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2015年3月25日 (水曜日)

きっと転びそうな予感

雨降茫々日々記 1277
というブログを拝読したあとに勝手随想しているが、何らコメントにもならないわたしの戯言なのでコチラにあげてTBの印だけを残すことにする。

むかし、転ぶという言葉がそれ自体も響きも嫌いだった時期があって、高校に不合格になったときも大学に10箇所以上落ち続けたときも、進級の壁に立ち向かうときも、わたしは転び続けたわけでした。

師よ何度転べばよろしかろう七度ですか
そう得体も知れず目に見えぬ自分の心の奥深くの影と対話を続けた。(目にも見えぬ)師は優しく、八度起き上がればそれでよろしい、などとは言わなかった。

それでよかったのだ。いつまでも寝転んでいるわけにもいかないし、はたまたいつまでも大空を見あげているわけにもいかないのだから、大急ぎであれ、やれやれと…であれ、起き上がるのだ。

無資産で貧乏な家に生まれて、他人に迷惑をかけたりするのを恥と思う人間であったはずだが、妙に夢だけは大きかったのかもしれない。親にだけは多大な迷惑をかけて東京の大学にまでやってもらった。けれども、ムスコは大馬鹿息子のままだった。村長や村会議員をした爺さんや曾祖父さんが三つ子までのわたしに何を囁いたのかは、今となっては全く想像できないのだが、母が言うように脈々と流れるグウタラな血が流れているようだ。

ちょっと起き上がるまでにナマクラをし過ぎて情けない暮らしをしているのだが、わたしが次の世代に何を伝えられるかにかかっている。ムスメ1人だったので結構バクチみたいになっていることは否めないが。

☆春雷や善きひとはみな先をゆき
☆まだすこし遊び足りない春灯  砂女

砂女さん、ちょっと弱音を吐きかけたなんてことはないと思うが、ナマの声は届いてこないからそれはわからないままだ。

ただ、転んでみて地面の低さまで視線が移動して、転んだ数を勘定してしまったら、ついでに歳の数を勘定したのかどうか、弱音だとは決して思わないけど

でもまたきっと転びそうな気がする
なんて書いているから、ちょっと笑って飛ばしておこうではないかと考えた。

ニンゲンの記憶脳っていうのはタマネギと同じような構造で、外から(新しいところから)段々と腐って剥がれているのです、なんてのをTVに出ててる科学者が話すのを聞いて、なるほどと思いつつも、そんな科学よりも……と、また別のことを考えていた。

科学が進化するのは結構ですが、どうだっていいことはたとえ面白い科学であろうが追いかけるのをやめて、もっと糞の役にも立たないことで心を豊かにできるようなものはないものか、などとわたしは捻くれてみる。

捻挫が3日ほどで治ったとかいう記憶の突然変異と脳科学とが関係するのかどうかワカランけど、人の記憶とはとても曖昧なものであることを、先ごろわたしも体験した。

10年ほどむかしに新採で配属されてきた一人の女性がいて、彼女は転々と異動しながら着々と大人になってられ、先日、久しぶりに話をする機会があったのだが、あまりにも雰囲気が記憶と食い違ってしまい(別人かもしれないと不安になって)躊躇した。

高校時代の数学の先生が(≒定年だったので)、新人のころの教え子と再会したら顔は全く覚えていないが声を覚えているものだ、声は変化しないよ、と仰っていたのを思い出した。なるほど。人間の骨格は変化しないから、声の周波数帯域は変化しないわけか。

転ぶという現象は、うっかり屋さんという心理的な側面もあるが、カラダの構造的な(解剖学的な側面の)ことにも起因するならば、死ぬまで治らないのかもしれない。つまりは、よく転ぶ人=いつまでも転び続けるのだ。

いつまでも試験に通らなかった昔を思い出して、ほとほと納得をした。運命だから付き合うしか無い。


新・写真日記(27)

サバの唐揚げ 筑前煮

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