2018年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

« 車谷長吉 追悼  再読 ─ 小満篇 | トップページ | 鯛と海老のスパ(パスタ) »

2015年5月22日 (金曜日)

赤いバンダナの話 ─ 花も嵐もⅢ その82

1度だけ、赤いバンダナの話を話したことがありました。
鶴さんからもらったバンダナのことです。

とても強く烈しく京都に一緒に行くことをわたしは鶴さんに望みましたが、叶わいませんでした。だから、京都に来て社会人になって働き始めてからも切実に鶴さんのことを思い続けていたのです。

1983年夏、彼女に会うために東北へ旅に出た日記があります。
福島県郡山市大槻町にある鶴さんの実家を訪ねており、お兄さんとお母さんと三人暮らしの鶴さん宅に一泊世話になっています。

次の日は朝から雨で、二人乗りで阿武隈洞を観光し、その夜はワシントンホテルに泊まっていると書いています。ホテルの名前は記録していますが、出来事の詳細は日記では触れていません。

旅の日記はいつも必ずきちんと書くようにしてきましたが、この東北の旅日記には幾つもの欠落があります。旅の途中で郡山市に到着し、それから自宅まで帰り着く間の日記は、ペンを持つ力さえ抜け落ちてしまったのかと思わせるようなものです。

断片的になったり欠落しているのは、意図的であったのか。強烈に記憶として残ったが故に書き残さなかったのか。

わたしにしたら、あの年の東北の旅における郡山市での出来事は、どんな些細なことであっても、疎かにはできなかったはずです。

では、哀しみに打ちのめされて書けなかったのでしょうか。

阿武隈洞に行き、その夜は駅前の街の居酒屋で飲んだはずです。その後、ワシントンホテルの階上で食事をしています。この日の日記の最後に、赤いバンダナを買ってもらったと一行だけ書いている。

どこで買ったのか、何のために買ったのか、不明なままです。

何故、書き残さなかったのか。そのバンダナは、それから何年もの間、バイク旅のお守りとして肌身離さず持ち歩き、首に巻いてトレードマークにしています。

しかし、あるときそれを風に吹かして飛ばしてしまいました。何故飛ばして失うようなことになったのか、それは覚えています。しかし、それ以上に詳しくあのときに彼女と電話で交わした言葉や衝動的な気持ちの一部始終は、わたしはほんとうに覚えていなかったのだろうか。

忘れようとしたわけでもないだろうと思います。とても大きな衝撃であったならば、忘れようとしても、自由自在に忘れられるというわけがない。忘れるということに意志が働かせることはできない。

それだけに、余りにも失意のどん底でありすぎた、とでもいうことでしょうか。

だから、バンダナの話は1度だけで、鶴さんが買ってくれたバンダナを、いつもどんなときも大事にしていたことだけ、家族には話したのでしょう。

ツマはその話をほんの少しだけ聞いて深く頷いてくれたのでした。


鶴さんを読み返してみました。
このシリーズで少し触れています
終章 その4  -ネオン消えバンダナ赤し夏の夜-  [第61話]

« 車谷長吉 追悼  再読 ─ 小満篇 | トップページ | 鯛と海老のスパ(パスタ) »

【花も嵐もIII】終楽章」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/46088/61647364

この記事へのトラックバック一覧です: 赤いバンダナの話 ─ 花も嵐もⅢ その82:

« 車谷長吉 追悼  再読 ─ 小満篇 | トップページ | 鯛と海老のスパ(パスタ) »