旅の楽しみ方や味わい方を、他人がお金をかけて安易に実現していくのを見て真似されたくなかった。一種の横取りされるような気持ち─雑誌などの商業メディアに盗み取られるように感じたのでしょう。そうしていつまでも、自分の旅のスタイルにこだわり続け、譲りたくなかった自分の意地を張りとおした訳です。見方によれば失敗だった。

だから、わたしの旅日記にはそういうわけで写真がほとんどない。けれども、わたしの旅のスタイルはあの時代で完結したと思っています。

カメラは人一倍好きでしたからいつも持ち歩いていました。ちょっとイカす写真を撮りたいといつも思っていました。でも、ツーリングのときに撮った写真は狙い過ぎの傾向が強く記録作品としては結果的に駄作が多い。枚数も少ないのも残念です。宮本常一さんの写真の本を見てもわかるように、記録を撮る姿勢はとても大切です。

デジカメの時代になってからあまりハードな旅をしなくなった。天気予報にしても到達先の現地情報も簡単に手に入ります。そんな情報武装をして旅をすることに反発を持ち続けたのでした。iPhoneを持って日記代わりの写真を撮っているくせに、便利さ・手軽さゆえに味わいを奪い去ってしまったことを残念がって、新しい道具が提供してくれる旅の楽しさ、主張する感動や歓声を拒み続けたのです。

次第に旅が詰まらなくなってきます。完成ながらに未知を目指す旅が消えていくのを感じながら、新しい旅のスタイルってのがあるはずだ、それをを楽しみたいと思う。恩返しもしたいと考えるようになってきました。情報がお金で買えて安易に流通するようになった時にバイクをやめようと思い始めます。

そしてそれから数年で手放してしまいました。39年のバイク生活でした。でも終わったとは思ってません。スタイルたを変えて再開することだってあるでしょう。根っからのバイク好きですから。

2015年7月 4日 (土曜日)

引き潮

写真日記(平成27年版)

引き潮

干潮時刻は13:30ころです
1時間ほど前に海にいました
25年ぶりの人にも会いました
小雨が降ったりやんだり

2015年7月 3日 (金曜日)

題詠ブログ

題詠ブログを楽しませてもらっている。といってもわたしは拝見して楽しむレベルの立場である。

「激減」している投稿数に不安を感じて、それが引き金となって継続を悩んでおられるらしい。誰もが同じ状況だったら悩むとことと思います。

歌を愛するゆえに安易な判断で方向を決めてしまっては、自分に納得がいかないし、読者の皆さんにも申し訳ないという気持ちもあるのでしょう。

そうはいっても、激減という数字は現実の前に重くて厳しい。

今のネットを(ひいては社会を)俯瞰的に見渡せば、わが身勝手で好き放題のうえに、安易に割り出される情報やその指標に烏合が流されるように群がっていきます。そこにいる人たちの多くにはモノの本質を見極めるつもりもないし、見極める力も、その潜在的な希望もありません。

所詮ネットや社会がその程度のものだと言い切ってしまうには、寂しさや悲しさもありますし、少し見切りが早いかなと思うものの、社会を動かす流れはまだまだ今のままでしょう。新しい流れなどは到底期待もできない。

ツイッターやブログでいち早く短歌や俳句を楽しみ始めた人たちが、数年前まで遡ってどれほど最初に描いたユートピア的な歌や俳句の世界を続けているのでしょうか。

ご本人は何にも変化していなくても、潮流が随分とみなさんの姿を捻じ曲げて行っているように思います。

様々な人がいます。自分にだけ注目して欲しい人、高く評価をして欲しい人、本当に上手になりたい人、上手な人の中で黙って鑑賞しているだけでいい人、こっそりひっそりと参加していこうと思う人、歌会の参加を狙う人、賞を狙う人などなど。

しかし、濁流のような流れが、個人の価値観や楽しみ方、生き方までも、脅かしてくることもあります。

自分流を守って生きている方々もたくさんありますが、勝ち組・負け組などという言葉がチヤホヤされた潜在性は未だ根強いものがあります。

正しかろうが善かろうが(劣悪であろうが紛いもんであろうが)多数決的な勢いで物事が進むことは日常です。

題詠ブログをみんなで守って、しっかりとした「詠む」「詠みあう」文化を作り継続していきたいという気持ちは痛いほどよくわかります。

参加する側の人々の技量や気持ちは素晴らしくとも、しかしながら、育んでゆく土壌がこれから頼りになるという確信はありません。

様々な意見が様々な方向から出ると思います。決して均等な母集団から湧き上がるものではないと思います。それらゆえに判断が難しいし、やめれば復活は難しいという心配もなさっています。

しかし、誰のためにって、それはご自身のためにも、一旦ゼロにしてしまう勇気も必要と思います。

本当に不可欠で、またパワーがあるならば、必ず姿を変えて甦ることのできる時がきます。わたしはその新しい姿がとても楽しみです。

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題詠ブログ:五十嵐きよみさんが主宰しておられる歌を詠みあうイベントのブログです)

2015年7月 2日 (木曜日)

窓ぎわで書いては消して雨のおと

写真日記(平成27年版)

竹鶴 おひたし 福砂屋 蟹蒲とキュウリの酢の物

七月はのらりくらりと始まったのでした。

2015年7月 1日 (水曜日)

お好み焼きと焼きそばとビールとウイスキー

写真日記(平成27年版)

お好み焼き お好み焼き お好み焼き

ゆうべ

雨が強くなってお買い物に行く気をなくして
おはなはんのお好み焼きが買ってあったので
お好み焼きと焼きそばとビールとウイスキー
というおゆうはんでした。

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