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2015年4月22日 (水曜日)

バッタリ ─ 穀雨篇

▼日曜日の夜に眠りにつきながらツマとひとことふたこと言葉を交わす。
・明日は月曜日仕事に行くの嫌やなあ…
・むかし会社にいた頃はそう思う日が何度もあったなあ…

▼あのころは仕事が嫌というのではなかったものの激しい圧迫感の中で生きている表現のしがたい緊張に纏われて日々を辛いと思い生きていた。

▼もちろんそこを生き通したおかげで今があるのだ。もしもあのときに挫折していたら自殺するか家族を棄ててどこか遠くへ逃避してたのだろう。

▼逃げるとはそいう道しかなかった。そこで、もしも一人で生きている身だったならば「人生などどうなっても良い」と思ったに違いない。

▼だが、現実はそのようには展開しなかった。要約して結論づければ、ツマとムスメと親がいたから粘れたのだと考えて良い。

▼ここで、三つ目にあげた親というのが重大な要素だ。親というのは、現代のように入学式や卒業式さらには入社式にまで参上するような親をいうのではない。親という物理的な実体ではなく、一種のカリスマ性を持った鬼のようなものだった。

▼鬼といっても棍棒を持って目を光らせるものではない。孔子のようであり親鸞や日蓮のようであり小学1年生のときの担任の先生のようでもある。そしてそれは心の中で鬼として存在したのだった。

◎◎

▼今は仕事に辛さを感じることもなければ逃げ出したいと思うこともない。理由は簡単である。いつでも逃げられるし嫌ならやめればいい。

▼そう言ってみるものの生きてゆくために選択手段を天秤にかけることはあってそれはそれでストレスである。死というはっきりした到達点が見えて幸せとは何かというものが昔よりもはっきりと実像化してきたこと。さらにそれほど強欲に生きても無意味であることに気づいてきたことなどが肩から荷を降ろさせてくれた理由だ。

▼若いときはそうもいかない。植物だって成長する真っ盛りが在るのだからニンゲンだって同様に無茶をしてでも大きく成長する必要がある。温室で育つか荒野で育つか。十分な雨水に恵まれて大きくなるか。自然の寒暖差の刺激も受けるか。

◎◎

▼ストレスが著しく減少して爺(ジジイ)として厚かましくなってきた。高価なものが欲しい便利なものがほしいなどという欲目もなくなってきた。ビンボーで好きな様に生きている。遺書はないが言いたいことはおおよそ書いた。いつ死んでもいい準備ができた。怖いものはない。

▼否。1つだけ怖いものが在る。地獄のような苦しみで生き続けることだ。逝くなら即座に逝きたい。

◎◎

▼三十代のころに仕事に燃えて国産初、超一流の声に讃えられて数々の発明に関わっていたころ、今考えれば相当に大きなプレッシャーを背負っていたのだなと思う。今だからなおさら冷静にその姿が見えてくる。

▼ではあのときのわたしは可哀想だったかというと(結果論であるが・生き抜いたから)あれはあれで必要だったのだと思う。大事なことは生き抜くこととひとときたりとも夢を棄てないこと、そしてその夢にむかって進もうと努力することだ。

▼人は前進するために様々な力を必要とし知恵も出さねばならない。夢に到達するまでの企画力であるとか日々の実行力や行動力も不可欠だ。そのように目標を達成するためにあらゆる人がその手段を分析し明確化し手順化してきている。実践的な手法があれば精神論もあるし催眠的なものも在る。心身ともに鍛えるわけだがそこになかなか完璧には出会えない。パラドックス的に言えば完璧であればこそ未完成なのだし。

新・写真日記(27)
お団子(3色) CONTESSA

▼4月20日は穀雨。雨降りの月曜日となった。確か先週の13日14日(月曜と火曜)も傘のいる天気で、2週連続で週のはじめの2日間に傘をさした。

▼雨を憎んでも仕方がないが、中旬の雨のあとには水田に水が張られ休日には一斉に田植えが始まったので何となく気分がウキウキ。3月末に挿し木をした雪柳がまだ枯れずにいる(これは挿し木の技術も知識もないのでさほど期待していない)雨を喜ぶ人だってあるわけでぼやいてばかりもいられない。

▼そうだ。雨降りでしょぼんだったけれども、帰りの駅でいつも会う名も知らないのに通勤時に決まっていっぱいお話をする友だちになっちゃったおねえさんに、久しぶりにバッタリ会ったのだ。
「忙しそうですね、もう会えないかと思っていましたよ、こんなことなら連絡先を聞いておけばよかった思っていたのです……」
「残業で忙しかったのですけど、大丈夫、またこれからこの列車に何とか乗れるから」
そういってかわされてしまったのだった。

▼ちょっとしたストレスかも知れない。

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